パソコン・ネット関連機器 ③
日記ブログの方に書いた記事。 パソコン・ネット関連機器の変遷史として、何回分か書いたものを、こちらにも、転載します。 今回から、パソコン本体に入りますが、記事が長いので、一台分ずつ、出します。
【2023/10/24 火】
さて、いよいよ、歴代パソコンの話になります。
2001年の4月末、いよいよ、他の趣味に飽きてしまった私は、最後にやろうと思っていた、パソコン、及び、インター・ネットに手を出す事に決めました。 まずは、パソコンを買わなければなりませんが、基礎知識すら怪しく、最新情報に至っては、何も知りませんでした。 本屋や図書館へ行って、雑誌を読み、≪PCカタログ≫というムック本を買って、機種を決めました。
5月2日、最初に買ったのは、COMPAQ(コンパック】の、「Presario(プレサリオ) 3200シリーズ 3TO330」でした。 当時、TOKIOが、コンパックのCM・キャラクターをやっていたのですが、テレビCMは、見た事がありませんでした。 OSは、「Windows Me」。 CPUは、733MHz。 メモリーが、64MB。 HDDが、40GB。 CD-R/RWドライブと、フロッピー・ドライブが付いていました。
買ったのは、沼津市の家電量販店、ノジマの昔の店舗でした。 その後、ノジマは、南へ移転し、元の建物は、今は、セリアになっています。 パソコン本体が、8万円。 これに、三菱の、14インチ・液晶モニター、「Diamondcrysta RDT1425」、6万円を組み合わせました。
店内に、コンパック製品を集めたコーナーがあって、そこには、コンパック製のCRTモニターが置いてありましたが、私は、カラー表示が基本のパソコンで、CRTモニターを使う気はありませんでした。 店員に、パソコンは本体だけにして、液晶モニターと組み合わせたいと言ったら、その店員は、「ああ、そういうのも、アリか・・・」と、ぼそりと言っていたのですが、一週間後、周辺機器を買いに、その店に行ったら、コンパック・コーナーに、別会社の液晶モニターが置いてありました。 私に言われて、その方が売れそうだと、気づいたのでしょう。 もう、22年も前の事なのに、どうも、つまらない事を覚えているものです。
スリム・タワー型のパソコンは、自室の折り畳み机の奥に設置し、その前に、モニターを置き、机の板の上に、キー・ボードを置くようにしました。 モニターは、スタンドを外して、自作の台の上に立て掛けていました。 キー・ボードも立て掛けて、机の板を折り畳めるようにしていました。 今でも、そのレイアウトを維持していますが、引退以降は、机の板を折り畳む事は、ほとんど、なくなりました。
この配置だと、パソコン本体は、モニターの後ろに隠れてしまって、ほとんど、見えませんが、電源ボタンに手が届けばいいだけの事なので、不便はありませんでした。 CDドライブと、フロッピー・ドライブが付いていて、一応、ディスク・トレイを出し入れできるようにしてありましたが、使う事は、ほとんど、ありませんでした。
インター・ネットの方ですが、クレカを持っていなかったので、プロバイダーの申し込みは、申請書の郵送で行ないました。 開通するまでは、パソコンは、使いようがなく、OSに入っている、ゲームをやっていました。 テレビ・ゲームと比べると、恐ろしいまでに、つまらなかったです。 一ヵ月くらいで、ダイヤル・アップ回線が開通。 プロバイダーは、DIONでした。 現、au。
ようやく、インター・ネットを始めたのですが、1ヵ月に30時間の制約があり、一日あたり、約1時間。 あまりにも、短くて、「こりゃ、駄目だ」と、ダイヤル・アップに見切りをつけ、フレッツADSLに切り替えました。 7月初めから、フレッツADSLになり、容量無制限で使えるようになります。 当時は、まだ、動画の時代ではなく、パソコン自体が、動画を処理できる能力がなくて、容量無制限の恩恵は、知れていましたが、まあ、普通に使えるようになったわけです。
それに先立ち、やった事があります。 フレッツのモデムは、LAN接続なので、パソコンから、モジュラー・ケーブル用のボードを外し、別買いした、LANボードを付けて、LAN化しました。 他に、当時やる人が多かった、メモリーの増設も行ないました。 私は、パソコンに詳しいわけではなく、よくもまあ、腹を開けて、あんな事をやったものだと思います。 LANボードは、3000円でしたが、256メガのメモリーは、7500円もしました。 高い。
