EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑮
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、15回目です。 今回は、全て、2020年の11月に出かけた所です。
【足高廃神社①】
2020年11月4日に、バイクで、愛鷹山麓の足高地区にある、神社へ行って来ました。 明らかに山の中ですが、地図で神社マークを見つけたので、どんな所かと思って。
≪写真1≫
沼津市立病院の前の道を、ずーっと北へ上がって行くと、新東名を跨いだ、更に上に、「ナントー」という会社があり、道が突き当たりになっています。 そこを右に曲がって、道なりに進むと、この場所に出ます。 左側には、ゴルフ場があり、右側は、そのゴルフ場と関係があるらしい別荘地になっています。
別荘地と言っても、本宅として住んでいる人が多そうな雰囲気。 かなりの山奥ですが、車があれば、最寄のスーパーまで、20分くらいで行けるんじゃないでしょうか。 問題は、車に乗れない年齢になってからですな。
≪写真2≫
別荘地の西側を通り、更に北へ向かいます。 杉・檜の人工林。 人工林には、人工の美があるものだな。
≪写真3≫
右カーブがある所で、停車。 山芋掘りを禁止してあるという事は、山芋が採れるわけですな。 私は、全然、興味がありませんが。 この先は、登り坂になり、更に上に、別荘地があります。 去年、「休場遺跡」に来た時に、ロストして、上がって行った経験あり。
カーブの路肩にバイクを停めたりして、通行の邪魔になるかと思ったのですが、ここにいる間、一台の車も通りませんでした。
≪写真4≫
これが、カーブ手前の道路脇にあった、目的地の神社。 壊れた鳥居が立っていました。 奥に、社殿があるのかと思って探しましたが、周囲は笹薮で、どこにも、繋がっている道がありませんでした。 かつては、右側の空間に、社殿があったんでしょうか。 基礎の痕跡すら、見分けられませんでした。
【足高廃神社②】
≪写真1≫
鳥居の南側に、道路から上がる石段のようなものがありました。 という事は、石段から上がって、鳥居を潜り、社殿に至るとすれば、やはり、鳥居の北側の空間に社殿があったんでしょう。
朽ちるに任せてあるという事は、別荘地の人達は、祀る気はないようですな。 元からの住民がいない、寄せ集め集落では、無理もないか。 そもそもは、誰が祀ったんでしょう? 祭神も分からないし。 ちなみに、山にあるからといって、山神社とは限りません。
≪写真2≫
近いので、休場遺跡(やすみばいせき)にも、寄ってみました。 11ヵ月ぶりですが、別段、変化なし。 もう、一年近く経ったというのが、感覚的にピンと来ません。
≪写真3≫
休場遺跡の前から、北西を見た景色。 気持ちの良い晴れです。 下の方は、茶畑ですが、放棄されたのか、伸び放題になっています。 茶の木も、結構、背が高くなるようです。
≪写真4≫
道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 休場遺跡から先は、北へ行くにも、東へ行くにも、道路が砕石舗装になるので、それ以上、進みませんでした。 バイクにキズをつけてまで、行ってみようとは思いません。 この後、真っ直ぐ、南へ下り、旧東海道まで出て、帰りました。
【井出丸山古墳①】
2020年11月10日に、バイクで、沼津市の西の方、井出地区にある、「井出丸山古墳」へ行って来ました。 愛鷹山の麓です。 根方街道を西進し、西井出の信号交差点直前の道を北東方向に曲がり、住宅地を抜ける急坂を登って、「八幡口跨線橋」で、新幹線の上を跨ぎ、道なりに進んだら、そこで、ロストしました。 家にあった地図が古くて、新しくできた道路が載っていなかったのが原因。
≪写真1≫
とりあえず、バイクは、車が来ない道に停めました。 以前は、この道が、東名を跨ぐ、「丸山橋」に繋がっていたのかもしれませんが、今は、もっと広い道路が出来ていて、この道は、農地の中を通るだけになっています。
