2024/08/18

実話風小説 (31) 【シェア・ハウスの怪人】

  「実話風小説」の31作目です。 6月の13・14日頃に書いたもの。 シェア・ハウスのあるある体験は、実際に暮らした事がある人なら、もっと、わらわら、出て来ると思います。 私は、経験がないので、読んだ話を元に、想像を膨らませて書きました。 当初、結末は、もっと、露悪趣味的なものだったのですが、あまりにも、尾籠度が高いので、インパクトが減るのを覚悟の上で、少し軟らかくしました。




【シェア・ハウスの怪人】

  「シェア・ハウス」というと、せいぜい、この20年ほどの間に出て来た言葉だが、複数の他人が、一つの住宅に住むという点では、昔からあるものである。 中小企業で、独身寮を用意できない会社が、賃貸住宅を借りて、独身社員を複数人、同居させるというのも、同類のシステムであろう。

  自ら進んで、シェア・ハウスに住みたがる人には、性格的に、大きく分けて、三種類がある。 一つは、進学や就職などで、親元から離れるにあたり、自分一人で生きて行く自信がない人達。 最初から、依存心全開で、他人を親代わりにして、家事をやらせ、おんぶに抱っこで暮らそうというのである。 虫のいい連中だな。

  もう一つは、その対極で、他人の世話を焼くのが好きな人達。 世話を焼いてもらう側からすると、一見、ありがたい性格と思えるかもしれないが、もちろん、世話焼きタイプには、それなりの目的がある。 要は、他人より、上位に立ちたいのだ。 「俺は、お前の世話をしてやってるんだ。 お前が文化的な生活していられるのは、俺のお陰なんだぞ」と、恩を売っているのである。

  世話焼き型と、依存型の組み合わせになると、うまく噛み合って、しばらくは、平穏に事が進む。 ところが、依存型にも、プライドがあり、世話されているのに、相手に感謝しようとせず、逆に、「世話をさせてやってる」といった傲岸な態度を取る場合がある。 陰で言っているくらいなら、まだしも、本人の前でからかうなど、あからさまになると、もう行けない。 罵り合いの喧嘩の挙句、世話焼き型の方が、馬鹿馬鹿しくなって、出て行ってしまう。

  三つ目は、依存型でも、世話焼き型でもない、中間型。 自分の事は自分でできる上に、他人に対して、思いやりがあり、それでいて 、出しゃばらず、余計な事はしない。 一口で言えば、常識がある人達である。 中間型だけが集まると、うまく行く期間が長くなる。 しかし、こういう人達は、自分一人でも生きて行く事ができるだけに、他人との共同生活を、是が非でも必要としているわけではない。 それでも、シェア・ハウスを選ぶのは、経済的な事情からだろう。 一人で、アパート一室を借りるよりも、家賃が安いからだ。


  さて、この話の舞台になるシェア・ハウスは、たまたま、中間型の4人が集まった所だった。 場所は、大都市の郊外。 まだ新築で、最初に入った人と、2番目に入った人が、しっかりしていたので、3人目、4人目も、先住者に倣って、自立性の高い生活をしていた。 同居しているからと言って、互いに頼り過ぎるのは、悶着の元だという事を、全員が承知していたのだ。 4人目が入って、半年くらいは、非常にうまく行っていて、管理会社の担当者が、「お宅は、模範的です」と、誉めて行ったくらい。

  先に入った二人が、勤め人で、3人目と4人目は、大学生だった。 入居順に、A、B、C、Dとする。 たまたま、年齢順でもある。 全員、男性。 ちなみに、性別混合のシェア・ハウスというのも、皆無ではないかもしれないが、自分や、自分の子供が入るのであれば、避けた方が良い。 必ず、恋愛絡み、性行為絡みの問題が起こる。 同性だけでも、外から異性が訪ねて来れば、そういう問題は起こるわけだが、日常的に、一つ屋根の下に暮らしているのでは、発生する頻度が違う。


