読書感想文・蔵出し (71)
読書感想文です。 これを纏めているのは、12月6日です。 植木手入れは、無事に終わりました。 腰痛は出ず、大きな怪我もありませんでした。 良かった良かった。 擦過傷や、マメが潰れるなど、小さな怪我はありましたが、オロナインと絆創膏で、鋭意、治療中です。 この記事が公開される頃には、治っているでしょう。
≪松本清張全集 9 黒の様式≫
松本清張全集 9
文藝春秋 1971年12月20日/初版 2008年5月30日/9版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、中編6、短編1の、計7作を収録。
【歯止め】から、【内海の輪】までは、≪霧笛の街≫というタイトルで、1967年(昭和42年)1月6日号から、1968年10月25日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。 【歯止め】、【犯罪広告】、【微笑の様式】の3作は、以前、文庫本で読んで感想を書いていますが、もう、何年か経っているので、同じ物を出しておきます。
【歯止め】 約48ページ
遊んでばかりで、大学受験が心配な息子を抱えた母親が、20年前に自殺した姉の元夫に、偶然出会う。 たまたま、息子の担任が、その元義兄の学生時代の事を人伝に知っていて、その話から、姉の死の原因に疑惑を抱く事になり、夫とともに、推測を逞しくして行く話。
推理小説ですが、かなり、変わっています。 破格、もしくは、異色と見るべきなのか、完成度が低いと見るべきなのか、評価に迷うところ。 推理の内容は、読者に伝わりますが、犯人を問い詰めるわけでもなければ、逮捕されるわけでもなく、ただ、推理をして終わりなのです。
メイン・テーマは、エディプス・コンプレックスでして、それだけでも、抵抗がありますが、モチーフに自慰行為を盛り込んでいるところが、また、問題。 自慰行為を、頭が悪くなる原因と決めて書いているのは、古い知識ですなあ。 それはまあ、耽り過ぎれば、時間をとられて、成績は落ちるでしょうけど。 1967年頃は、まだ、そういう考え方を残している人が多かったという事なんですかねえ。
ところが、この作品、船越英一郎さんが、その息子役で、ドラマ化されているのです。 日テレ系の火曜サスペンス劇場で、1983年4月5日放送だったとの事。 私は、再放送で見ているのですが、なんと、大きな川の河川敷のような所で、息子が自慰行為をするという、あっと驚く場面がありました。 原作にない場面なんですが、それでなくても問題がある原作を、もっと問題があるドラマにしようとしたんですかねえ。 気が知れません。
【犯罪広告】 約50ページ
失踪したと言われていた母親が、実は再婚相手の男に殺されたに違いないと気づいた青年が、すでに殺人の時効が過ぎていた事から、元義父が住む村に戻り、その罪状を細かく書いた犯罪広告を、村中に配布する。 母親の遺体は、元義父の家の床下に埋められていると主張し、警察や村人立会いの下に、床下を掘るが、死体は出て来ない。 ところが、その夜から、青年の姿が見えなくなり・・・、という話。
以下、ネタバレ、あり。
これも、変わっていますが、犯罪広告から始まる出だしだけで、その後は、割と普通の展開になります。 「○○を、どこに隠したか」というタイプの謎。 この作品の場合は、死体です。 青年の推理が、2回も間違えるのですが、そこが面白いとも言えるし、そこが白けるとも言えます。 さすがに、2回間違えると、信用できなくなりますから。 3回目で当てるのですが、もう手遅れ。
犯人が誰かは、最初から明々白々で、それが最終的に逮捕されるのは、まあ良いとして、主人公が途中で殺されてしまうので、読後感が、非常に悪いです。 善悪バランスがとれていないわけだ。 わざと、バランスを崩したのだと思いますが、そういう面で、破格をやられても、面白いとは感じません。
この作品は、1979年1月20日、テレビ朝日系の土曜ワイド劇場で、ドラマ化されています。 初放送の時に見ましたが、私はまだ、中2でした。 「ウミホタルだーっ! ウミホタルが出たぞーっ!」と人々が叫ぶ、冒頭の宣伝専用場面を覚えています。
【微笑の様式】 約63ページ
ある法医学者が、奈良の古刹で出会い、一緒に仏像の微笑について論じた彫刻家が、その後、展覧会に、女の顔の像を出品して、話題になった。 会場に来ていた保険会社の男から、その像にそっくりな顔をした女が最近殺されたと聞いて、法医学者が事件について調べて行く話。
以下、ネタバレ、あり。
「笑っているような死に顔」が、謎でして、それは、あるガスを吸った効果によって、そうなるのですが、まず、そこから発想して、前の方へ肉付けして行って、作り上げた話だと思います。 それが分かってしまうと、ちと、白けます。 冒頭の、奈良の古刹の場面が、推理小説らしくない、美学的な雰囲気で、趣きがあるだけに、ラストが、単純な謎で終わっていると、物足りなさを感じるのです。
感心しないのは、水増しが見られること。 法医学者は、顔馴染みの刑事を始め、複数の人物から、捜査報告を聞くのですが、同じ事項に関する報告を、別の人物から、もう一度聞く事があり、普通は、「内容は同じであった」で済ませるところを、わざわざ、全部繰り返していて、それだけで、1.3倍くらい長くなっています。
こういうのは、アリなんですかね? 編集者は、OKしたわけですが、もし、デビュー間もない新人が、こういう書き方をしたとしたら、問答無用で、没でしょう。 「おいおい、なめとんのか?」と言われてしまいそうです。 作者が、実績十分の売れっ子だから、許されたわけですな。
この作品も、ドラマで見た記憶があり、内藤剛志さんが彫刻家役をやったのがそうではないかと思っていたのですが、調べたら、やっぱり、それでした。 法医学者役は、役所広司さんだったらしいですが、忘れていました。 初放送は、1995年3月7日で、日テレ系の火サス。 これは、初放送の時にも見たし、再放送でも見ています。
【二つの声】 約109ページ
東京在住の俳句仲間4人で、野鳥の鳴き声を録音しに、軽井沢へ泊まりがけで出かける。 ところが、野外に設置したパラボラ集音機が、男女二人の会話を拾ってしまう。 東京へ戻り、知人の専門家に頼んで、音響処理してもらったところ、会話の内容は、別れ話だった。 更に、女の方が、俳句仲間の内、3人と関係があった、ホステスではないかと疑いが出て・・・、という話。
長野県警に調べてもらったら、本当に、そのホステスの死体が発見され、そこから、推理小説になります。 それ以前の部分で、かなりの長さ、野鳥の声をリアル・タイムで聴く場面が続きますが、はっきり言って、退屈です。 こういうマイナーな趣味から、推理小説の設定アイデアを思いつく、その発想力は凄いと思うのですが、マイナー過ぎて、一般の興味を引くのは、難しいんじゃないでしょうか。
後半が、また、問題でして、ホステスと関係がなかった一人が、関係があった内の一人と、素人推理を逞しくする形で、話が進むのですが、理屈っぽい推理ばかり語られて、場面転換が貧弱なので、飽きてくるのです。 犯人と思われる人物に、直接、ぶつかってみるといった場面が挟まれば、だいぶ、違うと思うのですが。
【弱気の虫】 約93ページ
