読書感想文・蔵出し (82)
読書感想文です。 新年早々、こんなシリーズもなんですが、他に書きたい事もないので、蔵出しを片付けてしまおうと思います。
≪松本清張全集 24 無宿人別帳・彩色江戸切絵図・紅刷り江戸噂≫
松本清張全集 24
文藝春秋 1972年10月20日/初版 2008年7月5日/8版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、短編集3、短編合計、22作を収録。
【無宿人別帳】
1957年(昭和32年)9月から、1958年3月まで、「オール読物」に連載されたもの。
「町の島帰り」 約19ページ
ある目明しが、料理屋の中居に目をつけたが、女には、惚れた男がいた。 目明しは、その男に濡れ衣を着せて、島送りにしてしまったが、女は目明しを近づけようとしなかった。 やがて、男は、御赦免で戻って来るが、目明しは、その奉公先に、島帰りの前科者という情報を流し、男は勤める先々で、クビになってしまう。 音を上げた女が、ようやく、目明しに靡きそうになった時に・・・、という話。
たかが横恋慕で、二人の人間を破滅させてしまうのは、恐ろしい事ですが、これが、人間の欲というものなのでしょう。 自分の得になるのなら、他人が何人死んでも、屁でもないんだわ。 この目明し、おそらく、他でも、何人、何十人という他人を、死に追いやっているはず。
善悪バランスがとられますが、その罰は、露悪的なだけで、全然、足りません。 最後に、「○○が、死体となって発見されたのは、翌朝の事だった」という一行が欲しいところ。
「海嘯(つなみ)」 約17ページ
無宿人だというだけで、捕まって、人足寄せ場に送られた、浜生まれの男。 仲間に誘われて、脱走を決意した矢先、高潮の前哨である雲を見る。 高潮が押し寄せて、人足寄せ場を押し流し、町の方にまで被害が及んで・・・、という話。
うーむ。 松本さん、「高潮」と「津波」を混同していたのでは? 「海嘯」は、地震による津波にも、他の原因による高波にも使われますが、この作品に出て来るのは、明らかに高潮であって、津波ではないです。 また、雲の形を見て、高潮が予見できるのかどうか、大いに疑問。
それはさておき、ラストが変でして、木に竹です。 印象に残るのは、視点人物ではなく、寄せ場の先輩で、「娑婆よりも、寄せ場の方が、生活が安定していている」と言い、自ら進んで居残っている人物の方。
「おのれの顔」 約15ページ
牢に入っている顔の醜い男。 自分によく似ていて、もっと醜い新入りが気に入らず、事あるごとにいたぶっていた。 入牢者が急に増え、目立って窮屈になった結果、牢内の主だった者の間で、「5人ほど、秘かに殺そう」という相談が纏まり、その中に、醜い新入りを含めて、殺してしまおうとするが・・・、という話。
顔の良し悪しは、畢竟、そういう形をしているというだけの事であって、ある形に近いものを、「良い」とし、遠いものを、「悪い」としているだけなのですが、その程度の問題に過ぎない、顔のせいで、殺されたのではたまったものではないです。 しかも、同じように、顔が悪い奴に計られたのでは、ますます、たまったものではない。
善悪バランスがとられますが、それも、顔が原因で、とことん、顔の悪さを問題にしています。 他の時代物短編でも、同じテーマの作品がありましたが、そのあとがきでは、松本さん自身が、顔が悪いと言われていたから、そういう作品を書いたとありました。 しかし、松本さんを顔で評価する人がいたら、そいつは、只のアホでしょう。
「逃亡」 約17ページ
佐渡金山に、水替え人足として、送り込まれてしまった男。 仲間が、休みなく扱き使われ、死んで行くのを見て、脱走計画に乗る。 宿舎から、金鉱への移動中に、20人の人足で、2人の役人を殺し、3組に分かれて、舟のある浜を目指すが・・・、という話。
「舟を複数、確保するのは、無理」と考え、仲間を騙して人数を減らして行く、計画首謀者の算段が、あざとい。 しかし、これが人間というものなのでしょう。 一応、善悪バランスがとられますが、捕まった仲間は、斬罪になった可能性が高く、この程度では、浮かばれますまい。
「俺は知らない」 約17ページ
無実なのに、質屋に強盗に入った咎で、牢に入れられてしまった男。 外に出たいばかりに、牢破りを企てている連中を、役人に密告し、その褒美として、解き放たれる。 自分を陥れた真犯人に復讐するが、その後、ある人物から声をかけられ・・・、という話。
二段構えのストーリー展開。 騙されて、質屋強盗の犯人にされてしまうのが一段目。 真犯人を懲らしめる為に、牢から外に出る手段を選ばなかったせいで、大勢の犠牲者を出し、恨みを買うというのが、二段目。 最悪の境遇に陥った人間は、そこから脱する為には、他人の迷惑なんか考えないんですな。 「俺は知らない」では済まない次元の、大迷惑だったわけですが。
「夜の足音」 約17ページ
ある無宿人、目明しに勧められて、商家の出戻り娘の、夜の相手をする事になる。 いい金になったが、ある時、自分と娘の行為が、誰かに覗かれている事に気づき・・・、という話。
別に、これは、無宿人だから、どうこうという話ではないです。 ただ、金回りが悪いところに付け込まれただけ。 騙した目明しには、罰が下されますが、罪に比べて、罰が大き過ぎます。 確かに、騙されたとはいえ、お金にはなったのだし、特に嫌な思いをさせられたというわけでもなく、そのまま、騙されていれば、良かったのでは?
「流人騒ぎ」 約25ページ
八丈島に島流しになった男。 とっくに、刑期を終えているはずなのに、放免にならない。 何かの間違いではと、庄屋に訴えて、逆に、睨まれてしまう。 やがて、脱走計画が持ち上がり、それに乗るが、計画は、事前に漏れていて・・・、という話。
前半と後半で、テーマが違っています。 前半は、役人の手抜きが原因で、刑期の満了が通知されない理不尽を描いていますが、後半は、脱走劇で、前半とは、ほぼ、関係がありません。 作家志望者が、こういうのを、編集者へ持ち込んだら、ゴミ箱直行間違いなしという、重大な欠陥。
脱走劇の方ですが、このパターンが多いですなあ。 話を盛り上げようとすると、どうしても、脱走の展開にせざるを得ないのかも知れませんが・・・。 一般人だと、「島の女と、所帯まで持ったのなら、島に骨を埋めるつもりで、地道に生活すればいいのに」と考えるところですが、凶状持ちの面々は、そもそも、そういう真っ当な生活なんて、できないんですな。 本州に戻ったって、結局また、捕まると思うのですがねえ。
「赤猫」 約17ページ
大火で、一時的に牢から解き放たれた無宿者。 戻るつもりでいたが、同じ牢に入っていた男と会って、その男が質屋へ押し入るのを知らぬままに、見張りをさせられたせいで、戻れなくなってしまう。 その後、よその土地へ行っていたが、江戸が恋しくなって、こっそり戻り、正業について暮らしていた。 ある時、昔、質屋から奪った着物の布で作った財布に興味を持った者がいると聞いて、一緒に牢から逃げた相手に違いないと思うが・・・、という話。
「赤猫」というのは、牢から解き放ちになるほどの大火の事だそうです。 で、大火解き放ちの話かと思って読み進めたんですが、そちらは、単に話の枕に過ぎず、後は、ただただ、運命に転がされて行くだけの展開になります。 どうも、全体の構想を考えずに書き始めて、テキトーに繋いで行っただのように、思えますねえ。
意外なところから、犯罪が露顕するパターンが使われていますが、着物からというのは、【書道教授】(1969年)に近いでしょうか。 十年以上、後の作品になりますが。
「左の腕」 約15ページ
若い娘を連れた、60近い老人。 父娘で、料理屋に住み込んで働き、何とか、口を糊していた。 性質の悪い目明しが、娘に目をつけ、ちょっかいを出そうと、父親の左手にある咎人の刺青を見つけて、脅しをかける。 そんな時に、料理屋に、押し込み強盗が入り・・・、という話。
素性を隠していた年寄りが、実は、とんでもない大物だった、というパターンの話。 【くるま宿】(1951年)と、同じ趣向。 時代小説に良くあるパターンで、松本さんらしくありません。
「雨と川の音」 約23ページ
入牢後、仮病を使って、病人が入る別の牢へ移った男が、佐渡送りが決まっている面々に誘われて、脱走する。 その内の一人と一緒に逃げるが、相手の男の凶暴な発想のせいで、駆け落ち者の男女を相手に、強盗をせざるを得なくなり、結果、指を二本失う目に遭う。 その後、一人になり、よその土地へ逃げて、世話になったやくざ一家の跡目を継ぐ事になるが、たまたま立ち寄った温泉宿で、因縁深い、駆け落ち者の女の方を見かけ・・・、という話。
「赤猫」と同じで、全体の構想なしに、テキトーに繋いで行ったストーリーです。 これといって、テーマはありませんが、強いて、教訓を汲み取るなら、犯罪的性向の強い人間には、近づくなという事でしょうか。 「修羅場を潜っているから、頼りになりそう」などというのは、完全な錯覚で、そういう奴が、俄かに出来た仲間を、大事にするはずがありません。 捨て駒に利用されるのがオチというわけです。
【彩色江戸切絵図】
1964年(昭和39年)1月から、12月まで、「オール読物」に連載されたもの。
「大黒屋」 約34ページ
ある男が、同郷の男が主をしている商家に入り浸っていたが、そこの女房に懸想して、年中、泊まり込んだり、亭主の留守に、狼藉を働こうとしていた。 その男が、死体で発見され、前々から、怪しんでいた、下っ引きが、調べを始めると、意外な事件が背後にある事が分かって来る話。
時代小説ですが、中身は、完全に、推理物です。 しかも、本格。 トリックこそないですが、謎があり、それを、目明し達が、捜査して、解いて行きます。 前半で、殺される男の描写に枚数を使い過ぎているせいで、謎解きが前面に出て来る後半と、アンバランスになっていますが、後半のノリがいいせいか、あまり、気になりません。
鍬の使い方は面白いですが、余った柄を、柵の代わりに、神社に寄進というのは、ちと、無理があるのでは? 寺で、鍛冶仕事の煙をごまかす為に、焚き火をしたというなら、そこで、ついでに、燃やしてしまえば良かったのに。
私は、この柵の話を、松本さん原作の、何かの時代劇ドラマで見た事があります。 「大黒屋」というタイトルではなかったし、この作品の話とも、全然違っていましたが、部分的に、他のドラマに取り入れたのかも知れませんな。
「大山詣で」 約34ページ
年老いた商家の主に、後妻に入った若い女。 亭主が病で、夜の方が駄目になり、浮気相手を拵えたが、大っぴらには逢えない。 で、亭主の病気平癒祈願に託けて、大山参りに出かけ、そこで、逢瀬を楽しんで来た。 ところが、ついて行った番頭と、一行の案内をした男に見られてしまい・・・、という話。
松本作品には、珍しい。 愛欲だけが、モチーフになっています。 あくまで、モチーフであって、テーマというほどではありません。 よく考えて、構想を練ったわけではなく、なりゆき任せで作ったようなストーリーです。 愛欲場面に期待するような作品ではありません。 松本さんは、エロな設定は作るけれど、エロな描写で読ませようとは、全く考えなかった作家なのです。
「山椒魚」 約30ページ
流行病の疱瘡に、見るだけで利くという、大きな山椒魚を使って、商売をしている男がいた。 座敷にゴロ寝の旅人宿で、自分だけ、白い飯を炊き、扱き使っている子分や、同宿人達に恵んでやる事で、威張りちらしていた。 新入りの薬屋の女房に目をつけ、口説き落とそうとしたら・・・、という話。
