2023/11/19

実話風小説 (22) 【罰当たりな男】

  「実話風小説」の22作目です。 このシリーズ、書くのがきついので、毎回、月末の〆切りが迫るたびに、げんなりしているのですが、実際に書き始めると、半日くらいで、一応、形になるので、続けて来てしまった次第。 やめたいのは、山々川々なんですが、やめると、他の記事を用意せねばならず、それはそれで、困ってしまうのです。




【罰当たりな男】

  男Aは、子供の頃から、罰当たりな奴だと見做されていた。

  幼稚園児の時、近所の共同墓地で遊んでいて、あるお墓の墓誌を足で蹴飛ばし、地面に落として、割ってしまった事があった。 一緒に遊んでいた友達が、大声を上げたので、近くの家から大人が来たが、男Aは、いち早く逃げ出してしまった。 取り残された友達が、証言したので、すぐに、犯人が誰かバレた。

  男Aの父親は、20万円弱の弁償を求められて、「子供がやった事なのに、高過ぎる」と文句を言った。 墓誌を壊された家では、弁護士に相談し、「旧状回復するのにかかる金額だから、高くない。 やったのが、子供でも大人でも、他人の財産を損壊した事に変わりはないのだから、そもそも、値切るような事ではない」と言ったが、父親は、納得しなかった。

  父親は、墓地で一緒に遊んでいた子供の家に行き、半額もつように提案した。 その家の父親は、道理に外れた事が嫌いな人で、男Aの父親を怒鳴りつけた。

「お宅の息子がしでかした事を、なんで、うちで、責任とらなきゃいけないんだ! 墓誌を力任せに蹴飛ばしたのは、誰だ? うちの息子か? そうじゃない! あんたの息子だ! ガンガンて蹴飛ばしたそうだ! うちの息子は、『やめなよ』って、止めたんだってよ! でも、あんたの息子は、『うるせー』って言って、蹴飛ばし続けたんだそうだ! それでも、うちの息子のせいか? 馬鹿も休み休み言え!!」

  激怒している様子に肝を潰した男Aの父親は、捨て台詞も言わずに、逃げ帰った。 いろんな意味で、情けない親である。 結局、弁償は、男Aの家だけでする事になった。 当たり前の事ではあるが。



  小学3年の時には、こんな事があった。 ある友達が、一緒に遊ぼうと、男Aを、自分の家に招いたのだが、その時、男Aが、水槽の金魚を殺そうとしたのである。 出された乳飲料を、「濃過ぎる」と言って、飲まず、薄めてもらえばいいものを、何を思ったか、金魚の水槽に、ドボドボ、流し込んだのだ。

  気がついた、友達の母親が、すっ飛んで来た。

「なにやってんのーっ!」

  大急ぎで、バケツに水を入れ、網で金魚を掬い出したので、死なせずに済んだ。 よその子を叱るのも、問題があると思い、男Aを帰した後で、その家に電話して、事情を伝えた。 男Aの母親は、平謝りに謝ったが、後で話を聞いた父親が、電話をかけ直して来て、こう言った。

「お宅ねえ。 金魚くらいで、何を大騒ぎしてるんですか。 時代劇、見た事ないの? 殿様の毒見で、水槽の金魚が、プカプカ浮いてるじゃないですか。 そんなの、普通の事でしょ?」

  男Aの死生観は、父親の影響が大きかったのだ。 友達の母親は言った。

「そういう考え方が、怖いです。 命をなんだと思ってるんですか? いいえ、考え方を変えろとは言いませんから、お宅の息子さんに、もう、うちの子とは、遊ばないように言って下さい」



  小学4年生の時に、同級生達と、悶着が起こった事があった。 友達という程ではないが、普段、よく話をしている男児が、いつになく元気がない。 話しかけても、乗って来ずに、生返事を返すばかり。 男Aが、しつこく、理由を訊くと、「飼っていた猫が死んだ」と答えた。 周囲にいた、5人の内、4人は、神妙な顔つきになったが、男Aだけが、「プッ!」と、噴き出した。

「なんだ、そんな事か~! おどかしやがって! あはははは!」

  他の男児が止めた。

「おい、よせよ」
「なーにが~! 猫だろ~!」

  些か、微妙な問題だが、ペットの死を経験した事がない人間だと、こういう態度になり易い。 家族同様の動物を失った痛みが、分からないのである。 子供も大人も関係ない。 もめているのを見た担任教師も、ペットを飼った経験がなかった。 事情を聞いても、男Aが悪いと判断できなかった。 逆に、飼い猫を失った男児に、「いつまでも、くよくよしてるな」などと、心ない説諭をした。

