2022/10/16

読書感想文・蔵出し (92)

  今回、ウクライナ情勢について、書き下ろそうかと思っていたのですが、表面的な状況に変化があっても、依然として、ロシア側の目的が分からない事に変わりはないので、下手な事を書くと、後々、頓珍漢になる恐れがあり、慎重を期して、やめました。 敢えて、火中の栗を拾う事もない。

  というわけで、 先週に引き続き、読書感想文です。 まだ、ストックがあります。





≪杉の柩≫

クリスティー文庫 18
早川書房 2005年5月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
恩地三保子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【杉の柩】は、コピー・ライトが、1940年になっています。 約393ページ。


  地方の大きな屋敷に住む老婦人が、遺言書を書かないまま、急死する。 遺産を受け継いだ姪は、老夫人の姻戚の男と結婚するつもりでいたが、男が、老婦人の世話係をしていた娘に浮気したせいで、破談となった。 姪の計らいで、世話係の娘にも、かなりの金額が渡される事になったが、その矢先に、その娘がモルヒネで毒殺されてしまう。 嫌疑は、当然、姪にかかってきて・・・、という話。

  タイトルを覚えているので、デビッド・スーシェさん主演のドラマで見たのだと思いますが、記憶にある話と、全く違う内容でした。 ストーリーは、「杉の柩」とは、何の関係もありません。 柩は出て来ますが、間接的に触れられるだけで、柩がどうこうという話では、まるっきり、ないです。 もしかしたら、英語で、「杉の柩」が、何か、特別な意味合いを持っているのかも知れませんな。

  犯人については、覚えていましたが、法廷での謎解き場面になるまで、思い出さなかったのは幸運で、小説を楽しむ事ができました。 逆に言うと、それまで、嫌疑がかかっていなかった人物が、突然、犯人指名されるので、後出しっぽい感じがしないでもないですが、よく読めば、前の方に、その人物が、場面にそぐわない発言をしている事が分かります。

  クリスティー作品では、必ず、伏線が張ってあるので、「あれ? なんで、この人物は、こんな事を言うのだろう?」と、違和感を覚えたら、その人が犯人である可能性は高いです。 もっとも、それ以外の人物も、結構、いろんな事を口にしており、読者が推理して、犯人を当てるのは、至難の技ですが。

  最初に逮捕されて、裁判にかけられている姪は、もちろん、犯人ではありません。 それを書いても、ネタバレにはならないでしょう。 その姪が、犯人ではない事を証明する為に、ポワロが刈り出されるのですから。 クリスティーさんは、ポワロを、犯人達より、数段、知能の高い人間に設定していて、一時的であっても、ポワロが犯人に騙されるようなストーリーは、まず、書きません。 【三幕の殺人】のように、素人探偵側の中に犯人が含まれている場合、ポワロは、最後の方にならないと関わって来ないのを見ても、それは、分かります。

  ドラマを見ていなくて、初めて、小説で読んだという読者は、「面白いけど、ちょっと、犯人に関する情報が出てくるのが、遅いかなあ」と感じると思います。 そこが、推理小説の難しいところでして、犯人の情報を、早々と多く出してしまうと、容易に犯人が分かってしまって、駄作になってしまうから、匂わせる程度の事しかできないんですな。

  とはいえ、匂わせる程度にしても、もうちょっと、匂いを強くして欲しいような気もするのですが・・・。 いや、でも、やはり、面白いです。 こういう作品を書ける作家は、そういういますまい。




≪五匹の子豚≫

クリスティー文庫 21
早川書房 2003年12月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
桑原千恵子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【五匹の子豚】は、コピー・ライトが、1942年になっています。 約396ページ。


  妻が、画家だった夫を毒殺し、有罪判決を受けて、服役中に獄死する。 幼くして残された娘が、16年後、自分が結婚するに当たり、母の無実を証明してもらおうと、ポワロに捜査を依頼する。 ポワロは、当時の弁護人達、及び、事件に関わっていた人物5人に聞き取りを行なって、16年前に何が起こったかを思い出してもらい、真相に近づいていく・・・、という話。

  三人称の、フー・ダニット物。 捜査側は、ポワロ一人で、ヘイスティングスは出て来ませんし、警察関係者も、ほとんど出番がありません。 事件当時、捜査に関わった人物が、一通りの説明をするだけ。

  とっくの昔に終わった事件を捜査するという点で、普通の推理小説とは趣きが異なりますが、読者側からすると、16年前だろうが、最近だろうが、結局、作者の文章によって、事件の経緯を説明される事に変わりはないので、そんなに構えて読む必要はないです。 【アクロイド殺し】や、【そして誰もいなくなった】なら、構えて読む必要がありますが、この作品は、その種の特殊な形式ではありません。

