2024/09/22

実話風小説 (32) 【独立した男】

  「実話風小説」の32作目です。 7月の下旬初めに書いたもの。 ネタ切れするようなシリーズではないのですが、私の健康状態が怪しいので、いつ書けなくなってもいいように、とってあったネタを、先に使ってしまいました。




【独立した男】

  男Aは、高校卒業後、都会の大学へ推薦入学で入った。 私立の無名校なら、無試験で入れてくれるところは、珍しくない。 二人とも高卒だった両親は、息子が、曲がりなりにも大学生になれた事を喜んだ。 故郷から離れているので、当然、アパート住まいである。 男Aは、両親が自分の学費・生活費を払うのに、四苦八苦しているのを知らないわけではなかったのだが、本人は、アルバイトで得た金を、全て、遊興費に当て、生活費が足りなくなると、臆面もなく、両親に、仕送りの追加を頼んだ。

  元々、大学のレベルが低かったので、留年する事もなく、4年で、卒業。 しかし、就職口は、なかなか、見つからなかった。 男Aは、就職活動を始めてから、ようやく、無名大学卒業という肩書きが、どういう意味を持つのかが分かった。 面接まで漕ぎ着けても、相手が、驚いたように、こう言うのである。

「へええ・・・、こういう大学もあるんだ・・・。 ふーん・・・」

  そして、ニヤニヤする。 そういう対応をされた企業からは、全て、落とされた。 人を見るより先に、大学の名前で、落とすのである。 都会の企業を諦め、都会の衛星都市に本社があるところを受けたが、それらも、全滅。 やむなく、都会と故郷の中間くらいに位置する地方都市Zの、中企業を、いくつか受けたら、その内の一つで、何とか、引っ掛かった。

  どうせ、地方都市で就職するなら、故郷の近くにして、実家から通えばいいのにと、思うかもしれないが、男Aは、それを、最も嫌っていた。 本人は、自分の事を、独立心の強い人間だと思っていたのだ。 親元からは、少しでも早く独立しなければならない。 実家からは、少しでも遠くに住まなければならない、そう思っていた。


  会社の独身寮に、5年住み、その後、職場結婚して、社宅に、5年住んだ。 男Aは、どちらかというと、浪費家だったが、妻が、家計運営に人並みの配慮をしていたお陰で、地方都市の郊外に、新築の一戸建てを買う事ができた。 男Aが、34歳の時である。 もちろん、住宅ローンを組んだ。 35年タイプである。 頭金は、男Aの両親に出してもらった。 男Aは、それを頼む為に、結婚以降、初めて、実家に帰った。

  子供も、上に女、下に男と、二人出来ていたが、男Aには、子供達を祖父母に会わせてやろうという考え方は、全くなかった。 妻の方は、自分の実家に、子供達を連れて、何度も帰っており、子供達は、おじいちゃん・おばあちゃんと言ったら、母方の二人しか いないものだと思っている有様だった。


  更に、歳月は流れる。 男Aは、50代に入った。 特に有能な人間というわけではなかったので、会社では、平社員のまま。 しかし、本人は、給料・ボーナスさえ出ていれば充分で、中間管理職になって、責任を負わされるなど、真っ平だと思っていたので、昇進しない事については、文句はなかった。 

  歳が行っていたせいで、様々な社内事情だけには、詳しい。 職場では、若い者から、先輩として、一目置かれていて、結構、好き勝手放題、やりたい放題に暮らしていた。 30代の頃から、休憩時間に、若い者を掴まえて、よく言っていたのが、こんな事。

「お前、実家から通ってるんだって。 早く、独立した方がいいぞ。 もう大人なんだから、いつまでも、親の脛齧ってて、どうすんだ。 犬・猫だって、乳離れしたら、もう、親と一緒になんか暮らさないんだぞ。 自分で稼げるようになったら、独立する。 それが、自然の摂理ってもんだろうが」

  Z市周辺には、農家が多く、農家出身の社員が、2割くらいいた。 みな、跡継ぎとして、実家に残り、親と同居。 親が田畑をやっている間は、勤め人として暮らし、親が動けなくなったら、農業を継ぐという人生を受け入れた人達である。 彼らは、男Aの自説を聞いて、いい気分ではなかった。 自分だって、都会に出て、ドラマの主人公のような、洒落た生活をしてみたかった。 しかし、立場的に、許されなかったのである。 「親元を出るのが、自然の摂理」などと言われては、まるで、自分の人生を否定されたようではないか。

