2021/01/03

古い車のカタログ蒐集計画 ⑨

  古い車のカタログ蒐集に関するシリーズ。 新年早々、シリーズ物も、そぐわないと思うのですが、これといって、書く事がないので、致し方ないところ。 毎回書いておきますが、このシリーズ、ヤフオクで購入した経緯と、買ったカタログの紹介がゴッチャになっているので、ご注意あれ。 そうそう、タイトルは、「古い車のカタログ~」ですが、バイクのカタログも含みます。 前回からですけど。





【ジョグのカタログ 1983年4月版】

  ヤフオクに、同じ物、5冊セットが、スタート価格100円で出ていたのを、2018年5月16日に、競らずに落札し、定形外郵便の送料250円、合計350円払って、19日に届いた、「ヤマハ・初代ジョグのカタログ 1983年4月版」です。 これは、デビュー版。 初代ジョグのデビューは、83年3月らしいですが、なぜか、カタログは、1ヵ月遅れた発行年月になっています。

  5冊も要らないのですが、100円では、「1冊だけ、20円で譲ってください」などと言えないので、5冊のまま、落札した次第。 A2サイズの一枚紙で、縦に折り、横に折り、畳んだ状態が、A4サイズ。 ページ数にすると、8ページで、バイクのカタログとしては、多い方ですが、全ページ、見せます。

≪写真1≫
  表紙。 「新発売」の文字がありますが、それだけでは、デビュー版の証拠としては弱いですな。 マイナー・チェンジのカタログでも、「新発売」や、「誕生」を使う事はありますから。 でも、これは、確実に、デビュー版です。

≪写真2≫
  横に開くと、見開きで、このページ。 起用されているのは、ヨーロッパ系外国人モデルで、たぶん、全員、無名の人。 それでも、人間が全く写っていないカタログよりは、ずっと、印象が好ましいです。

  「ピーターパン気分」というのが、キャッチ・コピーだったようです。 ピーターパンの話を良く知らないと、ピンと来ませんが、つまり、空中を自由に飛びまわるような気分という事なのでしょう。 もっとも、50cc原付は、かなり、制約の多い乗り物だと思いますが。

≪写真3≫
  縦に開くと、見開きで、大きなジョグの写真。 さすがに、A2サイズは、迫力がある。 機能・性能・その他特徴の説明が書いてありますが、とっくの昔に、意味がなくなった情報なので、全部は読む気になれません。

  初代ジョグは、軽量な割に、エンジンに力があり、走行性能が高くて、評価された車種です。 私も乗っていたのですが、確かに、初代タクトよりは、元気が良かったです。 もっとも、50ccなので、知れてますけど。 2サイクルで、ガソリン以外に、オイルの補給が必要でした。 もう、83年ですから、もちろん、セル付き。

  前輪の泥除けが独立しておらず、先端が尖ったフェンダーで代用しているところや、後輪のサイド・フェンダー下端を後ろ斜め上へ直線で持ち上げたライン、シートの後ろから、テール・ランプまで、急角度に切り落とされた形など、その後、登場するスクーターの雛形になったデザインと言えます。 ただし、この頃は、まだ、メット・インではありません。

≪写真4≫
  裏表紙。 左上に、「ヤマハ原付免許教室」の案内。 ホンダ同様、ヤマハも、乗り方を教えるところから、取り組んでいたわけですな。 その下に、「ヤマハらくらくクレジット」の案内。 お金がない人には、分割払いも可能ですよと。 その下には、「安全運転のポイント」を簡略に注意してあります。 至れり尽くせり。

  中央上が、カラー・バリエーション。 うちにあったのは、青でした。 黒がないのは、この頃のスクーターの特徴でしょうか。 黒ばかりになるのは、90年代に入ってからです。 中央下が、オプション。 うちにあったジョグには、フロント・バスケットが付いていました。 なに、千円? 安いですな。 自転車の前籠並みだ。

  右は、諸元表。 エンジン出力は、4.5馬力です。 その下に、値段があり、99000円。 性能を考えると、お得な価格だと思います。  右下隅に記号が入っていて、「8304-30D3A-011046」とあり、「8304」が、1983年4月を表しています。


