EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑰
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、17回目です。 今回で、ようやく、2020年から、2021年へ跨ぎます。 このシリーズの一旦休止も見えて来ました。 あと、2回で、現在に追いつく予定です。 いや、別に、めでたい事ではないですけど。
【口野・琴平神社】
2020年12月29日に、バイクで、口野へ行って来ました。 地図で見つけた神社を見に。 プチ・ツーリングは、これが、2020年の最後となりました。
≪写真1左≫
口野で最も大きな平地の奥の方にある、「琴平神社」。 鳥居と漱盤だけ、平地にありました。 横に空き地があったので、バイクを停めましたが、もしかしたら、個人の所有地かも知れません。 幸い、すぐに引き揚げたからか、何も言われませんでしたけど。
≪写真1右≫
漱盤。 角材で蓋をしてあります。 蛇口なし。 薄いですが、前面に彫ってある文字は、右から、「奉納」。 この漱盤ですが、母の話では、母が給食調理師をやっていた頃、同僚だった人の家が、この近所にあり、その人の父親が奉納したものなのだそうです。 この写真を撮った時点では、その話を聞いていなかったのですが、たまたま、漱盤を撮影する習慣があって、良かったです。
≪写真2左≫
境内へは、この崖の階段を登って行きます。 このコンクリートを打った崖面ですが、そんなに古い物とは思えません。 せいぜい、40年くらいでは? それ以前は、どうなっていたのか分かりませんが、やはり、この崖を登る階段があったんでしょうなあ。 何せ、境内は、崖の上にあるのですから。
≪写真2右≫
崖の上の参道。 雑草や木の枝が繁茂して、凄い有様になっていました。 もう、何年も手入れしていないのではないかと思えます。 植物を手で除けなから進みましたが、被っているヘルメットに当らないようにするのが、大変でした。
≪写真3≫
社殿。 おお! ショッキングだ! 完全に倒壊しているではありませんか。 こりゃ、台風が原因でしょうな。 風が当たりそうな所だし。 ここまで壊れてしまうと、ちょっとやそっとの信心では、復元できませんな。
私は、ヘルメットから靴まで、全身、黒ずくめの姿でしたから、怪しい事この上なく、長居すると、社殿を壊した犯人と疑われる恐れがあると思い、早々に引き揚げました。
≪写真4≫
崖の上から、海側を見た景色。 口野の平地は、全体の半分くらいが、ここに写っています。 小学校の校庭が写っていますが、すでに、統廃合されて、ここの学校は、使われてません。 校舎は変わっていますが、母が約半世紀前に働いていた学校です。 私も、3歳くらいの時に連れて行かれ、図書室の絵本を読んだ事があります。 階段を下りるのか怖くて、泣いた記憶あり。
≪写真5左≫
EN125-2A・鋭爽を上から見下ろした様子。 ネイキッドのバイクは、上から見ると、みな、同じようなものですな。
≪写真5右≫
崖の階段の途中から、谷になっている土地を見た景色。 空き地の上に、水色の屋根が見えると思いますが、それが、次の目的地である、「潮汐稲荷神社」です。 この撮影時点では、そこにあるとは気づいておらず、こんなに近いとは思わなかったので、バイクで移動してしまいましたが、歩いても行ける距離でした。
【口野・潮汐稲荷神社】
琴平神社を後にし、第二目的地へ向けて出発したのですが、バイクを移動させる必要もないくらい、すぐ近くにありました。
空き地にバイクを停め、「潮汐稲荷神社」を訪れました。 この名前、珍しくて、面白いですが、解説板はありませんでした。 元は漁村ですから、潮汐が生活に大きな関係をもっていたとは思うのですが。
≪写真1≫
石の鳥居。 ここにも、「疫病終息祈願」の幟旗があります。
≪写真2≫
境内と社殿。 決して、広い境内ではありませんが、庭園的な整備がなされています。
≪写真3≫
社殿は、珍しく、石造りです。 明治以降の建築なのは明らか。 石蔵を造る技術を流用したのだと思います。 屋根は、拝殿が、瓦葺きで、本殿は、波板トタン葺き。 本殿も瓦葺きにすれば、より価値が高くなりそうですが、勿の論、よそ者が、どうこう言う事ではないです。
≪写真4左≫
漱盤1。 鳥居に近い方。 古そうです。 何が彫ってあるかも、もはや、分かりません。
≪写真4右≫
漱盤2。 社殿に近い方。 こちらの方が、幾分、新しく見えます。 どちらも、蛇口はなく、実際に、手や口を漱ぐ事はできません。
上の石碑ですが、一番背が高い物には、「日輪當午石経塔」と彫ってあります。 最初、日時計のようなものかと思ったのですが、調べてみたら、「日輪當午禅師」という人がいたらしいです。 「石経」は、そのままの意味で、石に刻んだ経の事。
実は、私が行った時に、境内の手入れをしている人が一人いたのですが、距離が取れたので、そそくさと写真だけ撮って、退散して来ました。 年末ですから、「神社の手入れに来ている人がいても、おかしくないな」と予想していましたが、実際に、その通りだったわけだ。 それにしても、すぐそこなのに、琴平神社の方は、倒壊したまま、放ったらかしなのは、不思議です。
【伊豆長岡・花坂・聖神社①】
2021年1月6日に、バイクで、伊豆の国市・長岡の、花坂という地区にある、「聖神社」へ行って来ました。 読み方、不明。 「ひじり・じんじゃ」ですかね?
