2024/03/24

実話風小説 (26) 【日記】

  「実話風小説」の26作目です。 1月下旬後半に書いたもの。 毎月、月末が近づくと、気分が重くなります。 つまり、私は、小説を書く事を、楽しんでいないんですな。 美術や音楽など、芸術全般に言える事ですが、年柄年中、産みの苦しみ、四苦八苦して、作品を捻り出しているなんてーのは、その分野に向いているとは言えません。 まず、なによりも、芸術活動をしている時が、楽しいと感じられなくては・・・。




【日記】

  中学生のA君は、転校生だった。 なぜ、「A氏」や「男A」と書かないかというと、大人になってからのA君は、登場しないからだ。 その中学にいたのは、2年生の4月初めから、10月末までの7ヵ月間だけ。 11月から、父親の仕事の関係で、また、転校して行った。 以降、消息が知れない。 だから、彼は、関係者の間で、ずっと、「A君」のままなのだ。

  A君は、大人しい性格で、自分から喋る事は、あまりなかった。 どうせ、短期間しかいないから、友達を作ろうという気にならないのだろう。 これは、A君だけでなく、転校を繰り返している子供全般に見られる傾向なのかも知れない。 目立つ事をすると、元からいた子供達の人間関係に影響を与えて、恨みを買う恐れがある。 それを警戒しているのだ。 極力、おとなしくして、存在感を消している方が、無難なのである。

  友達というわけではなかったが、A君の家を訪ねた者がいた。 A君が所属した部活、「文芸部」の部員5名である。 文芸部と言っても、主な活動は、図書室での、読書。 読み終わると、感想文を書く。 その程度である。 部員数は、A君を入れて、6人だった。 スポーツに力を入れている学校で、文科系は、あまり人気がなかった。

  10月初めに、文化祭があり、図書室を展示室にして、活動内容の発表をする事になっていた。 その準備作業をする為に、土日に、部員の家に集まる事になり、4軒目に、A君の家に、番が回って来たのだ。 訪ねて来た5人の内訳は、3年生が女子二人、2年生が男子一人、1年生が男女二人。

  A君の父親の会社が借り上げている、一戸建ての社宅で、二階建てだったが、使っている部屋は、一階の3部屋だけで、家具が少なかった。 引っ越しが多いから、家財を少なくしていたのだろう。 その家具も、組み立て家具ばかり。 しかし、組み立て家具の中では、高級な部類を選んであり、趣味の良さが感じられた。

  A君の部屋に通された部員達の目を引いたのは、組み立て家具の本棚に、二段を占めて陳列された、フィギュア・コレクションだった。 ざっと見て、100体くらい。 以前、フィギュアのメーカーがある地方都市に住んでいた事があり、安く手に入ったので、揃えたのだという。 アニメのキャラクターが多くて、中学生の目を引きつけるには、余りある魅力があった。

  フィギュアの段の下に、大学ノートが、数十冊並んでいるのに気づいたのは、同じ、2年生の男子、B君だった。

「このノートは、何?」

  A君は、さらっと答えた。

「それは、日記」
「へえ。 いつ頃から、書いてるの?」
「小学5年の時から」

  訪ねて来た一同、ビックリした。

「ええっ! たった3年で、こんなに書いたの!?」

  全員、文芸趣味なので、日記は書いていたが、一日に数行程度が普通で、大学ノートに換算すると、一年に、1・2冊程度だ。 3年分でも、10冊も行かない。 ところが、A君の日記は、少なく見ても、30冊はあるのだ。

「ちょっと。 ちょっとだけ、開いてみてもいい? 読まないから」
「いいよ」

  B君が、一冊抜いて、開いてみた。 几帳面な文字で、ビッシリ書き込まれている。 一日分で、2ページから、3ページくらい。 部員達は、感嘆の声を上げた。

「凄いな、これは」
「A君、作家になれるんじゃないの?」

  A君は、照れ臭そうな顔を見せたのも一瞬、すぐに、いつもの穏やかな無表情に戻った。 そこへ、A君の父親が、お盆に、飲み物と、菓子を載せて、持って来た。 痩せ型で、中背。 眼鏡を掛けていて、知的な感じのする人物だった。

「どうぞ。 召し上がって下さい」
「ありがとうございまーす!」

  父親は、A君に言った。

「この部屋じゃ狭いだろう。 何か作業をするなら、二階を使ってもいいぞ」
「うん。 分かった」

  出された物を飲み食いした後、一同、二階に移動した。 作業をする為の、テーブルが二つ、父親の手で、運び上げられていた。 これらも、組み立て家具で、丈夫だが、軽い素材で出来ていた。 二階の空き部屋には、エアコンがあり、父親は、部屋を冷やしておいてくれた。 部員達は、本心から、こう言った。

