2022/06/19

実話風小説⑤ 【個人商店ゴロ】

  「実話風小説」の五作目です。 普通の小説との違いは、情景描写や心理描写を最小限にして、文字通り、新聞や雑誌の記事のような、実話風の文体で書いてあるという事です。 今回も、締め切り直前に書きました。 書き始めると、気分が昂揚して、スイスイ進むのですが、書くのが面白いからといって、出来た小説が面白いとは限りません。 今回、些か、長いです。




【個人商店ゴロ】

  まだ、フィルム・カメラが全盛だった、1990年代の話である。 50代前半で、脱サラして、カメラ店を始めた人物、A氏。 一から始めたわけではなく、写真の趣味があって、その店の常連客だったのが、店主が高齢で、店を畳むと言い出したので、安く譲ってもらったのである。 半年、店員として、修行し、店主の引退と共に、店を引き継いだ。

  元からの固定客が、そのまま残った事もあり、店の経営は、これといった問題も起こらず、順調に軌道に乗った。 A氏が控えめな性格で、商売向きではなかったものの、良識があり、客を選り好みするような事をしなかったので、元からの客が、離れる理由がなかったのだ。 A氏自身が、写真趣味をもっていたので、機材や業務内容にも知識があり、客の信頼を得るのに、苦労はしなかった。

  しばらくは、A氏と、その妻だけで、店をやっていたが、5年目に入って間もない頃、店員を雇う事にした。 店の方が、特に忙しくなったわけではないが、妻の父親が要介護になり、妻が定期的に、実家へ手伝いに帰るようになったので、自然に、そういう話になったのである。

  もう一つ、理由があった。 商店会の懇親会に出たA氏が、工具店をやっている人物と話をしていたところへ、工具店の店員が、何かの用事で、店主の意向を訊きに来た。 その若い男が、真面目を絵に描いたような人物で、態度も礼儀正しく、ハキハキと喋り、印象が大変、良かった。 工具店の店主と店員が、専門的な会話を交わしているのを、横から見ていて、羨ましくなったのである。 自分も、こんな頼りになる店員を使ってみたいと思ったのだ。

  カメラ店で、店員を雇う事になったが、募集をかけても、なかなか、応募して来る者がなかった。 ハロー・ワークへも、募集の申し込みをしてあったが、時折、電話がかかって来る事があっても、高齢者が多く、条件に合わなかった。 A氏の経験からして、趣味関係の店で、高齢の店員がいると、知識を鼻にかけて、客を見下す傾向があるので、50歳以上は、年齢で断っていた。 A氏が、理想的と思っていたのは、30代の男性だった。

  募集してみて、いかに、個人商店で働こうという若者が少ないかを、痛感した。 アルバイトなら、割と簡単に見つかるが、学生や主婦では、趣味の店での接客は難しい。 実際、写真趣味がないA氏の妻も、詳しい事は、ちっとも頭に入らず、店内にある品を買いに来る人を相手に、単なる売り子の仕事しかできなかった。 最も多い仕事、現像・プリントの受け付けはできたから、戦力になっていないわけではなかったが・・・。

  募集し始めて、2ヵ月経った時、ハロー・ワーク経由で、31歳の男性が応募して来た。 A氏はすぐに、面接したいと応えた。 店にやって来た青年Bは、真面目そうな外見だった。 話し方も落ち着いていて、浮ついたところが感じられない。 逆に、なぜ、こんな青年が、個人商店に勤めようなどと考えたのか、そちらが、不思議だった。

  青年Bの話では、高校卒業後、高校の紹介で勤めた運送会社が、8年で倒産してしまい、その後、親戚がやっている雑貨店を、2年ばかり、手伝っていた。 その時の経験で、自分の性格が、個人商店での接客に向いている事が分かり、それ以降、個人商店ばかりに勤めるようになった、との事だった。

  この時、A氏が人を使い慣れた人物だったら、青年Bの話に、違和感を覚えても良かったのだが、A氏は、すっかり、青年Bを気に入ってしまい、よく検討もせずに、雇う事を決めてしまった。 ちなみに、青年Bは、特に容姿が優れているというわけではなかったが、カメラ店の客は、男性が多いので、その点は、ほとんど、問題がなかった。 下らない事のようだが、外見がいい店員がいるかいないかは、小規模な店にとって、繁盛するかしないかを左右する、かなり大きな要素である。

