2020/12/06

読書感想文・蔵出し (70)

  読書感想文です。 これを纏めているのは、11月28日ですが、植木手入れが迫っていて、やる前から、腰が痛くなっている始末。 心気症にも程がある。 それとは関係ありませんが、普段、四冊分、出すところを、今回は、三冊にします。 最初の一冊の感想が、異様に長くなってしまったので。





≪松本清張全集 7 別冊黒い画集・ミステリーの系譜≫

松本清張全集 7
文藝春秋 1972年8月20日/初版 2008年5月10日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、中編3、短編3、実録3の、計9作を収録。


【別冊黒い画集】 約324ページ
  「週刊文春」に連載されたもの。

「事故」 約93ページ
  1963年(昭和38年)1月7日号から、4月15日号まで。

  運送会社のトラックが、コースを外れた所で、住宅の玄関に突っ込む事故を起こしたが、妙に理解のある相手で、賠償金は安く上がった。 ところが、間もなく、その運転手が、仕事中に、山梨県で殺され、ほぼ、時を同じくして、同じ山梨県で、興信所の女性社員が殺される。 事件はどちらも、迷宮入りしたが、その裏には、秘密があり・・・、という話。

  冒頭から出て来る、運送会社の事故担当社員が主人公かと思いきや、すぐに、引っ込んでしまい、その後も、視点人物が、ころころ変わります。 三人称で書かれた群像劇と見るべきか。 大まかに三つに分かれていて、まず、トラックの突入事故と、殺人二件の捜査の様子が語られます。 次に、時間が巻き戻されて、犯人側の視点で、犯行の経緯が語られます。 最後に、「思わぬところから、露顕する」で、締め括られています。

  大変、変わった構成ですな。 すでに、名声が確立していた、松本清張大先生だから、こういうのが通ったのであって、もし、新人が、こんなのを書いた日には、編集者から、丸めた原稿で、頭をポンポン叩かれて、「な・ん・だ?こ・れ・は? プロットの基本も知らんのか? ナメとんのか、雄鶏ゃ!」という扱いを受けるでしょう。

  とはいえ、話は面白いです。 変わった構成が、邪魔をしているという事もありません。 時間が巻き戻るところが、少し混乱しますが、死んだ人間が、まだ生きているので、巻き戻った以外に考えようがないわけで、読んでいれば、自然に分かります。 興信所の社員が調べていた相手が、大変、非常に、途轍もなく、甚だしく、意外な人物で、アイデアの切れの良さに、ハッとさせられます。

  最初の突入事故が、なぜ、コースから外れた場所で起きたのかは、誰でも気になりますが、やはり、伏線でして、後で回収されます。 賠償金について、相場の10分の1でいいという奇妙な態度も、これまた、伏線。 露顕するパートで、回収されます。


「熱い空気」 約74ページ
  1963年(昭和38年)4月23日号から、7月8日号まで。

  離婚後、一人で食べて行く為に、 派出家政婦になった女が、新しく住み込んだ大学教授の家で、その家族の問題点を探し、突つき回して、不幸の穴に突き落とそうとする話。

  知らない人がいないテレビ・ドラマ、≪家政婦は見た≫の、原作。 正確に言うと、2時間ドラマ版の、第一作の原作で、シリーズ化された第二作以降とは、直接の関係はありません。 第一作と、第二作以降とでは、主人公の名前や、家政婦紹介所の名前も異なっています。 一番違うのは、主人公の性格でして、第一作、つまり、原作の主人公には、正義感や義憤など、全くなくて、「自分が不幸だから、他人はもっと不幸になればいい」という、後ろ向きの考え方しかありません。

  テレビ・シリーズ同様、殺人事件は一つも起こらないのですが、傷害事件や、痴情事件は起こります。 傷害事件は、かなり、変わったもので、孫が祖母の鼓膜を焼いてしまったというのですから、相当には、ひどい話。 痴情事件の方は、松本作品では良く出てくる、不倫や、不倫旅行で、そちらは、ありふれています。

