2020/11/29

読書感想文・蔵出し (69)

  読書感想文です。 ちなみに、この記事を纏めているのは、11月22日でして、認定感染者数が急激に増え始めた週の終わりの日曜日です。 感想文より、新型肺炎の記事を書いた方がいいような気はするのですが、11月末から、12月初めにかけて、他にもやる事があり、心理的ゆとりがないので、感想文でお茶を濁そうという魂胆なのです。





≪殺人暦≫

角川文庫
角川書店 1978年11月20日/初版
横溝正史 著

  2020年5月に、アマゾンに出ていたのを、送料込み、346円で買ったもの。 横溝作品の角川文庫・旧版の中では、59番目。 昭和初期に書かれた短編4、中編1、長編1の、計6作を収録。 タイトルのカバー絵を見ると、何となく、戦後作品なのではないかと期待してしまうのですが、全部、昭和一桁です。 当然、金田一耕助は出て来ません。


【恐怖の部屋】 約24ページ
  1931年(昭和6年)1月に、「週刊朝日 特別号」に掲載されたもの。

  妻の不倫相手によって、妻を死に追いやられてしまった男が、同じ道具を使って、復讐する話。

  道具というのは、「鉄の処女」と呼ばれる、内側に棘が無数に植えられている、棺のような器具。 入れられたら死んでしまうのですが、処刑用具ではなく、専ら、「これに入れるぞ」という、拷問中の脅しにも使われたもの。 この作品では、更に、細工がなされているのですが、それより何より、露悪趣味。 ただただ、残忍な死に方を書いてみたくて、この、どこにでもあるわけではない道具を引っ張り出して来た感が強いです。


【殺人暦】 約132ページ
  1931年(昭和6年)2月に、「講談雑誌」に掲載されたもの。

  それぞれ、社会的な地位があり、まだ生きている、五人の人間の死亡広告が、新聞に出る。 予告の後、一人目が殺され、二人目にも、予告が届く。 二人目に依頼された義族的怪盗が、捜査と保護に乗り出し、五人の中に犯人がいると目星をつけるが・・・、という話。

  由利先生が初登場するのは、5年くらい後なので、この頃には、まだ、決まった探偵役がいなかったわけですな。 義族的怪盗は、隼白鉄光(はやしろてっこう)というのですが、変な名前ですなあ。 白蝋仮面よりは、正義感がある様子。 他に、警察探偵の、結城三郎という人物が出て来ますが、全く、存在感がありません。

  ストーリーのカテゴリーは、アクション活劇です。 犯人は誰かという謎はありますが、それは、半ばくらいで、誰にでも分かるようになっていて、そちら方面で、ゾクゾクするような事はないです。 後々の、由利・三津木コンビ物と、ほとんど、同じ毛色。 当時は、こういうのが好きという読者が多かったのでしょう。


【女王蜂】 約61ページ
  1931年(昭和6年)5月から7月まで、「文学時代」に連載されたもの。 同じタイトルですが、戦後に書かれた、金田一物の長編とは、全く関係がありません。

  かつて、人を殺して服役し、その後、姿を消した女優にそっくりの女が、子爵令嬢として、社交界に出て来た。 女優の過去を知っている者達が、それぞれ、子爵令嬢について探りを入れるが、やがて、死者が出始めて・・・、という話。

  以下、ネタバレあり。

  本来、短編用のアイデアを元に、細部を肉付けして、無理やり、中編の長さにしたもの。 そのせいで、中途半端な印象あり。 バランスも悪い。 昔の事件の方に、メインのアイデアが使われていて、現在起こっている事件の方には、何の謎もないので、作者が、中身のない部分に力を入れて書いているように感じられのです。

  メインのアイデアは、子爵令嬢が起こした事件を、そっくりな女優を身代わりにして、子爵家の名誉を守ろうというもの。 しかし、華族が消滅した現代の感覚では、女優の方が、子爵令嬢より、守る価値が高いと思うのですが、どうでしょう? この感覚のズレが、この作品のアイデアを、違和感あるものにしているのだと思います。


【死の部屋】 約16ページ
  1931年(昭和6年)8月16日に、「日曜報知」に掲載されたもの。

  数十年ぶりにアメリカから帰国した友人が住み始めた家を訪ねると、そこは、半年前に、ある老博士の若妻と、その愛人が失踪事件を起こした家だった。 友人は、偶然、この家を買ったわけではなく・・・、という話。

  復讐譚なのですが、動機が後出し過ぎて、ラストの告白が、ちょっと、唐突な感じ。 アメリカから帰国したという設定も、別に、そうでなければ成り立たない話ではありません。 このページ数では、多くの望むのは、無理か。 逆に考えると、無理を感じてしまうという事は、作品として良くないという証拠です。