≪写真1≫
花坂地区には、すんなり入れましたが、その後、ロストし、ミカン畑の中へ入ってしまいました。 神社は、集落内にあるはずなので、完全に間違えています。 この写真は、道を間違えた記念に撮影したもの。 山の向こうは、たぶん、口野辺りだと思います。
≪写真2左≫
間違え記念に撮った、もう一枚。 こういう狭い道では、バイクの方向転換に、神経を使います。 崖から落ちたら、洒落にならない大ごと。 坂でなければ、バイクを下りて、押したり引いたりした方がいいかも知れません。
坂だと、登り方向には押しようがないので、却って、危険。 そういう場合は、バイクに跨って、両足を地面についたまま、エンジンをかけた状態で、いつでも前ブレーキをかけられるように注意しつつ、クラッチを慎重に操作して、バイクを前後進しながら、少しずつ角度を変えて、方向転換するしかありません。
くれぐれも、足をステップに上げて、乗った状態で、小回りターンなど試みないように。 慣れない場所で、慣れない事をすると、失敗する確率が、ポーンと跳ね上がります。 コケるだけでも、人機共に、大ダメージですが、崖下に落ちでもした日には、レッカー車でも呼ばなければ、どうにもならなくなります。
≪写真2右≫
道を、分岐点まで引き返し、別の道を登っていったら、神社に着きました。 道さえ間違えなければ、すぐに分かる所にありました。
≪写真3左≫
参道の石畳と石段、石燈篭は、新しい物。 狛犬と、社殿は、時代がついています。
≪写真3右≫
狛犬。 昭和十二年とあります。 1937年です。 戦後の唐獅子タイプとは、まだ距離があるものの、だいぶ、近づいている感じがします。 歯が、犬歯ばかりですな。 鬼か、鮫みたいだ。
≪写真4≫
社殿。 屋根は銅版葺き。 蔀戸風の壁板。 彫刻はないですが、村社クラスとして、立派な建築です。 バランスが良くて、美しい。
【伊豆長岡・花坂・聖神社②】
≪写真1≫
聖神社の前から、伊豆長岡方向を見た景色。 結構、山の上に上がって来ているわけだ。 家から、こういう景色が見える場所というのは、羨ましいですな。
≪写真2左≫
本殿。 本殿の建築も見事ですが、風雨から守る為に追加したと思われる側面の壁が、波板で、荘厳な雰囲気を、ぶち壊しています。 だけどねえ。 しょうがないんですよ。 これがないと、すぐに、ボロボロになってしまいますから。 いっそ、全部、茶色系の透明板にしてしまった方が、色の合いが良くなるかも知れません。
≪写真2右≫
境内にあった、石の祠と燈籠。 これは、よそから移してきたものなんじゃないでしょうか。 石で、屋根のカーブを作るのは、大変でしょうねえ。
≪写真3左≫
漱盤。 というか、流しですな。 ちゃんと、蛇口がついていて、手が洗えます。 周囲と色が合っているせいか、雰囲気に馴染んでいます。
≪写真3右≫
境内横の斜面で咲いていた、水仙。 一部、日の光が当たって、神々しく輝いていました。 神社だけに。
≪写真4≫
鳥居前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクを、最もメカニカルに見せるのは、やはり、メーター周りですな。 ネイキッド・バイクの場合、特に、二連メーターの存在感が際立ちます。 下手に、異形デジタル・メーターに交換したりすると、最も魅力がある部分を失ってしまう恐れがあります。
【伊豆長岡・日枝神社】
2021年1月13日に、バイクで、伊豆長岡の、「日枝神社」と、「宗徳寺」に行って来ました。
≪写真1≫
伊豆長岡の、長岡温泉側の、源氏山とは反対側の山の麓にあります。 幹線道路から、信号交差点で山側に曲がると、突き当りが、日枝神社なので、交差点さえ間違えなければ、迷う事はありません。
正面。 しかし、実は、この手前に、もう一つ、大きな鳥居があります。 写っている鳥居に、白い部分がありますが、補修した跡でしょうか。
≪写真2≫
神社の入り口のすぐ隣にある、お堂。 地図には、「千手観音」とあります。 閉まっているので、中は分かりませんでした。 屋根はトタン葺きで、細工が、大変、凝っています。