  チフスが小道具に使われるところは、凄い。 森村誠一さんの長編で、チフス菌をわざと拡散させる場面が出て来ましたが、こちらは、故意ではなく、自然感染で、あるホテルにいた事がバレるという使われ方なので、より、ゾクゾクします。

  テレビ・シリーズが大ヒットしたのに比較して、この原作が、あまり話題にならなかったのは、主人公の性根が腐っているせいで、ピカレスク(悪漢小説)にしては、痛快さに欠け、読者が共感を覚えてくれないからでしょう。 作者も、そう思ったのか、ラストを、因果応報で纏めていますが、そのせいで、ますます、中途半端になってしまいました。


「形」 約29ページ
  1963年(昭和38年)10月21日号から、11月18日号まで。

  山の中に高速道路が造られる事になり、用地買収が進められたが、一軒、頑強に売るのを拒む家が出て来る。 買取値を上げても、ああだこうだと理由をつけて拒み続けるので、「死体でも埋めてあるのだろう」という指摘が出て、警察が買収予定用地を掘り返すが・・・、という話。

  割と、ありふれた問題ではあるものの、これも、一応、社会派作品と考えるべきか。 犯罪あり、謎ありですが、読みながら推理できるようなストーリーではないです。 「拒んだ挙句、周囲の村人や警察を利用して、うまい事、利益をせしめる」という、痛快な話になれば、面白いのですが、残念ながら、肩透かしみたいな終わり方になります。

  「わざと、周囲から怪しまれる為に、殺人犯のように見せかけて、実は、一人も殺していない」という設定を貫いた方が、断然、気の利いた話になったと思うのですがね。


「陸行水行」 約37ページ
  1963年(昭和38年)11月25日号から、1964年1月6日号まで。

  大分県の宇佐神社に調査に行った学者が、たまたま出会った郷土史家から、「邪馬台国論争」についての、独特の学説を聞かされる。 その後、その郷土史家が、学者が渡した名刺を使って、西日本一帯で、詐欺を働いているという報告が幾つも入り・・・、という話。

  このタイトル、松本作品として、よく耳にするから、有名な話なんでしょう。 前半は、「ちょっと、文化の香り」を通り越して、邪馬台国論争そのまんま、もろ出し、作者自身が意見を言いたいが為に、短編小説の形を借りて、自説を開陳したという感じさえします。 しかし、この前半こそが、この作品の肝でして、前半だけでも、充分に面白いです。

  邪馬台国論争が、非常に危うい土台の上に立っている事が、全くの門外漢でも、すんなり、理解できます。 日本中の古代史家が、寄ってたかって、随分とまあ、不毛な論争をやっていたわけですな。 邪馬台国論争について、簡単に知りたいなら、専門に書かれた物より、この作品を読んだ方が、分かり易いと思います。 首を突っ込まない方がいいような気もしますが。 

  後半、犯罪絡みになり、最終的に死人も出ますが、別に、殺人事件ではないです。 大変、風変わりな詐欺だから、風変わりな最期を遂げても、致し方ないか。 それにしても、凄絶・壮絶だ。


「寝敷き」 約23ページ
  1964年(昭和39年)3月30日号から、4月20日号まで。

  仕事柄、高い所から、周囲をよく見ているペンキ職人が、覗きの経験を積む内に、猥談が得意になり、出入り先の夫人を籠絡するのが楽しみになる。 ある時、ちょっとした手違いで、若い女に捉まってしまうが、親の勧める堅い縁談が進行しており、何とか、若い女と手を切ろうとする話。

  猥談が得意になったというのは、話の枕に過ぎず、主人公の職業は、何であっても、成立します。 タイトルは、若い女が、スカートを、寝押ししていた事から、男の犯行が露顕しそうになるという意味。 ところがねえ。 変わったラストになるんですよ。 こんなのアリかって、思いますねえ。 逆に言うと、このドライさがあるから、松本作品は面白いわけですが。


「断線」 約66ページ
  1964年(昭和39年)1月13日号から、3月23日号まで。

  金にはセコいが、性格がチャランポランな男。 なりゆきで、小さな薬局の娘と結婚し、姓が変わるのも気にせずに、婿入りするが、妻が妊娠すると、さりげなく蒸発し、水商売の女の所へ行ってしまう。 その女と強制死別した後、別の女に誘われて、大阪へ行き、女の口利きで、製薬会社の広報部門に入社する。 ところが、この女とも、強制死別しなければならなくなり、死体をどこに埋めるか、悩んだ挙句・・・という話。

