2023/12/10

パソコン・ネット関連機器 ②

  日記ブログの方に書いた記事。 パソコン・ネット関連機器の変遷史として、何回分か書いたので、こちらにも、転載します。 今回は、パソコン・ネット関連機器ではありませんが、前史として、ワープロから。




【2023/10/22 日】
  先日、モデム類の変遷を紹介したので、歴代パソコンもやるかと思ったのですが、その前に、ワープロに触れておこうと思い、記憶を探ってみました。


  最初のワープロは、東芝の「ルポ」です。 まだ、引きこもっていた、1986年の2月か、3月頃、母に頼んで、お金を出してもらい、家電量販店で、買って来たのです。 3万円くらいでした。 沼津市・大岡の狩野川沿いにあった、「ハーフ&ハーフ」という店でしたが、その店は、とっくに、なくなって、跡地は、マンションになっています。

  他に、文房具店も見に行ったのですが、商品説明をしていた男性店員が、店頭デモ機を買わせようとしたので、そこは、避けました。 話にならぬ。 他人が何十人も触ったような機械を、高い金出して、買えるものですか。 その店員にしてみれば、デモ機から買わせて、順次、捌かせて行けば、常に新しい商品が店に残ると考えていたのでしょうが、それは、店側の都合なのであって、客の心理が全く分かっていないとしか言いようがありません。 発想が古かったんでしょうな。 当時、50代くらいの人だったから、もう、死んでいると思いますが。

  本体は、とっくに捨ててしまい、取説だけ、残してあったんですが、今回探してみたものの、見つかりませんでした。 ネットで、その頃に発売されていた機種を調べたところ、「Rupo JW-R10」のようです。 1985年7月発売で、99800円と、10万円を切った、初めてのワープロだったようですが、半年以上経ってから、私が買った時には、確か、3万円台だったと思います。 値下がりしていたんでしょうなあ。 10万円近い金額を、母に頼めたとは思えませんから、3万円台だった事には、自信があります。

  使っていたのは、半年くらいですかね。 ほとんど、使えませんでしたけど。 何とか、活字風の文字を、紙に印刷できるというだけの機械でして、使い勝手は、最悪でした。 まだ、実用品というには、発展途上過ぎたんですな。 ラベルを印刷するのには使えたらしいですが、私が欲しかった機能、ハガキ印刷はできませんでした。 厚手の紙を受け付けなかったのです。

  液晶も、1行しかなく、しかも、10文字くらいしか出なくて、長い文章は、勘で打って、勘で印刷しなければなりませんでした。 印刷してから、間違いに気づく事も多くて、苦々しい思いを、何度もしました。 印刷機部分のインク・リボン方式は、後のワープロと同じでしたが、インク・リボン方式そのものが、不便極まりないものだったので、やはり、評価はできません。

  もう一つ、絶対的な欠点があり、それは、記録手段がない事でした。 日記を書いても、それを記録する場所がないので、次の文章を書く為には、消すしかなかったのです。 カセット・テープに記録できる、別売りのデッキがあって、わざわざ、東芝の電器店へ行って、調べてもらったのですが、存在する事は分かったものの、一見客だったせいか、「取り寄せますか?」と訊かれる事もなく、どうも、取り寄せなんぞ、面倒でやりたくないという雰囲気だったので、頼まずに帰って来てしまいました。 その時点で、この機械を、見限ったのだと思います。

  一台、使ってみると、ワープロに必要なのが、どんな機能なのかが、良く分るものです。 当時、ワープロは、ドカドカと新製品が出ていて、すぐにでも、買い換えたいと思ったのですが、さすがに、母に、また、何万円も出してくれとは言えません。 で、一念発起し、ひきこもりから脱して、働く事を決意したのです。 使えるワープロ欲しさで、働き始めたんですな、私は。

  で、4月から、植木屋の見習いに入り、給料をもらい始めました。 10月頃には、自分のお金で、二台目のワープロを買いました。 なんで、半年もかかったかというと、就職の条件に、「要普免」があり、教習所に通って、車も買わなければならなかったからです。 植木屋という仕事が、想像していたより、きつかった上に、終わった後、教習所へ通っていたのだから、よく、あの苦難の時期を生き延びたものだと思います。

  二台目を買ってから、ルポは、母に譲ったのですが、私が使えないものが、母に使えるわけがなく、やはり、ちょっとだけ弄って、やめてしまったようでした。 いつ捨てたかは、覚えていません。 私は、写真一枚、残していないのですが、この、「Rupo JW-R10」は、劇的に安くなって、ワープロの普及に一役買ったという点で、有名な機種らしく、名前で検索すれば、画像が出て来ます。 興味がある方は、見てみてください。


【追記】
  上の文章を書いてから、約一ヵ月後の、11月23日。 ふと、思いついて、旧居間にある本棚の引き出しを探したら、取説が出て来ました。 やっぱり、「Rupo JW-R10」でした。



≪写真1≫
  表紙。 見ての通り、液晶画面は、1行分しかありません。 キーの数は、最小限で、テン・キーは独立していません。 しかし、それは、ワープロ時代には、普通の事でした。 ワープロ専用機は、基本的に、かな打ちするものでした。

≪写真2左≫
  裏表紙。 購入年月日、購入店名、電話番号を書く欄があります。 全く新しいカテゴリーの機械だったので、問い合わせが多いだろうと、予測していたのかも知れ
ません。 

≪写真2右≫
  中のページ。 青・黒の二色刷り。 取説は読み易いと思いますが、肝腎の機械が、使い勝手が悪くては、仕方がありませんな。 本当に、世の中に登場したばかりの、過渡期の製品だったのです。

