2025/10/26

EN125-2Aでプチ・ツーリング (73)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、73回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年9月分。





【伊豆の国市四日町・元韮山町役場付近】

  2025年9月2日。 伊豆の国市・四日町にある、元韮山町役場付近に行って来ました。 1987年発行の都市地図に、韮山町役場として載っていたのですが、その後、合併して、伊豆の国市になっており、役場の跡がどうなっているのか、興味が湧いたのです。

≪写真1≫
  こうなっていました。 「JAふじ伊豆 伊豆の国地区本部 韮山支店」。 ネット情報によると、元役場の建物は解体されたようなので、この建物は、建て直したんでしょう。

≪写真2≫
  すぐ西側にある、大きな建物。 博物館のような雰囲気ですが、入り口がある裏側へ回って、名前を見たら、「厚生年金・国民年金 積立金還元施設 福祉保健センター」となっていました。

≪写真3≫
  近くの道に停めたEN125-2A・鋭爽。 背後に、水田。 高圧電線の鉄塔。 そして、雲の上に顔を出した、夏の黒富士。

≪写真4≫
  育ちつつある、稲。 今年の夏は、猛暑で、渇水の所も多かったのですが、この辺りは、そうでもなかった様子。 韮山近辺は、昔から穀倉地帯でして、米の生産量が多い。 それが、前後北条氏の経済力の背景になったのだと、私は思っています。




【伊豆の国市韮山山木・平兼隆館跡案内板】

  2025年9月8日。 伊豆の国市・韮山山木にある、「平兼隆館跡案内板」を見て来ました。 ネット地図に出ていた史跡。 案内板以外、何もない事は、ネット情報で知っていたんですが、周囲がどんな感じになっているのか、見に行ったのです。

≪写真1≫
  これが、平兼隆の館があったと思しき場所。 何も残っていません。 源頼朝が、北条氏一党に担がれて、打倒平家の旗揚げをした時、最初に襲撃した所です。 この場所、北条氏の館があった、守山の麓から、徒歩で、1時間くらいでしょうか。 大昔の襲撃には、リアルな距離ですな。

≪写真2左≫
  ≪写真1≫の右の方に、緑色のフェンスが写っていますが、そのフェンスの端に掲げられていた、案内板。

「← この先の高台一帯が 平兼隆館の跡です」

  バイクで、高台に上ってみましたが、普通の住宅地でした。

≪写真2右≫
  坂の下に停めた、EN125-2A・鋭爽。 住宅地なので、道が狭く、車が来ないか、ヒヤヒヤでした。 この場所に、車で来るなら、江川邸の駐車場に停めて、歩いた方がいいです。

≪写真3左≫
  近所の家で咲いていた、カンナの花。 「ベロンチョ」という感じ。

≪写真3右≫
  同じく、百日紅(サルスベリ)の花。 日射しが強過ぎるせいなのか、角度が悪いのか、色が出ません。 現物は、もっと鮮やかな赤でした。

≪写真4≫
  近くにある観光名所、「江川邸」の正門。 韮山反射炉を造った韮山代官、江川英龍(江川太郎左衛門)の屋敷ですが、江戸時代までは、敷地内に、「韮山代官所」もありました。 有料になってから、入った事がありません。 昔 入った時の記憶だと、武家屋敷というより、豪農の家という感じでした。 もっとも、私が見れたのは、見学可能な部分だけだから、そう思ったのかも知れませんが。




【伊豆の国市寺家・願成就院】

  2025年9月15日。 伊豆の国市・寺家にある、「願成就院」へ行って来ました。 「がんじょうじゅいん」と読みます。 韮山では、「江川邸」、「反射炉」の次に有名な観光地。 鎌倉幕府の初代執権、北条時政が建立した寺です。 2008年5月に、折自で来た事があります。 国道136号線を南下して行くと、西へ曲がる出入口に、案内看板がありますから、すぐに分かります。

≪写真1≫
  出入口の道路を入って行くと、山門の前が広くなっています。 左へ行くと、駐車場があります。 右の奥には、「守山八幡宮」の鳥居が見えます。

  この道だったと思うのですが、2008年に来た時には、看板が立っていて、「大河ドラマ ≪草燃える≫のロケ地」とありました。 1979年の放送ですから、大昔です。 息の長い看板でした。 ≪鎌倉殿の13人≫の時に、撤去されたのではないかと思います。

  願成就院は、拝観料、あり。 大人、800円。 中高生・400円。 小学生・200円。 25名以上の団体の場合、半額。 毎週、火・水曜が、休館。 拝観時間は、10時から、16時。 ここまで、細かい情報は、不要か。 自分が入りもしなかったくせに。 ちなみに私は、有料の施設には、まーず、入りません。

≪写真2≫
  駐車場の先にある、「願成就院跡」。 ややこしいですが、創建当時の願成就院は、現在のそれより広大な敷地をもち、建物も多かったらしく、この場所には、塔があったとの事。

