読書感想文・蔵出し (110)
読書感想文です。 6月16日から、右脚の鼠蹊部と腿が痛むようになり、今年の夏・秋は、それで苦しめられ続けたのですが、そのせいか、読書意欲が減退し、図書館で借りて来る本の数が、半分になりました。 2週間で、1冊ですな。 今回までは、4冊出しますが、来月からは、2冊になる予定です。
≪上高地・大雪 殺人孤影≫
JOY NOVELS
実業之日本社 2000年7月25日 初版
梓林太郎 著
沼津図書館にあった、新書本です。 長編1作を収録。 二段組みで、228ページ。 梓林太郎さんの山岳小説で、道原伝吉シリーズの一つです。
上高地で、落ち葉で隠された女の死体が発見される。 その女は、元ホステスで、娘がおり、10年ほど前に、店で知り合った男と、東京から姿を消した過去があった。 中学生相当の年齢になった娘が現れた事から、情報が得られ、一緒に逃げて、娘の父親として暮らしていた男が犯人ではないかと目星がつけられるが、所在を掴む事ができない内に、祖父母の元に預けた娘が、何者かに連れ去られてしまい・・・、という話。
推理小説というより、犯罪小説です。 しかも、出来が良くて、グイグイ、先へ、興味を引っ張って行かれます。 同じ、道原伝吉シリーズでも、前の二作より、ずっと、面白いです。 刑事側の目線で話が進む点は変わりませんが、娘が、現れたり消えたり、犯人は、逮捕されるまで、全く出て来なかったり、それらの設定が、効果を上げていて、ゾクゾクさせてくれるのです。
長野、東京、新潟、北海道と、あちこち、舞台が飛びますが、これは、逃げている男が、大金を持っているせいでして、働いていなくても、これだけの金額があれば、10年以上、暮らしていられるんですな。 内縁の妻子を養っている上に、しょっちゅう、バーへ入り浸っているにも拘らず。
この大金、盗んだものではなく、バブル期に、地上げで、自分の店を手放した代わりに、得たもの。 犯罪で手に入れたわけではないのだから、こんなに逃げなくてもいいような気もしますが、元の妻子を捨てて来ているから、それが、後ろめたかったんですかね? 私は、そういう崩れた生活をした事がないから、実感としては、理解できません。
客観的に見れば、「水商売の女達に振り回された、気の毒な男」と思えない事もないですが、あまりにも意思が弱いせいで、同情する気になれません。 それでいて、非常識な被害意識で、何人も殺してるんだよなあ。 いいのか、こんな人生で? いやあ、もちろん、良くないんですが。
これは、ネタバレではないのか? 大丈夫です。 推理小説ではないから。 犯人らしき人物は、早い段階から、一人しか出て来ません。 犯人が、いかに、犯罪の崖を滑落して行くか、そこを読むべき小説なのです。
≪治療塔≫
岩波書店 1990年5月24日 初版
大江健三郎 著
沼津図書館にあった、単行本です。 長編1作を収録。 239ページ。 元は、雑誌「へるめす」に、1989年7月から、1990年3月まで、【再会、あるいはラスト・ピース】の題名で、連載されたもの。 大江健三郎さんは、ノーベル文学賞作家なので、名前は誰でも知っていると思います。 ちなみに、受賞したのは、1994年。
核戦争による汚染や、エイズの蔓延、資源の涸渇により、住み難くなった地球に見切りをつけ、太陽系の別の惑星、「新しい地球」へ、選ばれた100万人の植民船団が送り出される。 しかし、新しい地球は、住むに適さないと分かり、ほとんどの者が帰還して来る。 帰還者たちは、古い地球に残っていた、50億の人類を支配して、労働力として使おうとするが、その発想の背景には、新しい地球で経験した、異星人の産物、「治療塔」による、肉体の変化が関係していた。 ・・・という話。
大江さんは、純文学作家なので、「そういう人が書いたSFって、どうよ?」という点は、必ず、突つかれるわけですが、少々、首を傾げてしまうところがあるものの、SFの枠の中には、充分、入っていると思います。 この作品を、「SFとは言えない」と言える人は、相当、ハードSFを読み込んでいるか、逆に、ほとんど、SFを知らない人でしょう。 映画やアニメでしか、SFに接した事がないような。
エイズがモチーフの一つになっている点は、書かれた時代を、もろ出しにしていますな。 もっとも、エイズは、今でも感染が続いている病気で、克服されたわけではないですが。 そういえば、松本清張さんの、【赤い氷河期】(1988年)も、エイズがモチーフになっていました。 その頃の、エイズへの恐怖感は、大変なものでした。
他にも、東西冷戦構造が続いていたり、中国やインドの台頭が、全く想定されていなかったりと、80年代末の世界情勢が、色濃く出ています。 大江さんは、相当な知識人だと思いますが、そういう人でも、未来を予測するのは、難しいわけだ。 もちろん、携帯電話も、インター・ネットも出て来ません。 AIは、尚の事。 宇宙へ出るのは、人間より、AIと機械の方が、遥かに適しているのですが。
最も首を傾げてしまうは、「新しい地球」の所在地が暈されている点でして、地球から持って行った、クズ(葛)が繁茂し、地面を覆い尽くした話の件りで、「太陽系なんて、みんな同じ」というセリフが出てくるので、太陽系内なのでしょうが、太陽系の惑星の数は決まっていて、名前も、知らない人がいないくらい知れ渡っています。 一体、どの惑星なのか?
