2024/05/19

実話風小説 (28) 【小吉さん】

  「実話風小説」の28作目です。 3月末に書いたもの。 ちょっと、オカルトっぽくなってしまいましたが、オカルトではないです。 実話風小説で、オカルトは、そぐわないですなあ。




【小吉さん】

  Z村は、山と川に囲まれた、小さな集落である。 独立した自治体ではなく、かつては、Y町、現在は、Y市に属している。 周辺の集落では、昭和中期に、道路や橋などが出来て、交通の便が良くなってから、人口が減り続け、3分の1以下になった所が多いのに、Z村だけは、横這い状態が続いていた。 しかし、この10年ほどで、急に出て行く者が増え、最盛期の7割ほどになっている。

  Z村には、昔から、寺も神社もなかった。 寺は、元々なかった。 神社は、今はあるが、10年くらい前まではなかった。 ただ、共同墓地のある、山の中腹の高台に、「小吉さん」と呼ばれる石があり、それが、村唯一の宗教施設だった。 「小吉さん」は、「しょうきち さん」という名前に、字を当てたものである。 人によっては、「しょうきっさん」とも言う。

  子供の頃に、古老から話を聞いたという、これも、今は、古老としか言いようがない人物の話では、かつて、石の表面に、文字が彫られていたが、もっと難しい字だったとの事。 「祥」かも知れぬ。 今現在、完全に磨り減って、文字は全く認められない。

  小吉さんは、高さ、2メートルくらいの、一見、石碑のような物体であるが、厚さが、30センチくらいあって、よほどの天変地異に見舞われても、折れる心配がなさそうな形をしている。 この地方で良く使われる、凝灰岩で出来ていて、風化し易く、文字が消えてしまったのは、そのせいであろう。 もちろん、人工的に作られた加工石である。


  A氏(男)は、小学6年生の時に、Z村に、約1年間、住んでいた。 難病を患った母親が長期入院し、Z村に嫁いでいた父親の妹、つまり叔母の家へ、一時的に預けられていたのだ。 叔母には、子供がなくて、A少年は、可愛がられた。 叔母の夫は、農業のほかに、村内の大工仕事を引き受けていて、日曜に仕事があると、A少年を連れて行き、簡単な作業を手伝わせた。 物を運んだり、板を切る時に、押さえていたり、といったレベルの手伝いだったが、A氏にとっては、大変、楽しい思い出となっている。


  A少年は、母親が退院してから、1ヵ月して、自分の家に戻った。 A氏は、その後、高卒で就職し、会社勤めで現役時代を終えた。 平凡だが、真っ当な人生だった。 引退後、閑な生活に入ると、子供の頃に住んでいた、Z村の事を思い出す事が多くなった。 叔母さんも、その旦那さんも、もう、他界していたが、家は、空き家のまま、残っていた。

「何とか、あの家に移り住めないだろうか・・・」

  そんな気になったのは、Z村の住人が、大変、いい人達だった記憶があるからだった。 素朴というほど、素朴ではなかったが、誰を見ても、みんな、いつも、ニコニコして暮らしていた。 仲がいいというのとも違う。 どちらかといえば、人見知りな性格の人が多いのだが、一人一人が、個別に、二コニコしているのだ。

  「二人顔を合わせると、井戸端会議で、ベラベラ喋りまくって、他人の噂話に花を咲かせる」という場面は、見た事がなかった。 みな、控え目で、噂話など、ほとんど、しなかった。 悪口・陰口を全く言わないわけではないが、少し口にすると、止まってしまい、「こういうのは良くないな」と言って、それで終わってしまうのである。

  A少年は、Z村の人達が、短冊くらいの大きさの、白い紙を持って歩いているのを、時折り、見かけた。 家で、叔母さんが、紙に文字を書いているのを、見た事もある。 別に、秘密の内容というわけでもなくて、

「庭で、朝顔が咲きました」

  とか、

「街へ行って、新しい着物を買って来ました」

  とか、

「バスに間に合いました」

  といった、ごくごく、日常的な事が書いてある。 その紙を持って、共同墓地がある、高台に行き、墓地の山側の隅にある、小吉さんに、糊で貼り付けて来るのだ。 貼りに行く日時が決まっているわけではなく、各人バラバラ。 頻度も、毎日行く人もいれば、週に一度、月に一度という人もいる。

