2008/10/05

消えた100円

  さて、アメリカの金融危機ですが、傾いた金融機関を政府が公的資金で救おうとしています。 バブル崩壊後の日本にそっくりの経過ですな。 下院で一旦否決された法案が、納税者に対する優遇措置を盛った修正を受け、上院で可決。 再提出された下院でも可決しました。 これで、74兆円などという、アゴが外れるような莫大な資金が、民間企業である金融機関にバラ撒かれる事が確実になったわけです。

  「これで、金融恐慌は当面回避された」と評価する意見が多いようですが、そんな簡単な危機ではありますまいて。 政府が不良債権を買い取ってやれば、身軽になった金融機関は生き残る事ができますが、バブル時代と同じような経営はできなくなりますから、どこもお金を使わなくなり、結局バブルが崩壊する事に変わりはありません。 バブルで膨らんでいた経済が、実体分まで縮小するわけですな。

  しかし、アメリカ政府の姿勢を見ると、バブル経済を維持するつもりで、公的資金投入政策を進めているように見えます。 「バブル崩壊さえ食い止められれば、公的資金で金融機関の不良資産を買い取っても、価値は維持され、後々売却できるから、税金の無駄遣いにはならない」と言ってますが、そんな事はありえません。 ここまで金融市場の信用が落ちてしまっているのに、バブル崩壊を止められるわけがないのです。 投入された資金は、すべてバブル処理分として、消えてしまいます。 不良資産は、バブルが復活・持続しない限り、いつまでたっても、誰が持っていても、不良資産である事に変わりは無いです。 そんな物に、自然に価値が舞い戻って来る事など、金輪際ありえません。

  以前、≪バブルの記憶≫という記事で書いたバブルの定義を引っ張り出してみましょう。

≪バブル景気というのは、製品、不動産、特定の権利などに、本来の価値以上の値段がついてしまう現象が社会全体で起こる事です。 価値の実体が存在せず、ただ人々の、「それを手にいいれば、必ず値上がりするから、もっと大きな利益を得られるはずだ」という期待が増幅する事により、値段だけが上がって行きます。 ところが、「もしかしたら、もう値上がりしないのではあるまいか?」という不安が一旦芽生え始めると、全員が早く売ろうとするので、上がっていた値段が一気に実体価値まで落ちてしまうのです。 その際、早く手放した者ほど得をし、遅くまで持っていた者ほど損をします。 社会全体の富の総量は変わらないのですが、得した者も損した者も、それ以上損をする事を恐れて、お金を使わなくなるので、社会全体の経済活動が不活発になるのです。≫

  今回のアメリカのバブル崩壊でも、こういう現象が正に今起きているわけです。 単純化して解説しますと、たとえば、消しゴムが一個あるとして、その実体価値が100円だとします。 買いたい人が一人しかいない場合、100円で売買されて終わりですが、もし大勢の人間が欲しがったとすると、オークションと同じ仕組みで、どんどん値段が上がって行きますわな。 分かり易いところで、200円まで上がったとしましょう。 さて、問題です。 この消しゴムの価値は、いくらでしょう? 200円? ブー! 100円です。 ほーれほれ、≪実体価値≫を、≪値段≫と混同している! それが、バブルに踊る人々の特徴なのです。 値段は、買い手の期待値によって変動しますが、実体価値は変わりません。 その事に全員が気付くのが、バブル崩壊なんですな。

  100円の消しゴムが、200円で取引されていた。 それが、本当は100円の価値しかない事にみんなが気付いて、手放し始めた。  さて、問題です。 いくらで売れるでしょう? さすがに、もう分かりますよね。 100円ですよ。 これが、少しずつ下がるのなら、おっとり構えていてもいいんですが、バブル崩壊では、マスメディアによって、情報が社会全体に瞬く間に広がりますから、200円が199円になり、198、197くらいまで下がってくると、次は一気に実体価値の100円まで飛んでしまいます。 早く売った人は、そんなに大きな損はしませんが、大下落するまでに売れそびれた人は、半分近い金額を失う事になります。 大損になるので、売るに売れず、抱え込んだまま、≪不良資産≫になっているという次第。

  今、アメリカ政府は、大損喰らった金融機関から、この不良資産を買い取ってやろうとしているわけです。 でもねえ、本当に、≪不良資産≫に価値が戻って来ると思いますか? もともと、何も無い所に投じられたお金なんですよ。 100円の消しゴムを、200円で売れると当て込んで出したお金です。 そして、その消しゴムが100円以上の価値は無いと、すでに全員が知っているわけです。 一体、誰が今更、200円で買おうなどと思うものですか! 損した100円分は、期待が消失した時点で消えてしまったのですよ。