中央官庁に勤める男。 同僚との賭け麻雀で負けてばかりいて、小馬鹿にされるのが嫌になり、知人が自宅で始めた、もぐりの雀荘に河岸を移して、そこの常連達と打ち始める。 最初は買っていたが、次第に負けが込み、借金が膨らんでいく。 どうにも首が回らなくなった時に、その雀荘で、殺人事件が起きて、ある人物を目撃してしまい・・・、という話。
賭け麻雀で借金を背負い込み、他への借金で、借金を返すところまで追い込まれて行く様子は、ギャンブル依存症の典型例で、ドストエフスキー作【賭博者】と、同じような趣きです。 麻雀の場合、ルーレットなどと違って、腕の違いが結果に出ますから、他の面子と比べて、自分が弱いと分かった時点で、やめればいいんですが、なにせ、依存症ですから、とまらなくなってしまうんですな。
殺人事件発生から後も、推理物にはならず、借金を帳消しにするのと引き換えに、嘘の証言を頑なに守り続ける主人公の、崖っぷちぶりが描かれます。 つまり、この作品は、推理小説ではなく、一般小説のカテゴリーで読むべきものなんですな。 ギャンブルをやらない人には、教訓になると思います。 やる人は、読んでも、馬耳東風でしょう。
主人公はさておき、警察がなぜ、被害者の最も近しい人物を疑わないのか、そちらが不思議。 主人公が庇っている男より、その人物の方が、常識的に考えて、ずっと容疑が濃いと思うのですが。 まあ、そこは、ストーリー上の御都合主義なのかもしれません。
【内海の輪】 約97ページ
若い頃、兄嫁だった女と、40歳近くになって再会し、愛人関係になった大学教授。 四国に家がある女と尾道で落ち合い、数日を過ごすが、別れを惜しんで、ダラダラと日を延ばす内に、飛行機で帰らなければ、次の予定に間に合わなくなる。 ところが、大坂の空港で、双方の知人に会ってしまい・・・、という話。
前半は、不倫の恋愛物。 双方、40代なだけに、爽やかさは全くなくて、暗く、後ろめたい雰囲気ばかり漂います。 どうして、こんな馬鹿な事をするかね? どちらも、家庭があり、ダブル不倫でして、読者としては、どちらにも、好感が持てません。 女の方は、歳の離れた夫と関係が冷え切っていて、若い男を求めたという流れですが、それなら、最初から、金持ちなど狙わず、同世代の男と再婚すれば良かったのに。 主人公の方に至っては、アドバイスもありません。 人生を真面目に考えていないのかね?
以下、ネタバレ、あり。
後半、「ちょっと、学問の香り」が入りますが、途中から出されると、馴染みませんな。 前半が、不倫物として濃厚すぎるせいで、後半と、水と油になっています。 主人公は、考古学者で、殺害現場の近くで自分が発見した物に、学問的価値があるのを、大っぴらにできずにいたのが、我慢の限界を超えて、友人の学者に見せてしまった所から、犯罪が露顕して行きます。
一番、面白いのは、空港で、双方の知人に見られた後、主人公の方は、大学時代の友人だったので、「人に言ったりしないだろう」と軽く考えていたのに対し、女の方は、最近のその人物を知っていて、「詮索好き、噂好きだから、必ず、人に言う」と断言します。 その人物の職業が、新聞記者なので、なるほど、職業柄、性格が変わる事もあるのだろうなと、納得させられます。
【死んだ馬】 約37ページ
1969年(昭和44年)3月、「小説宝石」に掲載されたもの。
水商売に見切りをつけて、安楽に暮らそうと、有名な建築家の妻になった女。 ところが、夫が高齢なせいで、先々の生活が不安にな。 建築事務所の中で最も才能がある青年を籠絡した上で、夫を亡き者にし、寄生対象の乗り換えを謀る話。
【強き蟻】(1970年)と同じようなキャラの主人公です。 こちらの方が発表が早いから、この作品を土台にして、【強き蟻】に発展させたんでしょうな。 松本作品で、女が主人公というのは、ほんの僅かです。 大抵、悪人。 もしかしたら、この作品の評判が良くて 、同趣向の長編を書いてくれるように、頼まれたんじゃないでしょうか。
しかし、この作品自体は、あまり、出来がいいとは言えません。 松本作品は、三人称で書かれるのが普通ですが、三人称というのは、視点人物がズレ易い欠点があり、この作品でも、後ろの方で、主人公から、青年建築家へ、更に、ラストでは、取って付けたように、警察関係者へと、視点人物が変わってしまいます。 主人公が、急に、後景に立ち退いてしまうので、読者は、大切な物を取り上げられてしまったような、虚しい気持ちになります。 もしかしたら、技法として、こういう書き方をしたのかもしれませんが、成功しているとは、とても言えません。
≪松本清張全集 10 黒の図説≫
松本清張全集 10
文藝春秋 1973年5月20日/初版 2008年5月30日/8版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、中編6作を収録。 ≪黒の図説≫の通しタイトルで、1969年(昭和44年)3月21日号から、1970年12月11日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。
【速力の告発】 約52ページ
交通事故で妻子を失った男が、加害者の運転手が、自分以上に悲惨な生活に落ち込んだのを見て、本当の加害者は、高速度ばかり競っている、自動車メーカーではないかと考え、社会問題として、世論を喚起しようと、あれこれ、策を巡らす話。
相当な破格で、前半は、小説というより、論説です。 後半へ行くと、すこし、動きが出て来て、小説っぽくなりますが、推理小説という趣きではありません。 ラストで、取って付けたように、犯罪の露見がありますが、蛇足としか思えないほど、馴染みません。 一言でいうと、バラバラ感が強いという事でしょうか。
「交通事故の責任の一半は、自動車メーカーにもある」というのは、私もそう思いますが、松本清張さんは、人一倍強烈に、そう思っていたようですな。 主人公に、スピード・リミッターを付けろとか、車の総台数規制をかけろといった提案をさせていますが、松本さん本人の考えを代弁させていたのではないかと思います。
【分離の時間】 約97ページ
タクシー運転手から聞いた話を元に、殺害された政治家が、男色家だったのではないかと見当をつけた男が、友人の週刊誌記者と共に、調査を始める。 政治家と、その支援者の企業社長、洋品店の社長、三人のいずれかの間に男色関係があったと見て、調べを進めるが、なかなか、ピタリと合う線が見つからず・・・、という話。
冒頭、タクシーの問題行動が並べられ、もしや、タクシー業界を題材にした、社会派なのでは? と思わされますが、次第に離れて行って、そうではない事が分かります。 次に、男色を題材にした社会派なのでは? と思わされますが、そもそも、男色は、社会問題と言うには、個人的過ぎますし、ストーリーも、そちらの方へ、あまり深くは入って行きません。 まあ、本体部分は、純粋な推理小説ですな。
ただし、相当には、理屈っぽい話で、間違った推理も展開されるせいで、流れが悪く、同じ所をぐるぐる回っている感じで、面白くはないです。 三人称ですが、視点人物は、素人なので、突っ込んだ調査が出来ず、もう一人の週刊誌記者が、最終的に謎を解きます。 犯人を罠にかけるクライマックスだけは、僅かながら、活劇的雰囲気で、ゾクゾクさせます。 雰囲気だけで、実際には、活劇にはなりませんけど。