  同期の中には、「人それぞれ、事情があるんだ。 家を継がなければならない人もいるんだから、無神経な事を言うな」と窘める者もいたが、男Aは、聞く耳持たなかった。

「ふん! 最初から、独立心が足りないから、親元から逃げ出す機会を逃したのさ。 先を読む目がないんだよ。 俺なんか、中学の頃から、高校出たら、家を出る覚悟をして、準備してたんだぜ。 都会の大学に行くって言えば、親は反対できないものな。 反対どころか、逆に、喜んで、仕送りしてくれたぜ。 親の力は、うまく活用しなくちゃな」

  こういう考え方なのである。 こういう人間は、決して、少数派ではない。 親や実家を、自分の人生の踏み台だと思っているのだ。 兄弟姉妹がいて、家を出ざるを得なかった人にも、同じような事を言う人は多いが、それは、結果オーライ的発想であり、男Aのように、自分から、親や実家を、利用できるだけ利用して逃げ出し、後足で砂をかけた者とは違う。


  さて、50代になった男A。 ある時、職場の休憩所にやって来たら、ほぼ同年輩の同僚達が、認知不全を起こした自分の親のエピソードを、紹介し合っているところに、ぶつかった。 面白そうなので、座って、聞き始めた。

・ 長々と会話を交わした後で、息子に向かって、「どちら様ですか?」と訊く。

・ 雨が降りそうな日に出かけると、必ず、傘を忘れてくる。

・ 家からいなくなってしまい、警察署に頼んで、尋ね人の市内放送してもらった事が、何回もある。

・ テレビのリモコンの使い方を忘れるので、毎朝 教えなければならないが、10分もすると、また忘れてしまって、チャンネルそのままで、ずっと、同じ局を見続けている。

・ 財布や通帳がなくなったと言って、家族を泥棒扱いする。

・ 「夜中に、テレビが勝手に点く」と騒ぐ。

・ 「夜中に、部屋の壁が開いて、人が出て来る」と騒ぐ。

・ 「深夜に、ケーブル・テレビの工事人がやって来て、外で工事をしている」と訴える。

・ 「坊さんが、何も書いていない卒塔婆を持って、乗り込んで来て、『五十二回忌をやらないと、こうなっちまうぞ』と脅す」と訴える。

・ 風呂から出た後、パンツの穿き方が分からず、どこに脚を通していいか、30分も悩んでいる。


  男Aは、最初は、ニヤニヤしているだけだったが、途中から、ゲラゲラ笑い始め、誰かが何か言うたびに、ウケにウケまくった。 腹を抱え、ヒーヒー息をしながら、爆笑している。 話していた、3人の同僚は、一人も笑っていない。 冷め切った表情で、男Aを見ている。 男Aの先輩に当たる人物が、男Aに言った。

「おい」

「なに? わはははは! なによ? わはははは!」

「笑うな」

「なんで? 面白い話だから、笑ってるだけじゃん」

「笑い話をしてるんじゃないんだよ。 認知不全の家族を持つ者同士で、事例を紹介し合ってるんだよ」

「えー? そーなのー? でも、その話で、笑うなって方が、無理じゃないの?」

「こっちは、大真面目だ。 お前だって、親が、そうなるかも知れないだろうが」

  男Aは、先輩を小馬鹿にしたような言い方で返した。

「いやあ、俺は大丈夫だよ。 ちゃんと、それを見越して、若い頃から、親とは距離を保ってんだから。 人生、先読みが大事だよ」

  今度は、3人が笑う番だった。

「距離を保つって、まさか、『遠くに住んでるから、大丈夫』とか思ってるんじゃないだろうな。 そんなの、関係ないぞ。 親がボケたら、否が応でも、面倒見なきゃならなくなるんだからな」

  男Aは、少し不安になったが、そもそも、親の世話をする事になるなどと、それまで、一度も考えた事がなかったので、すぐに、忘れてしまった。 人間、いざ、その境遇に置かれてみないと、想像もつかないという事は、よくあるものである。 男Aは、親の面倒を見ている者の話を聞くと、「俺は、早めに実家を逃げ出しといて、正解だったな」と、自分の判断の正しさに惚れ惚れしている有様だった。 大変、後生がいい。


  男Aが、52歳の時、妹から電話があった。 妹は、夫の仕事の都合で、海外に住んでいる。 その妹が、実家に電話したところ、母親から、父親の認知能力が低下し、要介護状態になりつつあると、伝えられたというのだ。 何とか、母親が面倒を見ているが、その母親も、70代後半で、心身共に辛いと零されたらしい。

  男Aは、一瞬、言葉を失った。 「とうとう、来たか」と思い、目の前が暗雲に覆われたような気分になったが、すぐに、振り払った。 「大丈夫だ。 こういう時の為に、早く親元から、離れてたんだからな」と、自分に言い聞かせた。

