2024/10/27

EN125-2Aでプチ・ツーリング (61)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、61回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年9月分。





【三島市川原ヶ谷・秋葉神社】

  2024年9月6日。 三島市・川原ヶ谷にある、「秋葉神社」へ行って来ました。 ネット地図で見つけたところ。 以前、行った、「茶臼山展望台」から、少し、山の上へ向かい、分岐を右、つまり、南側へ行くと、すぐの所にあります。

≪写真1≫
  昼尚暗い森の中を走って行きます。 分岐の辺りがぬかるんでいて、タイヤと靴を汚してしまいました。 バイクを停めてある、ちょうど、向かい側に、神社に入る道があります。

≪写真2≫
  奥に見える、秋葉神社。 森の中なので、妙に、神秘的。 鳥居は、なし。

≪写真3左≫
  社、というか、祠。 木製で瓦葺き。 人間が入れるサイズではないです。 個人で祀っているのかも知れません。

≪写真3右≫
  背面。 シンプルだ。 この社は、覆いではなく、これ自体が、拝殿にして、本殿です。 狛犬、石燈籠、漱盤などは、なし。

≪写真4左≫
  中に、賽銭箱がありました。 文字は、右から、「銭賽」。 ちょっと、奥にあって、入れ難いですな。 扉は、最初から開いていました。 毎日、開け閉めしてるんでしょうかね? 大変だな。

≪写真4右≫
  石で出来た、覆い。 たぶん、中に、木製の小さな社を入れる為のものでしょう。 中は空でした。 もしかしたら、これが、最初の社で、建て直して、今の社になったのかも知れません。

≪写真5≫
  道を、少し行くと、展望が開けました。 やっぱり、写真は、こうでなくては。 泥道に戻る気にならず、このまま、先に進んだら、小沢集落に出ました。 そこから、沢地に出て、帰りました。

  バイクのタイヤと、靴に着いた泥は、帰ってから、濡れ雑巾で、拭いておきました。 その程度で済んで、良かった。




【三島市川原ヶ谷・小沢公民館】

  2024年9月10日。 三島市・川原ヶ谷にある、「小沢公民館」へ行って来ました。 中に入ったわけではなく、どんな所か、見に行っただけ。 小沢地区は、箱根の山懐で、三島市と言っても、かなりの距離があります。

  小沢地区に入ったものの、最初、入口を見つけられずに、通り過ぎてしまい、引き返して来て、高い所から見下ろしたら、児童公園の滑り台が見えたので、当たりをつけて、そちらへ向かいました。 入り口には、ちゃんと、案内書きがありました。 行きには、見過ごしただけたったんですな。

≪写真1≫
  小沢地区は、それ自体、斜面にあるのですが、公民館には、大きな敷地をとってありました。 駐車場が、妙に広い。 建物は、ゆったりした平屋。

≪写真2≫
  一角にあった、児童公園。 滑り台と、動物の乗り物があります。 跨り物と呼ぶべきか。 パンダと、熊。 こういうものを喜ぶ、小さな子が、もういないのか、草ボウボウですな。

≪写真3左≫
  垣根の中に建っていた、石碑。

「農村基盤総合整備事業  完工碑  平成七年五月吉日」

  平成七年は、1995年。 29年経っているわけですが、石碑としては、まだ、作ったばかりという年齢。

≪写真3右≫
  防災倉庫。 汎用の物置ですな。

≪写真4≫
  空と雲。 9月に入っていたけれど、思いっきり、夏ですなあ。 暑かったです。




【三島市御園・墓石神社】

  2024年9月17日。 三島市・御園にある、「神社」に行って来ました。 ネット地図で見つけたのですが、名前が分かりません。 現地でも、分かりませんでした。 御園地区は、三島の南の端です。

≪写真1≫
  細長い境内の奥にあります。 向かって、右側を流れているのは、用水。 用水の更に右に、道路があり、最初、そこへ曲がってしまったのですが、奥からは入れないと分かり、幹線道路へ引き返して、正面から、入り直しました。

≪写真2≫
  右にあるのが、神社。 左の石塔は、「文禄四年」の文字があり、何かの石碑かと思ったんですが、さにあらず、他の文字を読むと、複数人の戒名が彫ってあり、墓石と判明しました。

≪写真3≫
  神社の前面。 これは、覆いで、中に、木製の祠が入っているタイプです。 屋根は、銅版葺き。 壁は、コンクリート・ブロック積みで、塗装されています。 前面は、格子扉。 この大きさにしては、相当、凝った造りです。

≪写真4左≫
  石燈籠。 シンプルなタイプ。

≪写真4右≫
  境内の途中まで乗り入れた、EN125-2A・鋭爽。 入口近くで停めても良かったんですが、どうも、真ん中あたりの方が、転回し易そうだったので、ここまで入ってしまいました。 狭い草地での転回は、バイクに跨り、エンジンをかけて、じわじわと前後させながら、少しずつ、向きを変えます。 地面が舗装されていないと、下りて押すのは、無理があります。