≪写真3左≫
石段。 そんなに段数はなく、下から、奥の建物まで、見通せる程度の高さです。 踊り場があるので、上がるのは、尚更、楽。
≪写真3右≫
踊り場の敷地内にある、手水舎。 屋根は、銅版葺きで、立派。 漱盤の前面には、左から「奉納」。 もちろん、蛇口あり。 しかし、屋根に比べると、漱盤が、小さいですな。 これはこれで、面白いですが。
≪写真4左≫
境内にあった、別の社。 「荒神社」とあります。 火の神の事でしょうか。 温泉街で、宿泊施設や飲食店がたくさんありますから、火の神様を特に祀ってあっても、不思議はないです。
≪写真4右≫
社殿。 鉄筋コンクリート。 配色が、面白いです。 鉄コンにしたがるのは、木造だと、腐食が早いからだと思います。 一度、白蟻に喰われ始めると、処置なし。 まーた、寄付を集めて建て替えなければならないので、「いっそ、鉄コンに」となるわけだ。 信心や、風情などと言っていられない事情は、分かる話です。 祀られている側が、木造と鉄コンと、どちらを喜ぶかは、神のみぞ知る。
後ろの方が、両翼、突き出しています。 本殿がどこにあるのか、確かめて来ませんでしたが、翼の後ろに、更に建物があるんでしょうか。
≪写真5左≫
境内にあった、稲荷。 社殿は、石かコンクリートの祠。 小さいながらも、狛狐が置いてあったから、間違いなく、稲荷です。
≪写真5右≫
漱盤、小。 たぶん、先代。 こういう神社アイテムですが、引退させても、捨てられないのは、寄進者がいるからです。 寄進者本人が他界していても、その子孫が、まだ、氏子にいれば、捨てるわけには行きません。 寄進者の家で、引き取ればいいと思うんですがね。
【伊豆長岡・宗徳寺】
地図で見た時、日枝神社の近くに、湖沼池があったので、そちらへ回ってみたら、大きなお寺がありました。 長岡山・宗徳寺との事。
≪写真1≫
この山門は、迫力が凄い。 否が応でも、目をひきつけられます。 藁葺きだからか、形が独特だからか、弥生時代から建っている趣き、あり。 二階は、かつて、鐘が吊られていたと思うのですが、今は、鉤だけが残っています。
≪写真2≫
本堂と、境内。 広々しています。 飛鳥寺が、こんな雰囲気だったような・・・。
≪写真3左≫
石燈篭と、解説板。 徳川11代将軍・家斉追善の為に、諸大名が上野・寛永寺に供えた石燈篭を、昭和32年(1957年)に、この寺の檀徒が入手したとの事。
≪写真3中≫
沙羅双樹の木が植えてありました。 よく分からない写真で恐縮ですが、まだ、小さい上に、冬の事で、葉っぱが一枚もないので、特徴も何も分かりません。
≪写真3下≫
伊豆長岡町長の名で立てられた解説板によると、保存樹木指定されている、楠(クスノキ)。 大木ですが、樹齢が書いてないのは、残念。 伊豆長岡町は、現在では、他と合併して、伊豆の国市になっています。
≪写真4≫
本堂を横から。 立派な建物ですが、そんなに古くはないかも。 まだ、しっかりしている感じがするので。 裏手は、墓地になっています。
≪写真5左≫
境内にあった、石鉢。 神社の漱盤に相当しますが、お寺では、必ず、置いてあるわけではないです。 蛇口あり。 排水も、しっかり整備されています。
≪写真5中≫
お寺の横手に、湖沼池、あり。 これが、地図に載っていたわけだ。 たぶん、溜め池です。 細長いのが、二つ、ありました。
≪写真5右≫
溜め池のそばに停めた、EN125-2A・鋭爽。 路面が濡れているのは、山の陰になっていて、前日の雨が乾いていないから。 こういう所を走ると、フェンダーの裏側が汚れます。 まあ、よほど、ベチャベチャにならない限り、わざわざ、拭いたりしませんけど。
ところで、バイクを清掃するのに、ホースで水をジャブジャブかける人がいますが、錆を増やしたくないなら、やめた方がいいです。 泥汚れは、濡れ雑巾で拭きとって、油のついたウエスで拭き上げておけば、充分。 そもそも、泥だらけになってしまうような所は、走らないようにしなければ。 もちろん、オフロード車は別ですが。
