2022/03/13

ウクライナ情勢

  ウクライナ情勢について、もちろん、ニュースは見ているのですが、2月に入ってから、母が2週間ほど、寝たきりになってしまい、その介護で忙しかったので、無視していました。 3月5日になって、少し、ゆとりが出たので、日記ブログの方に書いたのが、以下の文章。 その後、状況が進展して、少し加筆してありますが、基本的な部分は、ほとんど変わっていません。 平叙文で書いてあるのは、マキャベリ的なドライさを演出するのが狙い。


  侵略戦争であれ、防衛戦争であれ、当事者でない者が、どちらかを応援するのは、戦争への加担であり、平和主義とは言わない。 平和主義とは、非暴力・無抵抗に代表される考え方で、戦争への加担とは次元が異なる、実行の難しさがある。 大抵の人には、平和主義を実践するほどの、信念も根性もない。

  国連を、「世界政府」と勘違いしている人が、相変わらず多い。 加盟各国による、紛争調停機関に過ぎないので、国連で、どんなに大差で、ロシア非難が決まっても、戦争を停める力にはならない。 ちなみに、過去に、国連が停める事に成功した戦争は、ほとんどなく、安保理常任理事国が始めた戦争に限って言えば、一つもない。


  プーチン氏を、「狂った」と見るのは、むしろ、安直に流れた分析であり、狂っていないから、怖いのである。 ただし、怖いのは、プーチン氏本人ではなく、プーチン氏が、「戦争上等」と判断した、世界情勢の流れの方である。 中国史に当て嵌めると、いよいよ、春秋時代が終わり、戦国時代の乱世に突入するのだとしたら、新型肺炎が収まったとしても、未来は暗い。

  プーチン氏を口汚く罵っている者達が、一人の例外もなく、プーチン氏より遥かに知能が低いというのは、戦争を停止させる上では、絶望的だ。 自分より知能が高い者が、何を考えているのかは分からない。 その逆は、可。 全て、読まれているとみるべきだ。

  「プーチン氏の誤算」という言葉が使われているが、今回のロシア軍の作戦は、何年もかけて練られたものと思われ、ウクライナ側の対応も、諸外国の反応も、全て、計算に入っているとみた方がよい。 もちろん、事態の推移に合わせて、幅を持たせ、「こうなったら、こう対処する」といった、いくつもの対策を考えてあるはず。 「誤算」が入り込む余地などないと見るべきだ。 怖いのは、プーチン氏が、「どんなに、国際的非難を受けようが、経済制裁を課されようが、この戦争は戦い抜く意味がある」という見通しを持っているように見受けられる事である。 知能が低い者には見えない未来が、プーチン氏には見えている可能性がある。


  双方の戦力差から考えて、このままでは、ロシアの勝利は動かない。 国外からの、兵器・物資・資金の支援程度では、ウクライナに勝ち目はない。 軍事的に有力な外国が、直接参戦すれば、勝てないまでも、膠着状態に持ち込めるかもしれない。 しかし、ロシアに対抗できるほどの国というと、米、中、印くらいである。 英、仏、独くらいの国では、連合しなければ、力が足りない。 参戦すれば、当然、それらの国に、ロシアから弾道ミサイルで直接攻撃が行なわれると思われ、「それほどまでにして、ウクライナの為に戦うべきか・・・」と、大いに自問する事になるであろう。

  そういえば、外国からの義勇兵が、2万人も集まったらしいが・・・。 義勇兵に、「己れの命の危険を顧みず、自由と平和を守る、勇敢な正義の戦士」といったイメージを抱いている人には、夢を壊して、お気の毒だが、義勇兵とは、そういう種類の人間ではない。 公然と許された環境で、人殺しをしたいだけの、好戦的な社会的病疾者なのである。

  自分の国で、普通に暮らしている時でも、人を殺したくて殺したくて、いても立ってもいられない。 この攻撃衝動を、どうしてくれよう。 というわけで、どこかで戦争をやっていると聞けば、すっ飛んで行くのである。 もちろん、人を殺す為であって、その国を助けるなんぞ、二の次三の次である。


  最も早く、戦争を終わらせるには、ゼレンスキー政権が国外亡命してしまえば、とりあえず、終わる。 ロシアが敵視しているのは、ウクライナの反ロ派であって、ウクライナ国民全員ではないからだ。 むしろ、親ロ派のウクライナ人に関しては、助けたいと、本心から思っているはずである。 味方を殺しても、損にこそなれ、得になりようがないではないか。