ここにバイクを停めて、15分くらい、離れていましたが、予想通り、誰も来なかったようで、無事でした。 人がいないというのは、最も安心できる防犯要素ですな。
≪写真2≫
問題は、この場所です。 左右に通っているのが、地図に載っていない、新しく出来た道路。 右の方のカーブ・ミラーが立っている道を上がっていくと、バイクを停めた場所を通過した後、また、左右に通っている道路に合流するだけです。 左の方の、コンクリート・ブロック垣の所にも、道があり、草が両脇から生い茂って、バイクや車では入る気になれませんが、ここが、怪しいのではないかと見当をつけました。 というか、ここしか、どこかへ繋がっていそうな道がなかったので、徒歩で、ここへ入って行きました。
≪写真3≫
途中、東名のガードがありました。 古墳の位置は、東名の北側ではない事が分かっているので、ここは、潜りません。
≪写真4≫
竹藪の中の、こんな道を進んで行きます。 写真は、明るく写っていますが、実際には、もっと薄暗くて、気味悪さ全開でした。 道は、落ち葉に埋もれて、舗装がどうなっているのかも、はっきり分かりませんでした。
【井出丸山古墳②】
≪写真1≫
そろそろ、引き返そうかと思った頃に、少し開けた場所に出ました。 ありましたよ、綺麗な円墳が。 いやあ、それにしても、こんな凄い道だとは思わなかったなあ。
≪写真2≫
中には、入れません。 沼津市教育委員会の解説板によると、6世紀後半、古墳時代の造営だとの事。 平成四年(1992年)に発掘したとありますから、その時、整備したんでしょう。
≪写真3左≫
6畳くらいの、プレハブの小屋あり。 まさか、以前は、見学料を取っていたとか? そういう規模の遺跡ではないですが。 考えられるのは、ここが私有地で、地主さんが、暇潰しに、遺跡のガイドでもやっていたんじゃないでしょうか。 その為の小屋なのではないかと。
≪写真3右≫
古墳を挟んで、小屋と反対側に置いてあった、犬小屋。 犬まで飼っていたのか。 毎日、昼食後、犬の散歩がてら、ここまで来て、数時間潰し、日が傾くと帰って行く、という、地主さんの姿が想像されますが、あくまで、私の想像に過ぎません。
≪写真4≫
敷地の隅、竹藪に埋もれかけていた、軽トラの残骸。 運転席は、後ろ板を除いて、ほぼ、なくなっています。 鉄というのは、ここまで、腐ってしまうものか・・・。
リア・エンドの特徴から、スバルの4代目サンバー・トラックのようです。 1982年から、1990年まで、生産・販売されていた型。 リヤ・コンが、縦長になっているのが特徴で、私が、10代後半、車に興味を持ち始めた頃に走っていたので、よく覚えています。 つまり、私自身も、この車が朽ち果てるほど長い時間を生きて来たという事ですな。 ハラハラと、涙下る。 この車の復元が不可能なように、80年代も戻りはしない。
帰りは、新しく出来た方の道で、根方街道まで、戻りました。 その道の存在を知っていれば、信号交差点で、普通に曲がれば良かったわけで、遥かに簡単でした。
【桃里 鈴木和太郎の像】
2020年11月19日に、バイクで、沼津市の西の方、桃里という所へ行って来ました。 道は、旧東海道。 第一目的地は、地図で見つけた、記念碑です。
≪写真1≫
ありました。 記念碑というので、石碑を想像していたのですが、そうではなく、「鈴木和太郎」という人物の胸像でした。 駐車場などはありませんが、空き地があるので、短時間なら、何とかなるのでは? バイクは、どこにでも置けます。 だから、バイクと車では、行ける所が、まるで変わって来ると言うのです。
≪写真2≫
台座正面に埋め込まれた、石板。 日本経済新聞の一面のようです。 当然、新聞関係の人かと思ったのですが・・・。
≪写真3左≫
側面に埋め込まれた解説石板を読むと、元は農家で、その後、「鈴和観光」という会社を興した人物だとの事。 なるほど。 昭和57年(1982年)に亡くなったとあります。
≪写真3右≫
