古い車のカタログ蒐集計画 ⑭
古い車のカタログ蒐集に関するシリーズ。 いよいよ、最後です。 組み写真が、6枚ありますが、3・3に分けるのもセコいので、一遍に出してしまいます。 これ以降、車のカタログは、買っていません。 新型肺炎の流行以降、ヤフオクの利用自体が、激減してしまいました。 人心が荒廃し、揉め事が多くなったのが、原因。
【リーザのカタログ&アク・カタ】
2019年の1月に、ヤフオクにて、100円で落札し、送料入れて、285円で手に入れた、リーザのデビュー版・本カタログと、アクセサリー・カタログ。
≪写真1左≫
本カタログの表紙。 1986年(昭和61年)11月発行。 車の発売開始は、12月らしいですが、印刷した日付を記してあるのでしょう。
≪写真1右≫
アクセサリー・カタログの表紙。 発行年月は、本カタログと同じ。 本カタログより、サイズが小さいです。 ヤフオクにセットで出て来る事が多いので、たぶん、本カタログに挟んで、配布されていた物と思われます。 名前は分かりませんが、出て来るイメージ・キャラの女性は、本カタと同じ人。
≪写真2≫
イメージ写真のページ。 ナンバーに、「NEW YORK」の文字あり。 わざわざ、 ニューヨークまで車を持って行って、撮影したんですな。 さすが、バブルへ向かう時期だけの事はある。 アメリカで、軽を走らせたら、小さ過ぎて、ナメられまくるでしょうけど。
≪写真3≫
室内のイメージ写真のページ。 ダッシュ・ボードのデザインは、かなり、洗練されています。 色も、暗過ぎず、明る過ぎずで、いい雰囲気です。 若い女性が、想定購買層であったにも拘らず、女性に媚びたところがないのも、好感が持てます。 惜しむらく、この車、3ドア・クーペでして、後席の使い勝手は、お世辞にも良くなかったと思います。
≪写真4≫
アクセサリー・カタログの方から、1ページ、出します。 80年代半ばだと、アクセサリーの種類は、まだ、少ないようです。
エアコン、パワー・ウインドウが、オプション。 電動ドア・ミラーも、オプションであったようですが、ミラー角度の調整ができるだけで、畳む事はできなかった模様。
エアロ・パーツもあったようですが、リーザに、スポイラーの類いは、似合いませんでした。 特に、リア・スポイラーは、せっかくの、ワン・ボックス・フォルムを、台なしにしてしまいます。
【リーザとの縁】
私は、リーザを所有していたわけではなく、運転した事もなければ、乗せてもらった事もありません。 なのに、なぜ、カタログを買ったのかというと、それには、ちょっとした、わけがあります。
≪写真上≫
とりあえず、本カタログのイメージ写真から、側面のフォルムが分かるものを出しておきます。
≪写真中≫
その上で、この絵ですが、私が、ひきこもり時代の、1983・4年頃に描いたものです。 当時、車のデザインだけに興味があり、こんな絵ばかり描いていました。 絵が、はっきりしないのは、線を消して何度でも直せるように、トレーシング・ペーパーに描いていたからです。
で、ある時、この絵を、白い紙に描き写し、無謀にも、車雑誌の総合カタログに出ていた、ダイハツの住所に送ったのです。 「開発を担当している部署に」とか何とか、宛名に書き添えて。 「こんな車を作って下さい」という要望ですな。
その後、私は、ひきこもりを脱して、1986年の4月から、植木屋見習いとして働き始め、死ぬほど疲れる日々を送り始めたのですが、その年の12月に、リーザが発売されたわけです。
よく似ているので、驚いたといえば驚いたのですが、私自身が、当時のデザイン・トレンドに則って描いていたので、私が送った絵と、リーザが、何の関係もない可能性も、もちろん、高いです。
とにかく、自分が欲しいと思っていた車に近いものが出て来たわけですから、それだけでも喜ぶべきなのですが、何せ、仕事がきつくて、車への興味など、どうでもよくなっており、嬉しいという感じはしませんでした。
嬉しくなかった、もう一つの理由は、リーザが登場する一年以上前の、1985年9月に、ホンダ・トゥデイが発売され、ワン・ボックス・フォルムの先鞭をつけられていたからです。 トゥデイが出て来た時には、自分が考えていたワン・ボックス・フォルムよりも、遥かに洗練されていたので、衝撃を受けました。 敗北感に打ちのめされたのです。
そして、1986年9月、母が最初の車を買う時に、トゥデイを薦め、その後、18年間も家で使う事になるのです。 もし、その時点で、リーザが出ていたとしても、トゥデイを薦めたと思います。 徳大寺有恒さんは、≪間違いだらけのクルマ選び≫で、トゥデイと共に、リーザのデザインも誉めていましたけど、私の目から見ると、リーザは、トゥデイに、とても敵わないと思えました。
≪写真下≫
ちなみに、トゥデイの本カタログに出ている、イメージ・スケッチが、これ。 こちらの方が、私の絵に、より似ていますが、残念な事に、ホンダには、何も送っていません。 だから、私の絵は、当時のデザイン・トレンドに乗っかっていたに過ぎないと思うのです。
【初代トゥデイのカタログとアク・カタ 1985年9月デビュー版】
2019年の1月末から2月初めにかけて、ヤフオクで手に入れた、「初代トゥデイのカタログとアクセサリー・カタログ 1985年9月デビュー版」です。 スタート価格1000円だったのを、競った末に、1600円で落札し、送料500円を足して、2100円で買いました。