「俺ん所には、そんな事、言って来てないぞ」

「ああ、そうだってね。 兄さん、そういう話を嫌うから、お母さん、言い難かったんでしょ」

  息子がいる母親にありがちな事だが、男Aの母親も、男Aを、誇らしい息子と思っており、息子が嫌う事を、なるべくしないように配慮していたのだ。 

「兄さん、様子を見に行ってくれない?」

「駄目駄目! 仕事が忙しいんだから!」

「だって、私は、そう簡単には、帰れないし・・・」

「お前も帰る必要はない! 母さんに、やらせとけばいいんだ! 下手に帰ると、同居して、介護しろって言われるぞ! そんな事になったら、人生、滅茶苦茶だ!」

  実は、妹が、海外勤務の多い男と結婚したいと言った時に、不安がる両親を尻目に、大賛成したのは、男Aだった。 妹の幸せを考えていたからではなく、自分だけが親元から離れていると、親戚から批難される恐れがあるので、妹には、もっと遠くに離れさせて、自分の方が、まだマシと、五十歩百歩を決め込む腹だったのである。 純粋に、自分の事しか考えていないのだが、そういう奴に限って、他の者をダシにして、自分の体裁を取り繕おうとするものなのだ。

  3年後、父親が死んだ。 認知不全が進行した結果、徘徊癖が出て、家から、10キロも離れた川の土手で、階段から転げ落ち、頭を打って死んだのだ。 河川敷で遊んでいた人の中に、目撃者が何人もいて、事故である事は、明白だった。

  男Aは、通夜・葬儀に出る為に、20年ぶりに、実家に戻った。 妻だけを、同伴。 子供は、連れて行かなかった。 母親は、久しぶりに、息子を見て、思わず、ぽろぽろ涙を流したが、男Aの方は、

「老けたなー! どこの婆さんかと思ったよ!」

  と、ゲラゲラ笑った。 男Aの妻も、妹夫婦も、表情を凍りつかせながら、こめかみに、脂汗を垂らした。 たとえ、そう思っても、本人に向かって、言うか、そんな事? しかし、男Aは、そういう人格なのだ。

  男Aは、葬儀が済むと、さっさと、妻を連れて、帰ってしまった。 妹夫婦が、しばらく残り、父親の死後の手続きをした。 相続は、母親の強い意向で、妹に相続拒否をさせ、母親と男Aで、折半という事になった。 男Aは、妹からの電話で、それを知らされたが、こう言った。

「あんな田舎の家なんか、要らん。 金に換えてから、くれ」

「兄さん、あの家に住むつもりはないの?」

「ないない! 俺は、独立してるんだ! 欲しけりゃ、お前にやる! 好きにしろ!」

「・・・・・」

  妹から、それを聞いた母親は、信じようとしなかった。 いつか、息子は、実家に帰って来ると信じていたのだ。 その為に、毎日、せっせと掃除して、綺麗な状態に保っていたのである。 夫が認知不全になる前には、増築して、二世帯住宅にする計画まで立てていた。 そんな事をしてやるほど、人間的な価値がある息子ではなかったのだが・・・。 息子の事を、愛してはいるが、理解してはいない親は、かくのごとく、憐れなものである。

  妹夫婦は、再び、海外に戻る事になった。 妹は、兄の家に寄り、2時間ほどかけて、父親の死後の手続きについて、説明した。 男Aは、始終、無関心で、「一応、聞いておく」という態度だった。 妹は、帰り際、兄を怒らせないように、さらっと言った。

「時々、お母さんの様子を見てね」

「あー、分かった分かった」

  妹は、「時々」という言葉を、3ヵ月に一度くらいのつもりで言ったのだが、男Aの方は、3年に一度くらいと思っていた。 事実、それから、58歳になる年まで、一度も実家に帰らなかったのだ。


  その電話は、突然、かかって来た。 もっとも、電話とは、大抵、突然かかってくるものであるが・・・。 実家のある町の、隣の市に住んでいる、男Aの亡父の弟、つまり、叔父さんからだった。 妻が取って、男Aに渡した。

「ああ、叔父さん? 何か用?」

「おい。 お前の母親、もう、一人じゃ暮らせないぞ」

「どういう事?」

「今日、兄さんの命日だから、墓参りした後に、実家に行ったんだよ。 墓の方が、掃除も、お供えもしてなかったから、変だと思ってたんだが、案の定、家の中が、ほぼ、ゴミ屋敷だ」

