2023/10/01

読書感想文・蔵出し (108)

  読書感想文です。 一冊を除き、クリスティー文庫の短編集が続きます。 長くて、心底、申し訳ない。 今月の蔵出しも、一回だけなので、御容赦ください。





≪魔性の月光≫

角川文庫 6680
角川書店 1987年2月25日/初版
笹沢佐保 著

  母の本棚にあった文庫本です。 長編、1作を収録。 【魔性の月光】は、1983年に、カドカワノベルズとして刊行されたもの。 新書版の書き下ろしだった、という事でしょうか。 図書館から借りて来た本を、早く読み終えてしまい、母の本棚にあった、読んでいない本を手に取ったら、一気に読んでしまった、という次第。


  カメラマンをしている20代後半の女性。 親友から、「不倫相手の妻を殺してしまった」という告白を受けるが、その事件は、不倫相手の男と、その妻による狂言で、実際には、誰も殺されていなかった。 裏切られた形になった親友は、手切れ金を毟って、男と別れた。 ところが、今度は、男の妻が、本当に殺されてしまい・・・、という話。

  80年代というと、2サス・ブームが波に乗り、旺盛な需要に引っ張られて、推理作家達が、粗製乱造していた頃ですが、この作品は、有名な作者のものだけあって、粗製でも乱造でもなく、長編推理小説として、しっかりした結構を備えています。 ちなみに、笹沢佐保さんの作品で、有名なところというと、2サスのシリーズ、≪タクシー・ドライバーの推理日誌≫を挙げれば、「あーあ!」と、誰もが頷くんじゃないでしょうか。

  この作品は、アリバイ・トリック物で、東京から、長崎まで、かなりの距離を移動します。 本体は、アリバイ・トリックですが、特徴としては、動機の特殊性があり、「妻は、どうして、愛人を、別荘に迎え入れたか?」で、一旦、謎解きが詰まった後、捜査が行なわれ、その謎が解ける流れになります。 この、捜査で明らかになる事情が、些か、後出しっぽいですが、トリックの本体とは関係ないので、批判したくなるほど、違和感は覚えません。

  難があるとすれば、ヒロインのキャラでしょうか。 ヒロインの視点で話が進みますが、この人、別に、探偵役ではなく、ただの、色ボケ女。 たまたま知り合った、スペイン人の青年・農場経営者と、性関係になり、事件解決までの間、色ボケの限りを尽くします。 こんなヒロインて、アリか?

  で、そのスペイン青年が、探偵役なのですが、どうもねえ。 日本で生まれ育ったならともかく、大きくなってから来日した程度で、殺人事件の謎解きができるほど、日本語が達者になるような気がしませんなあ。 まあ、語学の習熟進度は、人それぞれですから、そんなところを突ついても、栓ない事ですが。

  推理小説部分は、明らかに、よく出来ている方ですが、官能小説部分があるのは、いかがなものか。 80年代だから、読者サービスという事で、出版社から、求められたのかも知れませんなあ。 なまじ、官能描写が巧いから、逆に、鬱陶しいとも言えます。

  作品の批評とは関係ない事ですが、作中に出て来る、男の妻の車、「コロナ・ハードトップ」は、たぶん、7代目コロナのハードトップだと思います。 角型デザインで、カッコいい車でした。




≪愛の探偵たち≫

クリスティー文庫 61
早川書房 2004年7月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
宇佐川晶子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 短編、8作を収録。 【愛の探偵たち】は、元は、【三匹の盲目のねずみ・他】で、コピー・ライトが、1925年から、1948年になっています。 早川書房で、表題作を変えた上で、一作省き、再編集したもの。 本全体のページ数は、約352ページ。 ノン・シリーズ、マープル物、ポワロ物、クィン氏物の寄せ集め。


【三匹の盲目のねずみ】 約130ページ

  若い夫婦が始めたゲスト・ハウスに、予約が3名、飛び入りが1名、計4名が、初めての客として、泊まりに来る。 大雪で、外界と隔絶してしまったところへ、「殺人犯が、復讐の為に、客に紛れているかも知れない」と、警察から連絡があり、一人の警官がスキーを使って、乗り込んで来る。 ところが、犠牲者が出てしまい・・・、という話。