少々羽振りがいいからと言って、人を人とも思わない横柄な男に、とんだ、しっぺ返しがあった、というだけの話。 別に、何の捻りもありません。
「三人の留守居役」 約25ページ
大名の江戸留守居役は、金回りがいい事で知られていた。 三人の留守居役が、ある料理屋を訪ねて来て、芸者を呼んで遊び、芝居見物に連れて行こうとする。 用心の為に、芸者の高価な着物や、簪などを預かるが、留守居役そのものが偽者で、それを、持ち逃げされてしまう。 騙された芸者の一人が探索に出るが、行方知れずになったり、別の芸者が夜道で切りつけられたり、奇妙な事が続き、岡っ引きが、乗り出す話。
完全に、捕物帳。 留守居役を、大企業の重役に代えれば、現代物にしても、通ります。 しかし、誉めているわけではなく、あまり、面白くないです。 捻ってはあるものの、それが、面白さに繋がらず、ただ、複雑、不自然になっているだけという感じ。
「蔵の中」 約29ページ
ある商家。 主が、娘の婿に、使用人の一人を選んだ晩に、殺人事件が起こる。 使用人の一人が、蔵の中で殺され、もう一人が、蔵の前に掘られた大きな穴に頭を突っ込んで死んでおり、婿になるはずの男は、姿を消していたが、やがて、水死体になって発見された。 また、娘も、蔵の前の穴の中に落ちていたが、命は助かった。 岡っ引きが出張り、謎を解く話。
これも、捕物帳。 お店の娘の取り合いで、死闘が繰り広げられるわけですが、松本作品ですから、もちろん、アクション物などではありません。 死んだ順序が鍵でして、【そして誰もいなくなった】に、近いものがあります。 もっとも、この作品では、娘と、もう一人、使用人が残るので、恐らく、ゆくゆくは、生き残った男が、婿になるんでしょうなあ。
江戸時代の商家は、跡取りになる娘婿を選ぶのに、実力優先とは行かず、年季優先や、娘が好きな男優先と、不合理な考え方も入らざるを得なかったと思いますが、この店の主は、実力で選んだ点、評価できます。 それが、娘の想い人と違っていたのが、第一の悲劇。 他の使用人達も、黙っていなかったのが、第二の悲劇。
「女義太夫」 約28ページ
武家の用人をしている老人から世話を受けていた女義太夫。 若い男と、懇ろになり、そちらへ鞍替えしたいが、用人が離そうとしない。 痺れを切らした若い男が、遠のいてしまい、やけになって、商家の主を相手に刃傷沙汰を起こしてしまう。 訴えられこそしなかったが、用人から縁を切られてしまい、これ幸い、労せずして、自由の身になれた事を喜ぶが・・・、という話。
これも、現代物にしても、通ります。 単純に言えば、このヒロイン、二股がけでして、気が弱いというか、優柔不断というか、どっちつかずの態度を取っている間に、両方に逃げられてしまうという、大変、愚かなパターンです。 典型的な、虻蜂取らずですな。 ヒロインに同情できないせいもありますが、恋愛模様として、ありふれている事が大きな原因で、面白い話ではないです。
【紅刷り江戸噂】
1967年(昭和42年)1月、「別冊宝石」に連載されたもの。
「七草粥」 約34ページ
ある商家で、触れ売りから七草を買い、七草粥を作って食べたところ、中毒を起こし、主人と、番頭夫婦が死んだ。 毒は、トリカブトのものと分かったが、売った男は見つからず、わざと入れたのか、見間違えて入れたのかも分からなかった。 残った後妻と、手代が、店を続ける事になったが、この二人、実は・・・、という話。
誰かが謎を解くのではなく、作者が途中で犯人をバラしてしまうパターンです。 倒叙型というのでもなく、推理小説になっていない観あり。 単なる、犯罪小説ですな。 話は、面白くないですが、江戸の人々が、七草粥を食べる様子が描かれているところが、興味を引きます。
「虎」 約28ページ
甲府へ流れて来た、腕のいい絵職人が、鯉幟の絵を描く仕事に就く。 腕のいい職人を逃すまいとする、主人の計略で、嫁をとらされるが、早々にうんざりし、江戸へ逃げようとしたところ、嫁が追って来たので、山の中で始末してしまう。 その際、嫁が持っていた、張子の虎を投げ捨てた。 江戸では、なりゆきで、男色家の医師に気に入られ、その身代を相続して暮らしていたが、貸していた家に、人形細工師が入居し、張子の虎を作り始めて・・・、という話。
この話、覚えがあると思ったら、2015年に、BSジャパンで放送した、≪松本清張 時代劇シリーズ≫で見たのでした。 この本に含まれている他の作品も、そのシリーズで映像化されていた事を知りましたが、「虎」を読むまで、全然、思い出せませんでした。
張子の虎が、話の鍵でして、面白いんですが、ちょっと、前置きが長過ぎますかねえ。 頭でっかちで、バランスが、今一つです。 医師は、別に、男色家でなくてもいいのですが、主人公を、貸家を持つような身分にする為に、そういう関係で気に入られたという設定にしたんでしょうな。
後半で、家主である主人公が、張子の虎を作るなというのに、頑として作り続ける、人形細工師が面白い。 それが元で、主人公は破滅して行くのですが、具体的にどうなったかまでは、書かれていません。
「突風」 約28ページ
突風で渡し舟が転覆し、死者が出た。 助けられた女が、近くの家に運び込まれ、回復したが、どこの誰かは言わずに、お礼のお金だけ置いて帰って行った。 その家の息子が、女の素性を突き止め、大きな商家の後妻であると分かる。 水死した若い男は、その店の手代で、後妻といい仲になっていたのだと当りをつけ、早速、恐喝にかかるが・・・、という話。
女の素性が分かるまでが、ゾクゾクします。 分かってから後は、ありふれた展開になります。 もう一捻り、欲しかったですねえ。 たとえば、後妻と手代が渡し舟に乗っていたのは、色事とは無関係で、手代が、主の命令で、後妻を殺そうとしていた事にし、その後、恐喝をしようとした男が、主の罠にかかり、後妻殺しの下手人に仕立てられてしまうとか。
「見世物師」 約22ページ
それぞれ、見世物小屋を経営する二人の男は、師匠と弟子の関係だった。 弟子の方が、瓦版屋と組んで、物珍しい事件を察知し、そこから、新しい見世物を拵えようと考えるが、師匠に先を越されてしまう。 師匠の出し物で、色気を振りまき、人気を博している若い女を亡き者にしない限り、自分の小屋に客は戻らないと思い・・・、という話。
前半は、見世物師の世界を描いていて、興味を引きます。 後半は、犯罪と、その解決が描かれています。 解決の方は、罠をかけ、引っ掛かるのを待つという、推理小説では、よくあるパターン。 これは、むしろ、推理小説にせず、見世物師の師弟競争だけで、全編、埋めた方が、面白かったかも知れませんねえ。
「術」 約22ページ
生首を捨てる者がいるという噂が立った後の事。 体を縛って、座らせた上で、首を切り落とす事件が続いた。 岡っ引きが、蝦蟇の油売りをしていた浪人に目をつけたが、無闇に人殺しをするような人間ではないと分かって、疑いは晴れた。 その浪人が、連続首切り事件の謎を解いてくれたのだが、一件だけ、他と違う特徴がある遺体があり・・・、という話。
面白いです。 首を切られた者が、「みな、貧乏人の風体で、おとなしく縛られた上に、死に顔が穏やかだった」という点が、大きな謎だったのを、浪人が考えた挙句、理屈に合う解釈をしてみせたわけです。 ちょっと、複雑すぎる感じがしないでもないですが、読むのが嫌になる前に、謎が解けます。
更に、意外な結末が付いていて、それがまた、面白いです。 異色ショートショートとして、見事なキレを味わえます。 それにしても、こういう人柄の良い夫を捨てて、他の男と出奔する女の気が知れぬ。 女の方の性根が、よほど、腐っていたのか・・・。
「役者絵」 約11ページ
同じ寺に、灸を据えてもらいに行った縁で、男女の関係になった、荷揚げ人足の男と、囲われ者の女。 女の発案で、女の旦那を殺し、駆け落ちしようという計略が纏まる。 やり遂げた後は、互いに知らないふりをしようという約束になっていた。 事件の後、取り調べを受けたが、知らぬ存ぜぬで押し通した。 解き放たれてから、岡っ引きに誘われて、酒を飲んだが、目覚めると、女の家だったので、つい・・・、という話。
枚数が枚数なので、シンプルな話です。 寺で、灸を据えてもらう風俗が描かれていますが、それも、簡単なもの。 岡っ引きの罠に嵌るところが、話の眼目で、割と、ありふれたパターンです。
≪松本清張全集 25 かげろう絵図≫
松本清張全集 25
文藝春秋 1972年12月20日/初版 2008年7月25日/9版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編、1作を収録。
【かげろう絵図】 約530ページ
1958年(昭和33年)5月17日から、1959年10月20日まで、「東京新聞」に連載されたもの。
徳川家斉が、家慶に将軍職を譲り、大御所として院政を敷いていた時代。 家斉の相談役だった、中野石翁一派が、家斉が死んだ後も、権勢を手放すまいと、加賀前田家と結託して、自分達に都合のよい世継ぎを決めさせようと目論む。 石翁の養女、お美代の方は、大奥に、最大の勢力を張っていた。 大奥の腐敗を一掃しようと計る、寺社奉行・脇坂と、島田又左衛門らが、島田の姪、縫を大奥に送り込んで、お美代の方を失脚させる証拠を得ようとするが・・・、という話。
この梗概では、半分も書けていません。 島田又左衛門の甥、新之助が、実質的な主人公で、他にも、主だった登場人物だけで、10人以上、出て来ます。 形式的には、群像劇。 三人称なので、決まった視点人物は、いません。 松本さんの三人称小説は、場合によって、それぞれの人物の心理まで、描くタイプです。
ページ数を見ても分かるように、大作なのですが、新聞連載なので、ストーリーは、小さな波が幾つもあるという形で、クライマックスで、ドーンと魅せるというような、盛り上がり方はありません。 大作ではあるが、長編小説としては、構成に欠陥がある、というところでしょうか。
読めば、大抵の人が、面白いと感じると思いますが、長編時代小説では、よくあるタイプの面白さでして、松本さんらしさは、あまり感じられません。 【点と線】で名を売ってから、1年しか経っておらず、まだ、推理作家なのか、歴史作家なのか、カテゴリーが定まっていなかった頃でして、時代小説は、尚更、書き方が定まらず、平均的な書き方をとらざるを得なかったのかも知れませんな。
島田新之助のキャラが、まさしく、それを証明しており、時代劇ヒーロー、そのものです。 松本さんの作品と、時代劇ヒーローは、イメージが遠いですねえ。 剣は強いわ、頭は回るわ、容姿はいいわ、ケチのつけようがないのですが、そこが、逆に、リアリティーに欠ける。
国の中枢が舞台になっているのに、何だか、せせこましい感じがするのは、天下国家の大事というより、幕府や大奥での、権勢の奪い合いという、低劣な事が、テーマになっているからでしょう。 一応、善玉・悪玉が決まっていますが、善玉の方も、清々と善というわけではありません。 敵を潰したい欲が先に立っているのです。 特に、水野越前守は、その口。
悪玉が死ぬのは、まあ、いいとして、善玉側も、二人、死にます。 その一人は、町人ですが、探索に携わっていたとはいえ、武家の争いに、町人を巻き込み、死なせてしまうのは、気の毒千万。 武家の犠牲者の方は、重要人物だったのに、死に方が、呆気なさ過ぎます。 もっと、描き込んでも、良かったのでは?