【鴎外の婢】 約85ページ
原題の「鴎」は、旧字。 「婢」は、「はしため」と読み、文語ですが、差別語なので、そもそも、こんな字句は使わない方がいいです。
歴史関連の文章を書いている作家が、森鴎外の【小倉日記】に出て来る、住み込み家政婦が、頻繁に交替している事に着目し、その内の一人が、その後、どういう人生を歩んだか、子孫はどうなったかを調査しに、小倉へ趣く話。
これも、松本さん独特の話で、【陸行水行】に、よく似ています。 鴎外の【小倉日記】は、1899年から、1902年まで書かれたもので、この作品が書かれた時まで、約70年経っています。 70年くらいなら、鴎外の家にいた住み込み家政婦の、娘か孫なら、まだ生きているのではないかと期待して、小倉へ乗り込んでいくわけです。
ところが、【陸行水行】と同様に、歴史に詳しいと見られて、郷土史家に捉まり、地元の古代史について、薀蓄を聞かされるというパターン。 終わりの方で、急転直下、犯罪の疑いが浮上して、取って付けたように、推理小説になるところも、よく似ています。 これも、新人が書いたら、ゴミ箱直行か、「推理作家じゃなくて、歴史雑誌のライターになったら?」と、真顔で勧められるのではないかと思います。
それにしても、この話。 鴎外の日記に出てきた実在の人物のその後を書いているわけで、どこまで、創作なのか、紛らわしいですな。 時々引用される、鴎外の日記の部分は、本物だと思うのですが、さて、どの辺から、創作に変わるのか? もし、その住み込み家政婦に、本当の子孫がいて、犯罪とは何の関係もなく暮らしていたら、とんだ迷惑でしょうねえ。
【書道教授】 約118ページ
金ばかり毟ろうとする愛人と、そろそろ別れようと思っている銀行員の男。 呉服屋が、主人の死去で店を畳んだ後、能書家だった未亡人が、他の家で、書道教授の看板を出しているのを見つけ、新弟子は取らないと言うのを、無理に頼んで、弟子にしてもらう。 ある時、古本屋の若妻が、若い男と、書道教授の家に入って行くのを見て、もしや、潜りの連れ込み宿をやっているのではと推測する。 その後、古本屋の若妻の死体が、遠くの湖畔で発見された事で、自分の愛人も同じように、死体を始末してもらえないものかと考え・・・、という話。
何回か、テレビ・ドラマ化されていて、私は、1982年のを見ています。 近藤正臣さんが、主人公。 風吹ジュンさんが、愛人。 加藤治子さんが、書道教授。 池波志乃さんが、古本屋の若妻でした。 大変、面白いと思った記憶があります。
面白いと思ったから、そのドラマの内容を、かなり覚えているのですが、それに比べると、この原作は、相当、入り組んでいます。 この頃の松本さんは、理屈っぽさが、マックスになっていたようで、とにかく、細々と、推理を書き並べていて、大変、読み進め難い。 話が面白いだけに、こういう難渋な書き方をしているのは、惜しいです。
逆に言えば、読み難いけれど、それを差し引いても余るほど、話は面白いです。 よく、こういう魅力的な話を思いつくものです。 一体、どういうきっかけから、発想するんでしょうねえ。 松本さんの特殊な才能と言ってしまえば、それまでですが、もしかしたら、何か関数的な、ストーリー発想方法があったのかも知れません。
ところで、この話。 終わりの方で、皮肉な方向へ展開します。 妻との生活を安定させる為に、愛人を始末したのに、その妻の、着物に対する執着のせいで、主人公の犯罪が露顕して行くのです。 その辺り、ちょっと、偶然が過ぎるのですが、それをおかしいと感じさせないくらい、話が面白いです。
【六畳の生涯】 約90ページ
医師を引退後、同じく医師である息子の家に引き取られた老人が、もう80歳近い年齢なのに、世話に通っている30代の家政婦を好きになってしまい、その夫が遊び人だと知って、自分が現役復帰し、家政婦と再婚しようとまで考えるが・・・、という話。
全体の8割が、「女中手籠め型」私小説のパロディーで、残りの2割で、推理小説になります。 終わりだけ、取って付けたように、推理小説になるパターンは、松本作品には多いですねえ。 前8割が、私小説のパロディーだと気づかない人も多いと思いますが、そういう読者は、「変わった話だなあ。 これでも、推理小説になるんだなあ」と、頻りに首を傾げた事でしょう。
老いらくの恋が、いかに醜いかを描くのが、テーマになっているようで、確かに醜い。 自分が年老いた事を、受け入れられないんですな。 80歳で、30代の女と夫婦になれると思っているのだから、もはや、狂気。 いや、狂っているのなら、まだ大目に見られますが、一時の気の迷いでそうなっているから、醜いとしか言いようがないのです。
【梅雨と西洋風呂】 約128ページ
ある地方都市に、造り酒屋の主人で、市政新聞を発行し、市議会議員にもなった男がいた。 次期市長の擁立問題で、政敵と争っている最中に、愛人問題で、身内に裏切られて、手痛い目に遭い、恨みを募らせる話。
これも、終わりの方で、取って付けたように、推理小説になります。 本格トリックが使われているのですが、何せ、推理小説部分が、取って付けなので、この作品全体を、本格トリック物とは言えません。 タイトルは、そのトリックに関係したものです。 トリックだけを見ると、大変、発想が面白いです。 大きな西洋風呂があればこそ、成り立つ方法。
推理小説部分を取り除くと、それまで、順調に人生計画を実現して来た男が、ちょっとした出来心で愛人を作った事で、立ち直れないほどの大失敗をやらかしてしまうという、一般小説的な話。 こういうのも、松本作品には多いです。 無理やり、推理小説にしてあるのは、松本さんの名前で、それを期待している読者に配慮しているからでしょう。 一般小説的な部分は、一般小説として読んだ方が、自然です。
それにしても、異性で失敗する者の、世の中に多い事よ。 「浮気は男の甲斐性」だの、「恋多き女」だの、利いた風な事を、実際にやってもいい事だと勘違いして、ホイホイ手を出すから、破滅してしまうんですな。 この主人公も、一度の浮気で、妻からの信用を完全に失ってしまうのですが、経緯を考えると、同情に値せず、愚かとしか言いようがありません。
どうして、親子ほど歳が離れた若い女が、老境にさしかかった男に惚れると思うのか、まず、そこから、間違えています。 そりゃあ、歳が離れていても、性行為はできますし、大金をくれてやれば、首っ丈のフリをしてくれる若い異性はいるでしょうが、それを本気と思い込んでしまうところが、底なしに浅はかというもの。 金を払っているのだという事を忘れてしまうんでしょうか。
ところで、推理小説部分で殺されるのは、若い異性ではありません。 恩を仇で返した中年男です。 こんな奴は、殺されても、当然で、犯人が捕まらない方が清々するような事件なのですが、残念ながら、そうはなりません。
≪松本清張全集 11 歪んだ複写・不安な演奏≫
松本清張全集 11
文藝春秋 1972年6月20日/初版 2008年5月30日/8版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編2作を収録。
【歪んだ複写】 約232ページ
1959年(昭和34年)6月から、1960年12月まで、「小説新潮」に連載されたもの。
