2008/08/03

小石前

  何でも、後期高齢者の方々は、≪後期高齢者医療制度≫のみならず、≪後期高齢者≫という呼び方そのものが気に入らないらしいですな。 当人達が望まない呼称を他者が使い続けるのは言葉の暴力以外の何物でもないので、ここは一つ、もっと適当な呼び名を考えましょう。

 ≪死に損ない≫ なんてえのは、どうですかね? 

  いえね、至って素朴、且つ正直な感想として、人生75年も生きれば、もう充分だと思うのですが、一体いつまで生きるつもりでいるのかなと思いましてね。

  75年どころか、人生なんて、60歳以降は、もう余生でしょうに。 生物全般に共通する基本的摂理として、子供がひとり立ちすれば、もはや生きている理由は無いんですよ。 鮭や鮎などは、産卵の後は自然に死んでしまいますし、ミミズに至っては、わざわざ灼熱の路上に身を晒して、自殺に近いような死に方をします。 次の世代が生き易くする為に、老成体が自然に死ぬように遺伝情報が組み込まれているのでしょう。

  それに比べて、人間のしぶといことよ。

「子供が一人前になるまでは死ねない」
「娘の花嫁姿を見るまでは死ねない」
「孫の顔を見るまでは死ねない」
「孫が小学校に上がるまでは死ねない」
「孫が結婚するまでは死ねない」
「ひ孫が生まれるまでは・・・・」

  ええ加減にしなさい。 いつ死ぬんじゃ、おのれらは?

  そもそも、≪悠々自適≫なんて言葉があるのがいけません。 そんなの幻想でんがな。 仕事を辞めてしまえば、人間もはや、やるべき事などありはしません。 年寄りが、必死に趣味にしがみついている様子の醜いことよ、不様なことよ! 趣味というのは、楽しむ為にやるものですが、年寄りの趣味は、やる事が無いので、時間をつぶす為に無理やりやっているのがアリアリ分かります。

 「体力の衰えを防ぐ為に、毎朝散歩をしよう」などというアイデアは、引退を前にすれば、どんな人間でも思いつくことですが、あれもどうかと思いますねえ。 まず、続かないですな。 人間て、どんなに閑であっても、やる必要の無い事を延々と続ける事はできないものです。 仕事をやめた途端に、体調を崩して、あれよあれよという間に死に至る男性は非常に多いですが、あれは、引退前に考えていた体力維持計画を実行できず、喰って寝るばかりの生活に陥るのが原因と思われます。

  一方、体力維持計画にのめり込みすぎて、命を落す人もいます。 「毎日ジョギング三時間!」とか、「高尾山に一日一回登る!」とか、そういうバイタリティー横溢したオッサン達ですが、気力ばかり漲っても、体がついて来ません。 とりわけ、長年酷使されて来た血管が…。 ジョギングを日課にしていて、土砂降りの日でも、灼熱地獄のような酷暑の日でも、欠かさず走っている人が、ある日突然、帰って来なくなる時が来ます。 出先で血管が切れて、野垂れ死にしているのです。 まったく、迷惑な話だぜ。 てめえの汗みずくでヌルヌルした臭え死体を誰が片付けると思ってんだよ。

  でもね、この人達は、早く死ぬから、まだいいんですよ。 本当に厄介なのは、死なない年寄りなんだわ。 まあ、誰だって早く死にたいとは思っていないですから、長寿そのものが悪いとは言いません。 だけどね、どんな事にでも、やはり限度という物があると思うのですよ。 周囲から、≪物体扱い≫や、≪飼うのに飽きたペット扱い≫を受けるようになったら、もう生きていても、詮無いでしょうに。

  これといった病気も無く、自分で自分の身の周りの始末が出来て、独りでも、夫婦一組でも、とにかく、自活できている間は、「早く死ね」などと言われる筋合いはありませんわな。 他者に迷惑を掛けていないんだから、堂々と暮らしていられます。 ところが、現実には、そういう人達ばかりなわけはなく、世間様におんぶにだっこで暮らしている年寄りが多いんだわ。

