2024/07/21

実話風小説 (30) 【他人家族】

  「実話風小説」の30作目です。 5月16・17日頃に書いたもの。 一ヵ月に一話のペースで書いているのですが、せっかちな性分が出て、次第に、書き始める日が早くなっています。 一通り、書き上げてしまえば、推敲は楽しい作業ですが、大幅な書き換えが必要になると、一転、地獄になります。




【他人家族】

  Z氏には、息子が、三人いる。 しかし、Z氏と血が繋がっている者は、一人もいない。 近所に住んでいる、世話焼きのオバサンが、再婚者ばかり扱っている人で、独身のZ氏に、夫を亡くした寡婦を紹介したのだ。 Z氏の両親は、すでに他界しており、親戚とも疎遠だったので、本人が承知さえすれば、纏まる話だった。

  その時、連れ子の少年Aは、8歳で、もう物心ついており、本当の父親の記憶も生々しく残っていた。 決して、いい父親ではなく、酒が入ると、妻に暴力を振るった。 死んだのも、勤め先の花見で他の客と喧嘩になったせいである。 少年は、正直、ホッとした。 自分が殴られていたわけではないが、母親を物のように扱い、殴る蹴るを繰り返していた父親を、憎悪していたからである。

  A少年と母親は、一旦、母親の実家に身を寄せたが、母親が仕事を持っていなかったので、兄夫婦の代になっていた実家での、二人の立場はまずかった。 兄夫婦の子供二人からは、あからさまに邪魔者扱いされた。 その家の子にしてみれば、A少年は、闖入者であり、自分達の既得権益を奪う侵略者なのだから、そういう反応になるのは、致し方ないところもある。

  A少年の母親は、いたたまれなくなり、再婚の話が来ると、すぐに飛びついた。 こちらから出した条件は、たった一つ。

「殴らない人なら、外見とか収入は、どうでもいいよ」

「それなら、大丈夫。 大人しい人だから」

「いや、そういう、傍から見たイメージじゃなくて、本人に、『家庭内暴力は、一切 振るいません』と、約束させて下さい」

「ああ、うん、いいけど・・・」

  彼女の心配は、杞憂だった。 Z氏は、虫も殺さない人柄だったのだ。 暴力から遠過ぎて、頼りないと思えるくらいだった。 再婚の場合、珍しくないが、特に、交際期間は設けず、Z氏が必要ないというので、式も挙げず、新婚旅行もなし。 入籍だけして、すぐに、一緒に暮らし始めた。

  Z氏が、二人だけで話があるというので、何かと思ったら、想像以上に改まった話だった。

「一応、夫婦という事になったけれど、A君がいるのだから、A君の気持ちを傷つけないようにしたい。 もし、自分が、A君の立場だったら、母親が、父親以外の男と同じ部屋で寝るのは、嫌なものだ。 A君が、中学生になるまで、性交渉は、家ではしない事にしたいが、どうだろう」

  と言うのだ。 「変な事を言う人だなあ」と思ったが、一応、筋は通っているので、承諾した。 性交渉は、ラブ・ホテルなど、外でという事になるが、そういう機会は、非常に少なかったようである。 Z氏は、妻に、なるべく、A少年といる時間を長くもたせようとしたからだ。

  Z氏は、A少年に、自分の事を、「おじさん」と呼ばせた。 母親は、「お父さん」と呼ばせようとしたが、そのつど、「おじさんの方がいい」と言って、やめさせた。 A少年も、「変な事を言う人だなあ」と思ったが、正直、他人なのだから、「おじさん」の方が、遥かに呼び易かった。 Z氏は、呼び方よりも、信頼関係を築く方に注力した。

「おじさんには、お父さんの代わりはできないが、男として、君の先輩だ。 なるべく、君の手本になるような生き方をするから、君も、なるべく、見習ってくれ」

  と言った。 8歳の子供だから、よく分からなかった。 分かるようになるのは、中学生になって以降である。


  よく言えば、安定している、悪く言えば、地味な生活が始まり、続いて行った。 平和この上ない家族だった。 気が回る人なら、憂慮するかも知れない。 「新しい子供が出来たら、Z氏の連れ子への態度が変わるんじゃなかろうか」と。 しかし、それは、杞憂だった。 Z氏の最初の妻、つまり、A少年の母親は、再婚後半年で、呆気なく、病死してしまったからである。

