筒井さんにお礼
今回の筒井作品濫読も終わったので、この機会に、筒井さんへのお礼を述べておこうと思います。 【プレイバック】など、近年の掌編作品からいただいた設定で・・・。 もし、筒井さん御本人の目に留まった場合、お礼になるどころか、むしろ、激昂を誘発する恐れが濃厚ですが、所詮、素人が書いたものですから、鼻で笑って、御容赦あれ。
同題の文章を、先行して、日記ブログ、≪換水録≫で公開していますが、こちらでの公開までに、1ヵ月半ほどあったので、その間に、加筆修正した部分があります。 しかし、大筋は、変わっていません。 この心更版の方が長いので、こちらを先に読んだ方は、換水録版を読む必要はないです。 先に換水録版を読んでいる場合、変更箇所は、主に後半なので、中年男が死んだ後あたりから、どうぞ。
ちなみに、作中に、「なんちゃって大阪弁」が出て来ますが、私は、どちらかというと、東日本の人間なので、精確さに欠けても、関知致しません。 「なんや、これ? なめとんのか? うちの近所じゃ、鸚鵡かて、こないな喋り方せえへんわ」とか言われても、知らんっちゅーのよ。 それにしても、筒井さんが使う、一人称の種類が多いのには、改めて、驚いた。 普段は、自分の事を、何と言っているんだろう?
【夢の5分間】
地獄、極楽にかかわらず、あの世など存在しないが、魂が消え去ってしまう前に、夢の形で、最後の望みが叶えられる事がある。 誰でも、死ぬのは初めてなので、迷わないように、小旗を持った案内人がいる。
「は~い! 最後の望みに、『筒井康隆先生に、お礼を言いたい』を選んだ人は、ここに集まって下さ~い! 今夜は、300人くらいかな。 これから、筒井先生の夢の中へ訪ねて行くわけですが、こんなに大勢で押しかけては、ご迷惑ですから、心を統一して下さい。 好きな作品を思い浮かべれば、自然に、纏まって行きますから」
300の魂が、うにょうにょと、離合集散して、人間の形に纏まるが、性別、年齢、顔立ちは、はっきりしない。 人数も、3人になったり、5人になったり、10人になったり。
「ああ、今夜も、一人に統一は無理か。 筒井先生は、作風がバラエティーに富んでいるからな。 まあ、いいでしょう。 では、出発します」
もやもやした霧の中を進む内に、人数が、また増えて来た。 好みの違いが激しい読者達のようだ。 やがて、霧の中から、複雑な形をした大きな建物が姿を現し、一行は、その玄関先までやって来た。
「は~い、ここで~す! 前以て、注意ですが、夢を訪ねると言っても、先生と一対一で話ができるわけではないです。 会話は、期待しないで下さい。 あと、これは、筒井先生に限らない事ですが、作家の方は、読者の事を、編集者や作家仲間と比べて、遠い存在だと思っている事が多いです。 愛想のいい顔が見られなくても、最悪、迷惑がられたりしても、不満を言ったりしないで下さい。 こちらが、お邪魔している立場である事をお忘れなく」
いつのまにか、300の魂は、一人になっている。 先生に会えるという期待で、心が一つに纏まったのだろう。 建物の中に入ると、建て増しを繰り返して来た古い旅館によく見られるような、不規則に張り巡らされた廊下を、二人で進んで行く。 目標を発見! トイレを探して駆けずり回っている筒井先生を、案内人が呼び止めた。
「こんばんは」
「あー、この辺にトイレはないかな?」
「私の夢ではないので、分かりかねます」
「あんた、前にも会ったような気がするな」
「先生の読者を案内して参りました」
「また来たのか。 夢を見るのも仕事の内だから、あんまり、同じような夢ばかり見るのは、困るんだが」
「その点は、ご安心下さい。 お邪魔できるのは、一回に5分までと決まっておりますし、夢に外部から介入した部分は、覚醒後、記憶に残らないようになっております」
「ほう。 御都合主義的に、うまく出来ているんだな。 こういうのは、どの作家の所へも行ってるの?」
「いえ、他界する直前の魂だけ、望みが叶えられるのです。 大抵の作家のかたは、読者より先に亡くなるので、こういう事はないのですが、筒井先生の場合、喜ばしい事に、長生きされているので、読者の側に先立つ者が多いという次第でして・・・」
「喜ばしい? ほんとに、そう思っているんだろうな?」
「読者の皆さんは、心から、そう思っています」
「この人がそう? 今回も、性別・年齢・顔立ちがはっきりせんな」
「大勢の魂がくっついているので、仕方ないのです。 今夜は、300人くらいです」
「体がボロボロ、崩れておるな。 端から、煙になって消えて行くではないか」
「こうしている間にも、こときれた者達の魂が脱落しているのです。 何か一言、お願いできますか」
「あー、どうも、皆さん、ようこそ、私の夢へ。 この度は、ご愁傷様です。 いや、まだ死んでいないのか。 お気を確かに。 傷は浅いですよ。 病は気からと・・・、だだだ駄目だ、我慢できん!」
「あっ! 先生、どちらへ!」
「知れた事! 起きて、トイレに行って来るのだ!」
「待って下さい! 読者の皆さんが、先生にお礼を言いたがっています!」
目覚めようとしている先生に、300をかなり割ってしまった魂どもが、一斉に、声をかける。
「先生、ありがとうございます」
「先生のお陰で、楽しい人生でした」
「学生の頃から、ずっと、大笑いさせてもらいました」
「先生は、永遠に僕達のヒーローです」
「先生こそ、本当の天才です」
「ありがたや!ありがたや!(拝)」
「先生の作品から読み始めて、読書人の末席に連なる事ができました」
「やっと会えた! 【トリックスター】のチケットが買えなかったんですぅ! おーいおいおい!」
「泣き方で、年代が分かるな」
先生に負けず劣らず、渋い声が語り始めた。
「覚えてねえだろうな。 あんたが東京に出て来てすぐの頃、飲み屋で隣に座った、ケチなヤクザさ。 あんた、酔っ払って、『絶対、有名な作家になってやる!』なんて抜かしやがるから、『賭けるか? もし、有名になったら、足洗って、あんたの小説、全部読んでやるよ』って言ったら、ほんとに、有名になっちまいやがって・・・。 しょうがねえから、指落として、カタギになって、汗まみれ埃まみれで働きながら、あんたの本、ずっと読んで来たよ。 虚構へ行っちまった時には、ちっと、手こずったけどな。 でも、最後まで、読み切れなかった。 俺の方が、先にお陀仏さ。 約束守れなくて ごめんよ、先生・・・」
零れ落ちて、煙となって、消えて行く。 思わず、聞き入ってしまった一同、シーンと静まり返っている。 目覚めかけていた先生まで、フリーズしている。 案内人が先生に訊いた。
「記憶力には定評のある筒井先生ですが、本当の話ですか?」
「あんなの、知らんがな」
「すると、今のは、創作? 死ぬ間際に、虚構をブチかますとは、恐れ入りますなあ!」
「俺のファンなら、やりかねん」
また、騒がしくなる。
「【俗物図鑑】を読んで以来、壺という壺が、みんな・・・」
「それは言うな。 飯がまずくなる。 といっても、もう、飯を食う機会はないが・・・」
「【走る取的】に戦慄しました!」
「多いなあ、そういう人」
「カフカと比べても、遥かに面白いのは、時間を詰めて、緊迫感を盛り上げているからでしょうか」
「模範的な批評だな」
「パスワードを、『56859』にしてました」
「そういえば、新潟空港で、『五郎八』という地酒が売っているというのは、本当かな? 『フライトが荒れるから、乗る前には買うな』という都市伝説まであるそうだが・・・」
「嘘、嘘!」
「『熊の木節』を歌って踊れます」
