2025/11/02

読書感想文・蔵出し (130)

  読書感想文です。 読書の現状は、高村薫作品の内、小説は、短編を残すのみになりましたが、短編集に纏められていないので、読みたくても読めません。 エッセイや時評で、単行本になっているのがあるので、ボチボチ、借りて来ていますが、小説ほどは、読み応えがないです。 感想は、そろそろ、他の作家のものが混じるようになります。





≪神の火 (1996年)≫

新潮ミステリー倶楽部特別書き下ろし
株式会社 新潮社
1996年8月20日 発行 1996年9月15日 2刷
高村薫 著

  沼津市立図書館に相互貸借を頼んで、菊川文庫から取り寄せてもらった、ハード・カバーの単行本です。 長編、1作を収録。 本文は、二段組み。 プロローグは、一段組み。 約522ページ。 1991年に、書き下ろされた作品が、文庫化された時に、全面的に改稿され、この本は、文庫版を元に、再度、発行されたものだそうです。


  日本人の母が、ロシア人の男と通じて産んだ、緑色の目をした子供は、長じて、原子力発電の技術者となる一方で、日本人である義父の知人の手によって、ソ連のスパイとしての教育を受けていた。 原発の仕事を辞めて、大阪の専門書輸入会社に勤めている時、ソ連から来た青年に会い、彼を助ける為に、再び危ない橋を渡る事になるが・・・、という話。

  1991年版と比べて、全面改稿されているとは言うものの、ストーリー的には、ほぼ同じ話でした。 特に、冒頭からしばらくは、全く同じ。 中盤から、書き改められた場面が出て来ますが、91年版の、約384ページから、522ページと、138ページも増えているにしては、ストーリーに変化が少ないです。 膨らませたのではなく、場面を差し替えたといった体裁。

  一番大きな違いは、青年が、主人公の息子ではなくなっている事。 それに関係して、青年の母親に対する、主人公の想いの部分も、ざっくり、なくなっています。 にも拘らず、日本人の父親から受け継いだ船の名前が、「イリーナ号」のままなのは、解せぬ感じ。 96年版だけ読んだ人は、「ここで、その名前を持って来るかね?」と、首を傾げるでしょう。 91年版の方なら、イリーナに関する記述が多いので、すんなり、頷けるのですが。

  なぜ、改稿されたかは、興味があるところで、特に良くなった点がないので、わざわざ、138ページ分も増やすほど書き換えた理由が分かりません。 一つ、確実なところでは、91年版の後、ソ連が崩壊し、東西対立の構図が消えてしまったのが、関係しているという事です。 ただし、話の背景になっている時代は、91年版と同じく、ソ連末期のままです。 世の中を騒がす大きな事件・事故に、敏感に反応する高村さんの事だから、ソ連崩壊を見ていて、【神の火】を崩壊前と同じままにしておく事ができなかったのかも知れませんな。

  ただし、改稿の理由は、それだけではないはずです。 この話、確かに、ソ連は関係して来るけれど、舞台は、ほぼ全て、日本国内ですし、どちらかというと、アメリカの情報機関の方が、露出が多いです。 ソ連のスパイは、むしろ、91年版より、出番が少なくなっています。 うーむ、分からん。

  出版社の都合ではないと思うんですがねえ。 「改稿すれば、また、単行本が売れるから」なんて、算盤勘定剥き出しの理由で勧めても、あの知性の塊みたいな高村さんが、承諾しないでしょう。 高村さん自身が、書き直したかったのは、間違いないです。 それにしても、良くなった点が見当たらない。 さりとて、特に、悪くなった点もないんですが・・・。

  というわけで、「どちらか一方だけ読むなら、どちら」といった勧め方ができ兼ねます。 借りて読むのであれば、両方 読んだら、どうでしょう。 なるべく、続けて読んだ方がいいです。 間が開くと、両者の違いが分からなくなってしまいますから。 そのくらい、ほぼ同じ話なのです。




≪空海≫

株式会社 新潮社
2015年9月30日 発行
高村薫 著

  沼津市立図書館にあった、ハード・カバーの単行本。 本文は、一段組み。 脚注あり。 巻末の対談だけ、二段組み。 約186ページ。 カラー写真のページが、全体の3分の1くらい、あります。 共同通信社が、2014年から、2015年にかけて、新聞社に配信した連載、【21世紀の空海】に、加筆したもの。


  真言宗の開祖、空海の、生涯の伝記。 没後の捉えられ方。 高野山が、いかにして、宗教都市になったか。 真言宗のその後、 現代の空海の捉えられ方。 などを記したもの。