  おかしくなったのは、D君の先輩が、訪ねて来てからだ。 D君は、故郷の町にいた時、割と有名な神社の祭を運営する団体に所属していたのだが、そこの先輩だった男Zが、突然、訪ねて来たのだ。 Zは、25歳で、Aさんと同い歳である。 旅行鞄と、トランクまで持っていた。 D君、嫌な予感がしたが、Zは、お構いなしに、ズカズカ、上がり込んでしまった。

  そのハウスでは、訪問者は、個別の部屋で、話をする程度なら、許容されていた。 D君は、Zを部屋に入れた。 思ったより、狭い部屋だったので、Zが、「居間の方でいいじゃないか」と言った。 D君は、ルールを説明して、承知させようとしたが、Zは、先輩風を吹かせて、言う事を聞かず、さっさと居間へ行ってしまった。 他に誰もいなかったのは、とりあえず、幸い。

  D君は、早く話を済ませて、Zを追っ払いたかったが、Zは、なかなか用件を言おうとしない。 飲み物を要求したり、菓子を要求したり、のらりくらりと、話をはぐらかす。 こんな事をしていたら、他の同居人が帰って来てしまう。 D君は、いよいよ、切羽詰って、丁寧語は保ちつつも、きつい調子で、用件を問い質した。

  Zの返答は、D君に脂汗を流させた。 「しばらく、泊めてくれ」と言うのだ。 それは、ハウスのルール違反。 親や兄弟姉妹でさえ、泊められないのである。 広さ的に言っても、個人の部屋は、6畳くらいしかないから、二人寝るのは、無理だ。 しかし、Zは、意に介さなかった。

「ここで寝るから、いいよ。 大丈夫だよ。 その管理会社の連中、毎日来るわけじゃないんだろ? 他の3人だけ、納得させりゃ、いいんだろが。 任しとけ」

  D君は、Zの不敵な態度に、ゾッとした。 そこへ、D君のスマホに、電話が入った。 同じ町の出身者で、同じ都市の専門学校に通い、郊外に、アパート住まいしている、Y君である。 D君とは、同い歳。 D君は、自室へ行って、話し始めた。 電話のY君は、脅すように言った。

「おい、気をつけろ。 Zさんが、押しかけて来るらしいぞ」

「もう、来てるよ」

「中に入れるな」

「手遅れだ」

「馬鹿だなあ。 あの人の性格、知ってるだろ。 入れたら、居座るぞ」

「まずいとは、思ってるんだが・・・。 ところで、お前、その情報、どこから知った?」

「先に、Xのアパートへ行ったらしいんだよ」

  X君というのは、D君やY君より、一つ年下の同郷者である。 同じ都市の大学に入学したばかりだ。

「一番若いから、狙われたんだな。 Xの所に、半月以上、居座ってたらしい。」

「そんなに? Zさんて、地元で就職してたよなあ。 仕事は、どうしたんだ?」

「辞めたらしいよ」

「どうして、また?」

「それが、呆れちゃうんだが・・・。 クラス会で、都会に出た同級生に会って、からかわれたらしいんだわ。 『よく、こんなダセー所で、暮らしてられるよな』って。 『お前も、都会に出て来いよ。 こんなド田舎でくすぶってたら、一生、後悔するぞ』って」

「余計な事を言ってくれたもんだ。 Zさん、それを真に受けて、仕事辞めて、出て来たのか? 馬鹿だなあ。 中途半端な年齢で出て来たって、仕事なんか、見つかるもんか」

「最初は、その同級生を訪ねて行ったらしいんだが、その人、アパートを引き払ってたんだと」

「どうして?」

「特殊詐欺の受け子をやって、逮捕されたらしい」

「まったく、いい加減な上に、非常識な奴だ。 そんな奴に唆される、Zさんも問題だが・・・」

「で、行き場がなくなって、Xの所へ転がり込んだらしいんだ」

「迷惑だったろうな」

「そりゃ、もう。 Zさんの性格だ。 やりたい放題で、Xの奴、奴隷扱いされたらしい」

「よく、半月で出て行ったな」

「親に泊まりに来てもらったんだと。 アパートの大家さんにも来てもらって、『一人部屋として貸しているんだから、こういうのは困る。 どうしても、二人で住むのなら、家賃を2倍にする』って言ってもらったら、渋々、出て行ったんだそうだ」