「いつ、歌って踊ったのだ?」
「1995年の1月と、2011年の3月と、2019年の終わり頃・・・」
「洒落にならぬ・・・」
「【家】と【長い部屋】が好きです」
「こらっ! 【長い部屋】は、筒井先生の作品ではない! 【遠い座敷】と言いたいんだろうが!」
「そう、それそれ!」
「【旅のラゴス】のお陰で、学問に目覚め、物理学者になれました。 テレポーテーション実験中の爆発で、この様ですが・・・」
「えっ! テレポーテーションできるところまで行ったの?」
「いえ。 発想を逆転させて、まず、爆発を起こして、そのエネルギーで、瞬間移動できないかと・・・」
「そりゃ、あんた、死ぬわ。 そりゃ、死ぬわ」
「中学の時、【村井長庵】と【問題外科】を、千回読み返しました」
「変態が混じってるぞ!」
「人体に興味が湧き、外科医になりました」
「尚、悪い!」
「先生の演劇物の作品が好きです」
「ハズレがないものね。 経験に裏打ちされていると、着想はもちろん、描き込みの深さや鋭さが違って来るのかも知れない」
「先生の動物ものが好きです」
「私も~! 動物が、ひどい目に遭わされないから、安心して読めますよね~!」
八割方 目覚めかけていた先生が、やしやし戻って来た。 周囲をキョロキョロ見回しているのは、家族・友人・知人が見ていないか、警戒しているのかも知れない。
「今のは、女性の声ではないか?」
「はーい! でも、もう、50代ですけど。 うふふふ!」
「良い良い。 わしから見たら、50代なんて、まだまだ、娘役の内じゃ。 ふほほほほ!」
「まあやだ、先生ったら、お上手なんだから! おほほほほ!」
「むふふふふ! さあ、一曲踊ろうではないか」
「あら。 私が社交ダンスやってた事、どうして、ご存知なの?」
「声の雰囲気で分かる。 踊りたくて、うずうずしているのが分かる」
「でも、久しぶりだから、躓いて、倒れちゃうかも知れないわ」
「良いではないか、倒れたら倒れたで。 わしが支えてやろうほどに。 ほっほっほっ!」
突如、旅館の廊下が、大きな円形ホールに変わったのは、先生の夢という、御都合主義的設定によるものだろう。 魂の塊から、50代女性の魂が分離して、先生に手を取られ、ホールの中央へ向かう。 昨今のアンチ・エイジング系テレビCMに出て来て、「50になりました(取材当時)」とか言いそうな、そこそこの美形だが、セクハラを避ける為に、それ以上の描写は控える。 案内人の指示で、観衆役を務める為に、300弱の魂が分離して、ホールの壁際に立つ。 それぞれ、人の形をしているが、魂だけなので、影が薄い。 中央の二人に、スポット・ライト。 ワルツがかかり、踊り始める。
壁際で見ていた、青年と中年男らしき者の声。 以下、発話が長くなるので、状況に応じて、行間を開ける。
「僕の世代から見ると、筒井先生は、貫禄たっぷりの品行方正な紳士としか思えないんですが・・・」
「そうだろうね」
「でも、作品を読むと、性的に、とっても、極端な事が書いてあるでしょう? 落差が大き過ぎて、イメージが統一できないんです」
「そりゃ、先生の性的志向は、文学的に昇華されているから・・・」
「素朴な疑問なんですが、筒井先生って、スケベエなんですか?」
「こっ、こっ、こらっ! 失敬な事を言うな! 『大阪湾で、帆立貝から生まれた、最後の大文豪』と讃えられる筒井大先生を踏ん捕まえて、何たる雑言! スケベエなどという下劣なものでは、断じて、ない! 『鋭敏な性的感性で、人間の本質を抉っている』と評さなくてはいかん! そもそも、君は、昭和元禄に於ける性風俗紊乱の甚だしさを知らんのだろう。 中間小説誌に書いていた作家は、星新一先生を唯一の例外として、全員、エロを要求されたのだ。 筒井先生を、スケベエ呼ばわりして責めるとなれば、×××一など、色情狂で、病院送り。 ×坂××は、即逮捕。 ×××行なんか、即死刑。 大×××に至っては、即射殺なのだぞ」
「伏字にしなくても、今じゃもう、誰の事だか分かりませんよ」
ホール中央では、タンゴ、ルンバ、ジルバを経て、パソドブレから、ジャイヴに突入し、先生が、到底 後期高齢者とは思えない、目にも止まらぬスピードで、ステップを踏んでいる。 「天才と見做されている割には、努力家の一面もある先生の事だから、90年代末に、≪Shall we ダンス? 2≫のオファーが来た時に備えて、自宅にダンス教師を招き、猛特訓に励んだ成果なのだろう」などと、勝手な推測を巡らせてはいけないのであって、ただ単に、夢の中なので、体の動きが若い頃に戻っているのである。 観衆から、「おおおうっ!」という、大きなどよめきが、繰り返し起こる。
「さすが、我らの先生だ!」
「なんて、華麗な方なの! 見ているだけで、イッてしまうわ!」
と、呟きながら、ほんとに逝ってしまった女性の魂が、5、6、7、8、煙となって消えて行く。 こういう描写も、セクハラかな?
中年男の主張は続く。 音楽がうるさいので、大声でがなりたてている。
「大体、筒井先生のエロは、エロそのものではなく、エロのパロディーなのだ。 エロ書けエロ書けと、けしかけていた編集者の面々も、筒井先生には、すっかり騙された。 確かに、先生の作品に出て来るのは、尋常でないエロなのだが、なぜか、勃起を誘わないのだ。 笑うのに忙しくて、勃っている暇がないのだとばかり思い込んでいたが、それは読みが足りない分析だった。 後年、【エロチック街道】を読んでいて、ズボンの前がきつくなったのを感じ、初めて、それまでの筒井作品のエロが、エロのパロディーであった事に気づいたのだ。 まんまと、してやられた編集者諸氏の、愕然としたその顔、是非とも間近で見てみたかったものだな。 自分より知能が高い存在に指図をしようなどと、身の程知らずな事を考えるから、しっぺ返しを喰らったのだ。 わはははは!」
「なるほど。 でも、パロディーであっても、変態性欲物なんかは、やはり、本人が、相応のスケベエでないと、書けないような気がしますが・・・」
「君は、洞察力に乏しい人だねえ。 先生の性欲は、ノーマルの範囲内に、きっちり納まっておる。 ただ、若い内に、この上なく魅力的な奥様と結婚するや、忽ち、東洋一の愛妻家になってしまったせいで、浮気を避ける為に、異性遊びを封印せざるを得なくなった辛い事情があるのだ。 元来 イケメンだった上に、名声が高まり、収入は増えて、モテる三条件が揃ったのだから、事ここに至ってはもう、美女ヶ原へハンティングに繰り出すしかないと、夜毎、猟銃の手入れに勤しんでいた矢先に、ウェディング・ブレーキがかかってしまったのだ。 ちなみに、これは、ウェディング・ケーキと、パーキング・ブレーキをかけたダジャレなのだが、高等過ぎるせいか、今まで、ウケたためしがない。 それはこの際どうでも良いとして、あと5年 独身だったら、千人斬りも夢ではなかった先生の、内面意識レベルの無念さは、涙なくしては推し量れぬ。 で、抑圧された性欲が、作品の中で縦横に解放された結果、一部の品性陋劣な読者から、スケベエと誤解されたに過ぎんのだ。 更に、フロイト的分析を逞しくすれば・・・」
いつのまにか、ダンスを終えた先生、息一つ切らさず、汗一滴浮かべていない。 夢の中なら、肺気腫にならんじゃろとて、スッパスッパ 煙草を吸いながら、眉間に深い皺を寄せ、冷め切った目つき、ドスの利いた低音で、中年男の饒舌を遮る。
「そのくらいにしとけ。 人の性欲まで洞察せんでええ」
「へへ~っ! 申しわけありませぬ~っ!」
「なにが、『大阪湾で帆立貝』やねん? わしゃ、ヴィーナスか? どうせ、性別を超越するのなら、せめて、ミューズにしとかんかい。 物を識らん奴め!」
