実話風小説 (36) 【横並び】
「実話風小説」の36作目です。 11月の中旬に書いたもの。 鼠蹊ヘルニアと糖尿病で、二重苦状態にあり、正直言って、小説どころではありません。 だいぶ、創作意欲が減退していますが、ごく短いものを、何とか、書きました。
【横並び】
男A(55歳)のところに、高校時代の友人、男Bから、電話がかかって来た。 クラス会などには出ていなかったので、同じ市内に住んでいるBと話すのも、10年ぶりくらいである。
「ああ、A? 俺、B」
「おお。 久しぶりだな。 元気でやってる?」
「うん。 変わらない。 そっちは?」
「うーん・・・、ポンと訊かれて、ポンと応えるような事じゃないけど・・・、2年前に離婚したよ。 女房が、子供と一緒に、出て行っちゃった」
「そうか。 そりゃ、大変だったな」
Bの反応は、冷めていた。 昨今、熟年離婚は、珍しくないからだろう。 大袈裟に驚かれなかったのは、Aにとっては、気が楽だった。 Bの用件は、もっと深刻なものなのかも知れないと思った。
「今日は、何?」
「うん。 Cの事は、覚えてる?」
「C? C・・・、C・・・、高校時代で、Cというと、何人かいたからなあ」
「一時期、学校から、スポーツ公園まで、自転車で一緒に行ってた奴がいたろ?」
AとBは、同じ陸上部だったので、確かに、そういう事があった。 しかし、陸上部に、Cという苗字の者がいたような記憶がない。
「陸上部?」
「違う。 サッカー部だったかな?」
「ああ。 スポーツ公園に行く時だけ、一緒に行ってたという事か」
「思い出したか? Cの事」
「いいや。 分からない」
「自転車で走っていて、向こうから来た爺さんにぶつかった奴だよ」
「・・・・、! ! ああ、あいつか!」
思い出した。 思い出した。 そんな事があった。
5人で、自転車に乗り、住宅地の生活道路を走っていたのだが、前からも後ろからも、車が来ないので、いつしか、横並びになり、横一列で走っていた。 ごく自然にそうなった。 Aは、一番、右側。 Bは、その隣。 そして、Cは、一番左側だった。 なぜ、それを覚えているかというと、向こうから、角を曲がって現れた高齢男性が、道路の右端、つまり、こちらから見ると、左端を歩いて来たからだ。
歳の頃、70代くらい。 もう、40年近く前の事だから、70代と言っても、今のそれより、ずっと老けていた。 右手に持った傘をついていた。 一歩一歩、音を立てていたから、杖代わりにしていたのだろう。 少し、足を引きずっていたような記憶もあるが、定かではない。
自転車5台が、横並びで走っているのだから、道路の幅、いっぱいである。 このまま行けば、高齢男性にぶつかってしまう。 Aは、てっきり、左端を走っているCが、後ろに下がって、高齢男性を避けるものだと思っていた。 後で聞いたところ、Bも、他の者も、そう思っていたらしい。 ところが、Cは、そうしなかった。 横並びのまま、進んだ。
高齢男性は、立ち止まったが、突っ込んで来る自転車の横列を見て、体が竦んでしまったのか、身動き取れない状態でいる。 もっとも、横は、住宅のブロック塀で、逃げる所もなかったのだが。
Cは、寸前になって、ハンドルを切り、高齢男性を僅かに避けようとしたが、間に合わず、ハンドルの左端で、高齢男性の腕を突き飛ばした。 高齢男性は、「ヒッ!」と短い悲鳴を上げて、ブロック塀に倒れかかりながら、尻餅をついた。 Cも、自転車ごと倒れて、道路上に投げ出された。
「あぁ~あぁ~!」
C以外の者は、すぐに停まり、高齢男性と、Cを見下ろした。 一人が自転車を下りて、高齢男性を助け起こそうとしたが、どこか痛めたようで、立ち上がれなかった。 近所の人が数人、それぞれの家から出て来た。 高齢男性を知っている人達だ。
「まあ! ○○さん、大丈夫?」
と言ったと思うが、その名前を、Aは、覚えていない。
「どうしたの? 何が起こったの?」
その時には、もう、高校生全員が、自転車を下りていた。 Bが代表して答えたのだが、どう説明していいか分からず、しどろもどろだったような気がする。
「自転車で、向こうから、走って来たんですけど・・・、横並びだったもんで・・・、左端を走っていた奴が、お爺さんにぶつかっちゃって・・・」
「なんで、避けないの?」
そうだ。 なんで、Cは避けなかったのか。 Aは、見当がついていた。 後で聞いたところでは、Bも、同じ事を考えていたらしい。 Cは、他の4人と、対抗していたのだ。 そもそも、横並びになったのも、自分だけ後ろを走る事に、負けたような気がして、耐えられなかったからだろう。 自分は、他の4人と、対等なのだ。 シジイなんて、知った事か。 ここで、後ろに下がったら、負けを認めた事になってしまう。 他の奴が右へ寄れば、俺も寄るが、俺一人だけ後ろに下がるなんて事はできない。