  この一件は、PTAの会合で、問題になり、担任教師が呼ばれて、ペットの命をどう考えているのか、問い質されたが、「大事なのは、人間ですよ」だの、「ペットは、殺しても、法律的には、物扱いなんですよ」だの、戯言のような答えしかしなかった。 同席していた、犬好きで有名な校長は、怖気を振るい、年度末を待って、この教師を、転勤させてしまった。

  男Aの家でも、鶏を飼っていたが、卵と肉が目当ての、家禽であり、男Aが可愛がるような事はなかった。 幼い頃、卵を取りに小屋に入って、親鶏に突っつかれた事があり、むしろ、鶏を嫌っていた。 卵や肉を食べるのは、好きだった。 家で飼っている動物を、ペットと見ているか、家畜・家禽と見ているかで、動物の命に対する考え方は、大きく異なる。 戦前生まれの世代は、ペットという概念が分からない者が多く、そういう親の影響を受けていると、戦後生まれや、それ以下の世代でも、動物の命を軽く見ている場合がある。



  小学6年の時には、こんな事をした。 やはり、同級の男児に、祖母が亡くなって、通夜・葬儀で、二日間休み、三日目に登校して来た者がいた。 祖母には、可愛がってもらったので、失ったショックは大きく、人が変わったように、落ち込んでいた。 そこへ、男Aが、声をかけたのだ。 肩を荒々しく叩きながら、笑顔で、

「なんだよーっ! 元気出せよーっ」
「・・・・・」

  小4猫事件の時の記憶がある、他の男児が、すっ飛んできた。

「よせっ! 馬鹿っ!」
「何がだよーっ!」
「いいから、余計な事を言うなっ!」
「何が余計なんだよーっ! 俺は、元気づけようとしてるだけだろーっ!」
「おまえ、人の痛みが分からないんだから、よせって言ってるんだ!」
「じゃあ、いつまでも、落ち込んでりゃいーってーのかよーっ!?」

  クラス中の人間が集まって来て、男Aを責め立てた。 しかし、男Aは、そもそも、人の痛みが分からないから、一歩も引かなかった。 祖母を失った男児は、気分を悪くし、顔色が真っ青になった。 傷ついた心の中に、土足で踏み込まれたのだから、無理もない。 保健係の女児に付き添われて、保健室へ行こうとしたら、男Aが、食ってかかった。

「逃げんなよーっ! おまえのせいで、こんな騒ぎになっちまってんだぞーっ!」

  もはや、非難囂囂である。 こんな男Aだが、クラスで鼻抓み者というわけではなく、むしろ、ムード・メーカーで、人気がある方だった。 子供の世界の人物評価など、いい加減なものなのだ。 男Aは、ムード・メーカーである事を自認していたからこそ、自分が作ろうとするムードに反し、落ち込んでいる者がいるのを、許せなかったのだろう。 余計な事を言った動機は、せいぜい、その程度のものである。

  この時は、担任が、歳の行った人で、こういう問題に、経験があった。 男Aを職員室に呼び出して、説諭を試みた。

「おばあさんが亡くなったんだから、落ち込むのは当たり前なんだ。 無理に元気づけようとしたって、本人はつらいだけだ。 時間が経たないと、駄目なんだ」

  男Aは、ハスを尖らせて、反論した。

「僕だって、おばあさん、死んでるけど、落ち込んだりしませんでした」
「Aは、おばあさんと、一緒に暮らしてなかっただろう。 家族と親戚は違うんだよ。 もし、Aの、お父さんや、お母さんが亡くなったら、普通じゃいられないだろう?」
「・・・・・」

  男Aは、理解して黙ったわけではない。 父親や母親が死ぬという事を、想像できなかったのである。



  中学生の時にも、問題行動をやらかした。 しかし、これは、本人以外は、友人3人しか知らない。 同じ部活の仲間、4人組で、自転車で、渓流沿いの穴場スポットへ、出かける事になった。 子供が自転車で行ける、ギリギリの距離である。 泊りではないが、鍋や飯盒、食材を持って行って、煮炊きして食べようというのである。

