2021/02/21

EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑨

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録。 今回は、9回目です。 前回は、2020年の緊急事態宣言の前までだったので、だいぶ、間が開きましたが、せっかく、組み写真を作ってあるので、もったいないと思い、結局、全部出す事にしました。 組み写真の枚数に関係なく、出かけた回数にして、4回分を、一週に出します。





【西浦・重須・弁天島①】

  緊急事態宣言の解除後、バイクでの、プチ・ツーリングを再開しました。 2020年5月20日、最初に行ったのが、沼津市内の、西浦・重須・長井崎半島にある、弁天島という所。 島と言っても、地続きになってます。 ひたすら、海岸線沿いの道路を走って行ったら、着きました。

≪写真1≫
  長井崎半島と弁天島を結んでいる、短い地峡から、内浦湾の一部を見た景色。 のどかな風景です。

≪写真2≫
  弁天島には、神社があります。 島が目当てで来たのではなく、この神社を見に来た次第。 鮮やかな、朱色の鳥居です。

≪写真3左≫
  石段。 古くも新しくもない感じ。 体力がある人なら、何でもない段数ですが、そうでない人は、結構、参ると思います。 神社だけに・・・。 地峡部分に、人家があり、その脇から坂道がありますから、そちらで登った方が、いいかも知れません。

≪写真3右≫
  手書き注意板。

「アニメグッズ類の放棄 および、落書きは禁止致します。 見かけた方は、案内所まで」

  と、あります。 テレビ・アニメ、≪ラブライブ!サンシャイン!!≫のモデルになった学校が、この近くにあるので、聖地巡礼者が来るのでしょう。 地元からすると、迷惑な話です。

≪写真4≫
  社殿。 人間が入れる大きさです。 本殿が、拝殿内に、収まっている形式。 賽銭箱あり。 燈篭がありますが、頭がないですな。 狛犬、手水舎は、なし。 名前が一切書いてありませんが、弁天島と言うのですから、やはり、弁財天を祀ってあるのでしょう。 弁財天と言えば、芸事の神様ですが、だから、アイドル・アニメのモデル地になったんですかね?  関係ないか。




【西浦・重須・弁天島②】

≪写真1≫
  社殿の軒下に、なぜか、太鼓が吊るしてありました。 他の神社では、見た事がありませんなあ。 昭和五十年と書いてあります。 1975年。 えっ! するってーと、45年間も、ここに吊る下がっているんですか? それは、もちがいいですなあ。

≪写真2≫
  その後、坂道の方で、バイクに戻り、長井崎半島をぐるっと回って、幹線道路へ。 更に、西へ向かい、古宇の先まで行きました。 風景の良い所で、バイクを停めて、北の方角を撮影したのが、これ。 愛鷹山の向こうに、富士山があるのですが、雲で見えません。

≪写真3≫
  海。 このあたり、津波対策の防波堤がないので、海面が、すぐ近くに見えます。 伊豆半島は、全て、火山噴出物で出来ていまして、岩も、砂も、みんな、真っ黒です。

≪写真4左≫
  34日ぶりに、プチ・ツーリングに駆り出された、EN125-2A・鋭爽。 バッテリーが死ななくて良かった。 この角度は、いいですな。 改めて見ると、やっぱり、ネイキッド・バイクは、レトロな感じがしますねえ。

  レトロさを盛り上げているのが、メッキ楕円ミラーですが、これは、アマゾンで、一番安いのを買ってつけたもの。 標準では、黒の楕円ミラーです。 全くの偶然ながら、EN125-2Aの原型になった、EN125-2では、このメッキ楕円ミラーと全く同じ物、もしくは、非常に良く似た物が、標準になっており、満更、無縁でもなかった様子。 EN125-2は、ビキニ・カウルと、エンジン・アンダー・カウルが付き、メーターも違います。 ギアが6速というのが、一番大きな違い。 日本には、ごく少数しか入らなかったとの事。

≪写真4右≫
  この角度も、いいです。 荷台が、シャープなリア・ビューを作るのに寄与しているのが、良く分かります。 明らかに、荷台込みで、デザインされているのです。 ピンク・ナンバーですが、最初は、抵抗があったものの、今では、見慣れてしまい、何とも思わなくなりました。




【三島市多呂・神明神社①】

  2020年5月27日、バイクで、三島市多呂にある、神明神社へ行って来ました。 地図で見つけたところ。 大場駅から、北へ向かい、途中で、東の方の山へ登っていくと、迷いもせずに、あっさり、着きました。

≪写真1≫
  神社の石段前まで行き、登って来た方角を振り返った景色。 遠くに見える山は、たぶん、沼津アルプスの中央部、向かって右から、鷲頭山と大平山ではないかと思います。 2本の柱が、左へ傾いていますが、写真が傾いているのではなく、柱そのものが傾いているのです。

≪写真2左≫
  バイクを停める場所がなかったので、神社の石段横の住宅前に停めました。 この辺り、数軒しか家がなく、邪魔にはならないと踏んで。 ヘルメットも、バイクに残して行きました。 石段を登り始めたら、この住宅は、空き家である事が分かり、安心しました。