  ゼレンスキー氏は、亡命するか、戦って殺されるか、降伏するかの三択という事になるが、今のところ、亡命する気はないようだ。 降伏した場合、軍事裁判で、悪くて死刑、良くて無期懲役ではないだろうか。 ゼレンスキー氏は、宣伝戦で、諸外国の同情を集めるのに成功しており、知能の高い人物である事が分かるが、プーチン氏ほど、手駒を持っていないのは、痛いところだ。 この二人、全然違う世界で出会えば、互いに優れたところを認め合って、良い友人になれたと思われる。

  アホぶりが際立つのは、民主国家のトップ達で、ギャーギャー騒いでいるだけで、驚くほど、無能である。 アメリカは奇妙な国で、自分の国が、ついこないだまで、イラクやアフガニスタンで、堂々とやっていたのと同じ行為を、他の国がやると、怒る。 ガキ大将心理、丸出しである。 ゼレンスキー氏が気の毒なのは、こんな連中を頼りにして、自分と同じくらい知能が高く、自分より遥かに大きな軍事力を使えるプーチン氏と戦わなければならない事だ。


  「ロシア側が、偽情報を流している」といった批判は、的外れも甚だしい。 戦争をやっているのだから、偽情報を使うのは、当たり前だ。 偽情報は、ウクライナ側も流していると思うが、それも、当然。 偽情報を流すくらいで、有利になるのなら、いくらでも流す。 命のやりとりをしているのだから、生き残る為には、何でもやる。 どちらの言う事も、どちらか一方の応援をしている外野の言う事も、一つも信用できぬ。 仮に、真実が含まれていたとしても、それを見分けるのは、不可能だ。

  「停戦交渉中なのに、ロシア軍の攻撃が続いている」という批判も的外れ。 何を、寝ぼけた事を言っているのか! 停戦していない状態だから、停戦交渉をしているのではないか。 言葉の意味も分からないのか? 「停戦交渉中は、攻撃をやめる」という事前合意でもなければ、停戦交渉中、戦争が続いているのは、当たり前だ。

  その停戦交渉だが、ロシアが、反ロのゼレンスキー政権を存続させる事は考えられないので、見せかけだけ、交渉しているように装っているものと思われる。 ウクライナ側も、それは承知しているが、「交渉しない」と言ってしまうと、自分達が和平を拒んでいるような印象を、外部に与えてしまうから、一応、出て来ているのだと思う。 どちらも、ポーズでやっているだけだから、外野は、停戦交渉に大きな期待をかけない方が良い。


  ロシア非難をしたいばかりに、ウクライナを応援している者が、あまりにも多い。 そういう人達に訊きたいが、ウクライナについて、何を知っているというのか? 映画、≪ひまわり≫を口にする人が圧倒的多数だと思うが、知識として希薄すぎて、話にならぬ。 あの映画、ウクライナに行くには行くが、ウクライナ社会や、ウクライナ人を描いた映画ではない。 もう、ウクライナについて、≪ひまわり≫を出して来た時点で、その人のウクライナ知識が、ゼロに近いという証明である。 まして、≪ひまわり≫すら見ていない人間が、≪ひまわり≫を持ち出すに至っては、失笑不可避。


  スポーツ界が、政治に振り回されているのは、滑稽至極である。 常日頃、「スポーツに、政治を持ち込ませない」と言っていながら、自分達で、その原則を曲げている。 いかにも、体育会系的な、論理性の弱さである。 ロシア選手を出場禁止にしても、戦争が終わる事はない。 そんな事で、ロシアが、この大作戦をやめると、本気で思っているなら、そちらの方が、「狂って」いる。


  戦争は、この上ないような大ごとだが、新型肺炎で、600万人近くが死んでいる事を思うと、どうも、人の死に鈍感になっているようで、ピンと来ないところもある。 黒澤明監督の映画、≪生きものの記録≫の主人公とは違う意見だが、戦争で殺されるのも、病気で死ぬのも、死が最大の恐怖である事に変わりはない。




  以上です。 書いてから、日数が経っているから、些か、現状からズレてしまっていますが、また、数日経てば、そんな事も気にならなくなるでしょう。 進行中の戦争について書く時には、すぐに情報の鮮度が落ちてしまうのが、難点ですな。

  ロシア軍によるキエフの包囲が進んだ時点で、この後文を書いているわけですが、3月12日、土曜日の夜(日本時間)9時頃までに、ゼレンスキー政権が崩壊するような事がなければ、日曜の朝に、そのまま、公開します。 なぜ、日本時間の夜9時かというと、それを過ぎると、私が眠ってしまうからです。 


  ゼレンスキー氏は、依然として、「徹底抗戦」、「降伏はしない」、「最後まで戦う」と言っていますが、もし、抵抗を長引かせたいのなら、外国へ亡命しないまでも、国内の別の地域へ移った方がいいと思います。 ロシア側からすると、ゼレンスキー政権が、各地を転々としながら、あくまで、ウクライナの正統政府として、抵抗運動の指揮を取り続けるのが、一番、嫌なシナリオだと思うので。