通勤や、長距離ツーリングで、やむなく、雨の中を走った場合は、まだ濡れている内に、雑巾で、汚れごと水気を拭いてしまうのが、一番、楽なやり方でしょうか。
【大仁・白山神社】
2021年1月19日に、バイクで、伊豆の国市・大仁にある、「白山神社」へ行って来ました。 例によって、地図で見つけた所。
≪写真1左≫
小さい写真で恐縮ですが、社殿は、鉄筋コンクリートなので、神社的趣きは薄いです。 右にある物置のような建物は、もしかしたら、神輿や屋台などが入っているのでしょうか?
≪写真1右≫
神社に隣接している、というか、一体化している感じですが、「多福遊園地」。 といっても、あずまやとベンチがあるだけの児童公園です。
≪写真2左≫
解説板。 「徳本念佛碑」と、「唯念の碑について」。 内容は、割愛。 どちらの碑も、どこにあるか、確認して来ませんでした。 神社ですが、仏教の色彩が濃いです。
≪写真2右≫
社殿の前にあった、石燈籠。 笠が欠けているのは、珍しい。 普通は、火袋が、欠けるものですが。 火袋の下の、中台(受け鉢)や、一番下の、基礎(地輪)もなくて、パッと見では、石燈篭だと気づかないほどです。
≪写真3左≫
社殿の前にあった、「庚子塔」。 その左側の細長い石は、たぶん、男根崇拝かと。
≪写真3右≫
社殿を裏から見た様子。 拝殿の背後に、本殿がくっついてる様式。 壁の色が、ピンクというのは、変わっています。
≪写真4左≫
境内の横手にある、古い墓地。 昔の土葬時代の石塔を集めてあるようで、現役の墓石は一つもありません。 この写真では分かり難いですが、右の方に観音像があり、その前にだけ、線香入れと花筒があって、香花が供えられていました。 仏教が勝っておるのう。
≪写真4右≫
入り口の方で咲いていた、水仙。 背後から、光を通していて、神々しかったです。 神社だけに。
≪写真5≫
境内の木は、枝打ちされているものが多かったですが、何本かは、大きく育っていました。 大きい方は、樹齢200年は、楽に経っている感じ。 大変、気持ちが良い枝ぶりです
家に帰ったら、静岡県に、「感染拡大緊急警報」が発令されていて、プチ・ツーリングは、これで、一旦、休止になりました。 残念。 去年の緊急事態宣言の時には、キャブレーターを空にし、バッテリーを外して、眠らせましたが、今回は、週に一度、近所を一回りして、凌いでいます。
今回は、ここまで。
「感染拡大緊急警報」の内、「不要不急の外出自粛要請」だけは、早く解除されたので、プチ・ツーリングを休止したのは、二週間だけでした。 その二週間も、バッテリーを死なさない為に、乗ってはいました。 目的地がなくて、給油とか、周遊とか、ただ走らせていただけなので、写真は撮りませんでした。 給油中の写真なんて、撮っておけば、記念になりそうですが、スタンドの店員に、「駄目駄目ぇ! 撮影禁止だよぉ!」とか言われると、嫌な思い出になってしまうから、やっていません。
【口野・琴平神社】
2020年12月29日に、バイクで、口野へ行って来ました。 地図で見つけた神社を見に。 プチ・ツーリングは、これが、2020年の最後となりました。
≪写真1左≫
口野で最も大きな平地の奥の方にある、「琴平神社」。 鳥居と漱盤だけ、平地にありました。 横に空き地があったので、バイクを停めましたが、もしかしたら、個人の所有地かも知れません。 幸い、すぐに引き揚げたからか、何も言われませんでしたけど。
≪写真1右≫
漱盤。 角材で蓋をしてあります。 蛇口なし。 薄いですが、前面に彫ってある文字は、右から、「奉納」。 この漱盤ですが、母の話では、母が給食調理師をやっていた頃、同僚だった人の家が、この近所にあり、その人の父親が奉納したものなのだそうです。 この写真を撮った時点では、その話を聞いていなかったのですが、たまたま、漱盤を撮影する習慣があって、良かったです。
≪写真2左≫