このカタログ、なかなか、良いのが出てこなくて、チェックし始めてから、1年半くらい、待っていました。 2冊セットとはいえ、80年代半ばの物で、1600円は、少々、高いのですが、この機会を逃したら、次はいつ出て来るか分からないので、思い切って買った次第。
初代トゥデイに関しては、大判カタログを紹介した時に、詳しく書いたので、今回は、さらっと書きます。
≪写真1左≫
表紙です。 シンプル。 初代トゥデイ前期型・丸灯は、車もセンスが良いですが、カタログも、他とは違う雰囲気があります。 普通のカタログは、右開きですが、これは、左開きです。 「ニュー・スモール」が、キャッチ・コピー。 コピーは、お世辞にも、センスが良いとは言えません。
≪写真1右≫
アクセサリー・カタログの表紙。 ポップですな。 ちなみに、ポップなグラフィック・デザインというのは、70年代には、すでに存在していました。 少しずつ、車のカタログにも入って来るようになりますが、主流にはなりませんでした。
≪写真2≫
テレビCMや、大判カタログに出ていた今井美樹さんが、本カタログにも姿を見せています。 しかし、今井さんの写真は、裏表紙の、「CM高原編」からのスチールを入れても、3枚しかありません。 他のページは、車のイメージ写真を右上、説明文を左と下にレイアウトした、雑誌ページ風の作りになっています。
≪写真3≫
内装のページ。 これは、茶系統ですな。 うちにあったトゥデイは、灰色系統でした。 シートは、ファブリック地で、多少、モケモケした感じでした。 初代トゥデイは、前期型も後期型も、軽貨物型(ボン・バン)オンリーで、後席は狭かったです。 大人2人、小さい子供2人か、女性だけならば、前席を前にずらせば、後席足下に、ゆとりが出来て、大人4人乗れました。
≪写真4≫
アクセサリー・カタログの方の、中ページ。 アクセサリーの方は、そんなに種類が多いわけではないです。 アルミ・ホイールとか、シート・カバーとか、サイド・ストライプとか、ルーフ・キャリアとか。 バッグのような、車のアクセサリーに入れるべきでないような品もあります。
アク・カタとしては、大変、豪華で、なんと、24ページもあるのですが、どうにもこうにも、冗漫な内容で、真面目に見る気になりません。 開くといきなり、ソフト・クリームだけを写したページがあり、カタログ・デザイナーが、遊び過ぎているのが分かります。
もう、古い車のカタログ蒐集が、終わる頃になって、こんな事を書くのも間抜けですが、アクセサリー・カタログは、買っても、あまり、意味がありませんな。 自分の家にあった車に、アクセサリーを付けていた人なら別ですが、そうでない場合、見ていても、ちっとも面白くありません。
【ゆうパケットで、5代目カリーナ後期型サンフランシスコのカタログ】
2019年9月23日に、ヤフオクに、スタート価格490円で出たのを、競らずに落札し、送料無料、ゆうパケット(おてがる版)で、27日に届けられた、「5代目カリーナ後期型のカタログ・セット」。 出品者は、広島県の方でした。
≪写真上左≫
大型郵便受けを出しておいたら、その中に入れられていました。 ゆうパケットが、ゆうメールと、どう違うのか、未だに良く分かりません。 貼ってあるラベルは、パケットの方が、大仰です。 水色の封筒は、市販されているものだと思います。
≪写真上右≫
中は、厚紙の台紙と共に、ビニールに入れて、テープで、密封してありました。 何度も書いていますが、紙物が届けられた場合、開封時に、テープが本体に着かないように、細心の注意を払う必要があります。
≪写真下≫
中身。 左側の本カタログは、すでに、もっていたのですが、送料込みのセットだったので、取引を面倒にしない為に、そのまま送って貰いました。 表紙に折れがあるものの、中ページは綺麗で、総合的な程度は、すでにあるものと、どっこいくらい。 内容は、全く同じですが、発行年月が異なっていました。
欲しかったのは、右側の、「ザ・カリーナ・イン・サンフランシスコ」です。 これが、なかなか出なくて、一年くらい、待っていたのです。 1990年のマイナー・チェンジに当たって、山口智子さんと冨家規政さんが出るテレビCMを、サンフランシスコで撮った時のもの。 内容は、いずれ、紹介します。
【初代ファミリア800・4ドアのカタログ 1966年6月版】
2019年7月に、ヤフオクで買った、「初代ファミリア800・4ドアのカタログ 1966年6月版」です。 送料込みで、1810円もしました。 カタログ一冊に、1810円は、高いですが、なかなか出て来なくて、2年くらい待っていたので、競ってでも買った次第。
初代ファミリア800・4ドアは、父が初めて、自分で買った車。 私が、2歳くらいの時に買われて、幼稚園に上がるまでは、うちの車でしたが、私は、全く覚えていません。 当時の写真から、排気量は、800cc。 4ドアで、グレードは、デラックス。 色は、パロマ・ホワイトである事が分かるのみ。
デラックスで、色にパロマ・ホワイトの設定があるカタログがないのです。 このカタログは、色のバリエーション表が載っていない唯一のもので、「それならば、デラックスで、パロマ・ホワイトの設定があったのかも知れない」という判断で、これをドンピシャ版に決めたのです。 時期的にも、うちにあった車が、アルバムに登場し始めるのが、1967年の2月頃なので、合うには合います。