  青年Bは、中高生の頃、鉄道写真を撮っていた経験があり、写真の知識が、一通りあった。 カメラについても、メーカー名や、機種名が、ほとんど頭に入っていて、カタログを見れば、ある程度、お客に売り込みの説明もできるレベルだった。 その事は、A氏を喜ばせた。 仕事は、業務内容の事だけ、教えればよかった。

  半月もしない内に、青年Bは、店番を一人でできるくらい、仕事に慣れた。 A氏は、青年Bを雇った事に満足していた。 A氏自身、仕事が嫌いではなかったが、さほど広くない店内に、店の人間が二人いても仕方がないので、裏方に回って、仕入れの仕事をしたり、商店会の他の店主がやっているように、よその店を訪ねて、世間話を楽しむ機会が増えた。 店の事は、青年Bに任せておけば、心配ないと思っていた。 


  二ヵ月が過ぎた。

  店の売り上げが、目立って、落ちて来た。 もちろん、利益も減った。 A氏は、店を引き継いで以来、初めての事態に、狼狽してしまった。 何が原因なのか、帳簿を調べてみたら、現像・プリントの仕事は、従来通りだったが、写真機材の販売が、3分の1になっていた。 なぜ、急に減ったのかが分からない。 「商売とは、こういう落とし穴があるものなのか」と、今更ながらに、苦い気分を味わった。

  まず、心配したのは、青年Bに払う給料の事であった。 利益にゆとりがあったから、店員を雇ったわけだが、そのゆとりが、半分くらいなくなってしまった。 これで、店員の給料を払ったら、赤字になるかならないかの瀬戸際に追い込まれてしまう。 といって、せっかく雇えた、青年Bを解雇する気には、全くならなかった。 「いい店員さんを雇ったね」と、他の商店主達から、羨ましがられたい、その欲求は、衰えていなかった。

  青年Bを雇い続ける為にも、何とか、売り上げを元に戻さなければならないが、そもそも、機材販売が減った理由が分からない。 あれこれ考えた結果、以前、店に来ていた常連客の何人かを、最近、見なくなっている事に気づいた。 その理由も分からない。 接客を、青年Bに任せていたから、馴染まない内は、敬遠された可能性もあるが、それなら、店長の自分を呼べばいいだけの事ではないか。 青年Bにも、「『店長はいるか』と言う客がいたら、自分を呼ぶように」と言ってある。


  A氏は、まず、店を譲ってくれた、前の店主の所へ、時候の挨拶を装って、電話をかけてみた。 話の終わり頃に、売り上げが減った事を、さらりと告げ、「商売は、難しいですね」と、こぼした。 すると、前の店主は、しばらく、無言だったが、やがて、ポツリと言った。

「最近、誰か、店員を雇った?」
「えっ? ああ、はい。 31歳の青年が来てくれたんで、仕事の方は、楽になりました」
「・・・・・」
「それが、何か?」
「いや、何でもない。 そうと決まったわけじゃないからね」
「どういう事ですか」
「うーん・・・。 とりあえず、来なくなった常連さんに、話を聞いてみたらどうかな。 何か、理由があるのかも知れないから」
「そうですね。 そうしてみます」

  A氏は、そうは言ったものの、来なくなってしまった元常連客に、こちらから連絡をとるのを、ためらった。 嫌がられているのなら、下手に理由を訊いたりしたら、もっと、嫌がられるのではないかと恐れたのだ。


  ところが、そうも言っていられなくなった。 次の月の売り上げが、更に減ったのである。 利益も減り、もはや、店員を雇い続けるゆとりは、消し飛んでしまった。 A氏は、そわそわと落ち着かなくなり、思い切って、来なくなった常連客の一人に、電話をかけてみた。

「ああ、Cさん? ○○カメラ店の、Aです」
「・・・・、ああ、こんにちは。 お久しぶりです」
「ほんとに、お久しぶりです。 最近、店の方に来ていただけないようですけど、写真、やめちゃったんですか?」
「いや、やってますよ。 申し訳ないけど、今は、他の店に、お世話になっててね」

