耕すのは誰か?
突如到来した世界的な食糧不足で、「国内自給率を上げろ」という意見が飛び交っています。 日本全国には、埼玉県の面積に相当する≪休耕田≫が散在するので、それらを復活させれば、すぐに生産量を上げられるではないかと・・・・
・・・・いや、まあ、口で言う分には簡単なんですがね。 休耕田があるのはいいとして、そこを誰が耕すのよ? 政治家? 自称識者? 休耕田は長年放ったらかしになっているので、背丈を越えるような草がボウボウですが、政治家や自称識者の皆さんでは、その草を刈る事も侭ならないでしょう。 「農家がやるに決まっているじゃないか」? もしかしたら、農村の事情をまるっきりご存知ないのかな? 後継者がいなくて、田畑をどんどん潰している有様だというのに、休耕田を耕せだと? そんな余分な労働力がどこにあるんじゃい!
私のうちは、農家ではなかったんですが、家があるのは紛れも無い農村の中で、私が子供の頃には、田畑の方が宅地よりも圧倒的に多い風景でした。 私の父が子供の頃には、家などほとんど建っておらず、一面、田畑ばかりの所だったらしいです。 それが今では、家で埋まってしまい、田畑を探すのに苦労するほどになってしまいました。 知らない人が見たら、元から住宅地として開かれた所ではないかと間違えるほどです。 農家が、みんな田畑を売ってしまったんですな。 農地として持っていても、農業をやる人間がいないので、邪魔になるだけ。 それなら、宅地にして売ってしまった方が得になると判断したわけです。
現在の日本の農家は、基本的にすべて自作農ですが、この状況はそんなに歴史が古いわけではなく、戦後の≪農地改革≫によって成立したものです。 地主から取り上げた土地を小作農に分け与えた頃に農家の働き手だった世代は既に世を去りつつあり、今、田畑を耕しているのは、その子供の世代です。 この世代は、生まれた時から自作農だったわけですから、小作から自作に転ずる事が出来た喜びを知りません。 親の世代が持っていた地主に対する劣等感が全くない代わりに、農家以外の職業の人々に対して、優越感・劣等感・疎外感などを混然として抱いています。
優越感というのは、やはり土地を多く持っているという事が一番大きいです。 また、サラリーマンに比べて収入が遥かに多く、目に見える豊かさとして、大きな家を建て、高い車を何台も保有し、買いたい物は大抵買えますから、優越感を抱くのは当然というもの。 一方、劣等感というのは、仕事が≪2K≫だという点から出て来ます。 「きつい」と「汚い」ですな。 「危険」はほとんどありません。 疎外感は、テレビや雑誌など、メディアの農家に対する態度から発しています。 ≪ダーツの旅≫などに如実に現れているように、テレビ関係者には、農村を≪異質な世界≫、農民を≪変わった人達≫と見做す傾向が明確に見られます。 農家の人達もそういう番組を見ているわけですが、実質的に笑いの種にされているのですから、農家側からしてみれば、否が応でも疎外感を抱かずにはいられないというわけです。
もし、優越感だけならば、後継者に困るという事態にはならなかったはずです。 優越感よりも、劣等感や疎外感の方が大きかったから、子供は農業を継ごうと思わず、親も継がせようと思わなかったんですな。 農家では、「誰が継ぐか」や、そもそもそれ以前に、「継ぐか継がないか」に関する話題が、家族内でタブーになっているケースが多いらしいです。 親が子供に、「継げ」と言えば、子供が反発するし、子供の方から、「継がない」と言ってしまうと、親が憮然として、家庭内の雰囲気がギスギスする。 それならいっそ、その話題には触れないようにしようという暗黙の了解が成立します。 そんな事をしている内に、子供は、都会の大学へ進み、そのまま帰って来なかったり、帰って来ても、サラリーマンになったりして、農業からは遠のきます。 子供側にしてみれば、親が、「継げ」と強く言えない事を承知しているので、さっさと就職して、勤め人としての既成事実を作ってしまった方が勝ちというわけですな。 農家の苦悩はサラリーマン家庭の比ではありません。
そんなわけで、農地改革によって到来した日本の自作農時代は、たった一代で滅びつつあります。 農地は山間部では放棄され、平野部では宅地として売られて、減る一方。 宅地にされてしまったところは仕方ないとして、放棄されたところは耕作者さえいれば、数年で復帰させる事が出来ないではないですが、その耕作者がいないのです。 機械が使えないような田畑ほど放棄されやすいので、復活は人手に頼らなければならないのですが、その技術を持った人がいないのです。 だから、聞きたいんですよ。 「休耕田を耕すって、一体、誰がやるの?」って。