「・・・・・」

「義姉さん、ボケちゃってるんだよ。 一応、話はしたけど、話をしている内に、こっちが誰だか分からなくなってたな」

「・・・・・」

「どうするんだ?」

  男Aは、背筋に冷たいものが流れ落ちるのを感じていたが、すぐに、態勢を立て直し、平静を保ちつつ、前々から、こういう時に備えて、用意していたセリフを、口にした。

「俺はもう、独立してるんだよ。 こっちはこっちで、家のローンの支払いなんかで、大変なんだよ。 田舎の方は、田舎の方で、何とか、やってよ」

「何だと?」

「俺は、親の面倒を見るゆとりがないんだよ。 子供も、まだ、大学だし。 あれやこれやで、どんだけ、金がかかるか、叔父さん、分かる?」

  叔父さんの、怒るまい事か! 息を思い切り吸い込み、受話器に向かって、怒鳴りつけた。

「馬鹿野郎っ! お前の親だろうがっ! 何が、田舎は田舎でだっ! 子供が面倒見ないで、親戚が見るなんて、あるわけないだろがっ! お前、常識がないのかっ!!」

  男A、売り言葉に買い言葉で、反撃。

「そういう叔父さんは、親の介護なんて、したの?」

「したよ! 覚えてないのか?」

  ふっと、小学生の頃の記憶が、蘇って来た。 男Aの祖母が、寝たきりになっていた頃、叔父さんが、一日おきのペースで、家に来ていたのだ。 もっと小さい頃には、よく遊んでくれた叔父さんが、その頃には、「遊びに来たわけじゃないんだ」と言って、全然、かまってくれなかったのを覚えている。 叔父さんは、自分の母親の介護に来ていたのである。

「ああ、あれは、そうだったのか・・・」

「思い出したか?」

  思い出した。 連鎖して、こんな事も思い出した。 遊んでくれない叔父さんに不満があり、そこから、男Aの、介護に対する嫌悪感が生まれたのだ。 「俺は、親の介護なんか、しないぞ。 そんな事で、人生の大事な時間を奪われてたまるか」といった具合に・・・。

「とにかく、一度 帰って来て、様子を見ろよ」

「だけど、ほんとに、仕事があって・・・」

「仕事なら、俺だって、あったんだよ。 そこをやりくりして、一日置きに、通ってたんだ。 兄貴や義姉さんの負担を少しでも、軽くする為にな。 介護っていうのはそういうもんなんだ」

  そういうやりとりがあったにも拘らず、男Aは、なかなか、実家に帰ろうとしなかった。 高校卒業後、すぐに親元から離れて、親の面倒を見る羽目に陥るのを、極力避けて来たのに、ここへ来て、その努力が水の泡になる事に、猛烈な理不尽さを感じ、拗ねていたのである。 放っておけば、叔父さんが何とかしてくれるだろうという、丸投げ意識もあった。

  そこへ、妹から、国際電話。

「ちょっと! 叔父さんから、電話があったんだけど、お母さん、ボケちゃったんだって? 兄さん、もう、見に行ったの?」

「行けないんだよ」

「早く、行ってよ。 家の中が、滅茶苦茶になってるって言ってたよ」

「お前、行けよ」

「来週には、私だけ帰国する」

「じゃ、俺はいいな」

「いいわけない! 兄さん、先に行ってよ!」

「俺は、仕事があるんだよ」

「私だって、働いてるんだよ!」

  叔父さんの時と同じようなやり取りになった。

  呆れた事に、男Aは、それでも、帰らなかった。 妻に頼んで、様子を見に行ってもらった。 妻も働いていたので、わざわざ、休みを取って行かなければならなかった。 妻は、男Aの人と為りを見抜いており、たぶん、自分では、介護を引き受けないだろうと思っていた。 引き受けたくないから、現実を認めたくないのだ。

  男Aの実家に行き、日帰りで戻って来た妻は、状況をありのままに説明した。 ゴミ屋敷というのは、本当で、燃やすゴミやプラスチック・ゴミを出さないで、家の中に溜めているので、生ゴミのニオイが充満して、長時間、中にいられない状態になっていた。

  洗濯物は、洗った物が、ほとんど、なくなっていた。 洗濯機には、便がついた下着が、そのまま、押し込んであった。 引っ張り出してみると、上下40着分も詰め込まれていた。 なぜ、洗濯しないのか訊くと、洗濯機の回し方が分からないからと言われた。 機械の操作は、認知機能が低下すると、真っ先にできなくなるのだ。

  台所には、煮物が入った鍋が、所狭しと置かれていた。 男Aの母親は、一人暮らしになっても、家族が最も多かった時の、5人分の料理を作っていた。 食べきれないから、溜まって行くのも、むべなるかな。 不思議な事に、毎日、買い物には行っていて、ごっそり買い込んで来ては、冷蔵庫に、ギュウギュウと詰め込んでいた。 扉が閉まらず、隙間があるので、冷気が逃げて、冷蔵庫がウンウン唸っていた。

