2024/08/25

EN125-2Aでプチ・ツーリング (59)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、59回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年7月分。





【伊豆の国市中・金比羅神社】

  2024年7月4日。 伊豆の国市・中にある、「金比羅神社」へ行って来ました。 反射炉の、上の道を登って行くと、割と近い所にあります。 以前から、地図では見ていたのですが、どこにあるか分からず、ストリート・ビューで、ようやく、目星がつけられました。

≪写真1左≫
  水道施設。 タンクのようなものがあります。 ここを見つけられれば、神社も分かります。

≪写真1右≫
  水道施設の横に、階段があり、鳥居が見えます。 この前の道は、何度も通っているのですが、ちょっと、奥に入っているだけで、この鳥居に気づかなかったのです。

≪写真2左≫
  鳥居に、一般家庭の表札のような名板が入っていました。 「金比羅神社」。 「こんぴら・じんじゃ」。

≪写真2右≫
  参道。 「どこに、道があるのだ?」と思うでしょうが、コンクリートの板のような、段差不明瞭な階段があるので、迷う事はないです。 左手前に、山漆が写っています。 行きには気づかず、帰りに気づいて、震え上がりました。

≪写真3≫
  境内。 草ボウボウ。 参道同様、ほぼ、放棄状態。 建物は、コンクリート・ブロックで出来た覆いで、中に、木製の祠が入っていました。

≪写真4左≫
  この石ですが、おそらく、火袋が失われた、石燈籠だと思います。 自然石を使った石燈籠は、神社では、珍しいです。

≪写真4右≫
  道路を挟んだ向かい側に、飲食店の廃墟のような所がありました。 そこの、レイアウト絵図。 兵どもが夢の後、という感じ。

≪写真5≫
  廃虚の方の空き地に停めた、EN125-2A・鋭爽。 これといって、問題なく、走っています。 目的地が、内陸だと、錆びる心配がないから、手入れが楽です。




【伊豆の国市中・千利休竹取之碑】

  2024年7月8日。 伊豆の国市・中にある、「千利休竹取之碑」へ行って来ました。 反射炉の、上の道を登って行くと、前回行った、金比羅神社より、手前にあります。 以前から、ある事は分かっていたのですが、停まったのは、初めて。

≪写真1≫
  手前は、駐車場。 奥が、庭園。 とうも、石材に関係する民間企業が造った施設のようです。

≪写真2左≫
  幕末の韮山代官、江川坦庵の石像。 ざっくりした造形。 石だと、風化しますから、このくらいの方が、長もちするのかも知れません。

≪写真2中≫
  石の、五重塔。 細かい細工。

≪写真2右≫
  石のオブジェ。 黒い部分に、水が流れ落ちていました。

≪写真3左≫
  オブジェの裏側。 給水設備が見えます。

≪写真3中≫
  鶴の石像。 番なんでしょうな。 これは、大きい方で、もう一組、小さいものもありました。

≪写真3右≫
  駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 一応、キーは抜きましたが、他に誰もいなかったから、挿したままでも、大丈夫だったでしょう。 山の中腹なので、突然、誰かか現れて、バイクを乗り逃げして行くという状況は、考え難いです。

≪写真4左≫
  これが、千利休竹取之碑。 説明板が、上4分の1くらい、なくなっており、千利休が、この付近の竹で、花入れを作って、豊臣秀吉に贈ったらしいのですが、千利休本人が、ここに来たのかどうかが、はっきりしません。

≪写真4右≫
  竹取之碑の近くにあった、あずまや。 一体式の、テーブル・椅子があります。 ピクニック客用でしょうか。

≪写真5左≫
  ガス灯風の、庭園灯。 千利休とも、江川坦庵とも、時代が一致しませんが、細かい事を考えなければ、いい雰囲気です。 夜は、点灯しているんでしょうかね。 それを確かめる為だけに、夜にここに来るほど、興味があるわけではありませんが。

≪写真5右≫
  江川坦庵像の下にあった、大砲。 江川さんは、幕末に、反射炉で、臼砲を作らせたのですが、それは、もっと、ずんぐりしたものです。 これは、カノン砲ですな。




【伊豆の国市中・道祖神】

  2024年7月17日。 伊豆の国市・中にある、「道祖神」へ行って来ました。 ネット地図に、史跡として載っていたところ。 反射炉より、少し北ですが、地図を調べて行かないと、辿り着けません。

≪写真1≫
  ひと形の坐像が、道祖神。 左右の石碑は、文字が薄くて、確かめて来ませんでした。 こういう風に、集まっているものは、大抵、区画整理などで、行き場がなくなった神物・仏物を、一ヵ所に集めたものです