  叔母さんの話では、「とにかく、何かいい事があったら、紙に書いて、小吉さんに貼って来る」との事。 理由は、全く分からない。 叔母さんも、旦那さんの母親から、やるように言われ、始めたのだと言っていた。 根拠は分からないが、「貼れば貼るほど、いい事がある」とされているらしい。

  A少年も、小吉さんに行ってみた事があった。 分厚い石碑のような石の、裏側の面に、びっしりと、紙が貼られている。 短冊状の紙の、上の方にだけ、糊を付けるので、下は、ひらひらしている。 雨から紙を守る為に、小吉さんの上には、四本柱の大きな切妻屋根が架けられていた。

  紙に書かれた文を読んでみると、何の捻りもなく、ささやかな、いい事ばかり。

「学校で誉められました」
「大福を三つも食べました」
「風邪が治りました」
「テレビを買いました」

  絵馬や、願かけ石の類いと、決定的に違うのは、全て、すでに起こった事であって、神仏への願い事ではないという点だった。 いい事があった後で、小吉さんへ、報告に来るのである。 叔母さんは、言った。

「Aちゃんも、貼りに行っていいけど、お願い事は、書いちゃ駄目だよ」
「バチが当たるの?」
「そんな事ないけど、小吉さんには、お願い事を聞いてくれる力なんかないから」
「ただの石ってこと?」
「そう。 紙を貼る為の、ただの石だって、お義母さんから言われた」
「貼ってある紙の方が、大事なんだ」
「そう。 Aちゃん、分かりが早いね」

  叔母さんの旦那さんからも、注意があった。

「小吉さんに、お礼紙を貼る時は、他の村の衆に読まれても、嫌な気にさせないような事にしなよ。 『試合で勝った』なんていうのは、よくない。 負けた者も、村の中に住んでるんだからな」

  こう言われて、初めて、A少年は、小吉さんに紙を貼るのが、「お礼」なのだという事が分かった。 子供の感覚では、「学校で誉められた」と、「試合で勝った」は、同じような事だと思ったが、村を離れた後、成長するに従い、その違いが分かるようになった。 人を打ち負かして得られる、誉れや利益は、Z村では、「いい事」の内に入れないのである。

  ちなみに、ここの共同墓地は、よその村のと比べて、全般に手入れが良いのだが、それは、小吉さんに紙を貼りに来たついでに、自分の家の墓も見て行くからだった。 萎れた花や樒が見当たらないばかりか、通路に落ち葉一枚ないのだから、いかに頻繁に、人が来ているかが分かる。

  共同墓地から、一番近い所にある家が、小吉さんの管理をしているという話も聞いた。 一年間、表側に紙を貼ると、次の年には、裏側に貼る。 大晦日に、古い方の片側に貼られた紙を全部剥がし、傍らで、焚き上げる。 石の表面の糊を落とし、新年からは、そちらに貼るようにする、というパターンらしい。 ただし、貼りに来た人は、どちら側に貼っても、罰せられるような事はない。 片面ずつ交互にしているのは、決め事というより、管理の便だった。 両面に貼ってしまうと、年の暮れに貼られた紙は、すぐに剥がされてしまうから、それを避ける為なのだ。

  誰が始めたのかは、村人の誰も知らない。 石の磨耗度合いから推測して、最低でも、400年は続いているのではないかと言われていた。 だが、学術的な調査が行なわれた事は一度もなく、正確な事は分からなかった。 自然発生的な風習ではないのは、他の土地に、類例がない事で分かる。 誰かが、考案したのであろう。 人間社会の仕組みを、よく観察し、よく分析した誰かが・・・。