  妻の報告を、男Aは、他人事のように聞き流した。 妻が、勤め先の同僚の、介護経験がある人に相談すると、「その段階まで進んでいたら、もう、家族で面倒を見るのは難しいから、施設を探した方がいい」と言われた。 妻が、男Aに、そう伝えると、

「おお、それでいいじゃんか。 施設を探せよ」

  完全に、他人事である。 やむなく、妻が、経験者に相談したり、インター・ネットで調べたり、四苦八苦して、どうにかこうにか、要介護認定の審査を受ける所まで、漕ぎ着けた。 だが、どうしても都合がつかず、つきそいを、男Aに任せたところ、自慢の息子が一緒で嬉しかったのか、一時的に、母親の認知機能が回復し、その結果、要介護認定が受けられなかった。

  男Aは、介護に関する知識が全くなくて、ニコニコしながら、妻に、「軽くて済んだ」と自慢したが、妻は、真っ青になった。

「何言ってんの! 要介護認定が受けられないって事は、介護サービスが利用できないって事だよ!」

「何を怒ってんだよ? 軽かったって事は、安く上がるって事じゃないのかよ?」

「逆だ! 介護サービスが利用できなかったら、家族が介護しなきゃならないんだよ! 馬鹿だなっ!」

  男A、見る見る、顔色が真っ青に・・・。 知識がないというのは、恐ろしい事である。 妻が言った。

「あんたの母親なんだから、あんたが介護するんだろうね?」

「まさか! 俺は、それが嫌だから、高校卒業後、すぐに・・・」

「その話は、何百回も聞いた! で、その計画は、呆気なく、失敗したわけだ! どうしてまた、実家から離れさえすれば、親の介護から逃げられるなんて、単純な発想になったのか、そこが、不思議だわ!」

「しょうがない。 ヘルパーを雇って・・・」

「お金をどうすんの!」

「母さんの年金があるだろ」

「国民年金しかないのに、月6万5千円から、生活費を引いた残りで、人が雇えるわけがないだろっ! 世間知らずにも、程があるっ!」

「だから、そこは、お前が、工夫してだな・・・」

「冗談じゃない! 私は、今後、自分の親の介護が待ってるんだよ! あんたの母親の事は、あんたがやるのが、筋だろうがっ!」

  男Aの、あまりの馬鹿さ加減、身勝手さ加減に、妻が怒り立って、こういう、きつい会話になったが、怒りが収まると、妻は、現実的な対処法を探り始めた。 一つ一つ、問題を解決して行くタイプなのである。 まず、夫に相談するのをやめた。 こんな馬鹿を相手にしても仕方ない。 義妹、つまり、男Aの妹と連絡を密にし、何でも、隠す事なく話し合って、事を進める事にした。

  男Aの妹は、一人で帰国し、以前住んでいたアパートを借り直して、そこに住んでいたが、義姉と話した結果、実家に戻り、母親の介護に当たる事になった。 収入がないので、生活費を、男Aの妻が、家計から捻出して、送る事になった。 休みの日には、男Aの妻が、介護を交替し、男Aの妹は、息抜きをするというパターンが出来上がった。

  しかし、こうなると、男Aの家が、実家から離れたZ市にあるのが、恨めしい。 毎週、往復に、交通費を使わなければならないのである。 更に、男Aは、こういう条件下に於ける、お約束とも言える、馬鹿夫の馬鹿台詞を吐いた。

「土日、お前が留守にするんじゃ、俺の飯は、誰が作るんだよ?」

  馬鹿だなあ。 自分の小説の主人公とは言え、ここまで馬鹿・無能だと、呆れ返ってしまう。 今からでも遅くない、こんな馬鹿、放っておいて、妻を主人公にして、感動の介護話に変えてしまおうか。 いや、それはそれで、月並みか。

  妻は、男Aが、たぶん、そう言うだろうと思って、

「ご飯は炊いておくから、朝は、醤油・海苔でも、卵かけでも好きなようにして、常備菜で食べて。 昼は、袋ラーメンでいいだろ。 夕飯は、スーパーへ行って、惣菜弁当を買って来な。 400円以下のにしろよ、 それ以上 贅沢すると、マジで破産だぞ」

  と言って、毎週土曜の朝に、夫の実家へ、やしやし、出かけて行った。 実は、妻、義妹と仲良くなり、友達気分で、週末を楽しんでいたのである。 介護は、一人だと大変だが、二人いると、互いに頼もしい。 相談もできるし、体力的にも、半分の労力で済む。 嫁と小姑と言ったら、険悪な仲になる典型的組み合わせだが、立場が異なるから、衝突するのであって、目的を同じくする協力者になれば、うまく行くのである。