800・4ドアのカタログとしては、これが最終で、1967年に入り、1000が発売されて以降は、1000のカタログばかりになるようです。
≪写真1左≫
この表紙を、ヤフオクで、2年間、毎日、探していました。 出て来た時には、嬉しいと思う以前に、何だか、現実感がなかったです。 下の方に、汚れがあり、程度はあまり良くありませんが、何せ、なかなか出ないカタログなので、手に入っただけでも、幸運と思っています。
黄色い服の女性ですが、60年代なので、服のセンスは、大変、良いです。 今の感覚で見ても、おかしさよりも、カッコ良さの方を強く感じます。
≪写真1右≫
裏表紙。 諸元表を見ると、4ドア・デラックスで、全長、3765ミリ、全幅、1465ミリ。 今の軽自動車と比べると、全長は、40センチくらい長いですが、全幅は、1センチ狭いです。 セダンですから、恐らく、室内は、軽より狭かったでしょう。 それでも、5人乗り。
≪写真2≫
デラックスの、イメージ写真のページ。 典型的な、「これから、家族で、ドライブに・・・」という場面。 こういうのが、当時の庶民が憧れる生活風景だったわけだ。 1966年では、モルタル外壁の家は、最先端と言っていいほど、新しいタイプです。 当時はまだ、江戸時代から変わらないような、板壁の家がほとんどでした。 53年経っていますが、この写真のモデルになった人達は、今でも、ご健在なのでしょうか?
≪写真3≫
室内のページ。 前席は、ベンチ・シートでした。 シフト・レバーが、ハンドル・ポストについているから、左右の席を別けなくても良かったわけだ。 5人乗りですから、前の席には、2人しか乗れない計算になりますが、昔の事なので、子供を間に座らせる事もあったと思います。 ちなみに、当時は、乗車定員をオーバーしていても、バレなければいいという感じでした。
ヘッド・レストは、なし。 シート・ベルトは、オプションで、前席のみ。 窓ガラスの開閉は、手動式です。 まだ、三角窓がありますが、私は、三角窓の使い方を、全く知りません。 風を入れるのには、重宝したようです。
≪写真4≫
ダッシュ・ボード。 昔の車のダッシュ・ボードは、大変、簡単な作りでした。 装備は、ラジオ、灰皿、グローブ・ボックス。 ヒーターがあるようですが、まだ、エアコンの時代ではないです。 パーキング・ブレーキは、ダッシュ・ボード下についていて、引っ張ってかけるタイプ。 他車種も総じて、パーキング・ブレーキは、70年代に、センター・トンネル上に移動し、80年代には、また、ダッシュ・ボード下に戻って来ます。
私は、この車には、相当回数、乗っているはずですが、外見のみならず、ダッシュ・ボードの形も、一ヵ所たりとも覚えていませんでした。 一体、何を見ていたんでしょうねえ。 子供の考えている事は、分からない。
【5代目カリーナ ザ・カリーナ・イン・サンフランシスコ 1990年】
2019年の9月に、ヤフオクに、490円で出たのを、競らずに落札した、5代目カリーナ後期型のカタログ2冊セットの内、「ザ・カリーナ・イン・サンフランシスコ」の方。 もう一冊は、本カタログで、以前に紹介したものと同じなので、割愛。
「ザ・カリーナ・イン・サンフランシスコ」は、1990年のマイナー・チェンジの時に発行されたものですが、本カタログや、簡易カタログに比べて、出回っている数が、圧倒的に少なくて、こういうものが存在する事を知ってから、ヤフオクに出て来るまでに、1年くらい待ちました。
テレビCMを、サンフランシスコで撮影した関係で、本カタログの方にも、その時の写真が入れられたのですが、この冊子は、CM撮影の様子を取材して、構成されたもので、かなり、珍しい品です。 正確には、車のカタログではないです。
≪写真1左≫
表紙。 英語オンリー。 うーむ。 この、とことん明るくて、幸せがはち切れんばかりの雰囲気。 バブル景気の真っ盛りを、よく表しておりますなあ。
≪写真1右≫
レイアウトの都合で、ここへ持って来ましたが、最終ページです。 スタッフの名前が、英語とローマ字。 奇妙なところに拘っている。 ちなみに、この冊子、裏表紙に、「'90夏 アウトドア・グッズ プレゼント」と書いてあるので、1990年の夏頃である事は分りますが、発行年月は、書いてありません。 後期型の登場は、1990年5月なので、5月から、7月頃までの間に発行されたものだと推測されます。
≪写真2≫
山口智子さんと、冨家規政さんは、「結婚後、数年を経て、最近、お互いの魅力を再発見している夫婦」という設定。 更に穿って見れば、サンフランシスコに、旅行か仕事でやって来て、一時的に、相互依存度が高まり、新婚気分に戻ったようにも取れます。
≪写真3≫
各、見開き2ページで、山口さんと、冨家さんが語るページ。 簡単な経歴とか、人生観などについて、書かれています。 このお二人の起用は、どうやら、NHKの朝ドラ繋がりだったようです。 山口さんが、≪純ちゃんの応援歌≫に出ていたのは知っていましたが、冨家さんが、≪おしん≫でデビューした事は、これを読んで、初めて知りました。 何の役だったんですかね?
