AIの判断
12月は、一年の纏めが、最後の週に来るから、プチ・ツーリングの記事が、その前の週に押し出されて、きっつきつになる予定。 月前半の2週で、読書感想文の方を進めてしまいたいところですが、そういう時に限って、何かを書き下ろしたくなるから、捻くれた性格です。 で、何を書き下ろすかというと、AI、つまり、人工知能の話。 なに、専門的な知識は、全く持ち合わせていませんから、ごく短いものになります。
11月の中旬頃、BS-TBSの、≪報道1930≫で、AI兵器の特集をやっていました。 それを見て、知らなかった分野の進歩の速さに、寝耳に水的に驚き、個人を追いかけて来て爆発する無人機の恐ろしさに震え上がった人も多かろうと思います。 私も驚きました。 しかし、AIが、兵器だけに使われていると誤解してしまうと、もっと怖い結果に至りそうなので、他の視点がある事を、書いておこうかと思った次第。
兵器に、AIが使われた場合、「人間に危害を加えてはならない」という、アシモフの「ロボット三原則」に抵触するわけですが、ロボット三原則自体が、SF作家が考えたものなので、科学的・政治的には、真面目に捉えられていません。 そもそも、「ロボット三原則に従わなければならない」などという法律も条約も存在しませんし、更にそもそも、「AI=ロボット」という認識がなければ、ロボット三原則で、AIを規制する事はできません。 「AI=機械・道具」という見方をするなら、従来の武器・兵器と変わらないわけで、結局、使っているのは、人間だから、ロボット三原則の出る幕はないわけだ。
末端の兵器ではなく、もっと上位の判断を、AIに委ねた場合はどうなるのか? 戦闘の指揮や、戦術、戦略の判断を、AIにさせた場合、倫理的に問題があるのか? これも、やすやすと、反駁・突破されてしまいそうですねえ。 その種の判断に使えるAIがあって、その判断通りに実行すれば勝てるのに、敢えて使わないという軍も国もないでしょう。
では、戦争自体の開始は、AIの判断に委ねられるか? となると、そこまで高次元の判断を下すには、AIは、まだまだ、未熟という感じがします。 ただ、では、戦争開始の判断は、人間なら、うまくやれるのか? となると、これまた、大いに怪しい。 過去に起きた戦争を見ると、明らかに、間違った判断で始めたというケースが、ゴロゴロあります。 自ら攻めて行ったのに、結果が敗北というのが、その典型例です。 「勝負は時の運」などという寝言に頼って、正確な判断ができなかったわけだ。
AIに、戦争開始の判断はさせられないけれど、停戦や、降伏の判断なら、いけそうですな。 1945年8月に、日本政府が、AIをもっていたら、広島に原爆が落とされた時点で、即、降伏し、長崎への投下は避けられたと思います。 もっと早い時点で、AIがあったら、そもそも、戦争を始めなかったでしょう。 もっとも、AIの判断を実行するには、「AIの判断は、人間のそれより、優れている」という合意が必要なので、軍が戦争の決定権を握っていた当時の日本政府では、AIは、足蹴にされて、壊されただけだと思いますが。
戦争の事はさておき、AIは、兵器にばかり使われているわけではなく、人間では対応しきれない複雑な要素が絡み合う、高度な判断が必要とされる、あらゆる場面で、活用が可能です。 たとえば、工場の生産管理に、AIを導入していてる企業が、外国では、相当あるらしいですが、そういう事に使える、汎用のAIが、すでに存在しているわけですな。
日本では、ごくごく単純な物を除いて、AIがAIらしく使われているという例を聞きませんが、それ即ち、すでに、AI先進国と比べて、大きな差がついているという事なんでしょう。 いずれ、汎用も汎用、これ以下は考えられないくらい、汎用化したAIが、日本の企業や役所でも、使われ始める時代が来ると思いますが、外国製のシェアを崩す事はできますまい。 スマホや、撮影用ドローン市場を思い浮かべれば、先行者優位を崩すのが、いかに不可能に近いかが分かると思います。
