2024/06/23

実話風小説 (29) 【懇親会】

  「実話風小説」の29作目です。 4月20日頃に書いたもの。 このシリーズを読んで、「人間の醜いところばかり、ほじくり返して、読んでいて、気分が悪くなる。 もっと、明るい希望を感じさせる話を思いつかないのか?」と思う方もいるでしょうが、私としては、そういう明るい話を、わざと避けているのです。 他人が全て、鬼・悪魔とは言わないけれど、世の中は、総じて、甘くない。 私が、60年生きて来た結論は、それだったんですな。




【懇親会】

  A氏(男)の父親は、 83歳の夏のある日、庭で草毟り中に、脳溢血で倒れた。 体を丸くしたまま、横倒しになり、音も立てなかったので、家族が気づくのに、30分以上かかった。 救急車で総合病院に搬送されたものの、その日の内に世を去った。 突然死であるが、年齢的に見て、周囲が意外に思うほど、突然ではなかった。

  父親は、他界する寸前まで、町内会の会合に出ていた。 体も頭もしっかりしていたので、町内会の仕事は、ずっと、引き受けていたのだ。 懇親会や、祭り、運動会などで、酒を飲むのが好きだったのである。 家族にしてみると、面倒な事を進んでやってくれるので、好都合だった。

  父親の死後、その役が、A氏に回って来た。 A氏は、父親に似ず、人付き合いは苦手だった。 幸いな事に、人口が減っていて、町内会の行事も、ほとんど、廃止になっていたが、「その分、懇親会だけは、続けよう」という話になり、月に一度は、公会堂で、飲み会が開かれていた。 困った事に、その提案をしたのは、酒好き、宴会好きの、A氏の父親だったので、親の責任を子が取る格好で、A氏も出ないわけには行かなかった。

  出て来る顔ぶれは、10人前後。 80代は、A氏の父親が最後で、70代、60代、50代が、それぞれ、3・4人ずつ。 40代以下は、いなかった。 この町内は、古い住宅地で、若い夫婦や、小さい子供がいる夫婦が、ほとんど、いなかったのだ。 おそらく、10年もしない内に、立ち行かなくなり、他の町内と合併するか、吸収される事になるのだろう。

  50代は、A氏のほかに、3人いたが、その内の一人、男Bは、A氏の小中学校時代の同学年生だった。 子供の頃から、ずっと、その町内に住んでいて、結婚しても、親と同居し、親の跡をついで、町内会に顔を出すようになったのだ。 同学年ではあるが、同級になった事はない。 かつて、町内会の下部組織として存在した、「子供会」では、一緒に行動した事があるが、親しかったわけではなく、直接、話をした事はなかった。

  男Bの印象というと、常に、近所の兄ちゃんと一緒にいて、その庇護下にあったという事である。 その兄ちゃんは、子供会では、結構な「顔」だったので、男Bとしては、大樹の陰に寄っていたのだろう。 A氏の家は、彼らの家から離れており、A氏は、その兄ちゃんを頼る事はなかった。

  子供心に、兄ちゃんに守られている男Bの事を、羨ましいと思った事もあったが、やがて、その兄ちゃんは、中学生になって、子供会からいなくなってしまい、その後の男Bが、どうしていたかについて、全く記憶がない。 後で知ったが、庇護者がいなくなってからは、子供会に出て来なくなっていたらしい。


  話を現在に戻すが、懇親会に出るようになってから、否が応でも、A氏は、男Bと付き合わなければならなくなった。 僅かに残っていた、町内会の行事でも、顔を合わせ、一緒に作業をする事があった。 A氏の方は、そんなつもりがなかったのだが、男Bの方は、忽ち、急接近して来て、瞬く間に、馴れ馴れしい態度を取るようになった。 

  A氏は、隣の市にある家具の販売会社に勤めていて、職種は、店舗での接客と、外回りの営業が半々である。 普段から、顧客と会話をしているので、言葉遣いは丁寧だ。 ところが、男Bは、ぞんざいを具現化したような話の仕方しかしなかった。 ちなみに、男Bの職業は、この話とは関係ないので、触れない。 接客業でなかった事だけ断っておく。

  A氏に対して、最初の一言から、タメ口・呼び捨てだった。 同い歳だから、目くじら立てる程の事ではないのかもしれないが、子供の頃から、友人だったわけではなく、知人と言うにも、縁が薄過ぎである事を考えると、普通なら、さん付け・丁寧語で話すべき関係であろう。 ところが、男Bには、そういう意識はまるでなかったのだ。 A氏に対してだけでなく、年上に対しても、さん付けするだけで、丁寧語は、一切 使わなかった。