  目的地に着いたが、持ち寄った食材が、思っていたよりも少ないので、3人で、買い出しに行く事になった。 男Aが残り、先に、ご飯だけ炊いておく事に決まった。 近くの食品雑貨店で、缶詰などを仕入れた3人が、戻って来ると、打ち合わせ通り、男Aは、石を組んで、竈を作り、飯盒で、ご飯を炊いていた。 お調子者で、いい加減な人間だと思っていた男Aが、意外にも、しっかりした能力を見せたので、他の3人は、見直した。

  さて、缶詰を開けて、鍋で温めようとしたが、竈を作るのに、適当な大きさの石がない。 大きさ云々以前に、そもそも、周囲は、草叢で、石そのものがない。 男Aが作った竈の石をどこから持って来たのか、3人とも、首を傾げた。

「ちょうどいい石が、よくあったな」
「その辺にあったよ。 ちょうど良くな。 ふふふ」

  男Aの態度が、思わせぶりなので、不可解に思い、長辺40センチくらいの石を良く見たら、なんと、浮き彫りの人の形が見えるではないか。

「あっ! こりゃ、お地蔵さんじゃないか! おまえ、地蔵を持って来たのか!」
「1個だけな。 他の4個の石は、川原まで下りて、拾って来たんだよ」
「1個だけとか、そういう問題じゃないだろ!」

  大慌てで、飯盒を下ろし、地蔵を取り出したが、背中側が、真っ黒に焦げて、見るに耐えない有様。 3人で、地蔵を、川原へ運び、川の水で洗ったが、焦げ痕は、ほとんど、落ちなかった。 地蔵を運び戻した3人は、男Aに詰め寄った。

「どーすんだ、これ!?」
「どーもしねーよ。 このまま、置いときゃいーんじゃねーの」
「そうは行くか! 犯罪になっちまうぞ!」
「それじゃ、逃げるしか ねーな。 わはははは!」

  で、どうしていいか分からず、元の場所に戻すだけは戻し、食える物だけ、大急ぎで食ってから、本当に、逃げたのである。 焦げた地蔵は、数日後に、村人の発見するところとなり、「罰当たり! キャンパーの仕業か?」という見出しで、地方新聞に取り上げられた。 「近くの食品雑貨店で、数日前に、缶詰を買いに来た中学生3人が目撃されている」と、記事に書かれた。 しかし、男A達の中学は、20キロも離れていたので、警察の捜査が及ばなかった。

  懲りた3人は、それ以後、男Aと、遊びに行くのをやめた。 彼らは、男Aについて、語りあった。

「罰当たりも罰当たりだが、地蔵を作った人や、拝んでいる地元の人の気持ちなんて、全く考えていないんだよ、あいつは。 でなきゃ、あんな事、できないよ」



  さて、将来が思いやられた男Aだが、それ以降は、この種の問題を起こさなかった。 自分自身は、もちろん、周囲にも、死の影が遠く、弔い事や、宗教関係の物事に関わる機会がなかったからである。 死生観に問題がある以外は、まあまあ、普通の人間だったわけだ。

  高校は、地域の中程度のところを出た。 大学も、無名私立だが、一応、出た。 運送会社に就職し、物流倉庫に配属された。 大卒でも、無名校なので、仕事は、高卒と同じ、現場作業だった。 出世とは無縁。 35歳を過ぎても、ただの作業員として、勤めていた。 25歳の時に、職場結婚して、すぐに、子供が出来た。 男の子と女の子の二人。 家族四人で、傍から見れば、まずまず、幸せそうな家庭だった。 

  男Aの妻は、夫に、違和感を覚える事があった。 妻方は、母親が他界していたので、毎年 お盆に、家族で寺へ、墓参りに行っていたのだが、その時に見せる、夫の態度が、おかしかったのである。 どうも、男Aにとって、墓参りとは、「掃除して、花を供えて、線香を上げる」だけの事のようなのだ。 妻は、実の母親が眠っているので、手を合わせて、心の中で、母親に話しかけているのだが、男Aの方は、線香を上げ終わると、子供達に向かって、

「ハイ、ナムナム! 墓参り、完了! さあ、どこで、昼飯、食べようか!」

  といった調子なのだ。 妻にしてみると、なんだか、自分の母親を蔑ろにされたようで、衝撃的に、不愉快だった。 夫を無視して、子供に指図し、一緒に拝ませていると、男Aは、クスクス笑いながら、妻の腕を、自分の肘で押した。