あまり、期待しないで読めば、十二分に面白いと思います。 【樅ノ木は残った】レベルの、深さ・重さを期待していると、肩透かしを食います。 もっと、俗っぽい、面白さなのです。
≪真珠塔・獣人魔島≫
角川文庫
角川書店 1981年9月10日/初版
横溝正史 著
2021年7月に、ヤフオクで買った本。 本体300円、送料215円、計515円。 安い方です。 横溝作品の角川文庫・旧版の中では、89番目で、少年向けの長編2作を収録。
【真珠塔】 約156ページ
解説によると、「昭和29年(1954年)に連載された」とありますが、掲載誌は分かりません。 ネット情報では、戦前作品で、1938年8月から、1939年1月まで、「新少年」に連載されたとなっています。 ネット情報の方が、研究が新しい分、正しいとも考えられます。
金色の蝙蝠が舞う夜に現れる、髑髏仮面の怪人、金コウモリ。 ある真珠王が全財産を注ぎ込んで作った宝飾品、「真珠塔」に、狙いをつける。 殺人をためらわない手口に、真珠王が殺され、真珠塔のありかを知っていると思われる、その娘にも危険が迫る。 新日報社の探偵小僧、御子柴進が、花形記者、三津木俊助や、警視庁の等々力警部らと共に、金コウモリと戦う話。
内容的には、三津木俊助や等々力警部が、大手を振って活躍する点、戦前作品ぽいです。 地下道の水没、川で追撃戦、軽気球で脱出など、おきまりのパターンが、盛り込まれています。 横溝さんは、とことん、少年向け作品を、「この程度で、充分」と見做していたんですな。
犯人が、誰か分かると、その点も、戦前作品ではないかと思わせます。 戦後作品だとすると、9年経っていても、この犯人では、ちと、まずかったでしょう。
はっきり言って、真面目に批評するような、内容のある作品ではないです。 小中学生でも、同じパターンを、2作読めば、飽きてしまうのではないかと思います。
【獣人魔島】 約134ページ
解説によると、「昭和29年(1954年)から、昭和30年にかけて連載された」とありますが、掲載誌は分かりません。 ネット情報では、連載年は同じで、1954年9月から、1955年6月まで、「冒険王」に連載されたとなっています。
死刑判決を受けた凶悪犯が脱走し、判事一家に復讐しようとするのを、探偵小僧、御子柴進が、阻止する。 凶悪犯は、犯罪者集団によって、瀬戸内海の孤島に連れ去られ、天才的な医学博士の手により、ゴリラの体に、脳を移植される。 犯罪集団の首領になった、ゴリラ男が、ある真珠王が作った、真珠の宝船を狙い・・・、という話。
基本アイデアは、ほぼ、【怪獣男爵】(1948年)と同じ。 セルフ・リメイクといわけでもなく、アイデアの使い回しですな。 ただし、【怪獣男爵】は、SF設定でしたが、この【獣人魔島】は、SF的ではあるものの、SFではありません。 それは、最後まで読めば分かります。 そういうラストにしたせいで、辻褄が合わなくなる所が出てしまっていますが、まあ、目くじら立てるような作品ではないです。
大人の鑑賞に耐えるレベルではありませんが、御子柴進が、犯罪者集団を追って、単身、列車に乗り込み、瀬戸内海の孤島に辿り着くまでの経過だけ、面白いです。 大いに、ゾクゾクします。 この雰囲気は、江戸川乱歩作品に近いです。 使い古されたキャラクターでも、細かく描き込めば、活き活きとした場面になるんですな。
島から、東京に戻った後は、全く、評価できるところ、なし。 軽気球で脱出、ヘリコプターで追撃戦、犯罪者集団のアジトに潜入など、お決まりのモチーフが組み合わされているだけです。 真珠王が出て来ますが、【真珠塔】の真珠王とは、別人。 真珠王も、少年向け作品の、定番モチーフなのです。
ところで、このタイトルですが、ゴリラ男が、「獣人魔」で、それが生み出された島だから、「獣人魔島」という意味です。 たぶん、「じゅうじんまとう」と読むのだと思います。
≪松本清張全集 29 逃亡・大奥婦女記≫
松本清張全集 29
文藝春秋 1973年6月20日/初版 2008年8月10日/8版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編1作、短編集1(12作)を収録。
【逃亡】 約408ページ
1964年(昭和39年)5月16日から、1965年5月17日まで、「信濃毎日新聞」、他11紙に連載されたもの。 原題は、【江戸秘紋】。
江戸時代、性質の悪い岡っ引きに引っ掛かって、罪とも言えない罪で、牢に入れられた男。 大火で解き放たれた後、集合場所に戻ろうとしたのに、悪い岡っ引きに邪魔されて、逃亡せざるを得なくなる。 飾り職人の家に逃げ込み、そこの娘といい仲になって、江戸へ戻るが、また、悪い岡っ引きに関わって、女房を失うはめになる。 その後、贋金作りの一味と思われる大店に潜り込みむが・・・、という話。
松本さんの短編時代小説を、いくつか、継ぎ接ぎしたような趣き。 新聞小説だから、致し方ないとはいえ、とりとめがないです。 話を引き伸ばすのが、うまい作家というのがいますが、松本さんは、そのタイプではなく、専ら会話を増やす事で、長くしようとするので、冗漫な印象になるのは避けられません。 そもそも、新聞連載に向かない作風だと思うのですが、なぜか、新聞連載だった長編作品は、多いです。
一番、まずいのは、この主人公が、決まった目的なしに、行動している事です。 悪い岡っ引きに目をつけられたせいで、理不尽な目に遭い続けるわけですが、復讐するにしては、遠回りな事ばかりしており、ただ、運命に流されているだけのように見えます。 それならそれでいいんですが、時折、目的があるかのような行動を取るから、何を考えているのか、よく分からない。
あちこちで、女を口説くのが、また、信用できません。 本気で好きというわけではなく、その場限り、自分の都合がいいように、女を利用しているだけのように見えます。 こういう不実な人物では、読者が共感できません。 極め付けに、同じ脱牢仲間を殺す件りがあり、いくら、相手が、ろくでなしとはいえ、「そこまで、やるか!」と、驚きます。 殺人犯に、共感など、とんでもない。
最後は、大山参りですが、そこだけ、シチュエーション・コメディー風になります。 偶然、関係者が皆、大山へ集まって来るのです。 だけど、そもそも、コメディーではないので、笑える結果になるわけではないです。 主人公に都合よく、邪魔者がみな、死んだり、捕まったりしてしまうのは、陳腐という意味で笑えない事もないですが。
ラストは、主人公が世話になった老人と、湯治場で偶然に出会い、老人の口から、関係者のその後が語られます。 98パーセントくらい、ドロドロで、ダラダラの話なのに、最後だけ、妙に洒落ています。 こういう話を、強引に、ハッピー・エンドにしてしまうのは、文学的罪過なのでは?