≪写真4≫
撮影裏話のページ。 結構、苦労した様子。 しかし、歳月が経ってしまっているので、あまり、興味が湧きません。 この頃のサンフランシスコが、一般的日本人にとって、憧れの街の一つであった事は確か。 今では、憧れるような外国の街というのは、なくなってしまいましたが・・・。
他に、CMソング、≪ドリーム・ウィズ・ユー≫を作った財津和夫さん(作曲・歌)と、松本隆さん(作詞)へのインタビューのページなどがあります。 曲は、明るくて、ゆったりしていて、幸せや夢を感じさせる、大変、いい曲です。
強いて粗を探すと、「Dream with you」は、命令形なので、訳すと、「あなたと共に夢を見ろ」という、誰に向かって言っているのか分からない、変な意味になります。 「Dream with me」にすれば、「私と共に夢を見ろ」で、意味が通るのですが。
言わんとしている事は、「あなたと共に夢を見たい」だと思うので、「I want to dream with you」なら正確ですが、長過ぎ。 「I wanna dream with you」にしても、まだ字余りで、歌詞に収まりません。
文法的に、おかしい事を承知の上で、「どうせ、一般の日本人には、分からないだろう」という考えで、単語を切り詰めたのかも知れません。 アメリカの恋愛映画、≪You've got Mail≫を、邦題では、≪You gat Mail≫と、完了形を、過去形に変えてしまったのと同類の所業なのでは?
今回は、ここまで。 【リーザとの縁】は、ちょっと毛色が違う記事ですが、ネットを始めた頃(2001年)から、「いつか、機会があったら、書こう」と思っていた事を、ようやく、書いた次第。 自動車メーカーに、「こんな車を作ってくれ」と、リクエストを送りつけるのは、結構いるようですが、私は、後にも先にも、一回だけで、それ以上は、拘りませんでした。
ちなみに、その頃には、車のデザインについて、一家言ありましたが、その後、日本車でも、目を背けたくなるようなひどいデザインが減り、押し並べて、教科書的に出来がよくなるに連れ、逆に興味が薄れてしまいました。 といって、懐かしいから、昔の醜いデザインが良いとは、決して思いません。
現行で売っている車で、「これは、いい」というか、「もし、お金を誰かが出してくれるなら、買ってもいい」と思うのは、ダイハツの2代目ミラ・イースだけです。 デザインだけで見るなら、同じダイハツの、タフトなどもいいと思いますが、SUVに興味はないです。
他のメーカーだと、マツダは、質感の高いデザインですが、ライン・ナップが、互いに似過ぎているのは、どうかと思います。 名前も記号だけになってしまって、覚え難いったらないし。 マツダ社内の誰かが自己満足しているんでしょうが、車を買う方は、独自名がついていた方が、愛着が湧くと思いますよ。
ホンダは、フリードは、いいと思います。 フィットは、2代目が最も好ましく、3代目は、カッコいいとは思うものの、フロント・ウインドウの傾斜がきつ過ぎて、合理性を欠いていたのが玉に瑕。 4代目は、冷水を浴びせかけられたような、つまらんデザインになってしまいました。 N-ONEの、初代と2代目の、区別がつかない。 路線踏襲というより、そのまんまなのであって、それなら、モデル・チェンジは不要だと思います。 部品が変わるだけ、長く乗ろうとする人には、迷惑。
日産は、ノートだけ。 大きい車のデザインは、さすがに、何世代も繰り返されて、飽きました。
三菱は、ミラージュは、サイズ的に好ましく、デザインも、無駄がなくて、いいと思います。 一方、ワンボックス車のフロント・デザインは、ひどい。 もっとも、それは、どのメーカーも、似たようなものですけど。
トヨタは、プロボックス/サクシードを除いて、全滅。 明らかに、デザインの路線を踏み外しており、グラフィックに頼り過ぎています。 フォルムがいい車まで、ゴテゴテのグラフィックを施して、台なしにしている有様。 フォルムとグラフィックの区別がついていないのだとしたら、しばらくは、この闇を抜けられますまい。
スズキは、ピンと来ないなあ。 アルトのモデル・チェンジはしないんですかね? いや、あまり、期待していませんけど。 広告チラシを見ると、アルトのような、普通の背丈の軽は、ほとんど無視されており、つまり、売れないんでしょう。 ダイハツが、ミラ・イースを売っている以上、対抗馬は必要だと思うんですが。
こうして、国内メーカー車の寸評をしていると、違和感が強烈というか、世の流れとのズレばかり感じられて、「車の時代は、過去に去ったなあ」と、つくづく、思いますねえ。
【リーザのカタログ&アク・カタ】
2019年の1月に、ヤフオクにて、100円で落札し、送料入れて、285円で手に入れた、リーザのデビュー版・本カタログと、アクセサリー・カタログ。
≪写真1左≫
本カタログの表紙。 1986年(昭和61年)11月発行。 車の発売開始は、12月らしいですが、印刷した日付を記してあるのでしょう。
≪写真1右≫