  うちにあったジョグについては、いずれまた、詳しく書きます。 カラーや、ステッカーのデザインから考えて、デビューしてから、最初の変更が行なわれるまでの間に買ったものと思われます。 記録が少な過ぎて、購入時期を、まるで特定できないので、カタログは、デビュー版のみにして、他の版は買わないつもりです。 今思えば、タクトの方も、そうしておけば良かったんですが、後の祀り。




【定形外郵便でカリーナ・マイロードのカタログ】

  ヤフオクで、2018年12月5日に落札し、12月10日に届いた、「5代目カリーナ前期型・マイロードのカタログ 2冊」です。 それぞれ、220円で、別々に出品されていたものを、一方は、競らずに、220円のままで、もう一方は競って、250円で落札しました。 まとめ取引扱いになり、同梱発送してもらいました。 送料が、定形外規格外郵便で、340円。 合計、810円。

≪写真上左≫
  新品の茶封筒。 茶封筒の中に、直接、カタログが入っていて、防水処置を全くしてなかったのですが、こういう例は、以前にもありました。 雨が降らない間に運ばれたのは、幸運でした。 「折り曲げ禁止」のシールは、ありがたい。 ダンボールの台紙を入れてもらえれば、折り曲げ対策は、より完全になりますが、その分、重くなって、送料が上がる恐れがあり、良し悪しです。

≪写真上右≫
  出品者は、札幌の人で、厚別郵便局の料金シールあり。 以前、別の出品者から、定形外郵便を受け取った時には、切手が貼ってありましたが、こういう、料金シールでも送れるわけですな。

≪写真下≫
  左側のクリーム色のが、1989年5月版。 右側の水色のは、1989年10月版。 5代目カリーナのデビューは、1988年5月ですが、最初のマイロードのカタログが、何年何月に出たかは、不詳。 内容については、いずれまた、紹介します。

  5代目カリーナに関しては、車の情報が欲しいのではなく、イメージ・キャラクターの写真が欲しくて買っています。 残りは、後期型のサンフランシスコ版だけになりましたが、数が出回っていないのか、なかなか、出品されません。




【ネコポスで初代タクト・デビュー版のカタログ】

  すでに所有していた、初代タクトのカタログが、ドンピシャ版ではなかった事が分かり、デビュー版を買い直す事にしました。 ヤフオクを調べたら、いいのが出ていたので、2018年12月18日に、スタート価格のまま、送料無料の500円で落札し、翌19日には、早くも届きました。

≪写真上≫
  配送方法は、ヤマト運輸の、「ネコポス」で、郵便物ではありませんが、 郵便受けに投函されます。 大型郵便受けセットを出しておいたら、その中に入れて行ってくれました。

  新品の茶封筒の中に、ダンボールの台紙と、ビニールで防水したカタログが入っていました。 「折らない 曲げない」シールは、ありがたい。 ただ、大きさ的に、郵便受けに入れられない場合、持って帰ってしまうらしいです。 その場合、どうやって受け取るのかは、不明。 こちらから、取りに行くんでしょうか?

≪写真下≫
  これが、初代タクトのデビュー版カタログ。 1980年10月の発行です。 タクトそのもののデビューは、1ヵ月早い、9月ですけど。 カタログの内容に関しては、いずれ、改めて、紹介します。




【ヤマハ DT50のカタログ 1992年6月版】

  このカタログは、買ったものではなく、バイクを買った時に、ディーラーから貰ってきたものです。

  1993年の夏に、中型自動二輪免許を取る為に、教習所に通い始めたのですが、クラッチ操作が、全然できず、何時間乗らされるか分からない窮地に陥りました。 で、クラッチの練習の為だけに、原付バイクを買ったのが、この、ヤマハ、DT50です。 新車で、21万円くらいしました。 それが、1993年9月上旬の事。

  このカタログが発行されたのは、1年3ヵ月も前です。 その後、1993年7月にも、何か変更があったらしいのですが、私の買ったバイクと、このカタログは一致しているので、もしかしたら、私が買ったバイク自体が、型落ちだったのかも知れません。 もっとも、DT50は、1982年のデビューから、1997年の生産終了まで、大掛かりなモデル・チェンジがなかったらしいですから、型落ちと言っても、大差なかったと思いますけど。

