読書感想文・蔵出し (119)
読書感想文です。 これを纏めているのは、11月の中旬です。 鼠蹊ヘルニアで行った総合病院で、血液検査をしたら、「重度の糖尿病」と診断されました。 先に、そちらの治療をしなければならなくなり、毎日、インスリン注射と、血糖値計測をする身になってしまいました。 読書はしていますが、他に何かとやる事が多くなり、楽しみというより、苦痛になっています。
≪ゴールデン・マン≫
ハヤカワ文庫 SF 1655
ディック傑作集
早川書房 2008年3月15日 発行
フィリップ・K・ディック 著
朝倉久志・他 訳
沼津図書館にあった、文庫本です。 短編、7作を収録。 本全体のページ数は、352ページ。 コピー・ライトは、1980年。 新しいですが、若い頃の作品を集めたものなので、作者薬中の心配はありません。 作者による、【まえがき】と、【作品メモ】が付いています。 この本は、2007年にアメリカで公開された映画、≪NEXT -ネクスト-≫の日本公開に合わせて、表紙を変えたもの。
【まえがき】 約24ページ
ディックさん本人が、1980年時点から、過去の作家人生を振り返ったもの。 自伝というほど、纏まりはないですが、読み応えがあります。 ただ、「薬中から足を洗ったとは言え、一度、壊れてしまった人が、こんな、まともな文章を書けるのか?」という疑念も湧いてきます。 誰か、ディックさんについて、詳しい人が、代筆したのでは? ちなみに、ディックさんは、1982年には、他界してしまいます。
【ゴールデン・マン】 約58ページ 1954年
核戦争後、生まれて来た畸形人間を処分する法律が出来ている社会。 未来が見える18歳の青年が存在する事が分かり、当局が狩り出しに向かうが、なぜか、自首という形で、捕えられた。 未来が見える彼を殺す事はできず、監禁していた部屋から逃げられてしまい、建物の出入口を封鎖して、全ての部屋を虱潰しに捜し始めるが・・・、という話。
未来が見えるから、自分に対する攻撃が、どこに当るかも分かるわけで、前以て、避けられるという仕組み。 アイデアはともかく、小説としては、暗い雰囲気で、さほど、興が乗る話ではないです。
この作品を原作とした映画、≪NEXT -ネクスト-≫は、ニコラス・ケイジさん主演で、私も見ていますが、未来が見えるというアイデアだけいただいて、話は全然、別物。 映画は、面白かったですが、「ここまで変えるのなら、原作は要らなかったのでは?」と思わないでもなし。 単に、映画製作者が、ディックさんのファンだったのでしょう。
【リターン・マッチ】 約32ページ 1967年
宇宙人が運営していた地球人向けカジノに、地球当局の手入れがあり、宇宙人の手によって、客ごと焼き払われたものの、ピンボール・マシンが一台、残されていた。 そのマシンで遊び続けると、マシン上にあるミニチュアの村で、少しずつ、投石機が組み立てられて行き、完成するや、ピン・ボールの弾がプレイヤーめがけて・・・、という話。
これは、面白い。 こんな話は、確かに、ディックさんしか、思いつかないかも知れません。 なんで、宇宙人が、こんなマシンを作ったのか、全く説明されていませんが、そこがまた、シュールな雰囲気を盛り上げています。 この不思議さは、ストルガツキー兄弟の、【ストーカー】に近いですな。 地球人の発想では、宇宙人の考えている事が全く分からないという点が、面白いのです。
【妖精の王】 約38ページ 1953年
コロラド州の、寂れた街道沿いで、ガソリン・スタンドを経営する高齢男性。 ある雨の夜、店じまいした後で、何かの気配を感じ、外に出てみたら、妖精の一団が来ていた。 輿に乗っているのが王で、ひどく弱っており、男性が自宅に泊めてやったが、翌朝には息を引き取った。 王の後継者に指名されてしまった男性は、妖精の敵であるトロールとの戦いを覚悟したが・・・、という話。
現代物のファンタジー。 「妖精」は、原語では、「エルフ」で、映画、【ロード・オブ・ザ・リング】を見ていれば、大体、見当がつく世界。 アメリカに、ヨーロッパの妖精がいるのは、変ですが、それは、作中でも、触れられています。 アメリカ先住民の妖精にすれば、違和感がなかったと思いますが、ディックさんが、そちらの知識に乏しかったか、読者に分かり易いように、敢えて、ヨーロッパ物を使ったかのいずれかでしょうか。
ファンタジーなので、SFファンには、いささか、食い足りないですが、普通に、お話として、面白く読めます。 友人の死体をどうするつもりなのか、心配してしまいますが、たぶん、妖精達が、何とかしてくれるのでしょう。
【ヤンシーにならえ】 約44ページ 1955年
人類の植民が、太陽系全体に広がった世界。 木星の衛星、カリストで、ナンシーという人物と、その家族が、全住民の人気を集め、みなが、ナンシー一家の生活様式や、考え方を真似るようになっていた。 ナンシー一家は、実在しない、テレビ画面の中だけの虚像で、住民の意識を制御する為に作られたものだった。 という話。
住民に気づかれないように、マインド・コントロールをかけるという方策。 別に、ディックさんが考案したわけではなく、1955年時点で、アメリカでは、すでに、こういう事ができるのではないかという学説が出ていたんでしょう。 ナンシー氏のモデルは、アイゼンハワー大統領だそうですが、人気がある人が、流行を作ってしまうという現象は、すんなり、理解できます。
問題は、テレビ放送くらいで、ごく普通の人物であるナンシー氏を、これだけ、人気者にできるかどうかという事ですな。 テレビに出て来る人物というのは、平均的ではない、変わった人が多く、一般人が真似する気にならないからこそ、価値があり、テレビに出る資格があるとも言えます。 矛盾を感じないでもなし。
【ふとした表紙に】 約20ページ 1968年