「御指摘、一々ごもっともでございます~っ! 恐れ入りました~っ!」
「『東洋一の愛妻家』っちゅーのも、どういう形容やねん? わしゃ、ダムか? 鍾乳洞か?」
「ははっ! 『日本一』では、桃太郎みたいですし、『世界一』だと、大風呂敷過ぎて、リアリティーを欠くのではないかと慮りまして。 また、昭和中期の雰囲気を匂わせたいという下心も、僅かながら ございました事を、告白しておかなければなりません」
「そんなつまらん告白、わざわざせんでええ。 どうも、俺のファンには、馴れ馴れしい奴が多くて困る。 作家に対する畏敬の念が、根本から足りとらん。 脳なしの能なしの悩なしどもは、【読者罵倒】で、二度と小説が読めない体にしてやり、【朝のガスパール】で、新聞紙上へおびき寄せて、公開処刑、一匹残らず、根絶やしにしてやったと思っておったが、まだ、生き残りがいたか」
「私め、間もなく死にまするので、何卒、ご勘弁を~っ!」
「いいや、お前のような慮外者には、たとえ、今はの際であっても、おぎゃあと生まれた直後であっても、はっきり思い知らせてやった方が良かろう。 一体、俺を誰だと思っておるのだ? あの大江健三郎と文学論を交わした男なのだぞ」
「はて? 大江先生となら、筒井先生の方が、文学者として、上だと認識しておりますが」
「むむっ! 井上ひさしとも、ツーカーの仲だったのだぞ」
「ご冗談を。 筒井先生の方が、遥かに上でございます」
「むむむっ! 俺は江戸川乱歩に見出されて・・・」
「わははは! 江戸川先生は、短編と新人発掘に秀でていただけではございませんか。 筒井先生に長編を勧められたのは、筒井先生の伸び代を見抜かれた上で、自分は面白い長編が書けないから、反面教師にせよという意味だったのでございましょう」
「むむむむっ! 俺は、SF草創期に、小松左京と切磋琢磨した間柄なのだぞ」
「・・・・・」
「む! なぜ、答えない? どうなのだ? 俺と小松左京は、どっちが上なのだ?」
「・・・・・」
「頼む! 答えてくれ! 年寄りを不憫だと思って、何とか言ってくれよう!」
「筒井先生には、小松先生より、圧倒的に優れた点がございます」
「おおっ! さもあろう! して、それは、いかなる点じゃ? 先に断っておくが、BMIとか言うなよ」
「読者を、最後まで見捨てなかった事でございます。 小松先生は、【虚無回廊】を中絶した後、小説から遠ざかってしまわれたので、読者は、大変、寂しい思いをしなければなりませんでした。 しかし、筒井先生は、読者の事を忘れていなかった。 御高齢を押して、掌編小説を書き続けて下さった。 作家としての責務を全うして下さった。 読者として、こんなに幸せな事はございません。(涙袖拭)」
満場、嵐のような拍手!
先生、内心、
(いやあ、実は、特段 読者の事を考えてたわけやのうて、どうせ、コロナで外出できんから、暇潰しの手慰み、小遣い稼ぎに、担当編集者とのつきあいを兼ねて、ちょこちょこ書いてただけなんやけど、そないな事を告白できる雰囲気ではのうなってしもうたなあ・・・)
と、思っているが、そこは役者魂、おくびにも出さない。
(みんな、喜んどんのやから、喜ばしときゃ、ええわ)
先生、ふと気づき、中年男の魂を、端の方へ引っ張って行く。
「一旦終わった話を蒸し返すのは、小説の展開上、御法度だという事は承知しているが、これは、小説とは到底 言い難い、ただの駄文だから良かろう。 俺が大江健三郎より上というのは、どういう根拠で言ったのだ? 気になるではないか。 どうせ、大した根拠ではないだろうと思ってはいるが・・・」
「大江先生の作品は、片手の指で数える程度しか、読んでいません。 筒井先生の側に立って、推測しただけでございます」
「推測?」
「純文学に打って出るとお決めになった先生は、先生の性格から推して、まず、御自分を誉めてくれる者、つまり、御自分を評価してくれる存在を探されたものと思われます。 当時、安部公房先生が御健在でしたが、安部先生は、SFにも通じておられたので、筒井先生の事を、ドタバタ作家だと誤認されている恐れがございました。 危ない危ない、安部先生の一言で、純文学界から撥ねつけられてしまっては、敵わない。 そこで、次に白羽の矢が立ったのが、大江先生でございます」
「ぬぬ! お前、いやらしい推測をするなあ。 どういう育ち方をしたら、それほど下司な勘繰りができるようになるのだ? 親の影響とは思えんから、きっと、これまでに読んで来た本に毒されたのであろう。 これほどの下司妖怪を世に現出せしめてしまった、罪深い作家の顔が見てみたい」
案内人始め、魂ども一同、先生を凝視しているが、先生は背中を向けているので、気づかない。 中年男の勘繰りは続く。
「ところが、【虚人たち】の時点で、すでに、筒井先生は、大江先生を超えていらっしゃった。 大江先生も、それを見抜かれたものと思われます。 もし、筒井先生を、御自分より下だと思われていたら、対等なおつきあいはなさらなかったでしょう。 筒井先生から、大いに得るものがあると思われたからこそ、お近づきになりたいと望まれたのだと考えられるのでございます。 【治療塔 二部作】は、SFとしては、珍作になってしまう事を覚悟の上で書かれた、筒井先生に対する、遠回しなオマージュなのではございますまいか?」
「ぬぬぬ! 言わせておけば、勝手な事を! 尿意さえ堪えていなければ、唯野仁に変身して、いくらでも、言い返してやるものを・・・」
「勝手ついでに、更に申し述べさせていただければ、筒井先生が、純文学界で成功するのは、約束された当然の成り行きでございました。 『私小説』などという、黴が生え、蛆が涌いた、自慰小説、手淫小説、せんずり小説としか言いようがない、最低に情けないジャンルが、王道ヅラをして罷り通っていたところへ、筒井先生が、世界の最先端文学を下敷きにした作品を引っ提げて乗り込んで行ったのですから、腐れきったマス掻き野郎どもが、太刀打ちできるわけがなかったのでございます。 凋んだチンチン握ったまま、びーびー泣き泣き、蜘蛛の子散らして逃げ惑った様子が目に浮かぶようでございますな。 痛快、痛快! わはははは!」
「ぬぬぬぬ! 痛快どころか、聞いていて、腹が立つ! 仮に、それが事実であったとしても、それは、お前ではなく、俺の手柄だ! 虎の褌で相撲をとる狐め! 大体、文壇とは、文学とは、そんな単純なものではないのだ! 貴様ごとき、三流読者風情に、何が分かる!」
「おっしゃる通りでございます。 私ごときには、先生の偉大さは、遥か下方から推し量る事しかできません。 しかし、先生より下だという点では、私も大江先生も、違いがございません。 筒井先生は、頂点に立ってしまったが故に、御自分を、上から評価してくれる存在を、永遠に失ってしまったのでございます」
「認めん! 認めんぞ! 猪口才な! 小癪な! 賢しら口を叩きおって・・・、お、おい、どうした? 崩れ始めておるではないか!」
「お別れでございます」
「待て! まだ死ぬな! 俺より長生きして、もっと、俺を誉め続けろ! 貴様ごとき、無知無恥無学な下司野郎でも、特に許す。 誉めて誉めて、誉めちぎるのだ!」
「筒井先生、万歳・・・」
中年男の魂は、崩れ去り、煙となって消えて行く。 先生、目を見開き、口を開けて、煙草を落とし、呆然としていたのも束の間、さすが、作家人生を通して、批評家と戦い続けて来た萬戦錬磨の文傑だけの事はあり、すぐに立ち直る。