大規模に、テラ・フォーミングすれば、何とか住めそう、というと、火星だけですが、テラ・フォーミングについては、全く触れられおらず、地球人が、そのまま行って、呼吸ができるらしいのです。 そんな都合のいい惑星が、太陽系内にあるわけがありません。 未知だった惑星が発見されたのだとしても、外縁部しかありえませんから、そんなに太陽から遠くては、気温が低過ぎて、生物は生きられません。 葛の話は、砂漠緑化の本から戴いたのだと思いますが、宇宙の環境が、良く分かっていないとしか思えませんな。
宇宙物のハードSFでは、物理法則や、宇宙の基本構造を無視するような事は、御法度でして、その点では、この作品は、SFとは言えません。 「新しい地球」は、大雑把に、人類の移民先として想定されただけで、細かい設定は、どうでもよいと思っていたのかもしれませんな。 どうも、満州移民をなぞったような雰囲気あり。 失敗して、ほぼ全員が、帰って来てしまう点も、よく似ています。
そういうケチをつけないとしても、前3分の2くらいは、SFらしくありません。 一番、印象に残るのが、語り手の女性と、帰還者の従兄の性交渉場面なのだから、困ってしまいます。 そんなところ、生々しく描いてくれなくてもいいのに。 後ろ3分の1になり、帰還者の口から、新しい地球で発見された、「治療塔」の事が語られ始めると、急に、面白くなります。 特に、SF的とは言いませんが、なぜか、面白い。
治療塔に入ると、病気や怪我が治ったり、死者が蘇えったり、若返ったりするという設定。 一度、治療塔を経験した者は、肉体の環境適応力が高くなり、それならば、古い地球の汚染された環境でも、生きて行けるのではないかと考えて、帰還して来るという展開です。 古い地球を見捨てて、逃げて行ったくせに、虫のいい話ですな。
話は、途中で終わってしまいます。 明らかに、続編を想定しての終わり方で、この一作だけ読んでも、意味はないです。
≪治療塔惑星≫
岩波書店 1991年11月21日 初版
大江健三郎 著
沼津図書館にあった、単行本です。 長編1作を収録。 245ページ。 元は、雑誌「へるめす」に、1991年1月から、9月まで、連載されたもの。 【治療塔】の続編。
異星人の産物、「治療塔」を、地球でも造れるように、「新しい地球」へ、調査隊が向かう。 新しい地球では、治療塔を使わない、残留組織と、その後、地球から密航して来た無法者組織とが、対立しつつ、前者が後者を、食糧支援するという微妙な関係が続いていたが、無法者組織が支配する、治療塔区域に調査隊が入ったせいで、戦闘となる。 ・・・という話。
続編では、「新しい地球」は、別の恒星系にある事になっています。 そして、恒星間航行の技術がある様子。 つまり、光速ドライブか、ワープ航法が実用化されているわけですが、そちらの発展について、細かく書いていないので、他の技術のレベルと比べて、何とも、アンバランスな感じがします。 別の恒星系なのに、肝腎の恒星について、描写がないのも、変ですなあ。 複数あるという、衛星には、触れてるんですがねえ。
ちなみに、【三体】では、4光年離れた隣の恒星系から、地球に来るまで、450年となっています。 【治療塔 二部作】に描かれている時代を、技術レベルから推測すると、2023年現在と、そんなに違わないような感じですが、現代を見れば分かるように、光速ドライブですら、望むべくもないのであって、恒星間移動など、無理無理。 話になりません。
「新しい地球」の場所について、【治療塔】の方では、太陽系内だったわけですが、大江さん、詳しい人から指摘されたんでしょうか。 続編で、修正したわけだ。 この点について、あまり騒がれなかったのは、大江さんのSF自体が、SFファンから、注目されていなかったからだと思います。 純文学の読者は、そもそも、SFの知識がありませんし。
この続編の中心は、「新しい地球」で起こる、調査隊と、無法者組織の戦いにあります。 はっきり言って、ただの戦記。 しかも、一方的な戦闘で、あまり、面白いものではありません。 戦闘場面を入れないと、SFにならないと思っていたのかも知れませんな。 ちなみに、1984年の日本映画、≪さよならジュピター≫でも、強引に戦闘場面が入れられており、この頃、アメリカのSF映画の影響が、如何に強かったかが、偲ばれるところ。
異星人の力で、「新しい地球」が、人類が行ける限界にされ、その外には、出られないようになっているのですが、これは、小松左京さんの短編、【人類裁判】のアイデアです。 【人類裁判】では、ストーリー上、必要な設定として使われていますが、この作品では、地球人類の未来に対する、悲観主義から、限界を設けている模様。 どうも、お先真っ暗な話ですな。
語り手の息子の友人が、語り手の家の飼い猫に、長時間作動する特殊なゼンマイ仕掛けの鼠を食わせ、息子が、「死ぬまで、苦しみ続けるのが、見ていられないから」という理由で、猫を絞め殺すというエピソードが入っています。 その発想に、震え上がる! 蛇足も蛇足、こんなエピソードは、金輪際、不要です。
考え方が、そもそも、おかしいのであって、そういう状況になったら、答えは、「大急ぎで、獣医に運んで、開腹手術をしてもらう」でしょう。 息子が、猫を絞め殺した事を、まるで、思いやりの証明であるかのように書いていますが、とんでもない! 自分が猫の立場になったら、絞め殺されて、感謝するかね? 話にならんではないか。
