2020/11/22

読書感想文・蔵出し (68)

  読書感想文です。 このシリーズ、前回は、8月30日だったので、2ヵ月半ぶりです。 感想文の在庫が、だいぶ溜まっているので、3回くらい、続きます。 読書は、着々と進んでいますが、未だに、図書館の松本清張全集が、半分も行きません。





≪松本清張全集 20 落差≫

松本清張全集 20
文藝春秋 1973年1月20日/初版 2008年6月25日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編1作を収録。 一作で一冊ですから、長い小説もあったもんだ。


【落差】 約439ページ
  1961年(昭和36年)11月12日号から、1962年11月21日号まで、「読売新聞朝刊」に連載されたもの。

  女癖の悪い大学助教授が、死んだ友人の妻を助けるフリをして、囲ってしまったり、他の友人が地方へ出張に行っている間に、その妻を籠絡しようとしたり、好き放題やる話。

  推理小説ではないです。 犯罪小説となら言えなくもないですが、それですら、曲解で、一番近いカテゴリーとしては、サラリーマン小説ではないかと思います。 主人公が、大学助教授だというだけで。 とはいえ、必ずしも、大学が舞台というわけではなく、主人公が、スケコマシに励む活動が、様々な場所で繰り広げられます。 ただし、松本清張作品ですから、官能描写のようなものはありません。

  主人公が、教科書の執筆をやっている設定で、教科書の選定や売り込みに関するネタが盛り込まれており、その点、社会派小説になっています。 ただし、そちらがメインではなくて、あくまで、主人公のスケコマシが、話の眼目なので、目晦まされないように、注意が必要。

  こんな主人公には、微塵も同調できないのであって、始終、「こいつ、逮捕されるか、殺されるか、しないものかな」と、そちらを期待しつつ読む事になります。 そういう小説は、あまり、ノリが良くなくて、なかなか、ページが進みません。 地方出張中の友人の妻をつけ狙う件りなど、強姦魔と言う以外、形容のしようがなく、ほとほと、げんなりする。 しかし、こういうタイプの男は、実際にいるんだわ。 傍から見れば、犯罪なのに、本人は、自分の男性的魅力で、女をものにしていると思っているから、始末が悪い。

  「地方の学校への教科書の売り込みは、女の営業員の方が適している」という文句が出て来て、「なぜだろう?」と思っていたのですが、後に分かって来るのは、しょーもない理由でして、教師の実態を知っている人なら、「なるほど、そういう事も多いだろう」と頷けると思います。 やはり、松本さんは、世の中の暗部を良く知っている。

  こういう小説を読んでいると、くさくさ、この世の中が、嫌になって来ます。 残念な事ですが、こんな奴らの方が、多数派なんだわ。 人間のクズが、大きな顔で、のさばっているのが、現実なんだわ。 なまじ、推理小説でないだけに、人間の醜さが、リアリティー全開で描かれていて、気が滅入って来ます。




≪松本清張全集 19 霧の旗・砂漠の塩≫

松本清張全集 19
文藝春秋 1971年7月20日/初版 2008年6月25日/8版 
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編3作を収録。 【火と汐】は、以前に、文庫本で読んで、感想を書いていますが、一作なので、同じ物を出しておきます。


【霧の旗】 約162ページ
  1959年(昭和34年)7月から、1960年3月まで、「婦人公論」に連載されたもの。

  殺人の濡れ衣を着せられた兄を弁護してもらう為に、地方から東京まで出て来た女性が、頼りにしていた弁護士に、費用が払えないだろうからという理由で、冷たく追い返される。 兄が獄死した後、東京のバーに勤めた女性が、弁護士の弱みを掴んで、復讐を遂げようとする話。

  何度か、ドラマ化されているので、ストーリーは知っていました。 面白いです。 いや、大変、面白いです。 映画化2回、ドラマ化9回くらい、されているようですが、凄い数ですな。 しかし、これだけ、面白い話なら、映像作家の面々が食いつくのも、不思議はないです。

  何が面白いといって、主人公の女性が、自分の兄を見捨てた弁護士を、最後まで容赦しない事でして、ドライもドライ、人情物の気配なんぞ、微塵も感じさせず、とことん追い詰めて、相手を完全に破滅させるまで、手を緩めないところが、実に、爽快。 崖の上で、お涙頂戴の因縁話に、40分も割いているような、へっぽこ2時間サスペンスの製作者達は、爪の垢でも煎じて飲むべきでしょう。