境内へは、この崖の階段を登って行きます。 このコンクリートを打った崖面ですが、そんなに古い物とは思えません。 せいぜい、40年くらいでは? それ以前は、どうなっていたのか分かりませんが、やはり、この崖を登る階段があったんでしょうなあ。 何せ、境内は、崖の上にあるのですから。
≪写真2右≫
崖の上の参道。 雑草や木の枝が繁茂して、凄い有様になっていました。 もう、何年も手入れしていないのではないかと思えます。 植物を手で除けなから進みましたが、被っているヘルメットに当らないようにするのが、大変でした。
≪写真3≫
社殿。 おお! ショッキングだ! 完全に倒壊しているではありませんか。 こりゃ、台風が原因でしょうな。 風が当たりそうな所だし。 ここまで壊れてしまうと、ちょっとやそっとの信心では、復元できませんな。
私は、ヘルメットから靴まで、全身、黒ずくめの姿でしたから、怪しい事この上なく、長居すると、社殿を壊した犯人と疑われる恐れがあると思い、早々に引き揚げました。
≪写真4≫
崖の上から、海側を見た景色。 口野の平地は、全体の半分くらいが、ここに写っています。 小学校の校庭が写っていますが、すでに、統廃合されて、ここの学校は、使われてません。 校舎は変わっていますが、母が約半世紀前に働いていた学校です。 私も、3歳くらいの時に連れて行かれ、図書室の絵本を読んだ事があります。 階段を下りるのか怖くて、泣いた記憶あり。
≪写真5左≫
EN125-2A・鋭爽を上から見下ろした様子。 ネイキッドのバイクは、上から見ると、みな、同じようなものですな。
≪写真5右≫
崖の階段の途中から、谷になっている土地を見た景色。 空き地の上に、水色の屋根が見えると思いますが、それが、次の目的地である、「潮汐稲荷神社」です。 この撮影時点では、そこにあるとは気づいておらず、こんなに近いとは思わなかったので、バイクで移動してしまいましたが、歩いても行ける距離でした。
【口野・潮汐稲荷神社】
琴平神社を後にし、第二目的地へ向けて出発したのですが、バイクを移動させる必要もないくらい、すぐ近くにありました。
空き地にバイクを停め、「潮汐稲荷神社」を訪れました。 この名前、珍しくて、面白いですが、解説板はありませんでした。 元は漁村ですから、潮汐が生活に大きな関係をもっていたとは思うのですが。
≪写真1≫
石の鳥居。 ここにも、「疫病終息祈願」の幟旗があります。
≪写真2≫
境内と社殿。 決して、広い境内ではありませんが、庭園的な整備がなされています。
≪写真3≫
社殿は、珍しく、石造りです。 明治以降の建築なのは明らか。 石蔵を造る技術を流用したのだと思います。 屋根は、拝殿が、瓦葺きで、本殿は、波板トタン葺き。 本殿も瓦葺きにすれば、より価値が高くなりそうですが、勿の論、よそ者が、どうこう言う事ではないです。
≪写真4左≫
漱盤1。 鳥居に近い方。 古そうです。 何が彫ってあるかも、もはや、分かりません。
≪写真4右≫
漱盤2。 社殿に近い方。 こちらの方が、幾分、新しく見えます。 どちらも、蛇口はなく、実際に、手や口を漱ぐ事はできません。
上の石碑ですが、一番背が高い物には、「日輪當午石経塔」と彫ってあります。 最初、日時計のようなものかと思ったのですが、調べてみたら、「日輪當午禅師」という人がいたらしいです。 「石経」は、そのままの意味で、石に刻んだ経の事。
実は、私が行った時に、境内の手入れをしている人が一人いたのですが、距離が取れたので、そそくさと写真だけ撮って、退散して来ました。 年末ですから、「神社の手入れに来ている人がいても、おかしくないな」と予想していましたが、実際に、その通りだったわけだ。 それにしても、すぐそこなのに、琴平神社の方は、倒壊したまま、放ったらかしなのは、不思議です。
【伊豆長岡・花坂・聖神社①】
2021年1月6日に、バイクで、伊豆の国市・長岡の、花坂という地区にある、「聖神社」へ行って来ました。 読み方、不明。 「ひじり・じんじゃ」ですかね?
