EN125-2Aでプチ・ツーリング (63)
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、63回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年11月分。
【裾野市水窪・道祖神】
2024年11月5日。 裾野市・水窪にある、「道祖神」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 旧246号線沿いの交差点の一角にあります。
≪写真1≫
全景。 白い看板に、「長教寺 入口」とありますが、それは、ここではなく、もっと奥に入った所にあります。
≪写真2≫
左端が、道祖神。 右の三体は、地蔵ですな。 花立て、線香入れ、ペット・ボトルのお茶と、どうも、仏物の方が、扱いがいいようです。 ネット地図上の名称は、「道祖神」なのですが。
≪写真3左≫
道祖神のアップ。 道祖神と言ったら、普通、浮き彫りですが、ここのは、石像ですな。 顔は、地蔵と大差ないように見えます。
≪写真3右≫
道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 水窪地区は、裾野市の南端ですが、それでも、かなり走らないと、着きません。 鼠蹊ヘルニアと糖尿病で、体に不安があるので、あまり、遠くに行きたくないんですがねえ。 バイクの方は、調子がいいです。
≪写真4≫
旧246号線。 現在の名称は、「県道394号線」ですが、そう言っても、まず、通じません。 県道の番号なんて、知っている人の方が珍しいですから。 現在の246号線は、旧246バイパスで、もっと西を通っています。 こちらの旧246も、交通量は多いです。 私が通勤していた頃は、この道は使いませんでした。 信号が多くて、進みが悪いからです。
【裾野市水窪・水窪公民館】
2024年11月12日。 裾野市・水窪の、「水窪公民館」へ行って来ました。 「みずくぼ」と読みます。 公民館に用があるのではなく、どういう所なのか、見に行っただけです。 観光地や景勝地ではないけれど、一応、公共施設だから、写真を撮っても、問題ないでしょう。
≪写真1≫
黄瀬川の近く、住宅地の中にありました。 周囲は、普通の住宅です。 まあ、公民館だから、そういう場所にあっても、不思議はないです。 郊外のような場所があれば、そこに造ると思いますが。
≪写真2≫
出入り口の前に、空間が取ってあります。 こういう部分があると、雨の日に、屋外作業する時など、便利です。
≪写真3≫
路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 水窪は、裾野市の南の端に位置しています。 うちから、ここまでで、往復20キロくらい。 通勤していた時には、裾野市の北の端までで、往復40キロ近くでしたから、裾野市が、南北に長い事が分かります。
≪写真4≫
公民館の近くの家で、道路向きに咲いていた花。 花といい、葉っぱといい、どう見ても、菊ですが、品種名までは分かりません。
【裾野市水窪・愛鷹橋左岸の石碑】
2024年11月17日。 裾野市・水窪の愛鷹橋左岸付近にある、二つの石碑を見に行って来ました。 前回、水窪公民館に来た時に、気づいたもの。
≪写真1≫
光の加減で、暗い写真になってしまいました。 申し訳ない。 正面の石碑は、「渡邊孫三郎翁彰徳碑」。 地元の政治家のようです。 左側に経っている石碑は、その建設者の名前を彫ったもの。
≪写真2≫
すぐ背後に、黄瀬川が見えます。
≪写真3≫
近くの路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 水窪公民館のすぐ近くなので、二週連続、ほぼ同じ場所に、同じ道を通って、やって来た事になります。 鼠蹊ヘルニアと、糖尿病を患っているので、冒険を避けたい気持ちが、目的地の選定に表れていますな。
≪写真4左≫
すぐ近くにある、愛鷹橋。 黄瀬川に架かっています。
≪写真4右≫
橋の左岸袂に建つ、石碑。 「愛鷹橋復興記念碑」。 復興という事は、その前に、流されてしまったんでしょうか。 「昭和○年四月」とあるのですが、○の字が読めません。 時の建設大臣が書いたもののようですが、読めないような字は、達筆とは言わんというのよ。
【裾野市水窪・山神社】
2024年11月27日。 裾野市・水窪、黄瀬川に架かる愛鷹橋の、左岸袂にある、「山神社」へ行って来ました。 前々回、水窪公民館に来た時に、見つけた所。
≪写真1≫
橋を渡る道より、一段低くなった、川沿いの道があり、そこに入り口があります。 しかし、向かって右上にある生活道路からも、下りて来る事ができます。
≪写真2左≫
鳥居の名額。 「山神社」。 こうやって、名前を書いていただけると、他所から来た者にとっては、大変、ありがたい。 鳥居は、木製。 名額も、木の板で、素朴な造りです。
≪写真2右≫
石組みで、階段が造ってありました。 これは、器用、且つ、風流だ。 さりげなく、高度な技術が使われています。 造園業者が関わったものと見ました。
≪写真3左≫
社殿。 木製、銅板葺き。 これは、覆いで、中に、小さい木製の本殿が入っていました。
≪写真3右≫
石燈籠。 小さなもの。 明らかに、バランスがおかしいですが、何か、部品が失われているか、もしくは、積み方が間違っているのかも。 笠と受け鉢が、逆とか。
≪写真4≫
黄瀬川。 ちょっとした段差で、滝のようになって、水が渦巻いています。 川底は、富士山から流れて来た溶岩です。
今回は、ここまで。
裾野市は遠いので、南の端ばかり行っています。 今回は、全て、水窪地区。 体が治ったら、もう少し、遠くまで行ってもいいんですが、鼠蹊ヘルニアはともかく、糖尿病の治療は、下手をすれば、一生、下手をしなくても、長引きそうなので、思った通りには、行かないかも知れません。