≪写真2左≫
  道祖神だけ。 笏を持っているという事は、仏像ではないという事です。 服装も、衣冠束帯。

≪写真2右≫
  これは、注意書きの石碑。

「之より上流の分水に、他区の者手をつけるな 中区」

  かなり、きつい物言いですな。 過去に、水争いがあったんでしょうか。 この石碑は、さほど、古いものではないです。

≪写真3≫
  道祖神のすぐ後ろを、川が流れています。 元からあった小川を、用水にしたんじゃないでしょうか。 上流側は、こんな景色。 のどかですが、人が複数人 住んでいれば、いろいろな事が起こるわけだ。

≪写真4左≫
  道祖神の、道路を挟んで向かい側にあった、「中区 自主防災倉庫」。 消防分団の詰所ではないです。

≪写真4中≫
  近くに咲いていた、花。 キク科っぽいですな。

≪写真4右≫
  道祖神横の路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この日の走行距離は、29キロ。 伊豆の国市の、旧韮山町だから、まだまだ、遠いですな。 時間的には、1時間足らずで、帰って来ているのですが、それは、目的地での滞在時間が短いからでしょう。




【伊豆の国市中・馬頭観音】

  2024年7月22日。 伊豆の国市・中にある、「馬頭観音」へ行って来ました。 ネット地図に出ていたところ。 前の週に行った、「道祖神」から、山側に少し入った、道路脇にあります。

≪写真1≫
  家型の覆いの中に、石像があります。 バイクは、置き場所がなくて、路肩に停めました。 特に広くなった場所でもなく、車が来ないか、ヒヤヒヤでした。

≪写真2左≫
  犬小屋よりは、だいぶ、立派な覆いです。 屋根は、トタン。 いささか、素人っぽい葺き方ですが、日曜大工にしては、上級の腕前ですな。 私がやれと言われたら、とてもできません。

  昔、よく見られた、お墓用の、緑色の花立てがあります。 仏物だからでしょう。 神物では、こういう花立ては、普通、使われません。

≪写真2右≫
  覆いの中。 確かに、仏物の石像ですが、馬頭観音について詳しく知らないので、どういう所を見ればいいのか、分かりません。 ペット・ボトルと、缶のお茶が供えてあります。 ワン・カップよりは、印象がいいですな。

≪写真3≫
  消火栓と、ホース格納箱。 地下に水槽があるのか、隣の川から吸い上げるのかは、不明。 ホース格納箱は、新しい物でした。 赤い色は、目を引きますな。

≪写真4≫
  隣を流れていた、川。 消火栓で吸い上げられるほどの水量ではないか。 この川が下って行って、道祖神の背後を流れているのかも知れません。




【伊豆の国市南條・南条公園】

  2024年7月29日。 伊豆の国市・南條にある、「南条公園」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 地区名は、「南條」ですが、公園名は、「南条~」で、漢字が違います。

≪写真1≫
  全景。 特に、何もないです。 広さは、野球やサッカーができるクラス。

≪写真2左≫
  物置。 左側の小さいのは、傾いていて、ドアが引っ掛かって、辛うじて、倒壊を免れている観あり。

≪写真2右≫
  トイレ。 社殿のような趣き。 目隠しの裏に、ドアもあって、使い易いように、よく考えられています。

≪写真3左≫
  ベンチ。 草に覆われている上に、だいぶ、ヤレている様子。 座るのは考えもの・・・、というか、誰も座らないから、こうなってしまったのでしょう。

≪写真3右≫
  注意書き。

「ゴルフの練習は危険です  絶対にやらないでください」

  広いですが、ゴルフとなると、かっ飛ばせば、外へ飛び出すので、道路の人や車に当たる危険性があるのでしょう。 過去に、そういう事があったから、禁止になり、この注意書きが立てられたのかも。

≪写真4≫
  公園の入り口前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 30メートルくらい、未舗装路を走って、ここまで来ました。

  未舗装路は、できれば、走りたくありません。 何が落ちているか、分からないからです。 出先でパンクなんて、車でも嫌ですが、バイクでは、スペア・タイヤがないから、最悪ですな。 最寄のバイク屋まで押して行って、直してもらうか、最寄のホーム・センターまで歩いて行って、パンク修理剤を買って来て、応急修理をするしかありません。





  今回は、ここまで。

  7月は、伊豆の国市の、旧韮山町に行きました。 韮山町というと、前後・北条氏の根拠地で、日本の歴史に深く関わっている土地ですが、そういう所は、折自でポタリングをしていた頃に、行き尽くしているので、プチ・ツーでは、目的地から外しています。 それでなくても、人が大勢 来るような所には、行きたいと思いませんし。