≪写真1≫
花坂地区には、すんなり入れましたが、その後、ロストし、ミカン畑の中へ入ってしまいました。 神社は、集落内にあるはずなので、完全に間違えています。 この写真は、道を間違えた記念に撮影したもの。 山の向こうは、たぶん、口野辺りだと思います。
≪写真2左≫
間違え記念に撮った、もう一枚。 こういう狭い道では、バイクの方向転換に、神経を使います。 崖から落ちたら、洒落にならない大ごと。 坂でなければ、バイクを下りて、押したり引いたりした方がいいかも知れません。
坂だと、登り方向には押しようがないので、却って、危険。 そういう場合は、バイクに跨って、両足を地面についたまま、エンジンをかけた状態で、いつでも前ブレーキをかけられるように注意しつつ、クラッチを慎重に操作して、バイクを前後進しながら、少しずつ角度を変えて、方向転換するしかありません。
くれぐれも、足をステップに上げて、乗った状態で、小回りターンなど試みないように。 慣れない場所で、慣れない事をすると、失敗する確率が、ポーンと跳ね上がります。 コケるだけでも、人機共に、大ダメージですが、崖下に落ちでもした日には、レッカー車でも呼ばなければ、どうにもならなくなります。
≪写真2右≫
道を、分岐点まで引き返し、別の道を登っていったら、神社に着きました。 道さえ間違えなければ、すぐに分かる所にありました。
≪写真3左≫
参道の石畳と石段、石燈篭は、新しい物。 狛犬と、社殿は、時代がついています。
≪写真3右≫
狛犬。 昭和十二年とあります。 1937年です。 戦後の唐獅子タイプとは、まだ距離があるものの、だいぶ、近づいている感じがします。 歯が、犬歯ばかりですな。 鬼か、鮫みたいだ。
≪写真4≫
社殿。 屋根は銅版葺き。 蔀戸風の壁板。 彫刻はないですが、村社クラスとして、立派な建築です。 バランスが良くて、美しい。
【伊豆長岡・花坂・聖神社②】
≪写真1≫
聖神社の前から、伊豆長岡方向を見た景色。 結構、山の上に上がって来ているわけだ。 家から、こういう景色が見える場所というのは、羨ましいですな。
≪写真2左≫
本殿。 本殿の建築も見事ですが、風雨から守る為に追加したと思われる側面の壁が、波板で、荘厳な雰囲気を、ぶち壊しています。 だけどねえ。 しょうがないんですよ。 これがないと、すぐに、ボロボロになってしまいますから。 いっそ、全部、茶色系の透明板にしてしまった方が、色の合いが良くなるかも知れません。
≪写真2右≫
境内にあった、石の祠と燈籠。 これは、よそから移してきたものなんじゃないでしょうか。 石で、屋根のカーブを作るのは、大変でしょうねえ。
≪写真3左≫
漱盤。 というか、流しですな。 ちゃんと、蛇口がついていて、手が洗えます。 周囲と色が合っているせいか、雰囲気に馴染んでいます。
≪写真3右≫
境内横の斜面で咲いていた、水仙。 一部、日の光が当たって、神々しく輝いていました。 神社だけに。
≪写真4≫
鳥居前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクを、最もメカニカルに見せるのは、やはり、メーター周りですな。 ネイキッド・バイクの場合、特に、二連メーターの存在感が際立ちます。 下手に、異形デジタル・メーターに交換したりすると、最も魅力がある部分を失ってしまう恐れがあります。
【伊豆長岡・日枝神社】
2021年1月13日に、バイクで、伊豆長岡の、「日枝神社」と、「宗徳寺」に行って来ました。
≪写真1≫
伊豆長岡の、長岡温泉側の、源氏山とは反対側の山の麓にあります。 幹線道路から、信号交差点で山側に曲がると、突き当りが、日枝神社なので、交差点さえ間違えなければ、迷う事はありません。
