2008/06/15

環境闘争

  6月7日(土)にNHKで放送された、≪SAVE THE FUTURE 日本のこれから≫という番組を見ました。 討論番組など気分が悪くなるだけなので普段は見ないのですが、何が面白いのかさっぱり分からないバレー中継のせいで、≪IQサプリ≫が休みだったので、仕方なく見た次第。

  ≪日本のこれから≫と副題をつけているのに、中国とアメリカの市民を参加させるなど、少々ピントがズレた企画だった点は大目に見るとしても、日本人の議論の欠点がモロ出しで、多数決で結論を決めるでもなく、妥協点を探るわけでもなく、ただそれぞれの言いたい事を言い合うだけの低次元な≪発表会≫だったのは、予想していた事とはいえ、やはり残念な印象を受けざるを得ませんでした。

  こういう席に出てくる人というのは、「自分は環境問題や温暖化対策について、日頃から真剣に考え、実践もしている」と自負していて、恐ろしさを感じるほど強い言葉で主張を繰り広げますが、自分が努力しているから、他人にも同じ努力を強要するというのは、全体主義の発想でして、そんな事をテレビで公然と口にして世論をアジるのは、危険人物以外の何者でもありません。 当人達は、自分の事を、≪正義の味方≫と見做しているわけですが、実際は、≪悪の化身≫の方なんですな。 問題は、彼らが、自分の正体に一生気付かないということで。

  「勿体ない」にしてからが少々胡散臭い言葉でしたが、「バチが当たる」などという言葉まで出て来ると、「欲しがりません、勝つまでは」が登場するのも時間の問題かと思われます。 この種のスローガンが幅を利かせ始めるようでは、社会の閉塞化が進みつつあると見るべきでしょう。 ≪自国の責任≫を、≪全人類の責任≫にすり替え、本来、先行排出国・先行浪費国として糾弾される側なのに、ヌケヌケと攻撃側に回るなど、卑怯この下無いですが、全体主義者の考え方というのは、時代を問わず、似たり寄ったりですな。

  歴史が教えてくれるのは、全体主義者のいう事を聞いて、良い結果になった事は、一度も無かったという事です。 こいつらねえ、思い込みが極端なだけで、てんで先が読めんのですよ。 幕末の志士どもと同じでして、世間である事象が流行ると、ぱっと飛びついて、「これが今この世で最も重要なテーマだ!」と信じ込んでしまうんですな。 そして、それ以外の事は、すべて犠牲にしても構わないと断じてしまうのです。 実際には、重要な事は並行していくつも存在するわけですが、この連中、頭と心が弱い為に、多くの事をバランスよく按配するという芸当ができず、一つの事に執着する事によって、「これさえやっていれば間違いない!」と決めてしまって、心の安定を得ようというわけです。

  だけどよー、自分のやっている事が、他人に犠牲を強いる事である場合、公の場に出てきて、大声で主張するのは、温暖化以上に重大な問題だと思うぞ。 空き缶拾いを思い浮かべてみなよ。 黙々と空き缶を拾い続けている人には頭が下がる思いがするけれど、道往く人を捕まえて、「俺が拾ってるんだから、お前も拾えよ!」と怒鳴っている人間が、小指の先ほどの尊敬も得られないのは、簡単に想像できるよな。 お前らは、まさに、その怒鳴る男だよ。

  話を戻しますが、応募してきた一般市民と、ゲストとして招かれた専門家の間に、論者としてのレベルの差が歴然と見られたのは、興味深かったです。 まず、一般市民は、データを数字で示す事が出来ません。 これは実態を知らないまま、漠然としたイメージで、≪思い込み≫を起こしている危うさを否定できないという事です。 科学技術的な問題に関する議論をしようという時に、≪思い込み≫を元にして意見を組み立てている人間を参加させるのは、混乱を引き起こすだけで、何の益もありません。 いちいち、正確なデータを教えながら進める議論など、不効率極まりないです。 討論会をする前に、まず研修会を開くべきでしょう。

  一般市民の無知は、数字以外の点でも多く顕れていました。 最初、中国を大排出国として批判していた人物が、≪国民一人当たりのCO2排出量≫という言葉が出て来た後は、何も言わなくなりましたが、恐らく、それまで、その概念を知らなかったのでしょう。 国単位でのみ比較して、頭の中で単純に悪玉国家を仕立て上げていたものと思われます。 同じ人物が、「中国の参加者の意見が全員同じなのは変だ」という指摘もしていましたが、経済先進国と発展途上国では温暖化の責任に対する立場が違いますから、中国人がアメリカや日本を責めるのは当然で、別段おかしな事ではありません。 この指摘の時以外にも、中国人参加者の意見が全員一致した際に、日本の会場で、侮蔑意識から出たとしか思えない笑いが広がりましたが、こういう反応が出てくること自体に、応募参加した一般市民達の次元の低さをよく表わしています。