  だいぶ、なりゆき任せで、ストーリーを展開させていますな。 妻の実家が薬局で、男の就職先が製薬会社、というところだけ、伏線が張られていますが、他はもう、テキトーに繋げて行っただけという感じです。 いや、決して、つまらない話ではなく、引き込まれますし、読み応えもありますけど。

  死体を埋める場所に困って、社長の趣味の俳句に目をつけるというのは、凄い飛躍力の着想だと思いますが、そこから先は、もはや、犯罪物というより、コメディーです。 実際には、笑いはしませんが、他の感情が出て来ません。


【ミステリーの系譜】 約135ページ
  「週刊読売」に連載されたもの。 この3作は、小説ではなく、実録。

「闇に駆ける猟銃」 約61ページ
  1967年(昭和42年)8月11日号から、10月13日号まで。 原題は、「闇に駆く猟銃」。

  1938年(昭和13年)に、岡山県の山村で、22歳の男が、猟銃や日本刀で、村人30人を殺した、津山事件の経過を述べ、分析を加えたもの。

  横溝正史さんの、≪八つ墓村≫の中に、32人殺しの事件が出て来ますが、そのモデルになったのが、津山事件。 32人殺しは、≪八つ墓村≫のモチーフの一部に過ぎず、津山事件を小説にしたのが、≪八つ墓村≫というわけではないです。 しかし、≪八つ墓村≫が繰り返し、映像化されていなければ、津山事件が、今に伝わる事もなく、研究者だけが知る事件になっていた事でしょう。

  松本清張さん以外にも、この事件を実録として書いている人はいるようですが、事件そのものが、あまりにも凄絶なので、恐らく、誰が評論しても、事件の内容を超えるほどのインパクトは与えられないでしょう。 こんな事件があったという事実が恐ろしい。

  ≪八つ墓村≫の田治見要蔵は、囲い物にしていた女が、別の男の赤ん坊を生んだ上に、逃げてしまった事に激昂し、八つ当たりで村人を殺したのですが、津山事件の方は、特定の人物達に対する、深い恨みがあり、犠牲者が増えたのは、村内で血縁者が多いせいで、恨みの対象が広がったのと、計画遂行の邪魔になる者も片っ端から殺して行ったので、30人にもなったようです

  綿密な計画を立てて、武器を揃え、タイミングを見計らい、決行に及んだとの事。 一度、警察に目をつけられ、武器を没収されたにも拘らず、また買い揃え、弾丸を自作して、100発も用意していたというから、驚きます。 学校時代の成績は、トップ・クラスで、級長を務めるのが、恒例になっていたとの事。 それが、結核を患ってから、将来の展望を見失い、村人、特に、性関係にあった女達から、敬遠されるようになり、それが、動機になったのだそうです。

  結核に罹っていた事や、開放的な村の性風俗、犯人を毛嫌いしていた女達の存在など、一般常識では量れない要素があるせいで、極悪人扱いをためらう書き方がなされていますが、いやいやいやいや、それは違うでしょう。 たとえ、どんなに情状を汲む余地があっても、30人殺したら、極悪人ですよ。 30人どころか、3人以上殺したら、もう、情状なんて言っている場合ではないです。

  精神異常者であったという点も、奥歯に物の挟まったような書き方をしているのですが、それも、違う。 「精神異常者だから、こんな犯行をやらかした」と考えようとするから、「あれ? ちょっと違うかな?」と、首を捻ってしまうのであって、「こんな犯行をやらかしたのでは、精神異常者としか言いようがない」と考えれば、すんなり、腑に落ちる。 こういう事をやらかした人物の為に、精神異常という概念が存在するのです。 30人殺した人間を、精神異常者と言えないのでは、もはや、精神医学は不要です。