で、インター・ネットを始めたわけですが、最初は、よそを見るだけ。 その内、書き込みも始めましたが、どうも、ネット上には、ろくでなしが多いという事が分かり、公共掲示板からは、距離をおくようになりました。 夏頃から、亀関係の個人サイトを訪ねるようになり、そちらは、割と良識的な人が多かったので、頻繁に交流するようになりました。 10月には、自分で、≪換水録≫という、亀サイトを立ち上げます。
翌2002年の4月末に、居間に、別のパソコンを買って、両親用にしました。 ところが、父が、自室にばかりいて、居間に下りて来ないので、12月末に、自分のパソコンを新しく買い、最初に買ったプレサリオを、父の部屋に移しました。 父の部屋は、元は、兄の部屋で、私の部屋にある折り畳み勉強机と同じ物があったので、移すのは、簡単でした。
つまり、私の部屋にあったのは、1年8ヵ月という短さでした。 父が、3年くらい使い、その後は、死蔵という事になります。 2014年に、撤去し、自室の天袋へ。 2015年の10月に、二台目のワープロと共に、ネットオフのパソコン引き取りサービスで、引き取ってもらいました。 父の部屋から撤去する時に、電源を入れてみたのですが、問題なく使えたと思います。
私が、早々と手放してしまったのは、OSが、「Windows Me」で、使える漢字が少なく、2002年の秋頃から作っていた、「日→中 漢字読み替え表」の為に、「Windows XP」にする必要があったからです。 今から思えば、大した理由ではなかったのですが。
このパソコンを引き継いだ父は、白内障手術の闘病記を書く程にまで、キー・ボードに馴染みましたが、その後、飽きてしまったようで、まったく電源を入れないまま、歳月が過ぎて行きました。 私が、父の部屋から撤去するまで、10年も眠っていた事になります。
≪写真1左≫
自室にあった頃。 自分の亀サイト、≪換水録≫が、モニターに映っているので、2001年10月以降の様子です。
≪写真1右≫
キー・ボードは立て掛けられるようになっていました。 使わない時には、埃除けに、机の板を折り畳んでいました。
≪写真2左≫
取説。 パソコンの取説なんて、ほとんど、参考になりませんな。 まだ、どこかに保存してあるかも知れませんが。
≪写真2右≫
アプリケーション・ソフト。 2000年代初頭頃までは、パソコンを買うと、こういったソフトが、オマケで、ごそっと付いて来ました。 家計簿とか、年賀状印刷とか、そんなもの。 画像加工ソフトだけは、今でも、使っています。
≪写真3左≫
別買いした、増設用メモリーの外箱。 パソコン・ショップで、7500円。 パソコンを買った時に付いたポイントを使ったから、払ったのは、2500円でしたが。
≪写真3右≫
メモリー本体。 パソコンの腹を開け、これを、空いているメモリー・スロットに付けると、反応速度が速くなるというもの。 最初だけは、速くなったような感じがしましたが、すぐに慣れてしまい、何とも思わなくなりました。 「メモリー増設 → 速くなる」というのは、都市伝説の類いだった可能性が濃厚です。
≪写真4左≫
右の箱は、LANボードのもの。 パソコンのメーカー指定の、別会社品でした。 パソコン・ショップで、3000円。 運がいいというか、取り寄せてもらったわけではなく、これ一つだけ、棚にあったのです。
左の部品は、元からパソコンに付いていた、モジュラー・ケーブル・ボードです。 2001年春頃だと、まだ、ダイヤル・アップが、主流だったんですな。 2002年12月に買った、三台目のパソコンでは、最初から、LANボードが付いていました。
≪写真4右≫
2002年の12月、父の部屋に、移しました。 モニターは、グリーンハウスの、15インチ・液晶モニター。 沼津のノジマで、32800円でした。 私が使っていた、三菱の14インチが、6万円したのと比べると、たった、1年半で、随分と安くなったものです。
≪写真5≫
2015年10月。 ネットオフに引き取ってもらう寸前に、撮った遺影。 本体には触らないから、汚れる事はなく、新品同様でした。 性能的には、もはや、使えるものではありませんでしたが。 2007・8年頃が境だと思うのですが、パソコンは、動画対応しているかどうかで、画期が出来ました。 動画対応していないと、今、使うのは、かなり、厳しいですな。
ちなみに、コンパック社は、アメリカの会社ですが、私が買った直後に、同じアメリカの会社、ヒューレット・パッカードに吸収合併されて、なくなってしまいました。 呆気ない。
2001年頃に作られた、2時間サスペンスを見ると、オフィスの場面で、プレサリオ・シリーズが出て来る事があります。 デザインに特徴があるから、すぐに分かるのです。 懐かしいですが、自分で使っていた期間が短かったせいで、あまり、深い感慨はありません。