「ふん! あんな奴、大した事を言っていたわけではない。 饒舌でごまかしておったのだろう。 そもそも、俺は、文学なんて、全力でやっていたわけではない。 俺は、本来、役者であって・・・」
と、そこへ、他の魂。
「先生の奥様物が好きです」
「えっ? ≪社宅奥様シリーズ≫見てくれたの? 嬉しいなあ。 懐かしいなあ。 もう、四半世紀になるんだなあ。 といっても、ぼくくらいの歳になると、つい、こないだのような気がするんだけどね。 郁恵ちゃんとは、その後、≪箱根湯河原温泉交番≫でも共演してるんだけど、そっちは、料理にうるさい小説家の役だったんで、監督に、『海原雄山風でいいですか?』って訊いたら、『あんな偉そうなキャラでは困ります。 筒井先生、地のままで結構です』って言われちゃってね。 お膳を引っ繰り返して、『なんだ、この料理はっ! 女将を呼べっ!』って、やってみたかったんだけど、残念だったなあ・・・。 あ、ごめんごめん、≪社宅奥様シリーズ≫の話だったね。 で、どうだった、ぼくの演技? あっちは、ファース担当の小さい役だったけど、その分、肩の力が抜けて、自然体で行けたと思うんだよね。 コミカルな役を自然体で演るのは、結構 難しくて・・・」
「いえ、そうじゃなくて、先生の奥様が出てくる、【妻の惑星】とか・・・」
「あ、そっち・・・。 いや、いいんですけどね」
「あのう・・・、ご気分を害されました?」
「いやあ、こんな事で、不機嫌になったりしませんよ」
「でも、先生、『不良老人』だから、キレ易いんじゃないかと・・・」
「いやいや、不良だったのは、80代前半までの話です。 コロナで出かけられなくなって、コンビニ前でウンコ座りとか、ゲーセンでとぐろ巻きとか、駅前でナンパとか、路地裏でカツアゲとか できなくなったんで、いい機会だと思って、さなぎセンターに入って、すっかり更生しました。 真人間になった事を一番喜んでくれたのは、かみさんでしてね。 どうも、私が不良だった間、近所の人から、からかわれていたらしいんですよ。 『お宅のご主人、おグレにおなり遊ばしたんですって? プッ!』、『まあ、奥様も大変ねえ。 プッ!』てな具合に。 なーに、他人なんか、勝手に言わせておけばいいんですよ。 雨降って、地固まる。 逆に、夫婦仲は良くなりました。 『あなたが立ち直ってくれて、嬉しいわ。 元不良を見る世間の目は厳しいだろうけど、二人で頑張って生きて行きましょうね』って。 泣かせるじゃありませんか。 女房と味噌は古い方がいいとは、よく言ったものです」
「その話、本当ですか?」
「冗談に決まっとるわ!」
「わあ! 怒った怒った!」
「怒ってません!」
先生、ようよう、読者の相手をするのに倦み、再び、目覚めモードに向かう。 魂どもは、またぞろ騒ぎ出すが、もう、5分の期限が迫っていて、焦りまくる。
「【時をかけ・・・」
「それは、禁句だ!」
「なんで? 代表作なのに」
「それも、禁句だ!」
「【モ・・・」
「長くなりそうな話はよせ!」
10歳くらいの少女。 薬品臭いパジャマ姿で、頭に包帯とネット。 痩せ細っていて、胸に抱き締めた、【愛のひだりがわ】の単行本が、やけに大きく見える。 魂だけなのに、立っているのが辛いのか、カタカタ小刻みに震えている。
「先生、大好きです」
先生、一瞬、「わしゃ、こういうお涙頂戴が大嫌いなんじゃ!」と思ったものの、案内人に、ちらっと目をやると、一見して、
「天下の筒井先生ともあろうお方が、何をおっしゃいます。 ここは、クライマックスですぞ。 たとえ、作家としての先生が、この臭い場面に我慢がならなくても、俳優としての先生なら、演じきる事ができるはず。 もし、これが舞台だったら、演出家や子役の前で、『できぬ』とおっしゃいますか?」
という顔をしているので、なにくそと、役者本能を奮い起こし、脊髄反射的に思い浮かんだ、この場に最も相応しいセリフを用意して、少女に近寄ると、片膝をついて、優しく抱き締めてやる。
「よく頑張ったね。 えらい、えらい」
先生に抱き締められたまま、少女の魂が煙となって消えて行くのに連れて、大勢の声が一つに纏まって行く。
「先生、大好きです!」
「先生、大好きです!!」
「先生、大好きです!!!」
ホールに、合唱となって、響き渡る。 天井が抜け、両手を広げた先生の体が浮き上がり、満天の星空に向かって上昇して行くのを、スポット・ライトの光芒が追い、魂どもの歓声が送る。
「先生、ありがとう!」
「先生、ありがとう!!」
「先生、ありがとう!!!」
あー、あー、感度良好。 こちら、上空の先生。 お約束の人体飛行ポーズを決め、上ばかり見ていたが、突然、カメラの方を向き、
「ん? 飛行機ぎらいのわしが、涼しい顔して、空 飛んどるのは、変? いやいや、そら、誤解やわ。 わしゃ別に、高所恐怖症ではないんよ。 ただ、飛行機の安全性を信用しとらんだけで。 詳しくは、≪狂気の沙汰も金次第≫の【事故】を参照の事。 ちなみに、まだ、新刊で売ってます。 ほら、下を見ても、なんも怖いことない」
と言って、視線を下に向けると、ホールの様子が、まだ見える。
「ああっ、読者達が、次々と、煙になって消えて行く。 そないにブンブン手ぇ振らんでもええのに・・・、そないに大声で叫ばんでもええのに・・・、安静にしとれば、あと何分か生きられるかも知れんのに、アホやなあ。 せやけど、読者とは、こないにも一途なものやったんか。 わい、肝でんぐり返ったなあ。 そないに慕うてくれんでも、本さえ買うてくれたら、先生、充分 嬉しいんやが。 できれば、文庫ではなく、単行本を。 更に欲を言えば、文庫も単行本も、どっちも。 そらさておき、こないに熱心なファンが仰山おるわいは、幸せもんや。 こっちこそ、おおきに・・・、おおきに・・・。 ふふ・・・、いつも、ニヒルでダンディーな俺に、泣き顔は似合わんな。 ここんとこ、涙もろうなっていかん。 忘れんぞ! 君らの事は、わしの命が続く限り、決して決して、忘れんぞ!!」
もう、高く上がり過ぎて、魂どもの声は、ほとんど、届かない。
「ありがとう・・・」
「ありが・・・」
「あり・・・」
夢に幕が引かれ、ホールも、大きな建物も消えて行く中、案内人が、ポツリと言う。
「先生、功徳を施されましたね」
約1分後、トイレで生き返った心地を味わいながら、先生は、ふと思う。
「何か、夢を見とったんやが、綺麗さっぱり忘れてしもうたな。 駄洒落を思いついたような気が・・・。 虎の・・・、虎の・・・、おお! 『虎の胃を借るピロリ菌』というのはどうやろ。 使えるかも知れんから、メモしとこ」
魂は、みな、煙となって消え去り、小旗を巻いた案内人だけが、そこそこの充足感と、いくらかの虚しい気持ちを抱えて、今夜も、霧の中を、とぼとぼと帰って行く。
同題の文章を、先行して、日記ブログ、≪換水録≫で公開していますが、こちらでの公開までに、1ヵ月半ほどあったので、その間に、加筆修正した部分があります。 しかし、大筋は、変わっていません。 この心更版の方が長いので、こちらを先に読んだ方は、換水録版を読む必要はないです。 先に換水録版を読んでいる場合、変更箇所は、主に後半なので、中年男が死んだ後あたりから、どうぞ。
ちなみに、作中に、「なんちゃって大阪弁」が出て来ますが、私は、どちらかというと、東日本の人間なので、精確さに欠けても、関知致しません。 「なんや、これ? なめとんのか? うちの近所じゃ、鸚鵡かて、こないな喋り方せえへんわ」とか言われても、知らんっちゅーのよ。 それにしても、筒井さんが使う、一人称の種類が多いのには、改めて、驚いた。 普段は、自分の事を、何と言っているんだろう?