≪鉄腕DASH≫のDASH村企画に、三瓶明雄さんという方が農業指導で出演していますが、あまりにも膨大な量の農業関連知識を頭に入れているので、驚かずにいられません。 で、あの方一人が特別優れているのかというと、そうではありますまい。 農民と名のつく人なら誰でも、あのくらいの知識と経験を備えていなければ、務まらないと見るべきです。 素人が真似事でやれるような甘いものではないのです。 ほんの数坪の家庭菜園ですら、失敗続きで収穫ゼロが何年も続く事などザラです。 売り物になるような作物を大量に作るとなれば、素人では何十年かかるか分かりません。
農業は、知識・経験の他に、様々なパターンの労働に対する慣れも大切な要素で、「ちょっと腰が悪いけど、手先で出来る作業なら・・・・」などという、≪限定付き≫の人間では、却って足手纏いになってしまいます。 子供の頃からやっているから、最小限のエネルギーで効率よく作業をこなせるのであって、大人になってから始めるのでは、何を究めるにしても、何年も費やす事になるでしょう。 工場労働などと違って、年柄年中同じ作業を繰り返しているわけではないので、覚えきらない内に、その作物のシーズンが終ってしまい、次の年には、また初歩からやり直しという、厄介な現場だからです。
今のご時世ですから、「フリーターや派遣社員などを、農家が雇えるようにしたら?」とは誰でも思いつくアイデアですが・・・・、無ー理無理! 出来るわけねーっぺよ! 一人残らず、一週間で逃げ出すね。 週休二日制の工場ですら、「きつい」って言って居つかないんだよ。 休みが一定しない農家でなんて、働けるものかね。 あー、ちなみに、農家には定休日が存在しません。 農閑期のように休みが集中する事もありますが、一度勤め人を経験した人間は、休みが定期的に巡って来ない職場に耐えられんでしょう。 「夏場は、雨の日だけ休み」なんて言われた日には、予定が立てられなくて、お先真っ暗な気分になってしまいます。 農家に於いては、≪仕事≫と、≪生活≫は一体化しているんですな。 農業が企業として成り立ち難い理由も、そこにあります。
私は昔、農家の娘と結婚した人と一緒に働いていた事がありますが、その人、休みの日には、奥さんの実家で、農業の手伝いをしていました。 「していた」というより、「させられていた」んですな。 ほぼフリーターのような生活だったので、奥さんの実家で食わせてもらっている状態で、奥さんに、「休みでゴロゴロしてるなら、畑の水撒きでも手伝ってよ」と言われ、立場上断れるはずもなく、ホースを抓んで水を撒いていたらしいです。 ま、それだけの話なんですが、今思い出してみると、素人に手伝わせられる作業が、水撒きくらいのものだったという事が分かって、大変興味深いですな。 農家の方も、インストラクターではありませんから、素人に農作業を教えるのは苦手なのです。 テキトーに教えて、せっかくの収穫を台無しにされても困るし。
さて、休耕田を耕すのは一体誰なのか? 私には想像がつきません。 上に述べて来たように、理由も無しに休耕田が増えたわけではないのです。 耕す人間がいなくなったから、休耕田が出て来たのです。 江戸時代以前の、≪逃散≫のように、農民がどこかへ逃げてしまった為に、田畑が放棄されたというなら、農民を連れ戻せば復旧は可能ですが、現代の休耕田には、連れ戻すべき農民がいません。
国内自給率を上げろ上げろと机をドンドコ叩いている方々、まあ、落ち着きなさい。 とりあえず、あんたの家の庭で、ジャガイモでもトウモロコシでも作って見なさいな。 家族にやらせるんじゃなくて、あんた自身がやるんだよ。 ご近所や親戚にお裾分けしたくなるほどの質と量が収穫できたら、改めて机を叩けば宜しい。 まあ、無理だと思うがね。 農業は、職人技の最高峰なのだという事を思い知る事になるでしょう。
なに? マンション住まいで、庭が無い? 問題外だな。 つまり、日頃、土に触れる事も無いんだろう? 農業について語る資格なし。 これからは、農作物を口にする前には、作ってくれた人の姿を思い浮かべて、心の中で土下座するようになさい。 その人達がいなければ、あんたは生きていく事も出来ないんだよ。 ≪ダーツの旅≫を見て、ゲタゲタ笑っている身分じゃあるまいて。
・・・・いや、まあ、口で言う分には簡単なんですがね。 休耕田があるのはいいとして、そこを誰が耕すのよ? 政治家? 自称識者? 休耕田は長年放ったらかしになっているので、背丈を越えるような草がボウボウですが、政治家や自称識者の皆さんでは、その草を刈る事も侭ならないでしょう。 「農家がやるに決まっているじゃないか」? もしかしたら、農村の事情をまるっきりご存知ないのかな? 後継者がいなくて、田畑をどんどん潰している有様だというのに、休耕田を耕せだと? そんな余分な労働力がどこにあるんじゃい!
