2008/09/07

ゲスコミ

  マスコミの下司化が止まりません。 止まるどころか日一日と拍車がかかっているように見えます。 あまりにも凄まじいので、かなりスレているつもりでいた私ですら、恐怖を感じている始末。 何事も一方向に永久に進んで行くという事はなく、必ずどこかに限界点があるわけですが、振れ幅が大きければ大きいほど、揺り戻しも大きくなりますから、これはもはや、破滅的な衝撃を覚悟せねば、正常化は望めないのではないかと思われます。

  若い世代の人達は、とんと知らぬ事だと思いますが、テレビ・ニュースというのは、以前は今のような内容ではありませんでした。 私の記憶にはっきり残っている間に限定しても30~35年前あたりからですが、その頃のニュースは、起こった事件を報せるだけで、いわゆる≪論評抜き≫でした。 ニュースの内容も硬い物がほとんどで、たとえば、芸能人ゴシップなんぞ、入り込む余地は全くありませんでした。 ゴシップは、週刊誌やスポーツ新聞の管轄で、テレビは、今よりもずっと、≪公器≫のイメージが強く、そんな下品なネタを流せるようなメディアではなかったのです。 NHKはもちろん、民放もです。

  それがやがて、民放の昼の時間帯で、≪ワイドショー≫というカテゴリーの番組が始まり、ゴシップ・ネタが解禁されていきます。 最近再び動きがあった、≪ロス疑惑≫などは、ワイドショー時代を代表する事件だったと言えます。 週刊誌やスポーツ新聞は、もともと通勤電車内で目のやり場が無い下司オヤジ達が読む慰み物だったのですが、そんな異端の情報が、ワイドショーを通して、お茶の間に入り込んで来み、徐々に市民権を得始めたわけです。 さあ、下司化時代の始まり始まり。

  ワイドショーが全盛期を迎えても、ニュース番組のほとんどは、依然として格調を保ったまま、20世紀を生き延びます。 「こんなネタをニュースで流せるわけないだろう。 ワイドショーへ持ってけ」といった選り分けが利いていたわけですな。 ところが、今世紀に入って、ある時点を境目に明らかな変質を起こします。 放送局の顔であるニュース番組が、何の臆面もなく、ワイドショー・ネタを扱うようになったのです。

  現在、30歳以下という人は、「ニュースで、芸能人ゴシップが流れるのは当たり前」と感じていると思いますが、実はこれは、ほんのごく最近始まった習慣です。 以前は、芸能人がニュース・ネタになるのは、暴行事件を起こしただの、覚醒剤に手を出しただのと、犯罪に手を染めた時だけでした。 たとえば、「横綱が治療目的で本国へ帰ったのに、サッカーをしていた」といったネタがニュースになるなど、およそ考えられませんでした。 笑っちゃうよね。 朝青龍関の方がじゃないよ。 そんな下らない事を、さも重大事のように報道するマスコミの方がさ。

  芸能人が結婚しただの、離婚しただの、そういったニュースは昔もないではなかったですが、よほどの有名人でなければ、ニュース番組で取り上げられる事はありませんでした。 今では、何者なのか分からないような人物の私生活までニュースにされています。 また、取材される方も、さほどの知名度でも無いくせに、まるで大スター気取り。 そんなだから、テレビ番組の出演者が、馬鹿だらけになってしまうんですよ。

  事故の報道も凄いですね。 ちょっと前、地方空港で、前輪が出ない旅客機が胴体着陸した事がありましたが、あれ以降、「飛行機がトラブルで、緊急着陸する」などという情報が入ると、マスコミがカメラを抱えて、空港へ急行するようになりました。 無事に着陸できるように心配してではありません。 当り前やがな。 無事に着陸したら、ニュースにならんものね。 落ちて欲しいんですよ。 着陸に失敗して、大事故を起こして欲しくて欲しくて、もういてもたってもいられないのです。 「無事に着陸できて、本当に良かったです」なんて、どの口から、そういう嘘が出て来るかな? おまえら、大惨事を撮りに来たんだろうが。 大スクープになると思って、期待に胸膨らませ、肩震わせてたんだろうが。

