2023/09/24

EN125-2Aでプチ・ツーリング (48)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、48回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2023年8月分。





【沼津市岡宮・崖下の道祖神の祠】

  2023年8月2日、沼津市・岡宮にある、「崖下の道祖神の祠」へ行って来ました。 そういう名前が付いているわけではなく、私がテキトーに形容しただけです。 住宅地図で、石像マークを見つけて行ったのですが、目的地にしていた場所には、すでになくなっていて、少し離れた所で、別の物を見つけました。

≪写真1左≫
  個人宅の一角ですが、フェンスで区切られていて、道路側を向いています。 覆いは、木造、トタン葺き。 トタンの細工は細かくて、素人の手によるものではありません。

≪写真1右≫
  中ですが、石に、布がかけてあります。 道祖神なのか、自信はありません。 地蔵尊の頭が欠けてしまったのかも知れません。 何かの石像である事は確か。

≪写真2≫
  北東側を見ました。 木がこんもりしているのは、「岡宮グラウンド」。 その右のブロック石垣が、崖です。

≪写真3≫
  西側を見ました。 住宅地ですな。 道祖神などの石像があるという事は、江戸時代以前から、人が住んでいた証拠です。

≪写真4≫
  ブロック石垣の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 おっ、背景が均一だと、カタログ写真みたいになりますね。 だけど、こういう場所を探すのは、結構 大変なんだわ。 スポーツ公園のような所なら、コンクリート打ちっ放しの背景があるかも知れませんな。 中の道路に、バイクで入れるかが、問題ですが。




【沼津市岡宮・辻の石碑 / 岡宮グラウンド】

  2023年8月7日、沼津市・岡宮にある、「辻の石碑 / 岡宮グラウンド」へ行って来ました。 最初、石碑だけ見に行ったんですが、写真が少ないと思い、場所が分かっていた、グラウンドにも寄った次第。

≪写真1≫
  住宅地の辻にあった、石碑。 左から、「甲子供養塔」、「大国主命」。 一番右は、「○神」とありますが、○が草書体で、読めません。 元からここに並んでいたのか、集めたのかは不詳。 綺麗に整備されています。

≪写真2≫
  こちらは、「岡宮グラウンド」です。 別名、「岡宮自治会 子どもスポーツ広場」とも言います。 サッカー・ゴールや、バスケット・ボールの柱もありますが、なぜか、どちらも、片方だけです。

≪写真3左≫
  水道と流し。 神社巡りで、手水舎を撮影する癖がつき、これも、撮ってしまいました。 タイル貼りの流しは、懐かしいですな。 ステンレス製が出る前には、みんな、これでした。

≪写真3右≫
  植えられた、草花。 名前は分かりません。 他に、マリーゴールドなども、ありました。

≪写真4≫
  前の道路。 グラウンドは高くなっているので、バイクは、路肩に停めました。

  左側の緑色のは、蘇鉄でしょうか。 幹が見えませんが、蘇鉄って、こんなに葉が多かったかな?

  向かい側の家の壁に、時計が付いています。 グラウンドで遊んでいる子供達に、時間を知らせる為でしょう。 心配りなのか、「もう、こんな時間だから、いつまでも騒いでないで、帰れ」という意思表示なのかは、不明。 私が、この家に住んでいたら、後者ですが。




【沼津市岡宮・神明神社】

  2023年8月15日。 沼津市・岡宮にある、「神明神社」へ行ってきました。 地図で調べた、目印の交差点を勘違いしていて、ロストしましたが、その内、思い出し、何とか、辿り着きました。

≪写真1≫
  住宅の横にある、小さな神社。 鳥居は、コンクリート製で、昭和56年(1981年)に奉納されたもの。

≪写真2≫
  社殿も、コンクリート製。 正面の金属扉は、閉められて、南京錠がかけられています。 これは、たぶん、覆いで、中に、木製の祠が収められているのだと思います。 昭和31年(1956年)の竣工。