私のうちは、農家ではなかったんですが、家があるのは紛れも無い農村の中で、私が子供の頃には、田畑の方が宅地よりも圧倒的に多い風景でした。 私の父が子供の頃には、家などほとんど建っておらず、一面、田畑ばかりの所だったらしいです。 それが今では、家で埋まってしまい、田畑を探すのに苦労するほどになってしまいました。 知らない人が見たら、元から住宅地として開かれた所ではないかと間違えるほどです。 農家が、みんな田畑を売ってしまったんですな。 農地として持っていても、農業をやる人間がいないので、邪魔になるだけ。 それなら、宅地にして売ってしまった方が得になると判断したわけです。
現在の日本の農家は、基本的にすべて自作農ですが、この状況はそんなに歴史が古いわけではなく、戦後の≪農地改革≫によって成立したものです。 地主から取り上げた土地を小作農に分け与えた頃に農家の働き手だった世代は既に世を去りつつあり、今、田畑を耕しているのは、その子供の世代です。 この世代は、生まれた時から自作農だったわけですから、小作から自作に転ずる事が出来た喜びを知りません。 親の世代が持っていた地主に対する劣等感が全くない代わりに、農家以外の職業の人々に対して、優越感・劣等感・疎外感などを混然として抱いています。
優越感というのは、やはり土地を多く持っているという事が一番大きいです。 また、サラリーマンに比べて収入が遥かに多く、目に見える豊かさとして、大きな家を建て、高い車を何台も保有し、買いたい物は大抵買えますから、優越感を抱くのは当然というもの。 一方、劣等感というのは、仕事が≪2K≫だという点から出て来ます。 「きつい」と「汚い」ですな。 「危険」はほとんどありません。 疎外感は、テレビや雑誌など、メディアの農家に対する態度から発しています。 ≪ダーツの旅≫などに如実に現れているように、テレビ関係者には、農村を≪異質な世界≫、農民を≪変わった人達≫と見做す傾向が明確に見られます。 農家の人達もそういう番組を見ているわけですが、実質的に笑いの種にされているのですから、農家側からしてみれば、否が応でも疎外感を抱かずにはいられないというわけです。
もし、優越感だけならば、後継者に困るという事態にはならなかったはずです。 優越感よりも、劣等感や疎外感の方が大きかったから、子供は農業を継ごうと思わず、親も継がせようと思わなかったんですな。 農家では、「誰が継ぐか」や、そもそもそれ以前に、「継ぐか継がないか」に関する話題が、家族内でタブーになっているケースが多いらしいです。 親が子供に、「継げ」と言えば、子供が反発するし、子供の方から、「継がない」と言ってしまうと、親が憮然として、家庭内の雰囲気がギスギスする。 それならいっそ、その話題には触れないようにしようという暗黙の了解が成立します。 そんな事をしている内に、子供は、都会の大学へ進み、そのまま帰って来なかったり、帰って来ても、サラリーマンになったりして、農業からは遠のきます。 子供側にしてみれば、親が、「継げ」と強く言えない事を承知しているので、さっさと就職して、勤め人としての既成事実を作ってしまった方が勝ちというわけですな。 農家の苦悩はサラリーマン家庭の比ではありません。
そんなわけで、農地改革によって到来した日本の自作農時代は、たった一代で滅びつつあります。 農地は山間部では放棄され、平野部では宅地として売られて、減る一方。 宅地にされてしまったところは仕方ないとして、放棄されたところは耕作者さえいれば、数年で復帰させる事が出来ないではないですが、その耕作者がいないのです。 機械が使えないような田畑ほど放棄されやすいので、復活は人手に頼らなければならないのですが、その技術を持った人がいないのです。 だから、聞きたいんですよ。 「休耕田を耕すって、一体、誰がやるの?」って。