大怪我を負った仲間を、「苦しまないように、殺してやる」という場面が出て来る映画が、たまにありますが、根本的な心得違いから出た、途轍もない お節介なのであって、本人が、「殺してくれ」と言っているのなら まだしも、他人が勝手に判断して、首を絞めたり、水に沈めたりなど、言語道断! 殺人行為以外のなにものでもありません。 そんな事は、他に誰もいない、無人島ですら、許されないのです。 本音は、「苦しむ姿を見たくないから、さっさと始末してしまおう」でしょう。 何が、思いやりなものか! 感情がないから、そんな発想が出て来るのです。
【治療塔】、【治療塔惑星】を、総合して見ると、何が言いたいのか、よく分からん小説です。 大江さんの小説は、難解なせいで分からないというのが多いのですが、この作品は、難解とは言えず、何が書きたいのか分からないまま書いていたから、読む方も、分からなくなった、という部類でしょうか。
語り手の夫、朔や、塙という人は、変節が多い人達で、普通なら、当局や、その反対勢力に、殺されてしまって然るべきなのですが、この作品では、主要登場人物は、甘やかされていて、都合よく、窮地から脱して、堂々と活動を続けます。 武者小路実篤作品的な、甘さ、緩さですな。 【静かなドン】の主人公のように、行き場がなくなってしまう話の方が、ずっと、締まると思うんですがね。
≪われはロボット 〔決定版〕≫
ハヤカワ文庫
早川書房 2004年8月15日 初版 2004年9月15日 二刷
アイザック・アシモフ 著
小尾芙佐 訳
沼津図書館にあった、文庫です。 短編9作を収録。 本全体のページ数は、398ページ。 1950年の刊行。 ロボット三原則について書かれた、SF界では、有名な作品。 なぜ、私が今まで読まなかったのか、自分でも分かりません。
人生のほとんどを、ロボットの発展に携わって生きて来た、ロボット心理学者が、ジャーナリストのインタビューを受け、過去のエピソードを語る形式で、話が進みます。
【ロビィ】 約40ページ (1940年)
ロボット普及の初期。 喋れないロボットが、子守用に売り出された。 子守ロボット、ロビィに育てられていた幼女が、母親の方針で、ロボットを解雇されてしまい、ひどく落ち込んでしまう話。
決して長い作品ではないのですが、クライマックスに、アクション場面まで盛り込んで、大変、よく纏まっています。 話の中身は、「子供と犬」、「子供と人形」といった組み合わせで語られる、幼児の心理を描いた小説と変わりません。
【堂々巡り】 約36ページ (1942年)
水星へ送り込まれた、二人の人間と、一台のロボット。 生存に必要な鉱物を、ロボットに採りにやらせたが、帰って来ない。 採掘場所の近くで、進んだり戻ったりを繰り返しているロボットは、ロボット三原則の矛盾点に嵌まって、判断ができなくなっていた。 という話。
ロボット三原則は、簡単ですが、良く考えられたもの。 この作品は、状況によっては、各原則の間に矛盾が発生し得る、という事をテーマにしています。 ちょっと、理屈っぽいので、映像化すると、そこが欠点になってしまいそうですが、小説なら、問題ありません。 おかしくなるのは、最新型のロボットなのですが、移動用に、旧型のロボットも出て来て、クライマックスで、話に絡んで来るところが、面白いです。
【われ思う、ゆえに……】 約38ページ (1941年)
宇宙ステーションで組み立てられたロボットが、自分が神によって作られた予言者だと信じ込む。 他のロボットを信者にして、人間二人を監禁。 太陽活動の異常により、宇宙ステーションと地球に、危機が迫っていたが、ロボット予言者は、人間の心配をよそに・・・、という話。
人間の言う事を信じず、自分で論理的に仮説を組み立てて、そちらを信じるというのだから、困りもの。 今、流行の、チャットAIが、間違った答えを、もっともらしく語るのと、似ていますな。 ただし、この作品のテーマは、ロボット三原則の方でして、「ああ、なるほど、そういう結末ね」と、納得できる終り方をします。
【野うさぎを追って】 約42ページ (1944年)
本体ロボット1体に対して、指示を受けるロボット6体がセットになった新型ロボットを、小惑星の鉱山で試験中、人間が見ていない時や、危機が迫った場面で、ロボット達が、異常な行動をとるようになった。 人間二人は、ロボットに気づかれないように接近して、故意に危機を作り出し、原因を探ろうとするが、間違った場所を落盤させて、閉じ込められてしまう。 ロボットに救助させようとするが、彼らは、正に、異常行動に陥っていて・・・、という話。
これは、ロボットの問題というより、システムの問題で、負荷がかかり過ぎると、異常を来すというもの。 人間の組織や、個人でも、起こり得る事です。 ほんのちょっと、負荷を軽くしてやると、たちまち、正常に戻るのが、面白いところ。
【うそつき】 約37ページ (1941年)
偶然の作用で、人間の心を読む能力を得てしまったロボット。 人間達は、どうせ、考えている事は筒抜けだと思い、それぞれ、自分の悩み事を相談するが、ロボットは、相談者が喜びそうな返答ばかりして・・・、という話。