  ページ数からすると、短編というよりは、中編。 元は、ラジオ・ドラマ用に書き下ろした話らしく、その関係で、珍しく、中編になった模様。 中編は、中途半端になりがちですが、この作品は、そういう事はなくて、よく出来ています。 大雪で、宿に閉じ込められて、電話線まで切られてしまうという、些か、月並みな設定が、巧く活かされていて、ゾクゾク感を、存分に味わう事ができます。

  フー・ダニット物にしては、人数が少な過ぎで、なんと、宿の経営者まで、容疑者の頭数に入って来ます。 もう一人、最も怪しくない人物まで、容疑者になりますが、読み手によっては、アン・フェアと取られる危険性があります。


【奇妙な冗談】 約26ページ

  ある人物が、財産を遺すと甥や姪に言いおいて、他界したた。 甥・姪は、女優ジェーンから、マープルを紹介されて、宝探しをしてもら。 マープルは、現場を見て、いとも容易に、机の隠し物入れから、手紙の束を見つけ出すが・・・、という話。

  映画、≪シャレード≫ですな。 もちろん、こちらの方が早いですが、たぶん、このアイデアは、クリスティーさんが発祥ではなく、推理小説界で、多くの作家に使い回されていたものではないかと思います。 もし、オリジナルだったら、短編に使う事はないでしょう。


【昔ながらの殺人事件】 約30ページ

  仕立物師の女性が、仕事を頼まれて、ある家を訪ねたら、その家の夫人が殺されていた。 容疑は、夫にかかるが、マープルは、最初に現場に入った警官が拾った針に着目し・・・、という話。

  マープルは、人格を分類して、推理を進めるタイプですが、そのせいで、「この人は、人殺しをしたりしない」と、決め付ける癖があり、最終的に、それが、事実だと分かると分かっていても、何となく、気に障ります。 そういう事を言い出すと、マープル物は、楽しめなくなってしまうのですが。

  犯人と被害者の関係が、謎解きの段になって、初耳的に語られて、大いに、後出しっぽいです。 やはり、クリスティーさんは、短編を、軽く考えていたようですねえ。


【申し分のないメイド】 約28ページ

  言いがかりのような理由で、メイドを解雇した、姉妹の雇い主。 なかなか、後釜が見つからないだろう、という村の噂に反して、すぐに、申し分のないメイドが応募して来た。 ところが、そのメイドは、ある日、姿をくらましてしまい、同じ建物に住んでいる人達の貴重品が、ごっそり盗まれていた。 マープルは、引っ越して行った姉妹を追うように、警察に申し入れ・・・、という話。

  一人二役物。 二人の人物が、同時に人前に現れる事がない、という、アレですな。 短編で、さらっと書かれると、何だか、テキトーに、はぐらかされたような気分になります。 どうも、あまり、よい出来とは言えませんねえ。


【管理人事件】 約28ページ

  ヘイドック医師が、自分で書いた小説を、マープルに読ませ、謎解きをしてみるように求める。 金持ちの娘が、元不良青年と結婚して、青年の故郷にあった古い屋敷を建て替えて、住み始める。 元管理人だった老婆が、屋敷を建て替えて、自分達夫婦を追い出したのが気に入らないのか、顔を合わせるたびに、呪いの言葉を口にし・・・、という話。

  ノン・シリーズの長編、【終りなき夜に生まれつく】(1967年)の元になった作品。 入れ子式にして、強引に、マープル物に仕立ててありますが、マープル物にする必然性は、別段ありません。 犯人も同じなので、先にこちらを読めば、長編の方も分かってしまいますが、そういう人は、ほとんど、いないでしょう。


【四階のフラット】 約38ページ

  一緒に遊びに出た男女四人の若者達。 夜、女の一人の部屋に戻って来たが、鍵が見つからない。 やむなく、石炭用のリフトに、男二人が乗り込み、地下室から、上へ上がったが、階数を数え間違えて、一つ下の階の部屋に出てしまった。 その部屋で、死体が発見され、二つ上の階の住人、ポワロが登場し・・・、という話。

  全く偶然、死体を発見しただけなら、この面子では、推理物になりませんから、偶然ではないという事なり、となると、最初に死体のある階の台所に踏み込んだ時、電灯を点けなかったのはなぜか、という点が、問題になり、そこから、謎が解かれて行きます。 鍵はともかく、動機を示す手紙が、その場で発見されてしまうのは、些か、御都合主義ですが、ポワロのやり方が鮮やかなので、あまり、気になりません。