≪鉄腕DASH≫のDASH村企画に、三瓶明雄さんという方が農業指導で出演していますが、あまりにも膨大な量の農業関連知識を頭に入れているので、驚かずにいられません。 で、あの方一人が特別優れているのかというと、そうではありますまい。 農民と名のつく人なら誰でも、あのくらいの知識と経験を備えていなければ、務まらないと見るべきです。 素人が真似事でやれるような甘いものではないのです。 ほんの数坪の家庭菜園ですら、失敗続きで収穫ゼロが何年も続く事などザラです。 売り物になるような作物を大量に作るとなれば、素人では何十年かかるか分かりません。
農業は、知識・経験の他に、様々なパターンの労働に対する慣れも大切な要素で、「ちょっと腰が悪いけど、手先で出来る作業なら・・・・」などという、≪限定付き≫の人間では、却って足手纏いになってしまいます。 子供の頃からやっているから、最小限のエネルギーで効率よく作業をこなせるのであって、大人になってから始めるのでは、何を究めるにしても、何年も費やす事になるでしょう。 工場労働などと違って、年柄年中同じ作業を繰り返しているわけではないので、覚えきらない内に、その作物のシーズンが終ってしまい、次の年には、また初歩からやり直しという、厄介な現場だからです。
今のご時世ですから、「フリーターや派遣社員などを、農家が雇えるようにしたら?」とは誰でも思いつくアイデアですが・・・・、無ー理無理! 出来るわけねーっぺよ! 一人残らず、一週間で逃げ出すね。 週休二日制の工場ですら、「きつい」って言って居つかないんだよ。 休みが一定しない農家でなんて、働けるものかね。 あー、ちなみに、農家には定休日が存在しません。 農閑期のように休みが集中する事もありますが、一度勤め人を経験した人間は、休みが定期的に巡って来ない職場に耐えられんでしょう。 「夏場は、雨の日だけ休み」なんて言われた日には、予定が立てられなくて、お先真っ暗な気分になってしまいます。 農家に於いては、≪仕事≫と、≪生活≫は一体化しているんですな。 農業が企業として成り立ち難い理由も、そこにあります。
私は昔、農家の娘と結婚した人と一緒に働いていた事がありますが、その人、休みの日には、奥さんの実家で、農業の手伝いをしていました。 「していた」というより、「させられていた」んですな。 ほぼフリーターのような生活だったので、奥さんの実家で食わせてもらっている状態で、奥さんに、「休みでゴロゴロしてるなら、畑の水撒きでも手伝ってよ」と言われ、立場上断れるはずもなく、ホースを抓んで水を撒いていたらしいです。 ま、それだけの話なんですが、今思い出してみると、素人に手伝わせられる作業が、水撒きくらいのものだったという事が分かって、大変興味深いですな。 農家の方も、インストラクターではありませんから、素人に農作業を教えるのは苦手なのです。 テキトーに教えて、せっかくの収穫を台無しにされても困るし。
さて、休耕田を耕すのは一体誰なのか? 私には想像がつきません。 上に述べて来たように、理由も無しに休耕田が増えたわけではないのです。 耕す人間がいなくなったから、休耕田が出て来たのです。 江戸時代以前の、≪逃散≫のように、農民がどこかへ逃げてしまった為に、田畑が放棄されたというなら、農民を連れ戻せば復旧は可能ですが、現代の休耕田には、連れ戻すべき農民がいません。
国内自給率を上げろ上げろと机をドンドコ叩いている方々、まあ、落ち着きなさい。 とりあえず、あんたの家の庭で、ジャガイモでもトウモロコシでも作って見なさいな。 家族にやらせるんじゃなくて、あんた自身がやるんだよ。 ご近所や親戚にお裾分けしたくなるほどの質と量が収穫できたら、改めて机を叩けば宜しい。 まあ、無理だと思うがね。 農業は、職人技の最高峰なのだという事を思い知る事になるでしょう。
なに? マンション住まいで、庭が無い? 問題外だな。 つまり、日頃、土に触れる事も無いんだろう? 農業について語る資格なし。 これからは、農作物を口にする前には、作ってくれた人の姿を思い浮かべて、心の中で土下座するようになさい。 その人達がいなければ、あんたは生きていく事も出来ないんだよ。 ≪ダーツの旅≫を見て、ゲタゲタ笑っている身分じゃあるまいて。
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