アクセサリー・カタログの表紙。 発行年月は、本カタログと同じ。 本カタログより、サイズが小さいです。 ヤフオクにセットで出て来る事が多いので、たぶん、本カタログに挟んで、配布されていた物と思われます。 名前は分かりませんが、出て来るイメージ・キャラの女性は、本カタと同じ人。
≪写真2≫
イメージ写真のページ。 ナンバーに、「NEW YORK」の文字あり。 わざわざ、 ニューヨークまで車を持って行って、撮影したんですな。 さすが、バブルへ向かう時期だけの事はある。 アメリカで、軽を走らせたら、小さ過ぎて、ナメられまくるでしょうけど。
≪写真3≫
室内のイメージ写真のページ。 ダッシュ・ボードのデザインは、かなり、洗練されています。 色も、暗過ぎず、明る過ぎずで、いい雰囲気です。 若い女性が、想定購買層であったにも拘らず、女性に媚びたところがないのも、好感が持てます。 惜しむらく、この車、3ドア・クーペでして、後席の使い勝手は、お世辞にも良くなかったと思います。
≪写真4≫
アクセサリー・カタログの方から、1ページ、出します。 80年代半ばだと、アクセサリーの種類は、まだ、少ないようです。
エアコン、パワー・ウインドウが、オプション。 電動ドア・ミラーも、オプションであったようですが、ミラー角度の調整ができるだけで、畳む事はできなかった模様。
エアロ・パーツもあったようですが、リーザに、スポイラーの類いは、似合いませんでした。 特に、リア・スポイラーは、せっかくの、ワン・ボックス・フォルムを、台なしにしてしまいます。
【リーザとの縁】
私は、リーザを所有していたわけではなく、運転した事もなければ、乗せてもらった事もありません。 なのに、なぜ、カタログを買ったのかというと、それには、ちょっとした、わけがあります。
≪写真上≫
とりあえず、本カタログのイメージ写真から、側面のフォルムが分かるものを出しておきます。
≪写真中≫
その上で、この絵ですが、私が、ひきこもり時代の、1983・4年頃に描いたものです。 当時、車のデザインだけに興味があり、こんな絵ばかり描いていました。 絵が、はっきりしないのは、線を消して何度でも直せるように、トレーシング・ペーパーに描いていたからです。
で、ある時、この絵を、白い紙に描き写し、無謀にも、車雑誌の総合カタログに出ていた、ダイハツの住所に送ったのです。 「開発を担当している部署に」とか何とか、宛名に書き添えて。 「こんな車を作って下さい」という要望ですな。
その後、私は、ひきこもりを脱して、1986年の4月から、植木屋見習いとして働き始め、死ぬほど疲れる日々を送り始めたのですが、その年の12月に、リーザが発売されたわけです。
よく似ているので、驚いたといえば驚いたのですが、私自身が、当時のデザイン・トレンドに則って描いていたので、私が送った絵と、リーザが、何の関係もない可能性も、もちろん、高いです。
とにかく、自分が欲しいと思っていた車に近いものが出て来たわけですから、それだけでも喜ぶべきなのですが、何せ、仕事がきつくて、車への興味など、どうでもよくなっており、嬉しいという感じはしませんでした。
嬉しくなかった、もう一つの理由は、リーザが登場する一年以上前の、1985年9月に、ホンダ・トゥデイが発売され、ワン・ボックス・フォルムの先鞭をつけられていたからです。 トゥデイが出て来た時には、自分が考えていたワン・ボックス・フォルムよりも、遥かに洗練されていたので、衝撃を受けました。 敗北感に打ちのめされたのです。
そして、1986年9月、母が最初の車を買う時に、トゥデイを薦め、その後、18年間も家で使う事になるのです。 もし、その時点で、リーザが出ていたとしても、トゥデイを薦めたと思います。 徳大寺有恒さんは、≪間違いだらけのクルマ選び≫で、トゥデイと共に、リーザのデザインも誉めていましたけど、私の目から見ると、リーザは、トゥデイに、とても敵わないと思えました。
≪写真下≫
ちなみに、トゥデイの本カタログに出ている、イメージ・スケッチが、これ。 こちらの方が、私の絵に、より似ていますが、残念な事に、ホンダには、何も送っていません。 だから、私の絵は、当時のデザイン・トレンドに乗っかっていたに過ぎないと思うのです。
【初代トゥデイのカタログとアク・カタ 1985年9月デビュー版】
2019年の1月末から2月初めにかけて、ヤフオクで手に入れた、「初代トゥデイのカタログとアクセサリー・カタログ 1985年9月デビュー版」です。 スタート価格1000円だったのを、競った末に、1600円で落札し、送料500円を足して、2100円で買いました。
このカタログ、なかなか、良いのが出てこなくて、チェックし始めてから、1年半くらい、待っていました。 2冊セットとはいえ、80年代半ばの物で、1600円は、少々、高いのですが、この機会を逃したら、次はいつ出て来るか分からないので、思い切って買った次第。
初代トゥデイに関しては、大判カタログを紹介した時に、詳しく書いたので、今回は、さらっと書きます。
≪写真1左≫
