2020/12/20

古い車のカタログ蒐集計画 ⑧

  古い車のカタログ蒐集に関するシリーズ。 こんなのもやっていましたな。 前回の⑦が、2018年11月4日でしたから、2年以上、開いてしまいました。 すっかり忘れていたのですが、まだ続きがあるので、ぼちぼち出して行きます。

  このシリーズ、ヤフオクで購入した経緯と、買ったカタログの紹介がゴッチャになっているので、ご注意あれ。 当然の事ですが、まず、そのカタログの購入経緯の記事が出て、その後、しばらく経ってから、内容紹介の記事が出て来ます。 勢い、記述内容の重複がありますが、修正が面倒なので、そのまま出します。





【トヨペット・初代クラウン1900 RS30型 スタンダードのカタログ 1961年4月版】

  我が家で最初の、「うちの車」になった、「トヨペット・初代クラウン1900 RS30型 スタンダード」のカタログです。 カタログ本体には、発行年月の記載がなくて、「1961年4月版」というのは、ネット情報に従ったもの。 我が家で最初の車は、私の父ではなく、当時、まだ同居していた、父の末弟の叔父が買いました。

  買った経緯について、詳しい事は不明ですが、売った時には、エピソードがあり、叔父の車なのに、父が新しい車を買うのに、叔父に断りもなく、下取りに出してしまい、揉めたらしいです。 そりゃ、揉めるわな。 しかし、これは、母から聞いた話なので、当事者に聞けば、また、違う話になるのかも知れません。

  このカタログですが、ヤフオクで、スタート価格2000円だったのを、2018年の5月7日に競って、3200円で落札し、5月12日に届きました。 送料が、ゆうメールで、180円かかり、合計3380円。 一冊のカタログとしては、私個人的に、過去最高値ですが、それでも、初代クラウンのカタログとしては、相場より安い方です。

  このカタログ、本カタログなのですが、ページ数が少ないので、裏表紙以外、全ページの写真を出します。

≪写真1≫
  表紙。 シルエットは、しばらく、目を凝らして見ないと、何の形なのか分かりません。 「トヨペット」というのは、今でも、販売店の系列名として残っていますが、もともとは、トヨタのブランド名でした。

  裏表紙は、同じ地の色で、「トヨタ自動車工業株式会社 トヨタ自動車販売株式会社」と記してあるだけです。 確か、80年代頃まで、トヨタでは、車を作る会社と、売る会社が、別会社でした。 合併した時に、ニュースになったのを覚えていますから。

≪写真2≫
  イメージ・イラストのページ。 印刷技術、或いは、コストの関係だと思いますが、50年代のカタログは、イラストが主流でした。 このカタログは、60年代に入ってからの物なので、写真の方が多くなります。 本音は、全部写真にしたいのだけれど、イラストレーターの仕事を取り上げるのが忍びなくて、イメージ・ページだけ、描いてもらったのではないでしょうか。

≪写真3≫
  機能説明のページ。 この車、ドアが観音開きで、後ろドアは、前側が開きます。 しかし、60年代ともなると、もはや、観音開きを売りにする時代ではなくなっており、観音開きを見せている写真は、1枚もありません。 むしろ、隠したいくらいだったのでは?

  前席が、ベンチ・シートなのは、前にも3人乗れて、乗車定員が6人だからです。 この頃は、まだ、大家族が多くて、定員は、多いほど良かったのです。 大人6人乗った上に、子供を膝の上に乗せたり、足元に押し込んだりして、定員以上を運ぶ事も珍しくありませんでした。

  荷室の蓋が、バンパーのすぐ上から開くのは、便利そうです。 むしろ、これより後の時代の車になると、蓋は、天面しか開かなくなり、大きな荷物や重い荷物を積むのに、苦労する事になります。 独立シャーシと、モノコックの違いが関係しているのかも知れません。

≪写真4≫
  上半分は、イメージ写真。 夫婦と、幼い子供二人で、旅行に出かけるようです。 幸せを絵に描いたような場面。 ファミリー・カーである事を前面に押し出していますな。 何とも、大きな家だこと。 当時の車は、うちでも、叔父さんが買えたくらいですから、途轍もなく高い物というわけではなかったと思うのですが、イメージ的には、まだまだ、金持ちの専有物と思われていたんでしょうね。