【大奥婦女記】 約121ページ
1955年(昭和30年)10月から、1956年12月まで、「新婦人」に連載されたもの。
「乳母将軍」 約9ページ
三代将軍家光の乳母として、大奥に入った、春日局。 家光の母でありながら、次男、国松を次期将軍に据えようとする望む、お江と戦いつつ、大奥の実権を掌握して行く過程を描いたもの。
このページ数ですから、小説というより、解説でして、そんなに読み応えがあるものではないです。 ただし、松本さんは、歴史上の人物の伝記を、掻い摘んで解説する能力は、大変、高いです。 要点を捉えていて、実に分かり易い。
「矢島局の計算」 約10ページ
家綱の乳母として、大奥に入った、矢島局。 春日局に倣って、大奥を掌握しようと目論むが、出自が、軽輩の妻であったせいか、今一つ、思うように行かない話。
邪魔者が現れて、計算が躓いたところで、話が終わっています。 幼い家綱がご所望の、丹頂鶴の番いを、松前藩から取り寄せさせる件りだけ、面白いです。 そんな下らない事で、国の機構を使っていたのでは、世も末と思わされますが、江戸幕府は、まだまだ、続きます。
「京から来た女」 約10ページ
四代将軍・家綱の正妻として、京から嫁いだ顕子の頑なな生き様・死に様と、その後も大奥に残った、顕子の乳母二人、飛鳥井局と姉小路局の権力争いを描いた話。
下賎の者に、体に触れられたくないからといって、医師に診察を許さないまま、乳癌で死んだ、顕子の性格が、凄まじい。 たぶん、潔癖症だったんじゃないでしょうか。 それも、かなり、重度の。 飛鳥井局と姉小路局に関しては、印象に残るエピソードはないようです。
「予言僧」 約9ページ
京都の八百屋の娘だった、お玉が、幼少の頃、仁和寺の若い僧に、顔相を見られ、「いずれ、将軍を産む事になる」と言われる。 事が、その通りに進み、大奥へ上がり、家光の目にとまって、側室となり、綱吉を産む。 家綱に子がなかったせいで、弟の綱吉が後を継ぐ事になり、母子ともども、予言した僧を大いに尊敬する、という話。
これは、割と、有名な経緯ですな。 しかし、こういう予言をした僧がいたとは、知りませんでした。 松本さんの解説は、実に分かり易い。 歴史資料の中から、面白そうな部分を見出す技術に長けていたのでしょう。
「献妻」 約10ページ
学問好きな反面、好色だった綱吉。 側用人、牧野成貞の屋敷へ訪ねて行き、昔、大奥で見知っていた、その妻を、寝取ってしまう。 臆面もなく、何度も訪ねて来て、そのたびに、寝取る。 やがて、すでに、夫がある身の、娘にまで手を出し・・・、という話。
これは、病的な関係ですな。 綱吉も病的ですが、牧野成貞の方も、正常とは思えません。 性交渉なんぞ、いずれ、飽きるから、綱吉の害も長くは続かないと踏んでいたのでしょうか。 それにしても、異常です。
「女と僧正と犬」 約9ページ
綱吉の母、桂昌院が、その運命を予言した僧から推薦されて、隆光という僧を重用するようになる。 その隆光の思いつきで、綱吉の戌年生まれに因んで、「犬を大事にすれば、世継ぎが出来る」と言われ・・・、という話。
「生類憐みの令」の始まりですな。 もっとも、隆光が発案したという説は、今では、言われていないようですが。 歴史学の研究が進むと、古い説に依拠して書かれた小説は、まるまる、成り立たなくなってしまう厳しさがあります。
「元禄女合戦」 約10ページ
綱吉の正妻派と、桂昌院派の対立が静かに進行し、綱吉の世継ぎを先に儲けようと、綱吉好みの娘を探して来て、次々と送り込む。 ようやく、一人、懐妊したと思ったら・・・、という話。
大奥という所は、将軍の代が変わるたびに、同じパターンを繰り返していたようですな。 醜い派閥争いです。 要は、世継ぎが生まれさえすればいいのだから、何も、大奥なんか作らなくても、もっと、効率的な方法があったと思うのですがねえ。 別段、直系でなくても、どうにでもなってしまうような、テキトーな事なのだし。
ラストに出て来る、転落のエピソードは、【かげろう日記】の冒頭で出て来たもの。 しかし、そちらの将軍は、綱吉ではなく、家斉でした。 どこまで、史実か、分からなくなって来ます。
「転変」 約9ページ
結局、世継ぎを儲ける事ができないまま、死期が近づきつつあった綱吉。 やむなく、甥に当たる、綱豊(後の家宣)を世子に決める。 綱吉の側用人として権勢を思うままにしてきた、柳沢吉保は、綱豊にも取り入って、次代将軍の世まで、影響力を及ぼそうと図るが、そうは問屋が・・・、という話。
代替わりの顛末を解説するのが主目的で、大奥の事は、ほんのちょっとしか触れられませんが、あれだけ、栄華を極めた、桂昌院一派や、それと熾烈な争いを演じた綱吉の正妻派が、代替わりと共に、小者まで含めて、一掃されてしまうところは、記述が少ないだけに、ショッキングです。 なんとも、虚しい世界である事よ。
「絵島・生島」 約18ページ
六代・家宣亡きあと、まだ幼い、七代・家継の在世。 大奥・御年寄(といっても、30代前半)の重職にあった、絵島が、出入り商人が賄賂代わりに仲を取り持った、歌舞伎役者、生島新五郎と懇ろになる。 将軍生母・月光院の名代として、寛永寺・増上寺に参詣した帰り、歌舞伎小屋に寄って、豪遊した事で、罪に問われる話。
これも、有名な話。 生島の方が、大奥に潜り込んだエピソードも描かれていますが、それは、危険が大き過ぎる気がしますねえ。 大奥勤めの者が外へ出るのも大変で、何かしら名目が要るのですが、前将軍・家宣の法事を短時間で打ち切って、芝居小屋へ繰り出したというのですから、お仕置きを喰らっても、致し方ないか。
時の将軍、家継は、まだ、幼児と言っていい年齢で、大奥は、本来の機能を停止中だったので、尚更、風紀が緩んだのではないかと思います。 お世継ぎを儲ける為の役所なのに、将軍が子供じゃ、しょうがない。 女ばかり、大勢集まって暮らしていても面白くないから、男漁りに出かけたくもなるわけだ。
「ある寺社奉行の死」 約8ページ
十一代将軍、家斉の治世。 硬骨漢の寺社奉行が、大奥に密偵を潜り込ませて、奥女中達と、参詣先の寺の坊主らが、懇ろになっている証拠を掴み、綱紀粛正を目論む話。
【かげろう絵図】(1958年)の元になった話。 この短編を膨らませて、約530ページの長編にしたわけだ。 組織というものは、必ず腐敗するので、時々、箍を締めなおさなければならないわけですな。 その恨みで、寺社奉行が変死させられるところまで書いてありますが、そういう犠牲も付き物なのでしょう。
「米の値段」 約8ページ
六代将軍・家宣の、お気に入りの側室は、町医者の娘だった。 家業を継いだ弟に、俸禄が与えられたが、石高に応じて、現金支給される金額が、米の相場に対して、異様に少ない。 弟が、米相場を調べた上で、姉を通じて、上様に奏上したところ、一石当たりの金額を決めている役人が不正をしていた事が露顕する話。
この町医者だけでなく、旗本全てに対して、一石37両が相場のところを、27両しか払わず、浮いた分を懐に入れていたというのだから、途轍もない規模の不正ですな。 幕府の重役達が、米の相場を知らず、この役人の不正に気づかなかったというのだから、呆れます。
「天保の初もの」 約9ページ
十二代将軍・家慶の治世。 水野忠邦が始めた、天保の改革で、先代・家斉の時代に、奢侈に流れていた風俗が、一気に、質素倹約の方向へ締め付けられた。 あまりにも急激な変化に、世上に怨嗟の声が上がっていたものの、上様の信任が厚い水野忠邦に逆らえる者はいなかった。 値上がりを抑える為に、初物まで禁止されていたのだが、ある時、上様が、お膳に生姜がない事を残念がった事で、倹約令が、上様の意向を汲んでいない事が判明し・・・、という話。
天保の改革というのは、こういうものだったんですな。 歴史の授業で習ったはずなんですが、全く、頭に入っていませんでした。 つくづく、松本さんの歴史解説は、分かり易いです。 まさか、忠邦も、生姜の初物のせいで、失脚するとは、思いもしなかったでしょう。
現代の経済感覚では、倹約令は、経済を萎縮させるだけではないかと思ってしまいますが、江戸時代は、国内だけで経済が回っていた上に、生産力に限界があったから、必ずしも、倹約令が、逆効果だったわけではないです。 収入が決まっているのなら、支出が少ない方が、貯蓄が大きくなり、豊かになるのは、自明の理。
小判の改鋳が何度も繰り返されるのは、貨幣価値が下がる、インフレが続いていたからでしょう。 インフレは、物が足りないから起こる現象ですが、外国からの輸入ができないのだから、起こって当然。 翻って、現代は、足りない物があったら、外国から買えばいいので、インフレになり難い時代と言えます。 インフレにしたかったら、輸入を制限すればいいわけですが、日銀程度の権力では、そんな大それた事はできますまい。
江戸時代の人々は、決して、のんびり暮らしていたわけではなく、生きる為に、朝から晩まで、尽きる事のない仕事や家事をこなして、働きづめだった人達が、大きな割合を占めていたわけですが、それでも、豊かな生活には、ほど遠い有様でした。 一種の奴隷経済だったんですな。 武士階層、つまり、奴隷を使う主人側に、倹約を求めるのは、理に適っています。 忠邦の失敗は、それを、武士以外の階層にも及ぼしてしまった事でしょうか。
以上、四冊です。 読んだ期間は、去年、つまり、2021年の、
≪松本清張全集 24 無宿人別帳・彩色江戸切絵図・紅刷り江戸噂≫が、8月8日から、14日。
≪松本清張全集 25 かげろう絵図≫が、8月18日から、24日まで。
≪真珠塔・獣人魔島≫が、8月24日から、29日まで。
≪松本清張全集 29 逃亡・大奥婦女記≫が、9月2日から、11日まで。
≪松本清張全集≫は、時代物を後回しにしていたので、ここへ来て、時代物ばかり立て続けに読む事になりました。 私は、時代物が嫌いではないですが、どちらかというと、未来好きな方なので、時代小説を進んで手に取るという事はないです。 松本さんの時代物も、全集に入っていなければ、読む事はなかったでしょう。
≪松本清張全集 24 無宿人別帳・彩色江戸切絵図・紅刷り江戸噂≫
松本清張全集 24
文藝春秋 1972年10月20日/初版 2008年7月5日/8版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、短編集3、短編合計、22作を収録。
【無宿人別帳】
1957年(昭和32年)9月から、1958年3月まで、「オール読物」に連載されたもの。
「町の島帰り」 約19ページ
ある目明しが、料理屋の中居に目をつけたが、女には、惚れた男がいた。 目明しは、その男に濡れ衣を着せて、島送りにしてしまったが、女は目明しを近づけようとしなかった。 やがて、男は、御赦免で戻って来るが、目明しは、その奉公先に、島帰りの前科者という情報を流し、男は勤める先々で、クビになってしまう。 音を上げた女が、ようやく、目明しに靡きそうになった時に・・・、という話。
