2007/01/07

なるに任せよ

  アフガニスタン、イラク、パレスチナ、スーダン、ソマリアなど、いつまでたっても戦争状態が終わらない地域があります。 国連があれこれと画策して戦争を止めようとしていますが、もともと無能な組織なので、何の結果も出せないでしょう。 国連と直接の関係無しに、アメリカ単独、NATO、EU、といった単位で紛争地域に軍事介入しているケースもありますが、事態はちっとも良くなりません。

  これは、当たり前といえば当たり前で、名前だけ≪平和維持軍≫などとつけても、軍隊というのは本来、≪殺す、壊す≫を目的に作られた組織ですから、治安維持などできるはずがないのです。 たとえば、イラクに展開している米軍はじめ各国の軍隊ですが、アラビア語を喋れる兵隊は、全体の1パーセントもいないでしょう。 言葉が通じないのに、警察の真似事が出来るか出来ないか、ちょっと考えれば分かる事です。 相手が何を言っているか分からないと、どんな人間でも不信感を抱きます。 それが兵隊であれば、武器を持っているわけで、「怪しい奴は、とりあえず殺しておこう」と判断するのは自然の成り行きです。 かくして罪もない住民がザクザク殺され、治安維持軍の信用は地に落ち、「何もしていないのに殺されるのなら、むしろ殺す方に回った方が良い」という処世訓が一般化し、無法状態が現出するというわけです。

  アメリカはイラク駐留軍の数を増やすつもりらしいですが、戦死者が増えるだけでしょうな。 狙う側としては、米兵なら誰でもいいわけで、標的の数が増えればそれだけ狙い易くなるというものです。 そういえば、アフガニスタンでもEUが増派を計画しているそうですが、同じ理由で死人が増えるだけでしょう。 最近、映画で有名になった≪硫黄島の戦い≫では、米軍が安全策を取って島の面積に比べ多すぎる兵隊を上陸させた為、石を投げれば米兵に当たるという状況になってしまい、本来、装備でも戦法でも遥かに貧弱だった日本軍を逆に有利にしてしまったという例があります。 大勢いればいいというわけではないのです。

  話を戻します。 これらの国では今正に、≪戦国時代≫が進行中なわけですが、それが一つの時代であるのなら、必ず終わる時が来ます。 実力者が台頭して、他の勢力を抑え込み、治安を回復するわけです。 ただ、社会の構成員が全員納得する為には、その実力者に本当の実力がなければなりません。 たとえば、アフガニスタンのカルザイ政権ですが、国連のお墨付きを得、米欧各国の軍事支援も受けていますが、実力はどうかというと、全くお話になりません。 タリバンはもちろん、指揮下にあるはずの地方軍閥ですら、カルザイ大統領を実力者と認めていません。 国連はじめ諸外国の操り人形に過ぎないと思っています。 だから、いつまでたっても治安が回復しないのです。 イラクのマリキ政権も全く同じです。 外国の後ろ盾では、国民が納得しないのですよ。

  日本の戦国時代でたとえると、信長が天下を取る目算がほぼ付いた頃、スペイン軍が上陸し、信長を蹴散らして、明智光秀に天下を与えたようなものです。 さて、諸大名が納得するか? するわきゃないわな。 スペイン軍が怖い内は大人しくしていますが、スペイン軍が撤退すれば、即座に明智光秀なんぞ追い落として、自分が天下を取ろうと考えるのは必定。

  紛争地域の治安を回復させたかったら、国連や外国は、一切関与しないのが一番ですな。 放っておけば、その国の中で自然に実力者が出てきて、国内統一をします。 猿山のボス猿と同じで、人間社会というのは、そういう風に出来ているんですよ。 統一の過程では、当然激しい戦闘も行われますから、相当な数の死傷者がでるわけですが、それは避けられない犠牲です。 犠牲者が出るのが分かっているのに手を出さないのは、一見、無責任なようですが、実はちっとも無責任ではありません。 むしろ、手を出して混乱状態を長引かせる方がずっと無責任です。 イラクの米軍を見れば分かるように、手の引き時などいくら待ってもやって来ません。 永久に混乱が続くだけです。

  外部の介入に効果が無いという事例は、いくらでも探す事が出来ます。 国連の平和維持軍が両者の間に分け入ると、一旦紛争が収まりますが、何十年も経って、「もう、いいだろう」と国連軍が引き上げると、一時停止ボタンを戻したかのように、数十年前と全く同じ状態から紛争が再開されます。 つまり、そこの住民にしてみれば、国連軍の存在など、あってもなくても同じだったんですな。

  ≪民族自決≫という言葉は、もう随分使い古されてしまいましたが、単なる理想主義者の奇麗事ではなく、実際に有効な考え方だと思います。 もし多民族であるが故に混乱が収まらない国があるのなら、「国境変更は認めない」などと根拠も分からぬ国際原則など捨て、自然の成り行きに任せて、さっさと分かれさせてしまった方がいいです。 「民族の違いを乗り越えて、みんな仲良く」などと言っていると、死人の山を築きます。 国内で血で血を洗う民族紛争を繰り広げるより、国家分断の方が千倍マシではありませんか。 一つの民族が分裂したのなら悲劇ですが、二つの民族が二つに分かれたからといって、良くなりこそすれ悪くなる事など何もありません。 チェコとスロバキアがいい例です。

  「パレスチナは少々状況が違うだろう。 分けたがっているのはイスラエルの方で、パレスチナ人は分断壁のせいで困っているではないか」と思うでしょう。 でも、あそこは、もっと根本的な段階で外部の介入があるのです。 地勢的に言って、イスラエルの周囲は全部アラブ諸国ですから、本来なら生き残れるはずがないのです。 ところが、危なくなるとアメリカが大量の軍事援助で支えてしまうのです。 だから、いつまでたっても情勢が落ち着きません。 問題の根底には、やはり外部の介入があるわけです。 ただ、このブログで何度も言っているように、今後、世界に於けるアメリカの国力・軍事力は相対的に低下しますから、イスラエルの後ろ盾を続行するのは難しくなるでしょう。  イスラエルはそうなる前に身の振り方を考えておくべきですな。

  「世はグローバル時代だ。 地球規模でものを見るなら、外部も内部もないではないか」と思う向きもあるでしょう。 しかし、現実には、自分を≪地球市民≫だと思っている人間などほとんどいません。 隣の家とですら諍いが絶えないというのに、異民族間、国家間の紛争を抑えられると思う方がおかしいのです。 すべての国・地域が、外国の紛争に一切関与しないようにすれば、世界は驚くほど平和になるに違いありません。