  ただ単に、言葉遣いが馴れ馴れしいというだけではなく、口にする事の内容も悪かった。 からかう、馬鹿にする、見下す、笑い者にする、そんな事ばかり。 それしか言わない、と言っても良い。 たまに、男Bが、何かを質問して来るとする。 その事について、知りたいのかと思って、真面目に説明していると、突然、男Bが、ニヤニヤし始めて、「えっ? 何、お前、そんな事してんの? 馬鹿じゃねーの? わははは!」 そして、周囲にいる他の者に向かって、「おーい! こいつ、こんな事してんだってよ!」と、触れて回るのである。

  つまり、男Bは、何かを知りたくて、質問をしたのではなく、ツッコミどころを探す為に、相手に答えさせていたのである。 たとえば、中古車を買ったとする。 男Bが、「いくらだった?」と訊いて来たので、「50万円」と答えると、「えっ! あんなボロ車に、そんなに払ったの? 馬鹿じゃねーの?」と笑う。 しかし、そもそも、貶すのが目的だから、仮に、「30万円」と答えても、男Bの反応は、全く同じなのである。 「10万円」と言っても、同じである。 男Bが発する質問は、全て、その種の低劣・下賎な罠であった。

  その町内の懇親会では、そんな場面が、毎回のように見られた。 男Bだけではなく、他の者も、程度の差はあれ、同じような事をやっていた。 A氏は、なんだか、小中学生の世界に引き戻されたような感じがした。 A氏の場合、高校生になった頃から、他者を馬鹿にするような言動は、意識して慎んでいたので、50を過ぎた大の大人が、そんな会話をしているのを見て、衝撃を受けた。

  しかし、男Bだけでなく、他の者もやっていた事が、A氏が当初 抱いた違和感を薄めてしまった。 A氏自身、小中学生の頃には、そういう事をやっていた経験があるので、合わせられないわけではなかった。 こちらが、相手を馬鹿にしても、相手は、不機嫌な顔になるだけで、別に怒り出すような事はない。 「この懇親会は、こういうものなんだろう」と思って、合わせる事にした。 よせばいいのに・・・。


  A氏の妻は、A氏とは、別居していた。 不仲が原因ではなく、妻の父親が、要介護状態になって、その介護をする為に、実家に戻っていたのである。 妻の母親の方は、もっと前に、他界していた。 2年間、別居して、妻が父親の最期を看取り、葬儀を出し、実家を処分してから、A氏の家に戻って、また同居となった。 A氏の母親だけ、まだ健在だが、高齢者施設に入っている。

  A氏夫婦は、別居していた間、半月に一度くらいの間隔で、顔を合わせていた。 いろいろと、打ち合わせがあったからだ。 妻は、別居していた2年の間に、A氏の態度が、少しずつ、変わって行くのを感じていた。 同居していた頃の、優しい労わりや気遣いが、徐々に見られなくなり、代わりに、妻に対して、呆れたり、馬鹿にしたり、からかったりする事が多くなっていった。 妻が気分を害して、眉間に皺を寄せ、

「なんで、そんな事 言うの?」

  と、言い返すと、A氏は、一瞬、ハッとしたような表情を見せてから、ぎこちなく笑い、

「冗談だよ。 介護がきついだろうから、気分を和ませようと思って、言ったんだよ」

  と、答えた。 しかし、ごまかしているのは、見え見えだった。 妻は思った。

「同居している時には、確かに、こんな人ではなかった。 何が起こっているのだろう?」


  妻が戻って来た事の報告がてら、A氏は、懇親会に、妻を連れて行った。 酒やつまみは、出席者が持ち寄るので、別に、女性を給仕に扱き使うような事はない。 ちなみに、女性には、別に、婦人会という組織があったが、会員が減ったせいで、今では、年に一度しか、会合が開かれていない。 さて、懇親会に出たA氏の妻は、挨拶だけして帰るつもりでいたのだが、酒を勧められて、少し飲んで行く事にした。 割と、イケる口だったのである。

  しかし、すぐに、この懇親会の、異常な雰囲気に気づいた。 男達が、互いに、貶し合い、からかい合っているのである。 面白い冗談を言って、一緒に笑うというのではなく、相手を笑い者にしているのだ。 特に、男Bは、そういう態度が際立っていた。 自分は、ベラベラと好き放題しゃべるくせに、他の者が話していると、

「その話、長い?」

  とか、

「その話、今じゃなきゃ、ダメ?」

  などと言って、遮り、喋っていた人間が黙ってしまうと、その様子を見て、ゲラゲラ笑うのである。 耳寄りな情報や、役に立つ真面目な話であっても、お構いなし。 さすがに、周囲の者は、白けてしまって、男Bを、呆れ顔で見るのだが、男Bは、酒が入った人間特有のご機嫌さで、全く気にしていない様子。

