2023/11/05

読書感想文・蔵出し (109)

  読書感想文です。 今回は、短編集が、一作だけなので、幾分、読み易いと思います。 いよいよ、クリスティー文庫が終わり、何を読めばいいか、考え考え、図書館へ通っている次第。





≪マン島の黄金≫

クリスティー文庫 64
早川書房 2004年10月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
中村妙子・他 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 短・中編、12作を収録。 【マン島の黄金】は、コピー・ライトが、1997年になっています。 本全体のページ数は、約480ページ。 ポワロ物、クィン氏物、ノン・シリーズの寄せ集めで、作者没後に、編まれたもの。 第10、11、12話は、クリスティー文庫で追加したもの。 第1話から、第9話までは、各作品ごとに、解題(あとがき)が付いていて、以下のページ数は、それを含めたものです。


【夢の家】 約40ページ

  家柄はいいが、没落して、興味のない仕事についている青年。 社長の娘に見初められたが、その友人の方に恋してしまう。 彼女に初めて会った日の直前から、理想の家の夢を見始め、その後、10年間、見続ける話。

  よく分からん梗概ですが、よく分からん話なのです。 推理小説でも、叙情小説でもなく、ちょっと不思議な雰囲気を狙っていた模様。 夢に出て来る理想の家が、何を暗示しているのか、暈して書いてあるので、読者側で想像するしかないのですが、好きになった女性の事なのか、人生の幸福なのか、判じ兼ねます。

  ごく初期の作品で、何を書いていいか、方向性が定まっていなかったから、こういう掴みどころがない作品になったんでしょうな。 これを掲載した雑誌の編集長は、よくぞ、この作品から、クリスティーさんの才能を見抜いたものだと思います。


【名演技】 約22ページ

  目下、人気を集めている女優が、後ろ暗い下積み時代を知っている男に恐喝され、自分の演技力を全開にして、危難を乗り越える話。

  このページ数ですから、ごく軽い話です。 なりすまし物。 ヒロインが、自分そっくりの三流女優を雇うのですが、その女に、自分になりすまさせるのかと思いきや、なりすますのはヒロイン自身で、別人として登場するという、読者への目晦ましが成功しています。 佳品。 このアイデアは、他の作品でも使われています。


【崖っぷち】 約42ページ

  片思いしている男を、他の女にとられてしまったヒロイン。 たまたま出かけた先のホテルで、その女が、別の男と会っている事を知り、弱味を握って、じわじわと追い詰めて行く。 やがて、女が、思い切った行動をとり、ヒロインは・・・、という話。

  実際の崖っぷちと、心理的な崖っぷちを、引っ掛けています。 善悪バランスは取れているのですが、ヒロインと、敵対している女の善悪度は、どっちもどっちで、読者としては、どちらの立場で読んでいいのか、判断に迷います。 もやもやした読後感が残るのは、致し方ないか。


【クリスマスの冒険】 約42ページ

  ある国の王子がイギリスに持ち込んだ宝石が、遊び相手の女に持ち逃げされた。 その女が正体を隠して潜んでいると思われる屋敷に乗り込んだポワロ。 クリスマスの夕食に、皆に分けられたプディングの中から出て来た宝石を、こっそりと、ポケットに入れた。 夜半、ある男が、ポワロの部屋に忍び込んで来て・・・、という話。

  この梗概は、【クリスマス・プディングの冒険】と同じ物ですが、こちらが、元の短編で、後に、中編に書き改めたのが、【クリスマス・プディングの冒険】になります。 長さ的には、半分ですが、同じ話ですな。 子供達による、偽の殺人事件も出て来るし。 どちらで読んでも、大差ないという感じ。 わざわざ、書き改めた理由が分かりません。


【孤独な神さま】 約34ページ

  大英博物館に陳列されている小さな神像に、青年と、身なりのパッとしない若い女性の、二人だけが、興味をもった。 何度か、神像の前で会った後、求婚した青年に対し、女性は断って、来なくなってしまう。 その後、青年は、ある童話を読んで、インスピレーションが湧き、趣味で描いた絵が、有名な賞を受賞する。 その童話を書いたのが、実は・・・という話。

  恋愛物を書こうとして、ピントが定まらなくなってしまった、という態。 しかし、恋愛小説なんて、誰が書いても、大差ないような気がせんでもなし。 クリスティーさんが、この方面に行かなかった事を、感謝するしかありません。


【マン島の黄金】 約56ページ

  いとこ同士で、結婚する気でいる二人。 伯父がなくなり、一族の財産が、二人を含む、四人の相続人に遺される事になった。 伯父は、マン島の中の四ヵ所に、財産が入った容器を隠し、ヒントを元に、早い者勝ちで、探すようにと言い遺した。 四人の相続人は、勇んで、マン島に乗り込んでいくが・・・、という話。