  A氏の顔色が、青くなった。 恐れていた事が、実際に起こっていたのだ。

「はあ、そうですか。 何か、うちの方で、ご迷惑でもおかけしましたか?」
「いや、Aさんではないです」
「というと?」
「若い店員が入ったでしょう?」

  A氏の顔色が、更に青くなった。 もしやと恐れていた原因が、証明されようとしている。

「Bが、何かしましたか」
「何かした、と言うより、してくれないんですよ」
「どどどどういう事ですか?」

  A氏の額から、冷や汗が滝のように流れ落ち始めた。 元常連客C氏は、こうなったら、全部ぶちまけてしまえ、という口ぶりで、話し始めた。

「あの若い奴ねえ。 店にある品を買う分には、普通に応対してくれるんだけど、取り寄せを頼むと、すっごい、迷惑そうな顔するんですよ。 取り寄せでも、店に利益は入ると思うんだけどね」
「もちろん! もちろん、入ります!」
「それで、嫌な顔されるだけでも、頼む気が失せるんだけど、ひどい時には、『そんな製品は、この世に存在しない』って言うんだよ。 あれには、ビックリしたね。 こっちは、雑誌のカタログで調べてから、注文しに行っているから、ないわきゃないんだけど。 まあ、ないって断言されちゃったら、他の店に行くしかないでしょう?」
「ごもっともです! 大変、大変、失礼致しました! 申し訳ございません!」

  A氏、自宅の電話機の前で、土下座の米搗きバッタである。 C氏は、いささか、調子に乗って、更に付け加えた。

「あの若い奴がいなくなったら、また、連絡して下さい。 別に、Aさんに遺恨があって、行かなくなったわけじゃないから」
「はい! 承知致しました! 必ず、ご連絡致します! その際は、是非また、ご利用くださいませ! 宜しくお願い致します!」

  電話は切れた。 A氏は、サウナから出て来たばかりのように、全身に大汗を掻いていた。


  しかし、落ち着いて考えてみると、あの青年Bが、そんな事をしたとは思えない。 もしかしたら、何か事情があって、C氏に誤解されたのかも知れない。 一人の証言だけで、青年Bを叱りつけるのは、勇み足だと思い、他の常連客にも、電話してみる事にした。 今度は、D氏である。

「いや、写真は続けていますよ。 最近は、他の店に行っているだけで」
「よかったら、その理由を・・・」
「若い店員が入ったでしょう?」

  A氏、またぞろ、ドッと冷や汗。 体の中に、まだ、こんなに水分が残っていたのかと思うくらい。

「鍵がかかったガラス・ケースの中のカメラを、見せてくれって言ったら、嫌そうな顔して、『どうせ、買わないんでしょ?』って言うんだよ」
「もももも申し訳ございません!」
「まあ、確かに、その時は、最新機種が、どんな感じか見てみたかっただけで、すぐにすぐ、買うつもりはなかったんだけどね。 でも、腹を見透かされたみたいで、バツが悪いやら、気味が悪いやら、何だか嫌になっちゃってねえ。 で、結局、他の店で見せてもらって、そちらで買いましたよ」
「ももももももも申し訳ございません!」


  これで、青年Bが、自分のいない時に、どんな接客をしていたか、はっきり分かったわけだが、A氏、冷や汗を掻きついでに、もう一人に、電話して見る事にした。 E氏である。

「いや、写真は続けていますよ。 最近は、他の店に行っているけど」
「よかったら、その理由を・・・」
「あの、若い店員・・・」

  A氏、三たび、ドッと冷や汗。 こういう事は、三度目でも、慣れないものだな。

「びびびびBが、失礼な事をしましたか?」
「モノクロ現像用の薬品なんだけど、特殊な品なんで、店にないのが分かっているから、取り寄せを頼んだんですよ」
「は、は、はあ?」
「そしたら、『在庫を調べるから、待ってくれ』って、コンピューターで調べ始めて。 ところが、なかなか、結果が出て来ないんだわ。 15分くらい、あれこれ、やってて、結局、『在庫がないから、取り寄せる事になるが、どうしますか?』って言うんだよ。 そんな事は、こっちは、最初から分かってるんだけどね。 店長さんに言えば、5秒で通じる事を、あいつに頼んだら、15分もかかるんじゃ、あいつが店にいる限り、もう、行く気にはなりませんよ。 こっちも、そうそう、閑じゃないんだし」
「もももも申し訳ありませんでしたーっ!」

  写真・カメラ関係の機材は、製品が無数に存在する。 全てを、店に用意しておくわけには行かないから、取り寄せは、普通の事である。 ところが、青年Bは、それを嫌って、取り寄せを頼む客を、追っ払っていたようなのだ。 機材の売り上げが落ちるのも、無理はない。 ガラス・ケースを開けなかったというのも、店員としてあるまじき行為である。 常連客なら尚の事だが、高価なカメラを買うのに、試しに手に取ってみるのは、普通の事である。 どうも、常連客を追っ払いたくて仕方ないらしい。