  懇親会に来ない、近所の人間の陰口も、凄まじかった。 男Bは、まず、A氏の妻に向かって、

「奥さん、奥さん! これから聞く事は、ここにいる人間以外に喋っちゃダメよ。 喋ったら、すぐ分かるからね」

  と、脅しておいて、他人の悪口を、これでもかというくらい、叩きまくるのである。 その場にいない人間の事だから、他の面子も、笑って聞いているが、すぐに分かるのは、男Bは、他の場所に行けば、この場にいる者の悪口も、同じように、叩きまくっているのだろうという事だ。 そういう性格としか思えない。

  A氏の妻は、「男のつきあいというのは、こんなものなのだろうか?」と思ったものの、釈然としなかった。 妻自身、職を持っていたが、大人の世界では、こういう様子を見た事がなかった。 家に戻ってから、夫に訊くと、毎回、あんな感じだという。

「なんだか、小学校の男子の世界みたいだね」
「俺も、最初は、そう思ったけど、2年も経つと、慣れちまったな」


  A氏の妻は、勤め先の昼休みに、職場の仲間に、この話をした。 同年輩の女性達は言った。

「ああ、確かに、小学校の男子で、そういうつきあいをしてるのがいたよね」
「大人でも、仲がいいと、そういう事 言い合ってるの、見た事あるよ」
「男って、そういうところがあるよね」

  その場にいた、5人の内、一人だけが男性で、中途採用の50代だった。 C氏である。 定年まで、平社員と決まっている人だが、温厚な人柄で、職を転々とした経歴がある分、社会経験が豊富で、そこそこの人望を集めていた。 彼が、ポツリと言った。

「その懇親会、年中、そんな話ばかりしているとすると、異常だと思いますよ。 Aさん、旦那さんに言って、誰が、そういう貶し合いを始めたか、調べてもらったら?」
「調べるって、どうやって?」
「年長の人の家を訪ねて行って、いつ頃から、そうなったのか、さりげなく訊いてみたらどうですかね」


  調べるまでもなく、貶し合いを始めたのは、男Bではないかと思われた。 家に帰って、A氏にその話をすると、最初は、拒絶された。

「いいんだよ、あれはあれで。 特定の誰かが吊るし上げられているわけじゃなくて、お互いに貶し合ってるんだから。 ああいうのも、つきあいの一形態なんだよ」

  しかし、数日経った日曜日。 犬の散歩に行っていたA氏が、戻って来て、こう言った。

「河川敷の公園で、Dさんに会ったんだけど・・・。 懇親会の話になってね」

  D氏は、懇親会のメンバーで、70代の、最年長者である。

「貶し合いを始めたのは、Bらしい」
「やっぱり。 だと思った」
「5年前に、Bが、Bの父親に代わって、懇親会に出始めたんだって。 Bは、酒が入ると、よく喋るから、次第に、Bが会話の中心になるようになったんだって」
「いくら、酒の上だって、貶され始めた時、よく、他の人が、文句を言わなかったもんだね」
「陰で文句を言った人もいたらしいよ。 だけど、その頃、懇親会は、参加者が、どんどん減っている時で、若手のBに気を使って、窘めたりしなかったらしいんだ」
「それで、ああなっちゃったわけ? 何だか、間違った方向に行っちゃってる感があるね」


  A氏の妻は、職場へ行って、その話をした。 C氏は、頷きながら、言った。

「そうですか。 元凶がいましたか」

「元凶ですか?」

「その、Bという人、たぶん、懇親会に出始める前に、他人から、長期間に渡って、貶されていた時期があるんですよ。 自我を守る為に、自分も貶し返していたんでしょう。 で、すっかり、そういうのが、人づきあいだと、誤解してしまったんだと思います。 その流儀を、そのまま、懇親会に持ち込んだんでしょう」

「夫は、お互いに貶しあってるんだから、問題ないって言ってるんですけど」

「そんな事はないと思いますよ。 貶されて、気分がいい人間なんて、いないでしょう。 貶されれば貶されるほど、心が傷つく一方です。 たとえ、貶し返したとしても、相手が自分を貶した事が帳消しになるわけじゃないですから。 それに、貶された記憶は、一生涯 残ります。 その懇親会に出続ければ、心の傷は、増える一方でしょう」

