2025/10/12

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ⑩

  月の第二週は、闘病記。 前回は、2025年の2月3日まででした。 今回は、その続き。 すでに、病院通いをやめているので、この記録は、思い出したくないものとなっていて、当時の日記を纏めるのが苦痛なのですが、中途放棄するのも気が進まないので、とりあえず、病院通いをやめるところまでは、続けます。




【2025/02/07 金】
  午後、座敷歩き。 昼寝して、また、座敷歩き。 夕方までに、何とか、1万歩にしました。 これは、歳を取って来たら、つらくなりそうだな。

  時々、

「こんなに つらいのなら、いっそ、糖尿病治療なんか 打ち切って、食べたい物を 好きなだけ食べて、早死にしてしまおうか」

  などと思ったりするのですが、どうも、自分が死ぬという事が、前向きにも、後ろ向きにも、うまく、想像できません。 意識がなくなるわけだから、「長い眠りのようなもの」という感じもしますが、もう二度と目覚めない点、眠りとは、本質的に違うんですな。

  こうだから、「あの世」とか、「来世」とかいう考え方が生まれて来るわけですな。 「そんなもの、ありはしない」と分かっている人でも、死がうまく想像できないから、それに縋ってしまうのでしょう。



【2025/02/10 月】
  9時から、旧母自で、病院へ。 採血の後、内科の糖尿病専門医の診察。 前回の血液検査と、肝臓エコー検査の結果、肝臓に、特に問題はなく、肝硬変でもないし、肝炎に罹っているわけでもないとの事。 私としては、ウイルス性肝炎を最も恐れていたので、これには、ホッとしました。 その医師が、肝臓の専門医に意見を訊いたところ、食事の内容が変わったのと、体重が減ったのが原因ではないかという見解だったらしいです。

  ただし、良いニュースは、そこまででした。 肝心の、肝機能の数値(ASTと、ALT)は、下がってはいるものの、まだ高いので、外科の医師と相談した結果、鼠蹊ヘルニア手術は、数値が下がるまで、延期になるとの事。 2月半ばに予約を入れてあった手術の日程は、全て、キャンセル。 これは、悪いニュースですな。

  だけど、本心を吐露すると、落胆半分、安堵半分というところです。 鼠蹊ヘルニア手術の目処が立たないのは、ガッカリですが、この寒い時期に、手術入院しなくて済んだのは、正直、ありがたいです。 寒いと、服装の選択から、踵や手指の先の角質化ケアまで、何かと厄介です。

  そして、これは、誰にでも当て嵌まると思いますが、私だって、手術は怖いです。 目覚めない危険性がある全身麻酔なら、尚の事。 もう、人生、やりたい事はやり終えていて、最悪、死ぬ覚悟はできているとはいえ、やはり、死は怖いです。 延期となれば、それまでは、生きていられるわけだ。

  総合的に考えて、今日の医師からの通達は、私にとって、悪いものではありませんでした。 ウイルス性肝炎という、目の前真っ暗になる宣告よりは、一億倍、マシです。

  鼠蹊ヘルニアで、腸が飛び出したまま、糖尿病の運動療法を続けるのは、厳しいと思っていましたが、散歩より、屋内歩行が主になっている現状では、飛び出した部分を手指で押さえながら歩く事もできるので、さほど、気にならなくなりました。 まあ、手術は、条件が整うのを気長に待つとして、糖尿病の治療に勤しもうと思います。



【2025/02/12 水】
  今日の昼食の事ですが、4ヵ月ぶりに、袋ラーメンを食べました。 マルちゃんの正麺。 ただし、半分だけ。 残りは、麺とスープに分けて、冷蔵庫で保存し、明日の昼食に食べます。 非常食として、プレハブ離屋に保存してある分が、賞味期限を大きくオーバーしているので、食べてしまう必要があったのです。

  一食に半分なら、カロリー的には、麦ご飯、茶碗一杯分と、変わりません。 とっくに食べ飽きた味ですが、4ヵ月ぶりだと、途轍もなく、うまく感じられます。

  とにかく、今の私には、どんな食べ物でも、うまくてうまくて、こたえられないのです。 甘い物を食べなくなったせいか、味覚が敏感になり、何にでも、甘味や旨味を感じるようになっているのです。 まさか、こんな感覚になるとは、糖尿病の治療で、食事制限を始める前までは、想像もしませんでした。 少なくとも、食べる事に関しては、糖尿病のお陰で、至福の喜びを得た事になりますな。



【2025/02/17 月】
  また、寒波が来るとの予報。 もう、勘弁して下さい。 手足の角質化が、いつまで経っても、治りません。 これも、糖尿病が原因で、毛細血管が詰まり、血行不良になっているせいだと思います。



【2025/02/20 木】
  朝一、一人で車で、イオン系スーパーへ買い出し。 レジ袋、3個分、買って来ました。 キャベツは欠かさないようにしているのですが、半玉ずつでも、冷蔵庫の野菜室て、容積をとってしまうので、ここのところ、数を減らし、代わりに、もやしを多く買っています。 値段は、5分の1くらい。 もっとも、もやし1袋と、キャベツ半玉では、重量的にも、嵩的にも、比べられませんが。