正面。 しかし、実は、この手前に、もう一つ、大きな鳥居があります。 写っている鳥居に、白い部分がありますが、補修した跡でしょうか。
≪写真2≫
神社の入り口のすぐ隣にある、お堂。 地図には、「千手観音」とあります。 閉まっているので、中は分かりませんでした。 屋根はトタン葺きで、細工が、大変、凝っています。
≪写真3左≫
石段。 そんなに段数はなく、下から、奥の建物まで、見通せる程度の高さです。 踊り場があるので、上がるのは、尚更、楽。
≪写真3右≫
踊り場の敷地内にある、手水舎。 屋根は、銅版葺きで、立派。 漱盤の前面には、左から「奉納」。 もちろん、蛇口あり。 しかし、屋根に比べると、漱盤が、小さいですな。 これはこれで、面白いですが。
≪写真4左≫
境内にあった、別の社。 「荒神社」とあります。 火の神の事でしょうか。 温泉街で、宿泊施設や飲食店がたくさんありますから、火の神様を特に祀ってあっても、不思議はないです。
≪写真4右≫
社殿。 鉄筋コンクリート。 配色が、面白いです。 鉄コンにしたがるのは、木造だと、腐食が早いからだと思います。 一度、白蟻に喰われ始めると、処置なし。 まーた、寄付を集めて建て替えなければならないので、「いっそ、鉄コンに」となるわけだ。 信心や、風情などと言っていられない事情は、分かる話です。 祀られている側が、木造と鉄コンと、どちらを喜ぶかは、神のみぞ知る。
後ろの方が、両翼、突き出しています。 本殿がどこにあるのか、確かめて来ませんでしたが、翼の後ろに、更に建物があるんでしょうか。
≪写真5左≫
境内にあった、稲荷。 社殿は、石かコンクリートの祠。 小さいながらも、狛狐が置いてあったから、間違いなく、稲荷です。
≪写真5右≫
漱盤、小。 たぶん、先代。 こういう神社アイテムですが、引退させても、捨てられないのは、寄進者がいるからです。 寄進者本人が他界していても、その子孫が、まだ、氏子にいれば、捨てるわけには行きません。 寄進者の家で、引き取ればいいと思うんですがね。
【伊豆長岡・宗徳寺】
地図で見た時、日枝神社の近くに、湖沼池があったので、そちらへ回ってみたら、大きなお寺がありました。 長岡山・宗徳寺との事。
≪写真1≫
この山門は、迫力が凄い。 否が応でも、目をひきつけられます。 藁葺きだからか、形が独特だからか、弥生時代から建っている趣き、あり。 二階は、かつて、鐘が吊られていたと思うのですが、今は、鉤だけが残っています。
≪写真2≫
本堂と、境内。 広々しています。 飛鳥寺が、こんな雰囲気だったような・・・。
≪写真3左≫
石燈篭と、解説板。 徳川11代将軍・家斉追善の為に、諸大名が上野・寛永寺に供えた石燈篭を、昭和32年(1957年)に、この寺の檀徒が入手したとの事。
≪写真3中≫
沙羅双樹の木が植えてありました。 よく分からない写真で恐縮ですが、まだ、小さい上に、冬の事で、葉っぱが一枚もないので、特徴も何も分かりません。
≪写真3下≫
伊豆長岡町長の名で立てられた解説板によると、保存樹木指定されている、楠(クスノキ)。 大木ですが、樹齢が書いてないのは、残念。 伊豆長岡町は、現在では、他と合併して、伊豆の国市になっています。
≪写真4≫
本堂を横から。 立派な建物ですが、そんなに古くはないかも。 まだ、しっかりしている感じがするので。 裏手は、墓地になっています。
≪写真5左≫
境内にあった、石鉢。 神社の漱盤に相当しますが、お寺では、必ず、置いてあるわけではないです。 蛇口あり。 排水も、しっかり整備されています。
≪写真5中≫
お寺の横手に、湖沼池、あり。 これが、地図に載っていたわけだ。 たぶん、溜め池です。 細長いのが、二つ、ありました。