「仲がいいほど、貶しあったり、からかいあったりするという関係も、あるんじゃないですか?」

「確かに、現実には存在します。 学生の頃の友人には、そのまま、固定してしまったケースも多いですね。 そういう関係が気安いと言う人もいますが、どうでしょうねえ? 貶す時は、小気味いいかもしれませんが、貶される時もあるわけで、そちらは、歳をとればとるほど、不愉快の度が増すんじゃないですかね? 歳が行くほど、プライドが高くなるのが普通ですから。 学生時代からの友人と、死ぬまでつきあい続ける人が稀なのは、気安く、馬鹿にしたり、見下したり、からかったりして来る相手に、我慢がならなくなるからじゃないですかね? 自分が何か、悪い事をしたり、間違った事をした時に、遠慮せずに窘めてくれるという相手なら、貴重ですが、ただ、馬鹿にしてくるだけというのは、全く別物でしょう。 そんなつきあいは、百害あって一利ないと思いますよ」

「そうですねえ。 夫の件ですが、どうしたもんでしょうね?」

「懇親会を廃止するのは、そう簡単にはいかないから、旦那さんが、その懇親会に出ないようにするのが、一番でしょうね」

「それも、できないんですよ。 夫の父親が、懇親会を始めた関係で、夫がやめるわけにはいかないんです」

「そうですか。 厄介な問題ですね。 しょうがない。 懇親会は懇親会、それ以外はそれ以外と、態度を使い分けるように、勧めてみてはどうでしょう」


  A氏の妻は、家に戻ると、深刻な表情で、夫に、C氏の話を伝えた。 意外にも、夫は、頷きながら、真剣に話を聞いてくれた。

「そう分析されると、納得し易いな。 俺が、今までに付き合って来た、友人や同僚にも、Bと同じようなタイプが、何人かいたけど、評判は良くなかったよ。 俺自身、そういう奴らとは、自然に距離をおくようにして来たんだ。 今だから、言える事だけどな。 懇親会にも、ずーっと、違和感があるにはあったんだ。 なんで、こんなに、他人を貶さなきゃならないんだと思って・・・」

  それ以降、A氏の妻に対する態度は、別居前のそれに戻った。 当然の事ではあるが、他者を、貶したり、からかったりしなくても、生きて行くのに、何の支障もないのだ。 毎日、顔を合わせて暮らす、家族ならば、尚の事だ。

  A氏は、懇親会に出るのをやめはしなかったが、時折り、休むようになった。 そういう時には、前以て、飲み食い代の会費だけ、年長のD氏に渡しておき、他の参加者から恨まれるのを避けた。


  異常な事は、長くは続かないものである。 懇親会の、貶し合いは、突然、終わりを迎えた。 男Bが、傷害事件を起こし、逮捕されたのである。 近くの地方都市の酒場で、酔って、店にいた赤の他人の悪口を言い、怒った相手と喧嘩になった。 殴られたので、カッと来て、割った酒ビンで、相手の胸を刺した。 店の者が、110番と119番に電話。 刺された方は、救急搬送されたものの、意識不明の重態。 一命を取り止め、回復するまでに、半年もかかった。 男Bは、傷害罪で逮捕。 初犯だったが、傷害の程度が甚だしかったので、実刑を言い渡された。

  元凶の男Bがいなくなると、懇親会は、次の回から、つきものが落ちたように、温和なものとなった。 参加者は、男Bがいなくなってから、増えた。 今まで、男Bが嫌で、出て来なかった者達が、4・5人、顔を出すようになったからだ。 彼らは言った。

「これが、普通だよな。 Bがいた頃には、貶し合いばっかで、いたたまれなかったものな」
「まるっきり、ガキの世界になってたからな。 『大人の会話は、情報交換なんだ』って、Bの奴に言ってやった事があったんだが、全く分からなかったようだ。 それからしばらく、『ちょっと、ちょっと、情報交換さん』なんて、小馬鹿にされて、うんざりして、出なくなったんだ」
「たった一人、ああいうのがいただけで、10人以上いた会が、あれほど変質するっていうのは、怖い事だな」
「Bって、一体、どういう奴だったんだ? Aさん、同い歳だろ? 子供の頃の事、知らないか?」

  A氏は、思った。 たぶん、男Bは、庇護してもらっていた近所の兄ちゃんから、毎日、貶し倒されていたのだろう。 傍目には、親分・子分で仲がいいように見えたが、実は、そうではなかったのだと思う。 近所の兄ちゃんから、さんざんに傷つけられた男Bは、同級生達を傷つける事で、精神のバランスを取っていたのではなかろうか。 貶せば、当然、相手も貶し返して来る。 そんな事を続けている内に、それが、他人との付き合い方だと、思い込んでしまったのであろう。


  3年後、男Bは、出所して、家に戻って来た。 しかし、懇親会に復帰したいとは言わなかった。 一年前に、定年を迎え、都会からUターンして来た近所の兄ちゃんが、懇親会に出ているのを知ったからである。 子供の頃のように、一方的に貶されるのが、怖かったのであろう。 その近所の兄ちゃんだが、彼自身は、都会の職場で揉まれて、すっかり、おとなしい紳士になっていた。 皮肉な話である。