  マン島の観光振興の為の懸賞小説でして、実際に、マン島の四ヵ所に、容器を隠し、ヒントを出して、島外の人間に探させるという催しをやったとの事。 小説としては、ヒントはあるけれど、謎解きが入っていないので、何だか、よく分からない作品になっています。 謎解きは、解題(あとがき)の中で、説明されています。

  いとこ同士の二人は、トミーとタペンスと、ほぼ同じキャラ。 しかし、ページ数的に、短か過ぎて、キャラクターを楽しむほどの内容はありません。


【壁の中】 約44ページ

  不釣合いに、美しく魅力がある女と結婚した、画家の青年。 その後、絵が評価されたが、妻の浪費癖のせいで、生活はカツカツだった。 足りないお金を、子供の世話をしている女性が出していると知り、愕然とする話。

  結末にキレがなくて、何が言いたいのか、よく分かりません。 ジャンルとしては、恋愛物の内に入るのでしょうが、どうも、クリスティーさんは、恋愛物のセオリーを、わざと崩そうとしていた気配がありますねえ。


【バグダッド大櫃の謎】 約36ページ

  ある夫妻が、パーティーに招かれたが、夫が急に行けなくなり、妻だけが出席した。 翌朝、夫が、パーティーがあった家の客間に置かれた、大櫃の中で、刺し殺されているのが発見され、その家の主が逮捕された。 主は、被害者の妻と、いい仲になっていた。 ポワロが、ヘイスティングと共に、解決に当たる話。

  短編集、≪黄色いアイリス≫に収められているのと、全く同じ作品。 感想は、そちらを見てください。 短編集、≪クリスマス・プディングの冒険≫に収められている、【スペイン櫃の秘密】は、これを書き改めて、中編にしたもの。


【光が消えぬかぎり】 約24ページ

  夫とアフリカに来た女性が、戦死したと思っていた元婚約者と出会う。 彼は、イギリスへ復員したが、顔に怪我をしていたのが理由で、身を引いていたのだった。 女性が、現在の夫と、うまく行っていないと見て、自分と結婚し直すように誘うが、女性の方は・・・、という話。 

  無謀な話で、夫婦仲が良かろうが悪かろうが、現在の夫が、すんなり、承諾するはずがないです。 カトリックでなくても、こんな計画は、うまく行かないでしょう。 元婚約者の気持ちは分かりますが、一旦、身を引くと決めたからには、こんな事は考えない方が良かったですな。

  これも、恋愛物なんですが、やはり、定石を外しています。 クリスティーさんは、よほど、ありふれた恋愛物が嫌いだったんでしょうなあ。 下司の勘繰りですが、シャーロット・ブロンテさんの、【ジェーン・エア】を読んで、カチンと来て、これを書いたのでは?


【クィン氏のティー・セット】 約62ページ

  サタースウェイト氏が、古い友人に招待され、屋敷へ向かう途中、車が故障する。 喫茶店で、修理を待っていると、クィン氏が現れて、驚く。 一緒に屋敷へ行こうと誘うが、クィン氏は、同道しなかった。 屋敷では、主が、赤色と緑色のスリッパを片方ずつ履き、色盲の家系である事が見て取れた。 そして、主の血を受け継ぐ相続人を、色盲を利用して殺そうと企む者がいて・・・、という話。

  クィン氏物の、最後の作品らしいです。 相変わらず、思わせぶりな事だけ口にして、姿を晦ましてしまうクィン氏でして、掴みどころがありません。 クィン氏物にしては、本格トリックなのは、珍しい。 本格トリックでは、クィン氏物らしさに欠けると思ったのか、最後に、幽霊が登場します。 本物の幽霊が出て来るのは、クリスティー作品では、これだけなのでは?


【白木蓮の花】 約40ページ

  夫以外の男を愛し、駆け落ちしようとした女。 大陸へ逃げるつもりで、ドーバーのホテルまで来たが、そこで、夫の会社が倒産したという新聞記事を目にし、家に帰る事にする。 夫は、会社を潰しただけに留まらず、違法行為をしており、その証拠を持っているのが、なんと、妻が駆け落ちしようとした相手の男だった。 夫に請われて、男の所へ、証拠を受け取りに行くが・・・、という話。

  これは、傑作なのでは? 恋愛物としても、一般小説としても、傑作。 非常に緻密なプロットを組んであり、あっと、驚かされます。 推理作家ならではの発想で、恋愛小説専門の作家では、こんな話は、思いつきますまい。 このレベルの作品を、いくらでも思いつく人がいたら、即、作家になれます。