≪写真5右≫
溜め池のそばに停めた、EN125-2A・鋭爽。 路面が濡れているのは、山の陰になっていて、前日の雨が乾いていないから。 こういう所を走ると、フェンダーの裏側が汚れます。 まあ、よほど、ベチャベチャにならない限り、わざわざ、拭いたりしませんけど。
ところで、バイクを清掃するのに、ホースで水をジャブジャブかける人がいますが、錆を増やしたくないなら、やめた方がいいです。 泥汚れは、濡れ雑巾で拭きとって、油のついたウエスで拭き上げておけば、充分。 そもそも、泥だらけになってしまうような所は、走らないようにしなければ。 もちろん、オフロード車は別ですが。
通勤や、長距離ツーリングで、やむなく、雨の中を走った場合は、まだ濡れている内に、雑巾で、汚れごと水気を拭いてしまうのが、一番、楽なやり方でしょうか。
【大仁・白山神社】
2021年1月19日に、バイクで、伊豆の国市・大仁にある、「白山神社」へ行って来ました。 例によって、地図で見つけた所。
≪写真1左≫
小さい写真で恐縮ですが、社殿は、鉄筋コンクリートなので、神社的趣きは薄いです。 右にある物置のような建物は、もしかしたら、神輿や屋台などが入っているのでしょうか?
≪写真1右≫
神社に隣接している、というか、一体化している感じですが、「多福遊園地」。 といっても、あずまやとベンチがあるだけの児童公園です。
≪写真2左≫
解説板。 「徳本念佛碑」と、「唯念の碑について」。 内容は、割愛。 どちらの碑も、どこにあるか、確認して来ませんでした。 神社ですが、仏教の色彩が濃いです。
≪写真2右≫
社殿の前にあった、石燈籠。 笠が欠けているのは、珍しい。 普通は、火袋が、欠けるものですが。 火袋の下の、中台(受け鉢)や、一番下の、基礎(地輪)もなくて、パッと見では、石燈篭だと気づかないほどです。
≪写真3左≫
社殿の前にあった、「庚子塔」。 その左側の細長い石は、たぶん、男根崇拝かと。
≪写真3右≫
社殿を裏から見た様子。 拝殿の背後に、本殿がくっついてる様式。 壁の色が、ピンクというのは、変わっています。
≪写真4左≫
境内の横手にある、古い墓地。 昔の土葬時代の石塔を集めてあるようで、現役の墓石は一つもありません。 この写真では分かり難いですが、右の方に観音像があり、その前にだけ、線香入れと花筒があって、香花が供えられていました。 仏教が勝っておるのう。
≪写真4右≫
入り口の方で咲いていた、水仙。 背後から、光を通していて、神々しかったです。 神社だけに。
≪写真5≫
境内の木は、枝打ちされているものが多かったですが、何本かは、大きく育っていました。 大きい方は、樹齢200年は、楽に経っている感じ。 大変、気持ちが良い枝ぶりです
家に帰ったら、静岡県に、「感染拡大緊急警報」が発令されていて、プチ・ツーリングは、これで、一旦、休止になりました。 残念。 去年の緊急事態宣言の時には、キャブレーターを空にし、バッテリーを外して、眠らせましたが、今回は、週に一度、近所を一回りして、凌いでいます。
今回は、ここまで。
「感染拡大緊急警報」の内、「不要不急の外出自粛要請」だけは、早く解除されたので、プチ・ツーリングを休止したのは、二週間だけでした。 その二週間も、バッテリーを死なさない為に、乗ってはいました。 目的地がなくて、給油とか、周遊とか、ただ走らせていただけなので、写真は撮りませんでした。 給油中の写真なんて、撮っておけば、記念になりそうですが、スタンドの店員に、「駄目駄目ぇ! 撮影禁止だよぉ!」とか言われると、嫌な思い出になってしまうから、やっていません。
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