「つまり、そこまでやらないと、出て行かないという事か・・・」

「でも、お前の所は、シェア・ハウスだから、同居人と協力して当たれば、住み着くのを阻止できるかもしれないな」

「うん。 それは期待できるが・・・」

「できれば、クニに帰るように勧めてくれよ。 お前ん所を追い出されて、俺ん所へ来られても困る」

「うーん・・・、 あの人、年下の言う事なんか、聞かないと思うがなあ」

  居間に戻ると、同居人の、Aさん、Bさんが、帰宅していた。 Zと、和気藹々と話をしている。 D君、「まずい・・・」と思った。 Zが、すでに、二人を言いくるめている恐れがあった。 案の定、Aさんが、D君に向かって言った。

「Zさん、今夜は、泊まって行くんだって?」

「いや、それは・・・」

「ルール的には、駄目だけど、一晩くらいなら、目を瞑るよ。 先輩なんでしょ?」

「いや、それが・・・」

  Bさんも、頷いている。 二人とも、年上として、物分かりのいい、懐の広い、いい人を演じているのだろう。 やがて、Cさんも帰って来て、Aさんから話を聞いた。 彼は、あまり、いい顔をしなかった。 Zのようなタイプを知っていて、ひと目で本性を見抜き、警戒していたのだ。 しかし、すでに、Zを泊める事に同意している、Aさん・Bさんの手前、反対はしなかった。

「管理会社の担当が来なければいいんですがね」


    で、Zは、居座ってしまったのだ。 二日目の昼間、出かけていたので、もう、いなくなったのかと思ったが、荷物は置いてある。 暗くなる前に戻って来て、「一日中、ハロー・ワークにいた」と言った。 これは、暗に、「仕事が見つかるまでは、ここに住む」と、主張しているのである。 一見、前向きな態度のようだが、Zの性格を知っているD君は、懐疑的。 Cさんは、D君を、外に呼び出して、きつい言葉で言った。

「あれは、居座るつもりだろう。 君は、知っていて、受け入れたのか?」

「いやその・・・、押しかけられてしまったんです。 すいません」

「つまり、あいつは、君の言う事も聞かないわけだな。 まずい事になったな・・・」

  三日、四日、五日・・・。 一週間経っても、Zは、出て行かなかった。 出て行くどころか、いつのまにか、D君の部屋とベッドを占領してしまい、D君は、別に布団を買って来て、居間で寝起きしなければならなくなった。 4人とも、Zに仕事が見つかれば、出て行くだろうと、淡い期待を抱いていたのだが、その内、Zは、昼間でも出かけなくなった。 二日目に、ハロー・ワークに行ったと言うのも、嘘かも知れない。 就職する努力をしているようには見えなかった。


  一般論だが、シェア・ハウスによって、生活ルールが異なっている。 ほんとに、部屋を分け合っているだけで、居間、浴室、トイレなど、共用部分の清掃は、管理会社がやっている所は多い。 食事の用意の当番制もなくて、台所が付いていても、電子レンジを使ったり、水道で食器を洗うくらいの用にしか使われていない事もある。 大学生や専門学校生はもちろん、勤め人でも、出かける時間、帰って来る時間は、バラバラだから、食事を一緒にとる事は稀なのだ。 その用意も、バラバラになるのは、致し方ない。

  共用部分の掃除を、当番制にすると、必ず、やらない奴が出て来る。 たとえば、4人いて、週に一度、掃除するとする。 大体、一人当たり、一ヵ月に一度、掃除当番をすればいいわけだが、たった、それだけの負担でも、やらないのである。 親元にいた時には、自室の掃除も、親に任せっ放しで、雑巾一つ絞った事がない。 箒なんか、家では、一回も持った事がない。 やり方も知らなければ、やる気もない。