「もう、結婚は懲り懲りと思っていたけど、まさか、この世の中に、あんなにいい人がいるとは思わなかった。 紹介してくれて、ありがとうね」

  というのは、入院先を訪ねた世話焼きのオバサンに、彼女が言った言葉である。 こう、付け加えた。

「私が死んだら、また、あの人に、いい再婚相手を世話してくださいね」

  彼女は、もう、自分が長くないと知って、A少年と二人きりになった時に、真剣な顔で言った。

「お母さんに、もしもの事があったら、Aは、一人ぼっちになっちゃうけど、おじさんから、おじさんと暮らすか、施設に入るか、訊かれたら、おじさんと暮らす方を選びなさい。 おじさんは、すぐに、他の女の人と再婚するかもしれないけど、Aをひどい目に遭わせたりは、絶対しないから」

  母親は亡くなり、しめやかに、通夜・葬儀が執り行われた。 A少年は、母親の言う通りにしようと思ったが、別に、Z氏から、選択を迫られる場面はなかった。 自分の方から、恐る恐る、訊いた。

「ぼくは、この家に住んでいて、いいんですか」
「当たり前だ。 ここは、お前の家だ。 おじさんとお前は、親子じゃないけれど、家族なんだ」

  A少年は、まだ、Z氏の考え方が分からなかったが、妙な安心感を覚えた。


  2年後、同じ世話焼きオバサンの紹介で、Z氏は、再婚した。

「まだ、小さい子がいるんだから、やっぱり、母親はいた方がいいよ。 中学生になったら、給食から、お弁当に変わるし、Zさん一人じゃ、面倒見切れなくなっちゃうよ」

  そんな風に言われて、もっともな話だと思ったのだ。 相手の女性にも、息子がいた。 繰り返すが、このオバサンは、そういう人しか、扱っていないのである。 B少年は、8歳だった。 A少年は、10歳になっていた。 Z氏は、オバサンから、相手の子供の年齢を聞くと、呟いた。

「Aと2歳差か・・・。 そのくらいなら、何とかなるかも知れないなあ・・・」

  オバサンは、Z氏が何を言っているのか、分からなかった。 Z氏は、連れ子同士が、うまくやっていけるか、それを最優先に考えていたのだった。 オバサンは、相手の女性の容姿がいい事ばかり強調していたが、Z氏は、そういう事に、あまり、拘りがないようだった。


  新郎新婦共に、二度目の結婚。 またも、式なし、旅行なし、入籍だけ。 女の側は、初婚の時に、式や旅行を経験しているので、再婚で、また、やりたいとは思っていなかった。 親戚や友人・知人を、またぞろ招いて、時間と祝儀を費やさせるのも、気が引けるではないか。 芸能人じゃあるまいし。

  Z氏は、B少年との関係について、あまり、気を使わなくて済んだ。 A少年が、B少年を、うまく、指導してくれたからだ。

「俺は、君の兄貴じゃないけれど、男として、君の先輩だ。 なるべく、君の手本になるような生き方をするから、君も、なるべく、見習ってくれ」

  普通、子供の世界で、こんな理屈は、通用しない。 しかし、Z家では、Z氏も、A少年も、口先だけでなく、本当に、年少者の手本になるような生活をしていたので、B少年にも、次第にそれが伝わって行った。

  まず、家族内で、馬鹿にしたり、からかったりという場面が見られない。 会話は多い方だが、誰かが喋ると、他の者は、真剣に、その話を聞く。 自分の知らない事を、他の者が喋っていると、「ふーん。 そうなんだね」という反応。 知識や情報を持っている事を尊ぶのである。 逆に、嘘とか、他人から聞いた話を、確認せずに、そのまま吹聴するとかいった事は、戒められていた。