【夢の5分間】
地獄、極楽にかかわらず、あの世など存在しないが、魂が消え去ってしまう前に、夢の形で、最後の望みが叶えられる事がある。 誰でも、死ぬのは初めてなので、迷わないように、小旗を持った案内人がいる。
「は~い! 最後の望みに、『筒井康隆先生に、お礼を言いたい』を選んだ人は、ここに集まって下さ~い! 今夜は、300人くらいかな。 これから、筒井先生の夢の中へ訪ねて行くわけですが、こんなに大勢で押しかけては、ご迷惑ですから、心を統一して下さい。 好きな作品を思い浮かべれば、自然に、纏まって行きますから」
300の魂が、うにょうにょと、離合集散して、人間の形に纏まるが、性別、年齢、顔立ちは、はっきりしない。 人数も、3人になったり、5人になったり、10人になったり。
「ああ、今夜も、一人に統一は無理か。 筒井先生は、作風がバラエティーに富んでいるからな。 まあ、いいでしょう。 では、出発します」
もやもやした霧の中を進む内に、人数が、また増えて来た。 好みの違いが激しい読者達のようだ。 やがて、霧の中から、複雑な形をした大きな建物が姿を現し、一行は、その玄関先までやって来た。
「は~い、ここで~す! 前以て、注意ですが、夢を訪ねると言っても、先生と一対一で話ができるわけではないです。 会話は、期待しないで下さい。 あと、これは、筒井先生に限らない事ですが、作家の方は、読者の事を、編集者や作家仲間と比べて、遠い存在だと思っている事が多いです。 愛想のいい顔が見られなくても、最悪、迷惑がられたりしても、不満を言ったりしないで下さい。 こちらが、お邪魔している立場である事をお忘れなく」
いつのまにか、300の魂は、一人になっている。 先生に会えるという期待で、心が一つに纏まったのだろう。 建物の中に入ると、建て増しを繰り返して来た古い旅館によく見られるような、不規則に張り巡らされた廊下を、二人で進んで行く。 目標を発見! トイレを探して駆けずり回っている筒井先生を、案内人が呼び止めた。
「こんばんは」
「あー、この辺にトイレはないかな?」
「私の夢ではないので、分かりかねます」
「あんた、前にも会ったような気がするな」
「先生の読者を案内して参りました」
「また来たのか。 夢を見るのも仕事の内だから、あんまり、同じような夢ばかり見るのは、困るんだが」
「その点は、ご安心下さい。 お邪魔できるのは、一回に5分までと決まっておりますし、夢に外部から介入した部分は、覚醒後、記憶に残らないようになっております」
「ほう。 御都合主義的に、うまく出来ているんだな。 こういうのは、どの作家の所へも行ってるの?」
「いえ、他界する直前の魂だけ、望みが叶えられるのです。 大抵の作家のかたは、読者より先に亡くなるので、こういう事はないのですが、筒井先生の場合、喜ばしい事に、長生きされているので、読者の側に先立つ者が多いという次第でして・・・」
「喜ばしい? ほんとに、そう思っているんだろうな?」
「読者の皆さんは、心から、そう思っています」
「この人がそう? 今回も、性別・年齢・顔立ちがはっきりせんな」
「大勢の魂がくっついているので、仕方ないのです。 今夜は、300人くらいです」
「体がボロボロ、崩れておるな。 端から、煙になって消えて行くではないか」
「こうしている間にも、こときれた者達の魂が脱落しているのです。 何か一言、お願いできますか」
「あー、どうも、皆さん、ようこそ、私の夢へ。 この度は、ご愁傷様です。 いや、まだ死んでいないのか。 お気を確かに。 傷は浅いですよ。 病は気からと・・・、だだだ駄目だ、我慢できん!」
「あっ! 先生、どちらへ!」
「知れた事! 起きて、トイレに行って来るのだ!」
「待って下さい! 読者の皆さんが、先生にお礼を言いたがっています!」
目覚めようとしている先生に、300をかなり割ってしまった魂どもが、一斉に、声をかける。
「先生、ありがとうございます」
「先生のお陰で、楽しい人生でした」
「学生の頃から、ずっと、大笑いさせてもらいました」
「先生は、永遠に僕達のヒーローです」
「先生こそ、本当の天才です」
「ありがたや!ありがたや!(拝)」
「先生の作品から読み始めて、読書人の末席に連なる事ができました」
「やっと会えた! 【トリックスター】のチケットが買えなかったんですぅ! おーいおいおい!」
「泣き方で、年代が分かるな」
先生に負けず劣らず、渋い声が語り始めた。
「覚えてねえだろうな。 あんたが東京に出て来てすぐの頃、飲み屋で隣に座った、ケチなヤクザさ。 あんた、酔っ払って、『絶対、有名な作家になってやる!』なんて抜かしやがるから、『賭けるか? もし、有名になったら、足洗って、あんたの小説、全部読んでやるよ』って言ったら、ほんとに、有名になっちまいやがって・・・。 しょうがねえから、指落として、カタギになって、汗まみれ埃まみれで働きながら、あんたの本、ずっと読んで来たよ。 虚構へ行っちまった時には、ちっと、手こずったけどな。 でも、最後まで、読み切れなかった。 俺の方が、先にお陀仏さ。 約束守れなくて ごめんよ、先生・・・」
零れ落ちて、煙となって、消えて行く。 思わず、聞き入ってしまった一同、シーンと静まり返っている。 目覚めかけていた先生まで、フリーズしている。 案内人が先生に訊いた。
「記憶力には定評のある筒井先生ですが、本当の話ですか?」
「あんなの、知らんがな」
「すると、今のは、創作? 死ぬ間際に、虚構をブチかますとは、恐れ入りますなあ!」
「俺のファンなら、やりかねん」
また、騒がしくなる。
「【俗物図鑑】を読んで以来、壺という壺が、みんな・・・」
「それは言うな。 飯がまずくなる。 といっても、もう、飯を食う機会はないが・・・」
「【走る取的】に戦慄しました!」
「多いなあ、そういう人」
「カフカと比べても、遥かに面白いのは、時間を詰めて、緊迫感を盛り上げているからでしょうか」
「模範的な批評だな」
「パスワードを、『56859』にしてました」
「そういえば、新潟空港で、『五郎八』という地酒が売っているというのは、本当かな? 『フライトが荒れるから、乗る前には買うな』という都市伝説まであるそうだが・・・」
「嘘、嘘!」
「『熊の木節』を歌って踊れます」
「いつ、歌って踊ったのだ?」
「1995年の1月と、2011年の3月と、2019年の終わり頃・・・」
「洒落にならぬ・・・」
「【家】と【長い部屋】が好きです」
「こらっ! 【長い部屋】は、筒井先生の作品ではない! 【遠い座敷】と言いたいんだろうが!」
「そう、それそれ!」
「【旅のラゴス】のお陰で、学問に目覚め、物理学者になれました。 テレポーテーション実験中の爆発で、この様ですが・・・」
「えっ! テレポーテーションできるところまで行ったの?」
「いえ。 発想を逆転させて、まず、爆発を起こして、そのエネルギーで、瞬間移動できないかと・・・」
「そりゃ、あんた、死ぬわ。 そりゃ、死ぬわ」
「中学の時、【村井長庵】と【問題外科】を、千回読み返しました」