AIなら、何でも同じというわけではなく、AIの中にも、完成度が高い物と、低い物が、当然あります。 ちなみに、人間よりも、判断力に劣っていたら、それは、未熟品という事になり、そういうAIを利用する意味はありません。 AIを様々な分野で、どしどし投入し、バンバン活用する社会の中でも、完成度の高いAIが生き残って行って、他は淘汰されて行くでしょう。 AIを活用できない国・社会、役所・企業は、AIを使うライバル達に、どんどん水を開けられて、取り残されて行くと思います。
ここで、大変、根本的な考え違いをする人々が出てくる危険性があります。
「AIは活用する。 しかし、最終的な判断は、人間が行なう」
この文言、当然の事だと思いますか? 民主主義国・地域の住民なら、この文言に、全く違和感を抱かないと思います。
「当然だ。 そうでなければ、映画≪マトリックス≫の、現実世界のように、機械に支配されてしまうではないか」
だけどねえ。 AIは、人間より判断力が優れているのが、その存在意義が発生する最低条件なのだから、最終判断は人間がすると言っても、結局、AIの判断を追認するだけになってしまうとは思いませんか? 人間が、「このAI判断は間違っている」と指摘しても、AIから、ビッグ・データなど、人間には直接捉え難い根拠を示されると、結局、その判断を認めざるを得なくなると思うのです。
「判断力に於いて、機械は、人間を超える事ができない」
それが、間違った認識でして、おそらく、SFの映画・小説・漫画などからの刷り込みで、そういう考え方がこびりついてしまったのだと思いますが、今は、その認識が覆されつつある、過渡期と言えます。 具体的な例では、チェス・将棋・囲碁など、ボード・ゲームの世界で、人間が、AIに勝てなくなったのを見れば、どちらが優れているか、認めざるを得ますまい。
もちろん、ボード・ゲームは、一定のルールに縛られた狭い世界の事ですが、ビッグ・データの登場で、広い世界でも、AIが優位に立つ分野が、急激に広がっていると見るのが、正しい認識でしょう。 たとえば、企業の経営判断ですが、人間の社長が、閃きで思いついた戦略より、ビッグ・データを分析した、AIの戦略の方が、確実だと思うのは、私だけではないはず。 もし、私が社員だったら、AIを使いこなしている企業の方に勤めたいと思います。 名目上だけなら、「最終判断は、人間が行なっている」でも、構いませんが、基本的に、全ての判断項目に、AIを通している企業の方が、そうでない企業より、断然、強いと思うのです。
全く、人間なんて、ろくなものではない。 不祥事ばかり起こしている企業を見ると、管理職が、社内での勢力争いばかりやっていて、会社のエネルギーを食い潰しているのが、部外者の目から見ても、ありありと分かります。 会社全体の利益より、自分が支配権をとり、地位だの、金だの、物だのを囲い込む事の方に、血道を上げているのです。 そんな毒虫どもに比べたら、AIがいかに清廉で、頼りになる事か。 実際に仕事をしている人間は別として、会社に顔を出しているだけで、やる事がない、肩書きだけの中間管理職とか、秘書に仕事を探してもらっている重役なんて、一人も要らんのだわ。 AIを使いこなせる社長が、一人いれば良い。
AIの活用が、今後、この上なく重要になってくる事を考えると、民主主義の国・地域は、先行きが、暗いです。 だって、
「AIは活用する。 しかし、最終的な判断は、人間が行う」
の大原則から、逃れられないでしょう? AIの判断とは違う判断を下す人間が、最終判断者の地位に居座っている限り、AIの判断を人間の判断より上位に置いている、国・地域には、勝てません。 AIの判断力は、どんどん、進化するのに対し、人間の判断力は、最も優れている人のそれでも、ムラがあり、多くの正しい判断と、多くの間違った判断を、一人の人間が行なうからです。 勝てんなあ。
