2008/02/10

SFから未来を見る

  カート・ボネガットの作品を読み終わった後も、SFを読み続けています。 図書館に早川文庫のSFシリーズが読みきれないほどあるので、資源に不自由しないのです。 もっとも、依然として仕事の休み時間にしか読まないので、数は知れています。 ボネガット以降、これまでに読んだというと、

スタニスワフ・レム
≪ソラリス≫
≪無敵(砂漠の惑星)≫
≪星からの帰還≫
≪宇宙世紀ロボットの旅≫
≪エデン≫
≪天の声≫

A&B・ストルガツキー
≪風が波を消す≫
≪蟻塚の中のかぶと虫≫
≪有人島(収容所惑星)≫
≪幽霊殺人≫
≪ストーカー≫
≪世界終末十億年前≫

アーサー・C・クラーク
≪楽園の泉≫
≪宇宙のランデヴー≫

  レムはポーランド人で、≪ソラリス≫は、ソ連とアメリカで二度映画になったので、かなり有名。 ストルガツキー兄弟は、ソ連・ロシア人で、ソ連SFで世界的に最も有名な作家。 クラークはイギリス人で、≪2001年宇宙の旅≫を書いた人。 日本語に翻訳されている海外SFは、量的にはアメリカ物が圧倒的に多いですが、大体の雰囲気は映画で知っているので後回しにし、知らない世界から読み始めたという次第。 レムにせよ、ストルガツキーにせよ、鉄のカーテンと日本人の猛烈且つ蒙昧なイデオロギー差別意識を乗り越えてくるだけあって、只者ではない面白さを備えています。 ただ、日本の物でもいいから、ある程度SF小説を読み慣れていないと、分からない概念がうじゃうじゃ出て来るので、あまり人には勧めません。

  やはり、最も強烈な印象を与えるのは、レム作品ですかねえ。 ≪ソラリス≫は少々分かり難いんですが、≪無敵(砂漠の惑星)≫と≪エデン≫は、テーマが面白いだけでなく、物語の展開も優れていて、文句なしに傑作と言っていい作品です。

  ≪エデン≫は、かなり長い作品ですが、あまりにも面白すぎて、読み終わった後、「えーっ、もう終っちゃうのーっ! この倍は続けられるでしょうが!」とフラストレーションすらたまる有様。 普通、長い小説を読み終わると、「あー、やっと終ったよ」とほっとするものなんですが、逆のケースを初めて経験しました。 この小説、明らかに、構想段階ではもっと長い話だったと思うのですが、何らかの事情で、終わりの部分を早送り的に端折ってしまったんでしょうな。 長くなりすぎて、作者が飽きてしまったのかもしれません。

  ≪エデン≫は、異星文明との接触という中心テーマもさることながら、不時着して壊れてしまった宇宙ロケットを、ほんの数人しかいない乗組員達が、それぞれの専門技術を駆使して、直せる所からコツコツ直して行き、最後には、再び宇宙へ出られるように立て直してしまう過程が、大変面白いです。 最初のオートマトン(自動機械・作業ロボット)が修理なって登場してくる場面など、拍手したくなるような感動。 専門家の能力がいかに偉大かを教えてくれます。 こういう部分を細かく描写した小説も珍しいですねえ。

  ストルガツキーで最も面白いのは、≪有人島(収容所惑星)≫です。 これも異星物で、レムの≪エデン≫と同じように、異星の異文明とどう接すればいいかがテーマになっています。 明らかな圧政が行なわれていたり、文明がおかしな方向へ進んでしまって破滅が近づいていたりした場合、正す、もしくは、救う為に干渉すべきか、それとも放って置くべきかという問題。 これは、植民地主義全盛時代から、現代の国際社会情勢に至るまで、地球上の異文明・異文化接触に置き換えても成立する問題なので、大いに興味を引きます。 レムにせよ、ストルガツキーにせよ、結論は、「干渉すべきでない」という方へ傾いていますが、私もそう思います。 ≪正す≫などというのは、「自分達の文明が正しいから、それに近づけさせるべきだ」という傲慢さから出る発想ですし、≪救う≫は、実際には救う事にはならず、その文明の自律性を破壊してしまう事になります。 異文明の存在を尊重するのであれば、何の干渉もしない事以外に、取れる態度は無いのです。

  ストルガツキーは、≪有人島(収容所惑星)≫の続編として、≪蟻塚の中のかぶと虫≫と≪風が波を消す≫を書いていますが、それらの作品では、「干渉すべきでない」から、更に徹底した方向へ進み、「接触すべきでない」という所まで仄めかしています。 日本のSFでは、こういう考え方にはお目にかかった事は無く、「異星文明とであったら、接触するのは当たり前」で、その後は考えていないか、さもなくば、戦争になっています。 ちなみに、日本のSFには、当然、アニメも含まれます。 ほら、大抵、戦争になっているでしょう? 日本人って、異文明との接触というと、戦争がいの一番に出てくるんですよ。