  では、この消えた100円分はどこへ行ってしまったのか? どこかにあるのではないか? あるんですよ、これが。 実際に、200円のお金を出した人がいるんだから、お金が動いたのは事実であって、どこかに存在しなければおかしいわけです。 一体誰が持っているのか? それは簡単、消しゴムの値段が、まだ100円だった時に100円で買って、200円になった時に200円で売った人が、持っているのです。 「なーんだ! それじゃあ、この世から完全に消えて無くなってしまったわけじゃないんだ。 誰かが持っているなら、社会全体で見れば、差し引きゼロなんだから、いいじゃないか」と思うでしょう。 でもね、この、バブルで得をした人達は、バブル崩壊後、お金を使ったりしないのです。 バブル崩壊で損をして、お金を使おうにも使えなくなってしまった人達と同様に、財布の紐をしっかり締めて、不況に備えるわけです。 だから、誰もお金を使わなくなり、ますます不況が深刻化するというわけです。

  アメリカ政府がやろうとしている公的資金投入は、損をした人に100円分くれてやろうという政策です。 だけどねえ、「よし、損をしたら政府が穴埋めしてくれるのなら安心だ。 今まで通り、100円の消しゴムを200円で買い続けよう」なんて考える人はいませんよ。 「今回は政府が穴埋めしてくれて助かったけど、巨額の税金なんて何度も投入できるわけがないんだから、次はもう助けてくれないだろう。 これからは、100円の消しゴムを200円で買うような馬鹿な真似はやめて、堅実に暮らそう」と考えるのが普通でしょう。 実際の所、もし支援を受けた金融機関が、今までと同じように、期待値だけで膨らむような金融商品にお金を注ぎ込んでいたら、税金を負担する国民が黙っちゃいませんよ。

  投入された公的資金は、金融機関を助ける事は出来ますが、バブルを維持する事は出来ません。 金融機関の経営が健全化すればするほど、バブルは消えていくわけで、消しゴムの値段は100円に近づいていきます。 ところが、アメリカ政府は、この政策によって、消しゴムが200円であり続ける事を期待しているわけで、望んでいる事と、やっている事が食い違っているのです。 一度崩れた期待感は、戻って来たりしませんよ。 日本はバブル崩壊から、15年くらいたちましたが、まだ社会全体に大損の記憶が残っています。 世代が完全に入れ替わって、バブルの怖さを知らない人達が社会の主流になるまで、次のバブルは起こらないのです。

  もっとも、バブルは復活を待ちわびるようなものではなく、むしろ、発生しないように警戒すべきものだと思います。 景気がいいと、政府への支持率も上がるので、どの国でも、バブルを警戒しません。 人気で政治家が選ばれる民主国家では、特にその傾向が顕著です。 「景気がよければ、みんな得をするんだから、ええじゃないかええじゃないかヨイヨイヨイヨイ!」と、ドンチャン騒ぎするのです。 そういえば、日本のバブル時代にも、「高天原景気だ!」なんて、浮かれ捲っている軽薄な閣僚がいました。 景気を冷やそうなんて、微塵も考えていなかったんですな。 でも、本来なら、そんな実体から掛け離れた好景気はバブル以外に考えられないのですから、政府は、あらゆる手を使って冷やさなければならなかったのです。

  だけど、次に日本でバブルが起こったとしても、たぶん、政府は何の手も打たないと思いますよ。 だって、景気を冷やしたりしたら、国民の恨みを買っちゃうものね。 それに、政府が介入しない自由な経済活動は、資本主義の基本ですから、手を打つといっても、政府に出来る事が限られているという弱点もあります。 民主国家では、バブル景気と、その崩壊は、数十年のスパンで、必ず巡ってくると考えた方がいいのかもしれませんな。

  今のアメリカでは、金融危機の今後の展望について、政治家や経済学者が、いろんな説を開陳していますが、楽観的な見方は、全部外れると思います。 日本がそうでしたから。 バブル時代の寵児だったエコノミスト達が、毎年のように、「景気は来年には回復します」と言い続けて、10年過ぎましたからねえ。 それ以降、テレビにエコノミストという肩書きで登場する人は激減したわけです。 そりゃ、口を開く度に言う事が、片っ端から外れていたのでは、表も歩けなくなるわなあ。 経済学なんざ、本当の危機には、何の役にも立たんのですよ。