  この復讐、常識的に考えれば、逆恨みなのですが、弁護士側に、愛人に早く会いたいばかりに、女性の二度目の訪問を受け付けなかったという、弱みがあり、読者に、逆恨みだと思わせない設定が、絶妙の匙加減で施されています。 実に、巧みだ。 この設定のお陰で、読者は、弁護士を追い詰める女性に対し、「もっと、やれ!」と、残忍なエールを、罪悪感なしに送れるわけですな。

  弁護士が、「第一の殺人の真犯人が分かった」と言っても、女性は聞こうともしないのですが、それは道理でして、第一の殺人の被害者は、女性の縁者でも何でもないのですから、真犯人が誰かなんて、どうでもいいんですな。 女性にしてみれば、兄が見殺しにされてしまった、その点だけが、問題なわけだ。

  「第一の殺人の犯人と、第二の殺人の犯人が、同一人物」という見立ては、ちと、偶然が過ぎますが、何と言っても、この作品の眼目は、復讐にあるのであって、殺人事件は背景に過ぎず、誰が犯人だろうが大した問題ではないという、推理小説としては、かなり、風変わりな特徴を持っています。


【砂漠の塩】 約178ページ
  1965年(昭和40年)9月から、1966年11月まで、「婦人公論」に連載されたもの。

  互いに配偶者がいる身で、心中を覚悟し、海外へ駆け落ちした女と男が、カイロからバグダッドまで、逃避行をする話。

  1969年の【象の白い脚】と同様、基本的には、海外紀行で、それを、小説に仕立てたもの。 砂漠で心中したがるというのが、かなり、無理がありますが、国際的な犯罪が絡んでいない分、【象の白い脚】よりは、リアリティー的に救われています。

  それにしても、不倫の挙句、外国へ逃げて暮らすというのなら、まだ分かるのですが、死を覚悟して、わざわざ、外国へ行くというのは、やはり、変な感じがしますねえ。 来られた側にしてみれば、大変な迷惑。 死体を発見したのが、たまたま、そこに仕事で来ていた日本人だったというのも、御都合主義です。 それこそ、「砂漠で、針を捜す」的な偶然ではないですか。

  そもそも、不倫はするわ、自殺はしようとしているわ、そういう人間を、小説の主人公にしても、読者が同調してくれますまい。 そんな道に外れた事をする人は、ごく少数派なんだから。 はっきり言って、主人公達の気持ちが分からないですし、分かりたくもないです。

  風景の描写部分は、完全に紀行文ですが、もし、単なる、作家の旅行記として発表したら、それはそれで、読む人はいなかったでしょうなあ。


【火と汐】 約71ページ
  1967年(昭和42年)11月号、「オール読物」に掲載されたもの。

  夫が、油壺と三宅島を往復するヨット・レースに出場している数日の間に、浮気相手と京都へ旅行に行っていた妻が、大文字焼きの見物中に姿を消し、その死体が、浮気相手の住居の近くで発見される。 当初、浮気相手の男が疑われるが、二人の刑事が、夫の方が動機が強いと当たりをつけ、殺害時刻に海の上にいたという鉄壁のアリバイを崩そうと試みる話。

  この話、ドラマ化されたものを見た事があります。 1996年と2009年で、2作あるようですが、どちらを見たのかは、忘れてしまいました。 他に、西村京太郎さんの≪赤い帆船≫の中に、この作品そのものが小道具として登場した事で、より強く、印象に残っています。 ちなみに、タイトルの「汐」は、ヨット・レースの事ですが、「火」というのは、大文字焼きの事。

  ネタバレしていても、充分面白いから、書いてしまいますが、海の上にいたのだから、京都へ行けるわけがないのに、そこを、巧みなトリックを使って、行き来を可能にしたというのが、作品の特徴です。 鉄道の時刻表トリックのアレンジと言えば言えますが、舞台を海の上に移し、空路まで絡めて、「ありえなさ」をより増幅した事で、読者の意表を衝く事に成功しています。

  面白いのですが、結末が、逮捕に至らないのは、ちと、釈然としないところ。 こんな幕切れを選ぶ人間なら、そもそも、こんなに凝った計画殺人なんて、目論まないでしょうに。 離婚してしまった方が、遥かに、賢いです。