  同居人から、「今週、あんたが掃除当番だろう」と指摘されると、「ああ、忘れてた。 明日やるよ」と答えるが、実際には、やろうとしない。 うやむやにして、次の週に、次の当番が掃除するのを待つのである。 そんな、いい加減な人間は、うじゃうじゃいるのだ。 自分が掃除したくない、他人にやらせたいから、わざわざ、シェア・ハウスを選んだのであろう。

  自分以外の同居人全員から、文句を言われ、「分かったよ。 やりゃあ、いいんだろー!」と、不貞腐れて、掃除を始めると、嫌がらせで、家具を動かすような大掃除をやる。 「俺は、やる時には、徹底的にやるんだよ。 お前らとは、根性が違うんだよ」などと言いながら。 はっきり言って、迷惑なだけなのだが。 そして、次に、自分の当番が回ってくると、「こないだ、大掃除をやったから、一年間は、やらなくていいんだよ」などと、うそぶく。

  嫌がらせで、個人の部屋まで侵入し、「言われた通り、綺麗に片付けなきゃなあ!」と言いながら、部屋の中にある物を、手当たり次第、ゴミ袋に押し込んで、捨ててしまった例もある。 部屋の主が帰って来て、ビックリである。 さすがに、これは、犯罪なので、相応の処置が取られたようだが・・・。

  そういうタイプの人間は、一口に言って、共同生活に向かないのである。 結婚にも向かない。 死ねとまでは言わないが、他人に迷惑をかけないように、一生、独りで暮らすのがいいと思う。


  さて、Zだが、共用部分の掃除当番など、全くやらなかった。 「俺は、Dの部屋の居候なんだから、掃除当番は、Dがやれば、それでいい」という理屈だ。 夜は、D君の部屋のベッドで眠り、昼間は、居間で、ゴロゴロしていた。 最初の内、宵には、一緒にテレビを見ていた、Aさん・Bさんも、Zがチャンネル選択権を握ってしまったので、次第に、居間に寄りつかなくなった。


  すぐに問題になったのは、Zがトイレで、立って小便をする事だった。 管理会社の担当者から、トイレを汚さないように、排尿も座ってするよう、注意を受けていたのだが、D君が、Zにそれを伝えても、聞く耳持たなかった。

「ああん? 何言ってんだ? 男が立って小便は、当たり前だろ。 座ってする方が、おかしいだろ」

  鼻で笑って、トイレを汚し続けた。 当番に迷惑をかけられないと思い、毎日、D君が掃除していた。 他の3人もそれを知っていたが、Zの性格が分かって来ると、どうせ、何を言っても聞かないだろうと諦めてしまった。


  風呂の掃除も然り。 追い炊き機能がないので、風呂は、一人入るたびに、湯を捨てて、浴槽内を、シャワーとブラシで、軽く洗っておくのが、決まりだったが、Zが、そんな事をするわけがない。 昼間から、ハウスにいるから、一番先に入って、汚れた湯は、そのまま。 二番目の者は、古い湯を流し、浴槽を洗ってから、新しい湯を入れなければならなかった。 Cさんなどは、それが馬鹿馬鹿しくなり、シャワーだけで済ますようになった。

  Zは、涼しい顔である。

「俺の家じゃ、そのつど、湯を捨てるなんて、もったいない事はしなかったぜ。 お前らが、おかしいんだ。 環境意識がねーのかよ?」

  D君が、入る時間がバラバラだし、追い炊き機能がないから、湯をとっておいても、冷めてしまうのだという事を、何度、説明しても、理解しようとしなかった。 知能が低いのではなく、性格がねじけているせいで、他人の言う事を聞こうとしないのだ。 また、頭が硬くて、それまでの習慣を頑なに変えようとしないのだ。 自己中心的で、周囲が自分に合わせるべきだと、勝手に決め込んでいた。


  洗濯は、全自動洗濯機があったが、一人一人、別々に洗っていた。 毎日ではないから、適宜、相談して、それで、うまく行っていた。 ところが、Zは、自分で洗おうとはしなかった。 D君に、押し付けて、「一緒に洗っといて」である。 それだけなら、まだしも、他の者が洗濯している時でも、途中で、蓋を開けて、自分の汚れ物を放り込んだ。 干す段になって、見知らぬ衣類が混じっている事に気づき、背筋が凍る思いをするのであった。 Zに言うと、