下らない理由である。 言い訳にもならない。 しかし、それが真実なのだ。 Cは、何を優先するべきか、判断ができなかったのだ。 仲間への対抗意識を貫徹する事が、最も重要だと思っていたのだ。
高齢男性は、顔を苦痛に歪めていた。 これも後で聞いた事だが、ブロック塀にぶつかった時に、肩を脱臼していたらしい。 救急車が呼ばれた。
「そんな大袈裟な。 誰かの車で、病院に連れて行けばいいんじゃないですか?」
Cが、そう言ったら、近所の人から、ピシャリとやっつけられた。
「こんなに痛がってるのに、そんな悠長な事、してられるもんですか。 普通の車で行ったら、待合室で順番待ちしなきゃならないんだよ。 あんた、ぶつかった本人でしょ? よく、そんな、無責任な事が言えるね」
他の人が、Cや、他の4人に向かって言った。
「君は当然だが、みんな、まだ、ここにいてよ。 今、警察を呼んだから」
警察と訊いて、5人とも震え上がった。 もはや、高校生の意見が通る雰囲気ではない。 黙っているしかなかった。
救急車とパトカーが、前後して到着。 高齢男性は、救急車で運ばれ、高校生5人は、自転車を近くの家に預けて、交通課のパトカーで、警察署へ連れて行かれた。 交通課と少年課の担当者から、事情聴取を受けた。 一応、事故の扱いになったが、保護者が呼ばれ、厳重注意となった。
後日、高齢男性の治療代と示談金を、5人の親が、分担して払った。 高齢男性が退院した後、5人と、その親で、謝りに行く話も出たが、高齢男性の方が、家に押しかけられると困ると言って来て、それは沙汰止みになった。
Aとしては、その一件は、それだけの記憶である。 すっかり、忘れていた。 電話して来たBに、訊き返した。
「で、そのCが、どうしたの?」
「死んだって」
「ああ、そう」
あまり、感慨はない。 名前はもちろん、顔も、よく覚えていないのだ。 Bは、続けた。
「俺が、それを知ったのは、つい昨日の事で、たまたま出会った高校時代の知り合いから聞いたんだが、Cが死んだのが、20代の半ばくらいの事だったらしいんだよ」
「ずいぶん、早死にだったんだな。 病気か?」
「同僚に刺し殺されたんだって」
「ええっ! そりゃ・・・、また、どうして?」
「同じ職場にいた、同期入社の一人が、昇進して、Cの上司になったらしいんだ。 それが気に入らなくて、毎日、喧嘩を吹っかけていたらしいんだが、口だけじゃなくて、手まで出したんで、相手が怒っちゃって、給湯室にあった果物ナイフで、ブスリと・・・」
「凄絶だな・・・」
「刺した方は、殺人罪で、服役。 もちろん、会社も解雇されたらしいが、そっちが気の毒だ。 同期同士で、上司と部下になるなんて、別に、珍しい事でもないのに」
「・・・・・」
「・・・・・」
しばし、沈黙。 やがて、Aが、しみじみと言った。
「Cの奴、あの、仲間への対抗意識が治らなかったらしいな」
「病的な対抗意識だったんだな」
「病的だよ」
「そういう話だ。 昨日、それを知って、何だか、誰かに話さないと、気が落ち着かなくてな。 で、お前に電話したってわけだ」
「ああ。 お前の気持ちは、分かるよ。 ショッキングな話だからな」
電話は、終わった。
Aは思った。 自分もBも、この歳まで生きて来られたのは、Cほどの異常さがなかったからなんだろう。 異常と言っても、仲間への対抗意識という点で、自分やBと、Cの間に、極端に大きな差があったとは思えない。 自転車で横並びで走っていた時、もし、自分が一番左側にいて、高齢男性とぶつかる位置だったら、自分も、後ろに下がれたかどうか、微妙なところなのだ。
しかし、問題はその後だ。 あの衝突事件の後、自分やBは、仲間への対抗意識は、程々にしておかないと、人生にプラスにならないと知った。 しかし、Cは、そういう教訓を得なかったようだ。 ほんの僅かの差でも、自分やBと、Cの間には、境界があった。 Cの対抗意識は、社会人として許される範囲を超えていたのだろう。 その結果が、生死を分けてしまったのだ。
意外と、そんな理由で、早死にしている者が多いのかも知れない。 55歳までの人生を振り返って思うのは、世の中は、結構、厳しいという事である。 能力が足りないとか、性格が悪いとか、考え方かおかしいとか、そういう人間は、いつのまにか、周囲から姿を消してしまう。 河岸を変えて、生きているのかも知れないが、死んでしまっている例の方が、多いのではなかろうか。