≪真説 金田一耕助≫

角川文庫
角川書店 1979年1月5日/初版 1979年1月30日2版
横溝正史 著

  2020年5月に、ヤフオクに出ていたのを、競らずに、100円で落札し、入手したもの。

  横溝作品の角川文庫・旧版は、カバーの背表紙が、黒地に、緑字(大人向け)、赤字(人形佐七捕物帳)、黄色字(少年向け)が普通ですが、この本は、小説ではないからか、白地に、黒字です。 それでいて、通し番号は、「63」で、旧版シリーズの中に入っているので、本棚に並べると、黒の間に、白が一冊だけ挟まる格好になり、非常に違和感があります。

  旧版中、この本と、この後に出た、≪金田一耕助の冒険1・2≫だけ、カバー絵が、和田誠さんです。 更に、この本には、新聞連載の時に使われていた、和田誠さんのイラストも、そのままついています。 簡単過ぎて、私はあまり好きではないですが、こういう絵が好きという人も多い事でしょう。

  1976年9月から、1977年8月まで、日曜日のみ、毎日新聞に、全51回、連載されたもの。 文庫サイズで、約160ページくらい。 日記、随筆、回想記など、内容は、行き当たりばったりで書いていた模様。

  1976・77年と言ったら、横溝大ブームの真っ最中でして、他者から見て、横溝さんが最も輝いていた時期の、ご本人のリアル・タイムの考えや心情が書き込まれている点で、大きな価値があります。 その点、戦中と、敗戦直後の様子を書いてある、≪金田一耕助のモノローグ≫よりも、内容にひきつけられます。

  内容が興味津々である上に、非常に読み易い文章で書いてあるので、2時間もあれば、読み終えてしまいます。 というか、一度読み始めたら、最後まで、止まりません。 これを読まずして、横溝大ブームは語れないと思われるほど、興味深い。 横溝作品が、角川文庫で、改めて売り出され、ブームが始まったのは、70年代初頭ですが、76年には、≪犬神家の一族≫の映画が封切りされて、ただのブームが、大ブームに盛り上がり、絶頂を迎えた時に、この連載がされていたわけですな。 毎日新聞の読者は、さぞや、楽しく読んでいた事でしょう。

  ≪犬神家の一族≫との関係上、映画の話題が多いです。 戦後、金田一物が続々と映画化された頃の事も、かなり詳しく書いてあります。 専ら、片岡千恵蔵さんが金田一を演じた、それらの映画は、今では、見られませんが、原作とは、まるで違ったものだったとの事。 脚本家が、犯人まで変えてしまっていたというのだから、呆れた話ですが、映画の脚本家というのは、そもそも、そういう権限が与えられているようで、大ブームの頃に作られた、市川崑監督の5部作にも、犯人が変わっているものが含まれています。

  一時期、社会派推理小説に押されて、筆を断っていた横溝さんが、ブームが来てから、小説の執筆を再開し、中途放棄してあった作品を完成させたり、昔書いた短編を新作長編に仕立て直したり、更には、真っ更な新作長編の構想を立てたり、創作意欲に満ち溢れていた事が書いてあります。 実際には、この後に書かれたのは、≪悪霊島≫だけで、1981年には亡くなってしまうのですが、≪悪霊島≫だけといっても、かなりの長編でして、よくぞ、書いて下さったと、頭が下がる思いがします。

  横溝さんは、読者から、好かれるわけですなあ。 この本を読んでいると、つくづく、それが分かります。 「サービス精神旺盛」と、自分で書いていますが、正に、その通りでして、読者から見ると、大変、人柄が良い作家で、好感を抱かずにはいられません。 その上、作品も面白いのだから、文句のつけようがない。 偉大な仕事をした人だったんですなあ。




≪空蝉処女≫

角川文庫
角川書店 1983年12月10日/初版 1984年9月10日5版
横溝正史 著

  2020年5月に、ヤフオクに出ていたのを、二冊セット、340円で入手した内の一冊。 横溝作品の角川文庫・旧版の中では、70番目。 大人向け小説作品としては、後ろから2番目です。 大正末期から、戦後間もない頃までに書かれた短編、9作を収録。 表題作の【空蝉処女】は、以前、≪横溝正史探偵小説コレクション⑤≫で読んでいて、感想も出していますが、一作なので、同じ感想を出しておきます。


【空蝉処女】 約26ページ
  1946年(昭和21年)に、「群青」向けに書かれたが、掲載されず、作者の没後に発見され、1983年(昭和58年)8月、「月刊カドカワ」に掲載されたもの。 タイトルの読み方は、「うつせみおとめ」。

  空襲で怪我をして、記憶を失った若く美しい女性を、岡山の山村の、ある家で預かっていた。 歌を歌う以外に、赤ん坊をあやすような仕草をするので、既婚者だったのかと疑われていたが、実は・・・、という話。