「ああ、一緒に干しといて。 取り込んだら、俺の部屋に置いといてよ。 畳むのは、俺がやるよ」

  譲歩しているつもりらしい。 こいつ、一体、何様だ? 最初の内は、やんわり注意していたが、Zが一向にやめようとしないので、籠を一つ用意し、洗い終わった時点で、Zの洗濯物は、その籠に放り込んでおく事になった。 それでも、Zは干そうとせず、仕方なく、D君が干した。 もちろん、D君が洗濯した時には、Zの物も一緒で、干すのも、取り込むのも、畳むのも、D君がやらなければならなかった。


  このシェア・ハウスでは、夕食の用意も当番制だった。 料理をする場合は、当番が人数分を作る。 料理をしない、もしくは、できない場合、当番が、惣菜弁当などを人数分買って、冷蔵庫に入れておく、というパターンを取っていた。 カップ麺や袋ラーメンなどは、昼食や夜食用で、各個人で、自分の部屋に用意していた。

  D君が、「飲み食いは、自分のお金でやってよ」と、当番に入る事を要求したところ、Zは、「俺は、自分で用意するから、いいよ! 住人でもないのに、当番なんて、やれるか!」と言って、拒否した。 ところが、自分の食料を買い出しに行くわけでもなく、D君が、部屋に買い置きしているカップ麺を、全部食べてしまったのだ。 やると思ってはいたから、驚きはしなかったが・・・。

  Zが、どれくらい、お金を持っていたのかは、よく分からない。 以前は働いていたのだから、預金があったのかも知れないが、どう見ても、キリギリス型であり、稼いだ端から使ってしまって、ほとんど、持っていなかった可能性もある。 夕食の当番制は、一定金額を予め出し合っておかないと成り立たないから、懐の都合で、入ろうとしなかったのかも知れない。

  Aさんが、夕食当番の日に、その事件は起こった。 Aさんは、退勤後、コンビニで、弁当4個を買って帰宅したが、誰もいなかったので、冷蔵庫に入れておいた。 その上で、用事を済ませる為に、また、出かけて行った。 2時間後に帰って来たら、揉め事が起きていた。 Zが、中学時代の同級生を連れて来て、冷蔵庫にあったコンビニ弁当を、振舞ってしまったのだ。 しかも、二人で、4人分を平らげていた。 空になった缶ビールが、6本あったが、これは、同級生に買わせたらしい。

  さすがの、Aさんも、キレた。 Zにガンをつけると、凄味を利かせて言った。

「おい! どういうつもりなんだ? 自分の飯じゃない事は、分かってたんだよな! そもそも、夕食当番に入ってないんだから!」

  対するZ、酒が入っているせいもあるが、元から、こういう性格なのだろう。 この上なく、ふてぶてしい態度で応じた。

「あ~ん? な~に~、その態度~? あんた、喧嘩する気~?」

  Bさんが、慌てて、止めに入った。

「Aさん、待った! ここで、喧嘩はまずいよ!」

  実は、Aさん、柔道の有段者なのだ。 弱いからではなく、強いから、喧嘩ができないという立場にある。 Bさんも、Cさんも、D君も、Aさんの、Zに対する怒りが どれくらいか、我が事の如く想像できるだけに、ここで喧嘩になったら、血を見るくらいでは済まず、殺人事件に発展してしまうのではないかと、そちらを心配していた。 Aさんは、辛うじて、理性を保った。