  「最後まで戦う」は、死を覚悟しているなら、英雄的な華々しい最期という事になりますが、ゼレンスキー氏に死なれると、今まで、彼を信じてついて来た人達は、困ってしまうわけで、「死ぬつもりなら、もっと早く、亡命するなり、ロシアの要求を飲むなりしていれば、こんなに被害が出なくて済んだものを」と、恨みに思う人も出て来るでしょう。

  もっとも、そうなったとしても、ゼレンスキー氏を英雄視する評価は変わらないと思います。 早く手を挙げてしまった元首と、死ぬまで戦った元首では、歴史的な評価は、後者の方が、断然、高くなります。 救った命は、前者の方が、桁違いに多かったとしてもです。 歴史のように、少し時間が経ってから、振り返って眺めるものの場合、命よりも、名誉の方が価値があると感じる人が多いわけだ。

  たとえば、映画にもなった太平洋戦争の「硫黄島の戦い」。 5日で落ちると見られていたところを、日本軍の守備隊が奮戦して、35日間、もたせたわけですが、硫黄島の戦略的な重要度から考えると、そのせいで、30日間、戦争終結が遅れたとも言えます。 という事は、7月17日から、8月15日までの間に死んだ人間は、硫黄島の守備隊が奮戦したせいで、死んだという事になります。

  では、その事で、硫黄島守備隊や、その指揮官が、歴史的に批判されているかというと、そんな事は全然ないのであって、「よくぞ、日本人の意地を見せてくれた」と、賞賛する声の方が、圧倒的に多い。 命より、名誉の方が大事だと感じている人間が多いわけだ。 ただし、それは、自分の命が懸かっていない場合であって、「今、殺されそうだ」という状況に置かれれば、命を優先する人が多いと思います。 名誉では、生き残れませんから。

  ロシア側にしてみると、ゼレンスキー氏が、キエフに留まっていてくれるのは、大変、都合がいい。 この上は、是が非でも、討ちもらさない事が、肝要。 ゼレンスキー氏が死んでしまえば、ウクライナ軍に与える精神的な打撃は、この上なく大きなものになります。 中枢を失ってしまったら、すぐに、代わりが務まる人を立てない限り、総崩れになってしまう可能性が高いです。

  ゼレンスキー氏は、どうしても、キエフから退去したくないというのなら、生きている間に、後継者を指名して、西部の都市に、政府機能を移しておいた方がいいと思います。 ヒトラーは、逃げ回るのを嫌って、ベルリンで死んだわけですが、逃げるのが、必ずしも、恥というわけではなく、たとえば、宋は、金に攻められて、皇帝を略取されますが、政府ごと南に逃げて、新たな皇帝を立て、国の南半分を版図にした南宋が、150年も続きます。

  豊臣秀吉の朝鮮侵略の時は、もっと、極端な例がありました。 朝鮮王は、僅かの手勢に守られて、陸路を北上、命からがら、明に逃げ込みますが、王一人が生きていたおかげで、明の援軍を引き出す事に成功し、最終的には、日本軍を撃退して、国を取り戻します。 逃げた事で、国を救ったわけです。 「自国だけでは、勝てない」という判断が正しかったわけだ。

  話をウクライナに戻しますが、戦争は、早く終わって欲しいと思うものの、その為には、ゼレンスキー氏に、外国へ亡命してもらうか、戦死してもらうか、降伏してもらうしかなく、本人が望んでいない事を、外野が押し付けるのは、あまりにも節操がない。 かといって、ウクライナ側を応援すると、「もっと、戦え」になってしまい、戦争は長引き、死傷者や壊されるものが増えてしまいます。 ジレンマですな。

「ロシアが、引けばいい」

  そんな事は分かっていますが、現実問題として、引かないでしょう。 ここで、引くくらいなら、最初から、戦争を始めないと思います。 プーチン氏が、罵られて、考えを変えるような、意志薄弱な性格なら、いくらでも罵りますが、その対極にいる人物なのだから、罵っても、逆効果にしかなりません。

「罵るのではなく、説得したら、どうか?」

  駄目駄目! 知能の高い人間は、自分より知能が低い人間の説得なんて、聞きません。 民主国家のトップどもが、何を言ったって、脳味噌の出来を見透かされているのだから、何の説得力もありますまい。 「戦争などやめた方が、ロシアの為になる」なんて、お為ごかしをかました日には、鼻で笑われるのがオチです。 「おまえが、ロシアの何を知っているのだ? 何の興味もないくせに」、と。