税務署の不正事件の責任を押し付けられて、職を追われた男が、元上司達の行動を調べている途中で殺された。 たまたま、情報を耳にした新聞記者が、同僚と共に、事件の捜査を進めると、税務署の爛れた実態が明らかになる一方、殺しが殺しを呼び、連続殺人事件に発展していく話。
税務署の習慣化した不正を暴いている点で、社会派ですが、それは、枕のようなもので、話の中心は、本格トリック物の推理小説です。 捜査するのは、刑事ではなく、新聞記者ですが、クロフツ的なこつこつ手法を取る点は同じで、普通に面白いです。 上司の許可を得ているとはいえ、すぐに記事にできるわけでもないのに、タクシーや、会社の車など、使いまくっていて、捜査費用はちゃんと経費で落ちるのだろうかと、心配になってしまいます。
それにしても、60年も前の話とはいえ、税務署というのは、こんなに面の皮が厚い不正を、本当にやってたんですかね? こういう作品が書かれて、普通に出版されているという事は、やはり、真実に近かったんでしょうなあ。 今でも、税金の徴収システムは変わっていないわけですが、まだ、行われているんでしょうか。
【不安な演奏】 約250ページ
1961年(昭和36年)3月13日号から、12月25日号まで、「週刊文春」に連載されたもの。
連れ込み宿に録音装置を仕掛けて作った、卑猥な音声のソノシートを集めている雑誌記者がいた。 ある時、特別に録音してもらったものに、殺人後の死体の始末について相談している声が入っていて、その中に出てきた新潟の海岸で、その後、死体が発見される。 雑誌記者と、映画監督、謎めいた青年の三人が、独自に捜査を進めると、政治家の選挙不正事件が絡んでいて・・・、という話。
出だしのアイデアは、【二つの声】(1968年)と同じで、別の目的で録音装置を仕掛けたら、犯罪に関する声が入っていたというもの。 しかし、それは、話の枕に過ぎず、その後は、クロフツ的なコツコツ捜査になって行きます。 本体部分は、【眼の壁】(1957年)に、よく似ています。 どちらも、警察ではなく、素人が捜査をする話なので、似て来るのかも知れません。
少し変わっているのは、主人公の雑誌記者と、映画監督から捜査を引き継いだ青年が、途中から、別行動する事でして、青年がどんどん先に進んでしまって、主人公は、青年が調べたところを、後から追いかけて行くという形になります。 作者の断り書きがあり、主人公の事を、「無能」と言っていますが、ひどい扱いですなあ。 主人公なのに。 読者の視線で見ると、主人公は、無能どころか、大変、頭が良く回る人物だと思いますが。
青年がおかしいのですよ。 なぜ、こんな人物を出したのか、意図が分かりません。 キャラが気に食わない上に、ラストで、恐喝までしており、好感度は最低です。 そもそも、最初に出てきた映画監督が、本業が忙しくなって、すぐに、捜査から離れてしまうのですが、そういう流れにした意図も分かりません。 連載小説だから、途中で、考えが変わったんでしょうか。
読後感は、さして良くないのですが、読んでいる間は、麻薬的な面白さがあり、物語世界に没頭できます。 まあ、平均以上の松本作品では、みな、そうなのですが。 繰り返しますが、青年だけ、気に食わないなあ。 捜査に深入りし過ぎて、殺されてしまう事にすれば、バランスが取れたのに。
≪大迷宮≫
角川文庫
角川書店 1979年6月20日/初版 1983年1月30日/8版
横溝正史 著
2020年8月に、アマゾンに出ていたのを、送料込み、365円で買ったもの。 状態は、まあまあ、普通。 37年も経っている事を考えると、かなり、綺麗。 横溝作品の角川文庫・旧版の中では、88番目です。 1951年から1年間、「少年クラブ」に連載された、少年向け長編作品で、文庫本サイズ、少年向けの漢字頻度で、約224ページ。
【怪獣男爵】で活躍した少年、立花茂が、軽井沢に滞在中、年上の従兄、謙三と共に自転車で遠乗りに出かけた帰り、夕立ちに追われて、ある屋敷に逃げ込む。 同年代の少年、剣太郎と、その世話をしている者達に歓待されたが、夜半に奇怪な事が起こり、翌朝になると、屋敷の中が、家具まで、空っぽになっていた。 金田一と共に、もう一度、屋敷へ行って調べると、地下通路があり、同じ造りの屋敷が三軒ある事が分かる。 サーカス王が、ある島に隠した大金塊を巡り、三つ子の少年の体に隠された鍵を手に入れようと、髑髏の顔をした男の一味と、怪獣男爵の一味、そして、滋や金田一たちが、争奪戦を繰り広げる話。
うーむ、【怪獣男爵】同様、梗概がうまく纏められませんな。 まあ、とにかく、盛りだくさんです。 同じ造りの屋敷、サーカス、地下通路、博覧会場、軽気球で逃走、誘拐に次ぐ誘拐、船の中に監禁、ヘリコプターで逃走、孤島の大迷路などなど、少年向け作品のモチーフが、これでもかというくらい大盤振る舞いされています。
少年向けモチーフと言っても、戦前には、大人向けで通用していたのであって、江戸川さんの作品ではお馴染みのものばかり。 横溝さんも、由利・三津木物の活劇では、これらのモチーフを使って、大人向けを書いていました。 戦後になったら、本格トリック物が主流になり、戦前の怪奇小説・探偵小説のモチーフが、陳腐化してしまったので、今度は、少年向けに使い始めたというわけだ。
使い古されたモチーフばかりですが、この作品が、つまらないというわけではないです。 調子よく、ポンポンと話が展開するので、どんどんページが進みますし、それでいて、中身が薄いわけでもなくて、少年向けとしては、結構、読み応えがあります。 それには、本来、大人向け作品のキャラである、金田一や、等々力警部が顔を出している事が、関係していると思います。
ちなみに、等々力警部が出ているお陰で、金田一は、自分で銃を撃たないで済んでいます。 およそ、金田一ほど、銃撃戦に似合わない探偵も珍しい。 一方的に撃たれるだけなら、ありえますが。 この作品も活劇ですが、金田一のアクションは、ほとんどなくて、頭脳担当に徹しているのは、読者としては、安心できるところ。
怪獣男爵は、【怪獣男爵】と、この【大迷宮】に登場しますが、私が読んだ限りでは、他の作品には出て来ません。 横溝さんの腹としては、怪人二十面相と同じような、悪玉の通しキャラにしようと思っていたのかもしれませんが、外見がゴリラ風で、脳移植を受けているという設定が突飛過ぎて、使い勝手が悪かったのかもしれません。 中心人物である立花滋は、【金色の魔術師】で、再登場します。
以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2020年の、
≪松本清張全集 9 黒の様式≫が、9月27日から、30日。
≪松本清張全集 10 黒の図説≫が、10月6日から、11日まで。
≪松本清張全集 11 歪んだ複写・不安な演奏≫が、10月12日から、17日まで。
≪大迷宮≫が、10月18日から、19日まで。
植木手入れが終わって、これでもう、今年は、大きな作業はないと思っていたのですが、バイクのエンジン・オイルが、どうやら、もう、換え時のようです。 去年の9月に、うちに来てから、一回も換えていませんから、無理もないか。 前の持ち主が、手放す前に、交換したとも思えないし。 説明書を読むと、フィルターも一緒に換えろとあり、かなりの出費になりそうです。 こんな事は、読書感想文とは、何の関係もありませんが。