「喧嘩はしない。 管理会社の担当者を呼ぶ」

  Bさんが言った。

「今回は、見送ろう。 D君が、責任を問われてしまうから。 いや、最初は、俺も、Aさんも、見て見ぬフリをしたんだから、俺たちも、追い出される危険性がある」

  と宥めておいて、今度は、Zに向かって、きっぱり言った。

「あんた、いい加減、出て行ってくれないか。 後輩に迷惑かけるのも、これだけやれば、もう、充分だろ」

  Zは、ヘラヘラ笑って、答えない。 事の成り行きに、身を小さくしていた、Zの客が、おずおずと、Zに訊いた。

「なに? ここって、お前の部屋じゃないの?」

「Dの所に住んでんだから、俺の部屋みたいなもんだ」

  Aさんが言った。

「違うだろ! あんたは、ただの居候だ! ルール違反のな!」

  Zの客が立ち上がり、Bさんの腕を引っ張って、屋外に連れて行った。

「すいませんでした。 こういう事情とは知らなかったもんで。 弁当代は、私が払います」

「そうしていただけるとありがたいですね。 いや、お金だけもらっても、困りますから、今から、コンビニに行って、4人分、買って来てくれませんか。 私ら、仕事から帰ったばかりで、体力が残ってないですから」

「分かりました」

  常識がある人間で助かった。 Zの友人だったら、こうは行かなかったかもしれないが、彼は、同級生に過ぎなかったのだ。 どこで調べたのか知らないが、突然、Zがアパートを訪ねて来て、「飯を食わせてやる」と言うので、ついて来ただけだったのだ。 彼は、30分後に戻って来て、弁当4個を置いて、帰って行った。 ちなみに、この人物、それ以降、Zとは縁を切って、二度と会わなかったそうだ。


  Zは、頑として、出て行かなかった。 常識がある者からすると、理解し難い事だったが、「一度、住み始めたら、そこに居続ける権利がある」と、勝手に思い込んでいるようだった。 銀行のATMコーナーで、自分の番になると、用が済んでも、通帳をじっと眺めて、なかなか、どこうとしない人間が、よく見受けられるが、あれと同じで、「一度取った場所は、自分のもの」という意識が発生するのかも知れない。 何とも、動物的な意識ではある。


  また、事件が起こった。 今度は、生臭い話だ。 A、B、C、Dの4人は、「Zの事だから、いつか、やるのでは・・・」と予想していたが、案の定、やらかした。 女を連れ込んだのである。 ある日曜日の夕方、D君がハウスに帰って来ると、A、B、Cの3人が、廊下に立っている。 何かと訊いたら、Cさんが、唇に人指し指を当てた。 耳を澄ますと、女の喘ぎ声が聞こえる。 D君の部屋からだ。 D君は、さすがに、カッと頭に血が上り、自分の部屋のドアを開けようとした。 中から鍵がかかっている。 ドンドンと叩いた。

「おい! 開けろっ! 何やってるんだ! 開けろ! 開けろ!」

  普段、大人しいD君としては、凄じい剣幕。 他の3人が、止めようとしたが、その前に、ドアが、少し開いた。 Zが立っているのが見えた。 大急ぎで、ズボンだけ穿いたという様子。 D君は、ドアを、力任せに開いた。 D君のベッドの上には、上半身裸の女がいて、掛け布団で胸を隠しながら、こちらを睨んでいた。

  D君は、喫驚した。 その女は、高校時代に、D君が交際していた相手だったのだ。 卒業で別れて、それっきりになっていた。 噂では、地元で就職し、他の男と交際しているらしいと聞いていたのだが、その相手が、Zだったとは・・・。 おそらく、Zに呼び出されて、わざわざ、性交渉をする為に、出て来たのだろう。

  女は、D君の顔を見て、目尻を吊り上げ、ヒステリックに、わめいた。

「何! あんた、どうして、ここにいるんだ! ストーカーになったのか! 私らが、何してるか、分かるだろ! 最低限のエチケットも知らないのか!」

「お前こそ、なんで、ここにいるっ!」

「Zさんの部屋だから、いるんだよっ!」

「ここは、俺の部屋だっ!」 Zを指さして 「こいつは、ただの、居候だっ!」

「・・・・・」

  絶句した女が、Zを見ると、あらぬ方向を向いて、耳の穴を小指で掻いている。 女は、それ以上、一言も喋れなくなった。 首筋から耳まで、ドス赤くなり、大慌てで、服を着ると、中腰姿勢で、出て行こうとして、廊下の3人とぶつかりそうになった。 3人が避けて、道を開けたところへ、後ろから、D君が、女のバッグを持って追いかけて来た。