  下半分は、ダッシュ・ボードの説明で、半透明のパラフィン紙を重ねる事で、「オプションの、ラジオと時計が付くと、こんな感じになります」というのを表しています。 凝った作りですな。 この頃は、オプションの事を、「オプショナル」と言っていたようです。 ちなみに、うちにあった車には、ラジオは付いていましたが、時計は、あったかどうか分かりません。

≪写真5≫
  エンジンやシャーシの説明ページ。 1900ccで、80馬力というのは、控え目ですが、当時のエンジンとしては、大きな数値だったと思います。 1955年に登場した初代クラウンは、アメリカに輸出もしていたのですが、1500ccだと、非力過ぎて、高架道路のランプを登れないとか、出足が遅くて、本線に合流できないといった問題点が指摘され、1960年には、1900ccにアップされたとの事。

  シャーシは、独立型です。 この上にボディーを載せるわけですが、重くなるので、この後、急速に、モノコックに切り変わって行きます。 ブレーキは、前後共、ドラム式。

≪写真6≫
  外板色と、諸元表のページ。 色は、これ以外に、7色、オプションがあると書いてあります。 うちにあった車は、写真でみると、黒なのですが、白黒写真なので、もしかしたら、暗めの他の色だったのかも知れません。


  初代クラウンは、側面に、飾りのラインが入っているのですが、その形の違いで、どの型か、見分けがつきます。 同じ、後期型の1900でも、スタンダードの他に、デラックスがあり、それは、飾りラインの形が違うのです。

  黒澤明監督の1963年の映画、≪天国と地獄≫で、中盤に、刑事2人が乗り回すのが、この1900スタンダードでして、数分間に渡り、たっぷり、写っています。 ちなみに、犯人が使った車も、初代クラウンで、1959年型スタンダード(1500cc)。 当時、映画に出せるような車で、選べる国産車が、いかに少なかったかという事ですな。


  うちにあった車ですが、赤ん坊の私が、運転席に座って、ハンドルを握っている写真が残っているものの、記憶は全くありません。 その後の、初代ファミリアの記憶さえないのですから、無理もないです。 何か怪我をして、病院へ連れて行かれた時に、黒っぽい車に乗ったような記憶があるにはありますが、それが、この車だったのか、タクシーだったのか、記憶がおぼろ過ぎて、自信のかけらもありません。




【ゆうパケットで5代目カリーナ後期型マイロードのカタログ】

  ヤフオクに、スタート価格300円で出たのを、2018年10月30日に、競らずに落札し、11月3日に、届いた、「5代目カリーナ後期型マイロード」のカタログ。 送料は、ゆうパケット(おてがる版)で、210円。 合計510円でした。

≪写真左≫
  ゆうパケット(おてがる版)というのは、初めて受け取りました。 ヤフオクなど用に作られたサービスのようです。 追跡可能で、日曜祝日でも配達されるというもの。 これが届いた時、たまたま、外にいたので、手渡しで受け取りましたが、本来なら、郵便受けに入れて行かれるもの。

  宛名シールの裏に、袋になった透明ビニールが貼ってあり、その中に、薄緑色の紙が入っていました。 その紙を上にして撮影したのですが、元の画像で確認しても、伏字ばかりで、利用者側に参考になる情報はありません。

  新品の茶封筒。 カタログをビニールに入れて、クラフト・テープで端を折り貼りして、更に、ダンボールの台紙に貼ってありました。 完全防水ではないですが、かなり、厳重です。 「折曲厳禁」の注意書きは、ありがたい。 郵便配達員によっては、強引に曲げて、郵便受けに押し込んでいく人もいますから。

≪写真右≫
  5代目カリーナ後期型マイロードのカタログ。 マイロードは、カリーナの特別仕様車で、本カタログとは別に、専用のカタログがあります。 表紙・裏表紙込みで、12ページ。 1990年12月版です。 後期型が出たのは、1990年5月なので、7ヵ月経ってから出た版という事になりますが、中身は、変わっていないと思います。

  イメージ・キャラクターは、山口智子さんと、冨家規政さんで、本カタログとは違う写真が使われています。 カタログの中身については、いずれまた、紹介します。




【ゆうメールでセルボ・モードの簡易カタログ3冊】

  ヤフオクに、スタート価格540円で出ていたのを、2018年11月1日に、相手一人と競って、658円で落札し、5日に届いた、「セルボ・モードの簡易カタログ3冊セット」です。 送料は、出品者もち。 ゆうメールで届きました。