「この人達は、パパとは、全然、別の生き物みたいだな」

  B少年の父親は、浮気ばかりしている男で、家にいる時には、母親にも、B少年にも、言い訳の嘘ばかりついていた。 B少年は、小さい頃こそ、それを真に受けていたが、少し成長して、両親の口論の内容が分かるようになると、父親を全然、信用できなくなった。 両親が離婚する直前には、父親を見て、「どうして、こんなに嘘ばっかりつく奴が、生きていられるのだろう?」と、人間不信・社会不信に陥っていた。 それが、新しい家では、嘘が全く耳に入って来ないのだ。

  A少年は、先輩の責任として、B少年を一生懸命、守った。 近所の子供達の間でも、学校でも。 一緒に登校するのはもちろんだが、下校も、自分の友達の誘いを断ってでも、B少年と一緒に帰る方を選んだ。 B少年は、そういう気の使われ方をされた事がなかったので、最初は戸惑い、A少年から離れようとした事もあったが、A少年は、そういう時には、無理に言う事をきかせようとせずに、B少年の好きにさせるので、B少年は、また戸惑ってしまい、結局、A少年と一緒にいた方が得だと気づいて、それ以降は、本当に、仲良くなった。 ごく自然に、B少年は、A少年の事を、「兄ちゃん」と呼ぶようになった。 Z氏の呼び方は、Z氏が望む通り、「おじさん」だったが。


  地味で平和な生活。 しかし、今度も、長くは続かなかった。 B少年の実の父親が、突然、訪ねて来たのである。 同棲していた女に、若い男が出来、喧嘩の挙句、追い出されてしまった。 行き場がなくなって、呆れた事に、元妻が嫁いでいる、Z氏の家に押しかけたのだ。 昼過ぎで、パートから帰った元妻が一人でいる時を狙って来た。 怒鳴り合いを聞いていた隣家の人の証言では、どうも、元夫は、Z氏の家に居座って、いずれ、Z氏とA少年を追い出し、乗っ取るつもりでいたらしい。

  元妻は、もちろん、追い出そうとした。 せっかく手に入れた、平和な生活を守ろうとした。 売り言葉に買い言葉で、元妻から、Z氏と比較して、いかに駄目な人間であるか、罵られた元夫は、頭にカッと血が上り、台所に行くと、包丁を持って来た。 元妻は、警察を呼ぼうと、電話器に駆け寄ったが、受話器を取るところまでしかできなかった。 横っ腹を、ブスリとやられてしまったのだ。 時刻は、午後3時頃。 騒ぎを聞きつけた近所の人達が、家の前に集まっていた。 そこへ、返り血を浴びた元夫が出て来たので、「わあっ!」と、避けた。 元夫は、その間を、足を縺れさせながら、逃げて行った。

  近所の人が、110番通報したので、パトカーが2台到着し、すぐに、救急車が呼ばれた。 まだ、息があった。 救急車が走り出した直後、学校から帰って来た、A少年とB少年は、警官から、Z氏の勤め先を訊かれ、A少年が答えた。 Z氏には、警察から電話が行き、少年二人は、パトカーで、病院へ連れて行かれた。 A少年の方が、真っ青になっていた。 B少年は、起こった事自体が、まだ受け入れられないようで、無表情だった。

  救急搬送が早かったにも拘らず、急所を刺されていた後妻は、どんどん、衰弱して行った。 駆けつけたZ氏と、ほんの少し、話をした後、B少年が、枕元に呼ばれた。

「ママがいなくなったら、B君は、一人ぼっちになっちゃうけど、おじさん達と暮らすか、施設に入るか、訊かれたら、おじさん達と暮らす方を選びなさい。 おじさんは、その内、他の女の人と再婚するかもしれないけど、おじさんも、A君も、B君の事を、一生懸命、守ってくれるから」


  後妻は亡くなり、しめやかに、通夜・葬儀が執り行われた。 B少年は、母親の言う通りにしようと思ったが、別に、Z氏から、選択を迫られる場面はなかった。 自分の方から、恐る恐る、訊いた。