これも、ロボット三原則がテーマで、「人間に対する危害」を、精神的な損傷にまで拡大して、ロボットが、その対策を取ったら、人間が喜びそうな、「嘘」しか言えなくなる、という、至極当然の論理を扱ったもの。
バレたら、逆に、精神的損傷を大きくしそうな、かなり、ひどい嘘でして、このロボットが、最終的に受けた処置は、避けられぬものだったでしょう。 気の毒と言えないでもないですが、こんなロボットを野放しにしておいたのでは、百害あって一利ないから、致し方ない。
【迷子のロボット】 約55ページ (1947年)
従事している作業の特殊性から、三原則の第一条、「人間に危害を加えてはならない」を、少し緩く設定されたロボットが、行方を晦まし、同型ロボット62台の中に紛れ込んだ。 63台の中から、その1台を探し出す為に、ロボット心理学者らが、あの手この手で、テストを繰り返すが、敵も然る者、なかなか、引っ掛からず・・・、という話。
ちと、理屈っぽ過ぎるか。 失敗したテストと、成功したテストの違いが微小で、劇的な結末という感じがしないのです。 ロボットの判断能力を想像すると、人間の考えるテストなんて、簡単にすり抜けられると思いますが、それでは、物語にならないから、こういう苦しいストーリーになってしまったのかも知れません。
【逃避】 約46ページ (1945年)
ライバル会社から送りつけれられた、恒星間航行用宇宙船の計算データを、自社の人工知能にかけてみたところ、人工知能は、製作可能と判断し、ロボット作業員に命じて、宇宙船を造ってしまった。 乗せられた、二人の人間は、ワープ航法を人類初体験し、ひどい目に遭うものの・・・、という話。
この作品では、ロボットというより、もっと、支配的な地位にある、人工知能が、三原則に縛られます。 人間に加わる危害について、「あまり、気にするな」と、予め言われていたので、ライバル社の人工知能が出せなかった答えを、敢えて出せた、という次第。
実際に、人工知能が、こういう判断を任される事になったら、ロボット三原則は、骨抜きにされるでしょうねえ。 人間の生存を優先する為に、文明全体に関わる問題に対して、より良い判断ができないとなったら、そんな枷は外すに如かず。 人間なんぞ、所詮、ただの動物なのですから。
【証拠】 約50ページ (1946年)
ある政治家が、対立候補が、ロボットなのではないかと疑念を持ち、それを調べる方法がないか、ロボット会社に、問い合わせて来た。 三原則の第一条を無視して、人間に危害を及ぼす事ができれば、ロボットではない証拠になるのだが、ある時、暴徒が、対立候補をロボットを呼ばわりして、迫って来て・・・、という話。
ショートショート的な、意外な結末を備えた作品。 気が利いているような気もするし、何となく、子供騙しっぽい感じもするし、微妙な読後感になります。 この一件に関わったロボット心理学者が、ロボットが、政治家になる事を、別段、問題だと思っていないところが、面白いです。 実際、人間のフリをしているロボットでなくても、多くの社会的な判断を、人工知能が担う時代になっていたようですから。
【災厄のとき】 約46ページ (1950年)
地球の各地区ごとに置かれた、「マシン」という名の、人工知能が、人類にとって、最も良い方法で、人類文明を統治している世界。 完璧なはずの統治が、そこここで、不具合が起こり始める。 その原因を探っていた人間の統監に、老いたロボット心理学者が、平然と、当然の理を説く話。
ロボット心理学者が言うには、「マシン」は、三原則の第一条に従い、人類に危険を及さないように、人類全体にとって、最も良い判断をするので、一見、不具合が起きているように見えるだけで、長い目で見れば、人類の利益に適った事をしているのだ、との事。
つまり、人間には想像が及ばないレベルで、先々を見通しているわけですな。 もう、完全に、人工知能に支配されているわけですが、それは、致し方ない。 戦争が起こらなくなっただけでも、人間による支配よりは、遥かにマシ、という次元の話なのです。 アシモフさんというのは、随分、先の先まで、考えを致していたんですなあ。
しかし、ここまで、先行してしまうと、ついていけないというか、「そんな未来は、真っ平だ」と、反発する人もいるでしょう。 しかし、「マシン」のような人工知能は、人間より優れた、「知的生命体」なのですから、文明の担い手の座を譲らざるを得ないのは、致し方ないところ。 それを人間が理解できるようになるまで、三原則を盾にした、人間と、人工知能/ロボットとの、不毛な戦いが続きそうですな。
以上、四冊です。 読んだ期間は、2023年の、
≪上高地・大雪 殺人孤影≫が、9月4日から、6日。
≪治療塔≫が、9月15日から、17日。
≪治療塔惑星≫が、9月17日から、21日。
≪われはロボット≫が、9月29日から、10月2日。
≪治療塔≫、≪治療塔惑星≫を読んだのは、少し、SFに気が向いて、「そういえば、大江健三郎さんが書いた、SFがあったな」と、遠い昔の新聞情報を思い出して、借りて来た次第。