材質が分かりません。 石で彫って、それに、白く着色してあるようにも見えます。 白というと、石膏を思い浮かべる人もいると思いますが、石膏像を屋外に設置する事はありません。 雨風に耐えられないからです。
≪写真4≫
サザンカの花が咲いていました。 結構な大きさで、華やかです。
【桃里 稲荷神社】
「鈴木和太郎の像」から、少し東へ引き返し、最初の丁字路を海の方へ向かい、踏切を渡って、最初の丁字路を東へ曲がったら、海側の奥まった所に、稲荷神社がありました。 そんなややこしい道順を、行き当たりばったりで、辿れるわけもなく、ここも、地図で、神社マークを見つけてきたもの。
≪写真1≫
この駐車場の奥に、神社があるんですが、ここまで来ても、分かりませんなあ。
≪写真2≫
近づくと、ありました。 何も書いてありませんが、この配色は、どう見ても、稲荷でしょう。 工場と工場の間に挟まれています。
≪写真3≫
挟まれている割には、境内は広いです。 結構、大きな木もあります。
≪写真4左≫
社殿と燈籠。 狛狐があれば、稲荷である事がはっきりするんですが・・・。
≪写真4右≫
漱盤というより、水道と流し。 ハンドルがついていて、たぶん、水が出ると思います。 排水溝も設備してあります。 手水関係は、神社アイテムの中では、お金がかかる方ですな。
≪写真5左≫
駐車場から、北を見た景色。 雲がなければ、富士山が見えるはずです。 北側を空けてあるのは、神様に、富士山を見せる為なんでしょうか? もっとも、社殿の正面は、東向きなんですが。
≪写真5右≫
駐車場の隅に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この時は、平地だけだったので、負担は少なかったと思います。 とはいえ、だんだん、エンジンの音が悪くなって来た感あり。 やはり、オイル交換しなければ、駄目か。
【中沢田 大六天神社】
2020年11月26日、バイクで出て、まず、清水町徳倉のスタンドで給油。 その後、沼津市街地の北の方、中沢田にある、「大六天神社」に行って来ました。
≪写真1≫
住宅街の中に、忽然と現れます。 境内は、ないも同然。 道理で、今まで、この道を通っていても、気づかなかったわけだ。 屋根は、神社らしく、銅版葺き。
≪写真2左≫
名額。 中央に、「大六天」。 右に、「宝永山」。 左に、「持最寺」と書いてあります。
≪写真2右≫
社殿の前にあった、石碑。 「南無妙法蓮華経 宝永山 持最寺」と彫ってあります。 つまり、お寺が、この神社を管理していたわけですな。 江戸時代までは、それが普通でしたが。 今でも、そうかどうかは、不明。
≪写真3≫
漱盤だけ置かれていました。 排水は、すぐ前側に、道路の側溝があるからいいとして、水道がないのでは、漱ぎようがありませんな 。 手水関係は、お金がかかるのですよ。 全面に彫られている文字は、「奉納」。
おや、後ろに、エアコンの室外機がありますね。 すると、この社殿、人が集まる事があるんでしょうか。 意外だ。 「エアコンより、漱盤に水道を引いた方がいいのでは?」などと、部外者の分際で、余計な事は言いませんが。
≪写真4≫
社殿の北側。 アルミ・サッシに、網戸、雨戸の戸袋、カーテン。 まるで、普通のお宅のようです。 もしかしたら、管理者が住み込んでいるんですかね? それにしては、台所とか、トイレとか、見当りませんが。
今回は、ここまで。
前回と今回は、ちょうど、2020年の、10月分、11月分と、月ごとになりましたが、それは、偶然でして、とりあえず、在庫を全て出し終えるまでは、出かけた先、4回分のペースで、進めます。 月に、5回出かける事もあるので、組み写真マックス10枚になると、アップするのが、きつくなるからです。
近況ですが、ガス屋が警報機の交換に来たのは、万全の準備をして、何とか乗り切ったし、彼岸に兄夫婦も来なかったし、これから、4月末までは何もする事がないので、多少は、気楽に暮らせると思って、脱力しているところ。
≪木目病≫の頃に欲しいと思っていた、車の内装の木目部品が、今頃、ヤフオクに出て来たのですが、すでに、欲望が薄くなってしまっており、どうしても、買う気になれません。 どうせ、木目部品に換えたって、廃車にしたら、全く無駄な出費になってしまうからなあ。
