2008/04/27

鬱々たるもの

  で、擬古文に凝っているせいで、古典文学サイト巡りをしたという話を前回書いたわけですが、その際、擬古文で書き込みをしたいばかりに、掲示板も覗いて回ったわけです。 その掲示板で、どんな話題が取り交わされているのか、一応知っておかなければならないので、他のゲストの書き込みと管理人のレスを読んで行ったんですが・・・・・、恐れていた通り、コンフリクトしている所がありました。 まったく、他人の争いごとは醜い。

  すっかり、ブログ主流の世の中になってしまったので、掲示板のシステムは四五年前から進歩が止まっていて、いまでも、スレッド式が圧倒的に多いです。 そうそう、未だに、≪ティーカップ≫の掲示板を使っている所もありましたが、古典サイトとはいえ、あまりにも古典的で、あはれ涙をさそふものがありました。 ティーカップの掲示板は、文字サイズが大きくて読み易いんですが、書き込み毎にレスを付ける事ができないので、ゲストが増えると、レスが書きにくくなる欠点があり、スレッド式に淘汰されてしまったんですな。 

  で、スレッド式掲示板の所での話なんですが、あるゲストが、初書き込みのスレッドを延々と延ばしているのを発見しました。 管理人がレスをつけると、その返事に当たる書き込みを、同じスレッドにまた付け足していくのです。 今時、スレッドを延ばしたがる人も珍しい。 しかも、結構な長文ですぜ。 書き込みが長いから、当然、レスも長くなるわけで、もう延びる延びる、蛇が出たかってなもんです。 スレッド式なんだから、延ばしていけないという法はありませんが、せいぜい、三往復くらいが限度でしょう。 スレッドが延びると、他のゲストの投稿が下の方に埋没してしまって、迷惑するんですわ。 また、そういう人に限って、管理人のレスが付いたら、すぐに返事を書かなければいけないと思い込んでいて、日に何度も書き込んで来るわけですが、それじゃ、管理人の身が持ちません。

  可哀想に、そこの管理人さん、悩んじゃって、スレッドが五往復くらいしたところで、とうとう、レスをパスしました。 そしたら、そのゲスト、無視されたって怒っちゃって、「今まで書きこんだ文章を全部削除してくれ」ですと。 無茶苦茶、言いないな。 あんたが追い込んだんやないの。  たぶん、掲示板への書き込みの経験が浅くて、やっていい事と、やらない方がいい事の区別がつかんのでしょうな。 初心者は、いつの時代にもいるわけだ。 自分でサイトを作り、一度、掲示板を運営してみれば、「こりゃ、かなわんなあ」という感じが掴めるはずなんですが。 

  でねー、「削除してくれ」って言うんだから、ご要望通り削除して、「じゃ、これっきりって言う事で」と放っぽり出せばいいものを、そこの管理人さん、他のゲストの手前、善人ぶろう、いい子ぶろうとしたんでしょう。 「すいません。 スレッドが長くなったので、書き込みに気付きませんでした。 許して下さい」などと謝ってしまったのです。 駄ー目だって、そういう奴に謝っちゃ! 調子にのるだけなんだから。 案の定、更にひどい事になり、そのゲスト、次の書き込みで、自分がどうして怒ったか、どうして削除依頼をせざるを得なかったかを、たとえ話まで持ち出して、延々と書き連ね、しかも途中から敬語をやめて、呪詛めいた言葉を、独り言のように毒づき始める始末。 文面に漂う異常な怒気から察するに、明らかに精神状態が異常な人らしいです。 雅やかな言葉で言うと、「お気がお触れ遊ばしていらっしゃる」んですな。 いるんだなあ、こういう人。

  で、そこの管理人さんの事を、「気の毒だなあ」と思っていたんですが、驚くじゃありませんか。 それから二三日して書き込まれた別のゲストとの会話を読んだ所、その管理人さんも鬱病を患っているらしいのです。 これには、「あんが・・・」とフリーズしてしまいました。 その管理人さん、あちこちの掲示板に書き込んでいて、古典サイトでは珍しく活動中の人だったのですが、どうも社交的だからそうしていたのではなく、一度付き合い始めたら、相手のサイトに行き続けなければいけないという強迫観念に囚われていて、ほとんど廃墟状態の掲示板であっても、書き込み続けなければいられない人だったらしいのです。

  いやはや、しかし、鬱病に苦しんでいる状態で、こんな恐ろしいゲストに罵詈雑言を浴びせかけられたら、病状が悪化せずにはいられないでしょうな。 寝込むくらいならまだいいけれど、切っちゃうでしょう、手首。 飛び降りちゃうでしょう、屋上。 飛び込んじゃうでしょう、電車。 普通の人間でさえ、ネット上で悶着に巻き込まれると、パソコンの電源を入れるのが恐ろしくなりますが、況や鬱病患者に於いてをや。