たかが横恋慕で、二人の人間を破滅させてしまうのは、恐ろしい事ですが、これが、人間の欲というものなのでしょう。 自分の得になるのなら、他人が何人死んでも、屁でもないんだわ。 この目明し、おそらく、他でも、何人、何十人という他人を、死に追いやっているはず。
善悪バランスがとられますが、その罰は、露悪的なだけで、全然、足りません。 最後に、「○○が、死体となって発見されたのは、翌朝の事だった」という一行が欲しいところ。
「海嘯(つなみ)」 約17ページ
無宿人だというだけで、捕まって、人足寄せ場に送られた、浜生まれの男。 仲間に誘われて、脱走を決意した矢先、高潮の前哨である雲を見る。 高潮が押し寄せて、人足寄せ場を押し流し、町の方にまで被害が及んで・・・、という話。
うーむ。 松本さん、「高潮」と「津波」を混同していたのでは? 「海嘯」は、地震による津波にも、他の原因による高波にも使われますが、この作品に出て来るのは、明らかに高潮であって、津波ではないです。 また、雲の形を見て、高潮が予見できるのかどうか、大いに疑問。
それはさておき、ラストが変でして、木に竹です。 印象に残るのは、視点人物ではなく、寄せ場の先輩で、「娑婆よりも、寄せ場の方が、生活が安定していている」と言い、自ら進んで居残っている人物の方。
「おのれの顔」 約15ページ
牢に入っている顔の醜い男。 自分によく似ていて、もっと醜い新入りが気に入らず、事あるごとにいたぶっていた。 入牢者が急に増え、目立って窮屈になった結果、牢内の主だった者の間で、「5人ほど、秘かに殺そう」という相談が纏まり、その中に、醜い新入りを含めて、殺してしまおうとするが・・・、という話。
顔の良し悪しは、畢竟、そういう形をしているというだけの事であって、ある形に近いものを、「良い」とし、遠いものを、「悪い」としているだけなのですが、その程度の問題に過ぎない、顔のせいで、殺されたのではたまったものではないです。 しかも、同じように、顔が悪い奴に計られたのでは、ますます、たまったものではない。
善悪バランスがとられますが、それも、顔が原因で、とことん、顔の悪さを問題にしています。 他の時代物短編でも、同じテーマの作品がありましたが、そのあとがきでは、松本さん自身が、顔が悪いと言われていたから、そういう作品を書いたとありました。 しかし、松本さんを顔で評価する人がいたら、そいつは、只のアホでしょう。
「逃亡」 約17ページ
佐渡金山に、水替え人足として、送り込まれてしまった男。 仲間が、休みなく扱き使われ、死んで行くのを見て、脱走計画に乗る。 宿舎から、金鉱への移動中に、20人の人足で、2人の役人を殺し、3組に分かれて、舟のある浜を目指すが・・・、という話。
「舟を複数、確保するのは、無理」と考え、仲間を騙して人数を減らして行く、計画首謀者の算段が、あざとい。 しかし、これが人間というものなのでしょう。 一応、善悪バランスがとられますが、捕まった仲間は、斬罪になった可能性が高く、この程度では、浮かばれますまい。
「俺は知らない」 約17ページ
無実なのに、質屋に強盗に入った咎で、牢に入れられてしまった男。 外に出たいばかりに、牢破りを企てている連中を、役人に密告し、その褒美として、解き放たれる。 自分を陥れた真犯人に復讐するが、その後、ある人物から声をかけられ・・・、という話。
二段構えのストーリー展開。 騙されて、質屋強盗の犯人にされてしまうのが一段目。 真犯人を懲らしめる為に、牢から外に出る手段を選ばなかったせいで、大勢の犠牲者を出し、恨みを買うというのが、二段目。 最悪の境遇に陥った人間は、そこから脱する為には、他人の迷惑なんか考えないんですな。 「俺は知らない」では済まない次元の、大迷惑だったわけですが。
「夜の足音」 約17ページ
ある無宿人、目明しに勧められて、商家の出戻り娘の、夜の相手をする事になる。 いい金になったが、ある時、自分と娘の行為が、誰かに覗かれている事に気づき・・・、という話。
別に、これは、無宿人だから、どうこうという話ではないです。 ただ、金回りが悪いところに付け込まれただけ。 騙した目明しには、罰が下されますが、罪に比べて、罰が大き過ぎます。 確かに、騙されたとはいえ、お金にはなったのだし、特に嫌な思いをさせられたというわけでもなく、そのまま、騙されていれば、良かったのでは?
「流人騒ぎ」 約25ページ
八丈島に島流しになった男。 とっくに、刑期を終えているはずなのに、放免にならない。 何かの間違いではと、庄屋に訴えて、逆に、睨まれてしまう。 やがて、脱走計画が持ち上がり、それに乗るが、計画は、事前に漏れていて・・・、という話。
前半と後半で、テーマが違っています。 前半は、役人の手抜きが原因で、刑期の満了が通知されない理不尽を描いていますが、後半は、脱走劇で、前半とは、ほぼ、関係がありません。 作家志望者が、こういうのを、編集者へ持ち込んだら、ゴミ箱直行間違いなしという、重大な欠陥。
脱走劇の方ですが、このパターンが多いですなあ。 話を盛り上げようとすると、どうしても、脱走の展開にせざるを得ないのかも知れませんが・・・。 一般人だと、「島の女と、所帯まで持ったのなら、島に骨を埋めるつもりで、地道に生活すればいいのに」と考えるところですが、凶状持ちの面々は、そもそも、そういう真っ当な生活なんて、できないんですな。 本州に戻ったって、結局また、捕まると思うのですがねえ。
「赤猫」 約17ページ
大火で、一時的に牢から解き放たれた無宿者。 戻るつもりでいたが、同じ牢に入っていた男と会って、その男が質屋へ押し入るのを知らぬままに、見張りをさせられたせいで、戻れなくなってしまう。 その後、よその土地へ行っていたが、江戸が恋しくなって、こっそり戻り、正業について暮らしていた。 ある時、昔、質屋から奪った着物の布で作った財布に興味を持った者がいると聞いて、一緒に牢から逃げた相手に違いないと思うが・・・、という話。
「赤猫」というのは、牢から解き放ちになるほどの大火の事だそうです。 で、大火解き放ちの話かと思って読み進めたんですが、そちらは、単に話の枕に過ぎず、後は、ただただ、運命に転がされて行くだけの展開になります。 どうも、全体の構想を考えずに書き始めて、テキトーに繋いで行っただのように、思えますねえ。
意外なところから、犯罪が露顕するパターンが使われていますが、着物からというのは、【書道教授】(1969年)に近いでしょうか。 十年以上、後の作品になりますが。
「左の腕」 約15ページ
若い娘を連れた、60近い老人。 父娘で、料理屋に住み込んで働き、何とか、口を糊していた。 性質の悪い目明しが、娘に目をつけ、ちょっかいを出そうと、父親の左手にある咎人の刺青を見つけて、脅しをかける。 そんな時に、料理屋に、押し込み強盗が入り・・・、という話。
素性を隠していた年寄りが、実は、とんでもない大物だった、というパターンの話。 【くるま宿】(1951年)と、同じ趣向。 時代小説に良くあるパターンで、松本さんらしくありません。
「雨と川の音」 約23ページ
入牢後、仮病を使って、病人が入る別の牢へ移った男が、佐渡送りが決まっている面々に誘われて、脱走する。 その内の一人と一緒に逃げるが、相手の男の凶暴な発想のせいで、駆け落ち者の男女を相手に、強盗をせざるを得なくなり、結果、指を二本失う目に遭う。 その後、一人になり、よその土地へ逃げて、世話になったやくざ一家の跡目を継ぐ事になるが、たまたま立ち寄った温泉宿で、因縁深い、駆け落ち者の女の方を見かけ・・・、という話。
「赤猫」と同じで、全体の構想なしに、テキトーに繋いで行ったストーリーです。 これといって、テーマはありませんが、強いて、教訓を汲み取るなら、犯罪的性向の強い人間には、近づくなという事でしょうか。 「修羅場を潜っているから、頼りになりそう」などというのは、完全な錯覚で、そういう奴が、俄かに出来た仲間を、大事にするはずがありません。 捨て駒に利用されるのがオチというわけです。
【彩色江戸切絵図】
1964年(昭和39年)1月から、12月まで、「オール読物」に連載されたもの。
「大黒屋」 約34ページ
ある男が、同郷の男が主をしている商家に入り浸っていたが、そこの女房に懸想して、年中、泊まり込んだり、亭主の留守に、狼藉を働こうとしていた。 その男が、死体で発見され、前々から、怪しんでいた、下っ引きが、調べを始めると、意外な事件が背後にある事が分かって来る話。
時代小説ですが、中身は、完全に、推理物です。 しかも、本格。 トリックこそないですが、謎があり、それを、目明し達が、捜査して、解いて行きます。 前半で、殺される男の描写に枚数を使い過ぎているせいで、謎解きが前面に出て来る後半と、アンバランスになっていますが、後半のノリがいいせいか、あまり、気になりません。
鍬の使い方は面白いですが、余った柄を、柵の代わりに、神社に寄進というのは、ちと、無理があるのでは? 寺で、鍛冶仕事の煙をごまかす為に、焚き火をしたというなら、そこで、ついでに、燃やしてしまえば良かったのに。
私は、この柵の話を、松本さん原作の、何かの時代劇ドラマで見た事があります。 「大黒屋」というタイトルではなかったし、この作品の話とも、全然違っていましたが、部分的に、他のドラマに取り入れたのかも知れませんな。
「大山詣で」 約34ページ
年老いた商家の主に、後妻に入った若い女。 亭主が病で、夜の方が駄目になり、浮気相手を拵えたが、大っぴらには逢えない。 で、亭主の病気平癒祈願に託けて、大山参りに出かけ、そこで、逢瀬を楽しんで来た。 ところが、ついて行った番頭と、一行の案内をした男に見られてしまい・・・、という話。
松本作品には、珍しい。 愛欲だけが、モチーフになっています。 あくまで、モチーフであって、テーマというほどではありません。 よく考えて、構想を練ったわけではなく、なりゆき任せで作ったようなストーリーです。 愛欲場面に期待するような作品ではありません。 松本さんは、エロな設定は作るけれど、エロな描写で読ませようとは、全く考えなかった作家なのです。
「山椒魚」 約30ページ
流行病の疱瘡に、見るだけで利くという、大きな山椒魚を使って、商売をしている男がいた。 座敷にゴロ寝の旅人宿で、自分だけ、白い飯を炊き、扱き使っている子分や、同宿人達に恵んでやる事で、威張りちらしていた。 新入りの薬屋の女房に目をつけ、口説き落とそうとしたら・・・、という話。
少々羽振りがいいからと言って、人を人とも思わない横柄な男に、とんだ、しっぺ返しがあった、というだけの話。 別に、何の捻りもありません。
「三人の留守居役」 約25ページ
大名の江戸留守居役は、金回りがいい事で知られていた。 三人の留守居役が、ある料理屋を訪ねて来て、芸者を呼んで遊び、芝居見物に連れて行こうとする。 用心の為に、芸者の高価な着物や、簪などを預かるが、留守居役そのものが偽者で、それを、持ち逃げされてしまう。 騙された芸者の一人が探索に出るが、行方知れずになったり、別の芸者が夜道で切りつけられたり、奇妙な事が続き、岡っ引きが、乗り出す話。