≪写真上≫
  一枚物で、表と裏の、2面しかありません。 スクーターのカタログよりも、簡素ですな。 表は、イメージ写真ですが、全て、スタジオ撮影で、とことん、お金をかける気がなかった事が窺えます。

≪写真下≫
  裏は、機能説明、カラー、諸元表など。 カラーは、2種類。 グレードは、1種類しかありません。 私が乗っていたのは、紫色の方でした。 買って、乗って帰ったら、母が、「まあ! 派手だねえ・・・」と言ったのを覚えています。

  2ストローク・エンジンなので、ガソリン以外にオイルの補給が必要なのですが、エンジンで燃焼し切れなかったオイルが、走行中、排気管から飛び散って、ナンバーが、オイル塗れになるという、しょーもない問題点がありました。 アルミ缶を切って丸めた延長パイプを着けていましたが、完全にオイルの付着を防ぐ事はできませんでした。

  次の問題点は、サイズが、フル・サイズより、一回り小さいので、乗ると、重心が後輪にかかり、後輪ばかり、何回もパンクしました。 タイヤの減りも、後輪の方が著しかったです。 前後輪共に、チューブ式で、自転車のパンクと同じような修理ができましたが、当然の事ながら、自転車よりも、かなり、ごつくて、きつい作業でした。

  奇妙な事に、50ccなのに、水冷で、ラジエーターが付いていました。 7.2馬力あったものの、非力は隠せず、ガンガン走った記憶は、全くないです。 どうせ、50ccだから、時速30キロ以上出したら、捕まってしまいますし。 ギアは、6段。 始動は、キック式。 しかし、普通に押して歩きながら、キーを回すと、自然にエンジンがかかるという、始動の軽さでした。


  そもそも、バイクに乗り始めた理由は、電車・バス通勤だった時に、「1995年から、連続2直という勤務時間体系に変わる」という予告があり、深夜・早朝に通勤しなければならなくなるとの事。 車通勤に戻るのが嫌で、バイク通勤する事に決め、中免を取りに行ったという経緯でした。 このバイクが家にあった頃の通勤は、まだ、電車・バスでして、バイクは、休日に乗るだけでした。 そのつど、バッテリー液を補充していたような記憶があります。

  練習用だったわけですが、せっかく買ったのだから、ツーリングに行こうと思い、職場の先輩にコツを教わって、あちこち、出かけました。 日帰りだと、伊豆半島。 富士山の麓一周。 渥美半島。 知多半島の手前まで。 長野県の佐久付近まで。 野宿ツーリングでは、三重県の熊野。 山陽山陰の海岸線。 東北の海岸線。 よくもまあ、50ccで、あんなに遠い所まで、行ったものです。 私は、30歳になる年でしたが、まだまだ、若かったんですなあ。

  一年間、手元にあったのに、一枚の写真も撮らなかったのは、大失敗でした。 このカタログがあるから、充分と思っていたのですが、やはり、自分が乗っていた、そのバイクの写真がないとねえ。 後悔先に立ちません。

  1994年の9月に、セロー225Wに買い換えたのですが、DT50の下取り価格は、5万円でした。 たった一年で、そんなに安くなるものかね? ぼったくりも甚だしいと思いますが、そのディーラー、翌年には、支店を引き上げてしまいました。 店の評判が悪かったのかも知れませんな。




【ヤマハ セロー225Wのカタログ 1993年5月版】

  このカタログは、買ったものではなく、バイクを買った時に、ディーラーから貰ってきたものです。 バイクのカタログには珍しく、冊子になっています。

≪写真上≫
  表紙。 森の中の撮影で、オフロード・バイクである事を、強調しています。

≪写真中≫
  イメージ写真のページ。 左ページは、森の中というより、崖の上ですが、さすがに、こんな所まで行く人は、稀だと思います。

≪写真下左上≫
  まだ、イメージ写真のページが続きます。 セローは、ヤマハの定番商品で、どういうバイクかは知れ渡っていたので、広告宣伝は、説明よりも、イメージを優先していたのかも知れません。