大抵の、SF作品では、機械が間違った判断を下したのを、人間の主人公が、命懸けで阻止して、ハッピー・エンドになりますが、そもそも、人間より判断力が劣る場合、AIとして認められないのですから、そういう作品の設定は、矛盾しています。 人間的な解釈が邪魔をして、AIの真の実力を侮っているから、そういうストーリーを作るのだと思いますが、AIが、どの分野でも使われる時代になれば、「AIのミスを、人間が正す」などというストーリーは、滑稽・陳腐以外の何ものでもなくなるでしょう。
「それでも、最終判断は、人間が・・・」
分からん人だな。 ありあり、間違っていると分かっていても、人間の判断を取るのかね? 現実を良く見よ。 民主主義国家・地域の為政者達が、優れていると思いますか? 一般民衆の平均と比べても、上回っている人物は、少ないです。 言いたくないが、馬鹿、アホ、間抜け、能なし、昼行灯、風呂の蓋くらいなら、まだいい方で、性格異常者、精神異常者、認知症患者、ズバリ犯罪者など、およそ、国・地域の指導者には、これ以上、相応しくない人がいないというくらい、相応しくない人達が、『民主的手続きを経て』、トップに選ばれています。 彼らが、AIよりも、優れた判断をすると思いますか? 話にならぬ。
百歩譲って、AIより優れた判断力を持つ人間がいたとして、そういう人物を、どうやって、選ぶのだ? そんな人物が、金と欲にどっぷり塗れた、「民主的手続き」に、引っ掛かって来ると思いますか? それこそ、AIを使って該当人物を捜すしかありませんな。 そして、そういう人物なら、「私より、AIに判断を任せた方がいいです」と、あっさり、認めるでしょう。
今現在、すでにそうなっている国・地域があるかどうかは不明ですが、AIを高次元の判断に活用できるところが、今後、生き残って行くと思います。 そういう国・地域では、企業でも、団体でも、様々な階梯で、AIが使われると思うので、政治、経済はもちろん、科学、技術、文化まで、あらゆる分野で、他を圧倒し始めるんじゃないでしょうか。
ディストピア? いや、その時になってみれば、AIを使いこなせなかった国・地域の方が、ディストピアになっていると思いますよ。 欲の皮ばかり突っ張った、馬鹿な人間同士が血で血を洗う、修羅場と言った方が、的確か。 人間なんて、そんなに、御大層な能力があるわけではないです。
11月の中旬頃、BS-TBSの、≪報道1930≫で、AI兵器の特集をやっていました。 それを見て、知らなかった分野の進歩の速さに、寝耳に水的に驚き、個人を追いかけて来て爆発する無人機の恐ろしさに震え上がった人も多かろうと思います。 私も驚きました。 しかし、AIが、兵器だけに使われていると誤解してしまうと、もっと怖い結果に至りそうなので、他の視点がある事を、書いておこうかと思った次第。
兵器に、AIが使われた場合、「人間に危害を加えてはならない」という、アシモフの「ロボット三原則」に抵触するわけですが、ロボット三原則自体が、SF作家が考えたものなので、科学的・政治的には、真面目に捉えられていません。 そもそも、「ロボット三原則に従わなければならない」などという法律も条約も存在しませんし、更にそもそも、「AI=ロボット」という認識がなければ、ロボット三原則で、AIを規制する事はできません。 「AI=機械・道具」という見方をするなら、従来の武器・兵器と変わらないわけで、結局、使っているのは、人間だから、ロボット三原則の出る幕はないわけだ。
末端の兵器ではなく、もっと上位の判断を、AIに委ねた場合はどうなるのか? 戦闘の指揮や、戦術、戦略の判断を、AIにさせた場合、倫理的に問題があるのか? これも、やすやすと、反駁・突破されてしまいそうですねえ。 その種の判断に使えるAIがあって、その判断通りに実行すれば勝てるのに、敢えて使わないという軍も国もないでしょう。
では、戦争自体の開始は、AIの判断に委ねられるか? となると、そこまで高次元の判断を下すには、AIは、まだまだ、未熟という感じがします。 ただ、では、戦争開始の判断は、人間なら、うまくやれるのか? となると、これまた、大いに怪しい。 過去に起きた戦争を見ると、明らかに、間違った判断で始めたというケースが、ゴロゴロあります。 自ら攻めて行ったのに、結果が敗北というのが、その典型例です。 「勝負は時の運」などという寝言に頼って、正確な判断ができなかったわけだ。
