2021/03/14

EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑫

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録。 今回は、12回目です。 今回は、組み写真が、5枚と、少ないです。 行った先で撮った写真が、少なかったわけですな。





【伊豆長岡・長瀬ダム】

  2020年8月13日に、バイクで出かけ、伊豆長岡の、長瀬という地区の、山の中にあるダム湖へ行って来ました。

≪写真1≫
  伊豆長岡から、三津に抜ける道の途中から、長瀬地区に入って行き、長瀬川を辿るようにして、15分くらい走ったら、着きました。 地図には名前が書いてなくて、この近くまで来て、案内標識に、「長瀬ダム」とあるのを見て、ダムだと知った次第。

  写真の右側に、堤体があるのですが、何か、作業をやっていて、そちらへ行く事はできませんでした。 そもそも、立入禁止のようです。

≪写真2左≫
  ダム湖の中央に浮いている設備。 何の設備なのかは、不詳。 この二枚の写真でも分かる通り、ささやかなダムです。 しかし、砂防堰堤などよりは、ずっと大きいです。

≪写真2右≫
  ダム湖の道路脇にあった、小さな建物。 見事な三角屋根です。 何の為の建物なのかは、不詳。

≪写真3≫
  ダムを過ぎて、更に、山の上へ進みました。 5分くらい走ると、傾斜がきつくなり、ローでしか上がれなくなってしまったので、その辺で、やめておきました。 道は、もっと上まで続いていますが、4駆の軽トラくらいしか上がっていけないのでは? この山の尾根を超えると、その向こうに、益山寺があるようですが、車・バイクでは行けないと思います。

≪写真4左≫
  少し戻って、平らな所にバイクを停め、歩いてみました。 急峻な渓谷。 杉・檜の人工林を手入れする為の、地図に載っていない林道が、かなり、あるようです。

≪写真4右≫
  一服中の、「EN125-2A・鋭爽」と、ミラーに掛けた、猛暑期用ヘルメット、「ネオ・ライダースMA03」。 このメットを被って行ったのは、ここが最初です。 シルバーのヘルメットは、日射し対策として、所期の効果をあげ、全くと言っていいほど、熱さを感じませんでした。 やはり、色は大事だな。




【愛鷹明神中宮】

  2020年8月19日に、バイクで出かけ、愛鷹山の裾野にある、「愛鷹明神中宮」へ行って来ました。 以前来た三神社より、更に北側にあります。

≪写真1≫
  地図を見て、曲がる所を頭に入れて行ったんですが、ロストして、遥か上の方まで登ってしまいました。 2014年の秋に、セロー225WEで、新東名のサービス・エリア、「ネオパーサ駿河湾沼津」に行こうとして、やはり、ロストして、この場所に来た事があります。 茶畑の中を登る道が、一旦終わっている所。 まだ、細い道があるけれど、これ以上、上に行っても仕方がないと思える所。 二回とも、間違えて来たので、別に、懐かしくはないです。

  写真は、そこから、見下ろした下界方向です。 遥か彼方に見えるのは、沼津市街地、駿河湾、伊豆の北西部の山並み。

  茶畑の道路沿いに、石を組んで、枯山水が作ってありました。 燈篭が載っていたので、ただの石置き場ではなく、庭である事が分かった次第。

≪写真2≫
  道を引き返し、地図で見つけた位置と思しき付近を走りながら、目視で探したら、参道らしき桜並木を発見。 大回りして近づいて行ったら、目的地の、「愛鷹明神中宮」でした。 駐車場があり、3・4台は停められそうでした。

  この桜並木、咲いている頃に来れば、壮観でしょうな。 周囲が茶畑だから、よく映えると思います。

≪写真3≫
  名前は、由緒正しそうなんですが、社殿は、石製の祠でした。 燈篭が、立派過ぎ。

≪写真4≫
  祠から見下ろした景色。 神様も眺めが良さそうだ。 しかし、神というのは、別に、神社に住んでいるわけではないんですよ。

≪写真5左≫
  参道脇に、漱盤、あり。 しかし、蛇口が見当たりません。 雨水頼りでしょうか。 それでは、漱いだ感じがしませんが。

≪写真5右≫
  EN125-2A・鋭爽のエンジン。 基本的には、1982年に発売された、GN125Eや、GS125E(小刀)に載っていたエンジンと同じ物だと思います。 外見に、若干の違いがあるところを見ると、その後、改良を受けたのでしょう。 設計が、38年前というと古そうですが、レシプロ・エンジンというのは、20世紀中頃には、技術的に完成していたそうで、改良の余地は僅かしかないので、新設計する意味が薄い。 だから、そのくらい経っていても、特に古いという事はないです。 長く使われているという事は、それだけ、実績がある証明です。