表紙です。 シンプル。 初代トゥデイ前期型・丸灯は、車もセンスが良いですが、カタログも、他とは違う雰囲気があります。 普通のカタログは、右開きですが、これは、左開きです。 「ニュー・スモール」が、キャッチ・コピー。 コピーは、お世辞にも、センスが良いとは言えません。
≪写真1右≫
アクセサリー・カタログの表紙。 ポップですな。 ちなみに、ポップなグラフィック・デザインというのは、70年代には、すでに存在していました。 少しずつ、車のカタログにも入って来るようになりますが、主流にはなりませんでした。
≪写真2≫
テレビCMや、大判カタログに出ていた今井美樹さんが、本カタログにも姿を見せています。 しかし、今井さんの写真は、裏表紙の、「CM高原編」からのスチールを入れても、3枚しかありません。 他のページは、車のイメージ写真を右上、説明文を左と下にレイアウトした、雑誌ページ風の作りになっています。
≪写真3≫
内装のページ。 これは、茶系統ですな。 うちにあったトゥデイは、灰色系統でした。 シートは、ファブリック地で、多少、モケモケした感じでした。 初代トゥデイは、前期型も後期型も、軽貨物型(ボン・バン)オンリーで、後席は狭かったです。 大人2人、小さい子供2人か、女性だけならば、前席を前にずらせば、後席足下に、ゆとりが出来て、大人4人乗れました。
≪写真4≫
アクセサリー・カタログの方の、中ページ。 アクセサリーの方は、そんなに種類が多いわけではないです。 アルミ・ホイールとか、シート・カバーとか、サイド・ストライプとか、ルーフ・キャリアとか。 バッグのような、車のアクセサリーに入れるべきでないような品もあります。
アク・カタとしては、大変、豪華で、なんと、24ページもあるのですが、どうにもこうにも、冗漫な内容で、真面目に見る気になりません。 開くといきなり、ソフト・クリームだけを写したページがあり、カタログ・デザイナーが、遊び過ぎているのが分かります。
もう、古い車のカタログ蒐集が、終わる頃になって、こんな事を書くのも間抜けですが、アクセサリー・カタログは、買っても、あまり、意味がありませんな。 自分の家にあった車に、アクセサリーを付けていた人なら別ですが、そうでない場合、見ていても、ちっとも面白くありません。
【ゆうパケットで、5代目カリーナ後期型サンフランシスコのカタログ】
2019年9月23日に、ヤフオクに、スタート価格490円で出たのを、競らずに落札し、送料無料、ゆうパケット(おてがる版)で、27日に届けられた、「5代目カリーナ後期型のカタログ・セット」。 出品者は、広島県の方でした。
≪写真上左≫
大型郵便受けを出しておいたら、その中に入れられていました。 ゆうパケットが、ゆうメールと、どう違うのか、未だに良く分かりません。 貼ってあるラベルは、パケットの方が、大仰です。 水色の封筒は、市販されているものだと思います。
≪写真上右≫
中は、厚紙の台紙と共に、ビニールに入れて、テープで、密封してありました。 何度も書いていますが、紙物が届けられた場合、開封時に、テープが本体に着かないように、細心の注意を払う必要があります。
≪写真下≫
中身。 左側の本カタログは、すでに、もっていたのですが、送料込みのセットだったので、取引を面倒にしない為に、そのまま送って貰いました。 表紙に折れがあるものの、中ページは綺麗で、総合的な程度は、すでにあるものと、どっこいくらい。 内容は、全く同じですが、発行年月が異なっていました。
欲しかったのは、右側の、「ザ・カリーナ・イン・サンフランシスコ」です。 これが、なかなか出なくて、一年くらい、待っていたのです。 1990年のマイナー・チェンジに当たって、山口智子さんと冨家規政さんが出るテレビCMを、サンフランシスコで撮った時のもの。 内容は、いずれ、紹介します。
【初代ファミリア800・4ドアのカタログ 1966年6月版】
2019年7月に、ヤフオクで買った、「初代ファミリア800・4ドアのカタログ 1966年6月版」です。 送料込みで、1810円もしました。 カタログ一冊に、1810円は、高いですが、なかなか出て来なくて、2年くらい待っていたので、競ってでも買った次第。
初代ファミリア800・4ドアは、父が初めて、自分で買った車。 私が、2歳くらいの時に買われて、幼稚園に上がるまでは、うちの車でしたが、私は、全く覚えていません。 当時の写真から、排気量は、800cc。 4ドアで、グレードは、デラックス。 色は、パロマ・ホワイトである事が分かるのみ。
デラックスで、色にパロマ・ホワイトの設定があるカタログがないのです。 このカタログは、色のバリエーション表が載っていない唯一のもので、「それならば、デラックスで、パロマ・ホワイトの設定があったのかも知れない」という判断で、これをドンピシャ版に決めたのです。 時期的にも、うちにあった車が、アルバムに登場し始めるのが、1967年の2月頃なので、合うには合います。