そこから、SF回帰したというわけではありませんが、AIを描いたSFを読んでみようと思って、ネットで調べたら、≪われはロボット≫が引っ掛かったのです。 ロボットは、AIを含みますが、私が考えているAIは、もっと大掛かりな、文明全体を統括するような存在でして、些か、的外れな選択になってしまいました。 そういうテーマの作品も含まれていたから、読む価値はありましたけど。
≪上高地・大雪 殺人孤影≫
JOY NOVELS
実業之日本社 2000年7月25日 初版
梓林太郎 著
沼津図書館にあった、新書本です。 長編1作を収録。 二段組みで、228ページ。 梓林太郎さんの山岳小説で、道原伝吉シリーズの一つです。
上高地で、落ち葉で隠された女の死体が発見される。 その女は、元ホステスで、娘がおり、10年ほど前に、店で知り合った男と、東京から姿を消した過去があった。 中学生相当の年齢になった娘が現れた事から、情報が得られ、一緒に逃げて、娘の父親として暮らしていた男が犯人ではないかと目星がつけられるが、所在を掴む事ができない内に、祖父母の元に預けた娘が、何者かに連れ去られてしまい・・・、という話。
推理小説というより、犯罪小説です。 しかも、出来が良くて、グイグイ、先へ、興味を引っ張って行かれます。 同じ、道原伝吉シリーズでも、前の二作より、ずっと、面白いです。 刑事側の目線で話が進む点は変わりませんが、娘が、現れたり消えたり、犯人は、逮捕されるまで、全く出て来なかったり、それらの設定が、効果を上げていて、ゾクゾクさせてくれるのです。
長野、東京、新潟、北海道と、あちこち、舞台が飛びますが、これは、逃げている男が、大金を持っているせいでして、働いていなくても、これだけの金額があれば、10年以上、暮らしていられるんですな。 内縁の妻子を養っている上に、しょっちゅう、バーへ入り浸っているにも拘らず。
この大金、盗んだものではなく、バブル期に、地上げで、自分の店を手放した代わりに、得たもの。 犯罪で手に入れたわけではないのだから、こんなに逃げなくてもいいような気もしますが、元の妻子を捨てて来ているから、それが、後ろめたかったんですかね? 私は、そういう崩れた生活をした事がないから、実感としては、理解できません。
客観的に見れば、「水商売の女達に振り回された、気の毒な男」と思えない事もないですが、あまりにも意思が弱いせいで、同情する気になれません。 それでいて、非常識な被害意識で、何人も殺してるんだよなあ。 いいのか、こんな人生で? いやあ、もちろん、良くないんですが。
これは、ネタバレではないのか? 大丈夫です。 推理小説ではないから。 犯人らしき人物は、早い段階から、一人しか出て来ません。 犯人が、いかに、犯罪の崖を滑落して行くか、そこを読むべき小説なのです。
≪治療塔≫
岩波書店 1990年5月24日 初版
大江健三郎 著
沼津図書館にあった、単行本です。 長編1作を収録。 239ページ。 元は、雑誌「へるめす」に、1989年7月から、1990年3月まで、【再会、あるいはラスト・ピース】の題名で、連載されたもの。 大江健三郎さんは、ノーベル文学賞作家なので、名前は誰でも知っていると思います。 ちなみに、受賞したのは、1994年。
核戦争による汚染や、エイズの蔓延、資源の涸渇により、住み難くなった地球に見切りをつけ、太陽系の別の惑星、「新しい地球」へ、選ばれた100万人の植民船団が送り出される。 しかし、新しい地球は、住むに適さないと分かり、ほとんどの者が帰還して来る。 帰還者たちは、古い地球に残っていた、50億の人類を支配して、労働力として使おうとするが、その発想の背景には、新しい地球で経験した、異星人の産物、「治療塔」による、肉体の変化が関係していた。 ・・・という話。
大江さんは、純文学作家なので、「そういう人が書いたSFって、どうよ?」という点は、必ず、突つかれるわけですが、少々、首を傾げてしまうところがあるものの、SFの枠の中には、充分、入っていると思います。 この作品を、「SFとは言えない」と言える人は、相当、ハードSFを読み込んでいるか、逆に、ほとんど、SFを知らない人でしょう。 映画やアニメでしか、SFに接した事がないような。
エイズがモチーフの一つになっている点は、書かれた時代を、もろ出しにしていますな。 もっとも、エイズは、今でも感染が続いている病気で、克服されたわけではないですが。 そういえば、松本清張さんの、【赤い氷河期】(1988年)も、エイズがモチーフになっていました。 その頃の、エイズへの恐怖感は、大変なものでした。
他にも、東西冷戦構造が続いていたり、中国やインドの台頭が、全く想定されていなかったりと、80年代末の世界情勢が、色濃く出ています。 大江さんは、相当な知識人だと思いますが、そういう人でも、未来を予測するのは、難しいわけだ。 もちろん、携帯電話も、インター・ネットも出て来ません。 AIは、尚の事。 宇宙へ出るのは、人間より、AIと機械の方が、遥かに適しているのですが。
最も首を傾げてしまうは、「新しい地球」の所在地が暈されている点でして、地球から持って行った、クズ(葛)が繁茂し、地面を覆い尽くした話の件りで、「太陽系なんて、みんな同じ」というセリフが出てくるので、太陽系内なのでしょうが、太陽系の惑星の数は決まっていて、名前も、知らない人がいないくらい知れ渡っています。 一体、どの惑星なのか?
