2025/08/31

EN125-2Aでプチ・ツーリング (71)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、71回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年7月分。





【伊豆市熊坂・熊野神社】

  2025年7月7日。 伊豆市・熊坂にある、「熊野神社」へ行ってきました。 熊坂地区は、旧修善寺町の、北の端にあります。 遠いので、修善寺の中心部の方には、なかなか、行けません。

  当初の目的地は、熊坂地区の、「薬王寺」だったのですが、着くには着いたものの、何かの工事をしているようで、境内に人がおり、入るのは元より、撮影だけでも気が引けてしまいました。 で、急遽、すぐ裏手にある、熊野神社に変更した次第。

≪写真1≫
  山に上がって行く道の途中にあります。 そこそこに古そうな、石の鳥居。 右の建物は、物置というより、倉庫。 神輿か山車でも、入っているんでしょうか。

≪写真2左≫
  右手前の石の祠は、境内別社ですが、よそから移して来た可能性が高いです。 最初から、この大きさのものを、この位置に置かないでしょう。

  左奥は、石燈篭。 固太りという感じの、ずんぐりした形です。 プロレスラーの体形を想起させますな。

≪写真2右≫
  トイレ。 トイレがあるという事は、氏子の多い、大きな神社の証明のようなもの。 祭りなど、行事を大掛かりにやるから、トイレが必要になるのだと思います。

≪写真3左≫
  境内の二段目にあった、集会所のような建物。 元は、舞台だったんじゃないでしょうか。

  右手前の石燈籠は、普通の形です。

≪写真3右≫
  漱ぎ盤。 森に食われていますな。 使用されていないのは、間違いなし。

≪写真4≫
  境内の二段目から、三段目に上がる石段。 長い! 高い! 怖い! 手すりを付けたくなる気持ちも分ります。

  石段の下に、石燈籠があります。 写真には写っていませんが、階段の上にもありました。 四箇所とも、一対 揃っていました。 こういうものは、氏子から寄進されるものですが、財力がある家が多いんでしょうな。

≪写真5左≫
  境内の三段目は、社殿で一杯で、正面からでは撮影できなかったので、横から見ました。 屋根は、トタン葺きですが、大変、凝った造形です。

≪写真5右≫
  拝殿の彫刻。 唐獅子ですな。 左右で、阿・吽になっていました。 これは、向かって左側の、吽形の方。

≪写真6左≫
  拝殿前を横から。 太鼓が吊ってあります。 賽銭箱は、堂々とした大きなもの。 外にあるという事は、賽銭泥棒の被害に遭っていないのでしょう。

≪写真6右≫
  境内別社の、「龍爪神社」の拝殿跡。 石碑の解説によると、2004年に、台風で大破し、翌年に解体したらしいです。 上の段に上がる石段があるのですが、石垣の途中から上にあって、下の段からは上がれません。 上の段には、白い石の祠があり、それが、本殿のようです。




【裾野市深良・裾野市福祉保険会館付近】

  2025年7月13日。 裾野市・深良の、「裾野市福祉保険会館」の辺りまで行きました。 車に乗れなくなった兄を、兄の住居からうちまで、送迎する事になるかも知れない事態が発生し、場所が分からないのでは、時間を無駄にしてしまうので、小回りが利くバイクで、下見に行ったのです。

≪写真1≫
  旧・国道246号線、現・県道394号線。 私は、最も長く勤めた会社が、裾野市の北の外れにあり、電車・バス通勤だった3年間を除いて、車とバイクだけでも、20年以上 通っていたのですが、国道246号線バイパスを利用していて、旧246は、ほとんど、通った事がありませんでした。 信号交差点が多いので、時間がかかってしまうのを嫌ったのです。

≪写真2≫
  歩道に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクなら、どこにでも停められますから、下見には持って来いです。

  246バイパスで、近くまで来て、そこから、旧246へ入ったのですが、北へ南へ、行ったり来たりしても見つけられず、もう一度、北へ行ったら、ようやく分かりました。 どんな建物か知らないというのは、困ったもので、認識できていないから、前を通っていても、気づかないんですな。

≪写真3≫
  「裾野市福祉保険会館」。 どういう施設なのかは、知りません。 裾野市民ではないから、知っても意味がないです。 この付近で、目印になる建物、というだけの話。

≪写真4≫
  バイパスに戻って、帰りました。 ここは、「御宿平山」という交差点で、左に曲がれば、バイパスに入れます。 来る時にも、ここで曲がれば、分かり易かったんですな。 もっと、南で曲がってしまったせいで、下調べして来た事が無駄になってしまったのです。