「なに、真剣に拝んでんだよ?」
「いいから、ほっといて。 あたしは、お母さんに話があるんだから」
「・・・・。 馬っ鹿じゃねーの? おふくろさん、死んでんだぜ。 話しかけても、返事 ねーだろーが」

  ゲラゲラ、笑い始めた。 男A、35年間生きても、全く、成長していないのである。 妻は、そういう夫に、ゾーッとしたが、離婚するほどの事ではなかった。 ただ、ある年以降、夫を墓参りに連れて行く事をやめた。 自分と子供達だけで出かけ、子供達には、先祖を大事に思うように、指導した。 夫の悪影響を恐れたのだ。



  妻が、もう一つ、ゾーッとしたのは、夫が、動物の命を、何とも思っていない点だった。 一度、引っ越しをしたのだが、引っ越し先のアパートを探す時に、ペット可の所が少ないというので、男Aが、妻が独身時代から飼っていた小型犬を、保健所へ連れて行ったのである。 仕事から帰った妻が、犬の姿が見えないので、探していると、男Aが、事もなげに言った。

「今日、保健所に持ってったよ」
「なんだってえーっ!!」

  大慌てで、保健所へ車を飛ばし、職員に、間違いである事を、繰り返し説明した。 職員は、男Aが、犬を連れて来た時の様子を話した。

「苦しまないように、処分してやって。 苦しんだと思うと、女房が俺を逆恨みするからよー」

  その程度の考え方なのである。 職員は、男Aの妻に、

「旦那さんが、ああいう人で、大丈夫ですか?」

  と、胡散臭そうに訊いたが、とにかく、処分されてはたまらないので、何度も頭を下げて、引き取って来た。 男Aは、犬を連れて帰った妻を見て、眉間に皺を寄せ、舌打ちをした。 男Aにしてみると、妻に代わって、嫌な役を引き受けてやったのに、自分の骨折りを台なしにされた気分だった。

「どーすんだよ、それ! いい場所に、ペット可のアパートなんて、見つからないぞ!」
「どんなに場所が良くても、アパートを、犬の命と、引き換えにしたり、し!な!い! 二度と、こんな事はするな! 分かったか! 命をなんだと思ってるんだ!!」

  この時点で、妻から見た、男Aの信用は、ゼロになった。 子供達が成長し、結婚したら、夫とは離婚しようと決めた。



  男Aの父親が死んだ。 男Aが、大学進学で家を出てから、父は、母と二人暮らしだったのだが、不摂生が祟ったか、60代半ばで、肝臓癌になり、肺に転移するや、瞬く間に広がって、入院後1ヵ月もしない内に、世を去った。 まあ、それは致し方ないとして・・・。

  男Aは、父親の葬儀の為に、一週間、仕事を休んだ。 8日目に、出勤すると、香典をくれた同僚や上司に、香典返しの海苔とタオルを、配って回った。 受け取った人達は、大体、似たような反応を示した。 適当な言葉が見つからず、

「ああ、どうも。 ご丁寧に。 大変でしたね」

  といった言い方。 15人ほど いたのだが、みんな、同じだった。

「お力落としのないよう」

  と、付け足した先輩が、一人。 普段、ため口で話している人だったので、丁寧な言葉を使ったのが、意外だった。 こういう、改まった言葉を聞くと、普段の男Aなら、噴き出してしまうのだが、この時は、なぜか、笑えなかった。 当然だ。 死んだのが、自分の父親だったからだ。 男Aは、大学進学以降、ほとんど、無視して来た父親が、意外に早く亡くなった事で、柄にもなく、動揺していたのである。

  男Aにとって、身近な者の死で動揺するというのは、35歳にして、初めての経験だった。 ならば、過去に自分が、他人を傷つけて来た事を思い起こして、大いに反省したかというと、そうではない。 他人の痛みなんぞ、相変わらず、分からないのだ。 この世で自分だけが、父親を失って、傷つく人間なのだと、そう思っていた。

  仲の良くない同僚がいた。 同期入社のB氏である。 ほんの一時期だが、同じ部署で仕事をした事があり、その時、男Aが、いい加減な事をやったのを、周囲が、「いつもの事だ」と、見逃したのに、真面目なB氏だけが、問題にして、上司に報告し、修正させたのである。 客観的に見れば、B氏の行為は、当然の事だったが、男Aは、B氏を秘かに恨んでいた。