【横並び】
男A(55歳)のところに、高校時代の友人、男Bから、電話がかかって来た。 クラス会などには出ていなかったので、同じ市内に住んでいるBと話すのも、10年ぶりくらいである。
「ああ、A? 俺、B」
「おお。 久しぶりだな。 元気でやってる?」
「うん。 変わらない。 そっちは?」
「うーん・・・、ポンと訊かれて、ポンと応えるような事じゃないけど・・・、2年前に離婚したよ。 女房が、子供と一緒に、出て行っちゃった」
「そうか。 そりゃ、大変だったな」
Bの反応は、冷めていた。 昨今、熟年離婚は、珍しくないからだろう。 大袈裟に驚かれなかったのは、Aにとっては、気が楽だった。 Bの用件は、もっと深刻なものなのかも知れないと思った。
「今日は、何?」
「うん。 Cの事は、覚えてる?」
「C? C・・・、C・・・、高校時代で、Cというと、何人かいたからなあ」
「一時期、学校から、スポーツ公園まで、自転車で一緒に行ってた奴がいたろ?」
AとBは、同じ陸上部だったので、確かに、そういう事があった。 しかし、陸上部に、Cという苗字の者がいたような記憶がない。
「陸上部?」
「違う。 サッカー部だったかな?」
「ああ。 スポーツ公園に行く時だけ、一緒に行ってたという事か」
「思い出したか? Cの事」
「いいや。 分からない」
「自転車で走っていて、向こうから来た爺さんにぶつかった奴だよ」
「・・・・、! ! ああ、あいつか!」
思い出した。 思い出した。 そんな事があった。
5人で、自転車に乗り、住宅地の生活道路を走っていたのだが、前からも後ろからも、車が来ないので、いつしか、横並びになり、横一列で走っていた。 ごく自然にそうなった。 Aは、一番、右側。 Bは、その隣。 そして、Cは、一番左側だった。 なぜ、それを覚えているかというと、向こうから、角を曲がって現れた高齢男性が、道路の右端、つまり、こちらから見ると、左端を歩いて来たからだ。
歳の頃、70代くらい。 もう、40年近く前の事だから、70代と言っても、今のそれより、ずっと老けていた。 右手に持った傘をついていた。 一歩一歩、音を立てていたから、杖代わりにしていたのだろう。 少し、足を引きずっていたような記憶もあるが、定かではない。
自転車5台が、横並びで走っているのだから、道路の幅、いっぱいである。 このまま行けば、高齢男性にぶつかってしまう。 Aは、てっきり、左端を走っているCが、後ろに下がって、高齢男性を避けるものだと思っていた。 後で聞いたところ、Bも、他の者も、そう思っていたらしい。 ところが、Cは、そうしなかった。 横並びのまま、進んだ。
高齢男性は、立ち止まったが、突っ込んで来る自転車の横列を見て、体が竦んでしまったのか、身動き取れない状態でいる。 もっとも、横は、住宅のブロック塀で、逃げる所もなかったのだが。
Cは、寸前になって、ハンドルを切り、高齢男性を僅かに避けようとしたが、間に合わず、ハンドルの左端で、高齢男性の腕を突き飛ばした。 高齢男性は、「ヒッ!」と短い悲鳴を上げて、ブロック塀に倒れかかりながら、尻餅をついた。 Cも、自転車ごと倒れて、道路上に投げ出された。
「あぁ~あぁ~!」
C以外の者は、すぐに停まり、高齢男性と、Cを見下ろした。 一人が自転車を下りて、高齢男性を助け起こそうとしたが、どこか痛めたようで、立ち上がれなかった。 近所の人が数人、それぞれの家から出て来た。 高齢男性を知っている人達だ。
「まあ! ○○さん、大丈夫?」
と言ったと思うが、その名前を、Aは、覚えていない。
「どうしたの? 何が起こったの?」
その時には、もう、高校生全員が、自転車を下りていた。 Bが代表して答えたのだが、どう説明していいか分からず、しどろもどろだったような気がする。
「自転車で、向こうから、走って来たんですけど・・・、横並びだったもんで・・・、左端を走っていた奴が、お爺さんにぶつかっちゃって・・・」
「なんで、避けないの?」
そうだ。 なんで、Cは避けなかったのか。 Aは、見当がついていた。 後で聞いたところでは、Bも、同じ事を考えていたらしい。 Cは、他の4人と、対抗していたのだ。 そもそも、横並びになったのも、自分だけ後ろを走る事に、負けたような気がして、耐えられなかったからだろう。 自分は、他の4人と、対等なのだ。 シジイなんて、知った事か。 ここで、後ろに下がったら、負けを認めた事になってしまう。 他の奴が右へ寄れば、俺も寄るが、俺一人だけ後ろに下がるなんて事はできない。