「バッグを持ってけ!」

  女は、半身 振り向いたが、下を向いたまま、手を伸ばし、バッグを受け取って、出て行った。

  D君の激昂メーターの針は、振り切ったままだった。 Zに向かって行って、肩を掴み、外へ追い立てようとした。

「出て行けっ! なんだ、お前はっ! 狂ってるのかっ!」

「お前、誰に向かって、そんな口を・・・」

「お前は、一体、何なんだ! 化け物か? 俺に取り付いている、妖怪か! いいから、出て行けっ!」  

  Zは、D君の部屋から出て行ったが、居間に移っただけだった。 Aさんが、他の3人の同意を得た上で、管理会社に連絡した。 担当者は、夜になって、やって来た。 Zは、担当者が来る前に出かけてしまっていた。 荷物は、そのままである。 4人から事情を聞いた担当者は、渋い顔を作った。

「つまり、最初に、泊まっていいと言ってしまったんですね。 その上、居座るつもりだと分かった後も、出て行くように、強く言わなかったと。 それで、2ヵ月も・・・。 まずいなあ、そういうのは。 法律上、管理会社の権限で追い出せなくなってしまうんですよ。 強制的に外へ出しても、そういうタイプの人間は、また戻って来ます。 あなた方が悪い人達でないの知っているけど、お人好しが過ぎましたねえ・・・」

「どうしたら、いいでしょう?」

「そのZという人には、親はいないんですか?」

  全員が、D君を見た。

「分かりません。 地元でも、家を訪ねるような仲じゃなかったですから」

「荷物が置いてあるなら、住所や、実家の電話番号が書いてあるものがありませんかね?」

  全員で、D君の部屋に行き、Zの鞄やトランクを開けて、物色した。 漫画雑誌以外、文字を書いたものは、何もなかった。 D君が、自分の実家に電話した。 掻い摘んで事情を話し、自治会長に訊いてもらい、Zの実家の電話番号が分かった。 担当者が電話をかけた。 Zの母親が出ているらしい。 担当者は、事情を説明したが、相手が怒鳴っているようだ。 しかし、担当者は、この種の問題に経験があるようで、冷静だった。

「あなたが怒るのは、筋違いでしょう。 お宅の息子さんのせいで、大変な迷惑を被っているのは、こちらなんですよ。 いいえ、詐欺師じゃないですよ。 シェア・ハウスの管理会社です。 どうぞ、いくらでも調べて下さい。 何なら、こちらで、警察に届けますが、それでもいいですか?」

  これは、ハッタリだったが、警察の名前を出したのは、利いた。 電話の相手は、父親に変わったようだ。 父親は、事情をすぐに飲み込んだようである。

「ああ、お父さんが、いらっしゃる? そうして下さい。 明日? 昼頃ですね。 ○○駅の南口。 はい、はい、」

  翌日、Zが、ハウス内にいる事を、D君が担当者に電話で報告すると、駅前で待ち合わせた担当者と、Zの父親が、営業車で一緒にやって来た。 父親が居間に乗り込んで来た時の、Zの顔は見ものだったが、その直後が修羅場になったので、誰も笑えなかった。 父親は、物も言わずに、ソファに座っていたZの腹の上に馬乗りになると、その頬に、力任せの往復ビンタを食らわせた。

「この馬鹿めっ! お前は、何をやってるんだっ! せっかく、紹介してもらった仕事を放り出して、こんな所で、よそ様に大迷惑をかけやがって! お前は、一体、何がしたいんだ! 少しは、頭を使って、先の事を考えろ! 一生、他人の居候で、暮らすつもりか! 馬鹿者がっ! この大馬鹿者がっ!!」