  食堂へ行く通路で、そのB氏と、ばったり出会った。 B氏は、男Aの父親が亡くなった事を聞いていて、男Aと顔を合わせると、立ち止まり、頭を下げて、言った。

「ああ、Aさん。 御愁傷様です」

  B氏からは、香典をもらっていなかった。 今は、違う部署で働いているのだから、それは、おかしくない。 しかし、男Aは、元々、B氏を恨んでいた上に、香典をよこさないのが気に入らないのも重なって、この挨拶に、カチンと来た。

「なんだとお? なにが、ごしゅーしょーさまだ! ナメてんのか!」

  なんと、B氏を殴ったのである。 周囲にいた人達は、ビックリした。 なんで、「御愁傷様」と言って、殴られるのか、誰も分からなかった。 B氏は、大きく、よろけたが、何とか、倒れるのは免れた。

「なにすんだ!」
「馬鹿にしやがって!」

  男Aは、そのまま立ち去り、食堂へ向かったが、腹が立って、何も食べる気にならず、売店で、魚肉ソーセージだけ買って、職場へ戻った。 少し落ち着いて、魚肉ソーセージを齧っていると、直属上司の係長がすっ飛んできた。 上司と言っても、男Aより年下である。

「おい、Aさん! あんた、Bさんを殴ったのか!?」
「おう! ナメた事 言いやがったから、ぶっ飛ばしてやったよ。 わはははは!」
「何やってんだ! 大問題になってるぞ! すぐ、会議室に来て!」

  重役の一人が、暴行の現場を、すぐ近くで見ていて、大いに驚き、B氏に事情を訊いたが、なぜ、殴られたのかが分からない。 男Aの上司に当たる部長に話を持って行ったが、やはり、理由が分からない。 で、係長を通して、男A本人が、呼び出されたのだ。

  係長の後について、会議室に向かう間、男Aは、憮然としつつも、時折り、不敵な笑みを浮かべていた。 「殴った事が問題になるのなら、その前に、Bが俺を馬鹿にした事も問題にできるはずだ。 名誉毀損で訴えると言ってやれば、黙るだろう」などと、考えていた。

  会議室には、重役と部長が待っていた。 部長が、男Aに訊いた。

「なんで、殴ったんだ?」
「Bが、私を馬鹿にしたからです。 私だけでなく、先週死んだ父の事も、馬鹿にしたんです」
「B君は、何て、言ったんだ?」
「『ごしゅーしょーさまです』と言いました」

  その場にいた、男Aを除く3人が、首を傾げた。

「『御愁傷様です』が、どうして、馬鹿にされた事になるんだ?」
「だって、映画やドラマで、遺族の敵が、遺族に向かって、馬鹿にして、言うじゃないですか。 『ごしゅ~しょ~さま~っ!』って」

  男Aは、憎々しげに、唇を突き出し、嫌味たっぷりな口ぶりで、言って見せた。 部長が、重役に訊いた。

「B君は、そういう言い方をしたんですか?」
「いやあ。 お悔やみに相応しい、厳かな言い方だったよ」

  ちょっと間があって、何かに気づいた部長が、男Aに言った。

「まさかとは思うが、おまえ、『御愁傷様』が、お悔やみを言う時の決まり文句だって事を知らないのか?」
「・・・・・。 そうなんですか?」
「そうだよ! なんで、そんな常識的な事を知らないんだよ! おまえ、一応、大卒だろうが!」

  3人とも、呆れてしまった。 男Aは、弔い事に興味がなく、たまたま、身近に弔い事もなく、社交辞令の言葉がある事を、知らなかったのである。 男Aの顔が、青くなって来た。 ようやく、大失態をやらかした事に気づいたらしい。

  重役が言った。

「B君は、奥歯が折れたらしいぞ。 分かってるか? これは、傷害事件なんだぞ」
「あのう・・・、そのう・・・・」
「『御愁傷様』を知らなかったじゃ、言い分けにならんだろう。 警察に連絡するから、クビを覚悟しておけ」


  B氏の奥歯は、2本も折れており、先の人生の事を考えると、甚大な被害と言えた。 男Aは、部長から、「とりあえず、謝って来い!」と言われて、慌てて、医務室にいるB氏の所へ行った。 B氏は、産業医と、奥歯の治療方法について、話をしていた。 男Aは、話が終わるのを待っていたが、途中で、口を挟み、「インプラントは高いからよせ。 ブリッジか、部分入れ歯にしろ。 保険が利くから!」と言ったところ、B氏から、ギロリと睨みつけられた。 「失せろっ! 犯罪者っ!」と、怒鳴りつけられ、追い返された。 まあ、B氏の怒りは、当然だな。