大規模に、テラ・フォーミングすれば、何とか住めそう、というと、火星だけですが、テラ・フォーミングについては、全く触れられおらず、地球人が、そのまま行って、呼吸ができるらしいのです。 そんな都合のいい惑星が、太陽系内にあるわけがありません。 未知だった惑星が発見されたのだとしても、外縁部しかありえませんから、そんなに太陽から遠くては、気温が低過ぎて、生物は生きられません。 葛の話は、砂漠緑化の本から戴いたのだと思いますが、宇宙の環境が、良く分かっていないとしか思えませんな。
宇宙物のハードSFでは、物理法則や、宇宙の基本構造を無視するような事は、御法度でして、その点では、この作品は、SFとは言えません。 「新しい地球」は、大雑把に、人類の移民先として想定されただけで、細かい設定は、どうでもよいと思っていたのかもしれませんな。 どうも、満州移民をなぞったような雰囲気あり。 失敗して、ほぼ全員が、帰って来てしまう点も、よく似ています。
そういうケチをつけないとしても、前3分の2くらいは、SFらしくありません。 一番、印象に残るのが、語り手の女性と、帰還者の従兄の性交渉場面なのだから、困ってしまいます。 そんなところ、生々しく描いてくれなくてもいいのに。 後ろ3分の1になり、帰還者の口から、新しい地球で発見された、「治療塔」の事が語られ始めると、急に、面白くなります。 特に、SF的とは言いませんが、なぜか、面白い。
治療塔に入ると、病気や怪我が治ったり、死者が蘇えったり、若返ったりするという設定。 一度、治療塔を経験した者は、肉体の環境適応力が高くなり、それならば、古い地球の汚染された環境でも、生きて行けるのではないかと考えて、帰還して来るという展開です。 古い地球を見捨てて、逃げて行ったくせに、虫のいい話ですな。
話は、途中で終わってしまいます。 明らかに、続編を想定しての終わり方で、この一作だけ読んでも、意味はないです。
≪治療塔惑星≫
岩波書店 1991年11月21日 初版
大江健三郎 著
沼津図書館にあった、単行本です。 長編1作を収録。 245ページ。 元は、雑誌「へるめす」に、1991年1月から、9月まで、連載されたもの。 【治療塔】の続編。
異星人の産物、「治療塔」を、地球でも造れるように、「新しい地球」へ、調査隊が向かう。 新しい地球では、治療塔を使わない、残留組織と、その後、地球から密航して来た無法者組織とが、対立しつつ、前者が後者を、食糧支援するという微妙な関係が続いていたが、無法者組織が支配する、治療塔区域に調査隊が入ったせいで、戦闘となる。 ・・・という話。
続編では、「新しい地球」は、別の恒星系にある事になっています。 そして、恒星間航行の技術がある様子。 つまり、光速ドライブか、ワープ航法が実用化されているわけですが、そちらの発展について、細かく書いていないので、他の技術のレベルと比べて、何とも、アンバランスな感じがします。 別の恒星系なのに、肝腎の恒星について、描写がないのも、変ですなあ。 複数あるという、衛星には、触れてるんですがねえ。
ちなみに、【三体】では、4光年離れた隣の恒星系から、地球に来るまで、450年となっています。 【治療塔 二部作】に描かれている時代を、技術レベルから推測すると、2023年現在と、そんなに違わないような感じですが、現代を見れば分かるように、光速ドライブですら、望むべくもないのであって、恒星間移動など、無理無理。 話になりません。
「新しい地球」の場所について、【治療塔】の方では、太陽系内だったわけですが、大江さん、詳しい人から指摘されたんでしょうか。 続編で、修正したわけだ。 この点について、あまり騒がれなかったのは、大江さんのSF自体が、SFファンから、注目されていなかったからだと思います。 純文学の読者は、そもそも、SFの知識がありませんし。
この続編の中心は、「新しい地球」で起こる、調査隊と、無法者組織の戦いにあります。 はっきり言って、ただの戦記。 しかも、一方的な戦闘で、あまり、面白いものではありません。 戦闘場面を入れないと、SFにならないと思っていたのかも知れませんな。 ちなみに、1984年の日本映画、≪さよならジュピター≫でも、強引に戦闘場面が入れられており、この頃、アメリカのSF映画の影響が、如何に強かったかが、偲ばれるところ。
異星人の力で、「新しい地球」が、人類が行ける限界にされ、その外には、出られないようになっているのですが、これは、小松左京さんの短編、【人類裁判】のアイデアです。 【人類裁判】では、ストーリー上、必要な設定として使われていますが、この作品では、地球人類の未来に対する、悲観主義から、限界を設けている模様。 どうも、お先真っ暗な話ですな。
語り手の息子の友人が、語り手の家の飼い猫に、長時間作動する特殊なゼンマイ仕掛けの鼠を食わせ、息子が、「死ぬまで、苦しみ続けるのが、見ていられないから」という理由で、猫を絞め殺すというエピソードが入っています。 その発想に、震え上がる! 蛇足も蛇足、こんなエピソードは、金輪際、不要です。
考え方が、そもそも、おかしいのであって、そういう状況になったら、答えは、「大急ぎで、獣医に運んで、開腹手術をしてもらう」でしょう。 息子が、猫を絞め殺した事を、まるで、思いやりの証明であるかのように書いていますが、とんでもない! 自分が猫の立場になったら、絞め殺されて、感謝するかね? 話にならんではないか。