【ジョニー・ウェイバリーの冒険】 約28ページ

  誘拐予告があった後、警察が警備していたにも拘らず、予告日時通りに、あっさり、子供が誘拐されてしまった。 事件を持ち込まれ、現場の屋敷に乗り込んだポワロは、自信満々で、子供が無事である事を断言し・・・、という話。

  2サスで、よくあるパターン。 よくあり過ぎて、メインの事件ではなく、前座の事件に使われる方が多いほどです。 しかし、この作品は、書かれた時代も古いし、短編だから、めくじら立てる事もありますまい。 だけど、現代の読者が、こういう作品で、ゾクゾクするのは、無理な相談ですな。

  ちなみに、タイトルの、「ジョニー・ウェイバリー」とは、誘拐された子供の名前ですが、面白い事に、この少年、一回も顔を出しません。 このタイトル自体が、洒落なんでしょう。


【愛の探偵たち】 約44ページ

  サタースウェイトが、警察関係者の友人の家にいる時に、殺人事件の一報が入り、共に、現場へ向かう。 途中、軽い交通事故があり、相手の車に乗っていたのは、クィン氏だった。 三人で、殺人があった屋敷に行くと、屋敷の主が撲殺されていた。 妻は、「自分が撃ち殺した」と自白し、駆けつけた妻の友人の男は、「自分が刺し殺した」と自白した。 互いに、相手を庇っていると思われたが、クィン氏は、首を傾げて・・・、という話。

  大岡越前に、頻繁に出て来る、親子や夫婦で、互いを庇って、嘘の自白をするパターンは、イギリスでも、よく使われているようで、そのパロディーです。 普通は、庇い合っているだけだから、どちらも、犯人ではないわけですが、この作品では、もう一捻りしてあります。 クィン氏は、通常、危機にある恋人たちを救う為に登場するのですが、この作品は例外かというと、そうではなく、ちゃんと、救っています。




≪教会で死んだ男≫

クリスティー文庫 62
早川書房 2003年11月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
宇野輝雄 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 短編、13作を収録。 【教会で死んだ男】は、元は、二つの短編集、【負け犬・他】(1951年)、と、【二重の罪・他】(1961年)から選んで、早川書房で再編集したもの。 本全体のページ数は、約446ページ。 ポワロ物、マープル物、他、の寄せ集め。


【戦勝記念舞踏会事件】 約36ページ

  本格的な舞踏会で、貴族の男が殺され、その後、被害者と婚約の噂があった女が、自宅で、コカイン中毒で死んでいるのが発見された。 ポワロは、被害者の仮装した服から、糸玉が取れていた事や、死体が、死亡推定時刻よりも、硬直が進んでいた事などから、犯人による、すり変わりが行なわれたと見抜く話。

  結構、複雑な話でして、この程度の梗概では、説明できません。 36ページの短編に詰め込むには、内容が多過ぎ。 複雑過ぎて、トリックが捉え難く、読者の推理による謎解きなど、とても、無理です。 子供騙しは、すぐに分かってしまう一方で、この手の作品は、複雑過ぎて、分かり難く、どうも、クリスティーさんの短編は、バランス的に、問題が多いです。


【潜水艦の設計図】 約36ページ

  イギリスの国運がかかった、最新潜水艦の設計図が、大臣の屋敷から盗まれた。 依頼を受けたポワロは、屋敷にいた客や、大臣の家族に聞き取り調査をし、大臣の妻と、少し話をすると、さっさと帰ってしまった。 後日、大臣から、感謝の手紙が届く話。

  ホームズ物に出て来そうな、失せ物がモチーフの話ですが、なくなった思われたが、実は、なくなっていなかった、というパターンで、ポワロが、発見するわけではないです。 設計図の現物は、一回も出て来ません。 盗まれた事にしたのには、事情があったわけですが、その辺りに、どうも、政治家の事を、悪く書きたくない意識が感じられます。


【クラブのキング】 約38ページ

  演劇興業主の別荘から、隣家に駆け込んだ、女ダンサーが、「浮浪者が襲って来て、興業主が殺された」と訴えた。 ポワロは、殺人があった別荘と、隣家を行き来して、聞き取りや観察を行ない、事件当時、隣家の家族がやっていたブリッジの手を見て、異常に気づく話。