【2023/10/24 火】
さて、いよいよ、歴代パソコンの話になります。
2001年の4月末、いよいよ、他の趣味に飽きてしまった私は、最後にやろうと思っていた、パソコン、及び、インター・ネットに手を出す事に決めました。 まずは、パソコンを買わなければなりませんが、基礎知識すら怪しく、最新情報に至っては、何も知りませんでした。 本屋や図書館へ行って、雑誌を読み、≪PCカタログ≫というムック本を買って、機種を決めました。
5月2日、最初に買ったのは、COMPAQ(コンパック】の、「Presario(プレサリオ) 3200シリーズ 3TO330」でした。 当時、TOKIOが、コンパックのCM・キャラクターをやっていたのですが、テレビCMは、見た事がありませんでした。 OSは、「Windows Me」。 CPUは、733MHz。 メモリーが、64MB。 HDDが、40GB。 CD-R/RWドライブと、フロッピー・ドライブが付いていました。
買ったのは、沼津市の家電量販店、ノジマの昔の店舗でした。 その後、ノジマは、南へ移転し、元の建物は、今は、セリアになっています。 パソコン本体が、8万円。 これに、三菱の、14インチ・液晶モニター、「Diamondcrysta RDT1425」、6万円を組み合わせました。
店内に、コンパック製品を集めたコーナーがあって、そこには、コンパック製のCRTモニターが置いてありましたが、私は、カラー表示が基本のパソコンで、CRTモニターを使う気はありませんでした。 店員に、パソコンは本体だけにして、液晶モニターと組み合わせたいと言ったら、その店員は、「ああ、そういうのも、アリか・・・」と、ぼそりと言っていたのですが、一週間後、周辺機器を買いに、その店に行ったら、コンパック・コーナーに、別会社の液晶モニターが置いてありました。 私に言われて、その方が売れそうだと、気づいたのでしょう。 もう、22年も前の事なのに、どうも、つまらない事を覚えているものです。
スリム・タワー型のパソコンは、自室の折り畳み机の奥に設置し、その前に、モニターを置き、机の板の上に、キー・ボードを置くようにしました。 モニターは、スタンドを外して、自作の台の上に立て掛けていました。 キー・ボードも立て掛けて、机の板を折り畳めるようにしていました。 今でも、そのレイアウトを維持していますが、引退以降は、机の板を折り畳む事は、ほとんど、なくなりました。
この配置だと、パソコン本体は、モニターの後ろに隠れてしまって、ほとんど、見えませんが、電源ボタンに手が届けばいいだけの事なので、不便はありませんでした。 CDドライブと、フロッピー・ドライブが付いていて、一応、ディスク・トレイを出し入れできるようにしてありましたが、使う事は、ほとんど、ありませんでした。
インター・ネットの方ですが、クレカを持っていなかったので、プロバイダーの申し込みは、申請書の郵送で行ないました。 開通するまでは、パソコンは、使いようがなく、OSに入っている、ゲームをやっていました。 テレビ・ゲームと比べると、恐ろしいまでに、つまらなかったです。 一ヵ月くらいで、ダイヤル・アップ回線が開通。 プロバイダーは、DIONでした。 現、au。
ようやく、インター・ネットを始めたのですが、1ヵ月に30時間の制約があり、一日あたり、約1時間。 あまりにも、短くて、「こりゃ、駄目だ」と、ダイヤル・アップに見切りをつけ、フレッツADSLに切り替えました。 7月初めから、フレッツADSLになり、容量無制限で使えるようになります。 当時は、まだ、動画の時代ではなく、パソコン自体が、動画を処理できる能力がなくて、容量無制限の恩恵は、知れていましたが、まあ、普通に使えるようになったわけです。
それに先立ち、やった事があります。 フレッツのモデムは、LAN接続なので、パソコンから、モジュラー・ケーブル用のボードを外し、別買いした、LANボードを付けて、LAN化しました。 他に、当時やる人が多かった、メモリーの増設も行ないました。 私は、パソコンに詳しいわけではなく、よくもまあ、腹を開けて、あんな事をやったものだと思います。 LANボードは、3000円でしたが、256メガのメモリーは、7500円もしました。 高い。
で、インター・ネットを始めたわけですが、最初は、よそを見るだけ。 その内、書き込みも始めましたが、どうも、ネット上には、ろくでなしが多いという事が分かり、公共掲示板からは、距離をおくようになりました。 夏頃から、亀関係の個人サイトを訪ねるようになり、そちらは、割と良識的な人が多かったので、頻繁に交流するようになりました。 10月には、自分で、≪換水録≫という、亀サイトを立ち上げます。