≪写真3左≫
  一基だけあった、石燈籠。 笠の色が違うところを見ると、後で作り直した部品があるのかも知れません。

≪写真3右≫
  竿に、奉納年が彫ってありました。 「天保二年」。 1832年。 徳川家斉の治世。 そんなに古くからあったとなると、この神社、かつては、もっと大きな規模だったのかも知れませんねえ。




【沼津市松沢町・山之神社】

  2023年8月20日。 沼津市・松沢町にある、「山之神社」へ行って来ました。 数年前から、住宅地図上では、知っていたのですが、ようやく、行く気になりました。 読み方は、「やまのじんじゃ」なのか、「やまのかみしゃ」なのか、分かりません

≪写真1≫
  地図で見ると、住宅地の中で、人が多いのではないかと思っていたのですが、行ってみると、こんな感じで、鎮守の森に囲まれていました。 段差があって、境内には上がれないので、バイクは、階段下に停めました。 車で来た場合、路上駐車するしかありません。

≪写真2左≫
  鳥居。 コンクリート製だと思いますが、古色が付いて、石造りのように見えます。 

≪写真2右≫
  鳥居の名額。 御影石。 最近、つけなおしたのか、艶々しています。 ここは、「山神社」になっていますね。 

≪写真3左≫
  社殿。 人間が入れる最小サイズ。 厳密に言えば、これは覆いで、中に、木製の祠が入っているのだと思いますが、扉が閉まっていて、中は見えませんでした。 たぶん、木造モルタル塗り。 瓦屋根。 賽銭箱は、外置きで、鉄製黒塗りの頑丈なもの。

≪写真3右≫
  斜め後ろから。 大変、よく纏まった、造形です。 この建物自体が、美術品ですな。

≪写真4左≫
  鈴がありますが、綱が途中で切れています。 切れてしまったのか、はたまた、子供がガラガラやって、うるさいので、近所の抗議で、鳴らせないように、切ったのか。

  円形の電灯がありますが、何が入っているんでしょう? 丸型蛍光管にしては、径が小さいように見えますが。

≪写真4右≫
  手水舎。 六つ脚の、柱の立て方が、凝っています。 屋根は、銅板葺き。 漱盤は、前面に、右から、「奉納」。 蛇口は見当たりませんが、排水用の囲いはあります。

≪写真5左≫
  境内に植えられていた、蘇鉄。 大きいなあ。 幹を葉が覆っているという事は、まだ、若いのでしょう。

≪写真5右≫
  境内別社。 他から移した石祠のようです。 石祠には、なぜ、怖さを感じるのだろう?




【沼津市西熊堂・山田源次郎頌徳碑】

  2023年8月30日。 沼津市・西熊堂にある、「山田源次郎頌徳碑」へ行って来ました。 本当は、「消防第24分団」を目指していたのですが、移転したようで、見つからず、付近を走っていたら、ここを見つけたという次第。

≪写真1≫
  住宅地の中にある、空き地。 入口に、「山田源次郎の碑」という標柱が立っていました。 広場で、避難地にもなっている模様。

  ちなみに、「山田源次郎頌徳碑」というのは、沼津市の市役所サイトに出ている名称です。 「頌徳碑」は、「しょうとくひ」と読みます。

≪写真2≫
  碑と、解説板。 右の木は、銀杏のようです。

≪写真3≫
  解説板。 山田源次郎さんは、江戸時代後期の、地元の名主。 厳しい年貢の取り立てで、生活に困窮し、強訴した農民達に代わり、自分が責任を負って、処罰されたのだそうです。

≪写真4≫
  敷地内に乗り入れて停めた、EN125-2A・鋭爽。 ポールがあるので、車では入れません。 バイクは、観光地化していない、つまり、駐車場がない、史跡や神社を巡るには、大変、便利なのです。





  今回は、ここまで。

  8月は、5週あったんですな。 1回のプチ・ツー分で、組み写真を1枚に抑えても、1ヵ月分では、5枚になってしまうわけだ。 行ったのは、近場ばかりです。 数年前までだったら、折り畳み自転車で行っていた範囲。 今では、そんな体力も気力もありません。