  カードの枚数が、一枚足りなかった事から、何時間もブリッジをやっていたというのが、嘘だと知れるわけですが、そこはまあ、いいとして、たまたま、隣に住んでいた家族が、別荘に来ていた人物と、濃厚な関係があった、というのは、偶然が過ぎるか。 言うまでもない事ですが、推理物に於いて、実際には起こり得ないような偶然が出て来ると、アンフェアどころの話ではなく、御伽噺になってしまいます。


【マーケット・ベイジングの怪事件】 約22ページ

  ポワロ、ヘイスティングス、ジャップ警部の三人が、田舎で休暇を過ごしていた時、地元の警官から、自殺か殺人か分からない事件が起きたと聞かされ、捜査に引きずり込まれてしまう。 自殺にしては、拳銃を持った手の位置が、傷口に合わず、ごく最近、その家に滞在を始めた夫婦者にも、怪しいところがあり・・・、という話。

  殺人事件と見せかけて、実は・・・、というパターンですが、尻すぼみな話になるので、普通、推理物では使われません。 しかし、さすが、クリスティーさん、うまく、話を成り立たせています。 見せかけた人物の動機が、巧みに工夫されていて、面白いです。


【二重の手がかり】 約26ページ

  宝石蒐集家が開いたパーティーで、宝石が盗まれる。 宝石が保管されていた金庫がある部屋に入ったのは、4人だけで、金庫には、手袋の片方と、「BP」と入ったシガレット・ケースが落とされていた。 ロサコフ伯爵夫人に目をつけたポワロは、ロシア語のテキストを勉強し始め・・・、という話。

  キリル文字と、ローマ字では、同じ形の文字でも、違う発音になるものがある、という、割とよく使われる謎です。 書かれた当時はいざ知らず、今となっては、2サス・ネタのレベルでして、どうにも、安直。 ロサコフ夫人のお陰で、何とか、格好がついている観あり。 この夫人は、ポワロ物に出て来るキャラクターの中では、変わり種で、罪を犯しても、ポワロが許してしまう事が多いです。


【呪われた相続人】 約30ページ

  先祖が残虐行為をしたのが原因で、「長男は、相続できずに、死ぬ」という呪いがかかっていると言い伝えられている一族。 現代になっても、長男に当たる者が、続々と死んで行く。 現当主の妻から、まだ、子供である長男を守ってくれと依頼されたポワロは、ヘイスティングスと共に、屋敷に乗り込んで行き・・・、という話。

  こういう呪いの言い伝えがあると、遺産を狙っている者達には、好都合で、代々、長男を殺しまくって来たんでしょうな。 ポワロが解決した件に関しては、犯人が、精神異常だった事になっていて、動機的には、確かに、ありえないような事をしています。 こういう異常者でも、殺人計画は立てられるのだから、怖い事です。


【コーンウォールの毒殺事件】 約34ページ

 歯科医の夫から毒を盛られているのではないかと疑っている夫人が、ポワロの下に相談に来る。 翌日、夫人の家を訪ねたポワロ達は、夫人が亡くなったと聞いて、驚く。 夫には、仲を疑われている看護師がおり、一応、夫人を殺す動機があった。 一方で、夫人の姪と、その婚約者がいて・・・、という話。

  真犯人の、「期する所の利益」が入り組んでいて、理解できると、「ああ、なるほどねえ」と、頷かされます。 デビッド・スーシェさんのドラマでも、この話は、印象に残っていました。 短編の中では、よく出来ている部類。 謎解き・犯人指名の場面での、ポワロと犯人のやりとりも、気が利いています。 ほんとに、よく、出来ているなあ。


【プリマス行き急行列車】 約36ページ

  プリマス行きの急行に乗っていた人物が、座席の下から、女の死体を発見する。 被害者は、富豪の娘で、賭け事好きの夫とは不仲。 昔の恋人と、近づきつつあった。 夫人は、当初の予定を変更し、乗り換え駅で、メイドを待たせ、先へ向かったとの事だった。 メイドの証言では、最後に、夫人と一緒にいる背の高い男を見たという事だったが・・・、という話。

  ポワロ物の長編、【青列車の秘密】(1928年)の原形短編。 ストーリーは、ほぼ、同じ。 短編としては、設定が細か過ぎるように感じられますが、こちらを書いていた時から、いろいろなアイデアが湧いて、いずれ、長編に書き直そうと思っていたのかも知れませんな。