  一度目の武器没収の後、駐在所の巡査が、本人の所へ通って、「馬鹿な事を考えるな」と、諄々と説諭したそうですが、全く、無駄に終わります。 馬耳東風は当然なのであって、狂人が、周囲の人間の言う事なんか、聞くわけがありません。 周囲に合わせようとする能力が失われたからこそ、狂人なのですから。 逆に、まともな人間の方が、狂人の異常な考えに感化されてしまいます。 危険極まりない。

  村の女達への恨みが動機であるにも拘らず、自分が最も好いていた女には、予め、犯行を報せて、家族と京都へ逃げるの阻もうとしなかったというから、ふざけた話です。 その女も、犯人を、公然と嫌っていたんですがね。 他にも、襲撃を受ける前に、何らかの情報を得ていて、親戚の家に逃げ込み、そこの家族が殺されているのに、自分は助かったという女がいるそうですが、後々、親戚から恨まれたでしょうねえ。 それなら、よその土地へ逃げた者の方が、まだ、罪が軽いです。

  犯人の唯一の同居者で、犯人を子供の頃から、猫可愛がりしていた祖母が、最初に、斧で首を飛ばされるのですが、よく、そんな恐ろしい事ができたもの。 「一人で残すのは不憫」だから殺したらしいですが、不憫だと思うなら、犯行計画そのものをやらなければいいのです。 考えの順序が間違っている。 やはり、狂っているとしか言いようがありません。

  犯行後に、自殺するつもりでいたのは確実で、もしかしたら、無理心中を図る人間にありがちな、あの世を信じているタイプだったのかも知れません。 「残したら、不憫」という、よく使われるセリフも、同じだし。 実際には、死ななければならないのは、自分一人だけなのに、あの世があると思っていると、一人で行くのは怖いから、家族や、親友など、身近な人間を道連れにするのです。

  松本清張さんには、天邪鬼なところがあり、世間から、当然の如く、非難を浴びている者を、別の見方から検証して、「一方的に攻撃されるばかりでは、気の毒だ」と主張したがっているようなのですが、それは、違うでしょう。 犯人の動機を形成するのに、村の女達がかかわっていたのは事実ですが、女達は、別に、殺人を犯したわけではないです。 また、殺されて当然というほどの罪を犯したわけでもないです。 「女達は、殺されて当然」と思っていたのは、犯人だけで、その考え方の異常さが、動機を形成した最大の要因と見るべきでしょう。


「肉鍋を食う女」 約23ページ
  1967年(昭和42年)11月24日号から、12月15日号まで。

  1945年(昭和20年)に群馬県の山村で起こった、殺人・人肉食事件を中心に、他二件の人肉食事件にも触れた、実録。

  戦場では、飢餓の挙句に、死人の肉を食ったという記録があるらしいですが、この事件では、家の収入が少なくて、食べるものがなくなり、後妻が、継子の娘を殺して、料理し、家族には、山羊の肉だと言って食べさせたという点で、特殊だとの事。 夫も、後妻も、継子も、みな、痴呆だったそうで、それは、山村独特の、近親婚が遠因になっているとあります。

  仲介人の発想で、痴呆同士をくっつけて、夫婦にしてしまったというのが、呆れた話。 食糧事情が厳しい時に、痴呆同士で、生活が成り立つわけがないのであって、そんな余計な事をしなければ、こんな事件は起こらなかったものを。 仲介人というのは、誰でも彼でも、とにかく、結婚させさえすれば、自分の手柄になると思い込んでいるんでしょうな。

  殺した後妻も恐ろしいですが、夫が、自分の実の娘を後妻に殺されても、何とも感じていないようだったというのが、また、絶望的です。 痴呆だから、何が起こったかすら、分かっていなかったのでしょう。 もっとも、夫は、何か気取るところがあったのか、自分の娘を煮込んだ肉鍋には、手をつけなかったそうですけど。 それにしても、あまにも、救われないので、読んでいるこちらまで、暗鬱な気分になって来ます。 これでは、動物の方が、まだ、人間らしい。

  この事件、津山事件に比べると、単純な経緯なので、ボリュームが足りず、人肉食の他の例が、二件、オマケについています。 一つは、明治35年に、ハンセン病の特効薬として、人肉が効くという迷信を信じ、通りがかりの少年を殺して、尻の肉を切り取り、スープにして、妻と、その兄に飲ませたというもの。