【足高廃神社①】
2020年11月4日に、バイクで、愛鷹山麓の足高地区にある、神社へ行って来ました。 明らかに山の中ですが、地図で神社マークを見つけたので、どんな所かと思って。
≪写真1≫
沼津市立病院の前の道を、ずーっと北へ上がって行くと、新東名を跨いだ、更に上に、「ナントー」という会社があり、道が突き当たりになっています。 そこを右に曲がって、道なりに進むと、この場所に出ます。 左側には、ゴルフ場があり、右側は、そのゴルフ場と関係があるらしい別荘地になっています。
別荘地と言っても、本宅として住んでいる人が多そうな雰囲気。 かなりの山奥ですが、車があれば、最寄のスーパーまで、20分くらいで行けるんじゃないでしょうか。 問題は、車に乗れない年齢になってからですな。
≪写真2≫
別荘地の西側を通り、更に北へ向かいます。 杉・檜の人工林。 人工林には、人工の美があるものだな。
≪写真3≫
右カーブがある所で、停車。 山芋掘りを禁止してあるという事は、山芋が採れるわけですな。 私は、全然、興味がありませんが。 この先は、登り坂になり、更に上に、別荘地があります。 去年、「休場遺跡」に来た時に、ロストして、上がって行った経験あり。
カーブの路肩にバイクを停めたりして、通行の邪魔になるかと思ったのですが、ここにいる間、一台の車も通りませんでした。
≪写真4≫
これが、カーブ手前の道路脇にあった、目的地の神社。 壊れた鳥居が立っていました。 奥に、社殿があるのかと思って探しましたが、周囲は笹薮で、どこにも、繋がっている道がありませんでした。 かつては、右側の空間に、社殿があったんでしょうか。 基礎の痕跡すら、見分けられませんでした。
【足高廃神社②】
≪写真1≫
鳥居の南側に、道路から上がる石段のようなものがありました。 という事は、石段から上がって、鳥居を潜り、社殿に至るとすれば、やはり、鳥居の北側の空間に社殿があったんでしょう。
朽ちるに任せてあるという事は、別荘地の人達は、祀る気はないようですな。 元からの住民がいない、寄せ集め集落では、無理もないか。 そもそもは、誰が祀ったんでしょう? 祭神も分からないし。 ちなみに、山にあるからといって、山神社とは限りません。
≪写真2≫
近いので、休場遺跡(やすみばいせき)にも、寄ってみました。 11ヵ月ぶりですが、別段、変化なし。 もう、一年近く経ったというのが、感覚的にピンと来ません。
≪写真3≫
休場遺跡の前から、北西を見た景色。 気持ちの良い晴れです。 下の方は、茶畑ですが、放棄されたのか、伸び放題になっています。 茶の木も、結構、背が高くなるようです。
≪写真4≫
道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 休場遺跡から先は、北へ行くにも、東へ行くにも、道路が砕石舗装になるので、それ以上、進みませんでした。 バイクにキズをつけてまで、行ってみようとは思いません。 この後、真っ直ぐ、南へ下り、旧東海道まで出て、帰りました。
【井出丸山古墳①】
2020年11月10日に、バイクで、沼津市の西の方、井出地区にある、「井出丸山古墳」へ行って来ました。 愛鷹山の麓です。 根方街道を西進し、西井出の信号交差点直前の道を北東方向に曲がり、住宅地を抜ける急坂を登って、「八幡口跨線橋」で、新幹線の上を跨ぎ、道なりに進んだら、そこで、ロストしました。 家にあった地図が古くて、新しくできた道路が載っていなかったのが原因。
≪写真1≫
とりあえず、バイクは、車が来ない道に停めました。 以前は、この道が、東名を跨ぐ、「丸山橋」に繋がっていたのかもしれませんが、今は、もっと広い道路が出来ていて、この道は、農地の中を通るだけになっています。
ここにバイクを停めて、15分くらい、離れていましたが、予想通り、誰も来なかったようで、無事でした。 人がいないというのは、最も安心できる防犯要素ですな。
≪写真2≫