火星の動物、ワブの皮で表装した本が、発行中止になった。 ワブは、皮だけになっても、生きていて、なんと、本の中身が書き換えられてしまうのだ。 「死」が否定され、「全ての生物は、永遠の命を持つ」という内容になってしまう。 出版社の社長は、この特性から、ある事を思いつき・・・、という話。
アイデアが、ピカ一。 まさか、薬物の影響で、思いついたのではなかろうね。 結末は、「こうなったら、いいな」という、子供の夢のようなアイデアが提示されて、終わります。 社長の目論み通りにならなかった、その後を書いて、ショートショートにしてしまえば良かったのに。
ちなみに、「ふとした表紙に」という邦題は、誤植ではないです。 洒落。
【小さな黒い箱】 約54ページ 1964年
ある新興宗教が、世間にバラまいた、小さな黒い箱。 その取っ手を握ると、教祖の「痛み」を共感する事ができる。 取り締まりたい当局は、教祖の居場所を知っていると思われる、テレパスの男に目をつけて、その男と同棲している女を、政府職員として雇い、キューバに派遣して、当地のテレパスに、頭の中を探らせるが・・・、という話。
【アンドロイドは電気羊の夢を見るか】、つまり、映画、≪ブレードランナー≫の原作ですが、その元になった短編だそうです。 私も、【アン電】を読んでいるんですが、随分、昔なので、ほとんど、忘れてしまいました。 よって、比較して語る事はできません。 【アン電】に、宗教なんて、出て来なかったような気がするんですがねえ?
作品メモによると、【アン電】で、「共感」できるかどうかが、人間とアンドロイドを見分ける手がかりになっているらしく、この、【小さな黒い箱】でも、「共感」がテーマになっているので、そこから、膨らませて、【アン電】を書いたという事でしょうか。 テーマというより、モチーフの一つ程度のような気もしますが。
ちなみに、この短編自体は、別段、面白くないです。 残念なのは、禅をモチーフに使っていながら、ディックさんが、仏教を、ほとんど、理解していない点です。 解説書ではなく、原始経典の翻訳を読めば、分かり易いのに。 新興宗教を弾圧する為に、アメリカが、キューバと協力するというのは、いかにも、ディックさんらしい皮肉ですが、こういう皮肉で笑える人は、発表当時でも、ほとんど、いなかったでしょう。
【融通の利かない機械】 約72ページ 1957年
箱形の機械。 建物の壁をよじ登り、窓を壊して侵入し、偽の犯人の証拠を残しつつ、人を殺す。 通常なら、逃げるが、逃げる機会を失すると、テレビに化けて、やり過ごす。 そんな機械が使われ、犯人として、奴隷貿易業者の一人が逮捕される。 機械の存在に気づいた調査員が、真犯人をつきとめようとする話。
推理小説の枠を借りたもの。 しかも、倒叙物。 基本的に、推理小説で、トリックの部分を、SFにしてあるわけですが、未来でなければ、ありえない機械を、凶器にしているだけで、推理小説としては、アンフェアさしか感じません。 小松左京さんの、【長い部屋】や、【幽霊屋敷】のような、小気味良さが、欠けているのです。
犯人が逮捕され、追放された後の描写に、不自然なほど、多くのページが割かれていますが、おそらく、編集者から、長さの指定があって、後から付け足したものと思われます。 ストーリー結構的には、全くの蛇足。
【作品メモ】 約4ページ
この短編集が出された時に、ディックさん本人が書いた、各作品の簡単な説明。 頭のいい人は、戦略的に嘘をつくので、何年・何十年も経ってから書いた説明を鵜呑みにはできませんな。 その時の気分で、修正してしまう事があるからです。 それでいて、何と言っても、本人が書いたものなので、疑うわけにも行かないわけだ。
≪逆まわりの世界 【改訳版】≫
ハヤカワ文庫 SF 2289
早川書房 2020年7月15日 発行
フィリップ・K・ディック 著
小尾芙佐 訳
沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 352ページ。 コピー・ライトは、1967年。 この文庫は、1983年8月に出たものの、改訳版。
1980年代から、突然 始まった、時間の逆転現象。 死者が、墓の中で目覚め、その声を聞いた警察官や民間業者は、掘り出して、蘇生措置を施さなければならない。 ある時、大きな力を持つ新興宗教の教祖が、生き返りつつある事が分かり、その教団はもちろん、文書の消去に絶大な権限をもつ、「図書館」や、イタリアに本拠がある伝統宗教の組織が、教祖を取り合う争いとなる。 蘇生業者の社長と、その妻、彼らの知人である警官らが、巻き込まれる話。
解説にも書かれていますが、フィルムの巻き戻し映像から着想したのは、疑いないと思います。 蕎麦を食べる場面なら、逆回しにすると、口から蕎麦が出て来て、丼に戻って行くという映像。 そういうのが、昔、流行ったのです。 露悪趣味なので、すぐに、飽きられてしまいましたが。
この作品の中でも、食べ物が吐き出され、最終的に、スーパーへ戻されたり、「ソウ・ガム」という、糞尿らしき物を排泄口から体の中に入れる行為が、設定されています。 そのまま書くと、露悪過ぎるので、暈されていますが、暈しても、発想自体が露悪だから、ごまかしようがないところがありますねえ。
逆回りと言っても、すべてが時間的に巻き戻されて行くわけではなく、些か、ご都合主義的に、ストーリーは、先に進んで行きます。 これは、東へ進んでいる列車の中で、人間が、西へ向かって歩いているようなものでしょうか。 あまり、いい譬えではないですが。 死者が蘇える以外は、ストーリーに関わって来る逆転現象は、ほとんど、ないです。 つまり、時間の逆転はなしにして、死者が蘇えるだけの設定にしても、成り立つ話なんですな。