「いい、お父さんだね」
「・・・、うん」

  A君の表情は、沈んでいた。 父親について、あまり話したくないようだった。


  週明けの月曜日。 文芸部の部員で、同学年のB君は、A君とは、別のクラスだった。 同級の友人に、A君の家へ行った事を、何の気なしに喋ったところ、近くにいた、他の同級生達が聞きつけて、口を挟んで来た。

「Aって、あの、転校生の、暗い奴?」
「いや、別に、暗くはないよ。 おとなしいだけで」
「そおかあ? ほとんど、喋らないらしいじゃないか」
「文芸部では、普通に、喋るよ」
「文芸部って、あの、女が不細工なのばっかりの?」
「そういう事、言うなよ」
「ひゃはははは!!」

  このやりとりを聞けば分かると思うが、B君以外は、文化とは無縁の、クソガキばかりなのである。 大抵、体育会系のクラブを隠れ蓑にしているが、物事の捉え方・考え方は、不良と大差ない。 みんな、同じ制服を着ているから、外見的に見分けられないというだけで、もう、中学生くらいで、どういう人間になって行くかは、はっきり、分かれているものなのだ。

  A君の家の話になり、B君は、個人情報の漏洩になってしまいかねないのを警戒しつつも、A君が変な人間ではない、むしろ、敬意を払うべき人間である事を、クソガキどもに訴えようと思って、おおまかな事を語った。 組み立て家具の話とか、フィギュアの話とか、日記の話も・・・。

  B君が、後々、悔やみ続けるのは、その時、日記の事まで、喋ってしまった事である。 一日に、大学ノート、2・3ページも日記を書けるA君を、誰でも凄いと思うだろうと思って、言い添えたのだが、文化と無縁のクソガキどもには、そんな感覚は、薬にしたくも、持ち合わせがなかったのだ。


  その翌日、A君は、B君のクラスの男子生徒、CとDに、廊下で、突然、話しかけられた。

「Aだろ」
「ああ。 誰?」
「Z組の、Cと、Dってんだけど」
「ああ。 何?」
「フィギュアのコレクション、してるんだって?」
「ああ」
「俺ら、興味あるんだけど、見せてくんないかな」
「コレクションて言っても、R社のしか、もってないけど」
「それそれ。 R社のコレクションが見たいんだよ」

  Cは、ガサツな印象が強く、Dは、Cの腰巾着のよう、いずれも、フィギュアに興味があるような感じはしなかった。 しかし、ここが、転校を繰り返している子供の弱点で、同級生が、自分の趣味に興味があると思うと、拒めないのである。 どんなに大人びた子供でも、寂しさを紛らわせてくれるものには、縋ろうとしてしまうのだ。

  その場で話が決まり、その日の放課後に、A君は、CとDを、家に連れて行った。 A君のフィギュア・コレクションは、誰が見ても、見入ってしまうようなレベルだったので、CとDの反応も、不自然ではなかった。 フィギュアを陳列してある本棚には、ガラス戸が入っていた。 案の定、Cが、「触ってもいい?」と訊いて来たが、A君は、「壊れ易いから」と言って、断った。 Cも食い下がったりはしなかった。 A君の家を訪ねて来たのには、別の目的があったからである。

  A君の日記は、すぐに見つけられた。 別に、隠してあるわけではないからだ。 A君が、飲み物を用意しに、台所へ立った隙を突いて、Cは、真ん中あたりのノートを引き出し、ページを開けた。 Dが、持って来たデジカメで、見開き2ページを、1枚で撮影する。 ページをめくり、撮影して次へ、また、次へ。 見張りをしていたCが、A君が戻って来た事を知らせ、一旦、終了。 大急ぎで、ノートを棚に戻した。 

  二人は、相変わらず、フィギュアを見ていた。 飲み物を勧められると、遠慮なしに、飲んだ。 Cは、ほとんど、喋らず、専ら、アニメの知識がある、Dが、フィギュアの元になったアニメについて話をした。 A君も見ていた作品があり、Dとの間で、話が盛りあがる場面があった。 A君は、話に入って来ないCを気にして、

「見ていたアニメはないの?」

  と訊いたが、Cは首を横に振っただけだった。 Dが、代わりに答えた。

「Cは、小学校の頃から、野球部だったから、テレビを見る暇がなかったんだ」

  Dとの間で、アニメの話は盛り上がったが、そこから、フィギュアの話に発展するという事はなかった。 ちなみに、同じ作品が元になっていても、アニメ・ファンと、フィギュア・ファンは、別物である。 A君は、「この二人は、別に、フィギュア・ファンというわけではなさそうだ」と思ったが、何も言わなかった。