≪写真3≫
  取説の奥付け。 発行日は、「昭和60年8月15日」。 1985年。 私が買ったのは、翌1986年の2月か、3月です。



【2023/10/23 月】
  二台目のワープロは、1986年の10月に買った、ナショナルの、「FW-K100」です。

  沼津駅北口から、さほど遠くない、パソコン・ワープロなどを扱っている店で、買いました。 一度、下見に行って、二度目で買い、その後、その店には、行きませんでした。 たぶん、もうとっくに、なくなっていると思います。 駐車場がなくて、200メートルくらい離れた、ホーム・センターの駐車場に車を停め、そこから、店まで歩きました。

  帰りは、大きくて重いダンボール箱を抱えて、200メートル、歩く事になりました。 店員さんが、「車まで運びましょうか」と言ってくれたのですが、「遠い所に停めてあるから、結構です」と断りました。 つまらない事を、覚えているものです。

  値段は、13万円くらいでした。 今のパソコンの機能・価格と比較すると、玩具レベルの機械に、5倍くらいのお金を支払った事になりますが、そういう時代だったのだから、仕方ありません。 ワープロは、まだ、普及が始まったばかりで、値段が高かったのです。 普通免許を取り、車を買った後、13万円貯まるのを待ち、すぐさま、ワープロを買ったのは、そもそも、ワープロを手に入れる為に、働き始めたからです。

  当時すでに、ラップ・トップ式の液晶画面の機種もありましたが、目に刺激がありそうな青い文字で、あまり見易いものではない上に、値段が、もっと高かったので、避けたのです。 「FW-K100」は、CRT・9インチで、白地に濃灰色文字か、濃灰色地に白文字の画面を切り替える事ができました。 目に優しいとも言えるし、暗ぼったかったとも言えます。

  大きくて、自室の机の上に置くと、他の作業ができなくなってしまうので、高さ70センチくらいの箪笥の上に置き、一番上の引き出しを、キー・ボード置き場に改造して、使っていました。 1986年から、2006年まで、20年間。 2001年からは、パソコンも使い始めたので、5年間は、併用していました。 日記を、ワープロで書き、パソコンは、他の作業に使っていました。 パソコンの方が、反応が速いので、次第に、ワープロは使い難くなって行きました。

  新たな機械が出て来た時には、先走って買わない方がいいものですが、「FW-K100」でも、まだ早過ぎで、液晶画面でない事は、承知の上だったから、いいとしても、この機種の次に出た機種から、フロッピーのデータを、パソコン用のデータに変換できるソフトの対象になりました。 その点だけは、未だに残念です。

  ワープロで書いた日記は、フロッピー・ディスクに保存していましたが、ワープロをやめる時に、感熱紙に印刷し、複合機で、コピー用紙にコピーして、数年間、保存。 その後、全ページを、写真に撮影して、電子保存に切り替えました。 検索は利きませんが、一応、今でも読めるから、「FW-K100」の仕事は、今でも生きているわけです。

  20年間も使っていたわけだから、人生の3分の1に相当します。 大変、世話になったわけで、印象深く記憶に残っています。 使わなくなった原因の一つは、削除キーの反応が鈍くなってしまった事で、20年も経っていたのでは、修理なんか頼めませんし、パソコンのキー・ボードのように、互換性があるわけでもありません。

  以下の写真は、2015年の10月に、ワープロを処分した時に、撮ったもの。 実際に使用していた頃の写真は、紹介に使えるようなものが、一枚もありませんでした。 ワープロの存在は、あまりにも日常的な風景だったので、改まって、写真を撮る事がなかったのです。



≪写真1≫
  本体と、キー・ボード。 キー・ボードは、本体の前面に嵌め込めるようになっていましたが、普段は、そういう形にしていませんでした。 オレンジ色のボタンが、電源。 パソコンではないので、起動は速かったです。 ボタンの右側に、フロッピー・ディスク・ドライブがあります。

  この9インチ・CRTがついていたせいで、捨てる時に、なかなか、処分ができず、ネットオフのパソコン引き取りサービスで、一台目のパソコンと抱き合わせにして、引き取ってもらいました。 パソコンさえ入っていれば、他の家電も一緒に引き取るというサービスだったのです。

≪写真2≫
  斜め後ろから。 こうしてみると、奥行きがかなりある事が分かります。

  印刷は、インク・リボン方式。 もったいないので、一度使ったリボンを巻き戻し、試し刷りには、それを使っていました。 印刷は、パソコン時代よりも、ワープロ時代の方が、頻繁に、やりました。 普通は、手書きするものを、ワープロで打って行って、珍しがられた経験もあります。

  感熱紙を使えば、リボンなしでも、印刷できました。 感熱紙は、年月が経つと、消えてしまうのが、玉に瑕。 日記は、コピー用紙にコピーして、保存していました。

≪写真3≫
  キー・ボード。 パソコンのものより、小さいです。 もちろん、かな打ち。 私は、パソコンに換えてからも、かな打ちでやっています。 長い文章を打つには、かな打ちの方が、断然、楽なのですが、ローマ字打ちで覚えてしまった人は、切り替え不能でしょう。

≪写真4≫
  フロッピー・ディスク。 今では、現物は元より、名前まで陳腐化してしまいましたが、1986年当時は、時代の最先端を象徴するものでした。 ホーム・センターで買っていました。 値段は、どんどん安くなり、2001年12月に、1枚、180円で買った記録が残っています。 おそらく、晩期には、100円ショップでも売っていたのでは? 磁気のペラペラした円盤が入っていて、捨てる時には、それに鋏を入れてから、捨てました。