時間の逆転を、アイデアとして思いついたはいいが、いざ書き始めたら、あまり、面白くならないので、困ってしまって、活劇風にして、お茶を濁した、と指摘したら、ディックさん、図星を指されて、草葉の陰で、嫌~な顔をするでしょうか? 解説には、エントロピーと絡めて、小難しい事が書いてありますが、ディック作品を読む時には、買い被りは禁物です。 私の読みの方が、当たっていると思いますねえ。
では、活劇としては面白いのかというと、そちらも、全然でして、警官にせよ、蘇生業者の妻にせよ、必然性が、大変 薄い退場の仕方をさせており、単に、話の展開に詰まって、そうした観が、強烈に見て取れます。 三勢力の争いも駄目で、展開は、グズグズ、決着は、あやふや。 作者が、どう進めていいか分からなくなっているのだから、面白くなるわけがないです。
この蘇生業者の妻ですが、ちょっと変わったキャラを与えられています。 いかにも、スパイ然とした、抜け目のない、「図書館長の娘」と対比させる為に、おっとりした、夢見がちな女性にしたのだと思いますが、こういう人って、実際にいますよねえ。 たぶん、ディックさんの周囲にも、いたのだろうと思います。 大変、女性的な魅力があるが、いざ、交際したり結婚したりすると、理解できない部分が多過ぎて、結局、うまく行かないという。
≪シミュラクラ 【新訳版】≫
ハヤカワ文庫 SF 2155
早川書房 2017年11月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
山田和子 訳
沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 353ページ。 コピー・ライトは、1964年。 原稿が書き上がったのは、前年の1963年で、その時のタイトルの直訳は、「地球のファースト・レディー」だったらしいです。 変えたのは、出版社でしょう。 「新訳版」というのは、日本での出版サイドの話ですが、1986年に、別の出版社から、別の訳者で出ていたものが、その後、絶版になり、早川で、新たに訳し直したという意味。
21世紀半ば、世界を二分している勢力の一方である、ヨーロッパ・アメリカ合衆国。 ここ数代の大統領は、アンドロイド、その夫人は、常に一人での女性で、計算上は、90歳を越しているが、外見は、20歳前後にしか見えないのは、そっくりさんが、時々、交替しているから。 その国家最高機密を守る為に、国民は、二つの階層に分かれている。 巨大薬品会社の差し金で、精神分析医を廃止する法案が通ったせいで、念動力でピアノを弾く、心を病んだ世界的演奏家が、キレてしまい、そこから、多くの人間が、一つの国家体制の断末魔の混沌に呑み込まれて行く話。
長い梗概だな。 これでも、内容の、100分の1も、伝えられていませんが。 とにかく、登場人物が多くて、しかも、群像劇なので、最初の内は、何が言いたいのか、さっぱり分かりません。 横になって読んでいると、間違いなく、眠ってしまいます。 読書習慣が出来て久しい人なら、経験があると思いますが、半分眠りながら読んでいると、自分で勝手に、半ページ分くらいの文章を作ってしまい、ハッと目覚めて、読み返すと、全然違う内容だった、という事が、何度も起こるくらい。
・ 商業音楽会社のスタッフ。
・ 念動力ピアニストと、妻子。
・ 最後の精神分析医と、受付係。
・ 大統領夫人と、その周辺。
・ ジャグ演奏家の二人と、違法火星移民宇宙船の販売会社社長。
・ それぞれ、別のシミュラクラ(アンドロイド)メーカーに勤める兄弟。
・ 突然変異か先祖返りで生まれたネアンデルタール人達。
登場人物を、分けると、こんなところ。 他にも、ちょこちょこと出て来ます。 タイトルは、「シミュラクラ」ですが、モチーフの一つに過ぎず、アンドロイド自身は、大した役どころを担っていません。 元のタイトルの、「地球のファースト・レディー」の方が、また、相応しい。 少なくとも、クライマックスは、大統領夫人が、ストーリーの中心になるので。
前半は、とにかく、耐えて読み、登場人物達の特徴を、覚えるしかありません。 英語圏やドイツ語圏の名前ばかりだから、なかなか、記憶できませんが、これだけ多いと、明治期の輸入翻案小説のように、日本人の名前に入れ換えたとしても、やはり、覚えられないでしょう。 明らかに、この長さの小説としては、出て来る頭数が多すぎるのです。
後半に入り、大統領夫人が中心になると、主人公がはっきりして、話が安定します。 おそらく、どんな読者でも、この後半には、引き込まれるはず。 しかし、SFとして面白いわけではなく、活劇として面白いのです。 スパイ物の緊張感を戴いているんですな。 ディックさんというと、奇抜なアイデアで勝負する作家のイメージ強いですが、意外に、活劇調の展開が得意で、そういう場面の描写は、手に汗 握らされる事が多いです。
軸になっているアイデアは、短編、【ヤンシーにならえ】(1955年)と同じで、尾鰭を付けて、長編にしたわけですが、随分と大きな尾鰭にしたものです。 解説によると、アメリカの60年代は、SF雑誌が不調で、短編が売れなくなり、長編を書かざるを得なかったとの事。 ディックさん、浪費家の妻を養う為に、書きまくっていたらしいのですが、昔書いた短編を、長編に書き直すというのは、ありがちな事ですな。
≪裸者と死者 Ⅰ・Ⅱ≫
ノーマン・メイラー全集 Ⅰ・Ⅱ
株式会社新潮社
Ⅰ 1969年5月25日 発行
Ⅱ 1969年6月25日 発行
ノーマン・メイラー 著
山西英一 訳
沼津図書館にあった、ハード・カバーの全集の内、2冊です。 2冊で、長編、1作を収録。 二段組みで、2冊分の合計、717ページ。 コピー・ライトは、1948年。 筒井さんの、≪漂流≫に紹介されていたもの。
太平洋戦争中、南太平洋の孤島、アナポペイ島で、先に駐留してい日本軍を、後から上陸した米軍が追い立てる構図の中、偵察小隊の十数名を中心に、後方勤務の単調な生活や、偵察任務の地獄のような日々を描いた話。