「変態が混じってるぞ!」
「人体に興味が湧き、外科医になりました」
「尚、悪い!」
「先生の演劇物の作品が好きです」
「ハズレがないものね。 経験に裏打ちされていると、着想はもちろん、描き込みの深さや鋭さが違って来るのかも知れない」
「先生の動物ものが好きです」
「私も~! 動物が、ひどい目に遭わされないから、安心して読めますよね~!」
八割方 目覚めかけていた先生が、やしやし戻って来た。 周囲をキョロキョロ見回しているのは、家族・友人・知人が見ていないか、警戒しているのかも知れない。
「今のは、女性の声ではないか?」
「はーい! でも、もう、50代ですけど。 うふふふ!」
「良い良い。 わしから見たら、50代なんて、まだまだ、娘役の内じゃ。 ふほほほほ!」
「まあやだ、先生ったら、お上手なんだから! おほほほほ!」
「むふふふふ! さあ、一曲踊ろうではないか」
「あら。 私が社交ダンスやってた事、どうして、ご存知なの?」
「声の雰囲気で分かる。 踊りたくて、うずうずしているのが分かる」
「でも、久しぶりだから、躓いて、倒れちゃうかも知れないわ」
「良いではないか、倒れたら倒れたで。 わしが支えてやろうほどに。 ほっほっほっ!」
突如、旅館の廊下が、大きな円形ホールに変わったのは、先生の夢という、御都合主義的設定によるものだろう。 魂の塊から、50代女性の魂が分離して、先生に手を取られ、ホールの中央へ向かう。 昨今のアンチ・エイジング系テレビCMに出て来て、「50になりました(取材当時)」とか言いそうな、そこそこの美形だが、セクハラを避ける為に、それ以上の描写は控える。 案内人の指示で、観衆役を務める為に、300弱の魂が分離して、ホールの壁際に立つ。 それぞれ、人の形をしているが、魂だけなので、影が薄い。 中央の二人に、スポット・ライト。 ワルツがかかり、踊り始める。
壁際で見ていた、青年と中年男らしき者の声。 以下、発話が長くなるので、状況に応じて、行間を開ける。
「僕の世代から見ると、筒井先生は、貫禄たっぷりの品行方正な紳士としか思えないんですが・・・」
「そうだろうね」
「でも、作品を読むと、性的に、とっても、極端な事が書いてあるでしょう? 落差が大き過ぎて、イメージが統一できないんです」
「そりゃ、先生の性的志向は、文学的に昇華されているから・・・」
「素朴な疑問なんですが、筒井先生って、スケベエなんですか?」
「こっ、こっ、こらっ! 失敬な事を言うな! 『大阪湾で、帆立貝から生まれた、最後の大文豪』と讃えられる筒井大先生を踏ん捕まえて、何たる雑言! スケベエなどという下劣なものでは、断じて、ない! 『鋭敏な性的感性で、人間の本質を抉っている』と評さなくてはいかん! そもそも、君は、昭和元禄に於ける性風俗紊乱の甚だしさを知らんのだろう。 中間小説誌に書いていた作家は、星新一先生を唯一の例外として、全員、エロを要求されたのだ。 筒井先生を、スケベエ呼ばわりして責めるとなれば、×××一など、色情狂で、病院送り。 ×坂××は、即逮捕。 ×××行なんか、即死刑。 大×××に至っては、即射殺なのだぞ」
「伏字にしなくても、今じゃもう、誰の事だか分かりませんよ」
ホール中央では、タンゴ、ルンバ、ジルバを経て、パソドブレから、ジャイヴに突入し、先生が、到底 後期高齢者とは思えない、目にも止まらぬスピードで、ステップを踏んでいる。 「天才と見做されている割には、努力家の一面もある先生の事だから、90年代末に、≪Shall we ダンス? 2≫のオファーが来た時に備えて、自宅にダンス教師を招き、猛特訓に励んだ成果なのだろう」などと、勝手な推測を巡らせてはいけないのであって、ただ単に、夢の中なので、体の動きが若い頃に戻っているのである。 観衆から、「おおおうっ!」という、大きなどよめきが、繰り返し起こる。
「さすが、我らの先生だ!」
「なんて、華麗な方なの! 見ているだけで、イッてしまうわ!」
と、呟きながら、ほんとに逝ってしまった女性の魂が、5、6、7、8、煙となって消えて行く。 こういう描写も、セクハラかな?
中年男の主張は続く。 音楽がうるさいので、大声でがなりたてている。
「大体、筒井先生のエロは、エロそのものではなく、エロのパロディーなのだ。 エロ書けエロ書けと、けしかけていた編集者の面々も、筒井先生には、すっかり騙された。 確かに、先生の作品に出て来るのは、尋常でないエロなのだが、なぜか、勃起を誘わないのだ。 笑うのに忙しくて、勃っている暇がないのだとばかり思い込んでいたが、それは読みが足りない分析だった。 後年、【エロチック街道】を読んでいて、ズボンの前がきつくなったのを感じ、初めて、それまでの筒井作品のエロが、エロのパロディーであった事に気づいたのだ。 まんまと、してやられた編集者諸氏の、愕然としたその顔、是非とも間近で見てみたかったものだな。 自分より知能が高い存在に指図をしようなどと、身の程知らずな事を考えるから、しっぺ返しを喰らったのだ。 わはははは!」
「なるほど。 でも、パロディーであっても、変態性欲物なんかは、やはり、本人が、相応のスケベエでないと、書けないような気がしますが・・・」
「君は、洞察力に乏しい人だねえ。 先生の性欲は、ノーマルの範囲内に、きっちり納まっておる。 ただ、若い内に、この上なく魅力的な奥様と結婚するや、忽ち、東洋一の愛妻家になってしまったせいで、浮気を避ける為に、異性遊びを封印せざるを得なくなった辛い事情があるのだ。 元来 イケメンだった上に、名声が高まり、収入は増えて、モテる三条件が揃ったのだから、事ここに至ってはもう、美女ヶ原へハンティングに繰り出すしかないと、夜毎、猟銃の手入れに勤しんでいた矢先に、ウェディング・ブレーキがかかってしまったのだ。 ちなみに、これは、ウェディング・ケーキと、パーキング・ブレーキをかけたダジャレなのだが、高等過ぎるせいか、今まで、ウケたためしがない。 それはこの際どうでも良いとして、あと5年 独身だったら、千人斬りも夢ではなかった先生の、内面意識レベルの無念さは、涙なくしては推し量れぬ。 で、抑圧された性欲が、作品の中で縦横に解放された結果、一部の品性陋劣な読者から、スケベエと誤解されたに過ぎんのだ。 更に、フロイト的分析を逞しくすれば・・・」
いつのまにか、ダンスを終えた先生、息一つ切らさず、汗一滴浮かべていない。 夢の中なら、肺気腫にならんじゃろとて、スッパスッパ 煙草を吸いながら、眉間に深い皺を寄せ、冷め切った目つき、ドスの利いた低音で、中年男の饒舌を遮る。
「そのくらいにしとけ。 人の性欲まで洞察せんでええ」
「へへ~っ! 申しわけありませぬ~っ!」
「なにが、『大阪湾で帆立貝』やねん? わしゃ、ヴィーナスか? どうせ、性別を超越するのなら、せめて、ミューズにしとかんかい。 物を識らん奴め!」
「御指摘、一々ごもっともでございます~っ! 恐れ入りました~っ!」
「『東洋一の愛妻家』っちゅーのも、どういう形容やねん? わしゃ、ダムか? 鍾乳洞か?」