  「マスコミが変わった」と感じている人は多いと思いますが、そのターニング・ポイントがどこだったかについては、人によって見方が違うかも知れませんな。 私の見方では、≪日朝首脳会談≫が節目だったと思っています。 それ以前の日本のマスコミは、特定の外国を攻撃する事はタブーにしていました。 ソ連だけは若干扱いが違って、ソ連関係のニュースというと常にケンケン尖がった報道をしていましたが、それ以外の国に対しては、良い部分だけ報じるか、何も報じないかのどちらかでした。 悪い部分をほじくり出して伝えるなど、公器であるテレビのやる事ではなかったのです。 ちなみに、ワイドショーですら、外国を罵るようなネタは避けていました。 どこかから圧力がかかっていたというわけではなく、自発的に、品性を保っていたのでしょう。

  その品性のストッパーが、≪日朝首脳会談≫で拉致事件が事実であった事が分かった途端、パチンと外れたらしいのです。 テレビのニュース番組の関係者は、「この世の中には、どんなに罵っても構わない外国があるらしい」と感じたんでしょうな。 それ以降、爆発的に流行した朝鮮罵倒報道は、記憶に新しいので、誰でも覚えているでしょう。 わざわざ、その為だけに、番組を立ち上げた局もあったほどです。 ただ、同じマスコミでも、新聞はこの流行に乗ろうとせず、テレビが騒げば騒ぐほど、朝鮮関係の報道を控えていました。 昔から、「テレビ・ニュースなんぞ、報道の内に入らない」と見下して来た新聞人の矜持から、岡目八目を利かせていたんでしょう。

  朝鮮罵倒番組は、流行としては異例に長かったと思いますが、もともと情報が少ないですから、中身が稀薄になるのは避けられず、みるみる劣化して、どこから拾って来たか分からないようなネタを糞真面目に喋っているキャスターの方が狂人に見えて来るという、報道番組としては最悪の状態まで落ち込み、やがて潮が引くように消えていきました。 だから、物事には必ず、揺り返しがあるんですよ。 イケイケでどこまでも押せると思ったら大間違い。

  ところが、この朝鮮罵倒ブーム、恐ろしい皮を残して行きました。 それまで、「品性に欠ける」として控えていた外国批判のタブーも解いてしまったのです。 ご存知の通り、朝鮮の次に槍玉に上がったのが、中国です。 これは、現在も真っ盛りで続いていますから、いちいち説明しなくても肌で感じ取れるでしょう。 これまた、現在20歳以下の人は、「昔からこんなものだった」と思っているかもしれませんが、とんでもない思い違いでして、日中関係は、国交正常化以来、互恵状態が続いて来て、ほんの5年くらい前までは、日本人が中国を罵るなど、ありえない話でした。

  前にも書きましたが、国というのは、人口規模に関わらず、非常に多様な存在であって、良い面もあれば、悪い面もあります。 良い面に着目すれば、良い報道になりますし、悪い面だけに目を向ければ、いくらでも悪いニュースを流す事が出来ます。 以前の日本のマスコミは、中国を良心的に報道していましたが、現在は、それがそっくり裏返った状態になっています。

  北京五輪に関連した中国罵倒報道は凄まじいの一語に尽きました。 最も典型的だったのは、≪北京・大気汚染説≫です。 テレビも新聞も、「北京の空気は汚れている!」と、どれだけ騒いだか分かりません。 学者まで登場し、「マスクをした方が良いでしょう」などと、真顔で解説していたのをはっきり覚えています。 わざわざ、マスクの種類まで指定して…。 で、オリンピックの期間中、マスクをしていた人間がいたかというと、私が見た限りでは、一人も確認できませんでした。 選手はもちろん、観客も、当のマスコミ関係者も、ただの一人もマスクなんぞしていませんでした。 まあ、当り前って言や、当り前だよねえ。 周りの市民は何でもなく普通に呼吸して暮らしているのに、マスクなんかしてたら、キチガイにしか見えませんからねえ。 あの学者、一体何者だったんでしょう? 最近は、大学も胡散臭いところがうようよ増えて、テレビに映る為なら、ディレクターの望み通りの事をセリフのように喋る学者も多いですから、そんな輩の一人だったんでしょうなあ。