  元々が、新聞連載用の短い文章なので、高村薫さんらしい、異様に詳細な内容を期待していると、肩透かしを食います。 カラー写真のページが多いせいもあって、読書習慣がある閑な人なら、一日で読めます。 簡単に読めるという意味で、空海について知る事ができる、お手頃感のある本になっています。

  と、一応、評価できるところを評価しておいて、ここから、正直な感想ですが、空海その人に関する元の資料が少ないようで、分かっている事が、大変、限定されています。 平安時代初期の人ですから、無理もないか。 個人の伝記なんて、ほとんど書かれておらず、歴史書の中に、名前がちらほら出て来る程度でも、マシな方だったのですから。

  開祖なのだから、真言宗の中では、きちんとした伝記が伝えられているのだろうと思いきや、真言宗では、空海が今でも生きているという解釈をしているくらいで、大昔から、伝説化してしまっており、精確な事は伝わっていない模様。 うーむ、宗教の開祖とは、そういうものなのか。

  というわけで、この本を読んでも、空海を、別段、凄い人だと思う事はできません。 中国留学中の挿話などから、一種の天才であった事は分かりますが、それが物を言っていたのは、生前の話であって、死後は、急激に忘れられ、高野山も、諸国行脚して浄財を集めた、高野聖(こうやひじり)という、宣伝マン達の活躍がなければ、存続できないほどだったとは、知りませんでした。

  巻末の、前高野山真言宗管長との対談ですが、二段組み、3ページの、ごく短いもので、あっという間に読み終わります。 双方で、自分の意見を述べ合っていて、話の噛み合いが今一。 高村さんは、相手に合わせて、その場限りで、相槌を打つというタイプではないのかも知れませんな。 ケース・バイ・ケースだとは思いますが。

  ところで、本文に付いている、脚注ですが、たぶん、高村さん本人が書いたものだと思います。 宗教の専門用語に関する事が多く、そんな事、編集者に分かるとは思えませんから。




≪落葉≫

新潮社
1980年1月25日 発行
G・ガルシア=マルケス 著
高見英一 訳

  沼津市立図書館にあった、ハード・カバーの単行本。 短編、7作を収録。 ただし、表題作の【落葉】は、中編と言ってもいい長さがあります。 一段組みで、全体のページ数は、198ページ。


【落葉】
(約126ページ 1955年)

  25年前に、マコンドの町に流れて来た医師を、数年間、居候させていた退役大佐の家。 首吊り自殺をした医師は、過去に治療拒否をした事で、町の人々の恨みを買っていたが、大佐は、周囲の白い目を無視して、医師の遺体を、町の教会の墓地に埋葬すべく、ゴリ押ししようとしていた。 大佐と、その娘、そして、孫の男の子の語りによって、25年の間に、医師や大佐の家に起こった事柄が、明らかになって行く話。

  なぜ、大佐だけが、医師の遺体の埋葬に積極的なのか、理由が分からなかったのが、だんだん、分かって来るという展開。 三人の語りが、ブツ切りで何回も重ねられていますが、これは、疑問がすぐに分かってしまっては、つまらないからでしょう。 逆に言うと、語り方だけが、この作品の特徴になっているのであって、話の内容は、大した事ではないです。

  ガルシア・マルケスさんの、処女作だそうです。 それにしても、126ページもあるのでは、短編とは言えませんなあ。 この本の半分以上を、この作品で占めているわけで、短編集としては、かなり、バランスが悪いです。


【世界中で最も美しい男の溺死体】
(約10ページ 1968年)

  小さな村の海岸に流れ着いた、大きな男の死体。 子供達のオモチャになっていたのを、大人が見つけて、仰天。 男達は、遺体を家に運び込んでから、近隣の村の者ではないかと、調べに散った。 女達は、遺体を綺麗にして、経帷子を作ったりしていたが、その男が、顔立ちと言い、体つきと言い、あまりにも立派なので、惚れ惚れと、熱を上げてしまい、男の素性について、様々な妄想を逞しくする話。

  子供向けに書かれた作品との事ですが、別に、それらしいところはありません。 女達が、立派な男と比べて、自分の亭主を貶すところなど、むしろ、子供には有害だと思います。 普通の子供は、両親は互いを大切に思いあっているものだと信じているでしょうから。 短いですが、ショートショート的な落ちはないです。


【大きな翼を持った老人】
(約12ページ 1968年)