完全に、捕物帳。 留守居役を、大企業の重役に代えれば、現代物にしても、通ります。 しかし、誉めているわけではなく、あまり、面白くないです。 捻ってはあるものの、それが、面白さに繋がらず、ただ、複雑、不自然になっているだけという感じ。
「蔵の中」 約29ページ
ある商家。 主が、娘の婿に、使用人の一人を選んだ晩に、殺人事件が起こる。 使用人の一人が、蔵の中で殺され、もう一人が、蔵の前に掘られた大きな穴に頭を突っ込んで死んでおり、婿になるはずの男は、姿を消していたが、やがて、水死体になって発見された。 また、娘も、蔵の前の穴の中に落ちていたが、命は助かった。 岡っ引きが出張り、謎を解く話。
これも、捕物帳。 お店の娘の取り合いで、死闘が繰り広げられるわけですが、松本作品ですから、もちろん、アクション物などではありません。 死んだ順序が鍵でして、【そして誰もいなくなった】に、近いものがあります。 もっとも、この作品では、娘と、もう一人、使用人が残るので、恐らく、ゆくゆくは、生き残った男が、婿になるんでしょうなあ。
江戸時代の商家は、跡取りになる娘婿を選ぶのに、実力優先とは行かず、年季優先や、娘が好きな男優先と、不合理な考え方も入らざるを得なかったと思いますが、この店の主は、実力で選んだ点、評価できます。 それが、娘の想い人と違っていたのが、第一の悲劇。 他の使用人達も、黙っていなかったのが、第二の悲劇。
「女義太夫」 約28ページ
武家の用人をしている老人から世話を受けていた女義太夫。 若い男と、懇ろになり、そちらへ鞍替えしたいが、用人が離そうとしない。 痺れを切らした若い男が、遠のいてしまい、やけになって、商家の主を相手に刃傷沙汰を起こしてしまう。 訴えられこそしなかったが、用人から縁を切られてしまい、これ幸い、労せずして、自由の身になれた事を喜ぶが・・・、という話。
これも、現代物にしても、通ります。 単純に言えば、このヒロイン、二股がけでして、気が弱いというか、優柔不断というか、どっちつかずの態度を取っている間に、両方に逃げられてしまうという、大変、愚かなパターンです。 典型的な、虻蜂取らずですな。 ヒロインに同情できないせいもありますが、恋愛模様として、ありふれている事が大きな原因で、面白い話ではないです。
【紅刷り江戸噂】
1967年(昭和42年)1月、「別冊宝石」に連載されたもの。
「七草粥」 約34ページ
ある商家で、触れ売りから七草を買い、七草粥を作って食べたところ、中毒を起こし、主人と、番頭夫婦が死んだ。 毒は、トリカブトのものと分かったが、売った男は見つからず、わざと入れたのか、見間違えて入れたのかも分からなかった。 残った後妻と、手代が、店を続ける事になったが、この二人、実は・・・、という話。
誰かが謎を解くのではなく、作者が途中で犯人をバラしてしまうパターンです。 倒叙型というのでもなく、推理小説になっていない観あり。 単なる、犯罪小説ですな。 話は、面白くないですが、江戸の人々が、七草粥を食べる様子が描かれているところが、興味を引きます。
「虎」 約28ページ
甲府へ流れて来た、腕のいい絵職人が、鯉幟の絵を描く仕事に就く。 腕のいい職人を逃すまいとする、主人の計略で、嫁をとらされるが、早々にうんざりし、江戸へ逃げようとしたところ、嫁が追って来たので、山の中で始末してしまう。 その際、嫁が持っていた、張子の虎を投げ捨てた。 江戸では、なりゆきで、男色家の医師に気に入られ、その身代を相続して暮らしていたが、貸していた家に、人形細工師が入居し、張子の虎を作り始めて・・・、という話。
この話、覚えがあると思ったら、2015年に、BSジャパンで放送した、≪松本清張 時代劇シリーズ≫で見たのでした。 この本に含まれている他の作品も、そのシリーズで映像化されていた事を知りましたが、「虎」を読むまで、全然、思い出せませんでした。
張子の虎が、話の鍵でして、面白いんですが、ちょっと、前置きが長過ぎますかねえ。 頭でっかちで、バランスが、今一つです。 医師は、別に、男色家でなくてもいいのですが、主人公を、貸家を持つような身分にする為に、そういう関係で気に入られたという設定にしたんでしょうな。
後半で、家主である主人公が、張子の虎を作るなというのに、頑として作り続ける、人形細工師が面白い。 それが元で、主人公は破滅して行くのですが、具体的にどうなったかまでは、書かれていません。
「突風」 約28ページ
突風で渡し舟が転覆し、死者が出た。 助けられた女が、近くの家に運び込まれ、回復したが、どこの誰かは言わずに、お礼のお金だけ置いて帰って行った。 その家の息子が、女の素性を突き止め、大きな商家の後妻であると分かる。 水死した若い男は、その店の手代で、後妻といい仲になっていたのだと当りをつけ、早速、恐喝にかかるが・・・、という話。
女の素性が分かるまでが、ゾクゾクします。 分かってから後は、ありふれた展開になります。 もう一捻り、欲しかったですねえ。 たとえば、後妻と手代が渡し舟に乗っていたのは、色事とは無関係で、手代が、主の命令で、後妻を殺そうとしていた事にし、その後、恐喝をしようとした男が、主の罠にかかり、後妻殺しの下手人に仕立てられてしまうとか。
「見世物師」 約22ページ
それぞれ、見世物小屋を経営する二人の男は、師匠と弟子の関係だった。 弟子の方が、瓦版屋と組んで、物珍しい事件を察知し、そこから、新しい見世物を拵えようと考えるが、師匠に先を越されてしまう。 師匠の出し物で、色気を振りまき、人気を博している若い女を亡き者にしない限り、自分の小屋に客は戻らないと思い・・・、という話。
前半は、見世物師の世界を描いていて、興味を引きます。 後半は、犯罪と、その解決が描かれています。 解決の方は、罠をかけ、引っ掛かるのを待つという、推理小説では、よくあるパターン。 これは、むしろ、推理小説にせず、見世物師の師弟競争だけで、全編、埋めた方が、面白かったかも知れませんねえ。
「術」 約22ページ
生首を捨てる者がいるという噂が立った後の事。 体を縛って、座らせた上で、首を切り落とす事件が続いた。 岡っ引きが、蝦蟇の油売りをしていた浪人に目をつけたが、無闇に人殺しをするような人間ではないと分かって、疑いは晴れた。 その浪人が、連続首切り事件の謎を解いてくれたのだが、一件だけ、他と違う特徴がある遺体があり・・・、という話。
面白いです。 首を切られた者が、「みな、貧乏人の風体で、おとなしく縛られた上に、死に顔が穏やかだった」という点が、大きな謎だったのを、浪人が考えた挙句、理屈に合う解釈をしてみせたわけです。 ちょっと、複雑すぎる感じがしないでもないですが、読むのが嫌になる前に、謎が解けます。
更に、意外な結末が付いていて、それがまた、面白いです。 異色ショートショートとして、見事なキレを味わえます。 それにしても、こういう人柄の良い夫を捨てて、他の男と出奔する女の気が知れぬ。 女の方の性根が、よほど、腐っていたのか・・・。
「役者絵」 約11ページ
同じ寺に、灸を据えてもらいに行った縁で、男女の関係になった、荷揚げ人足の男と、囲われ者の女。 女の発案で、女の旦那を殺し、駆け落ちしようという計略が纏まる。 やり遂げた後は、互いに知らないふりをしようという約束になっていた。 事件の後、取り調べを受けたが、知らぬ存ぜぬで押し通した。 解き放たれてから、岡っ引きに誘われて、酒を飲んだが、目覚めると、女の家だったので、つい・・・、という話。
枚数が枚数なので、シンプルな話です。 寺で、灸を据えてもらう風俗が描かれていますが、それも、簡単なもの。 岡っ引きの罠に嵌るところが、話の眼目で、割と、ありふれたパターンです。
≪松本清張全集 25 かげろう絵図≫
松本清張全集 25
文藝春秋 1972年12月20日/初版 2008年7月25日/9版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編、1作を収録。
【かげろう絵図】 約530ページ
1958年(昭和33年)5月17日から、1959年10月20日まで、「東京新聞」に連載されたもの。
徳川家斉が、家慶に将軍職を譲り、大御所として院政を敷いていた時代。 家斉の相談役だった、中野石翁一派が、家斉が死んだ後も、権勢を手放すまいと、加賀前田家と結託して、自分達に都合のよい世継ぎを決めさせようと目論む。 石翁の養女、お美代の方は、大奥に、最大の勢力を張っていた。 大奥の腐敗を一掃しようと計る、寺社奉行・脇坂と、島田又左衛門らが、島田の姪、縫を大奥に送り込んで、お美代の方を失脚させる証拠を得ようとするが・・・、という話。
この梗概では、半分も書けていません。 島田又左衛門の甥、新之助が、実質的な主人公で、他にも、主だった登場人物だけで、10人以上、出て来ます。 形式的には、群像劇。 三人称なので、決まった視点人物は、いません。 松本さんの三人称小説は、場合によって、それぞれの人物の心理まで、描くタイプです。
ページ数を見ても分かるように、大作なのですが、新聞連載なので、ストーリーは、小さな波が幾つもあるという形で、クライマックスで、ドーンと魅せるというような、盛り上がり方はありません。 大作ではあるが、長編小説としては、構成に欠陥がある、というところでしょうか。
読めば、大抵の人が、面白いと感じると思いますが、長編時代小説では、よくあるタイプの面白さでして、松本さんらしさは、あまり感じられません。 【点と線】で名を売ってから、1年しか経っておらず、まだ、推理作家なのか、歴史作家なのか、カテゴリーが定まっていなかった頃でして、時代小説は、尚更、書き方が定まらず、平均的な書き方をとらざるを得なかったのかも知れませんな。
島田新之助のキャラが、まさしく、それを証明しており、時代劇ヒーロー、そのものです。 松本さんの作品と、時代劇ヒーローは、イメージが遠いですねえ。 剣は強いわ、頭は回るわ、容姿はいいわ、ケチのつけようがないのですが、そこが、逆に、リアリティーに欠ける。
国の中枢が舞台になっているのに、何だか、せせこましい感じがするのは、天下国家の大事というより、幕府や大奥での、権勢の奪い合いという、低劣な事が、テーマになっているからでしょう。 一応、善玉・悪玉が決まっていますが、善玉の方も、清々と善というわけではありません。 敵を潰したい欲が先に立っているのです。 特に、水野越前守は、その口。
悪玉が死ぬのは、まあ、いいとして、善玉側も、二人、死にます。 その一人は、町人ですが、探索に携わっていたとはいえ、武家の争いに、町人を巻き込み、死なせてしまうのは、気の毒千万。 武家の犠牲者の方は、重要人物だったのに、死に方が、呆気なさ過ぎます。 もっと、描き込んでも、良かったのでは?