  迷信も迷信、サンプルが一件しかない、とんだ迷信なのですが、治療法が分からなかった時代としては、藁にも縋る思いでやったんでしょう。 迷信ではあるものの、一応、治療の為だったわけだから、さほど、野蛮ではないです。 殺された少年やその遺族は、たまったものではありませんが。

  もう一件は、昭和10年頃の話で、まず、肉の行商をしていた妻が、村会議員の夫を殺し、その死体を処分する為に、解体して、牛肉に混ぜて売ってしまったという噂が立ったという事件。 ただし、これは、本人は食べていませんし、噂通り、お客が食べていたとしても、人肉だと知らなかったわけだから、更に、野蛮度が下がります。


「二人の真犯人」 約49ページ
  1967年(昭和42年)12月22日号から、1968年月2日16号まで。

  大正時代に起こった殺人で、自分が犯人だと自白する人間が二人現れ、それぞれ、起訴されて裁判が行なわれたという、奇妙な事件の実録と、その分析。

  この作品では、実録部分よりも、その分析が肝になっています。 大正時代の裁判記録が、よく残っているものだと思いますが、共犯でない犯人が二人自白して、二人とも起訴されたという、非常に特殊な例だからでしょう。 殺人事件そのものは、別段、特殊ではなく、通り魔に近い衝動的な動機で、殺害方法も絞殺した後、ナイフで傷をつけたという、ありふれたもの。

  小説ではないので、ネタバレを気にせずに書いてしまいますが、痴情の縺れが動機と見做されて最初に逮捕された男が、実は無実で、警察が、先入観で犯人と決め付け、留置所に間者を送り込んで、「拷問を逃れたかったら、とりあえず、自白してしまえ。 裁判になってから、覆せばいい」と入れ知恵した事から、自白したのだろうという分析がなされています。

  証拠になった腰巻も、その容疑者が行ってもいない所から出ており、警察による、辻褄合わせの捏造だったとしています。 大変、説得力があり、たぶん、その通りだったのだろうと思わせます。 もっとも、警察側がやったと思われる行為にも、証拠がないので、確実にそうだとは、未来永劫、言い切れないわけですが。

  真犯人は、強盗や殺人を何件も犯している凶悪犯で、どうせ、死刑は免れないから、無実の罪で裁判にかけられている者を助けてやろうと、自白したもの。 こちらの証言にも、他の人間の証言との喰い違いがあるのですが、まだ、無理が少ないです。 動機が、あまりにも軽いですが、前科がごろごろある凶悪犯なら、さほど、不思議でもありません。

  被害者の妹の証言に、最初に逮捕された男への憎悪・嫌悪から出た嘘が混じっていると分析しているのは、興味深い。 容疑者以外にも、嘘を言っている者がいると、事件の真相は、大変、分かり難くなります。 推理小説で、嘘を言う証言者が出て来ると、その小説そのものが成り立たなくなるほど、影響が大きいですが、それは、実際に起きた事件でも同じ事です。




≪怪盗X・Y・Z≫

角川文庫
角川書店 1984年5月25日/初版 1984年7月10日/2版
横溝正史 著

  2020年7月に、アマゾンに出ていたのを、送料込み、358円で買ったもの。 状態が非常に良くて、とても、36年も経っているようには思えない美本でした。 保存方法が良かった上に、ほとんど、読まれなかったんでしょう。 横溝作品の角川文庫・旧版の中では、93番目。 1960年(昭和35年)5月から、1961年2月まで、「中二コース」に掲載された、少年向け作品です。

  続き物の短編、3作を収録。 全て、新日報社に勤める高校生で、「探偵小僧」と呼ばれている、御子柴進(みこしばすすむ)が探偵役を務めます。 怪盗X・Y・Zは、犯人ではなく、立場を別にしながらも、進達を助ける役回りです。 三津木俊助も出て来ますが、ほとんど、役をしません。