AIに、戦争開始の判断はさせられないけれど、停戦や、降伏の判断なら、いけそうですな。 1945年8月に、日本政府が、AIをもっていたら、広島に原爆が落とされた時点で、即、降伏し、長崎への投下は避けられたと思います。 もっと早い時点で、AIがあったら、そもそも、戦争を始めなかったでしょう。 もっとも、AIの判断を実行するには、「AIの判断は、人間のそれより、優れている」という合意が必要なので、軍が戦争の決定権を握っていた当時の日本政府では、AIは、足蹴にされて、壊されただけだと思いますが。
戦争の事はさておき、AIは、兵器にばかり使われているわけではなく、人間では対応しきれない複雑な要素が絡み合う、高度な判断が必要とされる、あらゆる場面で、活用が可能です。 たとえば、工場の生産管理に、AIを導入していてる企業が、外国では、相当あるらしいですが、そういう事に使える、汎用のAIが、すでに存在しているわけですな。
日本では、ごくごく単純な物を除いて、AIがAIらしく使われているという例を聞きませんが、それ即ち、すでに、AI先進国と比べて、大きな差がついているという事なんでしょう。 いずれ、汎用も汎用、これ以下は考えられないくらい、汎用化したAIが、日本の企業や役所でも、使われ始める時代が来ると思いますが、外国製のシェアを崩す事はできますまい。 スマホや、撮影用ドローン市場を思い浮かべれば、先行者優位を崩すのが、いかに不可能に近いかが分かると思います。
AIなら、何でも同じというわけではなく、AIの中にも、完成度が高い物と、低い物が、当然あります。 ちなみに、人間よりも、判断力に劣っていたら、それは、未熟品という事になり、そういうAIを利用する意味はありません。 AIを様々な分野で、どしどし投入し、バンバン活用する社会の中でも、完成度の高いAIが生き残って行って、他は淘汰されて行くでしょう。 AIを活用できない国・社会、役所・企業は、AIを使うライバル達に、どんどん水を開けられて、取り残されて行くと思います。
ここで、大変、根本的な考え違いをする人々が出てくる危険性があります。
「AIは活用する。 しかし、最終的な判断は、人間が行なう」
この文言、当然の事だと思いますか? 民主主義国・地域の住民なら、この文言に、全く違和感を抱かないと思います。
「当然だ。 そうでなければ、映画≪マトリックス≫の、現実世界のように、機械に支配されてしまうではないか」
だけどねえ。 AIは、人間より判断力が優れているのが、その存在意義が発生する最低条件なのだから、最終判断は人間がすると言っても、結局、AIの判断を追認するだけになってしまうとは思いませんか? 人間が、「このAI判断は間違っている」と指摘しても、AIから、ビッグ・データなど、人間には直接捉え難い根拠を示されると、結局、その判断を認めざるを得なくなると思うのです。
「判断力に於いて、機械は、人間を超える事ができない」
それが、間違った認識でして、おそらく、SFの映画・小説・漫画などからの刷り込みで、そういう考え方がこびりついてしまったのだと思いますが、今は、その認識が覆されつつある、過渡期と言えます。 具体的な例では、チェス・将棋・囲碁など、ボード・ゲームの世界で、人間が、AIに勝てなくなったのを見れば、どちらが優れているか、認めざるを得ますまい。
もちろん、ボード・ゲームは、一定のルールに縛られた狭い世界の事ですが、ビッグ・データの登場で、広い世界でも、AIが優位に立つ分野が、急激に広がっていると見るのが、正しい認識でしょう。 たとえば、企業の経営判断ですが、人間の社長が、閃きで思いついた戦略より、ビッグ・データを分析した、AIの戦略の方が、確実だと思うのは、私だけではないはず。 もし、私が社員だったら、AIを使いこなしている企業の方に勤めたいと思います。 名目上だけなら、「最終判断は、人間が行なっている」でも、構いませんが、基本的に、全ての判断項目に、AIを通している企業の方が、そうでない企業より、断然、強いと思うのです。