【裾野市水窪・道祖神】
2024年11月5日。 裾野市・水窪にある、「道祖神」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 旧246号線沿いの交差点の一角にあります。
≪写真1≫
全景。 白い看板に、「長教寺 入口」とありますが、それは、ここではなく、もっと奥に入った所にあります。
≪写真2≫
左端が、道祖神。 右の三体は、地蔵ですな。 花立て、線香入れ、ペット・ボトルのお茶と、どうも、仏物の方が、扱いがいいようです。 ネット地図上の名称は、「道祖神」なのですが。
≪写真3左≫
道祖神のアップ。 道祖神と言ったら、普通、浮き彫りですが、ここのは、石像ですな。 顔は、地蔵と大差ないように見えます。
≪写真3右≫
道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 水窪地区は、裾野市の南端ですが、それでも、かなり走らないと、着きません。 鼠蹊ヘルニアと糖尿病で、体に不安があるので、あまり、遠くに行きたくないんですがねえ。 バイクの方は、調子がいいです。
≪写真4≫
旧246号線。 現在の名称は、「県道394号線」ですが、そう言っても、まず、通じません。 県道の番号なんて、知っている人の方が珍しいですから。 現在の246号線は、旧246バイパスで、もっと西を通っています。 こちらの旧246も、交通量は多いです。 私が通勤していた頃は、この道は使いませんでした。 信号が多くて、進みが悪いからです。
【裾野市水窪・水窪公民館】
2024年11月12日。 裾野市・水窪の、「水窪公民館」へ行って来ました。 「みずくぼ」と読みます。 公民館に用があるのではなく、どういう所なのか、見に行っただけです。 観光地や景勝地ではないけれど、一応、公共施設だから、写真を撮っても、問題ないでしょう。
≪写真1≫
黄瀬川の近く、住宅地の中にありました。 周囲は、普通の住宅です。 まあ、公民館だから、そういう場所にあっても、不思議はないです。 郊外のような場所があれば、そこに造ると思いますが。
≪写真2≫
出入り口の前に、空間が取ってあります。 こういう部分があると、雨の日に、屋外作業する時など、便利です。
≪写真3≫
路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 水窪は、裾野市の南の端に位置しています。 うちから、ここまでで、往復20キロくらい。 通勤していた時には、裾野市の北の端までで、往復40キロ近くでしたから、裾野市が、南北に長い事が分かります。
≪写真4≫
公民館の近くの家で、道路向きに咲いていた花。 花といい、葉っぱといい、どう見ても、菊ですが、品種名までは分かりません。
【裾野市水窪・愛鷹橋左岸の石碑】
2024年11月17日。 裾野市・水窪の愛鷹橋左岸付近にある、二つの石碑を見に行って来ました。 前回、水窪公民館に来た時に、気づいたもの。
≪写真1≫
光の加減で、暗い写真になってしまいました。 申し訳ない。 正面の石碑は、「渡邊孫三郎翁彰徳碑」。 地元の政治家のようです。 左側に経っている石碑は、その建設者の名前を彫ったもの。
≪写真2≫
すぐ背後に、黄瀬川が見えます。
≪写真3≫
近くの路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 水窪公民館のすぐ近くなので、二週連続、ほぼ同じ場所に、同じ道を通って、やって来た事になります。 鼠蹊ヘルニアと、糖尿病を患っているので、冒険を避けたい気持ちが、目的地の選定に表れていますな。
≪写真4左≫
すぐ近くにある、愛鷹橋。 黄瀬川に架かっています。
≪写真4右≫
橋の左岸袂に建つ、石碑。 「愛鷹橋復興記念碑」。 復興という事は、その前に、流されてしまったんでしょうか。 「昭和○年四月」とあるのですが、○の字が読めません。 時の建設大臣が書いたもののようですが、読めないような字は、達筆とは言わんというのよ。
【裾野市水窪・山神社】
2024年11月27日。 裾野市・水窪、黄瀬川に架かる愛鷹橋の、左岸袂にある、「山神社」へ行って来ました。 前々回、水窪公民館に来た時に、見つけた所。
≪写真1≫
橋を渡る道より、一段低くなった、川沿いの道があり、そこに入り口があります。 しかし、向かって右上にある生活道路からも、下りて来る事ができます。
≪写真2左≫
鳥居の名額。 「山神社」。 こうやって、名前を書いていただけると、他所から来た者にとっては、大変、ありがたい。 鳥居は、木製。 名額も、木の板で、素朴な造りです。
≪写真2右≫
石組みで、階段が造ってありました。 これは、器用、且つ、風流だ。 さりげなく、高度な技術が使われています。 造園業者が関わったものと見ました。
≪写真3左≫
社殿。 木製、銅板葺き。 これは、覆いで、中に、小さい木製の本殿が入っていました。
≪写真3右≫
石燈籠。 小さなもの。 明らかに、バランスがおかしいですが、何か、部品が失われているか、もしくは、積み方が間違っているのかも。 笠と受け鉢が、逆とか。
≪写真4≫
黄瀬川。 ちょっとした段差で、滝のようになって、水が渦巻いています。 川底は、富士山から流れて来た溶岩です。
今回は、ここまで。
裾野市は遠いので、南の端ばかり行っています。 今回は、全て、水窪地区。 体が治ったら、もう少し、遠くまで行ってもいいんですが、鼠蹊ヘルニアはともかく、糖尿病の治療は、下手をすれば、一生、下手をしなくても、長引きそうなので、思った通りには、行かないかも知れません。
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