800・4ドアのカタログとしては、これが最終で、1967年に入り、1000が発売されて以降は、1000のカタログばかりになるようです。
≪写真1左≫
この表紙を、ヤフオクで、2年間、毎日、探していました。 出て来た時には、嬉しいと思う以前に、何だか、現実感がなかったです。 下の方に、汚れがあり、程度はあまり良くありませんが、何せ、なかなか出ないカタログなので、手に入っただけでも、幸運と思っています。
黄色い服の女性ですが、60年代なので、服のセンスは、大変、良いです。 今の感覚で見ても、おかしさよりも、カッコ良さの方を強く感じます。
≪写真1右≫
裏表紙。 諸元表を見ると、4ドア・デラックスで、全長、3765ミリ、全幅、1465ミリ。 今の軽自動車と比べると、全長は、40センチくらい長いですが、全幅は、1センチ狭いです。 セダンですから、恐らく、室内は、軽より狭かったでしょう。 それでも、5人乗り。
≪写真2≫
デラックスの、イメージ写真のページ。 典型的な、「これから、家族で、ドライブに・・・」という場面。 こういうのが、当時の庶民が憧れる生活風景だったわけだ。 1966年では、モルタル外壁の家は、最先端と言っていいほど、新しいタイプです。 当時はまだ、江戸時代から変わらないような、板壁の家がほとんどでした。 53年経っていますが、この写真のモデルになった人達は、今でも、ご健在なのでしょうか?
≪写真3≫
室内のページ。 前席は、ベンチ・シートでした。 シフト・レバーが、ハンドル・ポストについているから、左右の席を別けなくても良かったわけだ。 5人乗りですから、前の席には、2人しか乗れない計算になりますが、昔の事なので、子供を間に座らせる事もあったと思います。 ちなみに、当時は、乗車定員をオーバーしていても、バレなければいいという感じでした。
ヘッド・レストは、なし。 シート・ベルトは、オプションで、前席のみ。 窓ガラスの開閉は、手動式です。 まだ、三角窓がありますが、私は、三角窓の使い方を、全く知りません。 風を入れるのには、重宝したようです。
≪写真4≫
ダッシュ・ボード。 昔の車のダッシュ・ボードは、大変、簡単な作りでした。 装備は、ラジオ、灰皿、グローブ・ボックス。 ヒーターがあるようですが、まだ、エアコンの時代ではないです。 パーキング・ブレーキは、ダッシュ・ボード下についていて、引っ張ってかけるタイプ。 他車種も総じて、パーキング・ブレーキは、70年代に、センター・トンネル上に移動し、80年代には、また、ダッシュ・ボード下に戻って来ます。
私は、この車には、相当回数、乗っているはずですが、外見のみならず、ダッシュ・ボードの形も、一ヵ所たりとも覚えていませんでした。 一体、何を見ていたんでしょうねえ。 子供の考えている事は、分からない。
【5代目カリーナ ザ・カリーナ・イン・サンフランシスコ 1990年】
2019年の9月に、ヤフオクに、490円で出たのを、競らずに落札した、5代目カリーナ後期型のカタログ2冊セットの内、「ザ・カリーナ・イン・サンフランシスコ」の方。 もう一冊は、本カタログで、以前に紹介したものと同じなので、割愛。
「ザ・カリーナ・イン・サンフランシスコ」は、1990年のマイナー・チェンジの時に発行されたものですが、本カタログや、簡易カタログに比べて、出回っている数が、圧倒的に少なくて、こういうものが存在する事を知ってから、ヤフオクに出て来るまでに、1年くらい待ちました。
テレビCMを、サンフランシスコで撮影した関係で、本カタログの方にも、その時の写真が入れられたのですが、この冊子は、CM撮影の様子を取材して、構成されたもので、かなり、珍しい品です。 正確には、車のカタログではないです。
≪写真1左≫
表紙。 英語オンリー。 うーむ。 この、とことん明るくて、幸せがはち切れんばかりの雰囲気。 バブル景気の真っ盛りを、よく表しておりますなあ。
≪写真1右≫
レイアウトの都合で、ここへ持って来ましたが、最終ページです。 スタッフの名前が、英語とローマ字。 奇妙なところに拘っている。 ちなみに、この冊子、裏表紙に、「'90夏 アウトドア・グッズ プレゼント」と書いてあるので、1990年の夏頃である事は分りますが、発行年月は、書いてありません。 後期型の登場は、1990年5月なので、5月から、7月頃までの間に発行されたものだと推測されます。
≪写真2≫
山口智子さんと、冨家規政さんは、「結婚後、数年を経て、最近、お互いの魅力を再発見している夫婦」という設定。 更に穿って見れば、サンフランシスコに、旅行か仕事でやって来て、一時的に、相互依存度が高まり、新婚気分に戻ったようにも取れます。
≪写真3≫
各、見開き2ページで、山口さんと、冨家さんが語るページ。 簡単な経歴とか、人生観などについて、書かれています。 このお二人の起用は、どうやら、NHKの朝ドラ繋がりだったようです。 山口さんが、≪純ちゃんの応援歌≫に出ていたのは知っていましたが、冨家さんが、≪おしん≫でデビューした事は、これを読んで、初めて知りました。 何の役だったんですかね?