≪写真2右≫
  神社の石段。 ステンレスの手すりが付いた、新しい物。 途中、踊り場があり、そこそこの段数があります。 心臓が悪い方は、左手へ向かうと、坂で上がる道もあるので、そちらを選んだ方が無難。 大変、分かり難いですか、この写真の上の方に、石造りの鳥居があります。 

≪写真3≫
  社殿。 拝殿内に、正殿が入っている形式。 鉄筋コンクリートです。 平成12年(2000年)の定礎がありました。 地方によっては、「鉄コンの社殿なんか、ありえない」と思う人もいるでしょうが、駿東地域では、珍しくありません。

≪写真4左≫
  石段の脇で咲いていた、薊(アザミ)。 珍しく、マクロで、ピントが合いました。 あざみのごとく、とげあれば・・・。

≪写真4右≫
  境内を覆う高木。 山の中なので、高木だらけ。 

≪写真5左≫
  縁起解説板。 ステンレスで、ピッカピカ。 文章が、古文書風で、読み難いですが、内容は、分かり易いです。 元は、別の場所にあったのを、水害に遭って、寛文9年(1669年)、ここへ移したとあります。 神社が、山の中腹に建てられる理由は、みな、そんなところなのでしょう。

≪写真5右≫
  社殿の側面に掛けてあった札。 「警察官立寄所」は、神社では珍しいです。 「警察官指定巡回ヶ所」は、たぶん、「警察官指定巡回箇所」なのでしょう。 何か、間違えておるな。




【三島市多呂・神明神社②】

≪写真1左≫
  ! ? 左の文字は、なんと読む? 「盤」の異体字で、「漱盤(すすぎばん)」でしょうか? 蛇口が付いておらず、漱げませんけど。 これだけ、あってもなあ。

≪写真1右≫
  社殿の腰周りに、幾つか付いていた、通気口。 鉄コンだから、合っているような、神社らしくないような、不思議な感じ。

≪写真2左≫
  境内。 石段から、社殿までの距離が短い代わりに、北の方へ向けて、敷地が広がっています。 そのまま北へ向かうと、坂道に出て、ぐるっと回って、石段の前に戻れます。

≪写真2右≫
  山の高い方には、竹藪がありました。 どこでも、竹は繁茂しておるのう。 それ以上、行けないようなので、引き返しました。

≪写真3左≫
  神社の北側にある、ゴルフ練習場。 神社に向かって、スポコンスポコン打っているわけで、罰当たりと言えば罰当たりですが、距離があるから、問題ないのでしょう。 罰が当たっていれば、とっくに潰れているわけだし。

≪写真3右≫
  坂道を下って、石段の前に戻りました。 公園、もしくは、運動場として造られたと思われる場所。 周囲にはネットが張り巡らされ、ベンチが置いてあります。 しかし、草ボウボウで、使われなくなって久しい観あり。

≪写真4≫
  バイクに乗り、山を下って、大場川の土手の上を通る道路へ出ました。 ここも、公道で、車も通ります。 大場川(だいばがわ)は、水路みたいな幅ですが、深さは、結構あります。 箱根から流れて来て、三島市を通り、狩野川に合流します。




【函南町・馬坂神社①】

  2020年6月4日に、バイクで、函南町にある、馬坂神社に行って来ました。 函南駅から、西へ向かい、信号のある交差点で北へ曲がると、ガードを潜って、山の中へ向かう道に出ます。 それを登って行き、分岐では、「木立キャンプ場」の方を選べば、馬坂という集落へ行けます。

≪写真1左≫
  途中、橋の袂にあった石碑。 「堅牢地神」、「国家永寧」とあります。 何の為に建てたのか、今一つよく分からぬ。

≪写真1右≫
  その裏側にあった石碑。 「合併橋」とあり、何か文章が彫ってありますが、読み難くなってしまっていて、分かりません。

≪写真2≫
  これが、合併橋という事になります。 頑丈そうな橋ですな。 流れている川は、来光川。 箱根から流れて来て、平地で、柿沢川に合流し、その先で、狩野川に流れ込みます。

≪写真3≫
  これが、馬坂神社。 正確には、馬坂・山神社。 工事看板がなければ、いい雰囲気の場所だと思います。

≪写真4左≫
  社殿。 遠くから撮っているから、小さく見えますが、人間が入れる、普通サイズの社です。 拝殿に本殿が入り込んでいる形式。 扉には、ガラスが入っています。