  そろそろ、うちに来てから、1年が経ちますが、ピカピカです。 セローのエンジンは、油染みがついて、茶色くなっていましたが、同じ空冷でも、こうも違うものか。 セローのエンジンよりも、こちらのエンジンの方が、オイルが滲み出す隙間が少ないのか、はたまた、通勤に使っていたセローと比べて、距離を乗らないから、汚れがつかないだけなのか。 いずれにせよ、エンジンは、綺麗な方が、気持ちがいいものですな。




【伊豆長岡・白石の石棺】

  2020年8月29日に、バイクで、伊豆・長岡へ行って来ました。

≪写真1≫
  第一目的地は、かつての、「伊豆・洋らんパーク」。 長岡から、狩野川の土手伝いに、大仁に向かって行くと、左手にあります。 高架道路が出来ていて、前回来た時とは、一帯の景色が、様変わりしていました。

  だいぶ前に、洋らんパークはやめてしまったのですが、今でも、飲食施設があります。 立ち寄る気はなかったので、道路から、写真だけ撮りました。 「伊豆・村の駅」という看板が見えます。 建物は、洋らんパークの頃と同じなのかもしれません。

  洋らんパークには、1988年か、89年頃に、母の車、初代トゥデイで、母と二人で来た事があります。 私が、24・5歳の頃。 洋蘭は、全く覚えていないのですが、パイナップルが地面から生えて、実がなっているのを、ここで、初めて見たのが、記憶に残っているのです。 当時、私は、ファミ・レスで、コックのバイトをしており、パイナップルも切っていました。 その関係で、1988年か89年だろうという、推測が成り立つ次第。

  しかし、記憶は当てにならないので、もしかしたら、ズレがあるかも知れません。 30年も前の事だものなあ。 その頃はまだ、日記を付けていなかったから、確認のしようがないです。

≪写真2≫
  同じ場所から見た、大仁のランド・マーク、「城山(じょうやま)」。 この角度では見えませんが、もう少し南から見ると、大きな岩山である事がわかります。 ロック・クライミングの聖地の一つ。 私は、2013年の春に、普通の登山道で、登った事があります。 いい眺めでした。

≪写真3≫
  長岡市街に戻り、「長岡リハビリテーション病院」の近くにある、第二目的地、「白石の石棺」へ。 山へ、ほんの少し上がった所に、古墳時代の石棺が置いてあります。 元は、別の場所にあったのを、ホテルを造る時に、ここへ移したとの事。 屋根付き。 蓋が一部欠けていて、中身は空っぽです。

  こういう棺を見ると、いつも思うのですが、中身の骨は、どこへ行ってしまったんでしょうねえ。 暴かれて、他の場所へ埋め直されるくらいなら、最初から、こんな立派な棺なんて、造らなければ良かったと思ったでしょうねえ。 髑髏に心があるのなら。

≪写真4≫
  石棺の前から見た、長岡の温泉街。 左手の山は、長岡市街を、「古奈温泉」と、「長岡温泉」に分けている、源氏山です。 ここは、長岡温泉側です。 古奈(こな)の方が、古くからあり、長岡は、近代に開けた温泉場。 ちなみに、石棺があるのは、大男山から張り出した尾根の山麓で、源氏山とは、別です。

≪写真5≫
  主の帰りを待つ、EN125-2A・鋭爽。 駐車場がなくて、やむなく、山へ上がる途中の道に置きました。 写真で分かるように、車では、とても無理です。 バイクでも、方向転換ができないので、跨って、ブレーキをかけながら、足でバックし、道路に下ろしました。 ちなみに、横に見える、自転車小屋がある場所は、個人のお宅です。

  道路を挟んだ反対側に、長岡リハビリテーション病院の駐車場があるのですが、ナンバーを打ってあり、来客用ではなく、職員用である様子。 後で、注意されたり、罰金を取られたりするのも嫌なので、そちらには停めませんでした。

  山へ上がるといっても、ここから石棺まで、高さにして、5メートルくらい、距離にして、30メートルくらいですかね。 写真を撮るだけなら、5分で戻って来れます。




【三島・澤地・駒形神社】

  2020年9月4日に、バイクで、三島の澤地地区に行って来ました。

≪写真1≫
  第一目的地の、「駒形神社」。 参道、石段、鳥居、社殿のラインを正面から見た景色。 社殿の屋根辺りに露出が合っているせいで、手前は、飛んでいます。

  澤地地区は、かつて、小田原藩領だったそうで、箱根神社に、年貢米を収めていたので、関所も、手形なしで通れたらしいです。

≪写真2左≫
  神社前の家で、塀から咲き零れていた、凌霄花(ノウゼンカヅラ)の花。 洋風な花ですが、これが、愛染葛(アイゼンカヅラ)で有名な、ノウゼンカヅラだったんですな。 花の少ない夏の時期に、よく目につきます。