【2025/02/21 金】
  朝が寒い。 手足の角質化が激しく、割れて、切れてしまい、うんざりします。 まめに、ハンド・クリームを塗ったり、角質化した部分を爪切りで切ったりしてるんですがねえ。



【2025/02/22 土】
  朝食前に、血糖値を測ったら、58で、ビックリ! もろ、低血糖です。 低血糖というのは、70以下ですから、58では、かなり、甚だしい。 頭がクラクラするだけでなく、体全体がフラフラします。 すぐに、朝食を食べて、血糖値を上げました。



【2025/02/28 金】
  糖尿病治療の為の食事制限で、甘い物絶ちを始めてから、甘味や旨味に敏感になり、何を食べても、うまいと感じるようになった事は、以前に書きました。 何もかけない生のキャベツが、甘く感じるのだから、便利な舌になったものです。

  ところが、食事がおいしいせいか、どうも、食べる事にばかり欲望が向き、四六時中、そればかり考えているようになりました。 食事を食べ終わるなり、次の食事が待ち遠しくなる有様。 血糖値は、測り方のコツを掴んだので、正常値内で落ちついているんですが、体重が増え始めて、冷や汗が・・・。 おいしいおいしいで、量を食べているから、当然の結果か・・・。

  米の値段が高いので、昼食は、袋ラーメンを食べるように変えたのですが、最初、半分だったのが、スープと麺を分けて保存するのが面倒で、一食食べるようにしてから、覿面に体重が増え始めたました。 やむなく、また、半分に戻した次第。 ちなみに、袋ラーメンは、むしろ、安い品の方が、カロリーが高いのは、不思議です。 「即席麺には、栄養がない」とは、よく言われる事ですが 栄養はともかく、カロリーはあります。 もちろん、炭水化物で、血糖値が上がる食物。

  それは、さておき、食べる事だけが生きる目的になっているのは、如何なものか。 そんなだから、体重が増えたり、血糖値が上がったりすると、「ああ! 食べ物を減らさなければならないのか・・・。 もう、何の楽しみもない!」と、精神的に、ガックリ来てしまうのです。

  つくづく思い知るに、引退者の生活として、文化の支援が受けられないのは、大変、厳しい。 読書でも、テレビでも、これが、どうしても、読みたい、見たいというものがなくなって、久しいです。 「欠点、問題点も多いが、総合的に見れば、世界は素晴らしい」と思っていた私は、どこへ行ってしまったのでしょう?



【2025/03/03 月】
  昨日までとは一転して、気温が低下。 更に、朝から、本降りの雨。 更に、風まで出て来て、嵐に近くなりました。

  こんな日なのに、病院へ。 予約が入っているから、仕方がない。 車で行く事も考えましたが、帰って来てから、車を拭くのが嫌で、旧母自で、傘をさして行ったのが、大間違い。 嵐は、そんなに甘い物ではありませんでした。 

  何とか辿り着き、採血、採尿、内科の検診。 なんと、肝機能の数値は、良くなるどころか、悪くなっていました。 マヨネーズの食べ過ぎのせいではなかったんですな。 マヨネーズ原因説に懐疑的だった、糖尿病専門医のМ医師は、「それ見た事か!」と、ドヤ顔をしていましたが、私としては、ガックリです。 原因が分からないのでは、鼠蹊ヘルニアの手術が、ますます遠のきます。

  「ごく稀に、インスリン注射で、肝機能が悪化するケースがあるので、それを確かめる為に、食前インスリン注射をやめましょう」との指示。 一日、4本打っていたのが、1本になるわけだから、私としては、楽です。 肝臓の専門医にもかかる事になり、その予約が入れられました。 また、検査検査になるのかも知れません。

  そこまではともかく、М医師が、3月一杯で、その病院に来なくなると言われたのには、驚きました。 本来、他の病院の医師で、週に一日だけ、出張で来ていたのが、契約期間が終わったのでしょう。 3月31日が、最後の診察で、4月以降は、また別の糖尿病専門医が来るとの事。 M医師が、妙に嬉々としているのは、私のような厄介な患者と、おさらばできるからでしょうか。

  M医師が、信用できそうな人だから、通っていたのに、これでは、4月以降、この病院に来る意味がなくなってしまいます。 糖尿病医院なら、近所にもあるからです。 鼠蹊ヘルニアの手術の方は、今のところ、絶望的なので、ますます、この病院に来る理由がない。 何だか、やる気をなくしてしまったなあ。 複数科の盥回しに、うんざりしました。

  12時過ぎに、受付で会計。 薬の引換券をもらいましたが、院内薬局の薬剤師達が、昼食に行ったようで、薬局が機能していません。 「60分待ち」の告知板が出ています。 本当に、1時間以上、待つ事になりました。 しかし、これは、強ち悪い事ではなく、その間に、雨が弱くなりました。 と言っても、やみはせず、風が加わって、傘をさして自転車に乗るのは、厳しかったですが。