  一般市民の中に、≪後進国≫という言葉を平気で使う者がいたのにも呆れました。 司会者が、わざわざ、「発展途上国」と言い直して、暗黙の修正を求めても、気付かないのか、わざとやっているのか、改めもせずに、≪後進国≫という言葉を使い続ける始末。 ≪後進国≫という言葉には差別意識が含まれているという事で、≪発展途上国≫という言葉に置き換えられたのは、もう何十年も前の話です。 ところが、この自認・正義の味方達の頭の中では、何十年もの間ずーっと、≪後進国≫という言葉が生き続けて来たわけですな。 まったく、恐ろしい奴らだ。 差別主義者に、社会問題を語る資格なんてあるのかね?

  一般市民の暴走無知ぶりに比べると、産業界の代表や学者・研究者達の意見には、まっとうな物が多かったです。 特に、「現在起こっている温暖化には、経済先進国が優先的に責任を負わなければならない」という点で彼らの意見が一致していたのには、あまりにまとも過ぎて、驚いたくらいです。 もっとも、所詮同じ日本人の意見なので、そこかしこに外国に対する差別意識・侮蔑意識が垣間見えたのも事実ですが。


  確か、産業界の代表の一人だと思いますが、「CO2排出量の削減義務を企業にのみ負わせるのは、計画経済の手法ではないか? 日本は計画経済の道をとるのか?」というような疑問を環境相にぶつけた人がいました。 それを聞いた私は、「おっ!」と思ったわけです。 最近つらつら考えていた事に関係していたものですから。 どういう事を考えていたかというと、「このまま、資源の減少や、CO2排出量の増加が続くと、資本主義は成り立たなくなって、社会主義が息を吹き返すんじゃないの?」と、そんな事をね。

  CO2排出量を各国で調整しようという動きにしてからが、もう完全に資本主義の原理から逸脱しています。 前に、≪温暖化対策の末路≫という文章で書いたんですが、CO2排出量というのは、経済規模と比例関係にあります。 CO2排出量を抑えるという事は、取りも直さず、経済成長を抑えるという事です。 最近、北欧の一部の国の例を挙げて、「経済成長と、CO2排出量の削減は両立可能だ」と主張する論が出て来ていますが、そういう嘘みたいな≪うまい話≫は、眉に唾をつけて聞くべきでしょう。 それらの国では、CO2排出量が少ない産業だけ国内に残して、排出量の大きい産業を国外依存しているのではないでしょうか? 自分の家のゴミを隣家の庭に放り込んでおいて、「ご近所のみなさん、うちのように綺麗に暮らしましょうね」と言っているようなものです。 北欧というと、理想社会のようなイメージがありますが、この種の≪北欧神話≫には、気をつけなければいけませんな。

  資本主義というのは、経済活動を活発にし成長させる為に最も有効な原理でして、CO2排出量の抑制にはマイナス効果しか及ぼしません。 アメリカや中国はCO2排出量に枠を嵌められるのを嫌っていますが、彼らが最も恐れているのは、それによって経済成長が止まる、いや、むしろ縮小してしまう危険性です。 アメリカの場合、深刻な打撃を受ける産業界が、政府に削減目標を受け入れないように常に圧力をかけていますし、中国の場合は、経済成長を止められてはたまらないので、負担を背負い込まないように、政府そのものが警戒しています。

  資本主義を維持しようとする国が、削減目標の設定に反対しているのは、目的と行動が一致していて、分かり易いんですが、削減目標設定に意欲的な国が、何の利益があってそうしようとしているのか、そちらが解せません。 「地球全体の未来を考えているのだ」というのは、国連職員やNGOあたりのボンクラが唱えるお題目でして、それぞれの国の政府が責任を負っているのは、自国民に対してだけであって、外国の利益など爪の先ほども念頭に浮かびませんし、全人類の利益も観念レベル以上には考えていないものです。