  分かり難いですが、家の入り口の方に、猫がいて、私が撮影している間中、変な声を出して、こちらを威嚇していました。 猫も、家の番をするらしい。

≪写真2右≫
  神社に戻って。 鳥居の手前横に、池があり、金網で覆われていました。 中の植物を守る為だと思います。 植物は、葉っぱしかありませんでしたが、恐らく、河骨(コウホネ)。

≪写真3左≫
  参道を横切るように、溝があり、その上に、石橋が架かっていました。 俗界と神域の境ですな。 この石橋を架ける為に、わざわざ、溝を造ったのかも知れません。 神社によっては、溝も川もなしで、石橋だけ置いてあるところもあります。

≪写真3右≫
  拝殿横の、流し。 これは、さすがに、漱盤とは言えませんな。 完全に、作業用の流しと蛇口でしょう。

≪写真4左≫
  境内が狭くて、拝殿と本殿を一枚で収められませんでした。 これは、拝殿の横壁と、本殿です。 村社クラスとしては、立派。

≪写真4右≫
  こちらは、拝殿の正面。 横に長く、間口が広い建物です。 雰囲気的に、神事だけでなく、人寄せにも使われていたような造りです。

≪写真5≫
  境内から、一段低い所の隅に停めた、EN125-2A・鋭爽。 車も停められない事はないですが、わざわざ、車で出かけて行くほど、特別な見ものがある神社ではないです。

  ヘルメットは、猛暑期用のシルバーです。 バイクを離れる時間が、5分以上になると判断した時には、メットはバイクに残し、帽子を被って歩きます。 もちろん、マスクはしています。 私がいる間、他に誰も来ませんでしたけど。




【三島・澤地・龍澤寺】

  駒形神社から、山裾の道を、西の方へ走って行ったら、第二目的地の、「龍澤寺」に着きました。 迷いようがない道でした。

≪写真1左≫
  入口から、本堂がある境内を望んだ景色。 大きな寺でした。

≪写真1右≫
  西へ向かう道がありました。 この道は、歩行者・自転車用のようです。 車は、東の方から、入れます。

≪写真2≫
  寺が大きい割には、墓地が少なくて、一番多かったのが、ここですが、そんなに歴史があるように見えません。 ここの墓石は、球形のものばかりで、この場所全体が、デザインされているように見受けられました。 高い所にある仏像の下には、「合同船」と彫ってあります。 意味、不詳。

≪写真3左≫
  墓地から、山の中へ上がっていく道があったので、そちらへ。 暗い森の中に、納骨堂風の建物がありました。 人が入れる大きさです。 なんだか、江戸川乱歩さんの作品に出て来そうですな。 墓地が怖くて、お寺には近づかないという人もいますが、私は、平気な方です。 死んだ人は、生きている人間に比べたら、ちっとも怖くありません。

≪写真3中≫
  建物の近くにあった、石碑。 「化雷塔」、もしくは、「北雷塔」とあります。 どちらにしろ、意味、不詳。

≪写真3右≫
  山の中を、東へ向かう道。 人が滅多に来ないようで、道の上に、苔が生えていて、踏まれた形跡がありません。 そのまま進むと、本堂の下に出ました。

≪写真4左≫
  本堂の入り口とは、別の場所にある、石段の入り口。 表札に、「龍澤寺専門道場」とありました。 修行僧がいる寺なのかも知れません。  

≪写真4右≫
  駐車場と思われる場所に置いた、EN125-2A・鋭爽。 神社仏閣巡りには、スポーツ・バイクや、スポーツ・カーが、良く似合います。 イメージに落差があるからでしょうな。

≪写真5≫
  ここが、龍澤寺の最大の見所。 高い石垣の上に、瓦屋根を載せた白壁。 城かと思いました。 隣の自治体なのに、こんな寺があったとは、ついぞ、知りませんでした。 世界は、狭いようで、広い。




  今回は、ここまで。

  去年(2020年)の年末頃から、バイクのハンドリングが不安定になり始めました。 交差点のような、小さなRで曲がる時に、ふらつくのです。 ステム・ベアリングが疑わしいと思われたのですが、前回交換してから、1年ちょっとしか経っておらず、ヘタるのが早過ぎる。

  で、駄目元で、それまで、サイド・スタンド立てにしていたのを、センター・スタンド立てに変えて、ステム・ベアリングへの負担を減らしたら、なんと、直りました。 こんな事もあるんですねえ。 今は、また、問題なく、乗っています。 この件については、いずれ、≪EN125-2A補修≫シリーズで、書きます。