全く、人間なんて、ろくなものではない。 不祥事ばかり起こしている企業を見ると、管理職が、社内での勢力争いばかりやっていて、会社のエネルギーを食い潰しているのが、部外者の目から見ても、ありありと分かります。 会社全体の利益より、自分が支配権をとり、地位だの、金だの、物だのを囲い込む事の方に、血道を上げているのです。 そんな毒虫どもに比べたら、AIがいかに清廉で、頼りになる事か。 実際に仕事をしている人間は別として、会社に顔を出しているだけで、やる事がない、肩書きだけの中間管理職とか、秘書に仕事を探してもらっている重役なんて、一人も要らんのだわ。 AIを使いこなせる社長が、一人いれば良い。
AIの活用が、今後、この上なく重要になってくる事を考えると、民主主義の国・地域は、先行きが、暗いです。 だって、
「AIは活用する。 しかし、最終的な判断は、人間が行う」
の大原則から、逃れられないでしょう? AIの判断とは違う判断を下す人間が、最終判断者の地位に居座っている限り、AIの判断を人間の判断より上位に置いている、国・地域には、勝てません。 AIの判断力は、どんどん、進化するのに対し、人間の判断力は、最も優れている人のそれでも、ムラがあり、多くの正しい判断と、多くの間違った判断を、一人の人間が行なうからです。 勝てんなあ。
大抵の、SF作品では、機械が間違った判断を下したのを、人間の主人公が、命懸けで阻止して、ハッピー・エンドになりますが、そもそも、人間より判断力が劣る場合、AIとして認められないのですから、そういう作品の設定は、矛盾しています。 人間的な解釈が邪魔をして、AIの真の実力を侮っているから、そういうストーリーを作るのだと思いますが、AIが、どの分野でも使われる時代になれば、「AIのミスを、人間が正す」などというストーリーは、滑稽・陳腐以外の何ものでもなくなるでしょう。
「それでも、最終判断は、人間が・・・」
分からん人だな。 ありあり、間違っていると分かっていても、人間の判断を取るのかね? 現実を良く見よ。 民主主義国家・地域の為政者達が、優れていると思いますか? 一般民衆の平均と比べても、上回っている人物は、少ないです。 言いたくないが、馬鹿、アホ、間抜け、能なし、昼行灯、風呂の蓋くらいなら、まだいい方で、性格異常者、精神異常者、認知症患者、ズバリ犯罪者など、およそ、国・地域の指導者には、これ以上、相応しくない人がいないというくらい、相応しくない人達が、『民主的手続きを経て』、トップに選ばれています。 彼らが、AIよりも、優れた判断をすると思いますか? 話にならぬ。
百歩譲って、AIより優れた判断力を持つ人間がいたとして、そういう人物を、どうやって、選ぶのだ? そんな人物が、金と欲にどっぷり塗れた、「民主的手続き」に、引っ掛かって来ると思いますか? それこそ、AIを使って該当人物を捜すしかありませんな。 そして、そういう人物なら、「私より、AIに判断を任せた方がいいです」と、あっさり、認めるでしょう。
今現在、すでにそうなっている国・地域があるかどうかは不明ですが、AIを高次元の判断に活用できるところが、今後、生き残って行くと思います。 そういう国・地域では、企業でも、団体でも、様々な階梯で、AIが使われると思うので、政治、経済はもちろん、科学、技術、文化まで、あらゆる分野で、他を圧倒し始めるんじゃないでしょうか。
ディストピア? いや、その時になってみれば、AIを使いこなせなかった国・地域の方が、ディストピアになっていると思いますよ。 欲の皮ばかり突っ張った、馬鹿な人間同士が血で血を洗う、修羅場と言った方が、的確か。 人間なんて、そんなに、御大層な能力があるわけではないです。
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