あまり、期待しないで読めば、十二分に面白いと思います。 【樅ノ木は残った】レベルの、深さ・重さを期待していると、肩透かしを食います。 もっと、俗っぽい、面白さなのです。
≪真珠塔・獣人魔島≫
角川文庫
角川書店 1981年9月10日/初版
横溝正史 著
2021年7月に、ヤフオクで買った本。 本体300円、送料215円、計515円。 安い方です。 横溝作品の角川文庫・旧版の中では、89番目で、少年向けの長編2作を収録。
【真珠塔】 約156ページ
解説によると、「昭和29年(1954年)に連載された」とありますが、掲載誌は分かりません。 ネット情報では、戦前作品で、1938年8月から、1939年1月まで、「新少年」に連載されたとなっています。 ネット情報の方が、研究が新しい分、正しいとも考えられます。
金色の蝙蝠が舞う夜に現れる、髑髏仮面の怪人、金コウモリ。 ある真珠王が全財産を注ぎ込んで作った宝飾品、「真珠塔」に、狙いをつける。 殺人をためらわない手口に、真珠王が殺され、真珠塔のありかを知っていると思われる、その娘にも危険が迫る。 新日報社の探偵小僧、御子柴進が、花形記者、三津木俊助や、警視庁の等々力警部らと共に、金コウモリと戦う話。
内容的には、三津木俊助や等々力警部が、大手を振って活躍する点、戦前作品ぽいです。 地下道の水没、川で追撃戦、軽気球で脱出など、おきまりのパターンが、盛り込まれています。 横溝さんは、とことん、少年向け作品を、「この程度で、充分」と見做していたんですな。
犯人が、誰か分かると、その点も、戦前作品ではないかと思わせます。 戦後作品だとすると、9年経っていても、この犯人では、ちと、まずかったでしょう。
はっきり言って、真面目に批評するような、内容のある作品ではないです。 小中学生でも、同じパターンを、2作読めば、飽きてしまうのではないかと思います。
【獣人魔島】 約134ページ
解説によると、「昭和29年(1954年)から、昭和30年にかけて連載された」とありますが、掲載誌は分かりません。 ネット情報では、連載年は同じで、1954年9月から、1955年6月まで、「冒険王」に連載されたとなっています。
死刑判決を受けた凶悪犯が脱走し、判事一家に復讐しようとするのを、探偵小僧、御子柴進が、阻止する。 凶悪犯は、犯罪者集団によって、瀬戸内海の孤島に連れ去られ、天才的な医学博士の手により、ゴリラの体に、脳を移植される。 犯罪集団の首領になった、ゴリラ男が、ある真珠王が作った、真珠の宝船を狙い・・・、という話。
基本アイデアは、ほぼ、【怪獣男爵】(1948年)と同じ。 セルフ・リメイクといわけでもなく、アイデアの使い回しですな。 ただし、【怪獣男爵】は、SF設定でしたが、この【獣人魔島】は、SF的ではあるものの、SFではありません。 それは、最後まで読めば分かります。 そういうラストにしたせいで、辻褄が合わなくなる所が出てしまっていますが、まあ、目くじら立てるような作品ではないです。
大人の鑑賞に耐えるレベルではありませんが、御子柴進が、犯罪者集団を追って、単身、列車に乗り込み、瀬戸内海の孤島に辿り着くまでの経過だけ、面白いです。 大いに、ゾクゾクします。 この雰囲気は、江戸川乱歩作品に近いです。 使い古されたキャラクターでも、細かく描き込めば、活き活きとした場面になるんですな。
島から、東京に戻った後は、全く、評価できるところ、なし。 軽気球で脱出、ヘリコプターで追撃戦、犯罪者集団のアジトに潜入など、お決まりのモチーフが組み合わされているだけです。 真珠王が出て来ますが、【真珠塔】の真珠王とは、別人。 真珠王も、少年向け作品の、定番モチーフなのです。
ところで、このタイトルですが、ゴリラ男が、「獣人魔」で、それが生み出された島だから、「獣人魔島」という意味です。 たぶん、「じゅうじんまとう」と読むのだと思います。
≪松本清張全集 29 逃亡・大奥婦女記≫
松本清張全集 29
文藝春秋 1973年6月20日/初版 2008年8月10日/8版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編1作、短編集1(12作)を収録。
【逃亡】 約408ページ
1964年(昭和39年)5月16日から、1965年5月17日まで、「信濃毎日新聞」、他11紙に連載されたもの。 原題は、【江戸秘紋】。
江戸時代、性質の悪い岡っ引きに引っ掛かって、罪とも言えない罪で、牢に入れられた男。 大火で解き放たれた後、集合場所に戻ろうとしたのに、悪い岡っ引きに邪魔されて、逃亡せざるを得なくなる。 飾り職人の家に逃げ込み、そこの娘といい仲になって、江戸へ戻るが、また、悪い岡っ引きに関わって、女房を失うはめになる。 その後、贋金作りの一味と思われる大店に潜り込みむが・・・、という話。
松本さんの短編時代小説を、いくつか、継ぎ接ぎしたような趣き。 新聞小説だから、致し方ないとはいえ、とりとめがないです。 話を引き伸ばすのが、うまい作家というのがいますが、松本さんは、そのタイプではなく、専ら会話を増やす事で、長くしようとするので、冗漫な印象になるのは避けられません。 そもそも、新聞連載に向かない作風だと思うのですが、なぜか、新聞連載だった長編作品は、多いです。
一番、まずいのは、この主人公が、決まった目的なしに、行動している事です。 悪い岡っ引きに目をつけられたせいで、理不尽な目に遭い続けるわけですが、復讐するにしては、遠回りな事ばかりしており、ただ、運命に流されているだけのように見えます。 それならそれでいいんですが、時折、目的があるかのような行動を取るから、何を考えているのか、よく分からない。
あちこちで、女を口説くのが、また、信用できません。 本気で好きというわけではなく、その場限り、自分の都合がいいように、女を利用しているだけのように見えます。 こういう不実な人物では、読者が共感できません。 極め付けに、同じ脱牢仲間を殺す件りがあり、いくら、相手が、ろくでなしとはいえ、「そこまで、やるか!」と、驚きます。 殺人犯に、共感など、とんでもない。
最後は、大山参りですが、そこだけ、シチュエーション・コメディー風になります。 偶然、関係者が皆、大山へ集まって来るのです。 だけど、そもそも、コメディーではないので、笑える結果になるわけではないです。 主人公に都合よく、邪魔者がみな、死んだり、捕まったりしてしまうのは、陳腐という意味で笑えない事もないですが。
ラストは、主人公が世話になった老人と、湯治場で偶然に出会い、老人の口から、関係者のその後が語られます。 98パーセントくらい、ドロドロで、ダラダラの話なのに、最後だけ、妙に洒落ています。 こういう話を、強引に、ハッピー・エンドにしてしまうのは、文学的罪過なのでは?