  男Aは、蚊帳の外に置かれた。 男Aの望み通り、介護の負担からは逃れられたが、妻からも、妹からも、能なしの烙印を押されてしまい、相談すらしてもらえない、情けない身になった。

  妻は男Aに、家計の報告だけは、しっかりと、した。 なぜかというと、家計がギリギリである事を夫に伝え、出費を抑えさせる為である。 男Aには、登山趣味があり、百名山巡りなどという、ありがちな目標を立てていたが、妻と妹で、睨みつけて、やめさせた。 一歩も引かない。 山に登るのに、大したお金はかからないが、百名山は、全国に散らばっているから、交通費や宿泊費で、大金が飛んでしまう。 そんな金があったら、介護費用に回せ、と言うのだ。

  子供二人も社会人になった。 傍目に観察していた、父親の失敗に鑑み、家から通える距離に就職。 週末には、母親と一緒に、父の実家に行って、介護を手伝うようになった。 子供は二人とも、20代半ばになってから、初めて、父方の祖母の顔を見た。 祖母の方は、彼らを孫だと認識できなかったが、まあ、いいじゃないか。 家は、賑やかな方がいい。


  男Aは、頑として、実家に帰らなかった。 よっぽど、介護への拒絶感が強かったのだろう。 嫌悪感とでも言うべきか。 介護以前に、親と関わりたくないという意識が、根底にあった。 親の事を、お荷物、足枷、自分の人生を阻害する存在としか思えなかったのだ。 バブル時代に社会人になった世代に、ありがちな考え方である。 親さえいなければ、自分の人生は、薔薇色になる事が約束されていると思い込んでいる。 馬鹿丸出しの勘違いである。


  勤め先では、定年が迫っていた。 引退後、どういう暮らしをするか、同期と話し合う機会も増える。 お金を貯めて来た、アリ・タイプは、定年過ぎたら、もう働かず、家事と趣味だけやって、気ままに暮らすつもりでいる。 キリギリス・タイプは、定年延長なり、再就職なりして、働き続けるつもりだが、本人が働くのが嫌いでなければ、それも良かろう。 収入があった方が、安心という考え方もあるからだ。

  男Aは、嫌でも、働き続けなければならなかった。 男Aの収入が途絶えたら、妻と妹が構築した介護体制が、崩壊してしまうからだ。 男Aの会社では、定年延長すると、収入が半分になるが、子供二人から、減った分の補填を受けて、何とか、それまで通り、やっていけるという計算だった。

  さて、定年の日。 かつて、会社の休憩所で、認知不全エピソードを語り合っていた面々の内、男Aの同期が、まだ、一人だけ、会社に残っていた。 男Aの方から、会いに行き、自分の母親の事を話し始めた。 ところが、それは、すぐに、相手によって、遮られた。

「おいおい、お前から、そういう話を聞きたいとは思わないよ。 なに、お前? 昔、若い連中を捉まえて、親元脱出計画とやらを、自慢してたよな。 その計画は、どうなったんだ? うまく行ったなら、親の認知不全の話なんか、関係ないだろ」

「世の中、いろいろ、あるんだよ。 もっとも、俺は、今でも介護なんて不様な事はしてないけどな」

「不様~あ? どうせ、嫌な事を、家族に押し付けてるんだろう」

「押し付ける相手がいる分、俺が強運なのさ」

「救いようがないな。 お前、俺達が話していたのを、笑い話扱いして、ゲラゲラ笑ったよなあ。 いいから、自分の親の事も、ゲラゲラ笑ってろよ。 一人でな」

「そういう言い方はないだろう」

「なーにがー? そういう言い方はないが、他人の親の不幸を、ゲラゲラ笑うのは、ありだってえのか?」

「お前、俺に、怒ってんの?」

「当たり前だ! この、人間のクズが! どのツラ下げて、俺の前に出て来やがった! 胸糞悪いから、とっとと、失せろっ!」

  驚いてしまった。 そんな事で、他人の恨みを買っているとは、想像もしていなかった。 男Aは、辛うじて平静を保ちながら、血の気が引いた顔で、逃げて行った。 定年で、それまでの職場を去る日に、同僚から、「とっとと、失せろ」と言われてしまうのは、男Aの生き方が間違っていた事の、何よりの証拠であろう。