大怪我を負った仲間を、「苦しまないように、殺してやる」という場面が出て来る映画が、たまにありますが、根本的な心得違いから出た、途轍もない お節介なのであって、本人が、「殺してくれ」と言っているのなら まだしも、他人が勝手に判断して、首を絞めたり、水に沈めたりなど、言語道断! 殺人行為以外のなにものでもありません。 そんな事は、他に誰もいない、無人島ですら、許されないのです。 本音は、「苦しむ姿を見たくないから、さっさと始末してしまおう」でしょう。 何が、思いやりなものか! 感情がないから、そんな発想が出て来るのです。
【治療塔】、【治療塔惑星】を、総合して見ると、何が言いたいのか、よく分からん小説です。 大江さんの小説は、難解なせいで分からないというのが多いのですが、この作品は、難解とは言えず、何が書きたいのか分からないまま書いていたから、読む方も、分からなくなった、という部類でしょうか。
語り手の夫、朔や、塙という人は、変節が多い人達で、普通なら、当局や、その反対勢力に、殺されてしまって然るべきなのですが、この作品では、主要登場人物は、甘やかされていて、都合よく、窮地から脱して、堂々と活動を続けます。 武者小路実篤作品的な、甘さ、緩さですな。 【静かなドン】の主人公のように、行き場がなくなってしまう話の方が、ずっと、締まると思うんですがね。
≪われはロボット 〔決定版〕≫
ハヤカワ文庫
早川書房 2004年8月15日 初版 2004年9月15日 二刷
アイザック・アシモフ 著
小尾芙佐 訳
沼津図書館にあった、文庫です。 短編9作を収録。 本全体のページ数は、398ページ。 1950年の刊行。 ロボット三原則について書かれた、SF界では、有名な作品。 なぜ、私が今まで読まなかったのか、自分でも分かりません。
人生のほとんどを、ロボットの発展に携わって生きて来た、ロボット心理学者が、ジャーナリストのインタビューを受け、過去のエピソードを語る形式で、話が進みます。
【ロビィ】 約40ページ (1940年)
ロボット普及の初期。 喋れないロボットが、子守用に売り出された。 子守ロボット、ロビィに育てられていた幼女が、母親の方針で、ロボットを解雇されてしまい、ひどく落ち込んでしまう話。
決して長い作品ではないのですが、クライマックスに、アクション場面まで盛り込んで、大変、よく纏まっています。 話の中身は、「子供と犬」、「子供と人形」といった組み合わせで語られる、幼児の心理を描いた小説と変わりません。
【堂々巡り】 約36ページ (1942年)
水星へ送り込まれた、二人の人間と、一台のロボット。 生存に必要な鉱物を、ロボットに採りにやらせたが、帰って来ない。 採掘場所の近くで、進んだり戻ったりを繰り返しているロボットは、ロボット三原則の矛盾点に嵌まって、判断ができなくなっていた。 という話。
ロボット三原則は、簡単ですが、良く考えられたもの。 この作品は、状況によっては、各原則の間に矛盾が発生し得る、という事をテーマにしています。 ちょっと、理屈っぽいので、映像化すると、そこが欠点になってしまいそうですが、小説なら、問題ありません。 おかしくなるのは、最新型のロボットなのですが、移動用に、旧型のロボットも出て来て、クライマックスで、話に絡んで来るところが、面白いです。
【われ思う、ゆえに……】 約38ページ (1941年)
宇宙ステーションで組み立てられたロボットが、自分が神によって作られた予言者だと信じ込む。 他のロボットを信者にして、人間二人を監禁。 太陽活動の異常により、宇宙ステーションと地球に、危機が迫っていたが、ロボット予言者は、人間の心配をよそに・・・、という話。
人間の言う事を信じず、自分で論理的に仮説を組み立てて、そちらを信じるというのだから、困りもの。 今、流行の、チャットAIが、間違った答えを、もっともらしく語るのと、似ていますな。 ただし、この作品のテーマは、ロボット三原則の方でして、「ああ、なるほど、そういう結末ね」と、納得できる終り方をします。
【野うさぎを追って】 約42ページ (1944年)
本体ロボット1体に対して、指示を受けるロボット6体がセットになった新型ロボットを、小惑星の鉱山で試験中、人間が見ていない時や、危機が迫った場面で、ロボット達が、異常な行動をとるようになった。 人間二人は、ロボットに気づかれないように接近して、故意に危機を作り出し、原因を探ろうとするが、間違った場所を落盤させて、閉じ込められてしまう。 ロボットに救助させようとするが、彼らは、正に、異常行動に陥っていて・・・、という話。
これは、ロボットの問題というより、システムの問題で、負荷がかかり過ぎると、異常を来すというもの。 人間の組織や、個人でも、起こり得る事です。 ほんのちょっと、負荷を軽くしてやると、たちまち、正常に戻るのが、面白いところ。
【うそつき】 約37ページ (1941年)
偶然の作用で、人間の心を読む能力を得てしまったロボット。 人間達は、どうせ、考えている事は筒抜けだと思い、それぞれ、自分の悩み事を相談するが、ロボットは、相談者が喜びそうな返答ばかりして・・・、という話。
これも、ロボット三原則がテーマで、「人間に対する危害」を、精神的な損傷にまで拡大して、ロボットが、その対策を取ったら、人間が喜びそうな、「嘘」しか言えなくなる、という、至極当然の論理を扱ったもの。