  その後、Cが庭を見せて欲しいと言いだし、A君が案内に立った。 中学生に、庭が分かるわけがないのだが、A君の父親が、プランターで草花を育てており、「ふーん」と言いながら、見て回る口実にはなったのだ。 もちろん、その間に、Dは、日記の続きを、撮影していた。 二人が戻って来るまでに、撮影できたのは、先のと合わせて、20ページ分だった。


  文化祭は、恙なく済んだ。 そして、10月末、A君は、また、転校して行った。 最後の登校日の前日に、文芸部の部員を家に呼び、一人に一体ずつ、フィギュアを選ばせて、それをくれた。 女子達は、感極まって、涙を浮かべていた。 みんな、読書家なので、小説の一場面を体験しているかのように感じていた。 

  最後の登校日、A君は、Z組を訪ねて、Dに声をかけた。 Dは、罰が悪そうな顔をした。

「なに?」
「俺、今日で終わりで、転校するから、これをやるよ」

  それは、A君の家を訪ねた時に、Dが語っていたアニメに出て来る、ロボットのフィギュアだった。 Dは、一瞬、目を輝かせたが、たちまち、狼狽して、激しく首を横に振った。 

「そんなの、もらえない!」
「だって、これのアニメ、好きなんだろ?」
「だけど、だけど、そんな貴重な物、もらえない!」
「そんなに高かったわけじゃないんだよ。 好きな人がもっていた方が、フィギュアも喜ぶし」
「そう? それなら・・・」

  Dは、手を震わせながら、フィギュアを受け取った。 傍から見ると、その表情は、複雑にくるくると変化していた。 何に葛藤しているのだろう?


  A君が、転校してから、二日後、Cが、20枚のコピー用紙に印刷した、A君の日記を、学校に持って来た。 クラスの中で、仲がいい連中を呼び集め、顔を寄せ合って、読み始めた。 B君がいたら、止めただろうが、あいにく、その日は、風邪を引いて、休んでいた。 この閲覧会に加わったのは、Cを含めて、4人である。 なんだか知らないが、秘密めいた文章を読む、野次馬根性を抑えられなかった連中である。 Dは、入っていなかった。

  最初、ニヤニヤしながら、読んでいた面々だが、次第に、笑いが消えて行った。 日記の内容が、深刻だったからだ。 日記の日付は、2年前の冬。 転勤ばかりの生活に嫌気がさしていたA君の母親が、街でばったり、昔の彼氏に出会い、何回か会った後、不倫関係になった事。 父親にバレて、罵り合いの喧嘩が繰り返された事。 母親が出て行ってしまった事。 そういった事が、間接的にだが、切々と書き記してあった。 A君の苦しい胸の内の吐露を交えながら・・・。

  読んでいた4人の内、一人だけ、読書習慣があった、Eが、途中で、声を上げた。

「駄目だ、駄目だ! こんなもの、他人が読むもんじゃない! お前ら、これを、どこから、持って来たんだ!?」
「お前らって、Cが持って来たんだよ」
「こりゃ、誰の日記だ!?」 

  Cが、不貞腐れたように答えた。

「Y組にいた、Aって奴のだよ。 大丈夫だ。 もう、転校しちまったんだから」
「お前、ここへ持って来る前に、これを一度、読んでるんだろ? 他人に読ませるようなもんじゃないって、判断できなかったのか?」
「偉そうな事、言うな! 何様だ!」
「お前こそ、何様だ! 他人の日記を読むなんて、まともな人間のやる事か!!」

  EとCを残して、他の者は、散ってしまった。 そこへ、次の授業の、古文の教師がやって来た。

「何を揉めてるんだ?」

  Eが、事情を話した。 古文の教師は、Cから、20枚のコピー用紙を取り上げた。 ざっと、2・3枚に目を通してから、閉じた。

「これは、C君の日記じゃないんだね」

  Cは、不敵に笑いながら、言った。

「俺は、そんなに、暗くないですよ」

  どうやって、手に入れたのか訊かれて、Cは、やった通りの事を、正直に話した。 さほど、悪い事をしたとは思っていないようだ。 撮影係を担当したDは、ずっと、下を向いていた。 Cの口から自分の名前が出ると、ビクリと震えたが、顔を上げなかった。 古文の教師は、それ以上、騒がず、「これは、預かっておくから」と言って、日記を取り上げ、授業を始めた。


  この問題は、職員会議に付せられた。 教師なので、全員、日記はつけている。 話を聞いて、ゾーーーッとした。 日記を盗み撮りされて、学校で晒し物にされたのでは、たまったものではない。 校長も、震え上がった。

「その、Cって子は、普段から、素行に問題があるの?」

  野球部の顧問をしている体育教師が、答えた。

「一学期の半ば頃まで、野球部で、レギュラーだった生徒です。 5月に転校して来た他の生徒に、うまいのがいて、Cは、ショートのポジションをとられてしまったんです。 守備も打撃も、実力差が大きかったから、致し方なかったんですが・・・。 で、Cに、ライトに入るか訊いてみたんですが、小学校の頃から、内野手で、プライドがあるから、ライトなんて、恥曝しだと言って、野球部をやめてしまったんです」