≪写真下左下≫
  やっと、機能・性能の説明ページ。 しかし、私がバイクに乗る事は、もはやないと思われ、こういう技術的説明には興味が湧きません。

≪写真下右≫
  裏表紙。 カラーが、3種類。 グレードは、1種類ですが、下の段に、併売していた旧モデルの、「セロー225」が載っています。 旧モデルは、リヤ・ブレーキがドラム式で、2万円安いです。 私が乗っていたのは、225Wの、白地に紫のカラーでした。 この白地の部分が、汚れが目立ってねえ。 しょっちゅう、マジックリンで洗っていましたっけ。

  223ccで、20馬力。 ギアは、6段で、セル付き。 オフロード車にしてはシートが低めで、乗り易いのが売りのバイクでしたが、実際、乗り易かったです。 デザインが、割と地味で、オンロード・バイクと並べると、埋没してしまうくらいなのも、歳が行ってから、バイクに乗り始めた私としては、ありがたかったです。

  オプション部品として、リア・キャリアが、6800円で載っていますが、私は、それを、後で買い、野宿ツーリングの時だけ、取り付けていました。 7500円くらい、払ったような記憶があるのですが、値上がりしたんですかね? それとも、私の記憶違いでしょうか?


  DT50を一年間乗り、1994年の9月に、このセロー225Wに乗り換えました。 40万円台半ばくらいの価格だったと思います。 とにかく、時速30キロの制限から解放されたのは、ありがたかった。 このバイクに換えてから、スピード違反で捕まる事がなくなりました。 比較する事で、50ccの原付が、いかに、捕まり易い乗り物であるかが分かりました。

  1995年の5月頃から、通勤に使い始め、片道約20キロ、年間1万キロくらいのペースで、乗っていました。 その年の11月と12月に、愛知県の田原にある工場へ、社外応援に出されたのですが、その時にも、このバイクを持って行って、休日に、渥美半島や、豊橋、豊川などを回りました。 寮での食事は、カップ麺とパンで、バイクで街なかのスーパーまで行き、リュックに満載して帰って来たのを覚えています。 そんな事が、妙に懐かしい。

  他に、このバイクで行った所というと、日帰りだと、小田原、甲府、静岡市、伊豆半島、etc。 野宿ツーリングだと、紀伊半島、九州、能登半島、四国。 DT50では行けなかった、九州に行けたのは、思い出深いです。 1995年の夏の事でした。 その後、野宿ツーリングに飽きてしまい、数年あけて、1999年に、四国に行きますが、強行軍スケジュールのせいで、腰を痛め、それっきりになります。

  オイル交換や、ブレーキ・パッドの交換など、簡単な整備は自分でやっていました。 故障というような故障はなかったですねえ。 だんだん、ガタガタにはなって行きましたけど。 2002年5月に、オイル・フィルター・カバーのボルトから、オイル漏れするようになり、修理不能と言われて、やむなく、バイクを買い換える事になりました。 乗っていたのは、8年弱でした。

  初めて買った、中型バイクだったから、思い出は多いです。 バイクそのものよりも、ツーリングの思い出ですな。 今、この年になって振り返ると、バイクに乗っていた期間は、私の人生で大きな場所を占めていると言えますねえ。 もう、乗る事はないと思うと、妙に、寂しいです。




  今回は、ここまで。

  バイクのカタログの記事の中に、「もう、バイクに乗る事はない」と繰り返し書かれていますが、それは、これらの記事が、バイク生活を再開する前に書かれたものだからです。 オフロード車ばかり買っていたのは、排気量の割には、車重が軽くて、腰痛持ちにも扱いが楽だったのが、主な理由です。

  これらのカタログは、バイクを買う手続きをした後で、「これ、貰ってもいいですか」と言って、貰って来たものです。 私は、車やバイクに関しては、カタログを集めて、検討してから、車種を決めたという経験がないです。 新車であっても、雑誌のカタログで検討して、店に行く時には、もう、何を買うかが決まっていました。