  毒の出所は、被害者の友人の研究室で、はっきりしています。 ビールの中に毒が入れられるわけですが、推理物には、良くあるパターンで、どうやって入れたかが、一応、謎になっています。 トリックというほどのトリックは使われていません。 謎の方も、それが見せ場というわけではなく、この作品で、中心テーマになっているのは、動機の方ですな。 

  読み始めて、登場人物達の相関関係が、ほぼ頭に入ると、「こいつが怪しい」と思う人物が出て来ます。 被害者の次に、性格に問題があり、感心しないから、そう思ってしまうんですな。 ところが、その人物には、動機がありません。 というか、逆に、被害者に死なれると、困る立場にいるのです。

  関係者5人に、獄死した妻を加えた、6人の内、3人には動機がありますが、人を殺すほど強い動機となると、妻だけになってしまい、裁判は、正しい判決を下したという事になるのですが、それでは、ストーリーにならないのであって、やはり、妻は、やっていなかったんですな。 これは書いても、ネタバレにならんでしょう。

  妻は、「殺していない」とは言っていたものの、積極的に、無実を訴えていたわけではなく、甘んじて、有罪判決を受け入れるのですが、その理由が、大変、面白い。 殺人事件とは、全然関係がない理由なのです。 犯人の事情と、妻の事情が、一見、これ以上ないほど、密接に関係しているように見えるのに、その実、全く別の原理で動いていた、というのが、この作品の最大の特徴です。

  こういう話を思いつく、作者の頭の構造が、私の想像力の限界を超えます。 クリスティーさんというのは、大変、知能が高かったんでしょうなあ。 そのレベルは、読者の平均のみならず、知能が高い一群の読者よりも、更に数段、上を行っていたのではないでしょうか。 だから、クリスティーさんの後に、クリスティーさんを超える推理作家が出て来なかったのだと思います。




≪ホロー荘の殺人≫

クリスティー文庫 22
早川書房 2003年12月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
中村能三 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【ホロー荘の殺人】は、コピー・ライトが、1946年になっています。 約475ページ。


  腕のいい開業医で、医学者でもある男は、女にもモテた。 妻と一緒に、親戚の屋敷へ、休日を過ごしに行ったが、結婚前に交際していた映画女優が、隣の別荘に住んでいて、彼女が訪ねて来た晩の翌朝、プルー・サイドで、医師は射殺されてしまう。 銃を握っていたのは医師の妻で、当然、嫌疑は妻にかかったが、妻が持っていた銃は、医師を撃ったのとは別のものだと分かり、捜査が混迷して行く話。

  ポワロが探偵役で、三人称。 デビット・スーシェさんのドラマで見ていましたが、犯人を忘れていて、小説を楽しんで読む事ができました。 犯人が分かっていると、あまり、面白くない部類の作品です。 最初に、テレビ・シリーズを見た時に、プール・サイドの場面が強く印象に残っていたのですが、そこが、犯行現場なんだから、当然ですな。

  フー・ダニット物ですが、誰も彼も、容疑が一定以上、濃くならないので、フー・ダニット的な面白さは希薄です。 一種のドンデン返し物なのですが、誰が犯人でも成り立つような設定にしておいて、最後で引っ繰り返す、というものではなく、「この人物でなくては、話が成立しない」という人が犯人です。 大概の人は、犯人が誰か、最後まで分からないでしょう。 私も、分かりませんでした。

  トリックは面白いです。 しかし、この作品、トリックや謎を楽しむのが眼目ではなく、登場人物達の、心理を描くのが、目的だったようですな。 とにかく、心理描写が多い。 長い。 くどい。 ただ、嫌になるほどではないです。 心理描写が多い小説が好きな人なら、むしろ、喜ぶのでは?

  邪推かも知れませんが、クリスティーさん、推理作家が色物扱いされている事に不満を抱いていて、正統な文学の一類と見做してもらえるように、心理描写をしこたま盛り込んで、地位向上を目論んでいたんじゃないでしょうか。 正統といっても、英文学の系譜ではなく、ドイツやロシアの文学と張り合おうとしていたのではないかと。

  そう思うと、殺人事件や、トリックや謎は、余計な物になってしまいますな。 かといって、「ミステリーの女王」が、推理小説以外の物を書いたら、読者から、囂囂たる非難を浴びるに違いなく、それはできなかったのでしょう。 初登頂の記録を作って、頂点を極めたにも拘らず、どうも、人々の興味が、他の山の方を高く評価しているようなのが、不満。 しかし、他の山に登り直しても、登頂できるかどうか分からないから、自分が登った山を、魅力あるものにしようと努力していた。 そんな気持ちだったのでは?

