2021/05/23

EN125-2A補修 ⑨

  EN125-2Aの補修の記録です。 今回も、バイクそのものの補修ではないです。 どんどん、離れて行くような不安感を覚えないでもないですが、とりあえず、バイク関連という事で、何でも出します。





【センター・スタンド下敷き】

  2月24日、バイクのセンター・スタンドの下に敷く、ダンボールの板を作りました。 それまでは、ダンボール箱を潰して、二つに折ったものを敷いていたのですが、大き過ぎて、扱いが面倒なので、ジャスト・サイズのが欲しかったのです。

  ダンボール板は一枚でもいいんですが、穴が開いてしまうと、すぐに、作り直さなければならないので、用心して、二枚重ねにする事にし、木工用ボンドで貼り付けた次第。 「センター・スタンドを楽にかける為の板」が嵌まるように、一部分だけ、ダンボールが一枚になっています。

  なぜ、こんな下敷きが必要かというと、センター・スタンドの底の部分に、キズをつけたくないからです。 キズがつくと、塗料が剥がれて、錆びてくるわけで、その錆色が見えるのが嫌なのです。

  スタンドに穿かせる、靴下式も考えましたが、作るのに手間がかかる割に、脱着の際にはバイクの左右に回らなければならないなど、扱いが面倒そうなので、断念しました。




【メット内マスク】

  3月30日の、「三島塚原新田・山神社」を最後に、この冬のプチ・ツーリングが終わったので、フルフェイス・ヘルメット、「アライ・アストロe」をしまいました。 内装は外さないまま、中側に、除菌アルコールを吹き、干してから、元箱に収めました。 通勤していた頃に比べると、使用時間が短いので、毎年、律儀に、内装を外して洗う必要もないと思って。

  この写真は、除菌する前に撮ったもの。 白い物は、不織布マスクです。 紐を切って、内装に挟み込んであります。 これがないと、鼻が見えてしまい、新型肺炎流行の時節柄、こちらを見る人に不快感を与えてしまうと思って、冬の途中から始めたもの。

  内側は、唇に当たるので、帰って来るたびに、除菌アルコールを吹いています。 外して、漂白剤溶液に浸け、干してから、ティッシュに挟んで、メットと一緒に、元箱に、しまいました。 確信を持って言えますが、日本では、次のシーズンになっても、新型肺炎の流行は、終わっていないと思います。 また、これを着ける事になるでしょう。




【冬ブルゾン裾ゴム交換】

  冬場、バイクで出かける時に着ている黒ブルゾンですが、裾のゴムが伸びきって、ビロビロになってしまいました。 真冬は、着膨れているから、分かりゃしないのですが、春先になって、だんだん薄着になってくると、やはり、緩いのが気になります。 で、ゴムを交換する事にしました。

≪写真1左≫
  ビフォー写真。 何となく、裾が広いのが、分かるでしょうか。 もう、完全に伸びきっているのです。

≪写真1右≫
  レイアウトの都合で、ここに持って来ましたが、4月22日に、ダイソーで買って来た、「ライクラ 織りゴム」です。 「ライクラ」とは、伸縮繊維の名前。 幅3センチ。 色は、白と黒があったのですが、ブルゾンが黒だから、黒にしておきました。 110円。

≪写真2≫
  これも、ビフォー写真。 パッと見では、まだ、ゴムが利いているように見えないでもないですが、それは錯覚でして、完全に伸びています。

≪写真3≫
  4月19日に、両端の縫い目を切って、ゴムを出しました。 ゴムの幅は、3.3センチでしたが、そういう半端な数字のゴムは、値段が高くなります。 3センチでも、問題ないと判断しました。

≪写真4左≫
  4月23日に、交換作業をしました。 新旧のゴムの端を縫い合わせ、古い方を引っ張って、新しい方を中に通す作戦でしたが、途中で糸が切れてしまい、結局、ゴム通しで、通しました。 その後、両端を、元通りに、縫い直しました。

≪写真4右≫
  アフター写真。 裾が締まって、だいぶ、ブルゾンらしさが回復しました。

≪写真5≫
  裾部分のアップ。 元は、ゴムの上を、横に二本、縫ってあったのですが、ゴムを伸ばした状態で縫わなければならず、難易度が高いので、それは、諦めました。 代わりに、縦に3箇所、縫って、ゴムがズレないように、留めました。 長年の使用で、元の生地に、皺が付いており、横に縫っていなくても、縫ってあるように見えます。


  このブルゾン、1988年の1月に、胆石の手術で、半月間、入院したのですが、その間に、「退院の時に、家まで着て帰る上着が要るだろう」と、母が買って来てくれたものです。 韓国製。 結構、高かったんじゃないでしょうか。

  その後、専門学校時代から、通勤時代を通して、着ていました。 表地の裏に、不織布が貼ってあり、防風性能があるので、バイク通勤するようになってからも、愛用していました。 引退後、バイクをやめていた3年間だけ、着ていなかったのですが、2019年から、復活させて、今に至ります。

  近くで見ると、ボロが目立ちますが、バイクに乗っている時には、他人から、しげしげ見られる事はないから、これで充分です。 今回の修繕で、バイクをやめるまで、着られるようになったと思います。




  今回は、ここまで。

  ブルゾンの裾ゴム交換は、自分でできると思っていなかったから、やってみて、小さな感動がありました。 横方向を縫わない、フェイク修理ですが、どうせ、傍目には見分けがつかないから、問題なし。 とにかく、裾の弾力が復活したのは、ありがたい。 ビロビロだと、ブルゾンを着ている、実感が薄くてねえ。

  そういや、「ブルゾン」は、とうの昔に、死語ですな。 しかし、これを買った1988年頃は、ジャンパーの事を、ブルゾンというのが普通でした。 ちなみに、今では、ジャンパーも死語で、「ジャケット」で、全部、済ませているようですが、細分化ではなく、大雑把な方向へ流れたわけですな。

  同じような例に、「スパゲティー」の事を、「パスタ」と呼ぶようになったのがあります。 本来は、マカロニも、ラザニアも、小麦粉で作った食材の総称が、パスタなのですが、今、スパゲティーの事を、パスタと呼んでいる人達に、それを説明しても、時間の無駄です。 知能が低くて、理解できないか、理解できても、スパゲティーをパスタと呼ぶのが、カッコいいと思っていて、無視するかのどちらかでしょう。

  自分が無知なのに、知っている人間に向かって、スパゲティーを指して、「これは、パ・ス・タ! 分かる?」などと教えている、大馬鹿者も多いのだろうなあ。 想像するだに、赤面してしまう。 知っている側が、説明してやっても、「それでも、今は、これを、パスタって言うの!」などと、決して、譲らないわけだ。 いるよなあ、そういう奴。

  言葉は変わって行くのが常ですが、このパスタ現象は、日本語の中でだけ起こっている事で、本場イタリアでも、他の国でも、スパゲティーをパスタと呼んで、通じる所がないのだから、井の中の蛙的で、救われません。 今後、誰か、イタリア人で、日本国内で大変に有名になる人が出て来て、その人が、「日本で、スパゲティーの事を、パスタと言っているのは、おかしい」と指摘したら、そこで、正常に戻る可能性は高いです。

  もう、30年も前ですが、夜間試合を指す、「ナイター」という言葉が、誰かが、「英語に、そんな単語はない」と指摘した途端、「ナイト・ゲーム」に言い換えられてしまったのを記憶している人も多いと思います。 言葉の重みなどは、その程度で、ころころと変わって行くものなのです。