2021/11/28

EN125-2Aでプチ・ツーリング (26)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、26回目です。 その月の最終週に、前月に行った所を出しています。 今回は、2021年10月分。





【長泉・猿山橋】

  2021年9月27日に、バイクで行こうとして、辿り着かなかった、「長泉・猿山橋」ですが、地図で調べ直し、10月5日に出直して、今度は、到着しました。

≪写真1左≫
  これは、長窪の幹線道を、御長屋の方まで、少し行き過ぎた所で撮った、ススキです。 まだ、穂が若くて、ススキらしい偏りが出ていません。

≪写真1右≫
  同じく、御長屋の畑で見つけた、獣避けの、虎風船。 新潟の方にあるというのを聞いていましたが、静岡にもあったんですな。 農業用品店で売っているのか、それとも、通販か。 虎を見た事がない獣が、虎を恐れるかどうかは、不明。

≪写真2≫
  御長屋集会所の少し手前の交差点を、西に曲がって、少し走ると、「猿山橋」に着きました。 前回来た時にも、御長屋集会所の前は通っているから、近くまでは来ていたんですな。

  橋の向こうに停めたバイクと比較してもらえば分かると思いますが、小さな橋です。 架かっている川は、桃澤川。

≪写真3左上≫
  名板。 苔生して、読み難いですが、「猿山橋」に、間違いありません。

≪写真3左下≫
  「昭和63年3月完成」。 昭和63年は、1988年です。 私は、東京の専門学校に通う傍ら、沼津インターのファミレスで、バイトをしていました。 そんな頃か。 その前から、何らかの橋はあったと思いますが。

≪写真3右≫
  橋の横。 金属のパイプが通っています。 材質から見て、液体ではなく、気体を通しているのでは? もしくは、カバーか。

  そのパイプの上を獣が通らないように、扇形のガードが付けられています。 橋の名前の通り、猿が出るんですかね? 「猿山橋」という名前だけ見ると、橋の上に猿が群がって、山のように盛り上がっている光景を想像してしまいますが、もちろん、そうではなく、この辺の地名が、「猿山」なんでしょう。 もしくは、近くに、「猿山」と呼ばれる山があるとか。

≪写真4≫
  橋の上から、桃澤川の上流側を見た景色。 森の中に家があります。 いい所に住んでいますねえ。 こういう家で生まれた子供は、遊び場に不自由しなくて、幸せだ。 大人になると、大雨が降るたびに、川の増水が心配とかで、そうそう、いい事ばかりではないと思いますけど。




【沢田橋 / 山神社①】

  2021年10月11日に、バイクを出し、愛鷹山麓の、東名高速道路上に架かる、「沢田橋」と、その少し南にある、「山神社」へ行って来ました。

≪写真1≫
  これが、「沢田橋」。 名前がついているのが、却って、違和感を覚えるくらい、何の変哲もない、跨道橋です。 まあ、プチ・ツーリングの目的地なんて、何だっていいのです。

≪写真2≫
  橋の上から、東名高速道路を撮影。 こちらは、東京側。 交通量、少ないですな。 高速道路だと、こんなものでしょうか。

≪写真3≫
  同じく。 こちらは、名古屋側。 ここから、西へ少し行った所に、「愛鷹パーキング・エリア」があります。

≪写真4左≫
  バイクを停めた場所の近くで咲いていた、セイタカアワダチソウ。 綺麗な黄色です。 この付近には、たくさん、ありました。

≪写真4右≫
  橋の袂に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この角度だと、妙に軽薄な印象を受けますな。 実際、小排気量ですけど。




【沢田橋 / 山神社②】

≪写真1≫
  沢田橋から、少し南に下った所に、「山神社」があります。 路肩に停めたバイクの上に、白い鳥居が、森の木に隠れているのが、分かるでしょうか。 右手の明るい方から、参道を登って行くようになっています。

≪写真2左≫
  参道には、杉・檜の並木。 その途中に、コンクリート製の鳥居。 たぶん、鉄筋が入っているんでしょうな。

≪写真2右≫
  鳥居の名板。 ここに直接、文字を書かれると、何となく、怖い感じが漂います。

≪写真3左≫
  社殿。 たぶん、鉄筋コンクリート。 骨格は、木造である可能性もありますが、木造骨格に、コンクリートの壁を合わせるのは、結構、大変だと思います。 屋根は、切り妻の瓦葺き。

