2022/01/23

民主主義は終わった

  読書感想文の在庫が、まだ、あるんですが、あまり、続くのもどうかと思うので、ここらで、書下ろしを。 といっても、昨年の12月5日に出した、≪AIの判断≫を書いた時に、途中から脱線して、民主主義批判になってしまった部分を削除したのですが、それが、そこそこの長さがあるので、加筆して、一回分にしようという、セコいやりくりです。




  というわけで、民主主義批判です。

  「民主主義が、うまくいかなくなった」というのは、全世界的な認識として、共有されているようですが、いつからそうなったのか、何が原因かと言ったら、そーりゃ、あんた、インターネットの普及以外に、思い当たるものはありますまい。 時期的には、ネットが大々的に普及した、1998年頃から始まり、以降、じわじわと、民主主義の価値・意義が崩壊して行ったんですわ

  私個人の感覚で言うと、ネットを始める前は、「世の中には、優れた人達がたくさんいて、そういう人達に、専門的な事を任せておけば、間違いはない」と思っていました。 ネットを始めてから、しばらくは、その認識を基礎にして、ネット交流をしていましたが、5・6年経つと、少しずつ、その基礎認識が崩れて行きました。 「確かに、世の中には、優れた人達もいる。 しかし、ろくでなしの糞野郎の方が、圧倒的に多数派だ」という事に気づいたのです。

  一旦、他者に対する敬意が失われると、悪いところばかりが目に付き、鼻に付くようになります。 政治家なんて、いの一番に、駄目の烙印が押されます。 支配欲や権勢欲ばかり剥き出しで、公共の利益なんて、全然、考えてないのなー。 あーもう、政党なんか無関係に、ほぼ、全員、そうなのでは? 自分より劣っていないとしても、同レベルに過ぎない人物に、政治を任せましょうという気にならんというのよ。 その辺が、民主主義に対する幻滅の、主たる原因だと思いますねえ。

  アメリカで起こった、議会乱入事件は、この上なく、象徴的。 あの連中、トランプ氏には、ヒーローの幻想を抱いていたわけですが、一方で、トランプ氏に反対する政治家達に対しては、政党に関係なく、コツメカワウソの小指の爪の先ほども、敬意を抱いておらず、 極端な話、トランプ氏とその支持者以外の政治家なんて、皆殺しにしても構わないと考えていたのではないかと思います。

  議員を否定するという事は、議会を否定する事でして、もう、民主主義もへったくれもありゃしない。 もっと、恐ろしいのは、彼らが、一部、刑事罰を受けたとしても、一人たりとも、心から反省する者などいない事が、容易に想像できる事です。 誰も、悪い事をしたと思っていない。 また、同じ状況が訪れれば、同じ事をやるでしょう。 アメリカの有権者の半数近くに上る、トランプ支持者達にとって、民主主義は、完全に崩壊しているわけだ。 紛う方なき、トランプ崇拝であって、原始的な君主制とすら言えず、一宗教団体の教祖と、信者のような関係になっていると思います。


  インターネットが存在する限り、民主主義が立ち直る事はないです。 悪くなる一方だと思います。 奇妙な話で、ろくでなしの糞屑野郎の方が、圧倒的多数だと分かっているのに、そういう連中に認めてもらいたくて、せっせと努力を積み重ね、ブログの記事やら、動画やら、インスタ写真やら、拵えているわけだ。

  フォロワーが、10万超え? 何言ってるんですか。 その内の、9万9千9百人くらいは、ろくでなしの糞屑下司野郎どもですぜ。 10人抽出して、オフ会で話をしたら、瞬間、ワープで、銀河の彼方へ逃げたくなるような化け物どもなんだわ。 「瓦礫の王様」ではないが、「化け物どもの人気者」というのは、何か価値があるんですかね?

  他者への敬意が失われたら、民主主義は、もう成り立ちません。 そして、決して、インターネット以前には戻れません。 民主国家・地域は、今後、己が存在する限り、その呪縛から、逃れられないわけだ。 アメリカのように、国内が二分されて、内戦スレスレ状態になってしまうところと、日本のように、一党支配へ向かうところ、その他、中間形態に分かれると思いますが、いずれにせよ、失われた民主主義の優位性は、取り戻せないでしょう。


  以上が、脱線・削除した分。 ここから先は、今回用の書き下ろしになります。


  昨年の12月に、アメリカのバイデン政権が開催した、「民主主義サミット」ですが、あれも、しょーもなかったですねえ。 興味がなかったので、ネット・テレビ・新聞、どのメディアの報道も、詳しく見ませんでしたが、イメージ的に言うと、「なんで、今?」、「何の意味があるの?」という、違和感マックスの状況で開かれ、終わってみれば、何の結果も残さなかったイベントとしか思えません。 一体、何がやりたかったのかが、目的すら分からない。