  青年B、A氏の前では、真面目そうなフリをしていただけで、正体は、そういう奴だったのだ。 A氏は、すぐにでも、青年Bを怒鳴りつけてやろうかと思ったが、その前に、思わせぶりな事を言っていた前の店主に、電話で相談してみた。

「ああ、そうだったの。 やっぱりねえ。 その店員には、まだ、何も言っていない? そりゃ良かった。 いるんだよ、そういう奴って。 特に呼び方は決まってないけど、俺は、『個人商店ゴロ』って呼んでる。 個人商店ばかり狙って勤めて、楽して、給料もらおうとするんだ」
「楽をするのが、目的なんですか?」
「そう。 個人商店の店員は、給料制だから、店の売り上げや利益が、多かろうが少なかろうが、関係ないんだな。 で、どうせ、同じ給料なら、楽な方がいいってんで、最低限の仕事だけして、やらなくても済むような事は、やらないで済ませようとするわけよ。 取り寄せは、特に嫌がるね。 書類を書いてファックスしたり、電話したり、コンピューターに入力したり、面倒だから」
「そんな理由で、常連のお客さんを追っ払うんですか?」
「雇われ店員にしてみれば、常連客なんて、鬱陶しいだけなんだろうな。 面倒な取り寄せを頼まれる事が多いし、自分より、カメラや写真に詳しい人達だから、常に見下されてしまうし。 腹癒せも兼ねて、追っ払うんだろう。 『お客様は、神様』と思っているのは、経営者だけで、雇われ店員は、そんな事、考えちゃいないんだ。 自分は主の側だから、客より偉いと思ってるんだ。 15分もかけて、在庫を、わざわざ調べたって話も、自分の方が店の事情に詳しい事を、客に思い知らせたかったんだろう」

  聞くだに、恐ろしい話である。 A氏は、またまた、顔色真っ青になった。

「すぐに、クビにします!」
「いや、待て待て。 クビは当然だけど、逆恨みされるかも知れないから、責めちゃいかん。 実際に、売り上げも利益も落ちているんだから、それを理由にして、『申し訳ないが、人を雇うゆとりがなくなってしまった。 やめて下さい』と、穏便に頼む方がいい」
「はあ。 なるほど」
「しばらく・・・、そうだな、常連さんが戻って来るまでは、人は雇わずに、Aさん夫婦だけでやって行くのがいいと思うよ。 まだ若いのに、個人商店を狙って応募して来る奴は、大抵、ゴロだから、引っ掛かる率が高い。 バイトやパートの方が、ずっと信用できるけど、専門知識が要るカメラ屋じゃあ、ちょっと、難しいからな」
「分かりました。 そうします」

  A氏は、青年Bを面接した時の事を思い出していた。 そうだ、確かに、「個人商店ばかりに勤めるようになった」と言っていた。 つまり、一ヵ所ではなかったのだ。 そのどこかで、個人商店が、食い物にできる事を覚え、同じような事を繰り返しては、クビになって来たのだろう。 もしかしたら、青年Bが潰してしまった店もあるかも知れない。

  同じ店で働いていても、雇う側と雇われる側では、同床異夢。 雇われている方は、給料さえ出ていれば、店がどうなろうが、知った事ではない。 極端な話、潰れても構わないのだ。 個人商店では、常に、店員のなり手不足に、頭を悩ませている。 若い応募者があれば、すぐに採用するから、乗り換え先には事欠かない。 そういう計算をしているのだ。 恐ろしい奴らである。


  A氏は、前の店主のアドバイスに従い、青年Bに事情を話して、穏便に、やめてもらった。 常連客は、少しずつ戻って来たが、以前の売り上げ・利益に戻るまでに、一年以上かかった。 その後、A氏の店では、デジカメ時代になって、廃業するまで、店員を雇わなかった。 青年Bで、懲りたのである。 A氏は、以後、店員を雇っている店を見ても、羨ましがる事はなくなり、逆に、「大丈夫かな?」という目で見るようになった。

  ちなみに、同じ商店会の工具店は、A氏のカメラ店より早く潰れた。 終わりの数年は、閑古鳥が鳴き、借金だらけだったそうだ。 店が潰れた後、工具店の店主は、家族を残して、逐電してしまった。 A氏は、その店にいた真面目そうな店員が、実は、個人商店ゴロだったと見ている。 その店員は、給料が出なくなるまで、店に居座っていたらしい。

  青年Bは、その後の消息が分からない。 一度、甘い汁を吸うと、なかなか、やめられないと思うので、おそらく、個人商店ゴロを続けたはずである。 高齢になって、年齢を理由に雇ってもらえなくなるまで。