  将来、破綻が目に見えている年金制度ですが、あの制度を立ち上げた時には、まさか、平均寿命がこんなに延びるとは、思ってもいなかったわけですよ。 受給者が減れば減るほど、年金資金の運転にゆとりが出ますから、年寄りがどんどん死ぬ事を前提にして算盤弾いていたんですな。 破綻の原因ですが、少子化で納付者が減る事よりも、受給者が増えている事の方が遥かに重大です。 納める人間は減る、貰う人間は増える、これでどうやって帳尻合わせろって言うのよ?

  年金より更に切迫しているのが健康保険制度ですな。 大概の年寄りは、どこかしら体が悪く、通院を日課にしています。 老人の保険料が無料だった時代には、病院の待合室が年寄りの溜まり場になってしまい、

「今日は、○○さんが来ていないね」
「病気なんじゃないか?」

  などという、グロテスクなジョークとしか思えない会話が実際に交わされていたらしいです。 単に溜まり場にするだけならまだいいんですが、来れば何らかの治療を受け、その代金が健康保険から支払われるのですから、納める方がいくら納めたって足りゃしません。 全く、そんな年寄りは、泥棒と同じなんだから、逮捕してやればよかったんですよ。 今は老人でも、負担割合がありますから、さすがにそういう極端な状態は解消されたものの、本当に病気の老人もやはり無数にいるわけでして、健康保険制度を食い潰し続けているわけです。

  年寄りに限らず、若い世代も同様ですが、今の日本人というのは、「医療は受けられて当然」という認識を持っています。 「病名が分かっていて、治療法があれば、確実に治して貰えるものだ」と思い込んでいるんですな。 病気や怪我が不特定要因を多く含んでいて、治らない場合もある、助からない場合もあるという事が理解できていません。 だから、出産で赤ん坊が死んだりすると、「医療ミスだ!」と言って、すぐに裁判沙汰に持ち込み、病院から金を毟る事をライフワークに掲げ、結果的に産婦人科の医師を激減に追い込んだりしているわけです。 実際には、死産は、ちっとも珍しい現象ではないんですが。

  ちょっと話がずれましたが、つまりその、治らない病気もあるという事が分かっていないと言うのですよ。 だから、死を受け入れようなんて考えは、これっぽっちも念頭に浮かばず、病院に通い詰め、医師に頼りきる老人ばかり増えます。 また、家族も、病院に任せておきさえすれば悪い結果にはならないと考えて、当人が嫌がっても、治療を受けさせる始末。 これじゃあ、健康保険制度なんて、維持できるはずがありませんわなあ。

  後期高齢者医療制度が登場した時、保険料を天引きされた後期高齢者達が、テレビのインタビューに憮然とした面持ちで、「つまり、早く死ねって事ですかね」などと答えていました。 当人は、精一杯皮肉を利かせて、政府をあてこすったつもりなんでしょうが、とんだ思い違いをしているというべきでしょう。 冗談でも何でもなく、政府は、年寄りに早く死んで欲しいのです。 年寄りが死んでくれないと、健康保険制度が崩壊してしまうのです。 保険料の自己負担が増えれば、よほど重大な病気でもない限り、病院へ行かなくなりますから、そこに期待をかけているわけです。


  年金や医療制度の事はさておくとしても、年寄りの比率が増えてくると、社会の随所で、≪老害≫が猛威を振るい始めます。 金は出さんくせに、口は出すんだわ。 新聞の読者欄を読むと、投稿者の半分くらいが、60歳以上です。 60代でも結構な年寄りだと思いますが、70代、80代も珍しくありません。 そういう年齢の人達が、「○○はけしからん!」とか、「○○は是非とも、こうすべきだ!」とか、握り拳を振り回して、社会問題を熱く熱く語っているわけです。 しかしねえ、一体いつまで、そんな脂ぎった事考えてるのよ? もう死ぬまでに何年も残ってないのに、社会がどうのこうのなんて言ったって、しょうがないでしょうが。 ぶっちゃけて言わせて貰えば、日本の将来も、世界の未来も、あんた達には、もう無関係の事だよ。 一体、何歳まで生きるつもりでいるのだ? 自分が死ぬ事について、考えた事が一度も無いのか?