  ある家の庭で、衰弱しているところを発見された、背中に翼をもつ高齢男性。 言葉は通じなかったが、外見から、天使に違いないと判断される。 一目見ようと、大勢の見物客が押しかけるが、人気は長く続かず、見世物興行の蜘蛛女に負けて、忘れ去られてしまう。 老人は、秘かに新しい羽根を生やし・・・、という話。

  これも、子供向けと断ってありますが、私が子供的感性を失って久しく、こういう話を、子供が喜ぶかどうか、ピンと来なくなってしまっています。 一応、結末はあるのですが、ショートショート的な意外性はないです。 「来て、騒がれて、忘れられて、帰った」だけ。


【ブラカマン 奇跡を行商していた善人の物語】
(約14ページ 1968年)

  毒蛇を使ってインチキ薬を売る露天商に、占い師志望として買い取られた少年。 インチキがバレて、二人して追われる身となり、隠れた場所で、露天商に虐待された結果、どんな病気も治せる魔力が身についた少年が、露天商に、最も残酷な方法で復讐しようとする話。

  非常に変わった文体で、句点が、ほとんど使われず、文章が数珠繋ぎになっています。 そのせいか、非常に、ストーリーが捉え難い。 最低でも、二回は読まないと、どういう話なのか、頭に入って来ません。 この梗概でも、まだ、読み取れてないところがあるかも知れません。

  有名にして、高名な作家だから、読み取れないのは、こちらの読解力が低いせいだろうと思いたいところですが、あまり、買い被るのも良くありません。 そもそも、ストーリーが、おかしくて、文字通り、話になっていないところがあるのです。 とにかく、読者に、強烈な印象を与えるのが目的で、そもそも、ストーリーを語る気がないのかも知れませんなあ。


【幽霊船の最後の航海】
(約10ページ 1968年)

  子供の頃、大西洋航路の大型船が、座礁し沈没するのを見た男。 毎年、同じ月に出現する幽霊船を、数年後に捉える事に成功し、誘導して、港町へ突っ込ませる話。

  この作品も、文章が数珠繋ぎになっていて、非常に、ストーリーが捉え難いです。 何度か読み返さないと、何が言いたいのか、分かりません。 分かってみると、大した話ではない点も、同じ。 そもそも、どうして、幽霊船を町に突っ込ませるのか、主人公のつもりが分かりません。


【イサベルの独白 マコンドに降る雨を眺めながら……】
(約12ページ 1955年)

  【落葉】と、登場人物を共有しています。 大佐の娘が視点人物の、一人称。 まだ、若い頃で、夫が同居しています。 長雨が続いて、洪水になり、大佐の家が床上浸水する話ですが、それだけの事でして、これまた、ストーリーを楽しむ小説ではないです。 私小説になら、似たような趣向の物があるかもしれませんが、それにしても、読者の興味を引くような事が、何も起こらんな。


【ナボ 天使に待呆けを食わせた黒人】
(約14ページ 1951年)   

  馬の世話係をしていた、中南部アフリカ系の少年が、手に入れた櫛で、馬の尻尾を梳いてやったら、後足で頭を蹴られて、おかしくなってしまった。 部屋に閉じ込められて、食事だけ差し入れられながら、誰とも顔を合わせないまま暮らしていたが、ある時・・・、という話。

  処女作は、【落葉】のはずですが、こちらの方が古いですな。 発表した作品の最初が、【落葉】という事でしょうか。

  閉じ込められた時に、少年だったのが、部屋から出た時には、大人になっていたというのが、怖い。 トイレとか、風呂とか、どうしていたんでしょう? おかしくなったのなら、病院に入れれば良かったのに。 もっとも、日本でも戦前までは、座敷牢が、普通に使われていたわけですが。

  作者が若い頃の作品だけあって、ストーリー展開は、分かり易い方です。 それでも、普通の小説に比べると、充分、分かり難いですけど。 天使らしき人物が出て来ますが、オカルトと取るべきか、主人公の幻覚と取るべきか、微妙なところ。




≪64(ロクヨン)≫

株式会社 文藝春秋
2012年10月25日 第1刷発行
2012年12月 5日 第4刷発行
横山秀夫 著

  沼津市立図書館にあった、ハード・カバーの単行本。 長編、1作を収録。 一段組みで、644ページ。 分厚い。 元は、2004年に、別冊文藝春秋に、数回、掲載され、その後、途絶えていたのを、全面改稿して、2012年に、単行本化したもの。 先に、映画版を見て、見応えがあったので、原作小説はどんなものかと、興味を抱いて、借りて来た次第。 以下の梗概は、映画版の感想で書いたものです。