  三島の御園は、大平から、新城橋を渡ると、すぐでして、以前なら、折自で来ていた所です。 往復で、30分くらいで、家に戻れました。




【三島市松本・山神社】

  2024年9月23日。 三島市・松本にある、「山神社」に行って来ました。 当初の目的地は、御園の、「稲荷神社」だったのですが、予め、ストリート・ビューを見て来たにも拘らず、いくら探しても見つかりせん。 どうやら、撤去された模様。 他に移転したのかも知れませんが、調べようがないので、諦めて、場所を知っていた、山神社の方へ向かった次第。

≪写真1≫
  幹線道路ではないですが、割と広い道路に面しています。 木製の鳥居、あり。 後ろの建物は、倉庫です。

  バイクは、停める所がなかったので、側溝の溝蓋の上に停めました。 こういう所では、キーを溝蓋の隙間に落とさないか心配ですが、この時は、キーを抜きませんでした。 ちなみに、私は、目的地に着いても、ヘルメットも脱ぎません。 写真を数枚撮る程度なら、5分くらいですから、脱いだり、被り直したりする手間が、無駄だと思いまして。

≪写真2≫
  社殿。 拝殿と本殿を兼ねたもの。 瓦葺き。 という事は、昭和に入ってから、建てられたのでしょう。 賽銭箱、なし。

≪写真3左≫
  社殿の背面。 一部が飛び出していますが、この中に、御神体か、本殿の社が安置されているのです。

≪写真3右上≫
  鳥居の名額。 これは、金属製のようです。 「山神社」。 山神社は、山の中でなくても、普通に、分布しています。

≪写真3右下≫
  社殿の扉にかけられた、南京錠。 留めている輪が、変わっています。 この程度の錠を壊すのは、簡単ですが、そこはそれ、神の御威光で、罰当たりな所業を防いでいるわけですな。 そもそも、賽銭箱がないのなら、社殿の中に、金目のものなど、ありませんし。 

≪写真4左≫
  石燈籠の、部品欠け。 火袋と受け台がありません。

≪写真4右≫
  これは、日本庭園用の石燈籠ですな。 完品ですが、火袋が少しズれていました。 植え込みの中に埋もれているから、よく見なければ、気づきませんが。





【三島市長伏・路傍神社】

  2024年9月30日。 三島市・長伏にある、神社へ行って来ました。 名前が分からないので、「路傍神社」と、しておきます。 ネット地図にも載っておらず、たまたま、ストリート・ビューで、見つけたもの。

  徳倉橋から、的場を通り、梅名へ向かう道で、私は、ここを、何百回も通っていますが、神社がある事には、全く気づきませんでした。

≪写真1≫
  住宅と住宅の間に、半分埋まるような格好で、存在しています。 公の神社というよりは、個人で祀っている佇まいです。 木造、漆喰壁。 屋根は、銅板葺き。

  バイクは、停める所がなくて、歩道に停めました。 すぐに乗れる範囲にいたから、停車という事で。

≪写真2左≫
  石段。 白い切石を、綺麗に積んであります。 明らかに、デザインを意識した造形です。

≪写真2右≫
  境内に敷かれた、玉石。 石のサイズが大きく、美しいです。 明らかに、デザインを意識した選択。

≪写真3左≫
  石燈籠。 火袋が破損していて、火を入れる所がありません。 「文政五年」とあります。 江戸時代のものにしては、綺麗な状態です。

  後ろに立てかけてある石の板には、「大正十五年参月建設 中郷村 消防組 第七部」とあります。 消防団の建物があったんでしょうか。 この神社のものではないようです。

≪写真3中≫
  社殿の扉に、切り欠きがあり、中に賽銭箱が見えました。 神社の名前が分からないかと、この穴を下から覗き上げてみたんですが、文字らしいものは、見えませんでした。 中に、木製の社がありました。

≪写真3右≫
  旗竿。 こういう物があるという事は、個人祭祀ではなく、公の神社なんでしょうか。

≪写真4≫
  屋根の細工。 凝っている。 宮大工の手によるものだと思います。





  今回は、ここまで。

  9月は、三島市でしたが、最初、市域北東の、箱根山麓の方へ行っていたのが、ガソリンの残りが乏しくなって来まして、近場の、南部へ切り替えた次第。 南部なら、沼津市・大平や清水町を経由して行けば、すぐそこなのです。 近いから、往復、30分もかからずに帰って来ました。

  ちなみに、このプチ・ツー・シリーズで、駿東郡・清水町が目的地になっていないのは、あまりにも近過ぎて、わさわざ、バイクで行くような所ではないからです。