  昔は、≪亀の甲より年の功≫などといって、年寄りの意見は割と大事にされたわけですが、今はもう完全に死概念です。 年寄りの知識・経験が役に立ったのは、半世紀くらい前までの話で、変化が激しくなった現代では、もはや時代遅れの戯言にしか聞こえなくなりました。 また、現代の年寄りというのは、長生きのし過ぎで、ボケが入っている者が多く、判断力以前に認識力が衰えており、参考になるどころの話ではありません。 「この馬鹿が。 何を言ってやがる」と呆れ返るような事ばかり言い出します。

  ≪団塊の世代≫の退職が迫っていて、「職場から熟練者が消え、ものづくりの伝承が危ぶまれる」なんて指摘されていますが、現場を知らないにも程があります。 生産でも開発でも、ものづくりの現場では、30代後半までが主力なのであって、40代ではもう、体力的・知識的に一人前の仕事がこなせなくなります。 50代で職場のお荷物になり、60代ともなれば、もはや、≪会社の寄生虫≫と化します。 仕事なんぞほとんどできず、遊んでいる時間の方が遥かに多いのに、給料だけはがっぽり持って行くので、会社にとってはマイナス価値しかない存在となるのです。 それでいて、口だけは偉そうな事を言うんだわ。 「俺が入社した頃は、こうだった」とか、昔話、自慢話ばっかり。 若い人間に食わせてもらっている分際で、何を威張ってやがる。 恥を知れ!

  出世組も同じです。 そこそこの役職まで上がって行った、≪中間管理職≫と呼ばれる連中ですが、彼らを観察すると、仕事をしていない人間が大変多い。 社屋や工場の中を、ポケットに手を突っ込んでうろうろ歩いているだけの輩が、会社に何かしら利益を齎していると考える方が不自然というものでしょう。 何もやる事が無いから、身の置き場が無く、彷徨しているだけなのです。 大体、どの職場でも、実際に働いているのは、ヒラと、その一段上、つまり係長クラスまでであって、課長以上、副社長以下までは、いてもいなくてもいいような存在です。

  日本の会社のシステムでは、一旦、中間管理職になると、ごまかしようの無い大失敗でもしでかさない限り、その地位から落ちる事はありませんから、社内に、≪○○補佐≫だの、≪××室長≫などという正体不明の肩書きを持つ年寄りがうようよ生息しているという事態が発生します。 一つの課なのに、課長が三人もいるなどという、奇怪な職場も珍しくありません。 当人達も、自分が何もしていない事を他人から批難されるのが怖いので、普段は目立たない所に潜り込んで、お茶など飲んで過ごしていますが、健康診断の時になると、どっと湧いて出て、「こんなに大量の年寄りがいたのか!」と若い世代を驚かせます。  

  それでいて、会社の給料の半分以上を持って行くのが、この中間管理職だから、頭に来る。 「ボーナスの平均金額は75万円です」などと言われる際に、平均以上の金額を貰っているのが、この連中でして、つまり、いてもいなくてもいいような奴らに、必要な人間よりも多くの金額を払っているわけです。 もう滅茶苦茶。 営利団体のやる事とは到底思えない。 寄生虫はクビにすればいいんですが、人事担当部門が、また無能な人間の集まりでして、誰が働いていて、誰が寄生虫か見分けられないもので、わざわざ有能な社員をリストラして、ご丁寧に寄生虫の方を残したりします。