≪松本清張全集 9 黒の様式≫
松本清張全集 9
文藝春秋 1971年12月20日/初版 2008年5月30日/9版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、中編6、短編1の、計7作を収録。
【歯止め】から、【内海の輪】までは、≪霧笛の街≫というタイトルで、1967年(昭和42年)1月6日号から、1968年10月25日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。 【歯止め】、【犯罪広告】、【微笑の様式】の3作は、以前、文庫本で読んで感想を書いていますが、もう、何年か経っているので、同じ物を出しておきます。
【歯止め】 約48ページ
遊んでばかりで、大学受験が心配な息子を抱えた母親が、20年前に自殺した姉の元夫に、偶然出会う。 たまたま、息子の担任が、その元義兄の学生時代の事を人伝に知っていて、その話から、姉の死の原因に疑惑を抱く事になり、夫とともに、推測を逞しくして行く話。
推理小説ですが、かなり、変わっています。 破格、もしくは、異色と見るべきなのか、完成度が低いと見るべきなのか、評価に迷うところ。 推理の内容は、読者に伝わりますが、犯人を問い詰めるわけでもなければ、逮捕されるわけでもなく、ただ、推理をして終わりなのです。
メイン・テーマは、エディプス・コンプレックスでして、それだけでも、抵抗がありますが、モチーフに自慰行為を盛り込んでいるところが、また、問題。 自慰行為を、頭が悪くなる原因と決めて書いているのは、古い知識ですなあ。 それはまあ、耽り過ぎれば、時間をとられて、成績は落ちるでしょうけど。 1967年頃は、まだ、そういう考え方を残している人が多かったという事なんですかねえ。
ところが、この作品、船越英一郎さんが、その息子役で、ドラマ化されているのです。 日テレ系の火曜サスペンス劇場で、1983年4月5日放送だったとの事。 私は、再放送で見ているのですが、なんと、大きな川の河川敷のような所で、息子が自慰行為をするという、あっと驚く場面がありました。 原作にない場面なんですが、それでなくても問題がある原作を、もっと問題があるドラマにしようとしたんですかねえ。 気が知れません。
【犯罪広告】 約50ページ
失踪したと言われていた母親が、実は再婚相手の男に殺されたに違いないと気づいた青年が、すでに殺人の時効が過ぎていた事から、元義父が住む村に戻り、その罪状を細かく書いた犯罪広告を、村中に配布する。 母親の遺体は、元義父の家の床下に埋められていると主張し、警察や村人立会いの下に、床下を掘るが、死体は出て来ない。 ところが、その夜から、青年の姿が見えなくなり・・・、という話。
以下、ネタバレ、あり。
これも、変わっていますが、犯罪広告から始まる出だしだけで、その後は、割と普通の展開になります。 「○○を、どこに隠したか」というタイプの謎。 この作品の場合は、死体です。 青年の推理が、2回も間違えるのですが、そこが面白いとも言えるし、そこが白けるとも言えます。 さすがに、2回間違えると、信用できなくなりますから。 3回目で当てるのですが、もう手遅れ。
犯人が誰かは、最初から明々白々で、それが最終的に逮捕されるのは、まあ良いとして、主人公が途中で殺されてしまうので、読後感が、非常に悪いです。 善悪バランスがとれていないわけだ。 わざと、バランスを崩したのだと思いますが、そういう面で、破格をやられても、面白いとは感じません。
この作品は、1979年1月20日、テレビ朝日系の土曜ワイド劇場で、ドラマ化されています。 初放送の時に見ましたが、私はまだ、中2でした。 「ウミホタルだーっ! ウミホタルが出たぞーっ!」と人々が叫ぶ、冒頭の宣伝専用場面を覚えています。
【微笑の様式】 約63ページ
ある法医学者が、奈良の古刹で出会い、一緒に仏像の微笑について論じた彫刻家が、その後、展覧会に、女の顔の像を出品して、話題になった。 会場に来ていた保険会社の男から、その像にそっくりな顔をした女が最近殺されたと聞いて、法医学者が事件について調べて行く話。
以下、ネタバレ、あり。
「笑っているような死に顔」が、謎でして、それは、あるガスを吸った効果によって、そうなるのですが、まず、そこから発想して、前の方へ肉付けして行って、作り上げた話だと思います。 それが分かってしまうと、ちと、白けます。 冒頭の、奈良の古刹の場面が、推理小説らしくない、美学的な雰囲気で、趣きがあるだけに、ラストが、単純な謎で終わっていると、物足りなさを感じるのです。
感心しないのは、水増しが見られること。 法医学者は、顔馴染みの刑事を始め、複数の人物から、捜査報告を聞くのですが、同じ事項に関する報告を、別の人物から、もう一度聞く事があり、普通は、「内容は同じであった」で済ませるところを、わざわざ、全部繰り返していて、それだけで、1.3倍くらい長くなっています。
こういうのは、アリなんですかね? 編集者は、OKしたわけですが、もし、デビュー間もない新人が、こういう書き方をしたとしたら、問答無用で、没でしょう。 「おいおい、なめとんのか?」と言われてしまいそうです。 作者が、実績十分の売れっ子だから、許されたわけですな。
この作品も、ドラマで見た記憶があり、内藤剛志さんが彫刻家役をやったのがそうではないかと思っていたのですが、調べたら、やっぱり、それでした。 法医学者役は、役所広司さんだったらしいですが、忘れていました。 初放送は、1995年3月7日で、日テレ系の火サス。 これは、初放送の時にも見たし、再放送でも見ています。
【二つの声】 約109ページ
東京在住の俳句仲間4人で、野鳥の鳴き声を録音しに、軽井沢へ泊まりがけで出かける。 ところが、野外に設置したパラボラ集音機が、男女二人の会話を拾ってしまう。 東京へ戻り、知人の専門家に頼んで、音響処理してもらったところ、会話の内容は、別れ話だった。 更に、女の方が、俳句仲間の内、3人と関係があった、ホステスではないかと疑いが出て・・・、という話。
長野県警に調べてもらったら、本当に、そのホステスの死体が発見され、そこから、推理小説になります。 それ以前の部分で、かなりの長さ、野鳥の声をリアル・タイムで聴く場面が続きますが、はっきり言って、退屈です。 こういうマイナーな趣味から、推理小説の設定アイデアを思いつく、その発想力は凄いと思うのですが、マイナー過ぎて、一般の興味を引くのは、難しいんじゃないでしょうか。
後半が、また、問題でして、ホステスと関係がなかった一人が、関係があった内の一人と、素人推理を逞しくする形で、話が進むのですが、理屈っぽい推理ばかり語られて、場面転換が貧弱なので、飽きてくるのです。 犯人と思われる人物に、直接、ぶつかってみるといった場面が挟まれば、だいぶ、違うと思うのですが。
【弱気の虫】 約93ページ
中央官庁に勤める男。 同僚との賭け麻雀で負けてばかりいて、小馬鹿にされるのが嫌になり、知人が自宅で始めた、もぐりの雀荘に河岸を移して、そこの常連達と打ち始める。 最初は買っていたが、次第に負けが込み、借金が膨らんでいく。 どうにも首が回らなくなった時に、その雀荘で、殺人事件が起きて、ある人物を目撃してしまい・・・、という話。