【三通の手紙】 約8ページ
  1932年(昭和7年)1月に、「文学時代」に掲載されたもの。

  かつての海賊仲間に恐喝され、平穏な生活を乱されそうになった元首領が、恐喝に応じる気は更々ないが、「二度と、自分の手を汚さない」という誓いを破らない為に、夷を以て夷を制する話。

  ショートショートです。 手紙が三通、やりとりされる形式を取っていますが、そういうところも、ショートショートっぽい。 ページ数がページ数ですし、アイデア一つで作られた話で、肉付けがないので、読み応えを云々するのは野暮と言うもの。

  敢えて、難を言えば、海賊の首領はともかく、手下の方は、こんな手紙が書けるほど、学がなかったのではないかと思うのですが、それを言ったら、話が成り立たないか。 そもそも、それ以前に、海賊というのが、大時代ですが、昭和初期頃は、まだ、海賊にリアリティーがある時代だったのかも知れませんねえ。


【九時の女】 約47ページ
  1933年(昭和8年)3月に、「オール読物」に掲載されたもの。

  実家の破産を避ける為に、是非ともまとまった金を必要としていた作家の元に、電話がかかって来る。 相手は、ダンス・ホールで知り合っただけで、夜9時には必ず帰るから、「九時の女」という渾名をつけていた女だった。 何も訊かずに、ある場所から、赤いショールを取って来てくれれば、必要な金をやると言われて、引き受け、行ってみると、暖炉に頭を突っ込んだ男の死体が、ショールを握っていて・・・、という話。

  金の為に、犯罪と分かっていて引き受けたわけですが、そんな人物が、後半では、検事の友人として、探偵役を務めるというのは、何となく、不純な感じがします。 しかし、問題点は、それだけで、他は、短編探偵小説として、バランスがよく取れています。

  凶器が、暖炉の火掻き棒とか、火事を起こして、犯人を燻り出すとか、ホームズ物からの戴き物が、ちらほらと見られるのは、横溝作品には珍しい。 まさかとは思いますが、横溝さん名義で発表された、別人の作品なのかも。 横溝さん本人は、過去の作品の記録を取っていなかったらしいので、確認のしようがないようです。




≪松本清張全集 4 黒い画集≫

松本清張全集 4
文藝春秋 1971年8月20日/初版 2008年4月25日/9版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、中編6、短編3の、計9作を収録。 中編・短編の判別は、私が決めたテキトーなものです。 詳しくは、ページ数で判断して下さい。 二段組なので、侮ると、手こずります。 【天城越え】以外は、「週刊朝日」に連載されたもの。


【遭難】 約62ページ
  1958年(昭和33年)10月5日号から、12月14日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。

  銀行の同僚三人が、北アルプスへ登山に行ったが、悪天候の中、道を間違えたせいで、遭難し、一人が命を落とす。 その後、リーダー格だった男の所へ、死んだ男の姉と従兄が訪ねて来て、弔いたいから、山岳経験がある従兄の方を、遭難現場まで案内してくれと頼む。 リーダー格だった男は、引き受けたものの、死んだ男の従兄から、常に行動を観察されている事に気づき・・・、という話。

  これは、面白いわ。 最初の、同僚三人連れの登山から、次の、二人連れの弔い登山まで、緊張感が連続し、ゾクゾクしっ放し。 推理小説でもあり、犯罪小説でもあり、山岳小説でもあり、どのカテゴリーで考えても、超一級の出来栄えです。 素晴らしい。

  私の場合、これを読む、一週間くらい前に、≪グレートトラバース3 15min≫という番組で、北アルプスの、ちょうど、この小説の舞台になる辺りを見たばかりだったので、「八峰キレット」など、その場の情景が目に浮かぶ場面が多く、余計にゾクゾクしました。 いや、小説内では、悪天候で、八峰キレットまでは行かずに、引き返すという設定なのですが。

  終わり方も、わざと、倫理バランスを崩してあり、大変、ドライで、大変、良いです。 他に誰も見ていない場所で起こった犯罪は、暴かれようがないというわけですな。 傑作なので、読まねば、損です。 こんな傑作、そうそう、お目にかかれません。


【坂道の家】 約90ページ
  1959年(昭和34年)1月4日号から、4月19日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。

  手堅い商売で、ひと財産を築く事に成功していた小間物屋の主人が、たまたま店に来たホステスに魅了され、女の勤めている店に通いつめるようになり、やがて、病的な嫉妬心から、女に勤めをやめさせて、女の為に買った家に、囲い者にする。 ところが、女の方は、以前から馴染みの若い男と縁が切れておらず・・・、という話。