  教師達は、頷いた。

「それで、転校生を目の敵にするようになったのかな」
「それにしても、A君は、災難だな。 野球部とは、何の関係もないのに」

  校長が言った。

「野球部での事情は事情として、これは、A君の保護者に、報告した方がいいね。 読んだだけの3人は、担任の先生から、内容を口外しないように、言っておいて下さい。 C君とD君には、私が直接、話をします」

  A君の父親は、海外に転勤していた。 もちろん、A君も同行していた。 国際電話をかけ、事情を話したところ、その返答は、

・ 承知したので、日記の写しは、シュレッダーにかけるなり、焼却するなり、学校で責任を持って、処分して欲しい。 元の写真データが残っているなら、それも、消去して欲しい。
・ 盗み撮りした二人には、相応の教育的処置を与えてくれれば、それで良い。
・ 息子は、C君はともかく、D君については、友達に近い印象を持っているようだから、傷つけないように、この件は、伝えないでおく。

  というものだった。 この返答は、校長の口から、文面通り、CとDに伝えられた。 Dは、真っ青になっていた。 Cは、相変わらず、不貞腐れたような顔だ。 口答えこそしないが、素直に非を認める気など、更々、ないらしい。

「はい、分かりました。 もう、しません。 これでいいすか?」

  校長は、それ以上、言わなかった。 腹の内では、Cの事を半ば見放していた。 こんな子供は、何人も見て来た。 ちょっとしたきっかけで、世を拗ねて、道をどんどん、踏み外して行ってしまう。 かといって、Cを救う為に、野球部に復帰させて、ショートのポジションを与えてやるのは、教育の本道ではあるまい。 Cが立ち直れるかどうかは、C自身にかかっているのだ。

  小学生の頃から、スポーツ一本で押して来た生徒には、「スポーツさえやっていれば、評価される」という錯覚がある。 そして、一本しかない道は、一度、踏み外すと、もう戻れないのである。 文科系の校長は、改めて、体育会系部活の功罪について、考えさせられた。 様々な事に興味を持っていれば、人生の可能性が、ずっと広がるのに・・・。


  校長が、他に打ち込める事を見つけてやろうと、あれこれ、骨を折ったにも拘らず、Cは立ち直れなかった。 高校受験にすら失敗し、不良化してしまった。 お定まりのパターンで、家から金を持ち出し、遊興施設で使いまくった。 18歳で、チンピラの子分になり、19歳の時、相手もあろうに、暴力団員に喧嘩を吹っかけて、逆に刺されて、死んでしまった。

  成人式で、その話を聞いた、Bや、Eは、眉を顰めながら、「あんな奴じゃ、そんな死に方も、仕方がない」と、秘かに語り合った。 他人の日記を盗み撮りして来て、公の場で読むなど、常識がある者には考えられない所業である。 Cに対する、軽蔑のメーターは、針をマックスまで振り切ったまま、少しも戻っていなかった。


  Dは、日記の一件以降、Cとは、縁を切っていた。 Cに唆されて、軽いノリで撮影役を引き受けたものの、転校直前のA君からフィギュアを贈られて、大いに反省し、写真データを、Cに渡すのを渋った。 喧嘩になって、Cに何発か殴られ、根性なしの事とて、データを渡してしまった。 そういう経緯があったから、日記の閲覧会には、加わっていなかったのだ。

  一件以降、腰巾着的なポジションを避けるようになり、次第に、自立意識が芽生え、大人になる頃には、自信がついて来た。 何事にも、積極的に取り組むようになり、勤め先では、昇進。 恋愛し、結婚し、子供もできた。 ローンで、家も買った。 一見、順調な人生のように思えた。 しかし、A君への罪の意識は、Dの心の片隅に、ずっと居座り続けていた。

  36歳の時、勤め先で、リストラに遭い、解雇こそ免れたものの、平社員に降格されてしまった。 うつ症状が出て、次第に悪化し、自宅療養する事、2ヵ月。 ある日、小6と小4の息子が、喧嘩を始めた。 兄が、弟の日記を読んで、からかったというのだ。 弟は、泣きながら、怒っていた。 Dは、上の子を叱った。

「馬鹿っ! 人の日記を読む奴があるか! そんなのは、人間のクズがやる事だ!」

  その三日後、Dは、首を括って、自殺した。 自分の言葉に、トドメを刺されたのである。

  A君からもらったロボットのフィギュアは、プレミアがついて、50万円近い価格になっていた。 稼ぎ手を失ったDの家族が食い繋ぐのに、少しだけ、役に立った。