賭け麻雀で借金を背負い込み、他への借金で、借金を返すところまで追い込まれて行く様子は、ギャンブル依存症の典型例で、ドストエフスキー作【賭博者】と、同じような趣きです。 麻雀の場合、ルーレットなどと違って、腕の違いが結果に出ますから、他の面子と比べて、自分が弱いと分かった時点で、やめればいいんですが、なにせ、依存症ですから、とまらなくなってしまうんですな。
殺人事件発生から後も、推理物にはならず、借金を帳消しにするのと引き換えに、嘘の証言を頑なに守り続ける主人公の、崖っぷちぶりが描かれます。 つまり、この作品は、推理小説ではなく、一般小説のカテゴリーで読むべきものなんですな。 ギャンブルをやらない人には、教訓になると思います。 やる人は、読んでも、馬耳東風でしょう。
主人公はさておき、警察がなぜ、被害者の最も近しい人物を疑わないのか、そちらが不思議。 主人公が庇っている男より、その人物の方が、常識的に考えて、ずっと容疑が濃いと思うのですが。 まあ、そこは、ストーリー上の御都合主義なのかもしれません。
【内海の輪】 約97ページ
若い頃、兄嫁だった女と、40歳近くになって再会し、愛人関係になった大学教授。 四国に家がある女と尾道で落ち合い、数日を過ごすが、別れを惜しんで、ダラダラと日を延ばす内に、飛行機で帰らなければ、次の予定に間に合わなくなる。 ところが、大坂の空港で、双方の知人に会ってしまい・・・、という話。
前半は、不倫の恋愛物。 双方、40代なだけに、爽やかさは全くなくて、暗く、後ろめたい雰囲気ばかり漂います。 どうして、こんな馬鹿な事をするかね? どちらも、家庭があり、ダブル不倫でして、読者としては、どちらにも、好感が持てません。 女の方は、歳の離れた夫と関係が冷え切っていて、若い男を求めたという流れですが、それなら、最初から、金持ちなど狙わず、同世代の男と再婚すれば良かったのに。 主人公の方に至っては、アドバイスもありません。 人生を真面目に考えていないのかね?
以下、ネタバレ、あり。
後半、「ちょっと、学問の香り」が入りますが、途中から出されると、馴染みませんな。 前半が、不倫物として濃厚すぎるせいで、後半と、水と油になっています。 主人公は、考古学者で、殺害現場の近くで自分が発見した物に、学問的価値があるのを、大っぴらにできずにいたのが、我慢の限界を超えて、友人の学者に見せてしまった所から、犯罪が露顕して行きます。
一番、面白いのは、空港で、双方の知人に見られた後、主人公の方は、大学時代の友人だったので、「人に言ったりしないだろう」と軽く考えていたのに対し、女の方は、最近のその人物を知っていて、「詮索好き、噂好きだから、必ず、人に言う」と断言します。 その人物の職業が、新聞記者なので、なるほど、職業柄、性格が変わる事もあるのだろうなと、納得させられます。
【死んだ馬】 約37ページ
1969年(昭和44年)3月、「小説宝石」に掲載されたもの。
水商売に見切りをつけて、安楽に暮らそうと、有名な建築家の妻になった女。 ところが、夫が高齢なせいで、先々の生活が不安にな。 建築事務所の中で最も才能がある青年を籠絡した上で、夫を亡き者にし、寄生対象の乗り換えを謀る話。
【強き蟻】(1970年)と同じようなキャラの主人公です。 こちらの方が発表が早いから、この作品を土台にして、【強き蟻】に発展させたんでしょうな。 松本作品で、女が主人公というのは、ほんの僅かです。 大抵、悪人。 もしかしたら、この作品の評判が良くて 、同趣向の長編を書いてくれるように、頼まれたんじゃないでしょうか。
しかし、この作品自体は、あまり、出来がいいとは言えません。 松本作品は、三人称で書かれるのが普通ですが、三人称というのは、視点人物がズレ易い欠点があり、この作品でも、後ろの方で、主人公から、青年建築家へ、更に、ラストでは、取って付けたように、警察関係者へと、視点人物が変わってしまいます。 主人公が、急に、後景に立ち退いてしまうので、読者は、大切な物を取り上げられてしまったような、虚しい気持ちになります。 もしかしたら、技法として、こういう書き方をしたのかもしれませんが、成功しているとは、とても言えません。
≪松本清張全集 10 黒の図説≫
松本清張全集 10
文藝春秋 1973年5月20日/初版 2008年5月30日/8版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、中編6作を収録。 ≪黒の図説≫の通しタイトルで、1969年(昭和44年)3月21日号から、1970年12月11日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。
【速力の告発】 約52ページ
交通事故で妻子を失った男が、加害者の運転手が、自分以上に悲惨な生活に落ち込んだのを見て、本当の加害者は、高速度ばかり競っている、自動車メーカーではないかと考え、社会問題として、世論を喚起しようと、あれこれ、策を巡らす話。
相当な破格で、前半は、小説というより、論説です。 後半へ行くと、すこし、動きが出て来て、小説っぽくなりますが、推理小説という趣きではありません。 ラストで、取って付けたように、犯罪の露見がありますが、蛇足としか思えないほど、馴染みません。 一言でいうと、バラバラ感が強いという事でしょうか。
「交通事故の責任の一半は、自動車メーカーにもある」というのは、私もそう思いますが、松本清張さんは、人一倍強烈に、そう思っていたようですな。 主人公に、スピード・リミッターを付けろとか、車の総台数規制をかけろといった提案をさせていますが、松本さん本人の考えを代弁させていたのではないかと思います。
【分離の時間】 約97ページ
タクシー運転手から聞いた話を元に、殺害された政治家が、男色家だったのではないかと見当をつけた男が、友人の週刊誌記者と共に、調査を始める。 政治家と、その支援者の企業社長、洋品店の社長、三人のいずれかの間に男色関係があったと見て、調べを進めるが、なかなか、ピタリと合う線が見つからず・・・、という話。
冒頭、タクシーの問題行動が並べられ、もしや、タクシー業界を題材にした、社会派なのでは? と思わされますが、次第に離れて行って、そうではない事が分かります。 次に、男色を題材にした社会派なのでは? と思わされますが、そもそも、男色は、社会問題と言うには、個人的過ぎますし、ストーリーも、そちらの方へ、あまり深くは入って行きません。 まあ、本体部分は、純粋な推理小説ですな。
ただし、相当には、理屈っぽい話で、間違った推理も展開されるせいで、流れが悪く、同じ所をぐるぐる回っている感じで、面白くはないです。 三人称ですが、視点人物は、素人なので、突っ込んだ調査が出来ず、もう一人の週刊誌記者が、最終的に謎を解きます。 犯人を罠にかけるクライマックスだけは、僅かながら、活劇的雰囲気で、ゾクゾクさせます。 雰囲気だけで、実際には、活劇にはなりませんけど。
【鴎外の婢】 約85ページ
原題の「鴎」は、旧字。 「婢」は、「はしため」と読み、文語ですが、差別語なので、そもそも、こんな字句は使わない方がいいです。