≪写真4右≫
  社殿の手前にあった、何かの構築物の痕跡。 たぶん、手水舎があったのではないかと思います。

≪写真5左≫
  解説板。 社殿は、昭和27年(1952年)に建てられたとあります。 この解説板は、平成31年に立てられたとの事。 2019年ですな。 

≪写真5右≫
  社殿の横に、木箱がありました。 蜂が飛んでいたので、たぶん、蜜蜂の巣箱なのでしょう。




【函南町・馬坂神社②】

≪写真1≫
  馬坂神社から、更に、山の奥へ向かいました。 杉・檜林に囲まれた、こんな道が続きます。

≪写真2≫
  木立キャンプ場まで行こうかと思っていたのですが、工事をやっていて、舗装路が途切れていたので、そこで、引き返しました。 近くに架かっていた橋の上から取った写真。 来光川が、だいぶ、細くなっています。

≪写真3左≫
  少し、下って来た所。 まだ、馬坂までは来ていません。 来光川と、その向こうの山。

≪写真3右≫
  路傍で咲いていた花。 桜草に似た花ですが、葉っぱが違うようです。

≪写真4≫
  路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この後、工事現場から、コンクリート・ミキサー車が下りて来まして、慌てましたが、逃がす場所がありません。 そうこうしている内に、ミキサー車の方が、うまく避けて行ってくれました。 125ccとはいえ、重量は、120キロ近くあるわけで、坂道で急に動かすのは、厳しいものがあります。




【長泉町・米山梅吉記念館付近の三神社①】

  2020年6月10日、曇りでしたが、バイクを出し、長泉町の北の方に行って来ました。

≪写真1≫
  第一目的地、日吉神社。 大きな工場があり、その南辺の道路に出てから、南下して、鎮守の森を目当てに、辿り着きました。

≪写真2左≫
  境内は、かなりの広さ。 社殿の横で、何かの工事の一団が、昼休みを取っていて、近寄れず、ここまでで、引き揚げました。 遠目に見ただけですが、燈篭と、狛犬はありました。

≪写真2右≫
  入口近くにあった石碑。 三つあった内、二つは、寄付の記念碑でした。

≪写真3≫
  日吉神社から、少し南に行った所にある、「米山梅吉記念館」。 ここには、2011年9月16日に、折自で来ています。 門前の龍舌蘭以外、ほとんど、記憶なし。 米山梅吉さんは、確か、ライオンズ・クラブを日本で始めた人。 2011年の時には、中に入ったんですが、今回は、パス。

≪写真4左≫
  記念館の前の道路に停めた、EN125-2A・鋭爽。 建物の写真を撮るだけなので、ここで、充分。 とはいえ、街なかだと、停めるのが、ヒヤヒヤしますな。 バイクを離れられません。

≪写真4右≫
  記念館の前の道路から、南北に通っている幹線道路を見たところ。 この幹線道路、家にある古い地図には載っていません。 折自で来た時にも、この道路には出ませんでした。 最近、出来たにしては、店が多いので、もう、2・30年は経っているんでしょうねえ




【長泉町・米山梅吉記念館付近の三神社②】

≪写真1左≫
  米山梅吉記念館の少し北、幹線道路に面して、あった、「金山神社」。 たまたま、見つけました。 小さいですが、よく整備されています。 割と珍しい、木製の鳥居。 色も、ニスだけで、渋い趣きです。

≪写真1右≫
  社殿。 端正な作りです。 狛犬、燈篭、手水舎は、なし。

≪写真2左≫
  鳥居の前で咲いていた、鉄砲百合。 早いですな、うちのは、この時点で、まだ、茎も伸びきっていませんでした。 うちのは、細葉ですが、これは、細葉ではないから、花の時季が違うのかもしれません。

≪写真2右≫
  同じく、鳥居の前で咲いていた、白い紫陽花。 白は、珍しいというほどではないですが、少数派です。

≪写真3≫
  金山神社前の歩道に停めた、EN125-2A・鋭爽。 街なかには、あまり、似合わないような気がせんでもなし。 レトロ・スタイルなので、今の街と、時代のズレを感じてしまうのかも知れません。

≪写真4≫
  すぐ近くの住宅地の中で見つけた、「山神社」。 こじんまりした境内ですが、庭園のように、整備されています。 燈篭あり。 中まで入って行かなかったので、狛犬は、確認できませんでした。 鳥居の注連縄が、棒に巻いてあって、妙に力強い感じ。




  今回は、ここまで。 一週に4回分だと、組み写真が、8枚になるので、読むのが苦痛だと思いますが、暇があって、酔狂な人だけ、読んで下さい。 一週に、このくらい出さないと、出し切れないんですわ。

  そういや、「大分麦焼酎 二階堂」のCMですが、「一人旅を満喫するおじさん」が終わってしまいましたな。 「下町暮らしを楽しむおじさん」に変わったわけですが、CMクリエイターの狙いは分るものの、あまり、羨ましいとは思いません。 やはり、下町情緒では、旅情には敵わない。

  もっとも、感染対策的には、旅など、全く推奨できないのであって、自分の住んでいる町の中で、ルーティーンな行動を繰り返している方が、ずっと、責任ある態度といえます。 しかし、マスクはした方がいいと思いますねえ。 特に、食品を扱う人達は、もう、マスクなしでは、仕事が成立しないと、肝に銘ずるべきでしょう。