  という流れで、ここから、鬱病の話に強引に持って行くわけですが・・・・。 鬱病の人をネット上で見かけると、「気の毒だな。 可哀想だな。 少しでも気分が楽になるように、優しい言葉を掛けてあげようかな」と思ったりするでしょう。 でもね、それはやっては駄目なのです。 そこが鬱病の厄介な所でして、たとえ好意から出た言葉であっても、他人から話しかけられたというそれだけで、精神の負担になってしまうのです。 最初は努力して話を合わせて来ますが、やがて突然ブチ切れて、「もう限界です。 これ以上話せません」と言い出すから、うまく会話しているつもりでいた相手の方は、ぶったまげてしまうのです。

  基本的に、何を言われても悪く取るのが鬱病でして、喜ばせようと思って、その人のサイトのコンテンツを誉めたりするでしょ。 そうすると、「ああ、このコンテンツを誉めてくれたという事は、これと同じようなコンテンツをもっと作れという要求なんだな。 ああ、面倒臭いなあ。 やる気にならないなあ。 どうして、こんなに私を困らせるんだろう。 ああ、もう死んでしまいたい」となるのです。 さりとて、突き放したりすれば、直接的に悪意を受け止めて、もっと落ち込みます。

  「まともな自分と話をしていれば、おかしな人も次第によくなるはずだ」と考える方も多いでしょうが、それは精神病の恐ろしさを知らないのでして、そんな簡単な事で治るくらいなら、家族や友人だけで間に合うわけで、医者なんぞいりません。 精神科医ですら、完全には治せないのです。 せいぜい、≪要入院≫を≪要通院≫に改善する程度がやっとで、完治はまずありえません。

  恐ろしいのは、精神病という奴、意外な事に、人にうつるのです。 まず、近しい人間にうつります。 よく、女子中高生が友人同士で飛び降り自殺をする事件が起こりますが、あれは、確実に一人が先に鬱病になり、それが友人にうつって、「私、もう死にたい」が、「だったら、私も死ぬ」を誘引し、「じゃあ、二人で死のう」に至ったものと思われます。 もちろん、家族にも、うつります。 他人から見ると、「なんで、この程度の理由で・・・・」と思うような一家心中事件が起こった場合、間違いなく、鬱症状が家族内に伝播して、逃げ道を失ったものと考えられます。

  精神科医という職業も、精神病に陥り易い状況にいます。 毎日、お気がお触れ遊ばしていらっしゃる患者様方のお話ばかりお聞き遊ばしていらっしゃるのだから、聞いている方も頭が狂ってくるのは理の当然というもの。 確か、精神医学に、≪転移≫という用語があったと思いますが、その≪転移≫が進むと、医師までが患者の異常さの中に巻き込まれてしまうのだとか。 ミイラ捕りがミイラ。 精神科医自身が狂ってしまっているのだから、そんな人が、「この患者さんは完治しました」などと保証してくれても、鵜呑みにするわけにはいきません。

  話を鬱病に戻しますが、怖いでしょう。 一度なってしまうと、治らんのですよ。 また、鬱病患者の人が、ネット上にはたくさんいるんだわ。 大抵は、自覚症状があります。 程度の違いはあるので、まだ浅い人は、自分が鬱病の気がある事をファッションのように捉えていて、鬱症状を言い触らす事によって、他人の同情を得ようとしたりしますが、一旦、自殺未遂をやらかすほど症状が進むと、ファッションどころの話ではなくなり、当人も真剣に悩み苦しみ始めます。 そして、悩めば悩むほど、症状が悪化していくのが、また、鬱病なのです。

  鬱病患者の書いた文章は、じめじめと陰鬱で、あらゆる事を悪い方へ悪い方へと考えていくので、読めば直ぐにそれと知れるのですが、同じ鬱病患者でも、何とか治そうと努力している人の文章は、まったく正反対の雰囲気になるので、注意が必要です。 やたらと明るいのです。 すべての文の末尾に、≪!≫がついていたり、顔文字がついていたり、普通に読んだだけでは、滅茶苦茶明るい人のように思えます。 しかしねえ、本当にまともな人は、そんなに高いテンションばかり続きはしないわけですよ。 鬱病患者が、鬱気を吹き飛ばそうとして、故意に装った明るさなんですな。 「躁期に入っているのでは?」と思うかもしれませんが、躁とはまた違うのです。 躁患者は、テンション云々以前に、まともな文章なんて書けませんから。

  こんな具合でして、鬱病患者を日常生活やネット上で見かけたら、もう避けるしかありません。 良かれと思って何をしても、すべて裏目に出るので、近寄らない以外に手が無いんですな。 近寄らなければ、症状が改善するというわけでもないんですが、進めるよりはマシでしょう。 これを読んで、「なんて、薄情な奴だ。 こいつ、鬱病患者に対して、偏見があるに違いない」と感じた人も多いでしょうが、「だったら、試しに鬱病患者に近寄って、症状を改善させてみな」などとは、口が裂けても言いません。 なぜなら、本当に鬱病患者を死に追いやってしまう可能性が、甚だ高いからです。