「ぼくは、この家に住んでいても、いいんですか」
「当然だ。 ここは、お前の家だ。 おじさんと、Aと、Bは、親子でも、兄弟でもないけど、家族なんだ」

  B少年は、まだ、Z氏の考え方が分からなかったが、妙な安心感を覚えた。

  B少年の実の父親、つまり、Z氏の後妻の元夫は、事件の2ヵ月後に、潜伏先の友人宅から出て来た所を、張り込んでいた警官に捕まりそうになり、友人の車で逃走。 パトカーに追われて、赤信号で交差点に突っ込み、8トン・トラックに車ごと跳ね飛ばされて、グジャグジャになって死んだ。 こんなろくでなしは、死ぬのが遅過ぎたくらいである。 


  2年後、また同じ世話焼きオバサンの紹介で、Z氏は、再々婚した。 相手の女性にも、また、息子がいた。 くどいようだが、このオバサンは、そういう人しか、扱っていないのである。 C少年は、8歳だった。 A少年は、12歳に、B少年は、10歳になっていた。 Z氏は、オバサンから、相手の子供の年齢を聞いてから、呟いた。

「Bと2歳差か・・・。 そのくらいなら、何とかなるかも知れないなあ・・・」


  同じ描写ばかり繰り返すのも、芸がないので、省略。 Z氏と、後々妻は、長続きした。 この女性は、前の二人に比べて、健康で、ワケアリ度が低かったからだ。 前の夫とは、協議離婚して、息子二人を、一人ずつ、引き取っていた。 C少年は、弟の方である。

  Z家の、三人の息子達は、うまくやっていた。 C少年は、内気で、無口だったが、頭はいいようで、Z家の人間関係を、すぐに理解した。 母親は、C少年の笑顔が、日増しに増えて行くのに気づいて、感動を覚えた。 前の家では、C少年は、兄に苛められて、泣いてばかりいたのである。 兄の方は、父親似で、押しが強く、友達でも同級生でも見下して、まだ、中学生なのに、周囲に君臨しているようなところがあった。 弟への態度に至っては、奴隷扱いをしていた。

  その父親が、自分に似ている長男ばかり可愛がり、次男のC少年を、「意気地がない!」だの、「それでも、男か!」だの、自分が粗暴な性格である事を棚に上げて、年中、罵り倒していたのを、聞くに耐えなかったのが、最も大きな離婚原因である。 温和な家庭で育った彼女は、夫の正体が分かってしまうと、おぞましさしか感じなくなり、C少年だけでも、守りたいと思ったのだ。

  元夫が協議離婚に応じたのは、「離婚しても、その内、食い詰めて、侘びを入れてくるだろう」と高を括っていたからだが、元妻は、すぐに、Z氏と再婚してしまい、当てが外れた。 その後、「長男に会いに来い」とか、「次男に会わせろ」などと言って来ないのは、プライドが邪魔をして、元妻と話をするのが嫌だからだろう。

  そんな事情で、母親は、C少年の笑顔を、前の家では、見た記憶がなかった。 それに引き換え、Z家では、どうだ。 C少年が、こんな笑い方をする子だったのだと、初めて知った。 C少年は、A少年の事を、「大きい兄ちゃん」と呼び、B少年の事を、「小さい兄ちゃん」と呼ぶようになっていた。 ちなみに、前の家では、実の兄の事を、本人や父親の前では、「お兄さん」と呼ばされていたが、母親の前では、「あいつ」と呼んでいた。 C少年にとって、血の繋がらない他人の方が、兄らしい兄だったのだ。


  この話の中心的な事件が起こるまで、3年間、Z家では、地味で平和な生活が続いた。 傍から見ると、他人行儀で、家族らしく見えなかったかもしれないが、これほど仲の良い家族も、なかなか、ないと思われた。 母親と、C少年を除き、血縁がないにも拘らず。 Z氏が思い描いていた、理想的な家族像が、具現化されていたのだ。 血縁でも、他人でも、関係ない。 互いを思いやる気持ちがあれば、人間関係は、うまく回って行くのである。