  推理物ではなく、一般小説と純文学の中間みたいな話。 記憶を失い、抜け殻のようになった女性が、山村の人気のない場所で、「山のあなた」を歌っているという、その情景を描きたいばかりに書いたんじゃないでしょうか。 女性の正体が分かると、ちと、興醒めしますが、悪い結末ではないです。 タイトルの字に、「乙女」ではなく、「処女」を使っているところが、ちょっとしたヒント。


【玩具店の殺人】 約22ページ
  1947年(昭和22年)1月、「トップライト」に掲載されたもの。

  戦後、食い詰めかけた芸術家たちが集まり、人形を中心にしたオモチャを作って、焼け跡に、それらを売る店を開いた。 ある朝、店の中で、リーダー格の男の、かつての恋人の首吊り死体が見つかったが、その片目からは、義眼が外されていて・・・、という話。

  焼け跡に、突如として、おもちゃ屋が出来るという出だしは、シュールな雰囲気で宜しいです。 とはいえ、これは、横溝さんではなく、江戸川さんの趣味ですな。

  おもちゃ屋の中に、女の死体がぶら下がっているという取り合わせは、落差があって良いのですが、事件の方が、ひねりに欠けていて、短編としての出来は、まずいです。 このページ数で、雰囲気も、謎も、というのは、無理があるのかも。


【菊花大会事件】 約24ページ
  1942年(昭和17年)1月、「譚海」に掲載されたもの。

  都内で起こった爆弾事件に、たまたま出くわした新聞記者、宇津木俊介が、被害者のポケットから、「赤赤赤白白赤赤・・・」と書き込まれた、菊花大会の入場券を発見する。 会場へ行ってみると、赤い花と白い花の鉢が並んでいた。 爆弾事件が起こる場所を示していると思われる暗号を解こうとするが・・・、という話。

  戦時シフト作品です。 国策協力に半分足を突っ込んでいますが、暗号が入っているという事は、まだ、全面的に協力する気はなかった証拠。

  「宇津木俊助」というのは、横溝さんが戦前に使っていた探偵役、「由利麟太郎」の弟子である、「三津木俊助」とは、別人のようで、由利先生は出て来ません。 暗号を解くのは、宇津木の同級生。 24ページですから、話は簡単なものです。 暗号は、読者が解けるタイプではないです。


【三行広告事件】 約22ページ
  発表年、掲載紙、不明。 戦時中の作品である事は確か。

  新聞の三行広告に出ていた、不動産買取・賃貸の広告から、外国スパイの陰謀を嗅ぎつけた、由利麟太郎と三津木俊助が、爆撃の目標にする為の細工を施した家を突き止める話。

  戦時シフト作品です。 【菊花大会事件】よりも、更に、国策協力に近づいていますが、活劇が入っているのは、まだ、反骨精神が生きている証拠。 この頃はまだ、少し国策協力的な部分を入れておけば、検閲を通っていたわけですな。 軍部は、探偵小説は勿論、娯楽小説全体を無価値なものだと思っており、やがて、どんな作品でも、通らなくなってしまうのですが。 

  三行広告の方は、謎というほどの謎ではなく、見せ場は、活劇ですが、この短さですから、そちらも、簡単なものです。 由利先生が、国策協力を口にするのは、痛々しくて、読んでいられませんな。


【頸飾り綺譚】 約10ページ
  1929年(昭和4年)8月、「朝日」に掲載されたもの。 タイトルの読み方は、「くびかざりきだん」

  妻のネックレスを質入れしてしまった夫が、安いイミテーションを作ってすりかえ、知らぬ顔をしていた。 それを、妻が外出先でなくしてしまい、届けてくれた人に、礼金を約束して取り戻す羽目になったが、実は・・・、という話。

  ショートショートですな。 意外な結末が、ちゃんと付いています。 イミテーションを取り戻す為に、その25倍の礼金を払うのですが、それだけのお金を工面できるのに、妻のネックレスを質入れしなければならぬというのは、一応、説明はされているものの、些か、腑に落ちないところがあります。

  ちなみに、この夫の名前は、「山名耕作」なのですが、【山名耕作の不思議な生活】の主人公とは、別人のようです。 あっちの山名耕作が、やり手の仲買人になって、しかも、妻帯しているというのが、想像できません。 