【愛犬の死】 約38ページ

  亡夫の形見となった犬は、年老いて、目も見えなくなっている。 その犬の世話をしているせいで、仕事に就けず、ジリ貧の生活を送っていた女性が、ちっとも好きではないが、金はある男の求婚を受け入れようとした矢先、犬が転落事故で死んでしまう。 その時、あれこれと親切にしてくれた紳士がいて・・・、という話。 

  そこまで書いてありませんが、「たぶん、その親切な紳士と、いずれ、結婚する事になるのだろうなあ」と、匂わせて、終わります。 恋愛小説ではなく、犬を看取った事がある人に向けた話。 動物を飼った事がない人には、全く分からない世界です。

  「犬は、ヒロインが、紳士の家に勤め始めた後に、死ぬ設定にした方が良かったのでは?」と思う読者もいると思いますが おそらく、クリスティーさんとしては、「犬が取り持った縁」という、月並みな、「お話」、もしくは、「物語」になってしまうのを避けて、現代小説らしくする為に、犬の役割を少し減らしたのでしょう。




≪女探偵物語 -芹沢雅子事件簿≫

六興出版 1990年6月20日/初版
林えり子 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 推理小説かと思って、借りて来たんですが、探偵業の実録小説でした。 短編相当の長さで、11作を収録。 

  いわゆる、創作小説ではないので、個別の感想は書きません。 目次だけ、引き写しますと、

【網棚の帽子を追え】   昭和17年・春
【観測船密輸事件】    昭和22年・初秋
【にんじん色の髪を追え】 昭和23年・初夏
【怪しきパーティ】    昭和24年・秋
【富豪令嬢誘拐事件】   昭和25年・春
【訴えた女】       昭和27年・初夏
【多久島事件の真相】   昭和31年・夏
【マンボズボンの幽霊】  昭和31年・秋
【赤いダリアの告白】   昭和33年・初秋
【スチュワーデス殺人事件】昭和34年・初夏
【雅子探偵団、駿河へ】  昭和35年・師走

  年代が遠過ぎて、西暦に換算しても、ピンと来ないと思いますが、昭和20年が、1945年で、戦争が終わった年です。 つまり、戦前の話から始まっているわけですな。 概ね、日本の社会情勢の混乱期です。

  主人公の、芹沢雅子さんは、実在した人物で、日本初の、事件専門探偵だったとの事。 探偵社に勤めており、部下を使って、バリバリ、仕事をこなしていたのだそうです。 昭和35年に引退するのは、息子の嫁に双子が生まれ、その世話で忙しくなって、探偵どころではなくなってしまったからとの事。 

  実録なので、はっきり言って、読み物としては、面白くないです。 しかし、「探偵の仕事とは、こういうものか」と、勉強にはなります。 昔の事なので、盗聴器はもちろん、カメラすら出て来ませんが、そういった小道具よりも、基本的な探偵術が描かれています。 「足」、「勘」、「粘り強さ」、「社会経験」といったもの。

  【マンボズボンの幽霊】と、【赤いダリアの告白】の2作だけは、毛色が変わっていて、戦前の探偵小説的な、モチーフと、ストーリー展開が盛り込まれています。 実録である事を知らなければ、創作だと思ってしまうところです。 「事実は小説より奇なり」を地で行ったような話。

  なぜ、私が、この本を借りたかというと、1997年初放送の、2時間サスペンスに、≪姑は名探偵 芹澤雅子~八丈島南国リゾート殺人事件≫というのがあり、それを見て、原作を読むつもりになったのです。 しかし、冒頭の、芹澤雅子さんの紹介を除き、ドラマと、この本は、全く関係ない話でした。 池内淳子さんが、芹澤雅子さん役でしたが、年代的に、30年くらい、若くした配役。 他に、石黒賢さん、野村真美さんなどが出演。 2サスとしては、平均以上の出来でした。




≪安曇野・乗鞍殺人事件≫

TOKUMA NOVELS
徳間書店 1999年
梓林太郎 著

  沼津図書館にあった、新書本です。 長編1作を収録。 二段組みで、235ページ。 梓林太郎さんは、山岳小説家。 2時間サスペンスの、山岳救助隊シリーズ、道原伝吉シリーズ、茶屋次郎シリーズなどの、原作を書いた人。 この作品は、道原伝吉物の一つです。


  信州・安曇野を拠点に、手広く商売をしている蕎麦店で、支配人が、従業員の給料など、3千万円を持ち逃げした。 豊科署の刑事、道原伝吉らが、捜査を進める内に、山で、一人、また一人と、腹を刺された男性の死体が発見される。 金を持ち逃げした男と、犠牲者達は、出身地が同じだった。 長野、東京、静岡と、満遍なく、聞き込みを続ける内に、三人の関係がはっきりして来る話。