≪写真3右≫
  側面。 拝殿・本殿一体式、もしくは、拝殿のみで、本殿は、山そのものという、二通りが考えられます。

≪写真4左≫
  漱盤。 給水設備はなくて、飾りのようなものです。 欠けた部分を、セメントで直してあるのは、まめまめしい。 

≪写真4右≫
  参道から、社殿前に上がる、石段。 自然石を使ってあるのは、珍しいです。 この神社、個人で祀っているのか、公けで祀っているのか、微妙ですな。 公けだったら、切石で石段を作るのでは?

≪写真5左上≫
  社殿の背後にあった、境内別社。 神名、不明。 中は、石造りの祠で、それを覆うように、金属製の、壁と屋根が設けられています。 さりげなく、凝っている。 前面の金網は、獣避けでしょうか。

≪写真5左下≫
  近くにあった、堰堤。 大きなもので、もはや、ダムと言った方が適切かも知れません。 この谷には、西川という川が流れていますが、水を溜めてはいない模様。

≪写真5右≫
  路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バッテリー交換と、灯火類の交換・補修の後は、快調に走っています。 そろそろ、オイル交換してから、一年が経ちますが、エンジン音に、渋りは感じられないので、「律儀に、一年ごとに交換しなくてもいいかなあ」などと、考えています。




【沼津図書館 / 黄瀬川大橋 / 三島図書館】

  2021年10月20日、バイクで、沼津図書館と、三島図書館へ行きました。 本は、沼津では返し、三島では借りました。 この週は、プチ・ツーリングには行かず、この図書館巡りで、代わりにしました。

≪写真1≫
  沼津図書館の、駐輪場と、建物北側の壁。 壁は、工事中でした。 たぶん、塗り替えでしょう。

  まず、沼津図書館で、借りていた本を返してから、旧国一で、三島図書館へ向かいました。 ちなみに、返したのは、≪黒死館殺人事件≫と、≪ドグラ・マグラ≫。

≪写真2≫
  黄瀬川橋から見た、修理中の黄瀬川大橋。 黄瀬川大橋は、7月の豪雨で、橋脚が一ヵ所、流されてしまいました。 その後、仮設橋を架けて、通行が再開されたのですが、バイクは通行禁止だそうで、やむなく、一本下流の、黄瀬川橋に回った次第。

  横から見ると、橋脚が一本、なくなっているのが、よく分かります。 完全復旧には、4・5年かかるとの事。

≪写真3左≫
  三島図書館。 北側から見た様子。 奥の大きな建物、「三島市民生涯学習センター」の中に入っています。 手前右側は、立体駐車場。

≪写真3右≫
  建物東側の、駐輪場に停めました。 この時は、すいていましたが、ここの駐輪場は、満杯の時もあります。 西側の駐輪場の方が、収容台数が多いです。 ヘルメットは、バイクにつけ、帽子に被り直して、中に入りました。 借りたのは、≪虚無への供物≫と、≪匣の中の失楽≫。

≪写真4≫
  建物の東側全景。 大き過ぎて、収まりきれません。

  沼津市民なのに、なぜ、三島図書館を利用できるのかというと、近隣自治体で、そういう協定があるからです。 三島には、沼津にない本が、大変、多いです。 開架は、沼津より少ないですが、書庫が充実している模様。




【青野・浅間神社①】

  2021年10月26日、バイクで、沼津市の西の方、愛鷹山麓の、青野という地区にある、「浅間神社」に行って来ました。 根方街道からだと、北へ曲がる交差点が分かり難いので、東名の北側の道に出て、西へ向かいました。

≪写真1≫
  これは、「沼津600クラブ」というゴルフ場の南縁から、南々東方向を見下ろした景色。 手前は、茶畑。 沼津市街地、沼津アルプス、伊豆半島北西部の山並み、駿河湾が見えています。

≪写真2≫
  新東名の高架道路を見上げました。 大き過ぎて、不気味。 造る時にはいいけれど、いずれ、維持・補修が大変になるでしょうな。 そん頃にゃ、私ゃ、死んでるから、いいけど。 