下らない理由である。 言い訳にもならない。 しかし、それが真実なのだ。 Cは、何を優先するべきか、判断ができなかったのだ。 仲間への対抗意識を貫徹する事が、最も重要だと思っていたのだ。
高齢男性は、顔を苦痛に歪めていた。 これも後で聞いた事だが、ブロック塀にぶつかった時に、肩を脱臼していたらしい。 救急車が呼ばれた。
「そんな大袈裟な。 誰かの車で、病院に連れて行けばいいんじゃないですか?」
Cが、そう言ったら、近所の人から、ピシャリとやっつけられた。
「こんなに痛がってるのに、そんな悠長な事、してられるもんですか。 普通の車で行ったら、待合室で順番待ちしなきゃならないんだよ。 あんた、ぶつかった本人でしょ? よく、そんな、無責任な事が言えるね」
他の人が、Cや、他の4人に向かって言った。
「君は当然だが、みんな、まだ、ここにいてよ。 今、警察を呼んだから」
警察と訊いて、5人とも震え上がった。 もはや、高校生の意見が通る雰囲気ではない。 黙っているしかなかった。
救急車とパトカーが、前後して到着。 高齢男性は、救急車で運ばれ、高校生5人は、自転車を近くの家に預けて、交通課のパトカーで、警察署へ連れて行かれた。 交通課と少年課の担当者から、事情聴取を受けた。 一応、事故の扱いになったが、保護者が呼ばれ、厳重注意となった。
後日、高齢男性の治療代と示談金を、5人の親が、分担して払った。 高齢男性が退院した後、5人と、その親で、謝りに行く話も出たが、高齢男性の方が、家に押しかけられると困ると言って来て、それは沙汰止みになった。
Aとしては、その一件は、それだけの記憶である。 すっかり、忘れていた。 電話して来たBに、訊き返した。
「で、そのCが、どうしたの?」
「死んだって」
「ああ、そう」
あまり、感慨はない。 名前はもちろん、顔も、よく覚えていないのだ。 Bは、続けた。
「俺が、それを知ったのは、つい昨日の事で、たまたま出会った高校時代の知り合いから聞いたんだが、Cが死んだのが、20代の半ばくらいの事だったらしいんだよ」
「ずいぶん、早死にだったんだな。 病気か?」
「同僚に刺し殺されたんだって」
「ええっ! そりゃ・・・、また、どうして?」
「同じ職場にいた、同期入社の一人が、昇進して、Cの上司になったらしいんだ。 それが気に入らなくて、毎日、喧嘩を吹っかけていたらしいんだが、口だけじゃなくて、手まで出したんで、相手が怒っちゃって、給湯室にあった果物ナイフで、ブスリと・・・」
「凄絶だな・・・」
「刺した方は、殺人罪で、服役。 もちろん、会社も解雇されたらしいが、そっちが気の毒だ。 同期同士で、上司と部下になるなんて、別に、珍しい事でもないのに」
「・・・・・」
「・・・・・」
しばし、沈黙。 やがて、Aが、しみじみと言った。
「Cの奴、あの、仲間への対抗意識が治らなかったらしいな」
「病的な対抗意識だったんだな」
「病的だよ」
「そういう話だ。 昨日、それを知って、何だか、誰かに話さないと、気が落ち着かなくてな。 で、お前に電話したってわけだ」
「ああ。 お前の気持ちは、分かるよ。 ショッキングな話だからな」
電話は、終わった。
Aは思った。 自分もBも、この歳まで生きて来られたのは、Cほどの異常さがなかったからなんだろう。 異常と言っても、仲間への対抗意識という点で、自分やBと、Cの間に、極端に大きな差があったとは思えない。 自転車で横並びで走っていた時、もし、自分が一番左側にいて、高齢男性とぶつかる位置だったら、自分も、後ろに下がれたかどうか、微妙なところなのだ。
しかし、問題はその後だ。 あの衝突事件の後、自分やBは、仲間への対抗意識は、程々にしておかないと、人生にプラスにならないと知った。 しかし、Cは、そういう教訓を得なかったようだ。 ほんの僅かの差でも、自分やBと、Cの間には、境界があった。 Cの対抗意識は、社会人として許される範囲を超えていたのだろう。 その結果が、生死を分けてしまったのだ。
意外と、そんな理由で、早死にしている者が多いのかも知れない。 55歳までの人生を振り返って思うのは、世の中は、結構、厳しいという事である。 能力が足りないとか、性格が悪いとか、考え方かおかしいとか、そういう人間は、いつのまにか、周囲から姿を消してしまう。 河岸を変えて、生きているのかも知れないが、死んでしまっている例の方が、多いのではなかろうか。
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