【第1話 消えた怪盗】 約60ページ

  御子柴進が、ある画家のアトリエへ、原稿をもらいに行った。 不審な外国人とすれ違ったり、謎の女性を見たりしたあと、画家に会うが、原稿が遅いので、待ち切れなくなって、部屋に入って行くと、全然顔の違う人物が殺されていた。 進が会ったのは、巷を騒がす怪盗X・Y・Zと思われたが、姿を消していた。 進の推理から、アトリエの中に、秘密の抜け道が発見され・・・、という話。

  横溝作品の少年向けなので、似たようなモチーフを使い回しています。 もっとも、抜け穴は、大人向けの金田一物でも使われますけど。 車のトランクに忍び込んで、犯人を追跡するのは、かなり、無理があると思いますねえ。 外の様子を見る為に、少し隙間をつくっているわけですが、ガタガタ揺れて、とても、音を立てずに支えていられないでしょう。

  このシリーズは、中学生が対象読者なので、同じ少年向けでも、多少、レベルが高いです。 ルーベンスの絵まで出て来るのは、話を大きくし過ぎていて、どうかと思いますが。


【第2話 なぞの十円玉】 約79ページ

  プロ野球を見た帰り道で、御子柴進の後をつける男と女があり、どうやら、野球場でジュースを買った時にもらったお釣りの中に、縁にギザギザのない十円玉が混じっていたのを、取り返したいらしい。 謎の十円玉を巡って、殺人事件や誘拐事件が起こる話。

  この作品は、少年向けのお決まりモチーフだけでなく、野球場からの帰り道で襲われるという冒頭部のお陰で、かなり、変わった印象になっています。 ただし、たまたま、手に入ったコインに、実は、秘密が込められていて、という話は、江戸川乱歩さんの【二銭銅貨】など、先例があります。

  野球場でジュースを買って、お釣りがいくらとか、その帰り道の様子とか、描写が妙にリアルで、横溝さん本人の経験が元になっているのではないかと思うと、読んでいて、楽しくなって来ます。 やはり、少年向けにも、こういうリアルな描き込みは、必要ですな。

  今の十円玉には、ギザがありませんが、昔は、ギザがあったのです。 私が子供の頃には、混在していましたが、恐らく、1960年頃には、ギザがあるのが普通だったのでしょう。 この十円玉が、ある特殊な金庫の鍵になっているのですが、具体的な仕掛けについては、全く書かれていません。

  進の姉が、誘拐されるのは、ちょっと、月並みでしょうか。 横溝作品の少年向けでは、必ずと言っていいほど、若い女性が、誘拐、もしくは、略取されます。 まあ、必ず、無事に帰って来ますけど。


【第3話 大金塊】 約62ページ

  怪盗X・Y・Zを題材にした舞台劇が、大当たりをとっている時、X・Y・Z役の俳優が不審な行動を取り、その後、舞台指導をした夫人の家で、暖炉に頭を突っ込んだ男の死体が発見される。 X・Y・Zのサインが残されていた事から、彼に容疑かかかるが、彼は殺人はしないものと信じている御子柴進は、納得が行かない。 やがて、X・Y・Zから、呼び出しの電話があり・・・、という話。

  角川文庫・旧版、≪憑かれた女≫所収の、【幽霊騎手】(1933年)と、ほぼ同じ内容です。 戦前に書いた作品を、戦後になって、少年向けに書き直したのでしょう。 一応、トリックや謎はあるものの、使い古された物で、ゾクゾクするようなところはありません。

  それにしても、このラスト・・・。 X・Y・Z役の俳優は、三津木俊助の友人なのですが、もし、彼が本物のX・Y・Zだとすると、俊助の友人が、X・Y・Zという事になり、この場は何とかごまかしても、相手は新聞記者ですから、いずれは、バレるのではありますまいか。 まあ、そんなに目くじら立ててツッコむほど、レベルの高い作品ではないんですが。


  この本では、第3話で終わっていますが、2008年10月刊行の、≪論創ミステリ叢書36 横溝正史探偵小説選 Ⅱ≫の中に、【おりの中の男】という、怪盗X・Y・Zシリーズの第4話が収録されています。 なぜ、この本に収録しなかったのかは、不詳。 1984年の時点では、見つかっていなかったのかも知れません。