  この時のオークションは、スタートから落札まで、たった、118円上がっただけですが、どちらも、最低入札価格の10円ずつ上げて行ったので、双方で、12回も応札する、気の長い競り合いになりました。 私の方が、より閑人だったから、勝てた次第。

≪写真上≫
  ゆうメールは、郵便受けに入れて行くサービスで、追跡が利かず、日曜祝日には配達されません。 発送元は、新潟県で、本来なら、もっと早く着くはずなのですが、祝日と日曜が挟まっていたせいで、だいぶ、遅れました。

  カタログをビニール袋に入れて密封し、ダンボール2枚で挟んで、周囲をガム・テープで貼った荷姿。 実は、この出品者、去年(2017年)の8月末に、カタログを纏めて買った相手の、カタログ販売業者の人でして、梱包も慣れきっていて、全く無駄がありません。

≪写真下≫
  3冊とも、簡易カタログで、みな、10ページ前後。 内訳は、前期型1992年6月版。 前期型1993年2月版。 後期型1995年10月版です。 欲しかったのは、右端の、後期型だけなのですが、セットで出品されたので、ついでに買ってしまったというわけ。 前期型も、参考にはなります。

  後期型のカタログは、A4サイズですが、前期型の方は、高さは同じで、幅だけ広く、B4の幅でした。 バブル時代が終わって、縮小したんでしょうな。 カタログの中身については、いずれまた、紹介します。




【クリックポストで初代・2代目ミラのカタログ13冊】

  ヤフオクで、スタート価格1500円で出ていたのを、2018年11月9日に、3700円で落札し、11月14日に届いた、「初代・2代目ミラのカタログ13冊」。 送料は、クリックポストで、185円。 合計3885円でした。 冊数が多いので、一冊あたりにすると、そんなに高いわけではないです。

  11月は、すでに、ヤフオクで2件も買っていて、それ以上買う気はなかったのですが、一年以上、網を張っていた、「初代ミラ中期型の本カタログ」が含まれていたので、やむなく、入札したもの。

≪写真上≫
  クリックポストというのは、初めて、受け取りました。 定形外郵便、ゆうメール、ゆうパケット、レターパックと、郵便局は、一体、何種類、こういうサービスをやっているんでしょう? 出品者は、福岡県の人でした。

≪写真下≫
  これが、中身。 凄い数! 本カタログ、簡易カタログ、アクセサリー・カタログが、13冊。 他に、販促マニュアルが2冊、含まれています。 この中で、私が欲しかったのは、下の列の、黄色い表紙の一冊だけだったのですが、まあ、他のも、見れば面白いだろうから、奇貨居く事にします。 全て、1980年代前半のもの。

  出品者は、同じようなセットを、他にも出品していて、恐らく、当時、ダイハツのディーラーに勤めていた人か、その家族ではないかと思います。

  カタログの内容については、いずれ、紹介しますが、冊数が多いので、いつになるか分かりません。




【初代タクトのカタログ 1981年4月版】

  10円スタートでヤフオクに出ていたのを、2018年2月21日、競った末に、260円で落札し、送料が180円、計440円払って、27日に届いた、「初代タクトのカタログ 1981年4月版」です。 中身が、A4サイズだと、ゆうメールの最小サイズに収まるんですな。 ちなみに、バイクのカタログは、A4サイズが多いです。 このカタログは、A4である上に、三つ折り、6ページの1枚紙です。

  発行年は、たぶん、1981年4月。 はっきり書いてないのですが、裏表紙の右下隅に、「GA7-KA2-104N」という記号があり、恐らく、最後の数字「104」が、「1981年4月」を表しているものと思うのです。 デビュー版の方は、「GA7-KA-010N」になっていて、「010」が、「80年10月」だと考えれば、法則が合います。 ただ、実際のデビューは、80年の9月ですけど。

≪写真上≫
  恐らく、ピーター・フォンダさんが、タクトのイメージ・キャラクターに起用された、最初の版です。 ちなみに、デビュー版のカタログでは、アメリカン・フット・ボール・チーム(日本人)や、無名のヨーロッパ系モデルが使われています。 

≪写真中左≫
  イメージ写真のページ。 「僕はホンダのキーを2つもつ」というセリフが書いてあります。 つまり、ホンダ製の、車とスクーターを持っているという意味ですが、車の方は、初代プレリュード(1978-1982年)が写っています。 懐かしい。 私は、高校時代、初代プレリュードが好きでねえ。 まだ、バブルへの上昇期が来る前です。