問題は、この場所です。 左右に通っているのが、地図に載っていない、新しく出来た道路。 右の方のカーブ・ミラーが立っている道を上がっていくと、バイクを停めた場所を通過した後、また、左右に通っている道路に合流するだけです。 左の方の、コンクリート・ブロック垣の所にも、道があり、草が両脇から生い茂って、バイクや車では入る気になれませんが、ここが、怪しいのではないかと見当をつけました。 というか、ここしか、どこかへ繋がっていそうな道がなかったので、徒歩で、ここへ入って行きました。
≪写真3≫
途中、東名のガードがありました。 古墳の位置は、東名の北側ではない事が分かっているので、ここは、潜りません。
≪写真4≫
竹藪の中の、こんな道を進んで行きます。 写真は、明るく写っていますが、実際には、もっと薄暗くて、気味悪さ全開でした。 道は、落ち葉に埋もれて、舗装がどうなっているのかも、はっきり分かりませんでした。
【井出丸山古墳②】
≪写真1≫
そろそろ、引き返そうかと思った頃に、少し開けた場所に出ました。 ありましたよ、綺麗な円墳が。 いやあ、それにしても、こんな凄い道だとは思わなかったなあ。
≪写真2≫
中には、入れません。 沼津市教育委員会の解説板によると、6世紀後半、古墳時代の造営だとの事。 平成四年(1992年)に発掘したとありますから、その時、整備したんでしょう。
≪写真3左≫
6畳くらいの、プレハブの小屋あり。 まさか、以前は、見学料を取っていたとか? そういう規模の遺跡ではないですが。 考えられるのは、ここが私有地で、地主さんが、暇潰しに、遺跡のガイドでもやっていたんじゃないでしょうか。 その為の小屋なのではないかと。
≪写真3右≫
古墳を挟んで、小屋と反対側に置いてあった、犬小屋。 犬まで飼っていたのか。 毎日、昼食後、犬の散歩がてら、ここまで来て、数時間潰し、日が傾くと帰って行く、という、地主さんの姿が想像されますが、あくまで、私の想像に過ぎません。
≪写真4≫
敷地の隅、竹藪に埋もれかけていた、軽トラの残骸。 運転席は、後ろ板を除いて、ほぼ、なくなっています。 鉄というのは、ここまで、腐ってしまうものか・・・。
リア・エンドの特徴から、スバルの4代目サンバー・トラックのようです。 1982年から、1990年まで、生産・販売されていた型。 リヤ・コンが、縦長になっているのが特徴で、私が、10代後半、車に興味を持ち始めた頃に走っていたので、よく覚えています。 つまり、私自身も、この車が朽ち果てるほど長い時間を生きて来たという事ですな。 ハラハラと、涙下る。 この車の復元が不可能なように、80年代も戻りはしない。
帰りは、新しく出来た方の道で、根方街道まで、戻りました。 その道の存在を知っていれば、信号交差点で、普通に曲がれば良かったわけで、遥かに簡単でした。
【桃里 鈴木和太郎の像】
2020年11月19日に、バイクで、沼津市の西の方、桃里という所へ行って来ました。 道は、旧東海道。 第一目的地は、地図で見つけた、記念碑です。
≪写真1≫
ありました。 記念碑というので、石碑を想像していたのですが、そうではなく、「鈴木和太郎」という人物の胸像でした。 駐車場などはありませんが、空き地があるので、短時間なら、何とかなるのでは? バイクは、どこにでも置けます。 だから、バイクと車では、行ける所が、まるで変わって来ると言うのです。
≪写真2≫
台座正面に埋め込まれた、石板。 日本経済新聞の一面のようです。 当然、新聞関係の人かと思ったのですが・・・。
≪写真3左≫
側面に埋め込まれた解説石板を読むと、元は農家で、その後、「鈴和観光」という会社を興した人物だとの事。 なるほど。 昭和57年(1982年)に亡くなったとあります。
≪写真3右≫
材質が分かりません。 石で彫って、それに、白く着色してあるようにも見えます。 白というと、石膏を思い浮かべる人もいると思いますが、石膏像を屋外に設置する事はありません。 雨風に耐えられないからです。
≪写真4≫
サザンカの花が咲いていました。 結構な大きさで、華やかです。
【桃里 稲荷神社】