  今の病院に通い始めて、分かった事が、二つあります。 一つは、外科医師二人の態度から見て、鼠蹊ヘルニアは、急いで手術するような病気ではないらしいという事。 早く手術してやりたいという気が、およそ、感じられない。

  もう一つは、糖尿病の対策は、生活習慣の改善が中心なので、インスリン注射や薬がなくても、食事制限と運動で、何とかなりそうだという事。 自分で機器を買って、血糖値の計測だけ続けて、高血糖にならなければいいわけだ。

  それが分かってしまえば、もう、病院に行かなくてもいいか。 今日は、先の見通しが立たなくなった上に、冬の嵐に痛めつけられて、捨て鉢になっているので、落ち着いてから、真剣に検討してみる事にします。



【2025/03/04 火】
  病院ですが、3月一杯は行くとして、それ以降も通い続けるかどうかを、検討中。 肝機能数値悪化の原因が分からないのだから、鼠蹊ヘルニアの手術は、いつになるか全く分からなくなっているのであって、本来の私の目的を達する事はできない状態にあります。 肝臓の専門医にかかったところで、また、同じ検査が繰り返されるだけでしょう。 私営なのだから、儲けようとするのは、理解できますが、盥回しにされるのも、こちらに、辛抱の限界というものがあります。

  4月以降、信頼していた糖尿病専門医のМ医師もいなくなってしまう事だし、毎日、膨大な数の患者が押し寄せ、待ち時間も長い総合病院にかかり続けるのは、大変な負担です。 糖尿病だけなら、近所の医院の方が、ずっと、通い易いに違いない。 病院を変えると、検査などは、一からやり直しで、今までに投じたお金が無駄になってしまうという面もありますが、肝腎の鼠蹊ヘルニアの手術をしてもらえないのでは、そもそも、総合病院に行った意味がありません。

  いや、近所の糖尿病医院に行かなくても、食事制限と運動で、血糖値を正常値内に抑える事は可能だと思っています。 それは、昨日も書きました。 食欲を抑えられない人や、運動をする気にならない人が、インスリン注射や薬に頼らざるを得ないのは、仕方ないとして、私は、そうではないのですから。

  こういう事を書くと、「医師から言われた治療は、続けた方がいいに決まっている」と考えていて、反発を感じる人もいると思いますが、実は、医師の指示というのは、必ずしも正しいわけではありません。 主治医以外の医師に意見を訊く、「セカンド・オピニオン」という考え方が広まったのが、そのいい証拠です。 間違った判断や指示を出す医師も、確実にいるのです。

  ましてや、私の肝機能数値悪化のように、「検査をしても、原因が分からない」などと言われては、医師への信頼は損なわれざるを得ません。 原因が分からないのでは、治療方針の立てようがないではありませんか。 話にならぬ。

  これはもう、腹を括って、病院や医師に頼るのはやめ、自分の思う通りに生きた方が、正解かも知れませんな。 病院に行く事自体が、私にとって、生きる上での大きな負担で、不幸そのものなのです。 治るか治らないか分からないのに、苦労して通院生活を続けるより、自分の思った通りに生きた方がいいような気がするのです。

  「まだまだ、何十年も生きる」と思っているから、「悪いところは、病院で治してもらおう」と思うわけですが、60歳と言えば、昔なら、寿命で死んでも おかしくなかった年齢ですから、そんなに余生を惜しむのも、欲の掻き過ぎだと思います。 他人を見ても、長生きしている人達を、それだけの理由で羨ましいとは思いませんから。

  羨むどころか、逆に、生に執着し過ぎている人達は、醜悪に見えてしまう。 総合病院へ行くと、外来患者の8割は、高齢者ですが、傍目に見て、「みんな、病気と闘っているのだなあ。 えらいなあ」などとは、全く思いません。 「こんな歳になっても、こんな体になっても、まだ、生きたいのだなあ」と、不気味な違和感を覚えるだけ。 恐らく、というか、確実にですが、私より若い人達から見たら、私も そう見えるに違いない。

  家族・親戚・友人・知人など、心配してくれる近しい人達に対して、病気と闘う姿勢を見せておく事は、いい事ですが、自分自身に対しては、そういう気持ちは、半分くらいにして、残り半分は、いつ死んでも後悔がないように、覚悟しておく方がいいのではないかと思います。 どうにも避けられない事ですが、一人の例外もなく、みんな、いつかは死ぬのです。 年齢も様々、原因も様々。 錯覚し易い事ですが、長生きしたからといって、早く死んだ人より、偉いわけではありません。 周囲から、「やっと、死んだか」と思われる人の方が、多いくらいでしょう。




  今回は、ここまで。

  「糖尿病の治療を始めてから、食べるものが、何でも、うまい」といった記述がありますが、それは、今も同じです。 「空腹は最高の調味料」という言葉がありますが、糖尿病治療の方が、最高の調味料の称号に相応しいです。 グルメなんて、物の数ではない。 糖尿病治療をしている者だけが、食べ物の本当のおいしさを知っているのです。