「ははっ! 『日本一』では、桃太郎みたいですし、『世界一』だと、大風呂敷過ぎて、リアリティーを欠くのではないかと慮りまして。 また、昭和中期の雰囲気を匂わせたいという下心も、僅かながら ございました事を、告白しておかなければなりません」
「そんなつまらん告白、わざわざせんでええ。 どうも、俺のファンには、馴れ馴れしい奴が多くて困る。 作家に対する畏敬の念が、根本から足りとらん。 脳なしの能なしの悩なしどもは、【読者罵倒】で、二度と小説が読めない体にしてやり、【朝のガスパール】で、新聞紙上へおびき寄せて、公開処刑、一匹残らず、根絶やしにしてやったと思っておったが、まだ、生き残りがいたか」
「私め、間もなく死にまするので、何卒、ご勘弁を~っ!」
「いいや、お前のような慮外者には、たとえ、今はの際であっても、おぎゃあと生まれた直後であっても、はっきり思い知らせてやった方が良かろう。 一体、俺を誰だと思っておるのだ? あの大江健三郎と文学論を交わした男なのだぞ」
「はて? 大江先生となら、筒井先生の方が、文学者として、上だと認識しておりますが」
「むむっ! 井上ひさしとも、ツーカーの仲だったのだぞ」
「ご冗談を。 筒井先生の方が、遥かに上でございます」
「むむむっ! 俺は江戸川乱歩に見出されて・・・」
「わははは! 江戸川先生は、短編と新人発掘に秀でていただけではございませんか。 筒井先生に長編を勧められたのは、筒井先生の伸び代を見抜かれた上で、自分は面白い長編が書けないから、反面教師にせよという意味だったのでございましょう」
「むむむむっ! 俺は、SF草創期に、小松左京と切磋琢磨した間柄なのだぞ」
「・・・・・」
「む! なぜ、答えない? どうなのだ? 俺と小松左京は、どっちが上なのだ?」
「・・・・・」
「頼む! 答えてくれ! 年寄りを不憫だと思って、何とか言ってくれよう!」
「筒井先生には、小松先生より、圧倒的に優れた点がございます」
「おおっ! さもあろう! して、それは、いかなる点じゃ? 先に断っておくが、BMIとか言うなよ」
「読者を、最後まで見捨てなかった事でございます。 小松先生は、【虚無回廊】を中絶した後、小説から遠ざかってしまわれたので、読者は、大変、寂しい思いをしなければなりませんでした。 しかし、筒井先生は、読者の事を忘れていなかった。 御高齢を押して、掌編小説を書き続けて下さった。 作家としての責務を全うして下さった。 読者として、こんなに幸せな事はございません。(涙袖拭)」
満場、嵐のような拍手!
先生、内心、
(いやあ、実は、特段 読者の事を考えてたわけやのうて、どうせ、コロナで外出できんから、暇潰しの手慰み、小遣い稼ぎに、担当編集者とのつきあいを兼ねて、ちょこちょこ書いてただけなんやけど、そないな事を告白できる雰囲気ではのうなってしもうたなあ・・・)
と、思っているが、そこは役者魂、おくびにも出さない。
(みんな、喜んどんのやから、喜ばしときゃ、ええわ)
先生、ふと気づき、中年男の魂を、端の方へ引っ張って行く。
「一旦終わった話を蒸し返すのは、小説の展開上、御法度だという事は承知しているが、これは、小説とは到底 言い難い、ただの駄文だから良かろう。 俺が大江健三郎より上というのは、どういう根拠で言ったのだ? 気になるではないか。 どうせ、大した根拠ではないだろうと思ってはいるが・・・」
「大江先生の作品は、片手の指で数える程度しか、読んでいません。 筒井先生の側に立って、推測しただけでございます」
「推測?」
「純文学に打って出るとお決めになった先生は、先生の性格から推して、まず、御自分を誉めてくれる者、つまり、御自分を評価してくれる存在を探されたものと思われます。 当時、安部公房先生が御健在でしたが、安部先生は、SFにも通じておられたので、筒井先生の事を、ドタバタ作家だと誤認されている恐れがございました。 危ない危ない、安部先生の一言で、純文学界から撥ねつけられてしまっては、敵わない。 そこで、次に白羽の矢が立ったのが、大江先生でございます」
「ぬぬ! お前、いやらしい推測をするなあ。 どういう育ち方をしたら、それほど下司な勘繰りができるようになるのだ? 親の影響とは思えんから、きっと、これまでに読んで来た本に毒されたのであろう。 これほどの下司妖怪を世に現出せしめてしまった、罪深い作家の顔が見てみたい」
案内人始め、魂ども一同、先生を凝視しているが、先生は背中を向けているので、気づかない。 中年男の勘繰りは続く。
「ところが、【虚人たち】の時点で、すでに、筒井先生は、大江先生を超えていらっしゃった。 大江先生も、それを見抜かれたものと思われます。 もし、筒井先生を、御自分より下だと思われていたら、対等なおつきあいはなさらなかったでしょう。 筒井先生から、大いに得るものがあると思われたからこそ、お近づきになりたいと望まれたのだと考えられるのでございます。 【治療塔 二部作】は、SFとしては、珍作になってしまう事を覚悟の上で書かれた、筒井先生に対する、遠回しなオマージュなのではございますまいか?」
「ぬぬぬ! 言わせておけば、勝手な事を! 尿意さえ堪えていなければ、唯野仁に変身して、いくらでも、言い返してやるものを・・・」
「勝手ついでに、更に申し述べさせていただければ、筒井先生が、純文学界で成功するのは、約束された当然の成り行きでございました。 『私小説』などという、黴が生え、蛆が涌いた、自慰小説、手淫小説、せんずり小説としか言いようがない、最低に情けないジャンルが、王道ヅラをして罷り通っていたところへ、筒井先生が、世界の最先端文学を下敷きにした作品を引っ提げて乗り込んで行ったのですから、腐れきったマス掻き野郎どもが、太刀打ちできるわけがなかったのでございます。 凋んだチンチン握ったまま、びーびー泣き泣き、蜘蛛の子散らして逃げ惑った様子が目に浮かぶようでございますな。 痛快、痛快! わはははは!」
「ぬぬぬぬ! 痛快どころか、聞いていて、腹が立つ! 仮に、それが事実であったとしても、それは、お前ではなく、俺の手柄だ! 虎の褌で相撲をとる狐め! 大体、文壇とは、文学とは、そんな単純なものではないのだ! 貴様ごとき、三流読者風情に、何が分かる!」
「おっしゃる通りでございます。 私ごときには、先生の偉大さは、遥か下方から推し量る事しかできません。 しかし、先生より下だという点では、私も大江先生も、違いがございません。 筒井先生は、頂点に立ってしまったが故に、御自分を、上から評価してくれる存在を、永遠に失ってしまったのでございます」
「認めん! 認めんぞ! 猪口才な! 小癪な! 賢しら口を叩きおって・・・、お、おい、どうした? 崩れ始めておるではないか!」
「お別れでございます」
「待て! まだ死ぬな! 俺より長生きして、もっと、俺を誉め続けろ! 貴様ごとき、無知無恥無学な下司野郎でも、特に許す。 誉めて誉めて、誉めちぎるのだ!」
「筒井先生、万歳・・・」