  前半は、色に溺れた四十男の転落人生を描く、一般小説。 後半は、殺人事件が対象になる、推理小説になります。 前半が優れており、前半だけでも、面白いです。 この主人公と同じように、四十過ぎても、女癖が治らないという人は、この作品を読んでみれば、己の醜さが、よく分かるのではないでしょうか。 あまりにも愚かで、同情する気にもなれません。 気の毒なのは、正妻の方で、何の落ち度もないのに、亭主の色呆けのせいで、築き上げた財産を蕩尽されてしまうわけで、これでは、激怒するのも、もっともです。

  後半は、まあまあ、まずまず、ゾクゾク感があるという程度。 前半の展開がリアルなだけに、後半、少し、子供っぽい印象になってしまうのは、本格物の宿命か。 死亡時刻をごまかすトリックが出て来ますが、2時間サスペンスや刑事物で、よく使われるタイプのものです。

  何度かドラマ化されているそうで、私は、2014年の、尾野真千子さんと、柄本明さんが主演したものを見ています。 中編小説としては長い方ですが、2時間のドラマにするには、ボリュームが足りず、原作にはないエピソードを追加してありました。 しかし、ホステスの方を中心にすると、やはり、ピントがズレてしまいますな。 客を食い物にするというのは、ホステスとしては、普通の生態なのであって、個性がどうのこうのという問題ではないです。 やはり、男の愚かさを軸に描かなければ、こういう話は成り立ちますまい。 


【紐】 約64ページ
  1959年(昭和34年)6月14日号から、8月30日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。

  多摩川の河川敷で、岡山から出て来ていた神主の男が他殺死体で発見された。 殺害日時前後に、東京に来ていた妻と、東京に住んでいる姉夫婦に容疑がかかったが、彼らには、完全なアリバイがあった。 捜査本部が解散になった後、保険会社の調査員が独自に調査を進め、アリバイを崩して行くが・・・、という話。

  アリバイ崩しの捜査物。 警察が解けなかった謎を、保険調査員が解く、というパターンと思わせておいて、実は、もう一捻りしてあるというもの。 江戸川作品によくありましたが、ドンデン返しは、二回重ねると、白けてしまうものでして、この作品も、読み終わると、作者に、事件を茶にされたような、気分の悪さが残ります。

  「・・・と思われたが、実は、こうだった」というパターンは、ちょっと器用な作者なら、いくらでも、できるのであって、全く、感心しません。 作者の語る事件の展開について行こうと、真剣に、出て来る新事実を記憶しながら、ページをめくっている読者を、愚弄する終わり方としか思えないのです。 こういうのは、「意外な結末」とは、似て非なるものです。


【天城越え】 約20ページ
  1959年(昭和34年)11月に、「サンデー毎日 特別号」に掲載されたもの。 原題【天城こえ】。

  家出をして、下田から、天城を越えようとした少年が、山の中で気が変わり、引き返そうとした時、小綺麗な若い女に出会い、ほんのちょっと、同道する。 その後、その女は、山の中で見かけた男を殺した容疑で逮捕されるが、実は犯人は・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。

  ドラマも映画も見ていますが、原作が、こんなに短いとは思っていませんでした。 原作では、女や男の心理は、ほとんど、描かれていません。 映像化したいと思わせる魅力は、主人公の少年の気持ちが、よく分かるからでしょう。 半回り年上の女に、淡い恋心を抱いたのが動機で、そういう事は、男なら誰にでも、経験があると思うからです。

  恋心を抱いた女が、容疑者として逮捕されたのに、なぜ、真実を話さなかったのかというと、女が、売春婦だと分かって、そんな女を心配した自分に腹が立ち、女に対しても、憎しみを感じていたんじゃないかと思います。 家出少年が、二進も三進も行かなくなったところへ、胸糞悪い情景を見せられて、ヤケになって起こした事件と見るべき。

  足跡について、女と少年の足のサイズが同じというのが、捜査を誤らせるのですが、二人とも、どこの誰なのか分かっているのですから、もっと詳しく足跡の形を調べれば、特定できたのでは? しかし、捜査陣が、最初から、女が犯人と決めてしまっていたというのは、よくある話なので、作品の欠点とは言えません。

  ちなみに、原作では、女は、裁判で、無罪になっています。


【証言】 約11ページ
  1958年(昭和33年)12月21日号から、12月28日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。

  愛人と歩いている時に、近所の人と出くわしてしまった男。 その近所の人が、殺人容疑で逮捕され、男の証言がアリバイを左右する事になってしまう。 愛人の事を隠したいばかりに、会っていないと偽証をするが、思わぬところから、水が漏れて・・・、という話。