  地道な捜査の様子を、丹念に描いたもので、クロフツ作、フレンチ警部物に近いです。 松本清張さんの推理小説に出て来る、地味な刑事達にも、近い。 みな、クロフツさんが、元祖ですが。

  ちょっと、地道過ぎて、面白みがありません。 主に、3人の男が、捜査対象になるのですが、行動原理が似通っているので、誰が誰なのか、どうしても、混乱します。 実は、更にもう一人、かなり昔に死んだ男が出て来まして、これまた、何となく、やる事が似通っており、ますます、ややこしくなるという次第。

  後ろ4分の1で、捜査対象の3人+1人の関係が明らかになり、その展開は、かなり、ゾクゾクします。 この犯人、自分の手で、3人。 自殺に追いやったのが、一人と、計4人、殺しているのですが、運命の歯車が狂ったとしか言えない成り行きでして、どこかで立て直せなかったのかな、と思わされますねえ。

  推理小説としては、風変わりな語り口です。 情報がバラバラなので、謎解き前に、4人の関係を、読者が推理するのは、不可能です。 刑事の道原伝吉が、あまりにも地味過ぎて、探偵役としての魅力に欠けるのは、残念。 他の作品も読んでみなければ、評価は決められませんが。 




≪穂高殺人ケルン≫

JOY NOVELS
実業之日本社 1999年10月25日 初版
梓林太郎 著

  沼津図書館にあった、新書本です。 長編1作を収録。 二段組みで、210ページ。 梓林太郎さんの山岳小説で、道原伝吉シリーズの一つです。


  引退した先輩刑事から、最近 出版された小説が、過去に山で起こった遭難事故と酷似しているから、再捜査してくれと頼まれた、道原伝吉。 小説の作者や、関係者に当たったが、芳しい成果は上げられなかった。 ところが、その後、山でまた、同じような事故が起こり、事件の疑いもある事から、捜査を始めると、過去の事故と、新たな事件に関わった、共通の人物達が浮かんで来て・・・、という話。

  2サスでは、「北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼」シリーズの、≪北アルプス殺人ケルン≫というタイトルで、映像化されていますが、原作は、道原伝吉シリーズです。 道原伝吉が主役の2サスもあるのですが、そちらは、本数が少なく、この作品は、入っていません。

  「転落事故で、人が死ぬが、落ちた崖の途中に、刃物のように尖った岩があり、そこに刺さったと見せかけて、実は他殺で、刃物で刺した後に、突き落とした」というアイデアと、「実際に起こった事故に、そっくりの内容を持つ小説が出版された」というアイデアの二つで、作品が特徴付けられています。

  それらのアイデアを除くと、フレンチ警部式の、地道な捜査が、淡々と描かれていて、正直、地道過ぎて、読むのが苦痛になります。 これは確かに、リアルな捜査手法の描写だと思いますが、現実的過ぎて、面白くないんですな。 もっとも、梓林太郎さんが人気作家になったのは、このリアルさが歓迎されたからだと思うので、そこに文句を言ったのでは、「じゃあ、読まなければいいだろう」で、おしまいになってしまうのですが。

  新しく起こる事件の方は、昔の事件より、凝っていて、崖に人工的に作った刃物状の突起が、実際の事件では使われず、そこから、犯人の計算が狂って行きます。 同じような事件が二つ起こったのでは、繰り返しになってしまうから、一捻り、工夫を凝らしたんでしょう。 作者の苦労が偲ばれるところ。

  性的な魅力があり、男を惑わす女が、二人出て来ます。 犯人に近い方の女は、特に誰というわけではなく、男から迫られると、欲情を覚えてしまうという、かなり、しょーもない性分。 それでいて、結婚となると、相手を選ぶというのだから、随分、勝手な人です。 でも、こういう人は、実際に、いそうですねえ。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、2023年の、

≪マン島の黄金≫が、8月7日から、10日。
≪女探偵物語≫が、8月13日から、17日。
≪安曇野・乗鞍殺人事件≫が、8月27日から、29日。
≪穂高殺人ケルン≫が、9月2日から、4日。

  今回、短編集が一作で、クリスティー文庫は、おしまい。 戯曲やエッセイは、読まない事にしました。 2022年2月から読み始めたから、1年半以上かかったわけで、結構な期間ですな。

  有名な、≪そして誰もいなくなった≫や、≪アクロイド殺し≫が入っていませんが、それらは、もっと、ずっと前に読んでいたのです。 名作ほど、記憶に残り易いので、読み直さなかったのです。 感想を書いてあるので、蔵出しシリーズを遡って行けば、見つかるかもしれませんが、保証はしません。