  そういえば、フランスで提唱された、≪人権バッジ≫というのもありましたが、ありゃ、どうなったんでしょうねえ? 開会式の入場の時に、フランス選手団の服をしげしげ見ていたんですが、何もつけていませんでした。 期間中も、一度も見ず。 まあ、選手は競技をしに来ているのであって、政治活動に来ているのではないから、当り前って言や、当り前ですがね。 五輪の華やかな舞台を楽しみたいのに、そんな、開催国に喧嘩を売るようなバッジをつけていたら、楽しみようがないものねえ。 大仰な発表会まで催して、「≪人権バッジ≫をつけよう」と提案していたあの人物、当然の事ながら、五輪の放送は一切見なかったんだろうねえ。 せめて、発案者一人くらいは、抵抗を続けないとカッコつかないもんな。

  そういえば、善光寺の坊主ども、あいつらも、五輪放送は一切見なかったんだろうねえ。 あれだけ大々的に開催国を批判しておいて、「中継は見ます」なんて、図々しいものねえ。 他にも、チベット騒乱絡みで、チベットのチの字も知らんくせに、ブームに乗って中国批判を繰り広げていた連中、おまえらも、五輪放送は、きっちり見なかったんだろうな。 開催そのものに反対していたんだから、見る資格が無いのは、分かるよな、いくら馬鹿でも。

  開会式のショー演出につけたケチも凄かったねえ。 「花火がCG」だの、「女の子が口パク」だの、「少数民族衣装の子供が漢族」だの・・・・だから、どうだって言うんだよ? あのなあ、ショーというのは、最初から全部作り物だ。 だから、ショーなんだ。 おまえらの言い分に従うと、すべてリアルのドキュメンタリーでなければいけないわけだな。 すると何か、聖火点灯の時、李寧さんが、ワイヤーで吊るされて、宙を走って見せたが、あれも、本当に飛ばなければいけなかったわけだな。 分かってるか? おまえらの言っている事はそういう事だぞ。 そうかそうか、すると、あの寒々しい長野冬季五輪の開会式の時に、聖火点灯したのは、本物の天照大神だったわけだ。 そりゃあ、知らなかった。 へへえ、ありがたや、ありがたや…。

  このイチャモン、日本発ではなく、イギリス辺りから出て来たらしいですが、言い出した奴らの動機は、いとも容易に想像できます。 開会式があまりにも華やかで芸術的だったので、猛烈な焦り、妬み、嫉みの感情に襲われたのでしょう。 「こんな物はとても真似できない!」と思った瞬間、「素晴らしい」と絶賛するのが悔しくて、「どうにかして、ケチがつけられないものだろうか?」と、下司方向に思考がスイッチしたんでしょう。 中学生なんかに、よくいますよねえ。 普段気にも掛けていなかったクラスメートが、美術の時間にぎょっとするような高度な作品を描いているのを見て、ショックを受け、周りがみんな誉めそやしているのに、必死になって粗探しに精を出す醜い奴が。 更にエスカレートして、「こう描けよ」とか言って、勝手に筆を入れ、人の傑作をグジャグジャにしてしまうような、キチガイ小僧も稀にあり。 それだよ、その同類。 骨の髄まで下司ならでは、到底出来ぬ仕業ですな。

  まあ、今回の北京五輪ほど、マスコミの下司ぶりがあからさまに発揮された事は、過去に無かったですな。 しかも、テレビだけでなく、新聞まで、ほぼ同じ報道をしていました。 Oh,God !! とうとう、一般の新聞までがワイドショー化してしまったのです。 いや、新聞の場合、週刊誌化したというべきか。 実際の所、現在の全国紙の中国に関する報道内容は、週刊誌のそれと、ほとんど変わりません。 当人達は、「事実を伝えている」と言うでしょうが、正確には、「悪い部分を、更に悪く脚色して伝えている」と言うべきでしょう。 問題は、本来、国を代表する知識人であらねばならない新聞人が、その違いを見分けられず、下劣な記事を書いて恥かしいとも思っていない、その点なのです。

  最近の新聞を見ると、同じ新聞の中なのに、記者によってまるっきり正反対の意見が載っていたりして、読者側としては、どれがその新聞の意見なのか分からず、戸惑う事が多いです。 署名記事が増えたので、記者個人の意見を書いているようにも思えますが、「では、統一した≪社説≫は存在しないのか?」と問われたら、何と答えるんでしょう? 署名記事が、本来の目的である、記者に責任感を持たせる方向に働かず、新聞のブログ化を引き起こしてしまっているのは、弊害としか言えませんな。 ブログなんていうのは、アホでも書けるのであって、何も知識人を雇って書かせる必要は無いわけだ。