中年男の魂は、崩れ去り、煙となって消えて行く。 先生、目を見開き、口を開けて、煙草を落とし、呆然としていたのも束の間、さすが、作家人生を通して、批評家と戦い続けて来た萬戦錬磨の文傑だけの事はあり、すぐに立ち直る。
「ふん! あんな奴、大した事を言っていたわけではない。 饒舌でごまかしておったのだろう。 そもそも、俺は、文学なんて、全力でやっていたわけではない。 俺は、本来、役者であって・・・」
と、そこへ、他の魂。
「先生の奥様物が好きです」
「えっ? ≪社宅奥様シリーズ≫見てくれたの? 嬉しいなあ。 懐かしいなあ。 もう、四半世紀になるんだなあ。 といっても、ぼくくらいの歳になると、つい、こないだのような気がするんだけどね。 郁恵ちゃんとは、その後、≪箱根湯河原温泉交番≫でも共演してるんだけど、そっちは、料理にうるさい小説家の役だったんで、監督に、『海原雄山風でいいですか?』って訊いたら、『あんな偉そうなキャラでは困ります。 筒井先生、地のままで結構です』って言われちゃってね。 お膳を引っ繰り返して、『なんだ、この料理はっ! 女将を呼べっ!』って、やってみたかったんだけど、残念だったなあ・・・。 あ、ごめんごめん、≪社宅奥様シリーズ≫の話だったね。 で、どうだった、ぼくの演技? あっちは、ファース担当の小さい役だったけど、その分、肩の力が抜けて、自然体で行けたと思うんだよね。 コミカルな役を自然体で演るのは、結構 難しくて・・・」
「いえ、そうじゃなくて、先生の奥様が出てくる、【妻の惑星】とか・・・」
「あ、そっち・・・。 いや、いいんですけどね」
「あのう・・・、ご気分を害されました?」
「いやあ、こんな事で、不機嫌になったりしませんよ」
「でも、先生、『不良老人』だから、キレ易いんじゃないかと・・・」
「いやいや、不良だったのは、80代前半までの話です。 コロナで出かけられなくなって、コンビニ前でウンコ座りとか、ゲーセンでとぐろ巻きとか、駅前でナンパとか、路地裏でカツアゲとか できなくなったんで、いい機会だと思って、さなぎセンターに入って、すっかり更生しました。 真人間になった事を一番喜んでくれたのは、かみさんでしてね。 どうも、私が不良だった間、近所の人から、からかわれていたらしいんですよ。 『お宅のご主人、おグレにおなり遊ばしたんですって? プッ!』、『まあ、奥様も大変ねえ。 プッ!』てな具合に。 なーに、他人なんか、勝手に言わせておけばいいんですよ。 雨降って、地固まる。 逆に、夫婦仲は良くなりました。 『あなたが立ち直ってくれて、嬉しいわ。 元不良を見る世間の目は厳しいだろうけど、二人で頑張って生きて行きましょうね』って。 泣かせるじゃありませんか。 女房と味噌は古い方がいいとは、よく言ったものです」
「その話、本当ですか?」
「冗談に決まっとるわ!」
「わあ! 怒った怒った!」
「怒ってません!」
先生、ようよう、読者の相手をするのに倦み、再び、目覚めモードに向かう。 魂どもは、またぞろ騒ぎ出すが、もう、5分の期限が迫っていて、焦りまくる。
「【時をかけ・・・」
「それは、禁句だ!」
「なんで? 代表作なのに」
「それも、禁句だ!」
「【モ・・・」
「長くなりそうな話はよせ!」
10歳くらいの少女。 薬品臭いパジャマ姿で、頭に包帯とネット。 痩せ細っていて、胸に抱き締めた、【愛のひだりがわ】の単行本が、やけに大きく見える。 魂だけなのに、立っているのが辛いのか、カタカタ小刻みに震えている。
「先生、大好きです」
先生、一瞬、「わしゃ、こういうお涙頂戴が大嫌いなんじゃ!」と思ったものの、案内人に、ちらっと目をやると、一見して、
「天下の筒井先生ともあろうお方が、何をおっしゃいます。 ここは、クライマックスですぞ。 たとえ、作家としての先生が、この臭い場面に我慢がならなくても、俳優としての先生なら、演じきる事ができるはず。 もし、これが舞台だったら、演出家や子役の前で、『できぬ』とおっしゃいますか?」
という顔をしているので、なにくそと、役者本能を奮い起こし、脊髄反射的に思い浮かんだ、この場に最も相応しいセリフを用意して、少女に近寄ると、片膝をついて、優しく抱き締めてやる。
「よく頑張ったね。 えらい、えらい」
先生に抱き締められたまま、少女の魂が煙となって消えて行くのに連れて、大勢の声が一つに纏まって行く。
「先生、大好きです!」
「先生、大好きです!!」
「先生、大好きです!!!」
ホールに、合唱となって、響き渡る。 天井が抜け、両手を広げた先生の体が浮き上がり、満天の星空に向かって上昇して行くのを、スポット・ライトの光芒が追い、魂どもの歓声が送る。
「先生、ありがとう!」
「先生、ありがとう!!」
「先生、ありがとう!!!」
あー、あー、感度良好。 こちら、上空の先生。 お約束の人体飛行ポーズを決め、上ばかり見ていたが、突然、カメラの方を向き、
「ん? 飛行機ぎらいのわしが、涼しい顔して、空 飛んどるのは、変? いやいや、そら、誤解やわ。 わしゃ別に、高所恐怖症ではないんよ。 ただ、飛行機の安全性を信用しとらんだけで。 詳しくは、≪狂気の沙汰も金次第≫の【事故】を参照の事。 ちなみに、まだ、新刊で売ってます。 ほら、下を見ても、なんも怖いことない」
と言って、視線を下に向けると、ホールの様子が、まだ見える。
「ああっ、読者達が、次々と、煙になって消えて行く。 そないにブンブン手ぇ振らんでもええのに・・・、そないに大声で叫ばんでもええのに・・・、安静にしとれば、あと何分か生きられるかも知れんのに、アホやなあ。 せやけど、読者とは、こないにも一途なものやったんか。 わい、肝でんぐり返ったなあ。 そないに慕うてくれんでも、本さえ買うてくれたら、先生、充分 嬉しいんやが。 できれば、文庫ではなく、単行本を。 更に欲を言えば、文庫も単行本も、どっちも。 そらさておき、こないに熱心なファンが仰山おるわいは、幸せもんや。 こっちこそ、おおきに・・・、おおきに・・・。 ふふ・・・、いつも、ニヒルでダンディーな俺に、泣き顔は似合わんな。 ここんとこ、涙もろうなっていかん。 忘れんぞ! 君らの事は、わしの命が続く限り、決して決して、忘れんぞ!!」
もう、高く上がり過ぎて、魂どもの声は、ほとんど、届かない。
「ありがとう・・・」
「ありが・・・」
「あり・・・」
夢に幕が引かれ、ホールも、大きな建物も消えて行く中、案内人が、ポツリと言う。
「先生、功徳を施されましたね」
約1分後、トイレで生き返った心地を味わいながら、先生は、ふと思う。
「何か、夢を見とったんやが、綺麗さっぱり忘れてしもうたな。 駄洒落を思いついたような気が・・・。 虎の・・・、虎の・・・、おお! 『虎の胃を借るピロリ菌』というのはどうやろ。 使えるかも知れんから、メモしとこ」
魂は、みな、煙となって消え去り、小旗を巻いた案内人だけが、そこそこの充足感と、いくらかの虚しい気持ちを抱えて、今夜も、霧の中を、とぼとぼと帰って行く。
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