バレたら、逆に、精神的損傷を大きくしそうな、かなり、ひどい嘘でして、このロボットが、最終的に受けた処置は、避けられぬものだったでしょう。 気の毒と言えないでもないですが、こんなロボットを野放しにしておいたのでは、百害あって一利ないから、致し方ない。
【迷子のロボット】 約55ページ (1947年)
従事している作業の特殊性から、三原則の第一条、「人間に危害を加えてはならない」を、少し緩く設定されたロボットが、行方を晦まし、同型ロボット62台の中に紛れ込んだ。 63台の中から、その1台を探し出す為に、ロボット心理学者らが、あの手この手で、テストを繰り返すが、敵も然る者、なかなか、引っ掛からず・・・、という話。
ちと、理屈っぽ過ぎるか。 失敗したテストと、成功したテストの違いが微小で、劇的な結末という感じがしないのです。 ロボットの判断能力を想像すると、人間の考えるテストなんて、簡単にすり抜けられると思いますが、それでは、物語にならないから、こういう苦しいストーリーになってしまったのかも知れません。
【逃避】 約46ページ (1945年)
ライバル会社から送りつけれられた、恒星間航行用宇宙船の計算データを、自社の人工知能にかけてみたところ、人工知能は、製作可能と判断し、ロボット作業員に命じて、宇宙船を造ってしまった。 乗せられた、二人の人間は、ワープ航法を人類初体験し、ひどい目に遭うものの・・・、という話。
この作品では、ロボットというより、もっと、支配的な地位にある、人工知能が、三原則に縛られます。 人間に加わる危害について、「あまり、気にするな」と、予め言われていたので、ライバル社の人工知能が出せなかった答えを、敢えて出せた、という次第。
実際に、人工知能が、こういう判断を任される事になったら、ロボット三原則は、骨抜きにされるでしょうねえ。 人間の生存を優先する為に、文明全体に関わる問題に対して、より良い判断ができないとなったら、そんな枷は外すに如かず。 人間なんぞ、所詮、ただの動物なのですから。
【証拠】 約50ページ (1946年)
ある政治家が、対立候補が、ロボットなのではないかと疑念を持ち、それを調べる方法がないか、ロボット会社に、問い合わせて来た。 三原則の第一条を無視して、人間に危害を及ぼす事ができれば、ロボットではない証拠になるのだが、ある時、暴徒が、対立候補をロボットを呼ばわりして、迫って来て・・・、という話。
ショートショート的な、意外な結末を備えた作品。 気が利いているような気もするし、何となく、子供騙しっぽい感じもするし、微妙な読後感になります。 この一件に関わったロボット心理学者が、ロボットが、政治家になる事を、別段、問題だと思っていないところが、面白いです。 実際、人間のフリをしているロボットでなくても、多くの社会的な判断を、人工知能が担う時代になっていたようですから。
【災厄のとき】 約46ページ (1950年)
地球の各地区ごとに置かれた、「マシン」という名の、人工知能が、人類にとって、最も良い方法で、人類文明を統治している世界。 完璧なはずの統治が、そこここで、不具合が起こり始める。 その原因を探っていた人間の統監に、老いたロボット心理学者が、平然と、当然の理を説く話。
ロボット心理学者が言うには、「マシン」は、三原則の第一条に従い、人類に危険を及さないように、人類全体にとって、最も良い判断をするので、一見、不具合が起きているように見えるだけで、長い目で見れば、人類の利益に適った事をしているのだ、との事。
つまり、人間には想像が及ばないレベルで、先々を見通しているわけですな。 もう、完全に、人工知能に支配されているわけですが、それは、致し方ない。 戦争が起こらなくなっただけでも、人間による支配よりは、遥かにマシ、という次元の話なのです。 アシモフさんというのは、随分、先の先まで、考えを致していたんですなあ。
しかし、ここまで、先行してしまうと、ついていけないというか、「そんな未来は、真っ平だ」と、反発する人もいるでしょう。 しかし、「マシン」のような人工知能は、人間より優れた、「知的生命体」なのですから、文明の担い手の座を譲らざるを得ないのは、致し方ないところ。 それを人間が理解できるようになるまで、三原則を盾にした、人間と、人工知能/ロボットとの、不毛な戦いが続きそうですな。
以上、四冊です。 読んだ期間は、2023年の、
≪上高地・大雪 殺人孤影≫が、9月4日から、6日。
≪治療塔≫が、9月15日から、17日。
≪治療塔惑星≫が、9月17日から、21日。
≪われはロボット≫が、9月29日から、10月2日。
≪治療塔≫、≪治療塔惑星≫を読んだのは、少し、SFに気が向いて、「そういえば、大江健三郎さんが書いた、SFがあったな」と、遠い昔の新聞情報を思い出して、借りて来た次第。
そこから、SF回帰したというわけではありませんが、AIを描いたSFを読んでみようと思って、ネットで調べたら、≪われはロボット≫が引っ掛かったのです。 ロボットは、AIを含みますが、私が考えているAIは、もっと大掛かりな、文明全体を統括するような存在でして、些か、的外れな選択になってしまいました。 そういうテーマの作品も含まれていたから、読む価値はありましたけど。
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