大作で、しかも、発表当時は、評価も、国際的に高かったとの事。 今でも高いのかは、不明。 戦争を扱っていますが、戦記物ではなく、戦争小説としか言いようがない作品です。 アナポペイ島は、実在せず、そこで行なわれた戦闘も、ありません。 作者が、創作したものなんですな。 しかし、異様にリアルなのは、メイラーさん本人が、フィリピンで対日戦争に従軍しており、戦場を実体験していたからでしょう。
メイラーさんは、21歳で、戦争に行き、この作品を発表したのは、25歳の時だというから、驚きます。 功績評価の基準に、年齢の若さを入れるのは、問題がありますが、それにしても、20代前半で、こういうものが書けるというのは、大変な事ではないかと思います。 おそらく、子供の頃から、膨大な数の小説を読みこなし、そこへ、戦場での体験が重なって、この作品として結晶したのではないかと思います。
前半は、後方での生活が描かれており、戦闘場面もありますが、それが中心ではありません。 後半は、偵察任務になりますが、これも、戦闘場面は少しで、それ以外の苦労が、細々と、情景描写、心理描写、織り交ぜて、書き連ねられます。 起こる事件の数に比べて、よく、これだけ、書く事があるなと、驚くくらい。
日本人の立場で読むと、負け戦は当然として、日本兵が、虫ケラのように殺されて行くので、気分のいいものではないです。 解説によると、メイラーさんは、日本に進駐した経験もあり、日本好きになったらしいですが、そういう裏情報は、あまり、真に受けられませんな。 日本でも、この作品が出版されると聞いてから、日本人の反発を避ける為に、セルフ・フォローをしたんじゃないでしょうか。 もし、本当に、日本好きだったら、そもそも、こんな作品、書けないと思いますよ。
アメリカ兵も死にますが、ほんのちょっとです。 最終的には、日本兵の方が、二桁三桁違いに、多く死んで行きます。 しかし、これは、フィリピン戦での経験を元に、実際の死亡比率に近いものを出していると思われます。 日本側は、武器・弾薬どころか、食い物もないのですから、戦争どころか、ただ生きて行く事もできません。 日本軍が、補給もできないくせに、なんで、南太平洋の島々に拘ったのかは、不思議としか言いようがありませんな。 大方、何も考えてなかったんでしょう。 情けない話ですが。
米軍が、捕虜にした日本兵を、その場で、バンバン撃ち殺してしまうのは、衝撃的。 完全に、虫ケラ扱いです。 映画、≪硫黄島からの手紙≫でも、降伏した捕虜を見張っているのが面倒になり、射殺してしまう場面が出て来ますが、どうやら、あれは、特殊なケースではなかった模様。 この作品では、何度も出て来るから、実際に、行われていた事なのでしょう。 「捕虜は、とらない方針」は、日本軍だけではなかったわけだ。
後半で、偵察小隊の指揮官になる少尉は、前半では、将軍の従卒をしているのですが、この将軍と少尉の争いが、実に、チマチマとしたもので、呆れてしまいます。 前線では、命のやり取りをしているというのに、なんだ、この下らない、見栄とプライドの張り合いは? この部分にこそ、人間のつまらなさが、最もよく表れていると思います。
「タイム・マシン」と題して、ところどころに、主要登場人物達の、アメリカでの徴兵前の生活が、一人ずつ紹介されるのですが、それが、また、つまらない。 アメリカが、文化的にも、経済的にも、圧倒的に輝いていた戦後間もない頃ならともかく、今の日本人では、この頃の一般のアメリカ人の生活に、何の興味も湧かないと思います。
この作品、映画にもなっているそうですが、その映画自体は、大した評価を受けていないようです。 原作に沿って作ったのだとしたら、見せ場がないのだから、無理もないか。 むしろ、徴兵された、無知無教養で、ガサツな兵士達を細かく描いている点で、他のアメリカ映画に影響を与えているのでは? ≪第十七捕虜収容所≫、≪大脱走≫、≪プラトーン≫など、製作者が、この作品を読んでいないとは、とても思えません。
以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、
≪ゴールデン・マン≫が、8月20日から、22日。
≪逆回りの世界≫が、9月1日から、3日。
≪シミュラクラ≫が、9月4日から、7日。
≪裸者と死者 Ⅰ・Ⅱ≫が、9月9から、14日。
≪ゴールデン・マン≫は、短編集としては、作品数が少ない方ですが、やはり、感想は、長くなってしまいます。 私としては、読むのは、短編の方が好きなんですが、感想を書かなければいけないと思うと、尻込みしてしまい、短編集を借りてくるのに、抵抗を感じてしまうのです。
インター・ネットがなかった頃は、気楽で良かったなあ。 世の中、明らかに、不便になって行くなあ。
≪ゴールデン・マン≫
ハヤカワ文庫 SF 1655
ディック傑作集
早川書房 2008年3月15日 発行
フィリップ・K・ディック 著
朝倉久志・他 訳
沼津図書館にあった、文庫本です。 短編、7作を収録。 本全体のページ数は、352ページ。 コピー・ライトは、1980年。 新しいですが、若い頃の作品を集めたものなので、作者薬中の心配はありません。 作者による、【まえがき】と、【作品メモ】が付いています。 この本は、2007年にアメリカで公開された映画、≪NEXT -ネクスト-≫の日本公開に合わせて、表紙を変えたもの。
【まえがき】 約24ページ
ディックさん本人が、1980年時点から、過去の作家人生を振り返ったもの。 自伝というほど、纏まりはないですが、読み応えがあります。 ただ、「薬中から足を洗ったとは言え、一度、壊れてしまった人が、こんな、まともな文章を書けるのか?」という疑念も湧いてきます。 誰か、ディックさんについて、詳しい人が、代筆したのでは? ちなみに、ディックさんは、1982年には、他界してしまいます。