  定年延長で、男Aの職場は、本社ではなく、Z市郊外の資材置き場に移った。 要らなくなった資材の片づけだと聞いていたので、遊び半分でできると思っていたのだが、とんだ、思い違い。 期限があり、人数は少なく、殺人的なスケジュールで、肉体労働をこなさなければならなかった。 同じような資材置き場が、20箇所もあり、定年延長した5年間、同じ仕事を続けなければならない事は、決まっていた。


  母親が、死んだ。 在宅で看取った、男Aの妹と妻は、よくやったと賞賛されて然るべきであろう。 もっとも、施設に入いれれば、そちらの方が、ずっと良かったのだが・・・。 男Aは、疲れていると言って、通夜にも出ず、葬儀が終わった頃に、普段着で、ちょっと顔を出しただけだった。 叔父さんを始め、親戚に挨拶するのが、億劫だったのだ。 もはや、男Aには、誰も何も期待していなかったので、文句も言われなかった。

  母親の遺産は、男Aが相続したが、在宅介護で、ほとんど 使い尽くされ、実家も、借金の抵当に入っていた。 妻が、お金の事に関しては、男Aと、その妹に、事細かに報告していたので、揉め事は起こらなかった。 実家は、人手に渡り、やがて、都会から移り住んだ、若い夫婦の所有になった。

  男Aは、元より、実家には何の執着もなく、自分と関係なくなった事で、清々したが、それを、妹や叔父の前で、大っぴらに口にしたせいで、ほとほと 呆れられてしまった。 男Aがいなくなってから、叔父は妹に向かって言った。

「どうやりゃ、あんな、薄情な人間が出来るんだ? ガキの頃から、ああだったか? 普通の子供だったような気がするがなあ」

「そうだねえ。 バブル時代に、高校卒業して、都会に出たせいかもしれないけど・・・」

  実家が人手に渡ってから、叔父と妹は、男Aと連絡を取るのをやめた。 つきあいを続けるような人間ではないと思ったのだろう。 それは、男Aの妻も同じで、義母を看取った後、「もう、いいだろう」と、機会を窺っていた様子で、離婚を切り出した。 男Aは、プライドだけは高かったので、執着がないところを見せようと、虚勢を張った。

「好きにしな。 だけど、この家は、おれの名義だから、渡せないぜ」

  ところが、取られてしまったのである。 結婚後に得た財産は、夫婦共有になる。 名義が誰かという問題ではないのだ。 まだ、ローンが残っていたので、実際には、複雑な計算になるのだが、大雑把に言うと、土地と家を、一旦 売って、得たお金を、半分ずつ分ける事になった。 その後、元妻は、子供二人の資金支援を得て、売りに出た家を買い戻した。 結果、男Aだけが、追い出される事になった。

  男Aは、家を売った時の金で、寂れた別荘地に、安い家を買った。 一応、二階建てだったが、安普請である上に、経年劣化で、ボロボロ。 家と言うより、小屋とか、納屋と言った方が、しっくり来る。 お金が少なくて、そんな物件しか、買えなかったのだ。 自力で、少しずつ直して、何とか、住めるようにすると、子供達に連絡を取り、見に来るように誘った。

  ところが、子供達は、来なかった。 何度、電話しても、「暇が出来たらね」と言って、はぐらかされた。 その内、電話が繋がらなくなった。 電話番号を変えたらしい。 元妻の物になっている家の固定電話も、解約されたようで、繋がらなくなった。 元妻は、もちろん、子供達も、男Aと縁を切ろうとしているようだった。

  やがて、定年延長の5年間が終わり、男Aは、勤め先も失った。 別荘地のボロ家に、一人ぼっちになった。 話し相手など、一人もいない。 近所に、男Aと同じような境遇の高齢男性が一人暮らしをしている家が何軒もあったが、彼らと交友するのは、怖かった。 誰が、破産寸前なのか分からないのだ。 食い詰めた奴に、取りつかれでもしたら、こちらまで、食い詰める事になる。 テレビだけが相手の、虚しくも寂しい日々が続いた。

  退職して、半年。 「元妻はともかく、子供達は、自分に会いたいと思っているはずだ」と、勝手に決め込んだ男Aは、夕方、車で、元妻の家の前まで行き、勤め先から戻って来た息子を捉まえて、車に乗せた。

「どうして、会いに来ないんだ?」

「うーん・・・、特に会いたいと思わないから」

「親に向かって、そういう言い方があるか! そんな育て方をした覚えはないぞ!」

「でもなあ・・・、子供は親を見て育つって言うだろ」

「だから、なんだ?」

「俺達は、父さんを見て、育ったわけだ。 父さんは、自分の親の事なんか、いないも同然と思ってたんだよな。 なにせ、俺達が、お祖母ちゃんに、初めて会ったのは、大人になってからだったもんな」