≪松本清張全集 8 草の陰刻≫

松本清張全集 8
文藝春秋 1972年5月20日/初版 2008年5月10日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編1作を収録。


【草の陰刻】 約432ページ
  1964年(昭和39年)5月16日から、1965年5月22日まで、「読売新聞朝刊」に連載されたもの。


  松山地検の支部で、夜、火災が起こり、過去の事件の書類が保管されていた倉庫を焼き、宿直の事務官一人が焼死する。 検事は、失火として処理したが、火災の直前に、宿直の二人が、支部を空にして、外に飲みに行くなど、不審な行動を取っていた事が引っ掛かり、半ば個人的に捜査を始める。 間もなく、前橋地検に異動になるが、そちらの地元の国会議員が、松山の放火事件の黒幕ではないかと当たりをつけるものの・・・、という話。

  長いなあ。 2段組みで、432ページもあったのでは、もう、大長編ですな。 だけど、会話も多いので、それほど、時間がかかるわけではないです。 新聞連載小説というのは、長丁場になると、読者が、細かい内容を忘れてしまうので、思い出させる為に、時折、それまでの要約が入れられます。 その部分は、繰り返しに過ぎないので、飛ばしても、ストーリーを見失うような事はありません。 まあ、全ての文字を読みたいのなら、読んでもいいわけですが。

  コツコツと、少しずつ真実を明らかにして行く、クロフツ的な捜査で、しかも、検事が主人公なので、検察と警察との対立関係から、警察の捜査力を借りる事ができず、ますます、進展が遅くなります。 しかし、それがつまらないという事はなくて、その少しずつ分かっていく過程が面白い点は、【砂の器】などと同じです。 そういえば、【砂の器】にある、たまたま目にした写真から、過去の知り合いを思い出すという展開は、この作品でも使われています。

  たまたま、異動になった先の土地が、黒幕の国会議員の地盤だったというのは、偶然が過ぎると思います。 地元だから、捜査はし易いですが、御都合主義としか言いようがありません。 また、移動した途端に、その黒幕が別件で告発されている事件の担当検事になるというのも、重ねて、御都合主義。 いいのか、こんなんで。

  以下、ネタバレ、あり。

  この作品が、今一つ物足りないのは、黒幕が最後まで捕まらない事が、大きな要因になっていると思います。 実行犯は捕まるけれど、命令した国会議員は、何の罰も受けないのです。 罰どころか、起訴もされず、別件で一度、事情聴取されただけという、読者としては、大変、胸糞悪い処置。 掲載している新聞社側から、「国会議員が、刑事罰を受けるのは、まずい」という、圧力でもかかったんでしょうか。

  黒幕が逮捕されない代わりに、大賀冴子という、故元検事の娘が、主人公と急接近するという恋愛物的な発展で、ラストを締め括っています。 しかし、この大賀冴子という女、父の罪を隠す為に、主人公に真実を告げるのをためらったという、しょーもない輩でして、正義感よりも、身内を庇う意識が勝っているわけですから、人格的に、主人公とつりあうとは、到底、思えません。

  そんなのは、ハッピー・エンドでも何でもない、ただの、ごまかしです。 そもそも、何も、国会議員を黒幕にする必要はないのであって、架空の民間企業の社長くらいにしておけば、圧力がかかるような事もなかったでしょうに。 クロフツ的捜査の部分が面白いだけに、大変、残念です。 国会議員が逮捕され罰を受ける、続編でもあれば、また、印象が違って来るんですがね。




  以上、三冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2020年の、

≪松本清張全集 7 別冊黒い画集・ミステリーの系譜≫が、9月14日から、20日。
≪怪盗X・Y・Z≫が、9月21日から、23日まで。
≪松本清張全集 8 草の陰刻≫が、9月23日から、26日まで。


  あと一回、感想文が続きます。 植木の手入れで、一週間くらい、他の事ができなくなるので、感想文を纏めて、アップするだけでも、結構、きついです。 うーむ、庭がない家に住んでいる人が羨ましい。 植木も、手入れをしないで済むのなら、潤いがあって、良いのですがねえ。