【ゴールデン・マン】 約58ページ 1954年
核戦争後、生まれて来た畸形人間を処分する法律が出来ている社会。 未来が見える18歳の青年が存在する事が分かり、当局が狩り出しに向かうが、なぜか、自首という形で、捕えられた。 未来が見える彼を殺す事はできず、監禁していた部屋から逃げられてしまい、建物の出入口を封鎖して、全ての部屋を虱潰しに捜し始めるが・・・、という話。
未来が見えるから、自分に対する攻撃が、どこに当るかも分かるわけで、前以て、避けられるという仕組み。 アイデアはともかく、小説としては、暗い雰囲気で、さほど、興が乗る話ではないです。
この作品を原作とした映画、≪NEXT -ネクスト-≫は、ニコラス・ケイジさん主演で、私も見ていますが、未来が見えるというアイデアだけいただいて、話は全然、別物。 映画は、面白かったですが、「ここまで変えるのなら、原作は要らなかったのでは?」と思わないでもなし。 単に、映画製作者が、ディックさんのファンだったのでしょう。
【リターン・マッチ】 約32ページ 1967年
宇宙人が運営していた地球人向けカジノに、地球当局の手入れがあり、宇宙人の手によって、客ごと焼き払われたものの、ピンボール・マシンが一台、残されていた。 そのマシンで遊び続けると、マシン上にあるミニチュアの村で、少しずつ、投石機が組み立てられて行き、完成するや、ピン・ボールの弾がプレイヤーめがけて・・・、という話。
これは、面白い。 こんな話は、確かに、ディックさんしか、思いつかないかも知れません。 なんで、宇宙人が、こんなマシンを作ったのか、全く説明されていませんが、そこがまた、シュールな雰囲気を盛り上げています。 この不思議さは、ストルガツキー兄弟の、【ストーカー】に近いですな。 地球人の発想では、宇宙人の考えている事が全く分からないという点が、面白いのです。
【妖精の王】 約38ページ 1953年
コロラド州の、寂れた街道沿いで、ガソリン・スタンドを経営する高齢男性。 ある雨の夜、店じまいした後で、何かの気配を感じ、外に出てみたら、妖精の一団が来ていた。 輿に乗っているのが王で、ひどく弱っており、男性が自宅に泊めてやったが、翌朝には息を引き取った。 王の後継者に指名されてしまった男性は、妖精の敵であるトロールとの戦いを覚悟したが・・・、という話。
現代物のファンタジー。 「妖精」は、原語では、「エルフ」で、映画、【ロード・オブ・ザ・リング】を見ていれば、大体、見当がつく世界。 アメリカに、ヨーロッパの妖精がいるのは、変ですが、それは、作中でも、触れられています。 アメリカ先住民の妖精にすれば、違和感がなかったと思いますが、ディックさんが、そちらの知識に乏しかったか、読者に分かり易いように、敢えて、ヨーロッパ物を使ったかのいずれかでしょうか。
ファンタジーなので、SFファンには、いささか、食い足りないですが、普通に、お話として、面白く読めます。 友人の死体をどうするつもりなのか、心配してしまいますが、たぶん、妖精達が、何とかしてくれるのでしょう。
【ヤンシーにならえ】 約44ページ 1955年
人類の植民が、太陽系全体に広がった世界。 木星の衛星、カリストで、ナンシーという人物と、その家族が、全住民の人気を集め、みなが、ナンシー一家の生活様式や、考え方を真似るようになっていた。 ナンシー一家は、実在しない、テレビ画面の中だけの虚像で、住民の意識を制御する為に作られたものだった。 という話。
住民に気づかれないように、マインド・コントロールをかけるという方策。 別に、ディックさんが考案したわけではなく、1955年時点で、アメリカでは、すでに、こういう事ができるのではないかという学説が出ていたんでしょう。 ナンシー氏のモデルは、アイゼンハワー大統領だそうですが、人気がある人が、流行を作ってしまうという現象は、すんなり、理解できます。
問題は、テレビ放送くらいで、ごく普通の人物であるナンシー氏を、これだけ、人気者にできるかどうかという事ですな。 テレビに出て来る人物というのは、平均的ではない、変わった人が多く、一般人が真似する気にならないからこそ、価値があり、テレビに出る資格があるとも言えます。 矛盾を感じないでもなし。
【ふとした表紙に】 約20ページ 1968年
火星の動物、ワブの皮で表装した本が、発行中止になった。 ワブは、皮だけになっても、生きていて、なんと、本の中身が書き換えられてしまうのだ。 「死」が否定され、「全ての生物は、永遠の命を持つ」という内容になってしまう。 出版社の社長は、この特性から、ある事を思いつき・・・、という話。
アイデアが、ピカ一。 まさか、薬物の影響で、思いついたのではなかろうね。 結末は、「こうなったら、いいな」という、子供の夢のようなアイデアが提示されて、終わります。 社長の目論み通りにならなかった、その後を書いて、ショートショートにしてしまえば良かったのに。
ちなみに、「ふとした表紙に」という邦題は、誤植ではないです。 洒落。
【小さな黒い箱】 約54ページ 1964年
ある新興宗教が、世間にバラまいた、小さな黒い箱。 その取っ手を握ると、教祖の「痛み」を共感する事ができる。 取り締まりたい当局は、教祖の居場所を知っていると思われる、テレパスの男に目をつけて、その男と同棲している女を、政府職員として雇い、キューバに派遣して、当地のテレパスに、頭の中を探らせるが・・・、という話。
【アンドロイドは電気羊の夢を見るか】、つまり、映画、≪ブレードランナー≫の原作ですが、その元になった短編だそうです。 私も、【アン電】を読んでいるんですが、随分、昔なので、ほとんど、忘れてしまいました。 よって、比較して語る事はできません。 【アン電】に、宗教なんて、出て来なかったような気がするんですがねえ?