  ドラマ化されたのを見た事がありますが、原作は、ごく短いもので、ドラマの方は、相当、水増ししてありました。 原作は、細かい心理の描き込みはしておらず、アイデアの骨格に、最低限の小説らしい肉付けを施しただけのもの。 主人公を、ドライに客観視しているところが好ましいです。


【寒流】 約69ページ
  1959年(昭和34年)9月6日号から、11月29日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。

  愛人にしていたバーのマダムと結婚したくなり、妻との離婚まで考えていた銀行員の男が、そのマダムを上司に奪われた上に、体よく地方の支店長にされて、追い払われてしまう。 マダムを取り戻す為に、上司の失脚を画策するが、上司の方が悪知恵が働き、逆に、追い込まれて行く話。

  組織の上の方にいる人間には、海千山千、奸智に長けた者が多く、普通の人間関係の中で暮らしている者が対抗しようとしても、いいようにやっつけられてしまうという話。 ラストで、一矢報いるのですが、あとがきによると、それは、編集者側から、そうしてくれと頼まれたからだそうです。 松本さんとしては、もっとドライに、やられっぱなしで終わらせたかったようですが、このラストのお陰で、読者側は、かなり、溜飲が下がります。

  この主人公、どこで足を踏み外したかというと、少し、社会的地位と、自由に使えるお金が出来たからといって、水商売の人間を愛人にしようなどと考えたのが、そもそもの間違いです。 そういう女性は、そもそも、お金が目当てなのですから、もっと多くのお金を持っている別の男が現れれば、そちらへ乗り換えてしまうのは、無理もないです。 一度、性関係ができると、自分の男性的魅力で、相手から愛されていると思い込んでしまうんでしょうが、それは哀しい錯覚です。

  1970・71年の、【強き蟻】と、似たような構成。 中心事物が、【強き蟻】では、女だったのが、こちらでは、男になっているだけです。  恐らく、この作品を雛形にして、【強き蟻】が作られたのでしょう。


【凶器】 約22ページ
  1959年(昭和34年)12月6日号から、12月27日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。

  九州のある村で、農家の内職品の買取を生業にしている男が、撲殺死体で発見される。 検視の結果、凶器は、太い棍棒のようなものと推定された。 男が言い寄っていた未亡人が疑われるが、凶器が見つからない。 捜査本部が解散した後になって、ある刑事が、たまたま、その凶器が何だったか、思い当たる、という話。

  動機があっても、凶器が見つからなければ、逮捕できないというパターン。 当初、凶器ではないかと思われた、内職作業用の木槌が 、事件の前日から、よその家に貸し出されていたせいで、逆に容疑を薄めてしまいます。

  本当の凶器が何だったかは、読者には、途中で分かりますが、その種の物は、地域によって、作り方に違いがあり、話の中心にするには、ちと、弱い感じがします。 弱いと思ったから、途中で分かるように配慮したのでしょうが、その分、凶器の意外性が損なわれる結果になってしまっています。


【濁った陽】 約76ページ
  1960年(昭和35年)1月3日号から、4月3日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。

  ドラマの脚本を依頼された劇作家が、汚職事件でよく起こる、詰め腹自殺をテーマにしようと思い立つ。 弟子の女性を助手に使って、ある事件で自殺した人物の妻に話を聞こうとしたが、逃げ回られて、どうしても会えない。 組織的に妨害されているのは、自殺ではなく、殺人だったからではないかと疑念が生じ、とことん、食い下がって、怪しい人物のアリバイを崩して行く話。

  1976・77年に発表された、【渦】と、よく似ています。 対象が、【渦】では、テレビ視聴率だったのに対し、こちらでは、「詰め腹自殺」になっているだけ。 社会的テーマから始まって、後ろに行くに従い、事件捜査に変わって行く点が、そっくりです。 恐らく、この作品を雛形にして、視聴率問題を嵌め込む方式で、【渦】が作られたのでしょう。

  時間トリックが使われていますが、2時間サスペンスや刑事物などで、よくあるタイプで、目新しさはありません。この作品が書かれた頃ですら、ありふれたものだったのでは? 海外作品は、戦間期からですが、日本でも、戦後からは、本格トリック物がうじゃうじゃ書かれており、こういうトリックが使われていなかったとは、思えないからです。

  素人探偵の助手が、捜査好きで活動的な若い女性というのは、今の感覚からすると、テレビ・ドラマ的ですが、そういう組み合わせも、エラリー・クイーンの作品などで先行されており、さほど、珍しかったわけではないと思います。 この助手が喋る、山手言葉は、今となっては、大変、鬱陶しい。 1960年でも、実際の若い女性は、こんな喋り方はしていなかったと思うのですが。