  そういえば、テレビ・ドラマの会社物などを見ていると、人事部の人間が出て来て、他部署の社員の面倒を見てやる場面などがありますが、あれには笑ってしまいますな。 実際の会社では、他部署の人間が、人事の者と会う機会は、ほとんどありません。 私も会社員ですが、最後に人事の人間と会ったのは、正式採用の面接の時で、もう20年も前の話です。 人事部門が普段どんな仕事をしているのか、全然知りません。 新入社員の試験や面接などは人事の仕事だと思いますが、暴走族かヤクザか分からんような人間を平気で雇い入れている所を見ると、為人を見抜く能力など、全く無いのでしょう。


  おっと、だいぶ脱線しました。 年寄りの話でしたな。 でねー、別に、年寄りに、「早く死ね」と言っているわけではないのですよ。 「少し、黙って、自分を見つめ直したらどうか」と薦めたいわけです。 人生には、社会と密接に関わらざるを得ない時期もあれば、逆に、社会と距離を置くべき時期もあります。 「第二の人生」などという、薄っぺらい言葉に踊らされて、老いさらばえた体で若者ぶって、醜態を晒すなど、あまりにも不様だとは思いませんか?

  人間として、生物として、地上に形を成していられる時間には、最初から限りがあるのです。 いつか死ぬのは、生まれる前から決まっている事なのです。 ところが、今の老人達を見ると、「自分の命は本来無限にあり、死は偶然訪れる事故に過ぎない」と捉えているような趣きがあります。 だから、いつまでも、死の準備をするつもりにならず、「世間に物申す」をやめられないのです。

  いいですか、あなた方、もうすぐ死ぬのです。 バラバラになって、元素に戻り、土壌に還るか、他の生物の一部になるか、いずれにせよ、そうなったらもう、生物としてのあなたは存在しなくなるのです。 小石にでもなると思えば宜しい。 小石が、人間社会に物申しますか? 物申して、何か意味がありますか? 間もなく小石になるあなたがすべき事は、人間社会を変える事ではありますまい。 そういう事は若い時にやる事です。 人間社会の事は、もう放って置きなさい。 温暖化で生態環境が激変しようが、核戦争で地上が焼き払われようが、小石の知った事ではありません。 あなた方が心配すべきなのは、無事に人生を終えて、円滑に小石になる為の、身の周りの始末だけです。

  いや、仏教的に考えれば、どんな惨めな死に方であっても、苦しいのは生きている間だけで、死ねばすべてチャラですから、気楽に構えていれば良いのです。 ホームレスになって、キチガイ中学生に蹴り殺されるような死に方をしても、死んだ後の事は心配する必要はありません。 結局の所、ゴールは同じ、小石になるだけなのですからね。

  大きな仕事をして、死後に美名を残そうなどという欲望も、大っ変醜い。 また、無意味だ。 残るのは名前だけであって、あなたの存在が残るわけではないです。 ニュートンやアインシュタインは偉大ですが、その業績と名前を知っている人でも、彼らがどんな人物だったのかを詳しく知る事はありません。 そんな事は、当人か、一緒に暮らしていた人しか知り得ないのです。 歴史上の人物は、全員同様です。 自分の事を全然知らない後世の人間に、誤解80%で高く評価されても、何の価値やあらむ。 まったく、馬鹿馬鹿しい。

  人間は、生物である限り、死からは逃れられません。 また、よくしたもので、時間がたてば、周囲から死んでちょうどいいと思われるくらいに、醜く衰えていくものなのです。 毎日、鏡を見なさい。 皺やシミの数を数えなさい。 禿げや白髪を隠そうとするのはおやめなさい。 他人に隠しても、あなたは真実を知っているのだから、生命の終わりが近づいている事を否定できないではありませんか。 アンチ・エイジング? 馬鹿か? そんな足掻きが、無限に続けられない事くらい、分かっているだろうに。 蒙昧な事にかまけて、死ぬ為の心の準備を疎かにしていたら、突如訪れる死に、どう対処するのよ? そちらを心配すべきでしょう。