  ヴァン・ダインの二十則に反しますが、こういう出来のいい作品を読んでいると、ヴァン・ダインの二十則の方がおかしいような気がして来ますねえ。 「この人物が犯人で、何が問題なのだ?」と、ほぼすべての読者が思うはず。 ポワロが、共犯者の事を、「小柄な男」と推測して、ジャップ警部を驚かせる場面は、痛快。 なぜ、小柄と分かったかというと、メイドの証言と正反対だから、というのが、明快で、素晴らしい。


【料理人の失踪】 約34ページ

  個人宅で雇っていた料理人の女が、突然いなくなってしまった。 女のトランクを取りに来る者がいて、辞めたようだが、あまりにも、急である。 その家の夫人から依頼を受けたポワロは、つまらない事件に、馬鹿馬鹿しいと思いつつも、調べて行く内に、その家に、有価証券を持ち逃げしてニュースになっている銀行員の同僚が、下宿していると分かり・・・、という話。

  デビッド・スーシェさんのドラマでは、この話が第一作でした。 タイトルは、「コックを捜せ」になっていましたが。 ドラマの製作者は、粋な選択をしたものですな。

  ホームズ物の【赤毛連盟】と同じで、犯罪をするのに邪魔になる人間を追っ払ったわけですが、この作品の場合、大掛かりな嘘の相続話をデッチ上げて、料理人を追っ払い、手に入れたかったものが、あまりにも、つまらないものなので、大いに驚かされます。 クリスティーさん一流の、パロディーなんでしょうな。 凄い洒落。


【二重の罪】 約36ページ

  列車の替わりに、バスで、保養地へ向かう事になった、ポワロとヘイスティングス。 車中で出会った若い女性は、叔母が営む骨董商で働いていて、高価な細密画を、客の所に運ぶ途中だった。 ところが、彼女のトランクから、細密画が盗まれ、別人の手によって、客の元へ届けられて、代金が支払われてしまった。 盗品なので、客は、骨董品店に、細密画を返さなければならなくなったが・・・、という話。

  犯罪のアイデアが、妙に凝っています。 こんな事を思いつくのは、本物の犯罪者だけなのでは? これは、実際に起きた、同類の事件があって、そこから、頂いたんじゃないですかねえ。 ただ、どんなに巧緻な犯罪アイデアであっても、こんな事を繰り返していれば、店は、信用を失って、すぐに潰れてしまうでしょうな。


【スズメ蜂の巣】 約24ページ

  知人の家へ、ふらりとやって来たポワロ。 殺人事件の捜査に来たが、まだ起こっていない事件で、未然に防げれば、それに越した事はないと、奇妙な事を言う。 知人の家の庭には、スズメ蜂の巣があり、知人は、恋敵の男に、駆除を依頼していた。 知人は、駆除に、ガソリンを使うべきだと主張していたが、その男は、薬局で、青酸カリを買う様子が目撃されており・・・、という話。

  犯人がしようとしているのは、殺人そのものではなく、犯人によって陥れられた人物が、死刑になる事によって、殺人が行なわれるという、凝った計画です。 クリスティーさんは、読者に目晦ましを仕掛ける技術に、図抜けた才能を発揮する時がありますな。 この作品が、正にそれで、短編とは思えないほど、よく練られています。 素晴らしい。


【洋裁店の人形】 約46ページ

  経営者のほか、数人が働いている洋裁店。 いつからか、ぐんにゃりと締まりがないが、妙に存在感がある人形が置かれるようになった。 ソファの上に置いておくと、誰も触っていないのに、他の場所へ移動している。 部屋に鍵をかけたが、やはり、移動は止まらない。 経営者は、気味が悪くなって・・・、という話。

  これは、推理物ではなく、オカルトです。 怪奇小説と言えば、怪奇小説ですが、ラストでは、純文学的な余韻が残ります。 店の者が、誰一人、この人形を可愛がろうとしなかったというのは、人形側からすれば、残酷な話。 最終的には、外部の者の手に渡りますが、たぶん、そちらでは、普通の人形として扱われ、怪奇現象も起こらないのでしょう。