【大奥婦女記】 約121ページ
1955年(昭和30年)10月から、1956年12月まで、「新婦人」に連載されたもの。
「乳母将軍」 約9ページ
三代将軍家光の乳母として、大奥に入った、春日局。 家光の母でありながら、次男、国松を次期将軍に据えようとする望む、お江と戦いつつ、大奥の実権を掌握して行く過程を描いたもの。
このページ数ですから、小説というより、解説でして、そんなに読み応えがあるものではないです。 ただし、松本さんは、歴史上の人物の伝記を、掻い摘んで解説する能力は、大変、高いです。 要点を捉えていて、実に分かり易い。
「矢島局の計算」 約10ページ
家綱の乳母として、大奥に入った、矢島局。 春日局に倣って、大奥を掌握しようと目論むが、出自が、軽輩の妻であったせいか、今一つ、思うように行かない話。
邪魔者が現れて、計算が躓いたところで、話が終わっています。 幼い家綱がご所望の、丹頂鶴の番いを、松前藩から取り寄せさせる件りだけ、面白いです。 そんな下らない事で、国の機構を使っていたのでは、世も末と思わされますが、江戸幕府は、まだまだ、続きます。
「京から来た女」 約10ページ
四代将軍・家綱の正妻として、京から嫁いだ顕子の頑なな生き様・死に様と、その後も大奥に残った、顕子の乳母二人、飛鳥井局と姉小路局の権力争いを描いた話。
下賎の者に、体に触れられたくないからといって、医師に診察を許さないまま、乳癌で死んだ、顕子の性格が、凄まじい。 たぶん、潔癖症だったんじゃないでしょうか。 それも、かなり、重度の。 飛鳥井局と姉小路局に関しては、印象に残るエピソードはないようです。
「予言僧」 約9ページ
京都の八百屋の娘だった、お玉が、幼少の頃、仁和寺の若い僧に、顔相を見られ、「いずれ、将軍を産む事になる」と言われる。 事が、その通りに進み、大奥へ上がり、家光の目にとまって、側室となり、綱吉を産む。 家綱に子がなかったせいで、弟の綱吉が後を継ぐ事になり、母子ともども、予言した僧を大いに尊敬する、という話。
これは、割と、有名な経緯ですな。 しかし、こういう予言をした僧がいたとは、知りませんでした。 松本さんの解説は、実に分かり易い。 歴史資料の中から、面白そうな部分を見出す技術に長けていたのでしょう。
「献妻」 約10ページ
学問好きな反面、好色だった綱吉。 側用人、牧野成貞の屋敷へ訪ねて行き、昔、大奥で見知っていた、その妻を、寝取ってしまう。 臆面もなく、何度も訪ねて来て、そのたびに、寝取る。 やがて、すでに、夫がある身の、娘にまで手を出し・・・、という話。
これは、病的な関係ですな。 綱吉も病的ですが、牧野成貞の方も、正常とは思えません。 性交渉なんぞ、いずれ、飽きるから、綱吉の害も長くは続かないと踏んでいたのでしょうか。 それにしても、異常です。
「女と僧正と犬」 約9ページ
綱吉の母、桂昌院が、その運命を予言した僧から推薦されて、隆光という僧を重用するようになる。 その隆光の思いつきで、綱吉の戌年生まれに因んで、「犬を大事にすれば、世継ぎが出来る」と言われ・・・、という話。
「生類憐みの令」の始まりですな。 もっとも、隆光が発案したという説は、今では、言われていないようですが。 歴史学の研究が進むと、古い説に依拠して書かれた小説は、まるまる、成り立たなくなってしまう厳しさがあります。
「元禄女合戦」 約10ページ
綱吉の正妻派と、桂昌院派の対立が静かに進行し、綱吉の世継ぎを先に儲けようと、綱吉好みの娘を探して来て、次々と送り込む。 ようやく、一人、懐妊したと思ったら・・・、という話。
大奥という所は、将軍の代が変わるたびに、同じパターンを繰り返していたようですな。 醜い派閥争いです。 要は、世継ぎが生まれさえすればいいのだから、何も、大奥なんか作らなくても、もっと、効率的な方法があったと思うのですがねえ。 別段、直系でなくても、どうにでもなってしまうような、テキトーな事なのだし。
ラストに出て来る、転落のエピソードは、【かげろう日記】の冒頭で出て来たもの。 しかし、そちらの将軍は、綱吉ではなく、家斉でした。 どこまで、史実か、分からなくなって来ます。
「転変」 約9ページ
結局、世継ぎを儲ける事ができないまま、死期が近づきつつあった綱吉。 やむなく、甥に当たる、綱豊(後の家宣)を世子に決める。 綱吉の側用人として権勢を思うままにしてきた、柳沢吉保は、綱豊にも取り入って、次代将軍の世まで、影響力を及ぼそうと図るが、そうは問屋が・・・、という話。
代替わりの顛末を解説するのが主目的で、大奥の事は、ほんのちょっとしか触れられませんが、あれだけ、栄華を極めた、桂昌院一派や、それと熾烈な争いを演じた綱吉の正妻派が、代替わりと共に、小者まで含めて、一掃されてしまうところは、記述が少ないだけに、ショッキングです。 なんとも、虚しい世界である事よ。
「絵島・生島」 約18ページ
六代・家宣亡きあと、まだ幼い、七代・家継の在世。 大奥・御年寄(といっても、30代前半)の重職にあった、絵島が、出入り商人が賄賂代わりに仲を取り持った、歌舞伎役者、生島新五郎と懇ろになる。 将軍生母・月光院の名代として、寛永寺・増上寺に参詣した帰り、歌舞伎小屋に寄って、豪遊した事で、罪に問われる話。
これも、有名な話。 生島の方が、大奥に潜り込んだエピソードも描かれていますが、それは、危険が大き過ぎる気がしますねえ。 大奥勤めの者が外へ出るのも大変で、何かしら名目が要るのですが、前将軍・家宣の法事を短時間で打ち切って、芝居小屋へ繰り出したというのですから、お仕置きを喰らっても、致し方ないか。
時の将軍、家継は、まだ、幼児と言っていい年齢で、大奥は、本来の機能を停止中だったので、尚更、風紀が緩んだのではないかと思います。 お世継ぎを儲ける為の役所なのに、将軍が子供じゃ、しょうがない。 女ばかり、大勢集まって暮らしていても面白くないから、男漁りに出かけたくもなるわけだ。
「ある寺社奉行の死」 約8ページ
十一代将軍、家斉の治世。 硬骨漢の寺社奉行が、大奥に密偵を潜り込ませて、奥女中達と、参詣先の寺の坊主らが、懇ろになっている証拠を掴み、綱紀粛正を目論む話。
【かげろう絵図】(1958年)の元になった話。 この短編を膨らませて、約530ページの長編にしたわけだ。 組織というものは、必ず腐敗するので、時々、箍を締めなおさなければならないわけですな。 その恨みで、寺社奉行が変死させられるところまで書いてありますが、そういう犠牲も付き物なのでしょう。
「米の値段」 約8ページ
六代将軍・家宣の、お気に入りの側室は、町医者の娘だった。 家業を継いだ弟に、俸禄が与えられたが、石高に応じて、現金支給される金額が、米の相場に対して、異様に少ない。 弟が、米相場を調べた上で、姉を通じて、上様に奏上したところ、一石当たりの金額を決めている役人が不正をしていた事が露顕する話。
この町医者だけでなく、旗本全てに対して、一石37両が相場のところを、27両しか払わず、浮いた分を懐に入れていたというのだから、途轍もない規模の不正ですな。 幕府の重役達が、米の相場を知らず、この役人の不正に気づかなかったというのだから、呆れます。
「天保の初もの」 約9ページ
十二代将軍・家慶の治世。 水野忠邦が始めた、天保の改革で、先代・家斉の時代に、奢侈に流れていた風俗が、一気に、質素倹約の方向へ締め付けられた。 あまりにも急激な変化に、世上に怨嗟の声が上がっていたものの、上様の信任が厚い水野忠邦に逆らえる者はいなかった。 値上がりを抑える為に、初物まで禁止されていたのだが、ある時、上様が、お膳に生姜がない事を残念がった事で、倹約令が、上様の意向を汲んでいない事が判明し・・・、という話。
天保の改革というのは、こういうものだったんですな。 歴史の授業で習ったはずなんですが、全く、頭に入っていませんでした。 つくづく、松本さんの歴史解説は、分かり易いです。 まさか、忠邦も、生姜の初物のせいで、失脚するとは、思いもしなかったでしょう。
現代の経済感覚では、倹約令は、経済を萎縮させるだけではないかと思ってしまいますが、江戸時代は、国内だけで経済が回っていた上に、生産力に限界があったから、必ずしも、倹約令が、逆効果だったわけではないです。 収入が決まっているのなら、支出が少ない方が、貯蓄が大きくなり、豊かになるのは、自明の理。
小判の改鋳が何度も繰り返されるのは、貨幣価値が下がる、インフレが続いていたからでしょう。 インフレは、物が足りないから起こる現象ですが、外国からの輸入ができないのだから、起こって当然。 翻って、現代は、足りない物があったら、外国から買えばいいので、インフレになり難い時代と言えます。 インフレにしたかったら、輸入を制限すればいいわけですが、日銀程度の権力では、そんな大それた事はできますまい。
江戸時代の人々は、決して、のんびり暮らしていたわけではなく、生きる為に、朝から晩まで、尽きる事のない仕事や家事をこなして、働きづめだった人達が、大きな割合を占めていたわけですが、それでも、豊かな生活には、ほど遠い有様でした。 一種の奴隷経済だったんですな。 武士階層、つまり、奴隷を使う主人側に、倹約を求めるのは、理に適っています。 忠邦の失敗は、それを、武士以外の階層にも及ぼしてしまった事でしょうか。
以上、四冊です。 読んだ期間は、去年、つまり、2021年の、
≪松本清張全集 24 無宿人別帳・彩色江戸切絵図・紅刷り江戸噂≫が、8月8日から、14日。
≪松本清張全集 25 かげろう絵図≫が、8月18日から、24日まで。
≪真珠塔・獣人魔島≫が、8月24日から、29日まで。
≪松本清張全集 29 逃亡・大奥婦女記≫が、9月2日から、11日まで。
≪松本清張全集≫は、時代物を後回しにしていたので、ここへ来て、時代物ばかり立て続けに読む事になりました。 私は、時代物が嫌いではないですが、どちらかというと、未来好きな方なので、時代小説を進んで手に取るという事はないです。 松本さんの時代物も、全集に入っていなければ、読む事はなかったでしょう。
<< Home