  ああ、これは言っていいのかどうかわかりませんが、最近の日本の新聞人は、知識人としてのレベルが落ちていますなあ。 どっぷり文系だから、科学技術が分からんのは致し方ないとして、分からない事を分かるフリをするのはいかんで。 また、国際政治の基礎を知らないどころの話ではなく、外国に差別意識を抱いているような人間を特派員に送り出すのもいかがなものかと思うねえ。 特派員が書いたコラムを読むと、そやつの知能レベルがすぐに分かります。 戦場取材から、爆弾を土産に持って帰るカメラマンと同レベルの記者がうようよいるのは、恐怖の一語。

  記者を雇う前に、その人物が書いたブログを読んで、頭の程を覗った方が良いでしょう。 記者を志すくらいなら、当然、学生時代から、ブログ記事の百や二百は書いているでしょうから。 特に、差別意識がある人間は、採用してから直すというわけに行かず、クビにするまで、ずっと差別記事を書き続けますから、要注意ですな。 全国紙がしゃあしゃあと差別記事を載せてたんじゃ、その国はもうおしまいだぜ。


  おっと、何だか、余談が余談を呼んで、テーマを見失ってしまいましたな。 そうそう、下司だよ、下司。 でねえ、このマスコミの下司化ですが、日本だけじゃないんですな。 基本的に、民主主義で、報道の自由が保証されていて、しかも実際に報道の自由が存在する国では、軒並み、同様の下司化が起こっています。

  アメリカのマスコミが、ブッシュ政権のイラク侵略を全面的に応援したのは、記憶に新しい所。 面白いですねえ。 報道の自由があるのに、あれだけ大きな国で、侵略戦争に反対したのは、確か、ラジオ局が一局だけだったんじゃないですかね? 後は、全部賛成。 イケイケ・ヤレヤレですわ。 そんで、当初の目論見が外れ、イラク統治が行き詰ったら、今度は、最初から反対していたような顔をして、イラクからの撤退を主張しているんですな。 当人達は、「状況が変わったからだ」と言うでしょうが、そんじゃ、おまえら、状況が変われば、嘘でも法螺でも何でも言うのか? そういう人間になりなさいと、親に教わったか? 偉い親だな。 せいぜい自分の子供にも、その下司な処世訓を伝授するんだな。

  アメリカだけじゃないです。 ≪ボーリング・フォー・コロンバイン≫で、品位あるマスコミのお手本のように持ち上げられたカナダ・マスコミですが、北京五輪の前半は凄かったですぜ。 カナダは、大会の前半は一つのメダルも取れずに折り返したんですが、そのせいか、前半一週間の五輪報道は、例の開会式ショーへの難癖や、人権問題批判など、中国への悪口で埋っていました。 大した品位だよ、カナダのマスコミ。 カナダ人は、国土の広さ、人口規模、人種構成、文化系統といった要因から、ほぼ同じサイズのオーストラリアに、密かな競争心を抱いていますが、そのオーストラリアが馬鹿須賀メダルを取っているのに、自分の国がゼロだったのが、よっぽど、いけ好かなかったのかも知れませんな。 だけどよー、開催国を扱き下ろしたって、メダルは手に入らないぜ。


  以前、≪フラワー・ロック≫というオモチャがありました。 声や音に反応して、揺れる造花です。 報道の自由下にあるマスコミは、そのフラワー・ロックに似ていると思います。 自分達に独自の意見があるわけではないのです。 聞こえてくる声に反応して、その声の主が喜びそうなネタを探し、それを更に受けがいいように脚色して伝えているだけなのだと思います。

  では、声の主とは、誰か? 政府? いや、違います。 たとえば、戦前・戦中の日本のマスコミは政府の御用機関化していましたが、かれらには、報道の自由はありませんでした。 現在の日本のマスコミが奉仕しているのは、お上ではなく、民衆の方です。 たとえば、朝鮮との国交正常化を阻害している拉致問題ですが、当初、日本政府は、朝鮮政府と政府間で話し合って解決してしまおうと考えていました。 ところが、日朝首脳会談の結果、拉致事件が事実であった事が、日本国内に知れ渡ると、それまで見向きもしなかった民衆が、拉致被害者家族の側に回り、選挙を恐れる日本政府は独断で政治決着できなくなってしまいました。