  初代タクトは、80年代前半に起こった、スクーター・ブームの嚆矢になった車種です。 それ以前に、ヤマハが、「パッソル」という、足を揃えて乗れる50cc原付を出していましたが、「スクーター」という古い言葉を避けていたせいで、堂々とスクーターを名乗ったタクトに、パイオニア・イメージを持って行かれてしまったんですな。

  ただ、タクトのデザイン・イメージは、ホンダのオリジナルではなくて、「ベスパ」から、大枠を拝借して、細部を時代に合わせて洗練したというものでした。 ホンダのオリジナルと言えるのは、82年登場の、「リード」辺りからでは? 初代タクトのデザインは、その後、主流になる事はなく、90年代以降のスクーターに繋がるデザインの流れを作ったのは、83年に登場する、ヤマハの「ジョグ」だと思います。

≪写真中右≫
  機能・性能説明のページ。 タクトが登場する前の、ホンダの50cc原付というと、「ロードパル」でしたが、それには、セル・スターターが付いておらず、ゼンマイを自動巻きにして、ボタン始動するという機構が使われていたそうです。 タクトでは、標準タイプに、セル・スターターが付いていました。 キック・ペダルも付いていますが、左側でして、バッテリーが上がってしまった時の、緊急用という位置付けだったと思います。

  スピード・メーターは、80キロまで、目盛りがあります。 距離計と、燃料計付き。 ミラーは、セル付きでは、左右にあり、キック・オンリー車は、右側のみ。 もちろん、メット・インではありません。 ヘルメット・ホルダーはありました。

≪写真下≫
  裏表紙。 まず、下段の販売店スタンプから。 「磐田市国府台 サイクルショップ かばや」。 磐田市は、静岡県西部にあります。 このカタログの出品者は、奈良県の人だったのですが、どういう経緯で、最初、磐田市の二輪店にあったカタログが、その人の手に渡ったんでしょうねえ。 確かめようがないだけに、ロマンを感じます。

  他を見ますと、上段には、ボディー・カラーのバリエーションと、簡単な諸元表。 色は、青がなかったんですね。 値段は、

タクトDX〈キック式〉 108000円
タクトDX セル付 118000円
タクトDX セル付(フロントバスケット、水平キャリア装備車) 120000円

  となっています。 80年頃で、10万円というのは、結構な値段です。 うちにあったのは、12万円のですな。 エンジン出力は、3.2馬力。 2サイクルなので、ガソリンの他に、オイルの補給が必要でした。

  中段には、「パルスクール」という、ホンダの50cc原付教室の宣伝が載っています。 名前から考えて、70年代半ば、「ロードパル」という機種を売っていた時に始めた教室だと思いますが、この頃も続いていたわけだ。 対象購買層は、運転免許に全く縁がなかった女性達でして、「50ccの原付免許なら、筆記試験だけで取れますよ。 乗り方は、教えますよ」と、まず、顧客の意識改革から取り組んでいたわけです。

  ちなみに、スクーター・ブームによって、「運転免許は、自分でも取れる」という事が分かった女性達が、「それなら、普通免許も取れるはず」と、考えを進めるのに、何年もかかりませんでした。 80年代半ばになると、大人の女性が教習所に通って、普通免許を取り始め、卒業前の高校生は、性別に関係なく、普通免許を取るのが当たり前になって行きます。

  今現在、祖父母が、60歳以上になっているという人で、祖母が運転免許を持っていない事に、不自然さを感じた人は多くいると思いますが、スクーター・ブーム以前には、女性の運転免許所持者は、ごくごく稀だったんですな。 スクーター・ブームに乗らなかった人が、車に乗る気にもならず、生涯、運転免許不所持者になって行ったわけです。


  ところで、このカタログ、ドンピシャ版のつもりで買ったのですが、この解説を書いている時に、違っていた事が分かり、12月になってから、本当のドンピシャ版である、デビュー版を買い直しました。 そちらの紹介は、かなり先の事になると思います。




  今回は、ここまで。

  まだ、かなりの数があります。 数えて行ったら、楽に、10件以上ありそうだったので、それ以上、数えるのをやめました。 ちなみに、今現在、古い車のカタログは、買っていません。 欲しいと思っているものはあるのですが、なかなか、出て来ないのです。