  A少年が、15歳。 B少年が、13歳。 C少年が、11歳の時、その事件は起こった。 Z氏の家が、中学校の校区の境目にあった関係で、子供の世界では、学校での付き合いの他に、近所での付き合いがあった。 道路を挟んで、向こう側に住んでいる子供とは、学校では会わないが、近所では顔を合わせるのである。 そして、通っている学校が異なると、対立関係が発生し易い。

  A少年は、人柄が良かったので、学校でも、近所でも、人望があったが、別の学校に通う、道路の向こうの子供からは、敵視されていた。 動機は、下司な嫉妬である。 中学生くらいでも、ほとんど、ゴロツキと変わらないような連中はいる。 そういう連中のグループから、目をつけられてしまったのだ。

  不穏な状態が、半月ほど続いた。 大人は、誰も気づかない。 子供の世界の話なのだ。 ある日、学校から帰って来たC少年は、顔色を変えていた。 玄関のドアが開閉する音がしたので、母親が行ってみると、上がり框に、C少年のランドセルが置いてあった。 側面に付けてある小さな鈴が、まだ鳴っていた。 大急ぎで、また、出かけたらしい。

  1時間ほどして、電話がかかって来た。 なんと、警察からである。 C少年が、暴行を受けて、危険な状態になっているので、すぐに病院へ来て欲しいとの事。 母親は、真っ青になった。 前の夫か、実の兄が関係しているのではと、混乱して、質問を浴びせかけたが、「とにかく、一刻を争うから、家族全員に来るように連絡して下さい」と言い渡された直後、訂正があり、「お母さんだけでも、早く来て! 間に合わないかも知れない!」と言われた。

  自分の車に乗り、飛び出した。 走り出して、すぐの所で、近所に住んでいる、世話焼きのオバサンがいたので、車を停め、Z氏の会社と、A少年、B少年が通う中学校に、電話してくれるように頼んだ。 「緊急、緊急!」と、騒いでもらったお陰で、A少年、B少年は、教師の車で送ってもらえる事になり、母親に、10分遅れて、病院に着いた。

  C少年は、集中治療室のベッドの上で、包帯だらけになっていた。 一体、どういう暴行を受けたのか、口元が少し見えるだけで、目も包帯で覆われている。 囈言のように、

「兄ちゃん・・・、兄ちゃん・・・」

  と繰り返すので、A少年、B少年が到着すると、すぐに、枕元に呼ばれた。 B少年が呼びかけた。

「C! C! 兄ちゃん、来たぞ! C! 聞こえるか?」

  C少年は、微かな声で言う。

「小さい兄ちゃん・・・、大きい兄ちゃん・・・、二人とも大丈夫か?」

  A少年が、答える。

「何が? 大丈夫だよ。 何があった?」

「良かった。 無事で良かった」

  A少年は、事情を推量して、話を合わせた。 C少年が、もう何分も、もたないような気がしたのだ。

「うん。 無事だよ。 何ともないよ。 Cのお陰で、助かったよ。 ありがとう。 ありがとうな」

「大きい兄ちゃん、小さい兄ちゃん・・・」

「うん。 なんだ?」

「俺、兄ちゃん達が、好きだ・・・」

 A少年とB少年が、答える。

「うん、俺も、Cの事、好きだよ」
「俺も、Cが好きだよ。 C! C!」

「ありがとう・・・、兄ちゃん・・・、優しくしてくれた・・・」


  この翌日に分かった事だが、道路向こうの、不良グループが、一週間ほど前から、A少年とB少年を襲撃する計画を立てていたのである。 その事を、当日の放課後に、グループに近い関係にあった中学生、Rが、わざわざ、C少年の通う小学校まで来て、門前で、C少年を掴まえ、教えてくれたのだ。

  C少年は、大急ぎで、兄達が通う中学へ行こうとしたが、ランドセルが邪魔なので、小学校から近い自宅に先に寄った。 身軽になって、中学校へ向かったが、途中で、襲撃グループが集合していた児童公園を通ってしまった。 連中は、A少年達が、中学校から、家に帰る道を待ち伏せていたのだから、C少年が鉢合わせしてもおかしくはない。 すんなり通してくれるわけもなく、忽ち、殴る蹴るの暴行が始まった。