【教会で死んだ男】 約48ページ

  教会の敷地内で、銃撃を受けた男が発見され、手当ての甲斐もなく、絶命する。 いまはの際に「サンクチュアリ」、「ジュリアン」という言葉を遺していた。 男の親族と名乗る夫婦が、遺品を取りに来るが、男が着ていた背広に拘る様子を奇妙に思った牧師の妻は、背広を渡す前に調べ、隠してあった手荷物預り証を抜き取っておいた。 それを、マープルの所へ持ち込んだところ・・・、という話。

  田舎の教会で死体、というのは、いかにも、マープル物的な舞台設定で、嬉しくなってしまいますな。 ただし、この村は、マープルの住んでいる村ではありません。 また、この作品でのマープルは、ロンドンに滞在しています。

  ちょっと、死んだ男の遺した言葉や物が、多過ぎる感あり。 これだけ、手がかりがあれば、マープルでなくても、解決できるでしょう。 舞台設定は良いけれど、謎の練りが、今一つ。 ちょっとしたアクション場面があるのは、足りないところを補おうとしたのかも知れません。




≪クリスマス・プディングの冒険≫

クリスティー文庫 63
早川書房 2004年11月30日/初版
アガサ・クリスティー 著
橋本福夫・他 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 短・中編、6作を収録。 【クリスマス・プディングの冒険】は、コピー・ライトが、1960年になっています。 本全体のページ数は、約400ページ。 ポワロ物、マープル物の寄せ集め。


【クリスマス・プディングの冒険】 約96ページ

  ある国の王子がイギリスに持ち込んだ宝石が、遊び相手の女に持ち逃げされた。 その女が正体を隠して潜んでいると思われる屋敷に乗り込んだポワロ。 クリスマスの夕食に、皆に分けられたプディングの中から出て来た宝石を、こっそりと、ポケットに入れた。 夜半、ある男が、ポワロの部屋に忍び込んで来て・・・、という話。

  ある国の王子というのは、話の箱に過ぎません。 ポワロに、失せ物探しをやらせるには、のっぴきならない理由が必要だから、つけただけ。 デビッド・スーシェさんのドラマでは、その王子が印象的でしたが、本来は、話の中心とは、関係がないです。

  プディングの中に、いろいろな物を入れて、それが当った人は、それ特有の運命が待っている、という余興でして、この頃のイギリスでは、そういうクリスマスの風習が一部に残っていたようです。 「ベルギーでは、クリスマスは、子供の為のもの」という情報が、興味深い。 同じヨーロッパでも、違いがあるんですな。

  屋敷にいる子供達が、ポワロに一杯食わせようと、偽の殺人事件を計画するところが、面白いです。 まんまと騙されたポワロが、その後、余裕で逆転するところも、痛快。 しかし、この被害者役の女の子、後で、他の子達から、裏切り者扱いされてしまうんじゃないでしょうか。


【スペイン櫃の秘密】 約90ページ

  ある夫妻が、パーティーに招かれたが、夫が急に行けなくなり、妻だけが出席した。 翌朝、夫が、パーティーがあった家の客間に置かれた、大櫃の中で、刺し殺されているのが発見され、その家の主が逮捕された。 主は、被害者の妻と、いい仲になっていた。 ポワロが、乗り出して、解決に当たる話。

  この作品は、短編集、≪黄色いアイリス≫に入っている、【バグダッド大櫃の謎】を増幅して、書き改めたものです。 ヘイスティングスが出て来ないにも拘らず、3倍弱の長さになっています。 デビット・スーシェさん主演のドラマでは、こちらが原作だったんですな。 主な部分は、共通してますけど。


【負け犬】 約124ページ

  貴族の事業家が別荘で殺され、前の晩に口論をしていた、甥が逮捕される。 秘書が犯人だと主張する被害者の妻から依頼を受けたポワロが、別荘に長期滞在し、犯人を追い込んで行く話。

  短編と言うには長過ぎで、明らかに、中編。 フー・ダニット物で、真犯人以外にも、怪しい人間が、数人 出て来ます。 ちょっと書き足せば、長編にも出来たと思いますが、あまり、出来がいい話ではないので、書き改める対象にならなかったのかも知れませんな。 特に、結末が悪い。 ヴァン・ダインの二十則に抵触している点に目を瞑っても、この犯人では、捻りが足りません。