  粗ばかり突ついているようですが、別に、面白くないわけではないです。 アリバイ崩し物として、充分、楽しめます。 動機が一貫している分、【紐】よりも、安定していて、振り回されずに済みます。


【草】 約61ページ
  1960年(昭和35年)4月10日号から、6月19日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。

  入院している病院で、院長と婦長(師長)が失踪する事件が起こり、駆け落ちであるという噂が流れる。 更に、薬室長が、首吊り自殺、事務長が、飛び降り自殺と、事件が続く。 異常な行動を取っていた患者の一人が、事件に関係していそうだと、主人公が気がついて・・・、という話。

  以下、限定的に、ネタバレ、あり。

  語り手の立場を明かさないまま、9割方の話が進むので、形式的には、アンフェア物です。 しかし、推理小説だからといって、全ての読者が、推理しながら読むわけではありませんから、フェアか、アンフェアかよりも、面白いかどうかや、ゾクゾクするかどうかが肝心なのであって、アンフェア物であっても、それだけで批判される謂われはないと思います。 

  で、この作品ですが、面白いです。 「あっ! アンフェア物だったのか!」と気づいた瞬間だけ、面白い、と言ってもいいです。 起こる事件について、語り手が、「推理の材料は、全て提示してある」と書いていますが、結構、複雑なので、分かる読者は、ほんの僅かでしょう。 ただ、印象的に、怪しい人間は、すぐに分かります。

  理屈だけ言えば、語り手の勤め先の部下が、屋上で何をしていたかが分かれば、語り手が何者なのかも分かりますが、この書き方では、分からないでしょうねえ。 私も分かりませんでした。 分かり難いように、工夫を凝らして書いてあるからです。




≪松本清張全集 5 砂の器≫

松本清張全集 5
文藝春秋 1971年9月20日/初版 2008年5月10日/10版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編1作を収録。 【砂の器】だけで、一冊を占めています。 つまり、【点と線】などに比べると、2倍以上の長さがあるわけですな。


【砂の器】 約436ページ
  1960年(昭和35年)5月17日から、1961年4月20日まで、「読売新聞 夕刊」に連載されたもの。


  蒲田駅の構内で、顔を潰された死体が発見される。 殺される直前に、被害者ともう一人の男が立ち寄ったバーでの会話から、東北方言風の言葉であった事と、「カメダはどうですか」という話をしていた事が分かるが、その方面を捜査しても、手がかりが途切れてしまう。 捜査本部の解散後、継続捜査をしていた刑事が、いわゆるズーズー弁が、東北以外でも使われている地方がある事を知り・・・、という話。

  梗概はこのくらいにしておきますが、この他にも、謎がてんこもりで、しかも、クロフツ的な、足を使った地道捜査で、コツコツと一つ一つ、結び目を解いていくタイプの描き込みがなされており、読み応え充分です。 推理小説の命とも言うべき、ゾクゾク感が、これだけ長く続く作品も珍しい。 全体の、8割くらいは、ゾクゾクしています。

  映画やドラマに、何度もなっていて、不朽の名作と見做されているわけですが、意外な事に、原作は、ラストが悪くて、読み終わった後には、何だか、肩透かしを食らわされたような、モヤモヤ感が残ります。 原作よりも、映画の方が、遥かに、まとも話になっており、その映画をなぞっているドラマも、原作よりは、遥かにまともです。

  原作のどこがおかしいかと言うと、第二第三の殺人の方法でして、科学的に、かなり怪しい方法が使われているのです。 この作品以外では、どの作家の、どんな推理小説でも使われていないところを見ると、こんな方法は、実際には、不可能なんでしょう。 大変、地道な捜査を積み重ねて来たにも拘らず、終わりの方で、いきなり、この似非科学的殺害方法が出て来て、幕となるので、「全て、ブチ壊し」という感じが、猛烈にします。

  ケチをつければ、地道捜査の段階でも、自殺する女が、今西刑事の自宅のすぐ近所に住んでいたり、第三の殺人の犠牲者が、今西刑事の妹の嫁ぎ先の二階に下宿していたり、偶然が過ぎる部分があります。 今西刑事が、犯人が着ていた、返り血のついたシャツを、どう処分したかを考えている時に、雑誌に出ていた文章で、列車から、紙吹雪のような物を、窓外に捨てている女がいたというのを読み、現場に探しに行くというのは、これまた、偶然が過ぎる。 殺害現場と掛け離れた場所で撒かれた紙吹雪と、細かく切ったシャツを結びつけるのは、大変な発想の跳躍がいるのでは?