「俺は、早く親から独立しようとして・・・」

「独立と、親子の縁を切るのは、別の問題だと思わなかったのかい?」

「俺は、親から、特に愛情を注がれたわけじゃない。 俺の世代は、そもそも、親が子を愛するなんて言い方はしなかったんだ。 だけど、俺は、お前達に愛情を・・・」

「そんな事はないと思うよ。 お祖母ちゃんなんか、俺が行くたびに、父さんと間違えていたけど、これを飲めとか、あれを食べろとか、仕事はつらくないかとか、服を買ってやるとか、父さんの事ばかり、気にしてたよ」

「・・・・・」

「叔母さんや、母さんにも、父さんの子供頃の話ばかりしていたらしいよ。 父さんが、たった一度、料理がおいしいって言ったのを、ずーっと覚えていて、『あの子は、心根が優しい子だ』って言ってたらしい。 叔母さんも、お祖母ちゃんの料理を、何度もおいしいって言ってたのに、そっちは、全然覚えていないんだって」

「・・・・・」

「父さんは、両親の事を、全然、愛してなかったようだけど、少なくとも、お祖母ちゃんは、父さんの事を、深く愛してたってわけだ。 その事に気づかないまま、家を出ちゃっただけなんじゃないの? それとも、家から逃げ出す為に、わざと気づかないフリをしていたのかい?」

「・・・・・」

「自分は親を捨てたくせに、自分の子供には、自分を捨てるなって求めるのは、虫が良すぎるとは思わないかい? あんたがやったのと、同じ事を、俺達はしているだけなんだよ」

「・・・・・」

  何も言えない。 息子は、車を出て、家に入って行った。 玄関の扉が開いていた数秒の間、家の中から、暖かい家庭の雰囲気が漏れ出していた。 自分がいない家庭が、自分がいた頃より、うまく行っているのは、明らかだった。


  数年が経った。 男Aは、70代になっても、辛うじて、生きていた。 家は、ゴミ屋敷化していた。 物が増えるのではなく、ゴミが増えた、真・ゴミ屋敷だった。 どうせ、誰も訪ねて来ないから、ゴミを片付ける気にならないのだ。

  ある日、空き家だった隣の家に、高齢男性が引っ越して来た。 一人暮らしのようだ。 この別荘地では、引っ越しの挨拶などしないのが普通だ。 町内会すら、ないのである。 数日して、隣家の前に、車が停まり、若い男が、家の中に入って行った。 息子のようだった。 男Aは、それらの様子を見ていたわけではないが、物音や話声で分かるのだった。

  30分ほどして、若い男が隣家から出て来た。 足音が、男Aの家に向かって来る。 こんな、ゴミ屋敷に何の用だ? 呼び鈴が鳴った。 男Aが、髭ボウボウの顔、よれよれの服、ホームレスとしか思えない風体で、玄関を開けた。 菓子折りを持った若い男が、作り笑顔で立っていた。

「隣に越して来た者の息子ですが、父が高齢で、何かと心配なので、時折りでいいですから、様子を見てくれませんか」

  男Aは、ムッとして、

「時折りって、どのくらい頻度で? 週に一度? 月に一度?」

「できれば、一日一回くらい・・・」

「冗談はよしてくれ。 俺は、あんたの父親の面倒見る為に、ここに住んでるんじゃないんだ。 そんなに心配なら、自分で見に来ればいいだろ」

「私は仕事がありますし、遠くに住んでいるから・・・」

「そんなの、理由にならないね。 菓子折り一つで、他人に頼むような事じゃない。 親が心配なら、同居するか、施設に入れるかするしかないんだ。 そりゃ、子供の義務じゃないのかい?」

「うちにはうちの都合があるんですよ。 初めて会った人に、そこまで言われたくないですよ」

「都合都合なんて言ってると、その内、親が死んじまって、地団駄 踏む事になるぞ」

「もう、いいですよ」

  若い男は、「狂人の相手はできない」という素振りを見せながら、逃げるように帰って行った。

  男Aは、その場の勢いで口走った言葉の意味に、後で気づいて、慄然とした。 相手の言葉ではなく、自分の言葉に打ちのめされた。 母親の老けた顔が思い出され、涙が、ボロボロと流れ出て来た。 この歳になって、ようやく、人並みの情感が生まれて来たのかも知れない。 あまりにも、遅かったが・・・。 そのまま、寝室に行って、横になり、泣き続けた。

  男Aの死体が発見されたのは、その3ヵ月後である。 死後、2ヵ月以上 経過していた。 死因は、餓死だった。 享年、72歳。 こんな男が、その歳まで生きた事が、驚異である。