  この辺りも、南側の眺望は良いです。 バイクだから、路肩に停めて、写真撮影が可能ですが、車では、ちと、危ないです。 交通量は少ないですが、アップ・ダウンの激しいワインディング・ロードなので、飛ばして来る車もあるのです。 

≪写真3≫
  北側から下って行って、迷わずに、青野の浅間神社に着きました。 分かり易い道を選んで来て、正解でした。 この神社は、集落の北東隅に位置しています。

  なんと、ほぼ同じ大きさの、石の鳥居が、四基も並んでいました。 奥から古い順に、大正から、平成まで。 鳥居の名額にも、標柱にも、「浅間神社」とあるだけで、「青野~」とは、付いていません。

≪写真4左≫
  鳥居から、そこそこの距離を歩いて、社殿に至りました。 境内は広いですが、村社クラスだと思います。 社殿は、鉄筋コンクリート、瓦葺き。

≪写真4右≫
  社殿の側面。 奥は、本殿です。 随分としっかりした造りで、この写真だけ見ると、神社というより、城のように見えます。




【青野・浅間神社②】

≪写真1左≫
  拝殿の扉。 格子のガラスが、二枚外されていて、中の賽銭箱にお金を入れるようになっています。 どこも、賽銭泥棒には悩まされているようですな。

≪写真1右≫
  境内にある、「薬師堂」。 当然、薬師如来を祀っているんでしょう。 神仏習合の名残。

≪写真2左≫
  この建物は、何なんでしょう? 注連縄はあるものの、シャッターを見ると、別社ではなさそうです。 お神輿などを納めた、倉庫なのかもしれません。

≪写真2右≫
  手水場。 漱盤は、オーソドックスなもの。 前面の文字は、右から「奉納」。 蛇口がありますが、面白い事に、漱盤の中に落ちる位置には付いていません。 ノズルを斜めにして、勢いよく出せば、何とか、入るかな? 緑色のホースが付けられていますが、ホースを使った作業のし易さを優先したのかも知れません。

  左の方に、手水鉢があります。 水が溜まっていますが、ホースで入れたのか、雨水なのか。 いずれにせよ、溜まり水では、手を洗う気にもなりませんな。

≪写真3左≫
  洞(うろ)のある、神木。 大きな木でした。 他にも、巨木が多くありました。

≪写真3右≫
  隣接する、上下二段になった広場の、境の傾斜部にあった、滑り台。 神社の境内を、児童公園にするのは、駿東地区では、よくある事です。 もう、だいぶ、使われていないように見えます。 遊ぶ子供がいなくなってしまったのでしょうか。

≪写真4≫
  上段の広場。 写っていませんが、ベンチや椅子が置いてあって、ゲート・ボール場として使われていたような形跡があります。 今は、使っていない模様。 高齢者はいると思いますが、新型肺炎の影響で、集まるのを避けているのかも。 もしそうなら、大変、賢明な判断ですな。 ゲート・ボールをやりたいばかりに、感染して死んだら、大変、馬鹿馬鹿しい。

  白い円筒形の建物は、「青野配水池」。 古い集落でも、遠くから、上水を引く場合、高地では、こういう施設が必要になるわけだ。

≪写真5左≫
  東の方に見えた、「東電 愛鷹線 №47」。 普通、高圧電線の鉄塔は、灰色ですが、これは、紅白に塗られています。 なぜでしょう? 理由が分からない。

≪写真5右≫
  鳥居の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この日は、大回りをしたせいで、市内であったにも拘らず、往復29キロくらい、走りました。 ガソリンが、どんどん減る。 高いので、週一回、30キロ近く走ると、とても、2ヵ月は、もちません。




  今回は、ここまで。

  10月から、三島図書館へ通い始めます。 自転車でも行けるんですが、遠いので、腿が痛くなってしまいますし、体力を消耗した状態で、人が多い屋内に入ると、免疫力が下がっていて、感染し易くなるのも怖い。 そこで、バイクを使い、プチ・ツーの代わりにして、一石二鳥を狙った次第。

  しかし、結局、遠い事に変わりはないですし、三島まで行かずに済めば、それに越した事はないです。 そもそも、沼津の図書館に、本がない事に問題がある。 「四大奇書」と呼ばれている作品なのに、≪匣の中の失楽≫が置いてないというのは、どういう事か。