  さて、50年ぶりに、Z村へ戻りたいと思ったA氏は、叔母さんの婚家の親戚に連絡を取った。 何人かに、芋蔓式に電話をかけて、家の権利を持っている人を探し当てた。 その人、B氏(男)は、すでに、Z村には住んでいなかった。 遠方なので、おいそれとは訪ねて行けない。 A氏が、電話をかけて、家を買い取るか、借りるかしたいと申し出ると、少し年下と思われる、B氏が、笑って言った。

「どちらでもいいですよ。 売るといっても、あんな山奥ですから、100万もいただけないでしょう。 Y市の不動産屋に、相場を訊いてみましょう。 貸す場合でも、月に、1万円くらいでしょうねえ」
「それは、ありがたいです」
「Aさんって、昔、あの家にいて、大工を手伝っていた、小学生でしょう?」
「そうです」
「覚えてますよ。 大人がみんな、誉めてましたから」
「いやあ。 そんなに大した手伝いはできなかったんですが・・・」
「あの頃のZ村は、住みやすかったですよね。 みんな、ニコニコしてて・・・」

  その言葉に、A氏は、引っかかった。

「とおっしゃると、今は、そうでもないんですか?」
「ええ。 10年くらい前に、神社が造られて・・・、というか、小吉さん、ご存知でしょう?」
「はい。 お礼の紙を貼る石でしょう?」
「あれが、なくなっちゃったんですよ。 いや、石はあるんですが、紙を貼ってはいけない事になってしまって・・・」
「どうしてまた、そんな・・・」

  B氏の話によると、10年前、村の元地主の家で、当主が死に、嫁いでいた娘が、夫と共に、実家に戻って来た。 その夫というのが、有名企業で、重役をやっていたという男Cで、すでに、定年退職していたが、権勢欲が衰えず、村の中で、何かしら、重要な地位を務めたいと望んでいた。 しかし、自治会の方は、元から住んでいる者で、ポストが埋まっていて、数年は空きが出る予定がなかった。

  そこで、目をつけたのが、氏子代表である。 奇妙だな。 神社がないのに、なぜ、氏子代表になれるのだ? ところが、強引な奴もいるもので、神社を造り、村人に圧力をかけて、氏子にし、氏子代表に収まってしまったのだ。 金があったからこそ、できた事である。 その男が、最初に目をつけたのが、小吉さんだった。 石に紙がベタベタ貼ってあるのを見て、「汚らしい」と決め付け、村の有力者の家を回って、神社を造る計画を、推し進めたのだ。

「あんな、素性の分からないものを拝んでたんじゃ、村の恥ですよ。 神社を造れば、お祭りもできるし、子供に御神輿を担がせる事もできる。 露店をよんで、賑やかな縁日も楽しめるじゃないですか」

  土地を使わせてくれれば、神社の建設費は、全額出すというので、有力者達も、ついつい、承諾してしまった。 小吉さんの、すぐ隣に、人間がかろうじて入れるサイズの社を建て、鳥居、狛犬、手水舎、石燈籠と、神社アイテムを揃えた。 絵馬掛けも作り、絵馬を一枚、500円で無人販売した。

  小吉さんは、お礼の紙を全て剥がされ、石だけになった。 男Cが、撤去すると言っていたのを、村人が、「邪魔にならないから」と言って守ったが、男Cは、「その代わり、紙は貼らない事」という、理由も根拠もない条件を出して、村人に呑ませてしまった。 「あいつは一体、何様だ!」と怒る者もいたが、前述したように、Z村では、怒り、恨み、憎しみ、妬みなど、悪い感情が持続しないのである。 その結果、都会の大企業で、他人を踏み台にして生きて来た、面の皮が分厚い男Cに、いいように圧倒されてしまったのだ。

「Cの奴、小吉さんの事が、全く分かっていなかったみたいです。 他の者が説明しようとしても、『そんな土俗信仰の話は、よそでやってくれ』と言って、聞こうとしないんです。 よくある願かけ石だと思っていたらしくて、絵馬の方が、見栄えがいいから、そちらを買えと言うんです」
「それで、どうなったんですか?」
「誰も、500円も出して、絵馬なんか買いません。 家にある普通の紙と糊で貼れるから、小吉さんに貼りに行っていたわけでして」
「分かります」
「それだけなら、絵馬が売れないだけで済んだんですが、小吉さんに紙を貼れなくなってから、村の中の雰囲気が、ギスギスし始めましてね」
「分かります」