  金属バットを持って来ていた者がいた。 C少年が、すぐに倒れて動けなくなってしまったのを見て、残忍な気分が盛り上がり、バンバンと殴りつけた。 骨折が、15箇所。 顔面まで、バットで叩きつけたというから、恐ろしいガキもあったものだ。 児童公園近くの住人が、家の中から様子を伺っていて、警察に通報したが、パトカーが来た時には、襲撃グループは、逃げ去っていた。

  この不良グループは、8人全員、翌日中には逮捕された。 凶暴なだけで、逃げる知恵もないようなやつらだった。 起訴され、有罪判決を受け、少年院に送られた。 殺人罪である。 馬鹿なガキどもだ。 バットで殴ったら、相手が死ぬくらい、分からんのか? そんな事も判断できないのでは、人間社会で生きる資格があるまい。 正に、「人でなし」なのである。


  Z家は、まだまだ、落ち着かなかった。 C少年の四十九日の後、A少年は、遠い目をして、B少年に言った。

「なあ、B」

「なに?」

「おじさんとおばさんを、頼めるか?」

「どういう意味?」

「俺は、Cの仇を討たなきゃならない」

「仇って、誰を? 犯人は、みんな逮捕されたのに」

「Rだ。 考えてみれば、一番、俺と仲が悪い奴が、わざわざ、危険を知らせてくれるなんて、ありえない。 おかしいと思って、いろいろな人に訊いて回ったんだが、案の定、あいつ、善意で、襲撃計画を教えてくれたんじゃなかったらしい。 俺達三人を、纏めて始末する為に、Cを現場におびき寄せたんだ。 あいつだけ、何の罰もないなんて、許せないじゃないか」

「それなら、俺もやる!」

「それじゃ、誰もいなくなってしまうじゃないか」

「いなくなるって、どういう事だ」

「逮捕されたら、家から、いなくなるだろう」

「そりゃ、そうだけど・・・」

「Rは、俺が気に食わないんだ。 BとCは、俺の弟だから、ついでに、狙われただけだ。 やっぱり、これは、俺がやらなくちゃならない。 残ったお前の方が、辛い人生になると思うが、頼まれてくれるか?」

「・・・・・」

  B少年は、黙り込んでしまった。 A少年は、説得の仕方を変えた。

「もしかしたら、俺が失敗するかも知れない。 Bは、その後に備えておいてくれ」

「そういう事なら・・・」

  A少年は、翌日から、姿を消した。 Rも、姿を消した。 どちらの家からも、捜索願いが出されたが、見つからなかった。 B少年だけが、何が起こったかを知っていた。 いや、A少年が、具体的に、どんな事をしたかは知らなかったが、Rを殺した事は、確実だと思った。 そして、A少年も、自ら命を絶ったものと思われた。 おじさんとおばさんを、殺人犯の親にしたくなくて、姿を消すという方法を取ったのだろう。 死体が発見されなければ、殺人事件にならないからだ。

  Z氏は、A少年が何をしたか、大体の想像はついていた。 7年後、失踪宣告となり、Z氏は、空の骨壺を納めた墓の前で、独り言を言った。

「真面目に育て過ぎたかなあ・・・。 いや、俺は、Aの事を分かってやらないとな。 よくやってくれたとは言えないが、お前の気持ちは、よく分かるよ。 お前は、いい息子だった。 でも、やっぱり、生きていて欲しかったなあ・・・」


  B少年は、長生きした。 おじさんとおばさん、つまり、Z氏と、その後々妻を看取り、更に、20年も生きた。 結婚せず、子供もいなかったのは、自分だけ、そういう生き方をしたら、早死にした兄と弟に、申し訳ないと思ったからだ。 B氏は、今、高齢者施設にいる。 若いスタッフが、昔の事を訊くと、目を閉じたまま、独り言のように、こう呟く。

「俺はね。 家族に恵まれたんだよ。 おじさん・・・、ママ・・・、おばさん・・・、兄ちゃん・・・、C・・・、あんないい人達は、いなかったな。 家族の思い出だけで、俺は、世界一の幸せ者なんだ・・・」