  映画・ドラマでは、犯人は、ピアニストですが、原作では、前衛的電気音楽家という、分かり難い職業になっていて、それが、リアリティーのない殺人方法の伏線になるのですが、その点だけを見ても、映画の方が、いかに、まともであるかが分かります。 もし、あの映画が作られなければ、【砂の器】という作品名が、こんなに有名になる事はなかったでしょう。

  ところで、犯人の父親が、ハンセン氏病を患っていたという設定から、社会派作品に入れられているようですが、犯行の動機を作った原因として、重要ではあるものの、ストーリーの軸とは掛け離れており、特定の社会問題を提起する為に書かれた作品とは、到底言えません。 松本さんは、社会派の旗手のように見られていますが、真っ向から、社会問題を扱った作品は、意外に少ないです。 そんな事より、ゾクゾク感を狙う方が、優先だったわけだ。




≪松本清張全集 6 球形の荒野・死の枝≫

松本清張全集 6
文藝春秋 1971年10月20日/初版 2008年5月10日/9版
松本清張 著

≪写真上≫
  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編1作、短編11作、計12作を収録。 ≪死の枝≫は、母の本が、うちにあり、過去に二回、読んでいるんですが、感想は書いていないので、一から読み直して、書く事にします。

≪写真下≫
  これが、家にある新潮文庫の、≪死の枝≫です。 角川文庫でないという事は、叔父から貰ったものではなく、母が自分で買ったのでしょう。 1974年(昭和49年)12月16日/初版、1984年7月30日/27版。


【球形の荒野】 約298ページ
  1960年(昭和35年)1月から、1961年12月まで、「オール読物」に連載されたもの。

  戦争末期、ヨーロッパの中立国から、スイスの病院へ移った外交官が、病死した。 戦後16年も経ってから、その外交官と同じ筆跡の文字が、奈良の寺の記帳簿に記されているのを、姪の当たる人物が、たまたま、目にする。 外交官の娘と交際している新聞記者が、その話を聞いて、もしや、外交官は生きているのではないかと思い、関係者に調査を始めたところ・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。

  有名な書家の書体を手本にした文字で、そんな文字を書ける者が、そもそも少ない上に、日本にいた頃、奈良の寺を巡るのを趣味にしていたというので、偶然も、二つ重なると、必然の匂いがしてくるわけだ。 新聞記者による調査の描写は、クロフツ的な地道なもので、その辺は、クロフツ的に面白いです。

  最後まで、その調子で行けば良かったんですが、途中から、調査されている側の人物達が、新聞記者とは関係ないところで、話を進め始め、木に竹を接いだような印象になります。 間接的に、少しずつ、謎が解けて行くから、面白いのであって、本人達がベラベラ喋ってしまったのでは、ゾクゾク感も何も、あったもんじゃありません。

  概ね、面白い作品だと思いますが、違和感がどうしても拭えないのは、この外交官が、自分を死んだ事にしてまで、戦争終結工作に当たった事を、重大な問題行為だと見做している点です。 戦後16年どころか、5年も過ぎれば、日本国内は、アメリカ万歳の風潮になっていたのであって、この人を責める人間など、ごくごく一部になっていたはず。 外国にいたから、日本が変わった事に気づかなかったのかも知れませんが、帰国して、一週間も観察すれば、戦後日本が、戦前とは、全く価値観が変わっている事に気づいたと思うんですがねえ。

  あと、娘には会いたいが、妻には、微塵の未練もないというところが、いかにも、松本作品らしい人間観察で、面白いです。 今現在、フランス人の妻がいるから、そちらに気を使って、前の妻に興味がないフリをしていたという見方もできないではないですが。


【死の枝】 約149ページ
  1967年(昭和42年)2月17日から、12月まで、「小説新潮」に連載されたもの。 原題は、【十二の紐】。 11作で終わってしまったから、改題したようです。


「交通事故死亡1名」 約15ページ

  夜、前の車を追う形で走っていたタクシーが、前の車が急停車したせいで、急ハンドルを切り、そこにいた男を轢き殺してしまう。 運転手は、交通刑務所に送られたが、タクシー会社の調査員が、調べを進めたところ、被害者たちの関係が明らかになり・・・、という話。

  てっきり事故だと思っていたら、事故ではなかったというパターン。 こういう、交通事故を題材にした短編推理小説は、結構あると思うのですが、それらの嚆矢なのかも知れません。 ストーリーはシンプルですが、内容は濃密です。


「偽狂人の犯罪」 約18ページ

  借金の取り立てに耐えかねて、金貸しを殺す計画を立てた男。 刑罰を免れる為に、精神異常者のフリをする事に決め、事前に研究して、大変高度な演技力を身に着けるが、思わぬところで、正気である事がバレてしまう話。