  A氏には、直感的に、Z村で、小吉さんが果たしていた役割を理解する事ができた。 「小さな、いい事」のお礼を、みんなで、小吉さんに持ち寄り、「自分も、他の人達も、小さな幸せを享受しながら、暮らしているだ」と認識する事で、村人全員の心の平安が保たれていたのだ。 男Cは、そんな事を知ろうともせずに、下劣な権勢欲で、優れた風習を蹂躙してしまったのである。

  男Cが、神社建設の利点として挙げていた、お祭りも、最初の2年はやったが、3年目には、子供が減って、できなくなってしまった。 小学生の子供がいる家族が、「こんな嫌な雰囲気の環境じゃ、子育てができない」といって、続々と出て行ってしまったからである。 子供が同居して、老後の面倒を見てくれると思っていた親達は、ガックリと肩を落とした。 誰のせいだ? そんなの、決まってる!

「今、Z村へ行くと、ニコニコしている人は、一人もいませんよ。 二人集まれば、悪口や陰口ばかり、叩き合ってます」
「そんな事になっているとは、知りませんでした」
「昔の事を知っている年寄りは、小吉さんのお礼紙だけでも、復活させたいと思っているようですが、意固地になったCの奴が、毎朝、見回っていて、紙が貼ってあると、剥がしてしまうらしいんですよ」
「困った人ですねえ」

  そういう事情を聞いて、A氏のZ村移住計画は、一旦、白紙に戻った。 村人の人柄がいいから、住みたいと思ったのであって、そうでないのなら、わざわざ、山奥に住む理由はないのだ。


  2年後、B氏から、電話があった。

「こういう事は言ってはいけないとは思うんですが・・・」

  と、いかにも、Z村出身者らしい後ろめたさを発散させながら、B氏は言った。

「Cの奴、死にました」
「そうですか・・・」
「だいぶ前から、『村人から、命を狙われている』という被害妄想が出ていたようなんですが、生垣を壊して、高い石塀を造ったり、その上に、ガラスの破片を埋め込んだり、隣家が植木を消毒していると、警察を呼んだり、悪化する一方だったらしいです」
「つくづく、困った人ですねえ」
「先週の事ですが、土蔵から、日本刀を持ち出して、大声で喚きながら、門の前で振り回していたらしいんです。 その時、手元が狂ったのか、わざとなのか知りませんが、首筋を深く切りましてね。 救急車が着いた時には、もう、冷たくなっていたという話です」


  A氏は、電話の翌日に、Z村へ出かけて行った。 叔母の婚家は、まだ、しっかりと建っていた。 しかし、今日の目的地は、ここではない。 山の中腹の高台にある、共同墓地に向かった。 神社が目に入ったが、鳥居は傾き、石燈籠は火袋が潰れ、絵馬掛けは倒れていた。 社は、10年しか経っていないとは思えないほど、ヤレていた。 早晩、崩れ去るであろう。

  小吉さんは、あった。 Cが死んで、十日ほどしか経っていないのに、無数のお礼紙が貼られていた。 A氏がいる間にも、老若男女が続々と、手に手に紙を持って、小吉さんに貼りに来た。 年寄りの中には、涙をぬぐっている者もいた。 この日に貼られたお礼紙の九割は、同じ内容だった。

「鬼が死にました」

  こういう事は書いてはいけないのだが、しばらくの間は、許されるであろう。


  その後、A氏は、家族を連れて、Z村に移住し、B氏の家族も戻って来た。 Z村の人口は、最盛期と並ぶまでに回復した。 みんな、小吉さんに通い、お礼紙を貼って、ニコニコしながら、暮らしている。


  Cの遺骨は、共同墓地の墓に納める事を、自治会から拒絶され、Cの実家の墓に入れられた。 Cが造った神社は、完全に撤去され、跡形も残っていない。 C以外、一人の信者もいなかったのだから、祟りを畏れる者もいなかった。 所詮、人が造ったものなのだ。