  誰も止めなかった。 Zの頬が脹れ上がり、人相が変わるまで、往復ビンタは続いた。 Aさんは思った。

「ここまでやれるなら、もっと小さい内に叱っておけば、こんな人間にならなかったのに・・・」

  父親に蹴飛ばされながら、Zは、荷物を纏め、出て行った。 そのまま、クニまで連れて行くというので、担当者が、車で、駅まで送って行った。


  翌日、担当者がやって来て、ハウスの4人に、出て行ってくれと、通告した。 一見、理不尽なようだが、外部の者を宿泊させないというルールを破ったのは、やはり、見過ごせなかったのだ。 ただし、系列会社の運営している、リフォームしたばかりのシェア・ハウスが少し離れた街にあり、入居者を募集していたので、4人で、そこに移れるように、取り計らってくれた。 新築ではないから、家賃は、5パーセントほど安かった。 4人に、断る理由はなかった。


  実家に連れ戻されたZは、ちょうど一ヵ月後の深夜、眠っていた父親の頭に、庭から持って来たコンクリート・ブロックを投げ下ろして、殺害した。 目を覚まして、悲鳴を上げた母親も、裁ち鋏で刺して、殺した。

  翌日、事件が発覚しない内に、電車で、都市に出て、例のシェア・ハウスへ向かった。 ところが、住んでいたのは、前とは違う4人だった。 前の4人がどこへ行ったのか訊いたが、誰も知らなかった。 仕方がない。 こいつらでもいいか。 持って来た食材を見せながら、精一杯、愛想のいい顔を作って、言った。

「前の4人と一緒に食べるつもりで、買って来たんだけど、無駄になっちゃうから、お宅ら、食べますか? 俺が鍋を作りますよ」

  シェア・ハウスに住みたがる若者には、経済的に苦しい者が多い。 一食でも、ただ飯が食えれば、儲けものだと思っている。 断る理由もないと思って、Zをハウス内に入れた。 5人で、居間のテーブルを囲み、カセット・ガス・コンロに載せた鍋が煮えるのを待つ。 野菜が煮えた頃合で、肉が入れられた。 最後に、Zが、500ccのペット・ボトルくらいの大きさの、見慣れない容器を出した。 「何か、特別な調味料かな?」と、4人が思った直後、Zが、中身を一気に鍋の中に搾り出した。 強烈な刺激臭が、部屋中に広まった。

  それは、Zが、以前勤めていた工務店で使っていた、接着剤だった。 固まるまでは、凄いニオイがする。 この時は、水と熱に反応して、ブクブクと泡が盛り上がり、ニオイも、更に強くなった。 その時、鍋を囲んでいた4人が、後で証言したところでは、「塩酸のニオイ」とか、「尿のニオイ」とか、「古い布団を干した後のニオイを、千倍くらいに増幅したもの」とか、様々な表現がされている。

  Zは、狂っていたのだ。 悲鳴を上げて、逃げ出す4人を見て、ゲラゲラと笑った。

「ざまあ見やがれ! お望み通り、夕飯を作ってやったぞ! ありがたく、喰いやがれ! わはははは!」

  前の4人と、今の4人の区別がついていないというより、シェア・ハウスに住んでいる者を、全て同一視し、敵視していたのだろう。 警察が呼ばれ、逮捕、送検されたが、殺人を2件犯していたものの、心神喪失で、不起訴。 精神病院に入ったが、同室の者達を、顎で使う癖が治らず、個室に隔離されて、間もなく、首を括って死んだ。 これほど勝手放題な性格なのに、孤独には耐えられない人間だったのである。


  Zが接着剤を煮たシェア・ハウスは、リフォームを繰り返しても、なぜか、悪臭が消えず、長い事、空き家のままだった。 20年後に解体された後も A、B、C、Dの4人は、その付近に、絶対に近づかなかった。 Zと接触した彼らは、怪物や妖怪の存在を信じるようになっていたのだ。


  そうそう、D君の元カノだが、D君が、大学を卒業して、地元の企業に就職し、Uターンして来ると、入れ代わるように、町を出て行った。 小さい町なので、顔を合わせる確率が高く、恥に絶えられなかったのだろう。 D君の方も、ホッとした。 その女の顔を見れば、否が応でも、Zの事を思い出してしまうからだ。