翌2002年の4月末に、居間に、別のパソコンを買って、両親用にしました。 ところが、父が、自室にばかりいて、居間に下りて来ないので、12月末に、自分のパソコンを新しく買い、最初に買ったプレサリオを、父の部屋に移しました。 父の部屋は、元は、兄の部屋で、私の部屋にある折り畳み勉強机と同じ物があったので、移すのは、簡単でした。
つまり、私の部屋にあったのは、1年8ヵ月という短さでした。 父が、3年くらい使い、その後は、死蔵という事になります。 2014年に、撤去し、自室の天袋へ。 2015年の10月に、二台目のワープロと共に、ネットオフのパソコン引き取りサービスで、引き取ってもらいました。 父の部屋から撤去する時に、電源を入れてみたのですが、問題なく使えたと思います。
私が、早々と手放してしまったのは、OSが、「Windows Me」で、使える漢字が少なく、2002年の秋頃から作っていた、「日→中 漢字読み替え表」の為に、「Windows XP」にする必要があったからです。 今から思えば、大した理由ではなかったのですが。
このパソコンを引き継いだ父は、白内障手術の闘病記を書く程にまで、キー・ボードに馴染みましたが、その後、飽きてしまったようで、まったく電源を入れないまま、歳月が過ぎて行きました。 私が、父の部屋から撤去するまで、10年も眠っていた事になります。
≪写真1左≫
自室にあった頃。 自分の亀サイト、≪換水録≫が、モニターに映っているので、2001年10月以降の様子です。
≪写真1右≫
キー・ボードは立て掛けられるようになっていました。 使わない時には、埃除けに、机の板を折り畳んでいました。
≪写真2左≫
取説。 パソコンの取説なんて、ほとんど、参考になりませんな。 まだ、どこかに保存してあるかも知れませんが。
≪写真2右≫
アプリケーション・ソフト。 2000年代初頭頃までは、パソコンを買うと、こういったソフトが、オマケで、ごそっと付いて来ました。 家計簿とか、年賀状印刷とか、そんなもの。 画像加工ソフトだけは、今でも、使っています。
≪写真3左≫
別買いした、増設用メモリーの外箱。 パソコン・ショップで、7500円。 パソコンを買った時に付いたポイントを使ったから、払ったのは、2500円でしたが。
≪写真3右≫
メモリー本体。 パソコンの腹を開け、これを、空いているメモリー・スロットに付けると、反応速度が速くなるというもの。 最初だけは、速くなったような感じがしましたが、すぐに慣れてしまい、何とも思わなくなりました。 「メモリー増設 → 速くなる」というのは、都市伝説の類いだった可能性が濃厚です。
≪写真4左≫
右の箱は、LANボードのもの。 パソコンのメーカー指定の、別会社品でした。 パソコン・ショップで、3000円。 運がいいというか、取り寄せてもらったわけではなく、これ一つだけ、棚にあったのです。
左の部品は、元からパソコンに付いていた、モジュラー・ケーブル・ボードです。 2001年春頃だと、まだ、ダイヤル・アップが、主流だったんですな。 2002年12月に買った、三台目のパソコンでは、最初から、LANボードが付いていました。
≪写真4右≫
2002年の12月、父の部屋に、移しました。 モニターは、グリーンハウスの、15インチ・液晶モニター。 沼津のノジマで、32800円でした。 私が使っていた、三菱の14インチが、6万円したのと比べると、たった、1年半で、随分と安くなったものです。
≪写真5≫
2015年10月。 ネットオフに引き取ってもらう寸前に、撮った遺影。 本体には触らないから、汚れる事はなく、新品同様でした。 性能的には、もはや、使えるものではありませんでしたが。 2007・8年頃が境だと思うのですが、パソコンは、動画対応しているかどうかで、画期が出来ました。 動画対応していないと、今、使うのは、かなり、厳しいですな。
ちなみに、コンパック社は、アメリカの会社ですが、私が買った直後に、同じアメリカの会社、ヒューレット・パッカードに吸収合併されて、なくなってしまいました。 呆気ない。
2001年頃に作られた、2時間サスペンスを見ると、オフィスの場面で、プレサリオ・シリーズが出て来る事があります。 デザインに特徴があるから、すぐに分かるのです。 懐かしいですが、自分で使っていた期間が短かったせいで、あまり、深い感慨はありません。
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