歴史関連の文章を書いている作家が、森鴎外の【小倉日記】に出て来る、住み込み家政婦が、頻繁に交替している事に着目し、その内の一人が、その後、どういう人生を歩んだか、子孫はどうなったかを調査しに、小倉へ趣く話。
これも、松本さん独特の話で、【陸行水行】に、よく似ています。 鴎外の【小倉日記】は、1899年から、1902年まで書かれたもので、この作品が書かれた時まで、約70年経っています。 70年くらいなら、鴎外の家にいた住み込み家政婦の、娘か孫なら、まだ生きているのではないかと期待して、小倉へ乗り込んでいくわけです。
ところが、【陸行水行】と同様に、歴史に詳しいと見られて、郷土史家に捉まり、地元の古代史について、薀蓄を聞かされるというパターン。 終わりの方で、急転直下、犯罪の疑いが浮上して、取って付けたように、推理小説になるところも、よく似ています。 これも、新人が書いたら、ゴミ箱直行か、「推理作家じゃなくて、歴史雑誌のライターになったら?」と、真顔で勧められるのではないかと思います。
それにしても、この話。 鴎外の日記に出てきた実在の人物のその後を書いているわけで、どこまで、創作なのか、紛らわしいですな。 時々引用される、鴎外の日記の部分は、本物だと思うのですが、さて、どの辺から、創作に変わるのか? もし、その住み込み家政婦に、本当の子孫がいて、犯罪とは何の関係もなく暮らしていたら、とんだ迷惑でしょうねえ。
【書道教授】 約118ページ
金ばかり毟ろうとする愛人と、そろそろ別れようと思っている銀行員の男。 呉服屋が、主人の死去で店を畳んだ後、能書家だった未亡人が、他の家で、書道教授の看板を出しているのを見つけ、新弟子は取らないと言うのを、無理に頼んで、弟子にしてもらう。 ある時、古本屋の若妻が、若い男と、書道教授の家に入って行くのを見て、もしや、潜りの連れ込み宿をやっているのではと推測する。 その後、古本屋の若妻の死体が、遠くの湖畔で発見された事で、自分の愛人も同じように、死体を始末してもらえないものかと考え・・・、という話。
何回か、テレビ・ドラマ化されていて、私は、1982年のを見ています。 近藤正臣さんが、主人公。 風吹ジュンさんが、愛人。 加藤治子さんが、書道教授。 池波志乃さんが、古本屋の若妻でした。 大変、面白いと思った記憶があります。
面白いと思ったから、そのドラマの内容を、かなり覚えているのですが、それに比べると、この原作は、相当、入り組んでいます。 この頃の松本さんは、理屈っぽさが、マックスになっていたようで、とにかく、細々と、推理を書き並べていて、大変、読み進め難い。 話が面白いだけに、こういう難渋な書き方をしているのは、惜しいです。
逆に言えば、読み難いけれど、それを差し引いても余るほど、話は面白いです。 よく、こういう魅力的な話を思いつくものです。 一体、どういうきっかけから、発想するんでしょうねえ。 松本さんの特殊な才能と言ってしまえば、それまでですが、もしかしたら、何か関数的な、ストーリー発想方法があったのかも知れません。
ところで、この話。 終わりの方で、皮肉な方向へ展開します。 妻との生活を安定させる為に、愛人を始末したのに、その妻の、着物に対する執着のせいで、主人公の犯罪が露顕して行くのです。 その辺り、ちょっと、偶然が過ぎるのですが、それをおかしいと感じさせないくらい、話が面白いです。
【六畳の生涯】 約90ページ
医師を引退後、同じく医師である息子の家に引き取られた老人が、もう80歳近い年齢なのに、世話に通っている30代の家政婦を好きになってしまい、その夫が遊び人だと知って、自分が現役復帰し、家政婦と再婚しようとまで考えるが・・・、という話。
全体の8割が、「女中手籠め型」私小説のパロディーで、残りの2割で、推理小説になります。 終わりだけ、取って付けたように、推理小説になるパターンは、松本作品には多いですねえ。 前8割が、私小説のパロディーだと気づかない人も多いと思いますが、そういう読者は、「変わった話だなあ。 これでも、推理小説になるんだなあ」と、頻りに首を傾げた事でしょう。
老いらくの恋が、いかに醜いかを描くのが、テーマになっているようで、確かに醜い。 自分が年老いた事を、受け入れられないんですな。 80歳で、30代の女と夫婦になれると思っているのだから、もはや、狂気。 いや、狂っているのなら、まだ大目に見られますが、一時の気の迷いでそうなっているから、醜いとしか言いようがないのです。
【梅雨と西洋風呂】 約128ページ
ある地方都市に、造り酒屋の主人で、市政新聞を発行し、市議会議員にもなった男がいた。 次期市長の擁立問題で、政敵と争っている最中に、愛人問題で、身内に裏切られて、手痛い目に遭い、恨みを募らせる話。
これも、終わりの方で、取って付けたように、推理小説になります。 本格トリックが使われているのですが、何せ、推理小説部分が、取って付けなので、この作品全体を、本格トリック物とは言えません。 タイトルは、そのトリックに関係したものです。 トリックだけを見ると、大変、発想が面白いです。 大きな西洋風呂があればこそ、成り立つ方法。
推理小説部分を取り除くと、それまで、順調に人生計画を実現して来た男が、ちょっとした出来心で愛人を作った事で、立ち直れないほどの大失敗をやらかしてしまうという、一般小説的な話。 こういうのも、松本作品には多いです。 無理やり、推理小説にしてあるのは、松本さんの名前で、それを期待している読者に配慮しているからでしょう。 一般小説的な部分は、一般小説として読んだ方が、自然です。
それにしても、異性で失敗する者の、世の中に多い事よ。 「浮気は男の甲斐性」だの、「恋多き女」だの、利いた風な事を、実際にやってもいい事だと勘違いして、ホイホイ手を出すから、破滅してしまうんですな。 この主人公も、一度の浮気で、妻からの信用を完全に失ってしまうのですが、経緯を考えると、同情に値せず、愚かとしか言いようがありません。
どうして、親子ほど歳が離れた若い女が、老境にさしかかった男に惚れると思うのか、まず、そこから、間違えています。 そりゃあ、歳が離れていても、性行為はできますし、大金をくれてやれば、首っ丈のフリをしてくれる若い異性はいるでしょうが、それを本気と思い込んでしまうところが、底なしに浅はかというもの。 金を払っているのだという事を忘れてしまうんでしょうか。
ところで、推理小説部分で殺されるのは、若い異性ではありません。 恩を仇で返した中年男です。 こんな奴は、殺されても、当然で、犯人が捕まらない方が清々するような事件なのですが、残念ながら、そうはなりません。
≪松本清張全集 11 歪んだ複写・不安な演奏≫
松本清張全集 11
文藝春秋 1972年6月20日/初版 2008年5月30日/8版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編2作を収録。
【歪んだ複写】 約232ページ
1959年(昭和34年)6月から、1960年12月まで、「小説新潮」に連載されたもの。
税務署の不正事件の責任を押し付けられて、職を追われた男が、元上司達の行動を調べている途中で殺された。 たまたま、情報を耳にした新聞記者が、同僚と共に、事件の捜査を進めると、税務署の爛れた実態が明らかになる一方、殺しが殺しを呼び、連続殺人事件に発展していく話。