  傷害罪の方は、初犯だったので、執行猶予が付いたが、会社の方は、そうは行かなかった。 社内規定に、「刑事訴訟の被告となり、有罪判決を受けた者は、解雇する」とあり、過去に前例も幾つかあったので、それに従って、処分された。 懲戒解雇である。 重役が目撃していた点は、運が悪かったと言えないでもないが、それ以前に、衆人環視の中で、暴行を加えるというのは、そういう結果を招く行為なのだ。

  男Aの妻は、話を聞いて、頭がクラクラし、しばらく、寝込んだ。 離婚計画を前倒ししようかと思ったが、子供が、まだ小さいので、なかなか、踏ん切りがつかない。 この もたつきが、後々、地団駄踏むほど、悔やまれる事になるのだが、先の事は、予測がつかないものである。



  男Aは、ハロー・ワークに通ったが、懲戒解雇の前歴があると、雇ってくれるところはなかった。 半年も経ってから、ようやく、ある宗教団体の、運転手の仕事にありついた。 父親の葬儀を任せた葬儀社の社員による、個人的な紹介だった。

  宗教に全く興味がなかった男Aだが、父親の死が、切り替えポイントになって、180度、死生観が転換し、父親の霊を弔う事に、心血を注ぎ始めた。 極端から、極端に振れるのは、愚かな人間の特徴である。

「今まで、俺の人生が、パッとしなかったのは、信心がなかったからだ。 他は完璧だが、信心だけが、足りなかったとも言える。 という事は、信心さえあれば、何もかも、うまく行くはずだ」

  仕事は運転手だったが、進んで入信し、瞬く間に、熱心な信者になった。 問題は、その宗教団体が、霊感詐欺を、主な収入源にしていた事である。 男Aの給料・ボーナスは、ほとんどが、教団の霊感グッズを購入する事に費やされるようになった。 家の頭金にする為に、貯めていた預金にまで、手を出した。 これには、妻が激怒したが、言って分かるような、男Aではない。

「おまえは、信心がないから、騙されていると思うんだ。 そもそも、信じなければ、救われるものも、救われないじゃないか。 こんな簡単な理屈が分からないのかっ! 馬鹿っ!」

  馬鹿は、おまえだ。 妻が、離婚を決めた時に、A家の預金は、5万円しか残っていなかったというから、惨憺たる被害状況である。 妻は、子供を連れて、実家に帰ってしまった。 男Aは、生活に困り、教団内でも、霊感グッズが買えなくなって、立場が悪くなった。

  妻の実家に押しかけ、妻の父を教化して、金を出させようと試みたが、妻の父は、しっかりした人物で、男Aが並べる屁理屈に、全て、同レベルの屁理屈で、言い返した。 ありがたい教義を説いてやれば、簡単に落とせると思っていた男Aは、へとへとに疲れてしまい、捨て鉢な態度になった。

「罰当たりな奴めっ! 地獄へ落ちるぞっ!」
「あんたがいない所なら、地獄でも極楽でもいいよ」

  これで、妻の家とは、縁が切れた。 教団に帰っても、一文なしなので、居心地が悪かった。 運転手の仕事は続けていたが、家の預金を貢いでいた頃と比べると、教団側の扱いは、月面の昼から夜ほどに、冷淡になった。



  男Aが、金属バットを持って、教団本部に忍び入り、教団内で、代表に次いで尊いとされている神像36体を、壊しまくったのは、40歳の時である。 極端から、極端に振れたのが、また、元の側の極端へ振れ戻ったのだ。 墓誌を蹴飛ばした時や、地蔵を焼いた時と、全く同じ心理に戻っていた。

  しかし、男Aは、逮捕を免れた。 教団幹部の一人に、柔道の有段者だった者がいて、あっさり、獲物を取り上げられるや、「うりゃっ!」、「そりゃっ!」、「でりゃっ!」と、連続7回、投げ飛ばされた。 受け身を知らないものだから、頭から落ちて、首の骨を折り、絶命した。 まずまず、人柄に相応しい最期と言えよう。

  警察には届けられず、教団が運営している墓地に埋められた。 小さな墓石には、「罰当たり者」と、彫られている。