≪写真3≫
  山門の横に停めた、EN125-2A・鋭爽。 つくづく、お寺などの史跡には、スポーツ・バイクが、よく似合う。

≪写真4左≫
  136号線と、山門の中間あたりに、石の標柱がありました。 「国寶 旗揚不動尊」。 そういう像が、寺の中にあるのでしょう。

≪写真4右≫
  近くの住宅の庭に咲いていた、芙蓉の白。 普通は、ピンク。 白は、珍しいです。




【伊豆の国市四日町・田方消防訓練場】

  2025年9月23日。 伊豆の国市・四日町にある、「田方消防訓練場」へ行って来ました。 元韮山町役場付近に来た時に、見つけた所。 一面の水田地帯の中に、ビルを模した塔が建っているので、遠くからでも、よく見えます。 名前の通り、消防士が訓練をする施設。 「田方(たがた)」というのは、この付近の広域を指す地名で、郡名にもなっています。 たとえば、韮山は、以前、「田方郡韮山町」だったわけです。

≪写真1左≫
  ビルを模した塔。 縮尺が書いてあって、16メートルまで、目盛りがあります。

≪写真1右≫
  これも、訓練用だと思います。 津波避難タワーのように見えますが、この近辺は、海から遠いので、津波の心配はないです。 狩野川が氾濫して、大水が出た時には、避難できるのかも知れませんが、登れる人数は限られていますな。

≪写真2≫
  周囲の水田。 収穫が近く、米がたわわに実っていました。

≪写真3≫
  訓練場の出入り口前、側溝をまたぐ橋の上に停めた、EN125-2A・鋭爽。 む! 撮った時には気づきませんで下が、改めて見ると、この角度は、カッコ良く見えますな。 ちなみ、このEN125-2Aは、2010年頃に作られたものですが、1980年代・90年代のデザインを模しています。 レーサー・レプリカが流行った80年代にも、丸1灯の普通のバイクには根強い人気があり、90年代に入って、レプリカが、普段使いし難い事で、敬遠されるようになると、主流になりました。

  往路の事ですが、大平トンネルに入る直前で、バイクのエンジンが止まりました。 ランプ類が全消なので、バッテリー端子だと思い、車載工具のプライヤーで、端子を締めている結束バンドを、更にきつく締めつけたら、通電しました。 ツーリングを続行。 それ以後は、エンジン停止はありませんでした。

  帰ってから、結束バンドを切って捨て、一回り太目の結束バンドで、締め直しました。 ハンダづけするのが本道ですが、面倒で、やる気になりません。 結束バンドで間に合っている間は、それで行こうと思います。

≪写真4左≫
  施設内から、側溝に出ていた、太いパイプ。 直径50センチくらい。 何を流すんでしょう?

≪写真4右≫
  これは、韮山ではなく、帰り道に、江間の水田脇に咲いているのを撮った、彼岸花。 この日は、彼岸の最終日でした。




【伊豆の国市南條・伊豆震災殉難者慰霊碑/狩野川台風殉難者慰霊碑】

  2025年9月28日。 伊豆の国市・南條にある、「伊豆震災殉難者慰霊碑/狩野川台風殉難者慰霊碑」へ行って来ました。 伊豆長岡の、狩野川に架かる千歳橋の右岸袂、下流側にあります。 千歳橋は、これまでに、何十回も渡っており、ここに石碑らしきものがあるのは知っていたのですが、何の碑なのかは、確かめていませんでした。

≪写真1≫
  石碑群ですな。 まだ、新しい感じですが、台座には、「昭和49年9月26日」と記してあり、1974年ですから、もう、51年も前です。 こんなに綺麗に維持できるものなんですねえ。 向かって左から、

・ 伊豆震災殉難者慰霊碑 (昭和5年11月26日)
・ 交通災害者慰霊碑(昭和50年5月)
・ 仏像
・ 狩野川台風殉難者慰霊碑 (昭和33年9月26日)
・ 狩野川台風50周年慰霊碑 (2008年9月)

≪写真2左≫
  台座を別にしている、「狩野川台風50周年慰霊碑」。 このオブジェは、何を表しているんでしょう? 飛行機? 波の上に、船?

≪写真2右≫
  近くで咲いていた、彼岸花。 もう、盛りは過ぎたらしく、白っぽくなっている花が、半分くらい ありました。

≪写真3≫
  伊豆長岡の、駅と温泉街を結ぶ、千歳橋。 手前のトラス構造部分は、歩行者・自転車橋です。 車道橋は、鉄骨アーチ橋で、アーチの頂上部分が、少し見えています。

≪写真4≫
  石碑群の横に停めた、EN125-2A・鋭爽。 傾斜地ですが、うっかり、下向きに進入してから、エンジンを切ってしまい、下りて方向転換するのに、一苦労しました。 傾斜地に停める場合は、上向きにしないと、サイド・スタンドが外れてしまう恐れがあるのです。

  センター・スタンド? それは、傾斜地では、上向きでも下向きでも、やめた方がいいです。 バイクが重くて、下向きだと、かけられませんし、上向きだと、外せなくなります。




  今回は、ここまで。 現・伊豆の国市の中でも、旧・韮山町を目的地にしました。 出かける間隔が一定しないのは、専ら、天気の関係です。 なるべく、週の初めに出かけるようにしているのですが、雨では、日延べせざるを得ません。 言うまでもない事ですが、合羽を着て出るなど、プチ・ツーリングの道に反します。 通勤ではないのですから、

  他に、やる事があって、なかなか、出かけられない場合もあります。 9月の下旬は、国勢調査の訪問が来るのを待っていて、強か、予定を狂わされました。 5年前は、9月16日に来たのに、今回は、9月26日と、十日も遅れたのです。 私が、どれだけ、ヤキモキさせられたか、分かっていただけるでしょうか。