作品メモによると、【アン電】で、「共感」できるかどうかが、人間とアンドロイドを見分ける手がかりになっているらしく、この、【小さな黒い箱】でも、「共感」がテーマになっているので、そこから、膨らませて、【アン電】を書いたという事でしょうか。 テーマというより、モチーフの一つ程度のような気もしますが。
ちなみに、この短編自体は、別段、面白くないです。 残念なのは、禅をモチーフに使っていながら、ディックさんが、仏教を、ほとんど、理解していない点です。 解説書ではなく、原始経典の翻訳を読めば、分かり易いのに。 新興宗教を弾圧する為に、アメリカが、キューバと協力するというのは、いかにも、ディックさんらしい皮肉ですが、こういう皮肉で笑える人は、発表当時でも、ほとんど、いなかったでしょう。
【融通の利かない機械】 約72ページ 1957年
箱形の機械。 建物の壁をよじ登り、窓を壊して侵入し、偽の犯人の証拠を残しつつ、人を殺す。 通常なら、逃げるが、逃げる機会を失すると、テレビに化けて、やり過ごす。 そんな機械が使われ、犯人として、奴隷貿易業者の一人が逮捕される。 機械の存在に気づいた調査員が、真犯人をつきとめようとする話。
推理小説の枠を借りたもの。 しかも、倒叙物。 基本的に、推理小説で、トリックの部分を、SFにしてあるわけですが、未来でなければ、ありえない機械を、凶器にしているだけで、推理小説としては、アンフェアさしか感じません。 小松左京さんの、【長い部屋】や、【幽霊屋敷】のような、小気味良さが、欠けているのです。
犯人が逮捕され、追放された後の描写に、不自然なほど、多くのページが割かれていますが、おそらく、編集者から、長さの指定があって、後から付け足したものと思われます。 ストーリー結構的には、全くの蛇足。
【作品メモ】 約4ページ
この短編集が出された時に、ディックさん本人が書いた、各作品の簡単な説明。 頭のいい人は、戦略的に嘘をつくので、何年・何十年も経ってから書いた説明を鵜呑みにはできませんな。 その時の気分で、修正してしまう事があるからです。 それでいて、何と言っても、本人が書いたものなので、疑うわけにも行かないわけだ。
≪逆まわりの世界 【改訳版】≫
ハヤカワ文庫 SF 2289
早川書房 2020年7月15日 発行
フィリップ・K・ディック 著
小尾芙佐 訳
沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 352ページ。 コピー・ライトは、1967年。 この文庫は、1983年8月に出たものの、改訳版。
1980年代から、突然 始まった、時間の逆転現象。 死者が、墓の中で目覚め、その声を聞いた警察官や民間業者は、掘り出して、蘇生措置を施さなければならない。 ある時、大きな力を持つ新興宗教の教祖が、生き返りつつある事が分かり、その教団はもちろん、文書の消去に絶大な権限をもつ、「図書館」や、イタリアに本拠がある伝統宗教の組織が、教祖を取り合う争いとなる。 蘇生業者の社長と、その妻、彼らの知人である警官らが、巻き込まれる話。
解説にも書かれていますが、フィルムの巻き戻し映像から着想したのは、疑いないと思います。 蕎麦を食べる場面なら、逆回しにすると、口から蕎麦が出て来て、丼に戻って行くという映像。 そういうのが、昔、流行ったのです。 露悪趣味なので、すぐに、飽きられてしまいましたが。
この作品の中でも、食べ物が吐き出され、最終的に、スーパーへ戻されたり、「ソウ・ガム」という、糞尿らしき物を排泄口から体の中に入れる行為が、設定されています。 そのまま書くと、露悪過ぎるので、暈されていますが、暈しても、発想自体が露悪だから、ごまかしようがないところがありますねえ。
逆回りと言っても、すべてが時間的に巻き戻されて行くわけではなく、些か、ご都合主義的に、ストーリーは、先に進んで行きます。 これは、東へ進んでいる列車の中で、人間が、西へ向かって歩いているようなものでしょうか。 あまり、いい譬えではないですが。 死者が蘇える以外は、ストーリーに関わって来る逆転現象は、ほとんど、ないです。 つまり、時間の逆転はなしにして、死者が蘇えるだけの設定にしても、成り立つ話なんですな。
時間の逆転を、アイデアとして思いついたはいいが、いざ書き始めたら、あまり、面白くならないので、困ってしまって、活劇風にして、お茶を濁した、と指摘したら、ディックさん、図星を指されて、草葉の陰で、嫌~な顔をするでしょうか? 解説には、エントロピーと絡めて、小難しい事が書いてありますが、ディック作品を読む時には、買い被りは禁物です。 私の読みの方が、当たっていると思いますねえ。
では、活劇としては面白いのかというと、そちらも、全然でして、警官にせよ、蘇生業者の妻にせよ、必然性が、大変 薄い退場の仕方をさせており、単に、話の展開に詰まって、そうした観が、強烈に見て取れます。 三勢力の争いも駄目で、展開は、グズグズ、決着は、あやふや。 作者が、どう進めていいか分からなくなっているのだから、面白くなるわけがないです。