  削減目標設定に意欲的なのが、ヨーロッパの先進国だという点が気になるところで、先進国といえば聞こえがいいですが、実態は、≪発展停止国≫ですから、経済成長が続いている新興国やアメリカの足を引っ張るつもりで、削減目標を利用しようとしている可能性があります。 これ以上、世界の経済勢力図が変化しないように、自国の経済力が相対的に沈降しないように、全国家に枷を嵌めて、≪現状維持≫で止めてしまおうというわけです。 もしそうであれば、彼らの腹づもりが、よく理解できます。

  だけど、問題がCO2排出量の削減だけに限定されるのならともかく、いずれは、地下資源や食料の分配も全世界規模で調整しなければならなくなりますから、そうなると、もはや完全に、世界全体で計画経済をやる事になります。 競争なんてやっているゆとりはないのであって、各国の条件の違いを考慮に入れつつ、均等に分配するわけですから、これはもう、社会主義としか言えませんわな。 企業レベルの競争も成立しなくなります。 シェアや利益を奪い合うのが企業社会ですから、奪い合いが禁止されれば、企業の存在意義は無くなり、分配作業を行なう役所だけあれば事足りるという事になります。 おお、紛う方無き、計画経済だ。 マルクスには悪いですが、階級闘争とは全く別方面の要求によって、資本主義社会は崩壊し、社会主義の時代が来るわけですな。

  おっと、ここまで読んで、「なるほど、そうだったのか。 社会主義は資本主義に負けたのではなく、出て来る時期が早過ぎただけだったんだな。 社会主義の時代は、これから到来するわけだ」と、感無量の皆様、その感動はまだ早いです。 上に書いたのは、希望的観測に過ぎません。 まず、世界規模で計画経済を実行するには、中心になる組織が必要ですが、国連の能力の低さを見るにつけ、そんな舵取りが出来るわけがなく、国連に変わる組織も想像し難いですから、計画経済の実行そのものに無理があります。 それに、人間というのは、「均等に分配」なんて奇麗事には、そうそう乗って来ないものです。 もう一つ、より現実に起こりそうなシナリオがあります。

  自国企業が競争に負けそうになった時、「もう競争している時代ではないから、外国と話し合って、資源を均等に分配しよう」とは考えず、軍事力に物を言わせる国が出て来るだろうと思うのです。 身近な例では、イラクに攻め込んで、石油の利権を奪ってしまったアメリカのように。 均等分配を受け入れれば、否が応でも社会主義化せざるを得ませんが、社会主義の社会が、資本主義のそれに比べて、かなり貧しく、窮屈なものになるのは、旧ソ連・東欧圏や開放政策を取る前の中国の例からも明らかです。

 「そんなしょぼい暮らしをするくらいなら、戦争でかたをつけた方がマシだ」と考える国が出て来るのは、多いにありそうな話です。 なにせ、それぞれの国の政府は、自国民に対してだけしか責任を負ってませんから。 アメリカは現役で実行していますし、イギリスも、アメリカに誘われれば、外国を侵略するくらい何のためらいも感じない国です。 フランス、ドイツ、日本、イタリア、ロシア、オランダなど、帝国主義の前科がある国々も、侵略の遺伝子を持ってますから、「他がやっているのだから、うちも」となるのは目に見えています。 「資源が足りないなら、使う人間を減らすのが一番だ。 外国人を殺しまくれば、わが国で、それだけ余分に使えるではないか。 世界全体で人間の数が減れば、CO2排出量も減るのだから、温暖化も防止できて、いい事尽くめだ」というわけですな。

  まったく恐ろしい。 でも、人類の歴史に照らし合わせれば、「みんなで仲良く、均等分配」という社会主義コースより、こちらの方がずーっとあり得そうな未来ではありますまいか。 社会主義というのは、すべての国が窮屈・不便を受け入れる事でしか成り立ちませんが、一旦豊かな生活を経験した人間というのは、なかなか生活レベルを落せないものです。 無理を押して、豊かな生活を続けようとし、結局破綻して一気にホームレスまで落ちる。 そんなもんでしょ。 現在の資本主義先進国は、生活レベルの低下に耐えられないと思いますから、無理を押して、侵略戦争に打って出る危険性が濃厚です。 どこも民主国家ですから、国民の多数が、「外国を攻めて、資源を奪え!」と言い出したら、政府は従うしかありません。


  最終的にどういう形で落ち着くか分かりませんが、人口が激減する事で、CO2排出量が減って温暖化にブレーキがかかるまで、また、資源や食料にゆとりが出るまで、戦争の時代が続く事になるんじゃないでしょうか。