  これは、一度読んだら、決して忘れない、傑作ですな。 人間の本性が、よく描かれているからでしょう。 ラストで、もう一捻りしてあるのですが、それは、蛇足気味。


「家紋」 約17ページ

  夜中に、親戚の家で人が死にそうだからと、そこの使用人が呼びに来て、まず、夫が、次に、妻が連れ出され、二人とも殺される。 一人残されて、成長した娘が、ある場面を見た事で、幼い頃の記憶が蘇り、犯人が誰だったかを知る話。

  梗概のまんまの話。 忘れていた記憶が、ある事をきっかけに呼び起こされて、というパターンは、松本作品では、よく使われます。 パターンが分かっていると、ゾクゾク感も、半分くらい。 犯人の動機が書かれていないので、想像で補うしかなく、その点、もやもや感が残ります。 


「史疑」 約12ページ

  現物が行方不明で内容も知られていない、新井白石の著作、≪史疑≫を所有しているという老人がいて、見せてくれと言って来る学者達の頼みを、悉く断っていた。 ある学者が、その家に忍びこんだところを見つかって、老人を殺してしまう。 公共交通機関を避け、山道を徒歩で逃げるが、たまたま、若い女と行きずりになり・・・、という話。

  四段階あります。 まず、≪史疑≫が本当にあるかないかの興味で、読者を引き込み、次に、殺人場面で、緊張感をマックスへ持って行きます。 続いて、犯行がバレない事で、一度、緊張を解いておき、最後に、意外なところから、調査の手が伸びて、露顕する、という流れ。 松本作品の黄金パターンですな。

  話の導入部に、歴史に関する謎を使うのは、【万葉翡翠】など、他にも、短編作品があります。 そういえば、社会派の系譜を引く、内田康夫さんの≪浅見充彦シリーズ≫でも、頻繁に使われますな。 ほんのちょっと、文化の香りをつけてやる事で、読者をして、高尚な作品を読んでいるような気分にさせるわけだ。 実際に起こるのは、教養とは何のかかわりもない、野蛮な殺人ですが。

  この作品、犯人が分かる経緯が、大変、変わっていて、ちょっと、捻り過ぎではないかとも思うのですが、そもそも、それ以前に、こういう事を思いつく作者の発想の自由さに、驚かされます。


「年下の男」 約13ページ

  社内の電話交換係をやっていて、婚期を逃しかけていた女性に、年下の恋人が出来た。 結婚式の日取りも決まったが、周囲が噂していたように、それまでの間に、男に若い女が出来てしまい、このままでは、結婚が取りやめになる恐れが出て来た。 社内で恥を掻きたくないばかりに、男を殺す計画を立て、実行するが、思わぬアクシデントで、露顕してしまう話。

  同じような設定の、【鉢植えを買う女】では、まんまと成功したのが、こちらでは、失敗します。 殺害方法は、非常に単純ですが、他にも登山者はいるわけで、見られないように決行するというのは、不確実といえば、不確実。 まあ、機会がなければ、次回を期すという手もありますが。

  カメラの中にいた虫から、場所が特定されるというのは、社会派の系譜を引く、森村誠一さんの作品でも、良く使われます。 松本さんが嚆矢なのか、外国作品に前例があるのか、その辺りは、不詳。 しかし、よっぽど、細かい事が気になる刑事でないと、カメラの中の虫まで、疑わないと思いますねえ。 


「古本」 約15ページ

  売れなくなった小説家が、久しぶりに、雑誌連載を頼まれたが、いいアイデアが出ない。 地方で、ふらりと寄った古本屋で、明治時代に書かれた、足利将軍家が題材の本を見つけ、あまりの面白さに、ほぼ、そっくり戴いてしまう。 連載は大好評となるが、そこに、ネタ本の作者の孫が現れ、恐喝を始める。 恐喝者を殺して、難を逃れたものの、その後、精神的に参って、書けなくなってしまい・・・、という話。

  これも、「ちょっと、文化の香り」と、「思わぬところから、露顕」というパターン。 松本さんでなくても、パターンが分かれば、誰にでも、類似作品が作れますから、恐らく、1960年代には、同パターンの模倣作が、膨大な数、新人賞の応募作や、編集部への持ち込み原稿として、存在したのではないかと思います。 模倣がうまいだけの人は、たとえ、デビューできたとしても、残れませんけど。