≪写真4≫
撮影裏話のページ。 結構、苦労した様子。 しかし、歳月が経ってしまっているので、あまり、興味が湧きません。 この頃のサンフランシスコが、一般的日本人にとって、憧れの街の一つであった事は確か。 今では、憧れるような外国の街というのは、なくなってしまいましたが・・・。
他に、CMソング、≪ドリーム・ウィズ・ユー≫を作った財津和夫さん(作曲・歌)と、松本隆さん(作詞)へのインタビューのページなどがあります。 曲は、明るくて、ゆったりしていて、幸せや夢を感じさせる、大変、いい曲です。
強いて粗を探すと、「Dream with you」は、命令形なので、訳すと、「あなたと共に夢を見ろ」という、誰に向かって言っているのか分からない、変な意味になります。 「Dream with me」にすれば、「私と共に夢を見ろ」で、意味が通るのですが。
言わんとしている事は、「あなたと共に夢を見たい」だと思うので、「I want to dream with you」なら正確ですが、長過ぎ。 「I wanna dream with you」にしても、まだ字余りで、歌詞に収まりません。
文法的に、おかしい事を承知の上で、「どうせ、一般の日本人には、分からないだろう」という考えで、単語を切り詰めたのかも知れません。 アメリカの恋愛映画、≪You've got Mail≫を、邦題では、≪You gat Mail≫と、完了形を、過去形に変えてしまったのと同類の所業なのでは?
今回は、ここまで。 【リーザとの縁】は、ちょっと毛色が違う記事ですが、ネットを始めた頃(2001年)から、「いつか、機会があったら、書こう」と思っていた事を、ようやく、書いた次第。 自動車メーカーに、「こんな車を作ってくれ」と、リクエストを送りつけるのは、結構いるようですが、私は、後にも先にも、一回だけで、それ以上は、拘りませんでした。
ちなみに、その頃には、車のデザインについて、一家言ありましたが、その後、日本車でも、目を背けたくなるようなひどいデザインが減り、押し並べて、教科書的に出来がよくなるに連れ、逆に興味が薄れてしまいました。 といって、懐かしいから、昔の醜いデザインが良いとは、決して思いません。
現行で売っている車で、「これは、いい」というか、「もし、お金を誰かが出してくれるなら、買ってもいい」と思うのは、ダイハツの2代目ミラ・イースだけです。 デザインだけで見るなら、同じダイハツの、タフトなどもいいと思いますが、SUVに興味はないです。
他のメーカーだと、マツダは、質感の高いデザインですが、ライン・ナップが、互いに似過ぎているのは、どうかと思います。 名前も記号だけになってしまって、覚え難いったらないし。 マツダ社内の誰かが自己満足しているんでしょうが、車を買う方は、独自名がついていた方が、愛着が湧くと思いますよ。
ホンダは、フリードは、いいと思います。 フィットは、2代目が最も好ましく、3代目は、カッコいいとは思うものの、フロント・ウインドウの傾斜がきつ過ぎて、合理性を欠いていたのが玉に瑕。 4代目は、冷水を浴びせかけられたような、つまらんデザインになってしまいました。 N-ONEの、初代と2代目の、区別がつかない。 路線踏襲というより、そのまんまなのであって、それなら、モデル・チェンジは不要だと思います。 部品が変わるだけ、長く乗ろうとする人には、迷惑。
日産は、ノートだけ。 大きい車のデザインは、さすがに、何世代も繰り返されて、飽きました。
三菱は、ミラージュは、サイズ的に好ましく、デザインも、無駄がなくて、いいと思います。 一方、ワンボックス車のフロント・デザインは、ひどい。 もっとも、それは、どのメーカーも、似たようなものですけど。
トヨタは、プロボックス/サクシードを除いて、全滅。 明らかに、デザインの路線を踏み外しており、グラフィックに頼り過ぎています。 フォルムがいい車まで、ゴテゴテのグラフィックを施して、台なしにしている有様。 フォルムとグラフィックの区別がついていないのだとしたら、しばらくは、この闇を抜けられますまい。
スズキは、ピンと来ないなあ。 アルトのモデル・チェンジはしないんですかね? いや、あまり、期待していませんけど。 広告チラシを見ると、アルトのような、普通の背丈の軽は、ほとんど無視されており、つまり、売れないんでしょう。 ダイハツが、ミラ・イースを売っている以上、対抗馬は必要だと思うんですが。
こうして、国内メーカー車の寸評をしていると、違和感が強烈というか、世の流れとのズレばかり感じられて、「車の時代は、過去に去ったなあ」と、つくづく、思いますねえ。
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