この蘇生業者の妻ですが、ちょっと変わったキャラを与えられています。 いかにも、スパイ然とした、抜け目のない、「図書館長の娘」と対比させる為に、おっとりした、夢見がちな女性にしたのだと思いますが、こういう人って、実際にいますよねえ。 たぶん、ディックさんの周囲にも、いたのだろうと思います。 大変、女性的な魅力があるが、いざ、交際したり結婚したりすると、理解できない部分が多過ぎて、結局、うまく行かないという。
≪シミュラクラ 【新訳版】≫
ハヤカワ文庫 SF 2155
早川書房 2017年11月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
山田和子 訳
沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 353ページ。 コピー・ライトは、1964年。 原稿が書き上がったのは、前年の1963年で、その時のタイトルの直訳は、「地球のファースト・レディー」だったらしいです。 変えたのは、出版社でしょう。 「新訳版」というのは、日本での出版サイドの話ですが、1986年に、別の出版社から、別の訳者で出ていたものが、その後、絶版になり、早川で、新たに訳し直したという意味。
21世紀半ば、世界を二分している勢力の一方である、ヨーロッパ・アメリカ合衆国。 ここ数代の大統領は、アンドロイド、その夫人は、常に一人での女性で、計算上は、90歳を越しているが、外見は、20歳前後にしか見えないのは、そっくりさんが、時々、交替しているから。 その国家最高機密を守る為に、国民は、二つの階層に分かれている。 巨大薬品会社の差し金で、精神分析医を廃止する法案が通ったせいで、念動力でピアノを弾く、心を病んだ世界的演奏家が、キレてしまい、そこから、多くの人間が、一つの国家体制の断末魔の混沌に呑み込まれて行く話。
長い梗概だな。 これでも、内容の、100分の1も、伝えられていませんが。 とにかく、登場人物が多くて、しかも、群像劇なので、最初の内は、何が言いたいのか、さっぱり分かりません。 横になって読んでいると、間違いなく、眠ってしまいます。 読書習慣が出来て久しい人なら、経験があると思いますが、半分眠りながら読んでいると、自分で勝手に、半ページ分くらいの文章を作ってしまい、ハッと目覚めて、読み返すと、全然違う内容だった、という事が、何度も起こるくらい。
・ 商業音楽会社のスタッフ。
・ 念動力ピアニストと、妻子。
・ 最後の精神分析医と、受付係。
・ 大統領夫人と、その周辺。
・ ジャグ演奏家の二人と、違法火星移民宇宙船の販売会社社長。
・ それぞれ、別のシミュラクラ(アンドロイド)メーカーに勤める兄弟。
・ 突然変異か先祖返りで生まれたネアンデルタール人達。
登場人物を、分けると、こんなところ。 他にも、ちょこちょこと出て来ます。 タイトルは、「シミュラクラ」ですが、モチーフの一つに過ぎず、アンドロイド自身は、大した役どころを担っていません。 元のタイトルの、「地球のファースト・レディー」の方が、また、相応しい。 少なくとも、クライマックスは、大統領夫人が、ストーリーの中心になるので。
前半は、とにかく、耐えて読み、登場人物達の特徴を、覚えるしかありません。 英語圏やドイツ語圏の名前ばかりだから、なかなか、記憶できませんが、これだけ多いと、明治期の輸入翻案小説のように、日本人の名前に入れ換えたとしても、やはり、覚えられないでしょう。 明らかに、この長さの小説としては、出て来る頭数が多すぎるのです。
後半に入り、大統領夫人が中心になると、主人公がはっきりして、話が安定します。 おそらく、どんな読者でも、この後半には、引き込まれるはず。 しかし、SFとして面白いわけではなく、活劇として面白いのです。 スパイ物の緊張感を戴いているんですな。 ディックさんというと、奇抜なアイデアで勝負する作家のイメージ強いですが、意外に、活劇調の展開が得意で、そういう場面の描写は、手に汗 握らされる事が多いです。
軸になっているアイデアは、短編、【ヤンシーにならえ】(1955年)と同じで、尾鰭を付けて、長編にしたわけですが、随分と大きな尾鰭にしたものです。 解説によると、アメリカの60年代は、SF雑誌が不調で、短編が売れなくなり、長編を書かざるを得なかったとの事。 ディックさん、浪費家の妻を養う為に、書きまくっていたらしいのですが、昔書いた短編を、長編に書き直すというのは、ありがちな事ですな。
≪裸者と死者 Ⅰ・Ⅱ≫
ノーマン・メイラー全集 Ⅰ・Ⅱ
株式会社新潮社
Ⅰ 1969年5月25日 発行
Ⅱ 1969年6月25日 発行
ノーマン・メイラー 著
山西英一 訳
沼津図書館にあった、ハード・カバーの全集の内、2冊です。 2冊で、長編、1作を収録。 二段組みで、2冊分の合計、717ページ。 コピー・ライトは、1948年。 筒井さんの、≪漂流≫に紹介されていたもの。