「ペルシアの測天儀」 約10ページ

  ある家に泥棒が入り、現金や、貴金属・宝石類に混じって、夫が外国で買ってきた、ペルシアの測天儀というメダルも盗まれたが、泥棒が捕まって、物だけは返って来た。 2年後、夫が愛人に、メダルをくれてやったところ、たまたま、愛人の家に同じ泥棒が入り、メダルを目撃した。 その後、痴情の縺れで、愛人が殺され、別件で逮捕されていた泥棒が、刑事に、メダルはなかったかと、尋ねる話。

  これも、「ちょっと、文化の香り」と、「思わぬところから、露顕」ですな。 ペルシアの測天儀が、日本では大変珍しい上に、泥棒がつけたキズがあり、同じ物に間違いないという事を、くどいくらい断ってあります。 泥棒が、たまたま、メダルのある家に、二軒も入るのは、ちょっと、偶然が過ぎますかねえ。


「不法建築」 約12ページ

  悪質業者による不法建築に悩まされていた役人が、ある時、業者が、妙にすんなりと解体を始めたのを不審に思い、同じ頃に起こった猟奇殺人事件の現場として、その建物が使われたのではないかと推理する話。

  前半は、不法建築というものが、どういう風に作られて行くか、業者と役所のイタチごっこをリアルに描いており、短いとはいえ、立派な社会派です。 犯罪部分よりも、そちらの方が、面白いです。


「入江の記憶」 約11ページ

  妻の妹と関係ができてしまった男が、自分の故郷に、義妹を連れてやって来る。 懐かしい風景を見る内に、子供の頃、父と、母の妹である叔母が不倫していた事を、断片的に思い出す話。

  親子で、同じ犯罪を繰り返すというパターン。 ただの不倫では、止まりません。 これから、殺すというところで終わっており、露見までは、描かれません。 話そのものが面白くないですが、倫理的にも問題があり、主人公を始め、出て来る人間全て、道に外れていて、全く共感できるところがありません。


「不在宴会」 約11ページ

  地方出張先で、接待の宴会を断った役人が、「出席した事にしておけばいい」と、業者に入れ知恵しておいて、愛人と落ち合う為に温泉旅館に行くと、何者かによって、愛人は殺されていた。 大慌てで、姿を晦まし、知らぬフリを決め込んだが、数ヵ月経った頃、刑事が訪ねて来て・・・、という話。

  確かに、刑事は来るんですが、そこが捻ってあって、正に、「語るに落ちる」としか言いようがない、オチがついています。 ショートショート的な軽妙な趣き、あり。

  この作品、ドラマ化されているんですが、2時間サスペンスにするようなボリュームは、とてもなくて、水増しの限りを尽くさなければ、そんなに長くできません。 そして、そんなに水増ししたら、全く別の話になるのは避けられず、せっかくの軽妙なオチが、台なしになってしまいます。 原作通りなら、30分くらいのドラマにしかならないでしょう。


「土偶」 約13ページ

  戦後、軍需物資の横流しで儲けた男が、女連れで、地方の温泉に静養に来ていた。 たまたま、田舎道で出会った女が、騒ぎ出したせいで、弾みで殺してしまい、その女を探しに来た男も殺してしまった。 彼らは、考古学の発掘隊員で、荷物の中に、土偶があった。 捜査の手が及ぶ事はなかったが、それ以来、呪いのようなものを感じて、骨董屋が薦める土偶を、買い集めないではいられなくなる。 ある時、我慢の限界を越えて、高価な土偶を、みんな壊して、捨ててしまうが、その行為が不審がられて・・・、という話。

  「ちょっと、文化の香り」の方はいいとして、「思わぬところから、露顕」には、当て嵌まりません。 なぜなら、高価な土偶を割って捨てれば、周囲から不審がられるのは、当たり前だからです。 疑ってくれと、自分で工作しているようなものではありませんか。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2020年の、

≪殺人暦≫が、8月23日から、26日。
≪松本清張全集 4 黒い画集≫が、8月26日から、9月1日まで。
≪松本清張全集 5 砂の器≫が、9月6日から、8日まで。
≪松本清張全集 6 球形の荒野・死の枝≫が、9月8日から、13日まで。

  ≪殺人暦≫は、手持ちの本で、買ったのは、比較的早かったのですが、読むのを忘れていて、後から買った物を先に読んでしまい、読むのが遅れました。 普通は、購入から、一ヵ月後くらいには読むのですが、三ヵ月もかかっているのは、そのせい。

  ちなみに、アマゾンやヤフオクで買った本は、とりあえず、触らずに置いておき、5日経ったら、アルコールを吹いたハンド・タオルで除菌して、本棚に入れます。 それから、更に、一ヵ月待ち、ようやく、読みます。 一ヵ月待つのは、新型肺炎の流行前から、やっている事。 大抵の、菌やウィルスは、それだけ待てば、死んでしまいます。