  あのイベントで、民主主義のイメージが上がったとは、到底思えません。 むしろ、民主主義が色褪せた事を、証明してしまったのではないかと思います。 「落ち目のヤクザの親分が、乾坤一擲、他の組の親分どもに声をかけて、集会を開き、勢力を固め直そうとしたけれど、雰囲気ダラダラで、ただの飲み会になってしまった」といった感じでしょうか。

  上に書いたような、インターネット以後に発生した民主主義の構造的欠陥をどうにかしようという、工夫も智慧もなく、ただ、とうに失われた価値観を、無理やり再確認させようとして、失敗したわけだ。 しかし、もしかすると、バイデン政権も、アメリカの識者全般も、失敗したとは思っていないかもしれない。 「あれはあれで、やった意味はあった」と思っているのでは? 終わった途端に、忘れ去られてしまったというのに、何の意味があったというのか?

  アメリカの問題点は、自分の姿が見えていない事ですな。 見えていないのに、見えていると見栄を張っている裸の王様より、尚、重症です。 ここ数年、テレビ画面に出て来る、アメリカの大統領や、閣僚、官僚、学者などを見ると、ただ喋っているだけで、話の中身がスッカスカ。 畏怖や敬意など、微塵も感じる事ができません。 民主主義が機能しなくなった事で、自分達が理念を見失ったという自覚がないのだから、立て直す事など、できるわけがない。

  ちなみに、民主主義を、強引に立て直すとしたら、インターネットを禁止にしてしまうのが、唯一考えられる有効な手段ですが、そんな事、とーでもない。 できんもできん、無理無理な相談です。 ネットを禁止するくらいなら、国の方を解体しろと、多くの利用者が言うのでは? 「国や社会なんか、どうでもいいが、SNSがなくなったら、生きていけない」という人間は、明らかに多数派だな。


  民主主義選挙は、本来、優れた人物を選び出すのが目的で作られたものですが、人格者が選出されるのは、最初の頃だけで、瞬く間に、劣化して、単なる人気投票になるか、人物ではなく、政党を選ぶ形式に変わって、政党内でお山の大将になった者が、トップにつくようになります。 そして、そういう人達が、人格的・能力的に、一般人の平均より優れている事は、大変、稀です。 日本の歴代首相や、アメリカの歴代大統領だけ見ても、いくらでも、例を挙げられます。 というか、例外を見つける方が、難しい。

  不思議な事に、「こんな奴らに、政治を委ねなければならないとは、心底、嘆かわしい」と思っているくせに、なぜか、「民主主義は、最高の政治システムだ」と言う人が多い。 矛盾しとるがな。 教科書で読んだ事を、そのまま口にするのではなく、自分の目で見て、自分の頭で考えて、判断せにゃいけませんぜ。 民主主義選挙には、優れた人物を選び出す機能なんて、ないんですよ。 正確に言うと、最初はあった。 すぐになくなって、それ以降ずっと、ないのです。


  話は変わりますが、アメリカでも日本でも、民主的に選ばれた政治家を外してしまって、官僚だけで、政治機構を動かすようにすれば、簡単に、中国のような、エリート主導政治に切りかえられます。 官僚が、エリートである点は、どの国でも、同じですから。 そうすれば、少なくとも、民主的に選ばれた、「馬鹿、アホ、間抜け、能なし、昼行灯、風呂の蓋、性格異常者、精神異常者、認知症患者」が、政治に関わる事はなくなり、多少なりとも、いや、相当には、知性的な政治が行なわれるようになると思います。

  ただ、官僚は、非の打ち所がないわけではなく、決まって、汚職をします。 頭がいいエリートだから、その分、悪事も手が込んでいて、始末が悪い。 中国では、遥かな昔から、反腐敗キャンペーンを続けて、今に至りますが、つまりその、浜の真砂は尽きるとも、世に腐敗官僚の種は尽きないというわけだ。 しかし、脳味噌スッカラカンの、民主政治家に振り回されるのに比べたら、反腐敗キャンペーンを永遠に続けた方が、効率がいいかもしれませんな。

  だけど、エリートより、もっと、政治に向いているのは、やはり、AIでしょうねえ。 もう、AIで代替できる業務は、全部、AIに切り替えてしまうに限ります。 AIは、馬鹿でもないし、汚職もしないものね。 人間なんか、ウィルスのスパイクの先ほども、信用できるものかね。