  7日間しかなかった、昭和64年(1989年)に、ある県で起こった小学生女児誘拐事件は、身代金を奪われ、人質が殺された上に、犯人を逮捕できないまま終わった。 時効まで1年となった平成14年(2002年)、事件の捜査に当たった刑事は、警務部に異動になり、広報官になっていた。 警察庁長官が、被害者遺族を訪ねる予定が組まれ、その許可を取りに、家に赴くが、女児の父親にとって、事件はまだ終わっていなかった・・・、という話。

  原作を読んだら、映画は、原作に極めて忠実に映像化している事が分かりました。 エピソードの順番が入れ替わっているところがあるのと、結末が違う点を除けば、ほぼ、そのままです。 結末が違うといっても、推理小説の映画化でよくある、犯人を変えてしまうといった、乱暴・粗雑なものではなく、原作では、犯人が犯行を認めるところまで行かないのに、映画では、エピソードを追加して、そこまで描いたという程度の違いです。 この追加は、必ずしも蛇足にはなっておらず、観客に、スッキリした気分で見終わらせる効果を狙ったのでしょう。

  三人称ですが、終始、主人公を視点人物にして、彼の、目で見たもの、耳で聴いたもの、頭で考えた事を、細かく書き綴っており、心理小説と言ってもいいくらいです。 推理小説のファンの中には、こういうのを好む人もいるでしょうねえ。 本格では味わえない、ボリューム感を堪能できます。

  犯罪小説というよりは、警察小説でして、この作品の場合、警察とマスコミの確執を描くのが、主な目的になっているようです。 交通事故や、新旧二つの誘拐事件は、そのダシとして使われているわけだ。 もう一つ、県警刑事部長の人事問題は、警察庁と県警の争いですが、マスコミ問題と、うまく融けあっておらず、どちらかを本体と見ると、もう一方が、尾鰭に見えてしまい、ストーリーの統一性を損なっているような気がしないでもなし。 主人公の視点のみで語る話だから、そう感じるだけで、大河小説なら、統一性など、気にならないのですが。

  それにしても、これが、警察組織の実態なら、ひどいものでして、こんな権力闘争の内輪揉めばかりやっている組織に、まともな仕事ができるとは思えません。 ピラミッド型の組織にするから、こんな事になるのであって、もっと、縦の階梯を減らし、横に広い組織に作り変えた方が、いいのでは?

  県警内に於ける、主人公のライバル、二渡という人物ですが、他人の心の裏の裏まで読んで、多くの人間を、本人に気づかれないように、巧みに操り、躍らせ、途中経過は問題にせず、最終目的を達成しようとするタイプ。 一見、大変、知能が高い人物のようですが、その実、こういう腹に一物も二物もある人間は、周囲から警戒されて、信用されません。 同僚や部下はもちろん、上司からも、「何を考えているか分からない、怖い奴」と思われてしまったのでは、重要な仕事など、任せてもらえますまい。

  スパイ物では、こういうタイプが、悪玉側の首領になっている事が多いですが、大勢の人間が関わる問題では、不確定要素が多過ぎて、物語のように うまくは行きません。 「オッカムの剃刀」という考え方があるように、現実の社会を見れば、ずっと単純に事が進んでいるのが分かるはず。 創作作品に、こういうキャラが出て来ても、本当にいると思わない方がいいです。 よしんば、いたとしても、一生に一人、見られるかどうか、という程度の割合でしょう。 そして、その人は、決して、いい人生を歩んでいないと思います。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2025年の、

≪神の火 (1996年)≫が、7月23日から、25日。
≪空海≫が、7月30日から、8月2日。
≪落葉≫が、8月9日から、11日。
≪64(ロクヨン)≫が、8月23から、26日。

  ここのところ、図書館から借りて来て、一週間以内で、バタバタっと読んでしまい、貸し出し期間二週間の残りは、何も読まずに過ごす、というパターンが続いています。 どうも、読書が重荷になっている感あり。

  健康不安から、終活に取りかかり、溜めてあった、通知などの郵便物や、現役時代の勤め先の書類などを処分し始めているのですが、そちらを早く片付けてしまいたくて、ますます、読書に割く時間が惜しくなっています。 そんなに焦らなくても、ボチボチやればいいと、頭では分かっているんですが、母親譲りのせっかちな性格が、そうさせてくれないのです。