「鈴木和太郎の像」から、少し東へ引き返し、最初の丁字路を海の方へ向かい、踏切を渡って、最初の丁字路を東へ曲がったら、海側の奥まった所に、稲荷神社がありました。 そんなややこしい道順を、行き当たりばったりで、辿れるわけもなく、ここも、地図で、神社マークを見つけてきたもの。
≪写真1≫
この駐車場の奥に、神社があるんですが、ここまで来ても、分かりませんなあ。
≪写真2≫
近づくと、ありました。 何も書いてありませんが、この配色は、どう見ても、稲荷でしょう。 工場と工場の間に挟まれています。
≪写真3≫
挟まれている割には、境内は広いです。 結構、大きな木もあります。
≪写真4左≫
社殿と燈籠。 狛狐があれば、稲荷である事がはっきりするんですが・・・。
≪写真4右≫
漱盤というより、水道と流し。 ハンドルがついていて、たぶん、水が出ると思います。 排水溝も設備してあります。 手水関係は、神社アイテムの中では、お金がかかる方ですな。
≪写真5左≫
駐車場から、北を見た景色。 雲がなければ、富士山が見えるはずです。 北側を空けてあるのは、神様に、富士山を見せる為なんでしょうか? もっとも、社殿の正面は、東向きなんですが。
≪写真5右≫
駐車場の隅に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この時は、平地だけだったので、負担は少なかったと思います。 とはいえ、だんだん、エンジンの音が悪くなって来た感あり。 やはり、オイル交換しなければ、駄目か。
【中沢田 大六天神社】
2020年11月26日、バイクで出て、まず、清水町徳倉のスタンドで給油。 その後、沼津市街地の北の方、中沢田にある、「大六天神社」に行って来ました。
≪写真1≫
住宅街の中に、忽然と現れます。 境内は、ないも同然。 道理で、今まで、この道を通っていても、気づかなかったわけだ。 屋根は、神社らしく、銅版葺き。
≪写真2左≫
名額。 中央に、「大六天」。 右に、「宝永山」。 左に、「持最寺」と書いてあります。
≪写真2右≫
社殿の前にあった、石碑。 「南無妙法蓮華経 宝永山 持最寺」と彫ってあります。 つまり、お寺が、この神社を管理していたわけですな。 江戸時代までは、それが普通でしたが。 今でも、そうかどうかは、不明。
≪写真3≫
漱盤だけ置かれていました。 排水は、すぐ前側に、道路の側溝があるからいいとして、水道がないのでは、漱ぎようがありませんな 。 手水関係は、お金がかかるのですよ。 全面に彫られている文字は、「奉納」。
おや、後ろに、エアコンの室外機がありますね。 すると、この社殿、人が集まる事があるんでしょうか。 意外だ。 「エアコンより、漱盤に水道を引いた方がいいのでは?」などと、部外者の分際で、余計な事は言いませんが。
≪写真4≫
社殿の北側。 アルミ・サッシに、網戸、雨戸の戸袋、カーテン。 まるで、普通のお宅のようです。 もしかしたら、管理者が住み込んでいるんですかね? それにしては、台所とか、トイレとか、見当りませんが。
今回は、ここまで。
前回と今回は、ちょうど、2020年の、10月分、11月分と、月ごとになりましたが、それは、偶然でして、とりあえず、在庫を全て出し終えるまでは、出かけた先、4回分のペースで、進めます。 月に、5回出かける事もあるので、組み写真マックス10枚になると、アップするのが、きつくなるからです。
近況ですが、ガス屋が警報機の交換に来たのは、万全の準備をして、何とか乗り切ったし、彼岸に兄夫婦も来なかったし、これから、4月末までは何もする事がないので、多少は、気楽に暮らせると思って、脱力しているところ。
≪木目病≫の頃に欲しいと思っていた、車の内装の木目部品が、今頃、ヤフオクに出て来たのですが、すでに、欲望が薄くなってしまっており、どうしても、買う気になれません。 どうせ、木目部品に換えたって、廃車にしたら、全く無駄な出費になってしまうからなあ。
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