【劉夫人の腕輪】 約14ページ
  1928年(昭和3年)3月、「サンデー毎日」に掲載されたもの。

  場所は、神戸。 中国の探偵劇を見たくて、中国人の友人に頼み、連れて行ってもらった青年がいた。 劇の後、歓談会となるが、友人の父親が秋波を送っていたある夫人の、大きな腕輪が妙に気にかかって・・・、という話。

  一応、犯罪物ですが、推理するような要素は、希薄です。 ラストで、「ああ、そういう事か」と分かるだけ。 些か、グロテスク。 注目すべきは、神戸の中国人社会を垣間見た、その雰囲気の描写でして、「こんな短編なのに」と驚くほど、エキゾチズムに充ち満ちています。


【路傍の人】 約48ページ
  発表年、掲載紙、不明。 1929年(昭和4年)に発刊された、≪日本探偵小説全集10≫に収録。

  神戸の街で、行った事がない喫茶店を巡るのを趣味にしている男が、自分と同じ趣味の青年と出会う。 その青年は、自分に、直覚的推理力があると言い、犯罪の兆候を嗅ぎ付けて行く。 場末で、人にたかって暮らしている狂女を、一目で、偽者だと見抜くが・・・、という話。

  そこそこ長いだけあって、内容も濃いです。 数奇な物を求めて、街をうろつくという点、この作品も、横溝さん的というより、江戸川さん的です。 話の纏まりが悪いのも、江戸川さん的。 まさか、横溝さん名義で発表された、江戸川作品なのでは? 神戸が舞台とはいえ、この程度の情景描写なら、出身者でなくても、できそうです。

  以下、ネタバレあり。

  殺人事件が一つ起こりますが、なんと、そちらの犯人究明は、うっちゃらかしで終わります。 「異様なほどに、強い好奇心に突き動かされている人たち」という、テーマがあって、そちらを描くのが主眼。 殺人事件は、それと関係ないから、解決する必要はないという理屈ですな。


【帰れるお類】 約22ページ
  1926年(大正15年)11月、「探偵趣味」に掲載されたもの。

  売れない作家の夫に業を煮やし、売れている作家の男と駆け落ちしようとした妻が、相手にスッポかされてしまい、「書き置きまでして来たのに、どうしよう」と頭を抱えつつ、家に戻って、何とか、夫をごまかそうとする話。

  一般小説の短編。 書きようによっては、純文学になり得る要素を持っているのですが、軽いタッチで、気の利いた話風に書いているせいで、ラストの仕掛けが、今一つ、うまく作動していません。


【いたずらな恋】 約24ページ
 1926年(大正15年)9月、「苦楽」に掲載されたもの。

  二枚目俳優に似た青年が、思いを寄せている、ある夫人から、「昔書いた手紙をネタに、ある男から恐喝されているので、どうにかしてくれ」と頼み事をされる。 早速、その男の家に忍び込んで、こっそり手紙を取り返すが、男に見つかってしまい・・・、という話。

  オチがついている、ちょっと気の利いた話の一類。 この頃の横溝さんは、こういう話ばかり、考えていた模様。 ショートショートが好きな人が読めば、「この辺りが、ショートショートの原型なのだろう」と、思うと思いますが、日本でショートショートを始めたのが横溝さんというわけではなく、この頃の作家で、こういう軽妙な短編を書いていた人は、他にも多かったろうと思います。 そもそも、戦後まで作家を続けられた人が少なく、更に、現代まで作品を読み継がれている人は、横溝さんと、江戸川さんくらいのものだから、他はみんな、忘れられてしまったんですな。

  主人公が、二枚目俳優に似ているという設定は、生きているような、オチに関係していないような、微妙なところ。 伏線にしようと思って書いたけれど、話の流れで、どうでもよくなってしまい、回収し忘れたような感じです。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2020年の、

≪松本清張全集 20 落差≫が、8月1日から、9日。
≪松本清張全集 19 霧の旗・砂漠の塩≫が、8月12日から、14日まで。
≪真説 金田一耕助≫が、8月16日。
≪空蝉処女≫が、8月17日から、22日まで。

  ≪真説 金田一耕助≫と、≪空蝉処女≫は、手持ちの本です。 手持ちの本は、汚染の危険がゼロに近いから、気楽に読めます。 図書館の本は、塩素溶液をつけたティッシュで、浄化してから読みますが、本を閉じるたびに、手を消毒しています。 紙の表面は、新型肺炎ウィルスが、24時間程度しか生きていられないそうなので、警戒し過ぎだと思いますが、まあ、手指の消毒は、すぐに終わるので、大した負担ではないです。 家の外から持ち込んだものに関しては、用心しておくに越した事はありますまい。