税務署の習慣化した不正を暴いている点で、社会派ですが、それは、枕のようなもので、話の中心は、本格トリック物の推理小説です。 捜査するのは、刑事ではなく、新聞記者ですが、クロフツ的なこつこつ手法を取る点は同じで、普通に面白いです。 上司の許可を得ているとはいえ、すぐに記事にできるわけでもないのに、タクシーや、会社の車など、使いまくっていて、捜査費用はちゃんと経費で落ちるのだろうかと、心配になってしまいます。
それにしても、60年も前の話とはいえ、税務署というのは、こんなに面の皮が厚い不正を、本当にやってたんですかね? こういう作品が書かれて、普通に出版されているという事は、やはり、真実に近かったんでしょうなあ。 今でも、税金の徴収システムは変わっていないわけですが、まだ、行われているんでしょうか。
【不安な演奏】 約250ページ
1961年(昭和36年)3月13日号から、12月25日号まで、「週刊文春」に連載されたもの。
連れ込み宿に録音装置を仕掛けて作った、卑猥な音声のソノシートを集めている雑誌記者がいた。 ある時、特別に録音してもらったものに、殺人後の死体の始末について相談している声が入っていて、その中に出てきた新潟の海岸で、その後、死体が発見される。 雑誌記者と、映画監督、謎めいた青年の三人が、独自に捜査を進めると、政治家の選挙不正事件が絡んでいて・・・、という話。
出だしのアイデアは、【二つの声】(1968年)と同じで、別の目的で録音装置を仕掛けたら、犯罪に関する声が入っていたというもの。 しかし、それは、話の枕に過ぎず、その後は、クロフツ的なコツコツ捜査になって行きます。 本体部分は、【眼の壁】(1957年)に、よく似ています。 どちらも、警察ではなく、素人が捜査をする話なので、似て来るのかも知れません。
少し変わっているのは、主人公の雑誌記者と、映画監督から捜査を引き継いだ青年が、途中から、別行動する事でして、青年がどんどん先に進んでしまって、主人公は、青年が調べたところを、後から追いかけて行くという形になります。 作者の断り書きがあり、主人公の事を、「無能」と言っていますが、ひどい扱いですなあ。 主人公なのに。 読者の視線で見ると、主人公は、無能どころか、大変、頭が良く回る人物だと思いますが。
青年がおかしいのですよ。 なぜ、こんな人物を出したのか、意図が分かりません。 キャラが気に食わない上に、ラストで、恐喝までしており、好感度は最低です。 そもそも、最初に出てきた映画監督が、本業が忙しくなって、すぐに、捜査から離れてしまうのですが、そういう流れにした意図も分かりません。 連載小説だから、途中で、考えが変わったんでしょうか。
読後感は、さして良くないのですが、読んでいる間は、麻薬的な面白さがあり、物語世界に没頭できます。 まあ、平均以上の松本作品では、みな、そうなのですが。 繰り返しますが、青年だけ、気に食わないなあ。 捜査に深入りし過ぎて、殺されてしまう事にすれば、バランスが取れたのに。
≪大迷宮≫
角川文庫
角川書店 1979年6月20日/初版 1983年1月30日/8版
横溝正史 著
2020年8月に、アマゾンに出ていたのを、送料込み、365円で買ったもの。 状態は、まあまあ、普通。 37年も経っている事を考えると、かなり、綺麗。 横溝作品の角川文庫・旧版の中では、88番目です。 1951年から1年間、「少年クラブ」に連載された、少年向け長編作品で、文庫本サイズ、少年向けの漢字頻度で、約224ページ。
【怪獣男爵】で活躍した少年、立花茂が、軽井沢に滞在中、年上の従兄、謙三と共に自転車で遠乗りに出かけた帰り、夕立ちに追われて、ある屋敷に逃げ込む。 同年代の少年、剣太郎と、その世話をしている者達に歓待されたが、夜半に奇怪な事が起こり、翌朝になると、屋敷の中が、家具まで、空っぽになっていた。 金田一と共に、もう一度、屋敷へ行って調べると、地下通路があり、同じ造りの屋敷が三軒ある事が分かる。 サーカス王が、ある島に隠した大金塊を巡り、三つ子の少年の体に隠された鍵を手に入れようと、髑髏の顔をした男の一味と、怪獣男爵の一味、そして、滋や金田一たちが、争奪戦を繰り広げる話。
うーむ、【怪獣男爵】同様、梗概がうまく纏められませんな。 まあ、とにかく、盛りだくさんです。 同じ造りの屋敷、サーカス、地下通路、博覧会場、軽気球で逃走、誘拐に次ぐ誘拐、船の中に監禁、ヘリコプターで逃走、孤島の大迷路などなど、少年向け作品のモチーフが、これでもかというくらい大盤振る舞いされています。
少年向けモチーフと言っても、戦前には、大人向けで通用していたのであって、江戸川さんの作品ではお馴染みのものばかり。 横溝さんも、由利・三津木物の活劇では、これらのモチーフを使って、大人向けを書いていました。 戦後になったら、本格トリック物が主流になり、戦前の怪奇小説・探偵小説のモチーフが、陳腐化してしまったので、今度は、少年向けに使い始めたというわけだ。
使い古されたモチーフばかりですが、この作品が、つまらないというわけではないです。 調子よく、ポンポンと話が展開するので、どんどんページが進みますし、それでいて、中身が薄いわけでもなくて、少年向けとしては、結構、読み応えがあります。 それには、本来、大人向け作品のキャラである、金田一や、等々力警部が顔を出している事が、関係していると思います。
ちなみに、等々力警部が出ているお陰で、金田一は、自分で銃を撃たないで済んでいます。 およそ、金田一ほど、銃撃戦に似合わない探偵も珍しい。 一方的に撃たれるだけなら、ありえますが。 この作品も活劇ですが、金田一のアクションは、ほとんどなくて、頭脳担当に徹しているのは、読者としては、安心できるところ。
怪獣男爵は、【怪獣男爵】と、この【大迷宮】に登場しますが、私が読んだ限りでは、他の作品には出て来ません。 横溝さんの腹としては、怪人二十面相と同じような、悪玉の通しキャラにしようと思っていたのかもしれませんが、外見がゴリラ風で、脳移植を受けているという設定が突飛過ぎて、使い勝手が悪かったのかもしれません。 中心人物である立花滋は、【金色の魔術師】で、再登場します。
以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2020年の、
≪松本清張全集 9 黒の様式≫が、9月27日から、30日。
≪松本清張全集 10 黒の図説≫が、10月6日から、11日まで。
≪松本清張全集 11 歪んだ複写・不安な演奏≫が、10月12日から、17日まで。
≪大迷宮≫が、10月18日から、19日まで。
植木手入れが終わって、これでもう、今年は、大きな作業はないと思っていたのですが、バイクのエンジン・オイルが、どうやら、もう、換え時のようです。 去年の9月に、うちに来てから、一回も換えていませんから、無理もないか。 前の持ち主が、手放す前に、交換したとも思えないし。 説明書を読むと、フィルターも一緒に換えろとあり、かなりの出費になりそうです。 こんな事は、読書感想文とは、何の関係もありませんが。
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