  行きは、ロストしたので、1時間かかりましたが、帰りは、40分でした。 すり抜けはしなかったから、車より速いという事はないのですが、迎えに来る当日の朝は、平日の渋滞時間帯だから、やはり、1時間以上かかるでしょう。


  追記。 兄送迎計画ですが、前日になって、わざわざ、兄に来てもらわなくても、私で代役が務まる事がはっきり分かり、とりやめになりました。 まあ、毎週、どこかしら、プチ・ツーには行くのだから、この裾野行きが、無駄になったというわけではないです。




【伊豆市瓜生野・修善寺 時の栖 万福 百笑の湯】

  2025年7月22日。 伊豆市・瓜生野にある、「修善寺 時の栖 万福 百笑の湯」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 温泉施設ですが、中に入って、湯に浸かって来たわけではなく、ツーリングの目的地として、前まで行っただけです。

≪写真1≫
  狩野川左岸の、県道129号線を遡って、熊坂に入り、そのまま東へ向かって行ったら、南側にありました。 思っていたよりも、大きな建物でした。 だいぶ、歳月を経ている感じ。

≪写真2左≫
  看板。 「修善寺 時の栖 お風呂とサウナと ホテルとお食事 あります!」。 「時の栖」は、「ときのすみか」と読みます。 「修善寺」が上に付いているのは、他の場所にもあるからで、「御殿場 時の栖」というのも、よく聞きます。 行った事はありませんが。

  母の話では、この施設、最初は、「帝産閣」と言っていたのが、「帝産ヘルスセンター」になり、その頃、一度、行った事があるとの事。

≪写真2右≫
  看板。 「万福 百笑の湯 修善寺 時の栖」。 「百笑」は、「ひゃくわらい」と読むようです。 「百笑い」と、「い」を送った方が、読み易いと思いますが、利用客でもないくせに、余計なお世話か。

≪写真3≫
  道路を挟んで、狩野川側に並んでいる、個室の宿泊施設。 ネットで調べたところ、「ホテル オリーブの木」というそうです。 この丸屋根の並びは、狩野川左岸沿いを通っている、国道136号線からも見えます。 昔から、「あの丸屋根は、何だろう?」と思ってはいたのですが、そうか、ここの施設だったのか。

≪写真4≫
  路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この日の走行距離は、36キロ。 結構、遠くまで来ています。 修善寺や大仁を目的地にしている月は、ガソリンが、すぐになくなってしまうなあ。 バッテリーの端子は、問題ないようで、エンジンが息をつくような事はありませんでした。




【伊豆市瓜生野・大仁金山跡】

  2025年7月28日。 伊豆市・瓜生野にある、「大仁金山跡」へ行って来ました。 前の週に行った、「修善寺 時の栖 万福 百笑の湯」の裏山にあります。 最初に行った時に、ついでに見てくれば良かったのですが、その時には、そういうものがあると、知らなかったのです。 「大仁金山」と言いますが、少なくとも、現在の地名は、伊豆市・瓜生野です。

≪写真1≫
  金山と言っても、山が見れるだけ。 観光地として整備されていないので、解説板一枚立っておらず、坑口がどこなのかも分かりませんでした。

≪写真2≫
  反対方向を見ると、「修善寺 時の栖 万福 百笑の湯」の駐車場と、建物が見えます。 駐車場は、広大。 平日なのに、そこそこ、車が停まっていました。 建物の、左側後ろの山は、大仁のランド・マーク、「城山」。

≪写真3≫
  山の麓に、墓石が並んでいました。 金山で亡くなった方達でしょうか。 ちなみに、ここの温泉施設は、元々、金山労働者の慰労の為に作られたようです。

≪写真4≫
  駐車場に、車一台分を占めて、ヌケヌケと停めた、EN125-2A・鋭爽。 空いていたから、停めさせてもらいましたが、考えてみれば、客でもないのに、申しわけない。




  今回は、ここまで。 目的地は、現伊豆市の内、旧修善寺町の、なるべく北の方を選びました。 裾野市が一回挟まっているのは、やむを得ない事情によるもの。 別に、決められた義務を履行しているわけではなく、私自身が決めている目的地ですから、どうにでもなります。 今後、北上して行くので、いずれ、裾野市にも行くわけですが、その月には、一回だけ、伊豆市・旧修善寺を挟んでみようかと思っています。