  現在の国際社会を見ると、国連や一部の軍事強国が、圧政を強いている国をあげつらって、≪正す≫や≪救う≫を現実に実行しているわけですが、アフガニスタンやイラクが良い実例で、結果的には、その国を破壊する事にしかなりません。 国連や国際組織の場合、職員がボンクラで、自分達がやっている事が破壊行為であることに気付いていないのですが、アメリカの場合、承知の上で行なっています。 自国以外の文化に価値を認めていないのです。 ちなみに、日本の文化も破壊されている真っ最中で、もはや原形を留めていませんが、もともと野蛮・凶暴で、こうなったのも自業自得ですから、こういう場合は破壊されて良かったというべきでしょう。 放って置いたら、今でも、≪外国人皆殺し計画≫をせっせと続けていたに違いない。

  地球上では、狭すぎて、外部の影響を避けようがなので、いずれ弱小な文化は、強大なそれに呑み込まれて、全星均一のつまらなーい文化に落ち着いてしまうでしょう。 すでに、服装などは、そうなりつつあります。 世界中どこへ行っても、Tシャツ着てるもんね。 むしろ、必要なのは、違いを残す事で、その為には、接触制限をした方がいいのですが、流れから見て、実際にはそうはならないでしょう。 しかし、異星となれば話は別で、圧倒的な距離がありますから、接触前に予め、≪不干渉主義≫を決定しておけば、実行可能かもしれません。


  SFを読んでいると、人類の発展などと言っても、限界はすぐそこまで近づいているのがよく分かります。 太陽系の惑星探査が終れば、そこから先は外宇宙で、今の所、他の恒星系へ行く術は無いんですな。 結局は、太陽系の中で、ごちゃごちゃやっているしかないのです。 いずれ、何らかの高速移動技術が開発されるかもしれませんが、私や、今これを読んでいるあなた方が生きている間は、とても無理でしょう。 遠い遠い。

  クラークの≪楽園の泉≫は、地上から衛星軌道まで、宇宙エレベーターを建設する話ですが、そんな≪身近な≫設備ですら、未だに実現の目処が立っていません。 数年ほど前に、≪カーボーン・ナノ・チューブ≫という強靭な材料が開発されて、「これで宇宙エレベーターが作れる」と騒がれましたが、アホ抜かせ。 勇み足も甚だしい。 材料が地上で開発されたって、それをどうやって、衛星軌道に持って行くねん? いつ爆発するか分からない、おんぼろスペース・シャトルに積んでいくんか? 何が、「現実味を帯びて来た」だよ。 そういうセリフは、実際に一本でもチューブを張ってから言え。

  それどころか、宇宙へ出る以前に、地球環境の破壊で、絶滅しそうな雰囲気ですな。 CO2の削減よりも、もっと直接的に、人口の抑制について、国際的に目標を決めないと、血みどろの殺し合いになるのは避けられないでしょう。 昔から言われていた、≪人口爆発≫という概念は、戦争という形で具現するわけです。 一度大戦争をやればそれで済むというわけではなく、戦争で一時的に人口が減っても、終って平和になれば、戦前以上に増えますから、いずれにまた戦争になります。 大戦争を何度も繰り返している内に、核兵器の使用も当たり前になり、やがて地球は人間が住めなくなるでしょう。 「そうなる前に宇宙へ移民をすればよい」と思う人は、ガンダムの見過ぎでして、技術の発展がとても間に合わないと思います。 チンケな宇宙ステーションの建設にすら、10年以上かかかっている有様ですぜ。 コロニーなんて、何百年先になるのやら。 それに比較すると、温暖化対策としての世界戦争は、数十年の内に迫っています。 なんだか、現実的に考えると、未来は暗いねえ。


  ああ、そうそう、≪無敵(砂漠の惑星)≫などで、( )内に入っているのは、日本で翻訳者もしくは出版社がつけた邦題という奴です。 読ませてもらっていて、こんな事を言うのもなんですが、早川書房という会社、お世辞にもセンスがいいとは言えず、≪無敵≫を≪砂漠の惑星≫にしてしまったのは、およそ頓珍漢な改名です。 確かに砂漠は出て来ますが、それ自体は作品のテーマと何の関係もないのであって、わざわざ変えた意図が分かりません。 大方、フランク・ハーバートの≪デューン 砂の惑星≫と間違えて手に取って貰えると期待したのではないかと思いますが、もしそうなら、その編集者の感性たるや、俗悪・低劣極まれりという趣きですな。

  ストルガツキーの≪有人島≫を≪収容所惑星≫にしてしまったのに至っては、ソルジェニ-ツィンの≪収容所群島≫をもじっているのが見え見え。 ≪有人島≫という原題は、デフォーの≪ロビンソン・クルーソー≫に出て来る、≪無人島≫をもじった題名で、それ自体が作品内容と関係がさほど濃くないとはいえ、≪収容所惑星≫では、もっと離れてしまいます。 いくらなんでも、こんなダサい改名を翻訳者が進んでやるとは思えないので、出版社の意向なんでしょうが、≪ソ連=収容所≫という超低次元な固定観念にガチガチのグルグルに縛られた無知性編集者の馬鹿ヅラが、思わず知らず思い浮かんで来ます。 ああ、いやだいやだ。 どうして、こういう連中ばかり、うじゃらうじゃら、いるのかねえ。 だから、≪人類の叡智≫なんて、信じられないんだよ。