  登場する面々に、怒りっぽい人物が多い中で、最も怒りっぽくない人物を、ポワロが捜していたというのが、大きなヒントになります。 その点は、この作品独自のアイデアなのですが、どうも、ストーリーに巧く当て嵌まっていない、もどかしさがありますねえ。

  面白いのは、催眠術が聞き取りに使われている事で、この作品、1926年の作だそうですが、その頃だからこそ、使えた手ですな。 催眠術で、真相が分かるなら、その後の推理小説は、みーんな、催眠術ネタになってしまったでしょう。


【二十四羽の黒つぐみ】 約32ページ

  長年、同じレストランで、同じメニューを注文していた高齢の人物が、ある時、それまで食べなかった物を、三種類も注文し、食べて行った。 その後、彼が、転落死した事が分かる。 彼には、双子の兄と、甥がおり、兄は長く患っていたが、先に死んだ妻の遺産があって・・・、という話。

  ポワロは、知人と、そのレストランで食事をしていて、会話の中で、たまたま、その人物の話題が出たという導入部。 その後は、依頼者なしの捜査です。 金に困っているわけではないから、そういう事もやるわけだ。

  クリスティーさんお得意の、なりすまし物ですが、男の場合、長期間、なりすますのではなく、ほんの短時間、一回だけ、化けるというパターンが多いですな。 何を注文すべきかまで考えていなかったのは、犯人の粗忽さを表しています。 気の利いた話で、ホームズ物に出て来ても、いいようなアイデア。


【夢】 約52ページ

  富豪の要請で、屋敷を訪れた、ポワロ。 相談内容は、自室で、ピストル自殺する夢を、繰り返し見るというものだった。 ポワロが、現場になる部屋を見せて欲しいというと、それは叶わず、帰されてしまう。 一週間後、富豪がピストル自殺したという連絡が入る。 ポワロは、生前の会見で感じた、不可解な点に引っ掛かり・・・、という話。

  気が利いた話です。 短編用のアイデアとうのは、あるものなんですな。 長さとアイデアのバランスが絶妙。 容疑者を追加し、心理描写で水増しすれば、どんな短編でも、長編にできますが、アイデアは、水増しが利かないから、違和感が出てしまいます。 短編として、完成度が高いから、書き改めるような事をしなかったのでしょう。

  これ話でも、ポワロは、タダ働き。 警察は、ポワロが絡んでくれれば、確実に解決するから、楽でいいですな。 犯人は、ポワロを、証人として利用したわけですが、実力を知っていれば、それが、どれだけ危険な事か、分かったでしょうに。 無知とは、怖いものです。


【グリーンショウ氏の阿房宮】 約60ページ

  ある男が、一代で財を成し、驚くような豪邸を建てたが、その後、零落し、今は、子孫の女主人が、僅かな使用人達と住んでいる。 女主人は、建物に興味があって訪れたマープルの甥、レイモンド達を、遺言書の立会人にした。 その後、日記を整理する為に雇われた、マープルの親戚の女性が見ている前で、矢で射られて、殺され・・・、という話。

  なりすまし物。 なりすまし物に、うんざりしている人達を除き、大抵の読者は、良く出来た話だと思うと思います。 レイモンド達が会った女主人と、その後に出て来る女主人が、別人という点が、ゾクゾクしますな。

  「阿房宮」は、秦の始皇帝の宮殿ですが、原題では、「Folly」となっていて、「馬鹿げた大建築」の意味があるそうです。 阿房宮自体は、超大国の天下人の宮殿なので、大きくて、当たり前。 別に、馬鹿げているわけではありませんが。



  ≪クリスマス・プディングの冒険≫の総括ですが、【負け犬】はさておき、他の5話は、よく出来ています。 ≪ポワロ登場≫あたりと比べると、同じ作者の手とは思えないほど、レベルが高い。 短い、【二十四羽の黒つぐみ】でも、完成度は高いです。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、2023年の、

≪魔性の月光≫が、7月12日から、13日。
≪愛の探偵たち≫が、7月18日から、20日。
≪教会で死んだ男≫が、7月20日から、23日。
≪クリスマス・プディングの冒険≫が、8月2日から、6日。

  短編というのは、感想なんか書かずに、夜、眠る前に、横になってから、一作だけ読むというのが、本来の楽しみ方なんでしょうなあ。 図書館の本を、寝床で読む気にはならないので、買うよりも借りる方が圧倒的に多い私には、なかなか、できない事です。