太平洋戦争中、南太平洋の孤島、アナポペイ島で、先に駐留してい日本軍を、後から上陸した米軍が追い立てる構図の中、偵察小隊の十数名を中心に、後方勤務の単調な生活や、偵察任務の地獄のような日々を描いた話。
大作で、しかも、発表当時は、評価も、国際的に高かったとの事。 今でも高いのかは、不明。 戦争を扱っていますが、戦記物ではなく、戦争小説としか言いようがない作品です。 アナポペイ島は、実在せず、そこで行なわれた戦闘も、ありません。 作者が、創作したものなんですな。 しかし、異様にリアルなのは、メイラーさん本人が、フィリピンで対日戦争に従軍しており、戦場を実体験していたからでしょう。
メイラーさんは、21歳で、戦争に行き、この作品を発表したのは、25歳の時だというから、驚きます。 功績評価の基準に、年齢の若さを入れるのは、問題がありますが、それにしても、20代前半で、こういうものが書けるというのは、大変な事ではないかと思います。 おそらく、子供の頃から、膨大な数の小説を読みこなし、そこへ、戦場での体験が重なって、この作品として結晶したのではないかと思います。
前半は、後方での生活が描かれており、戦闘場面もありますが、それが中心ではありません。 後半は、偵察任務になりますが、これも、戦闘場面は少しで、それ以外の苦労が、細々と、情景描写、心理描写、織り交ぜて、書き連ねられます。 起こる事件の数に比べて、よく、これだけ、書く事があるなと、驚くくらい。
日本人の立場で読むと、負け戦は当然として、日本兵が、虫ケラのように殺されて行くので、気分のいいものではないです。 解説によると、メイラーさんは、日本に進駐した経験もあり、日本好きになったらしいですが、そういう裏情報は、あまり、真に受けられませんな。 日本でも、この作品が出版されると聞いてから、日本人の反発を避ける為に、セルフ・フォローをしたんじゃないでしょうか。 もし、本当に、日本好きだったら、そもそも、こんな作品、書けないと思いますよ。
アメリカ兵も死にますが、ほんのちょっとです。 最終的には、日本兵の方が、二桁三桁違いに、多く死んで行きます。 しかし、これは、フィリピン戦での経験を元に、実際の死亡比率に近いものを出していると思われます。 日本側は、武器・弾薬どころか、食い物もないのですから、戦争どころか、ただ生きて行く事もできません。 日本軍が、補給もできないくせに、なんで、南太平洋の島々に拘ったのかは、不思議としか言いようがありませんな。 大方、何も考えてなかったんでしょう。 情けない話ですが。
米軍が、捕虜にした日本兵を、その場で、バンバン撃ち殺してしまうのは、衝撃的。 完全に、虫ケラ扱いです。 映画、≪硫黄島からの手紙≫でも、降伏した捕虜を見張っているのが面倒になり、射殺してしまう場面が出て来ますが、どうやら、あれは、特殊なケースではなかった模様。 この作品では、何度も出て来るから、実際に、行われていた事なのでしょう。 「捕虜は、とらない方針」は、日本軍だけではなかったわけだ。
後半で、偵察小隊の指揮官になる少尉は、前半では、将軍の従卒をしているのですが、この将軍と少尉の争いが、実に、チマチマとしたもので、呆れてしまいます。 前線では、命のやり取りをしているというのに、なんだ、この下らない、見栄とプライドの張り合いは? この部分にこそ、人間のつまらなさが、最もよく表れていると思います。
「タイム・マシン」と題して、ところどころに、主要登場人物達の、アメリカでの徴兵前の生活が、一人ずつ紹介されるのですが、それが、また、つまらない。 アメリカが、文化的にも、経済的にも、圧倒的に輝いていた戦後間もない頃ならともかく、今の日本人では、この頃の一般のアメリカ人の生活に、何の興味も湧かないと思います。
この作品、映画にもなっているそうですが、その映画自体は、大した評価を受けていないようです。 原作に沿って作ったのだとしたら、見せ場がないのだから、無理もないか。 むしろ、徴兵された、無知無教養で、ガサツな兵士達を細かく描いている点で、他のアメリカ映画に影響を与えているのでは? ≪第十七捕虜収容所≫、≪大脱走≫、≪プラトーン≫など、製作者が、この作品を読んでいないとは、とても思えません。
以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、
≪ゴールデン・マン≫が、8月20日から、22日。
≪逆回りの世界≫が、9月1日から、3日。
≪シミュラクラ≫が、9月4日から、7日。
≪裸者と死者 Ⅰ・Ⅱ≫が、9月9から、14日。
≪ゴールデン・マン≫は、短編集としては、作品数が少ない方ですが、やはり、感想は、長くなってしまいます。 私としては、読むのは、短編の方が好きなんですが、感想を書かなければいけないと思うと、尻込みしてしまい、短編集を借りてくるのに、抵抗を感じてしまうのです。
インター・ネットがなかった頃は、気楽で良かったなあ。 世の中、明らかに、不便になって行くなあ。
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