  では、民衆側には、問題解決の為の筋道だった考えがあったかというと、一億二千万人がてんでばらばらに考えている事ですから、そんな統一方針があるわけがなく、「解決しなくてもいいから、朝鮮を罵倒し続けたい」、いや、「朝鮮を罵倒し続ける為に、むしろ解決などしてもらっては困る」という、下司の発想に落ち込んでしまいました。 火事場に集まった野次馬が、「燃えろ燃えろ。 早く隣の家に燃え移れ」と、口には出さないが胸躍らせている、あの下司嗜好と同類です。

  現在、ありとあらゆる面で、マスコミの下司化は加速の一途を辿っていますが、それを望んでいるのは、取りも直さず、下司な民衆なのです。 下司マスコミは、下司民衆が喜びそうな下司ネタをせっせと集め、下司ソースをかけて味を濃くし、下司パーティーを盛り上げる事に余念がありません。 テレビは、視聴率の為に、下司民衆に媚び、新聞は減り続ける部数に歯止めをかけるために、今まで相手にしてこなかった、低劣な読者に受けようと、≪報道の魂≫を切り売りしています。 ネットは、もともと下司です。 いずれも、下司報道を長く続けていると、感覚が麻痺してきて、それが普通だと思い始め、自分達が前代未聞の下司野郎に堕している事に気付きません。

  朝目覚めると、テレビをつけ、パソコンを起こし、新聞を開いて、何か新しいニュースがないかと、目を皿のようにして調べる。 そんな人がほとんどでしょう。 ところが、マスコミを通して得ているそれらの情報は、下司度の高さを基準にして選択され、脚色されたものばかりです。 「なんで、こんなに殺伐としたニュースばかりなのだ? 日本人は、犯罪者と変質者と詐欺師だけで構成されているのか? 外国とは全て悪魔が住んでいる場所なのか? タレントとは、馬鹿・無能という意味だったのか? スポーツ選手はみんな薬物中毒か?」 そんなわけないでしょ。 そんな世の中だったら、とっくに戦国時代になってるよ。 悪い部分だけ増幅して報じているから、悪い世の中としか思えなくなってしまっているだけです。

  中国政府やロシア政府は、時々、「旧西側マスコミの報道姿勢はおかしい」と批判していますが、下司民衆に媚びているのが実態ですから、報道関係者に良識とバランス感覚が要求される国から見れば、おかしいのは当然です。 下司の方は、自分が下司だとは思っていないので、「おかしいのは、報道規制がある国の方だ」と言い返していますが、はたから見て、どちらが品性が高いかと言えば、それは、統制マスコミの方でしょう。 自由マスコミは、自由と放埓の区別がつかぬまま、下司地獄へ限り無く転落していきます。

  傾向というのは、必ず、どこかで止まります。 しかし、それまでに何十年かかるか分かりません。 自由マスコミの歴史が日本より遥かに長いアメリカですら、まだ振り子が振り切っていないのですから、今後百年以上続く事も充分に考えられます。 凄いね、これから百年も、毎朝毎朝、下司が集めた下品で殺伐としたニュースを聞かされ続けるわけだ。 耐えられるかね? 私は、適当な所で遁世し、見ざる言わざる聞かざるの世界に入るつもりでいますが。

  ちなみに、テレビに関してですが、ニュースや報道番組が下司化しているのは、専らキー局です。 地方局では、今でも、節度ある番組作りをしていて、キー局が流して来る全国ニュースの、下司ネタ部分をカットし、そこにマイルドな地方ニュースを入れています。 ニュース番組の中で、万引き犯を吊るし上げる映像など、金輪際流れません。 一体、どういうつもりで、あんなもの流しているのかね、キー局っていうのは? やはり、民衆が見たがるからかね? 公開処刑か? 関東圏に住んでいて、キー局しか見れない人は、大変気の毒です。 下司ニュースを見続ける限り、心の荒廃は避けられますまい。 本来、心を豊かにする為に発明されたテレビなのに、多くの人間を不幸にしているのは、皮肉な話ですな。