  それはさておき、作中に、服飾店で仕事をしている女性が、店主や客から、文句ばかり言われているのを、有閑階級の男が見て、憤慨する場面があります。 そして、「そんな仕事はやめてしまえ」と言うのです。 クリスティー作品に出てくる、主な登場人物は、ほとんどが、有閑階級で、親や親戚から譲り受けた財産を食い潰して生きているのですが、それら有閑階級の面々が、仕事をもっている人間を、どういう目で見ているのか、はっきり分かって、面白いです。

  初期の推理小説の、主な登場人物が、みんな有閑階級だというのは、大変、興味深い。 閑人でなければ、計画殺人なんて、思いつかないという事でしょうか。 横溝さんの小説でも、旧家や元華族が多いですが、推理小説というのは、そういう土壌で育まれたわけですな。




≪満潮に乗って≫

クリスティー文庫 23
早川書房 2004年6月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
恩地三保子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【満潮に乗って】は、コピー・ライトが、1948年になっています。 約417ページ。


  資金面で、一族の者達を後援していた人物が、若い後妻と結婚した後、戦争の爆撃で死に、後妻が財産を一人で受け継いだ。 戦後、金に困った一族の者達が援助を求めてくるが、後妻には海千山千の実兄がついていて、多額の無心は断らせていた。 ある時、死んだと思われていた、後妻の前夫を知る人物が現れ、前夫が生きている事を仄めかす。 後妻が重婚だった場合、相続権を失うので、一族の者は喜ぶが・・・、という話。

  最初の殺人が行なわれるまでは、登場人物の紹介が、濃密な心理描写を伴って、延々と続きますが、事件が起こると、そこから、切り替わって、ストーリー展開で読ませる話になります。 後半は、話がポンポン進んで、大変、読み易いし、面白いです。 時折り、死者が出るのも、起伏をつけるのに寄与しています。 このパターンは、【ナイルに死す】に似ていますな。

  ただし、結末は、フー・ダニット物の、あまり感心しないパターンになっています。 複数の人物の内、誰が犯人でも成り立つような設定にしておいて、どんでん返しを繰り返すという、アレです。 このパターンは、推理作家にとって、書き易いんでしょうね。 「まだ、誰を犯人にするか決めていない」という状態でも、ラスト以外の部分を、書き進められるからでしょうか。

  読者からすると、作者側の事情が透けて見えてしまうのが、残念なところ。 犯人指名で、意外性を感じる事は感じるものの、「作者にしてやられた感」はなくて、むしろ、白けます。 クライマックスに、アクション場面を入れたのは、尚、悪い。 本格推理物に、アクションは、どうしても似合いません。 

  以下、ネタバレ、あり。

  犯人に関しては、そういう問題点がありますが、後妻の正体については、本物の意外性を感じます。 これは、面白い! なりますし物なのですが、明々白々になりすましをやっていると思われる人物を出しておいて、実は、もっと重要な人物も、なりすましている、という読者に対する罠が、バッチリ、所期の効果を上げています。

  私は、後妻の兄が、誰かのなりすましなのではないかと思っていたのですが、そう匂わせておいて、実は違うんですな。 いやあ、この罠は、凄いなあ。 実に、クリスティーさんらしい仕掛けだわ。 クリスティー作品はどれも、何かしら、ハッとさせられるアイデアが盛り込まれていますねえ。

  後妻本人は、気が弱いけれど、真っ当な人格で、犯罪に関わるのを嫌っていたというのが、虚しい余韻を残します。 ろくでもない男に引っかかったのが、運の尽きだったんですな。 現実に、そういう人は多くいそうですけど。 一方、一族の者で、ヒロイン的な役回りをしている女性は、とんだ日和見主義者で、感心しません。 最後に、一族の男性の求婚を受け入れるのですが、屁理屈を捏ねて、打算を愛情だと言い変えているのは、心の醜さを露呈しています。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、2022年の、

≪杉の柩≫が、5月27日から、30日。
≪五匹の子豚≫が、6月1日から、3日。
≪ホロー荘の殺人≫が、6月9日から、12日まで。
≪満潮に乗って≫が、6月13日から、14日まで。


  今回も、クリスティー文庫の、ポワロ物だけになりました。 戦中作品が2作、戦後作品が2作。 イギリス推理小説の黄金期は、第一次世界大戦から第二次世界大戦の間を指す、戦間期でして、戦中・戦後になると、すでに、斜陽期に入ってしまいます。 クリスティーさんも、例外ではなく、作品の品質に、じわじわと後退する感がありますねえ。